2018年7月30日月曜日

人間機械

インド生まれのラーフル・ジャイン(1991年生まれでまだ27歳だという)が監督として、インド、ドイツ、フィンランドの3か国で制作されたドキュメンタリー映画。
原題は「Machines」で2016年に公開された。日本では今映画館でかかっている。

舞台となるのはインドのグジャラート州にある繊維工場で、ここでは多くの労働者が働いている。ここにカメラが切り込んでいく。とにかく巨大な工場で、人の背丈を縦にも横にも遥かに凌駕する機械が休みなく(文字通りおそらく24時間)稼働している。巨大の機械の合間を人間たちが動き回っている。彼らは1回のシフトで12時間働く。そして1時間休んでまた12時間のシフトに入る(全労働者がこうなのかはわからないが)。あまりにも広い工場で、労働は多岐にわたる。肉体労働、事務。体を使うもの、頭を使うもの。手を動かすもの、全身を使うもの。単純作業、非常に神経を使う作業まで。染める前の繊維を運ぶ仕事。繊維の染料の配合の仕事。稼働している機織り機のような機械のリアルタイムのメンテナンス。コンベア状の染色作業の保守。染め上がった繊維が機械に詰まらないように手で引っ張る仕事。染め上がった染料の荷運び。大量のゴミの廃棄。巨大な乾燥機のような機械への繊維の出し入れ。ゴミの焼却。その他よくわからないような仕事の数々。ラーフル監督はこれらの作業を淡々と写していく。説明は皆無であるし、意外なことに労働者へのインタビューも全体から考えると非常に少ない。この映像作品の主人公は巨大な気工場だと言わんばかりに、その動きをひたすら取っていく。
巨大な機械は一寸の狂いもなく、巨大な轟音を巻き上げ、地響きをあげて稼働し続ける。その間を人間が動き回る。彼らはまるで巨大な機械のはらわたで蠢く、寄生機械のようだ。柔らかい体を持った意思のない、単純作業をこなす機械たち。しかし彼らはしっかり生きて、長時間働き、そして工場の中で食い、体を洗い、そして売り物となるはずの染料の上で寝る。出稼ぎ労働者が多く、この工場の中で生活しているのだろう。彼らは皆痩せている。寡黙である。子供もいる。彼らの何人かの服はありえないくらい汚れて濡れてビタビタ体に張り付いている。外から見ると白く美しい工場の中は混沌としている。ここでは機械が主役なのだ。人間は脇役に過ぎない。こう言う感想を抱くのは不謹慎かもしれないが、なんとなく漫画家の弐瓶勉さんや作家の酉島伝法さんの描く作品が現実に展開しているような、そんなSFを私はこの映像から嗅ぎ取ってしまった。柔らかく生々しい肉が、無機質な機械の間を埋めるような、そんなSFを。ことば少なな彼らは機械のように働く。それは機械のように働くことを求められているからに他ならない。誰に?
労働者の一人がいう。自分は望んでこの仕事をしているので搾取ではないと。彼らは社長を見たこともないという。工場側の人間は言う。給与を上げることはできるが、給与を上げると労働者は働かなくなる。怠慢になる。権利を主張すると。ここでは労働組合ができない。もしできれば工場側がリーダーを殺すから。
この工場で行われていることは搾取である。彼らは生活と家族を暗に人質に取られて、無理な労働を押し付けられている。これはまぎれもない搾取である。私たちはそう言う。彼らが作った服を着て。(当たり前だが直接私たちがこの工場由来の服を着ているかどうかは問題ではない。)
この映画はことさらメッセージ性が強くはないと思う。むしろ意図的にそう描かれている。終盤にカメラを取り囲んだ労働者たちがカメラの先に向かって言う。お前たちは何を撮っているのか?少しだけ撮影して、そうして帰ってしまう。結局何も変わらない。お前たちは政治家と同じだと。彼らの視線が痛い。

先日見た「ラッカは静かに殺されている」もそうだった。この手の映像を見るのは何故なのだろう。「非常に考えさせられる」、「ひどい話だ。何かしなければ。」そう言って、私たちはまた日常に戻ってしまう。それならはじめからこう言った作品を見なければ良いのでは。何も考えないで高級で質の良い外国製の服を、それがどこから着たのかを考えないで着ている方が、まだ卑怯ではないのではないかと思う。
この映画を見れば選択を迫られるのだ。この映画を見た後で何もしないのか、それとも何かをするかを。

