2020年6月28日日曜日

マリオ・バルガス=リョサ/楽園への道

同じ血を引く反逆者の物語
サマセット・モームの「月と6ペンス」を読んだのでなんとなくゴーギャンのイメージはあまり良くなかったが、この人物は小説家を魅了するらしい。
ゴーギャンは実はペルーに縁があり、それがこのノーベル賞作家バルガス=リョサの何かに引っかかったらしい。
彼はゴーギャンとその祖母、フローラ・トリスタンを題材に長い小説を書いた。それがこの「楽園への道」だ。
ゴーギャンは名前だけ走っている人も多いだろうが、フローラ・トリスタンとは?
彼女は1800年代初頭に生きたペルーの貴族の血筋で、貧困にあえいで育ち、逃亡者で、思想家であり、著述家であり、労働者を団結させて組合を立ち上げさせようとした社会主義者でもあった。
バルガス=リョサはこの二人の晩年の人生を交互に、ミルフィーユのように何層にも重ねて書いている。
かなり特車構造でもある。なぜかというとこの祖母と孫は生きている間は一度も面識がなく、したがって交互に繰り返される二人の人生が直接交わることがないからだ。
バルガス=リョサはこの二人を異なる時代に生きた反逆者として書いている。
反逆者と言っても社会の破壊者ではない、それぞれの理想を追い求め、当時の社会にその実現を目指した追求者として、だからタイトルは「楽園への道」なのだ。

二人の共通点〜出自〜
同じ血を引いている以上にこの二人の反逆者には似ているところが多い。
ふたりとも根っからの反逆者ではなく、しばらくは既存の社会の一員として生活をしていた。
ゴーギャンでいえばむしろ金融業界で働くエリート(当時で言うブルジョワ)であった。(その前は船員をやっていたから育ちが良いわけではない。)それがほとんど興味がなかった絵画に出会って自ら筆を執り、そしてその魅力に取り憑かれて人生を狂わせていく。
フローラはペルーの貴族であった父親が早逝し、その後は貧困から望まない結婚をし、そこから逃亡し、文字通り世界を遍歴する中でフェミニズム、それからコミュニズムに開眼していく。
いわばある出来事から覚醒し、それから世界と戦うことになった。

二人の共通点〜生き方〜
既存の世界と対立する新しい世界秩序に目覚めた二人は、爆発的なエネルギー。
それまで持て余していたエネルギーを文字通り100%ぶつけていくことになる。
そのためには周囲との反発も厭わなかった。アウトサイダーになり、警察を始めとする権力と摩擦が生じることもじさない。
禁欲的ではなく感情を発露させ、他人と戦い、快楽をあけっぴろげに求めた。
しかし結局は自分の理想が全てに優先された。
世界との対立にしても、自分の居場所を作る的な自己防衛ではなく、世界の一員であることを高らかに宣言し、それでいて世界をあけすけに批判した。
ここはゴッホとの対比を見てほしい。アルルの狂人ゴッホにとっては世界は違和感に満ちていて、そこにとどまって生きること自体が戦いだった。
一方でこの祖母と孫はどんな環境でも生きるたくましさ、強靭さがあった。
無知や搾取と戦った。
今までこうだったから同じやり方を踏襲している、という考えのなさを批判するベンチャー精神で、未踏の大地(ゴーギャンでいう南の島、フローラでいう諸外国の労働環境)を切り開いていった。

二人の共通点〜最期〜
二人も自分勝手と言われて差し支えないほど自己中心的で、無限のエネルギーを燃焼して生き急いでいる。
最後は旅の途中でなくなるまで燃え続けた。
ふたりともついに終の棲家を見つけることができず、家族に対しては愛情はあっても保護することはなかった。それは自分本位で身内は愛さなかったと行っても良い。また生きるために他人を利用する強かさと鈍感さを持っていた。

二人の差異
二人の共通点はそうだとして、違うところはどこだろう?
性別が違う。
これは結構重要で、フローラは女性であることがそもそも彼女の苦難のひとつなのだ。
搾取される側のフローラと、半ば無意識に搾取する側のゴーギャンであると言える。
また祖母は世界と明確に対立したが、孫は世界と対立したのは副次的なものだった。
楽園を実際の社会構造に求めたフローラと、あくまでも自己の内部(の発露しての作品とそれに付随する名声)に求めたゴーギャン。

楽園とは
まずこの二人は楽園を目指したが、それは確実に存在しなかった。
いわば頭の中にある楽園を創造しようとした。
フローラが実際に労働者とあってもほとんど賛同が得られなかったように、ゴーギャンが移住したタヒチでも彼の夢想した楽園がなかったように。
失望や落胆は彼らを諦めさせることはできなかった。
フローラは時に非合法の会合を持ち続け、ゴーギャンは絵筆を取り続けた。
ともに病魔がその体を蝕んで動けなくなるまで。
かっこいい死に様は存在せず、かっこいい生き方だけがあるように楽園はなく、ただそれにいたろうとする道こそが人を感動させた。
いわば不可能への挑戦であり、作品や思想そのもの質と関係なく、その情熱やその実行者が単に善悪の基準を超えて、燃え盛る炎のように人を魅了する。

批判性と普遍性
この作品は文明というよりは画一的な近代化批判がある。
西洋の進んだとされる文明が後進国を教化することで、もともと個性があった文明の良さを消してしまうこと。
そして教化のあとは鈍化させることで労働力として搾取すること。その権力の手先として活動するのが警察とそれからキリスト教教会だった。
フローラの置かれている状況も非常に悲惨であって、近年の#metoo運動もそうだけど女性は生まれながらにして差別されている、ということを強く意識させる。
またゴーギャンもフローラも人種差別はしないことも非常に面白い。
 今世界が混乱している、というよりは混乱が世界の抱える問題をあぶり出しているだけだと思うが、そんなときにこの小説を読み、そしていつになったら人が平等に生きられるのだろうか、と考えることは楽しい。
そのためにできることが見つかればそれは間違いなく楽園への道、その道は非常に険しいだろうけど、あなたや私が道半ばで倒れてもそれはとても尊い。
凡人である私は、少なくともその道を歩む人をバカにしない人間になりたい。

