2020年10月25日日曜日

ハーバート・ヴァン・サール編 金井美子訳/終わらない悪夢


イギリスのホラー・アンソロジー。

収録作品は下記の通り。

  1. 終わらない悪夢 ロマン・ガリ 著
  2. 皮コレクター M.S.ウォデル 著
  3. レンズの中の迷宮 ベイジル・コパー 著
  4. 誕生パーティー ジョン・バーク 著
  5. 許されざる者 セプチマス・デール 著
  6. 人形使い アドービ・ジェイムズ 著
  7. 蠅のいない日 ジョン・レノン 著
  8. 心臓移植 ロン・ホームズ 著
  9. 美しい色 ウイリアム・サンソム 著
  10. 緑の想い ジョン・コリア 著
  11. 冷たい手を重ねて ジョン・D.キーフォーバー 著
  12. 私の小さなぼうや エイブラハム・リドリー 著
  13. うなる鞭 H.A.マンフッド 著
  14. 入院患者 リチャード・デイヴィス 著
  15. 悪魔の舌への帰還 ウォルター・ウィンウォード 著
  16. パッツの死 セプチマス・デール 著
  17. 暗闇に続く道 アドービ・ジェイムズ 著
  18. 死の人形 ヴィヴィアン・メイク 著
  19. 私を愛して M.S.ウォデル 著
  20. 基地 リチャード・スタップリイ 著

ホラー大国のイギリスのアンソロジーは別段珍しくはないのだろうが、そんな中この本は面白い特色を打ち出している。

それは無名の作家の作品を多く収録していること。

名前と作品リストくらいしかわからない、あとの経歴は不明、という作家の作品がかなり収録されている。

だいたいいくつかアンソロジーを読んでみると、その中のいくつかはかぶってくるものである。「くじ」とか「猿の手」とか。それらを改めてじっくり読む、というのももちろん面白いが、まだ見たことのない作品を読みたいのが人の心。

この本はそんな気持ちに答えてくれる一冊。

つまりこれからホラーを読みたいという初心者にはおすすめできないかもしれないが、有名所は結構読んだという怪談蒐集家には非常におすすめ。

マイナー作品だからメジャーな作品のようなダイナミックさはないが、「無名だからつまらない」という理論はこんなブログを読んでいる方なら全く成立しない、ということはご存知だと思う。

あと面白いところでいうとあのジョン・レノンの作品も収録されているからビートルズ好きな人は買わないか。。。


アンソロジーのいいところは編者の個性やそのジャンルに対する好みが表れてくるところだと思う。

この本の収録作はゴースト、スラッシャー、幻想と比較的ページ数が少ないことと前述の無名な作家でも収録することを抑えつつジャンル的には多岐にわたっている。

ただ明確に多いのがいわゆるいまでいう人怖というジャンルで超自然の要素の有無や、その過多はあれど、人間が狂気に陥って結果的になにか事件が起きる、という形式の作品が多い。

じゃあ何が人を狂わせるか、ということなんだがこの編者のヴァン・サールはこれはもうはっきりと「執着」というビジョンをはっきり持っていたようだ。

金に対する執着、女性に対する執着、愛情に対する執着とその欠如に対しての一方的な復讐、息子娘に対する執着、いろいろな欲望がコレクションされていてさながら奇妙な博物館の様相を呈している。

暴力や黒魔術はあくまでも手段に過ぎない。本当に怖いのは人間だという説教よりは、怪異は外から来るのではなく内側から発生する、という視点が強調されている。

救いのない世界、神も仏もないこの世界で人間が獣性むき出しで殺し合う、そんな薄皮一枚の虚構を取り去ったあとの世界の本質、それがフィクションでもなかなか鬼気迫る編者の気迫が感じられないだろうか。

聖職者が卑劣な悪に見を染める⑤なんかはとくにその神聖への過激な問いかけにも見える。

ただもはや寓話的になっている⑰はどうだろうな、結局天国化地獄に決めるのは人間次第、ということだろうか。これは典型的とも言える物語だが私は結構好きだ。


2020年10月11日日曜日

マーガレット・アトウッド/オリクスとクレイク

 


ジョン・クロウリーの「エンジン・サマー」に似ているがあそこまでぶっ飛んでいない。

本作で描かれる、表紙のヒエロニムス・ボスの絵画のように奇妙な世界はこの私達のクラス世界の延長線上にあるのだ。

故にこの小説は荒唐無稽な世界を描くSFでありながら、ありうる可能性としての破局を描写することで現社会体制の汚点を鋭く指摘するディストピア小説でもある。


ディストピア小説は扱う題材が社会なのでマクロな視点になりがちだが、この作品は終始ミクロな視点で進行するのが面白い。

ここはオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」に通じるところがある。

ただしハクスリーは主人公の今が最悪な未来を描いていく一方、今作では主人公の過去にフォーカスすることでいかにこの奇妙な終着点に人類が、そして主人公が到達したのかということを描いていく。

つまり謎解きの仕組みがあってこれがエンジンになって読者にページを捲らせていく。


格差社会がさらに加速し、持てるものの天才はかつての神の領域に躊躇なく踏み込んでいく。

ある意味では増長した天才が倫理観の欠如によって世界を崩壊させた。

主人公スノーマンことジミーは壁の中=持てるものの子息として生まれたが、彼には支配者の一員たる才能はなかった。

彼は天才たちがめちゃくちゃにした世界をなんとか彼の才能、演じる才能、人を引きつける才能、言葉を操る才能によってなんとかつなぎとめようとする。

生まれついての根っからの傍観者であった彼は思い上がりで破壊されて生まれたいびつな世界をいわば育てる役目を課された形になる。

ジミーは上級市民だったが社会構造に疑問を持ち下級市民に下った(まだ発展途上にあった少年のジミーを捨てた)母親、そして育児に興味のない父親のもと生まれ、両親の愛情というものを知らない。

それ故他人を常に求め、その演技と言葉の才能と人を見抜く明晰な分析力で愛情には事欠かなかったがどれも長続きしなかった。

そんな彼が天才たちが勝手に作り変えてネグレクトした新人類の教育役を引き受けさせられることになるのも構造的に良くできている。


人類に似ながら全く違う性質をデザインされた新人類は劣悪な環境でも生き抜くことができる能力がありながら精神的には非常に未熟でまた旧人類から見てあまりに異質だ。

スノーマンもそんな彼らとシンからわかり合うことはできないだろう。

オリクスとクレイクというのはスノーマンことジミーが本当に愛した二人だが、しかしジミーは結局二人のことを本当にわかっていたのだろうか。

大切なことはいつもはぐらかすミステリアスなオリクス、そして天才だがずっとジミーの親友だったオリクス。彼の真意は私にとっても他の読者にとっても大きな謎である。

スノーマンの新人類に対する献身もジミー時代の二人への愛情と恩義、そしてクレイクへの罪悪感もあったろう。

決して他者とわかり合うことのできない旧人類と、争いのない新人類を見ていると天才クレイクのやりたかったことが単に冒涜とも思えないのは私だけだろうか。

彼は彼なりにこの状況を憂い、根本的な解決を目指していたのかもしれない。

たとえ人類が異形になりはて、その前に旧人類が全員絶滅しようとも存続させようとしていた人類という種をより大きな視点で愛していたのかも。


この「オリクスとクレイク」は同じ世界観を共有するマッドアダムという三部作の一作目だそうだ。今のところこの次作は翻訳されているのでそれは読む。

非常に面白かった。