Heresy/Face Up to It! 30th Anniversary Edition

イギリスはイングランド、ノッティンガムのハードコアバンドの1stアルバム。
バンドは1985年に結成され1989年には解散。wikiによるとグラインドコアの始祖の一つと書かれている。
このアルバムは1988年にIn Your Face Recordsからリリースされた。2018年に発売から30周年ということでリマスターを施してBoss Tuneage/Break the
Connection Recordsから再発。
私は恥ずかしながらオリジナルを聴いたことがなく、丁度良い機会と思い購入。
巷の声を聴くとリマスターによってかなり音質の変化が見られるようだ。

決して歴史は長くないハードコアというジャンルでさらにファストコアの草分け的な存在で、正直歴史的価値はあるだろうが…と舐めてかかっていたのだが、聴いてみると驚いた。何に?その音楽的な表現力の芳醇さにだ。
ファストコアは激烈な音楽性だ。尖れば尖るほど(制限が多くなるので)音楽性は多様性を失っていく。(ピュアになっていくから好きな人にはたまらない。一方で興味がない人には全部同じく聞こえる。)Heresyの独特さは曲の長さを見ればわかる。1分ない曲もあるけど大体2分にわずかに届かないくらい。普通の人は「短いでしょ」と思うだろうが、この手のジャンルを好きな人ならむしろ長いと思うはず。長さには理由があって曲展開が複雑で多岐にわたる。つまり1曲の中でよくよく展開が寝られており、構成が凝っている。ファストコアというよりは、よくよく構成が練りこまれたハードコアという趣。決してハイスピードで最初から最後まで突っ走って終わりではない。とはいえもちろん超絶技巧なソロがあるわけでも、もったいぶった静寂パートがあるわけでも、多様な楽器を演奏しているわけでもない。あくまでもハードコアの肉体的なダイナミズムを損なわず、バンドアンサンブルだけで表現力の限界に挑戦している。わかりやすいのはテンポチェンジによる曲のメリハリだが、もちろんそれだけで3分弱とアルバム1枚をもたせているわけでもない。ボーカルも伸びやかにクリーンから、つんのめるようなまくしたてるようなシャウトまで幅広く、それが概ね曲の早さに合わせて披露されている。速いパート、中速パートそれぞれかなり贅沢に時間が取られていて、曲の中でそれらがはっきり判別できるように区切られている。楽器の上手い下手はわからないが、ドラムはとにかく複雑なのに非常に安定していると思う。どうしてもギターの方に目がいってしまうが、ベースもかなり個性的ではなかろうか。要するにどの楽器隊も(ボーカルも含めて)非常に芸達者で、ギターは流石にハードコアだななんて油断しているとしっかりとミュートで刻んできてたりする。
ほぼほぼメロディアスさはないが、ギターのリフが非常にキャッチーなのでダイナミックなリズム感もあってとても聞きやすい。そしてつくづく速度というのは相対的なものだと思う。緩急のメリハリのつけ方がとてもうまく(ここら辺は各パートに今のこの手のジャンルのバンドよりも多めの時間を使っているせいもあると思う)、中速からの突然のスピードアップは本当に体感では劇速。
結構曲によってはユースクルーっぽいなと思ってしまった。調べてみるとユースクルーは1980年台中盤から始まった動きらしい。時代的にはあってくるけど情報の流通も今とは異なるから、気のせいかもしれない。しかし聴けば聴くほど色々な要素が拾えて面白い音源だと思う。
数多のバンドがこの芳醇な混沌から何かを拾い上げて、その武器を尖らせていった。
面白いのは概ね流れ的にはここから各バンドが引き算でシーンを作っていったことだ。メタル的なアプローチなら足し算になるのではと思う。この違いに音楽の背景にある考え方の違いが現れているようで面白い。
明確なジャンルとしてのファストコア、パワーバイオレンスがこのバンドのあとに続くだろう。
まさしくハードコアのサブジャンルの地母神的な音源だなとその影響力に身震いしたのだった。
まだ聴いてない人はまたとない機会なので是非どうぞ。