2020年6月13日土曜日

種村季弘 編/ドイツ怪談集

河出文庫の世界怪談アンソロジーシリーズ、ドイツ編。
収録先は下記の通り。

  1. ロカルノの女乞食 ハインリヒ・フォン・クライスト著
  2. 廃屋 E.T.A.ホフマン著
  3. 金髪のエックベルト ル-トヴィッヒ・ティ-ク著
  4. オルラッハの娘 エスティ-ヌス・ケルナ-著
  5. 幽霊船の話 ヴィルヘルム・ハウフ著
  6. 奇妙な幽霊物語 ヨ-ハン・ペ-タ-・ヘ-ベル著
  7. 騎士バッソンピエ-ルの奇妙な冒険 フ-ゴ-・フォン・ホ-フマンスタ-ル著
  8. こおろぎ遊び グスタフ・マイリンク著
  9. カディスのカ-ニヴァル ハンス・ハインツ・エ-ヴェルス著
  10. 死の舞踏 カ-ル・ハンス・シュトロ-ブル著
  11. ハ-シェルと幽霊 アルブレヒト・シェッファ-著
  12. 庭男 ハンス・ヘニ-・ヤ-ン著
  13. 三位一体亭 オスカル・パニッツァ著
  14. 怪談 マリ-・ルイ-ゼ・カシュニッツ著
  15. ものいう髑髏 ヘルベルト・マイヤ-著

日本の階段との共通点
共通認識としての宗教、勧善懲悪と因果応報、つまり民衆のための怪談。
上記のうち、
1,4,5,6,10,11、14
は幽霊譚に属する。
幽霊譚の構造というのは(物語の逆順をたどると)過去思いを残したまま死んだ人が現世に幽霊として現れて、そのわだかまりとともに成仏(や昇天)するというもの。
いわば人生のロスタイムであり、おまけ。
本来死んで終わりの人生に対する想像上の救済措置といえる。

これに加えてあるのが因果応報の要素。
1,2,3,4,5,7
幽霊譚とかぶりつつも上記の作品がこれに該当する。
こちらは言うまでもなく過去の悪行は未来で必ず相応の罰で返されるというもの。
悪いことをすれば必ず報いを受ける、ということは善行の奨励でもある。

幽霊譚と因果応報の要素が一番わかりやすく出ているのが4の「オルラッハの娘」。これは善悪の幽霊両方にとりつかれた娘が主人公の極めて宗教的な物語。

宗教はいろいろな側面があるけど、大衆を押さえつけておくための手段として為政者に機能していた面もあるはずだ。
  • (年、または権力の)上にあるものを尊敬し、いうことを聞くこと。
  • 悪行をすると必ず報いがあること。
  • 善行と勤勉が奨励され、その報いは死後に待っていること。
(余談だが私は宗教を現代において、例えばテロリズムの言い訳や隠れ蓑にされることを上げて無益どころか有害、という言に関しては強く反対だけど、じゃあ宗教が全部良かったかというとそうではない。宗教の各キャラクターが象徴するがごとく、宗教を良し悪しで判断するのは無理だ。)

この宗教観が敷衍した世界で成立する怪談というのが、構造的に日本に似ている。
日本の怪談は仏教、儒教的な規範に基づいているところが多いから、死後報われるというよりは徳のランクがあがってまた人間に生まれる、とかなのか?ここは少し違うね。

為政者が幽霊を使って愚かな民衆に説教をかましている、とは流石に穿ちすぎでもっと純粋に楽しめば良いと思うけど、背景を考えると清濁合わせて民衆のための物語である、という認識。

逸脱した怪談たち=Black Metal
友達のお兄ちゃんの同級生が体験した話なんだけど~
上司の親戚に起こった話なんだけど~
怪談の枕に語られるこの手の導入には、この怪談は実話ですよ、というエクスキューズが含まれる。
幽霊なんていないし、といったら怪談はだいなしなのである。
難しいもので人の体験の伝聞というのは整合が取れすぎていると逆に嘘くさくなる。
実話というのは少し不整合や、矛盾が残っているものである。

上記の「典型」の範疇に入らない怪談たち。
それも抜群に面白い。
8,9,12,13,15
がそれらか。
9「カディスのカ-ニヴァル」の意味不明さ、それ故に残る不気味さはまさに口述される怪談の醍醐味だ。
またこれらの逸脱はキリスト教外というのがキーワードにもなりそう。
pagan、つまり異教(キリスト教こそ異教で土着の信仰なんだけど…って思うけど)の物語は、常識として大衆に定着した宗教観の埒外にある。
それは非常識でそしてオルタナティブだ。
12「庭男」は恐ろしくも自由だ。自然の大きさ、わけの分からなさ、人間を魅了するが人間の味方ではないその闊達さを表していてめちゃくちゃ面白い。

これらの怪談の野蛮な力は、権力としてのキリスト教に反旗を翻し、顔に死化粧を施し、土着の神々の名をなのって気炎を吐いたブラックメタルを彷彿とさせる。
キリスト教の生に対するアンチテーゼだから当然死がモチーフになるんだけど、実は相当エネルギッシュだ。
(面白いのは文字通り死のデスメタルはスラッシュメタルなどの激化だから、対立的なブラックメタルとはちょっと構造が違う。)