2018年7月22日日曜日

デニス・ルヘイン/あなたを愛してから

アメリカの作家の長編小説。原題は「Since We Fell」でジャズのスタンダードナンバー「Since I Fell for You」からとられた。2017年発表。
「パトリック&アンジー」シリーズから始まり、映画化もされた「シャッター・アイランド」「ミスティック・リバー」など幅のある物語を書いてきたルヘインだが、そんなキャリアの中でも本書はかなり異色の一冊と言えると思う。ルヘインは今まで警察官だろうがギャングだろうが一貫してタフな男を主人公に据えてきた。タフというのは腕っ節が強いという意味ももちろんあるがあるが脳みそまで筋肉というよりは、強くあろうとすること、ナイーブであることを併せ持った独自のロマンチストたちだ。一転してこの本の主人公は女性であるし、しかもパニック障害を患っているいわば弱い女性である。有能で上昇志向も強く、自信もあるが、総じて孤独でありこの世界に対して寄る辺なさを感じている。異常に支配的で干渉的な母親に育てられ、おまけに父親が誰かわからなかったのだ。兄弟もいなければ(母親のせいで)友達がいなかった。上昇志向についてはここら辺がおそらく関係しているだろう。
面白いもので自分に自信がある人でもパニック障害やうつ病にもなる。彼女は結果的に引きこもりになるが、病気の結果そうなったのであって常にくよくよ迷っていたわけではなかった。この物語はある意味ではその弱さ(病そのものというよりそこに落ち込むことになった状態や過程)を克服していく話でもある。そこでタイトルになるのが要するにこれは恋に落ちるということだ。まともな男に引っかかってこなかった主人公がようやく出会った、優しく金持ち(カナダの材木会社の御曹司)な男とやっと恋に落ちて、そして彼女は強くなっていく、というのはいかにも男性が考えそうな「お話」で気持ちが悪くなるが、そこはルヘイン最終的には彼女は一人で歩けるようにたくましくなっていくのだ。
ともすると「男らしさ」と混同されがちな人間の強さに関して一石投じるためにルヘインは女性を主人公に据えたのかもしれない。実際男社会の報道業界で出世し、災害で治安が最悪のハイチに乗り込み、さらには銃を打つことも辞さない(肉体的な強さというのは銃があれば簡単に克服できる)のだから彼女は十分そこらへんの男性より強い。
恋はするものでなく落ちるもの、ある意味恋に落ちた弱みで相手の男性に主導権を握られていたレイチェルがその恋すら乗り越えていく様は壮快である。最後の独白は「夜に生きる」の主人公に通じるものがある。彼女にとって一度も親しくなかった世界を、今度は自分でなんとかしてやろうという意気込みはまさにタフなやり方だ。

あとがきでも指摘されているが、かなり盛りだくさんな物語だが、魂の彷徨という趣の父親探しに関しても、恋に落ちてからの中盤も彼女という個性を描くためには必要なパートだ。結果的にだいぶ複雑なお凹凸があるキャラクターが構築されている。前編ほぼ彼女の説明といっても良いかもしれない。反面物語の構造は結構シンプルだと読み終わってから気がつく。彼女は自分が思っている以上に、見た目以上に母親に似ているところがあるのかなと思う。絶対刑務所には入りたくない!というあたりかなり身勝手な地金が出ていたりして面白い。人間は絶対に自分の全身像そのものを見ることができない、というのは常に私にとっては面白い話だ。
Lenny Welchの曲はかなりメロウで格好良い。歌詞はかなりSad。

2018年7月16日月曜日

夢遊病者/一期一会

日本は大阪のブラックメタルバンドの1stアルバム。
2018年にSentient Ruin Laboratoriesからリリースされた。
Bandcampには大阪と書かれているが、詳しくは日本の大阪、ロシアのトヴェリ、アメリカのニューヨークに住むメンバーがオンライン上で出会って2015年に結成されたバンドのようだ。別名Sleepwalker。メンバーの名前は匿名性が高く、もちろん顔などは公開されていない。

ジャンルとしてはブラックメタルに属するバンドなのだろうが、その音楽性はかなりアヴァンギャルドな方向に舵を取っており、曲によってはボーカルが入らないないとブラックメタルだとわからないのではなかろうか。ブラックメタルというのは結構大まかなジャンルで実際の定義はふわっとしているから、多分色々な音楽性を持ったブラックメタル・バンドが存在できているのだと思う。ブラックゲイズだけでなく、ほぼデスメタルでは?というバンドもいれば、ほぼノイズでは?というバンドもいたり、インダストリアルに走ったり、ハードコア・パンクっぽかったりと様々だ。
このバンドに関しては時代が時代なら今は亡き(本当に亡きなのか怪しいけど)Hydra Headあたりからリリースされていても違和感がない音といえば伝わるかもしれない。よくいえば知的な音で、悪くいえば初期衝動や暴力性からは距離を置いたバンドだ。ブラックメタルを解体して、全く異なる音楽性を取り入れて再構築している。このバンドに関していえば、ブラックメタルの一番キャッチーな要素であるメロディアスなトレモロという要素は(おそらく敢えて)多用しないように制限をかけている。ノイズ成分もかなり効果的に取り入れているが、黒く塗り潰すような分かりやすさは採らない。アンダーグランド音楽ではありがちな分かりやすい攻撃性への傾倒というのはなくて、代わりにかなり模糊とした音楽性を追求している。結果的に不気味だが、分かりやすく不気味というのでもない。空間的処理が施されたイーヴィルなボーカルの存在感がなかなかだが、ボーカルレスの時間もかなり多く採られており、そこではかなり独特な、つまり暗くはないというサウンドスケープが展開されている。ブラストビートや低音リフ、トレモロなどを廃し、代わりに民俗音楽的なパーカッションのリズム、音の数の少ないバッキングに、自由でフリーキーなギターソロが詰め込まれている。プログレッシブというよりはジャズ的であり、独特の浮遊感はサイケデリックだ。うねるフレットレスベースを聞いて思ったのは、音の途切れない連続性であり、そう言った意味でもゆったりとした長いソロなんかもノイズの代用として捉えることができるかもしれない。ノイズのあのゆっくりと動きながら(連続性を保ちながら)その姿を変えていく、というのを他の手法で試そうとしているのがこのバンドなのかもしれない。4曲め「No Premature Celebrations」、5曲め「Never Ailments on Oneself」は特にオーソドックスなブラックメタルの要素が強い。それでも一筋縄ではいかない展開だが。なぜブラックメタルという形を土台にしたのかなと思ったけど、掴み所がないというのは確かに親和性があるのかもしれない。

シルヴァン・ヌーヴェル/巨神計画

カナダの作家の長編SF小説。
2016年発表で原題は「Sleeping Giant」。
流行りの三部作物(といっても他に思い浮かぶのは「パインズ -美しい地獄-」「ウール」くらいかな?)で、刊行前に映画化が決まったという。
帯には日本のロボットアニメに影響を受けたと書いてある。簡単に言うと世界中にオーバー・テクノロジーな巨大ロボット(全長60メートルくらい)のパーツが埋まっていて、それを集めて組み立てようという話。
私は子供の頃はガンプラを作ったし(BB戦士だけど)、アニメも好きだけど長じてからはそこまでロボットが好きなわけではない。でもギレルモ・デル・トロ監督の「パシフィック・リム」も面白かったし(これも日本の影響があって敵は「カイジュウ」という)、なんとなく読んでみようかなと。

漫画家・鬼頭莫宏さんに「ぼくらの」という作品があり、うろ覚えだがたしか「巨大ロボットが実際に動いたら街にはそれなりの被害があるはずで、普段無視されがちなそういったところを描きたかった」というようなことをおっしゃっていたように思う。この作品もこれに少し似ており、実際に巨大ロボットがあったとしてこれをどう運用するか、というのがテーマの一つ。
どこかの国が独自で開発するならそれは問題ないのだけど、なにせこの物語では誰が作ったのかわからない明らかに人間の文明以上の科学水準のロボットだから、まず地面を歩く以前にいろいろと難しい問題が生じてきてそれを描いている。とてつもない力を持った兵器なわけで、当然これを特定の国が手にしたら世界のパワーバランスに影響があるというわけだ。
一応アメリカがロボットを集めることになるからアメリカを中心に個性的なメンバーが集められ、彼らもこの特殊な環境に慣れていくことになる。このロボットは特殊で全員がパイロットになれるわけではない。(どうも操縦するには条件があるらしいのだが人間側にはそれがわからない。)また、上半身と下半身でコントロールが別れている、つまりパイロットが二人必要。こういう事もあって潰しの聞かない中でパイロットのコンビネーションが必要になってくる。(エヴァンゲリオンでもそんな設定があったと思う。)ここが一つのドラマになってくる。
いわば巨大ロボットが歩くまで、というのを描いているのがこの本ということになるだろうか。
加えて
誰が何の目的でロボットを作ったのか。
そしてこのプロジェクトを推進するインタビュアーという存在は一体誰なのか、なぜロボットについて知っているのか、ホワイトハウスに渡りをつけられるくらいの権力を持っているのかというところを謎にして読ませる物語になっている。

特徴的なのは文体というか描き方で、基本的にインタビュー形式、中には記録された文書の抜粋という方式で物語が進むこと。物語的に美味しいところはしっかり火急の際の無線のログという形をとっているからリアルタイム性・臨場感が失われるわけではない。
私は物書きではないからわからないが、(架空の)個性にその心情を限外で語らせるというのは難しい。よくこういった読み物では一人称(太郎の視点になり、俺はこう思った。)、または三人称(太郎はこの時こう思った。)の視点で心の内を書いたりもするが、インタビューという形を取ればその時その時キャラクターがどんな事を考えていたのかをストレートに表現することができる。
なるほど理にかなっていて効率的だとは思う。しかし私は面倒くさい読書好きなので、やはり言外の思いというのは言葉以外で表現していただきたいのである。この本のやり方は嫌いとは思わないが、私からすると読書のかなりの部分の楽しみを減じているように思う。申し訳ないが、効率的だが短絡的で面白くないと考えている。インタビュー形式の面白さを追求するため、というよりは効率的にキャラクターの内面を読者に披露するためのツールにしか思えないという感じ。ここらへんは読書に何を求めるかで評価は変わるし、確かに単に筋を楽しませるという点では良いと思うが。

物語はまあ面白いな、という感じ。映画化も納得感はある。個人的には今風の小説だなとは思う。ただキャラクターが立っている割には深みがない感じでどの人物もそこまでの魅力がない。またインタビュー形式はもっと面白くできるのではと思うし、正直続編に関しては今のところはどうかな~というところ。
あと意図的かわからないがやや翻訳が硬いかなと感じた。

2018年7月15日日曜日

【HANK WOOD AND THE HAMMERHEADS Rock 'n' Roll Salvation(ロックンロールの救世) Japan Tour 2018】@新宿Antiknock

猛暑の真夏、炎天下の三連休初日はこのライブに行くことに決めた。新作が素晴らしかったStruggle for Prideをもう一度見たかったし、韓国のSLANTも気になっていた。HANK WOOD AND THE HAMMERHEADSは今まであまり通ってきたことのない感じのバンドだな、というくらいの気持ちで。

The SLOWMOTIONS
一番手は東京のハードコア・パンクバンドThe SLOWMOTIONS。調べてみると結構長いこと活動しているバンドのようだ。メンバーチェンジとともに音楽性にも変化があったみたいでyoutubeで視聴した音楽と結構違って驚いた。今はドラム、ベース、ギターにボーカルの4人組。シンプルで荒々しいハードコア・パンクだ。低音でゴリゴリくるタイプではなくて、メロディのある歌を歌うタイプの。しっかりとしたドラムの上で、かなり縦横無尽にベースが暴れ、さらにその上に生音をしっかりと残した厚みと色気のあるギターが乗る。こういう音の作り方だと私は今までジャパニーズ・スタイルのハードコアばっかり聞いてきたけど、The SLOWMOTIONS含めてこの日のバンドはそれとは明確に異なっていた。もっとパンクの初期衝動という感じ。重さや速さがないけど、その分メロディと時間を使った贅沢な表現力がある。よく動くベースに、哀愁のあるソロを弾くギター、そして叫びながらもメロディのあるボーカルがなんといってもよかった。歌詞は日本語で力強いが押し付けがましくはない。短い坊主頭のボーカリストは強面で迫力があり、ビールをゴクゴク飲む。

ORdER
続いては名古屋のバンド、ORdER。がっちり強面ドラム、上背のあるベースはちょっとヤンキーっぽい。ギタリストはモヒカン。ボーカリストは目の周りを黒く塗って吸血鬼みたい。スタイルはバラバラなのにみんなキャラが立ってて不思議な統一感があるのが面白い。曲が始まってみるとこれがよかった。ハードコアというよりパンクで、それも初期衝動に満ちたもの。こういう時に音楽的な語彙が貧弱なので困るのだが、初期パンクにあるひねくれた反抗心を装飾性(音と見た目)で表現した、とでも言おうか。weirdで肉体的でありながら精神世界に片足突っ込んだポストパンクの香りもする。音楽的にはあぶらだこの初期(ADK盤の頃)を彷彿とさせる。ストレートなんだけどフックのある感じ。k曲はシンプルな方だと思うが、これに強靭なドラム(楽器の上手下手はわからないのだけどこのバンドのドラムはすごかった。)が加わるとすごい。単純に楽しい。体が縦に横に動き出す。客席もかなり盛り上がっていた。お祭りめいたリズムがあると思う。音的には低音というよりは高音によっていて、ノイズコアっぽい雰囲気も少しあり。ベースはガチガチに硬質な音だったけど、この人がノイズを出していたような気がするんだよな。音を同時に二つ出せるものなのだろうか。格好良かった。

SKIZOPHRENIA
続いては岡山県は津山のハードコアバンド。ボーカルの人はこんな猛暑の日なのに革ジャンをバッチリ着込んでいる。最後まで脱がなかった。つまりどうかしている人なわけで、格好良くないわけがなかった。今日はパンクの日だな!と鈍い私でも気付き始めたのだけど、ここまでの3バンドでも全然個性が違っているから面白い。SKIZOPHRENIAは曲構成的には今日一番シンプルなバンドだった思う。そして一番勢いがあった。パンクとは初期衝動だ!と言わんばかりに矢継ぎ早に曲を演奏していく。そしてドラマー。ドラムは顔で叩くんだと言わんばかりのパワフルかつエモーショナルプレイ。
速い、でもファストコアとかじゃないんだよ、パンクなんだよ。パンクってなんだって、とても私なんかは言えないけどSKIZOPHRENIA含めてこの日のバンドはどれも攻撃性のために削られがちな雑味のような感情が混じり合って、なんとも言えないエモーションを爆発させていた。言葉にできないなんとも言えない悲しい気持ち、誰にぶつけて良いのかわからない怒り、そして即効性のある高揚感と楽しさ、そんな感情を洗練せずにそのままぶつける乱暴なミキサーがパンクなんじゃないのか。そんなことを思った。

SLANT
続いて韓国はソウルのSLANT。少し前にSNSで話題になったこともあり、見たかったバンドの一つ。事前になんとか音源をデジタルで購入しており、また前述のyoutubeの印象からかなりゴリゴリしたモダンなハードコアと思っていたのだが、実際眼前で見てみるとかなり印象も違って驚いた。より生々しい。強烈にダウンチューニングして重低音に特化しているわけではない。ギターの音はかなりソリッドで元の雰囲気が残っているほど。(音源を改めて聞き返してみるとやはりかなり印象が違って面白い。)
このバンドもベビーフェイスの(The Dillinger Escape PlanのGregにちょっと似ている。)ドラマーが強い。途中スティックを飛ばしちゃったり、曲の冒頭で間違えたりして曲が止まってしまう場面もあったけど、軌道に乗ればバッチリ曲を支配していた。やはり皇室のベース、ギターはかなり1曲の中でリフのバリエーションがありメタル的なミュートを使ったリフはほどんと使わない。ジャギジャギしていてときにFugaziを感じさせする。出てくる音はとにかく荒々しいが、全体的にきっちりしておりかなりの練習量を感じた。あくまでもロウであることにこだわる初期ハードコアだ。音がソリッドなのでとにかくボーカルが映える。全編叫びっぱなしで、逆巻く感情を怒りにとぎすまして吐き出すようで恐ろしい。この日一番攻撃的だったのではなかろうか。ハードコア・パンクだからどのバンドも怒りが重要なファクターだが、教唆物をそぎ落とし、ストレートに表現するという意味で一番怒っていたし、どんな国どんな場所でも芯のぶれないタフさを感じてこちらも勇気が出た。格好良かった。

STRUGGLE FOR PRIDE
そして短くない休止の期間を経て新作をリリースしたSTRUGGLE FOR PRIDE。再始動後、新作リリース前に小岩Bushbashで彼らを見たことがあるのだけど、ぎゅうぎゅう詰めで見れたというよりはたまに覗けた、聴けた、という感じだったのでそういった意味でも今日はリベンジ。ギターはもはやノイズ発生機と化し、弦を弾かなくてもひどいノイズを発している。ビリビリする空気の中でテンションが上がる。おそらくこの日のラインナップの中で一番浮いているバンドだろうと思っていた。なるほどいわゆるハードコア・パンクの音とは一線を画すようなノイズの衝撃である。
それでも曲が始まればリフはそれと判別できる。アンサンブル全体でノイズに突き進むという形ではないということに気がつく。ドラムはソリッドで力強いがフリーキーではない。しっかりとリズムを刻んでいく。ベースもパワーがあるがあくまでもソリッドな音だ。そしてボーカル。極端に音量を下げた、という表現がされるボーカルである。確かにこの手のバンドにしては音量は小さいだろう。でも全く聞こえないというわけではない。というか私のいた位置もあるかもしれないが、結構聞こえる!!ボーカルはたまにマイクを通さずに叫んでいる。演奏全体がメッセージなんだと思う、きっと。SFPの音源には歌詞カードはないけど、メッセージ性がないわけではない。むしろ結構個人的とも言えるメッセージはわかりやすく込められていると思う。ノイズに接近しているが、抽象的で芸術的なノイズに接近しているわけではない。あくまでもハードコア・パンクとしての一表現としてノイズを選んだだけだ。ノイズの重たい幕に隠れるようなことはしない。最新アルバムでは多彩なゲストを招いた彼らだが、この日はメンバーだけでの真剣勝負。思っていたよりずっとパンクバンドだった。この日幼い女の子が転換の時からドラムセットのところにいて(銃を撃つときに使うような防音ヘッドセットをしている)、なんとライブが始まっても彼女が楽しそうにシンバルを叩いていた。メンバーのたまに見せる笑顔もよかった。彼らは日常に根ざしたパンクパンドだった。

HANK WOOD AND THE HAMMERHEADS
続いてはこの日トリ。アメリカ合衆国はニューヨーク州ニューヨークシティのハードコアバンド。この日他のバンドは全て、ドラム、ギター、ベース、ボーカルという4人組だったが、HANK WOOD AND THE HAMMERHEADSはこれにキーボード奏者を加えた5人組。
ガレージパンクとは聞いていたがこれほどととは、というくらい生音を残した楽器陣。そこに明らかにガレージのテンションではないボーカルが乗るというミスマッチ。いわばハードコアで発狂したブーストガレージみたいになっており、キーボードが良い雰囲気のリフを奏でる、楽器陣がぶち壊す、みたいなイントロの曲が何個かあってもはやずるくて毎回笑ってしまう。演奏に関していえばハードコア的というよりはもっと芳醇で表現力に幅があるロックンロール的なもの。性急なジャパコアとは異なり、チョーキングもエモーショナルなガレージスタイル。単音リフ、カッティングなどなど曲自体は短いのにこれでもかというくらいアイディアとリフを打ち込んでいく。ギタリストは佇まいもあって華があるが、ベースも負けてはいない。こちらも短い小節の中に可能な限りの動きを詰め込んでくるようだ。キャンキャンやかましいサウンドに痙攣的なボーカルが乗る。一見フリーキーでアヴァンギャルドな印象だが、なかなかどうしてアンサンブルがまとまると、性急でありながらも堂々としてコシのあるのロックンロールになるのだ。早回しでロックンロール・ショウを見ているようだ。どうかしている。楽しくないわけがない。客席はわちゃわちゃである。みんなでステージに押し寄せて、体をぶつけ合うのだ。
クールだが実はホットなギタリストと、明らかに多動的なボーカルのキャラクターが立っていて特にボーカルは動きが独特(芝居がかっているが洗練されていない、コミカルだけど不思議と格好良く思えてくる)だし、何かに追われているようなシャウトとも歌とも取れる歌い方が最高である。ステージにはバケツが据えられており、中には(多分)水が入っている。暑くなったメンバーがバケツの水を頭にかけたり、タオルをひたして汗を拭いたりしている。客席も半端ない暴動具合だったがステージの方も負けてない。どんどんテンションが上がってくる。一体感というのだろうか、ステージと客席の相乗効果でライブにおける理想の状態に近づいていくような感覚がある。徐々に上がっていくこの感じ。The Dillinger Escape Planのラストライブみたいな高揚感。楽しかった。


SLANTの物販でPhoto Zineが売られていたので購入した。一体どういう内容だろうか。どんなメッセージが込められているのだろうか。きっと文字が多いのだろうな。と思って家に帰って見てみるとお酒を飲んでいる、または酔いつぶれているパンクスたち(メンバー含む)の写真集だった。意表を突かれたけど意外な一面を見るようでとても面白かった。
あとはやはりHANK WOOD AND THE HAMMERHEADSのT-シャツとディスコグラフィーのCDを購入した。ディスコグラフィーは歌詞やインタビューが載っており、彼らのことを知るにはうってつけだと思う。紙の封筒というフォーマットも独自性があって楽しい。
なんとなくいったイベントでほとんどのバンドが初見だったが、非常に楽しかった。どのバンドも良かったが、やはりHANK WOOD AND THE HAMMERHEADSはちょっと頭いくつか分飛びぬけているので、迷ってい人はこれからのツアーぜひどうぞ。

2018年7月8日日曜日

vein/errorzone

アメリカ合衆国はマサチューセッツ州ボストンのハードコアバンドの1stアルバム。
2018年にClose Casket Recordsからリリースされた。
veinは専任ボーカルにギター二人の5人組。結成がいつなのかはわからないが2015年には音源をリリースしている。
私はyoutubeのライブ動画(hate5sixのどれか)から知ってEPを購入。たぶん同時期には日本の人たちも含めて話題になり出し、いいタイミングで初めてのフルレングスがリリースされた感じだろうか。

同郷の巨人Convergeに強く影響を受けていたEPとは結構趣が異なって面白い。元々ニューメタルに影響を受けた、という評判であったが強くそれを押し出してきたという形だろうか。ただよくよく聞いてみると単に全編ニューメタルをハードコアで再現したというのとは違うような気もしてきた。元々かなり個性的な音をしていたが、それらの個性を強く打ち出してきた感じ。そういう意味ではおそらく意識的に特徴付けており、キャッチーである。この時キャッチーというのはメロディアスなパートが多いからそうであるというのではなく、確固たる特徴があるので外部からがこれについて語る時、とっかかり(わかりやすいのはニューメタル的、という表現)があってわかりやすいということだ。マイナーなジャンルでも数多くのバンドがひしめき合っている中で、わかりやすい特徴があるというのは良い選択かもしれない。(私はveinが有名になるためにその音楽性を柔軟に変えていると言いたいわけではないし、例えそうでも別に悪いことだと思わない。)
そもそも何を持ってニューメタルとするかというところなのだけど、個人的にはリフかなあと思う。一番わかりやすいのははっきりとサビめいたメロディアスなクリーンボーカルパートを導入することだ。でも私はバッチリニューメタル世でしっかりはまった人間だけど当時のバンド達はキャッチーであったけどそもそも音楽的には激しい演奏での歌、だったわけでスクリームとクリーンサビというのはどちらかというとその後隆盛したオーバーグランドのメタルコアじゃないか?と思う。初期のSlipknotにしてもはっきりとしたその対比があるのは「My Plague」くらいじゃないだろうか?メロディが重要なジャンルであったが表現方法はちょっとが違う気がする。(メロディアスという意味ではニューメタル的だが表現方法はちょっと違うのではと。)
veinに戻って一方で1曲めのイントロのリフ、低音でミュートを使わない結構動きのあるフレーズを弾いていくあたりの方が個人的にはニューメタル感がある。ここら辺はkornの1stからの伝統、という感じ。ずっとこの手のリフが続くのかと思いきや同じ曲の後半ではもうミュートを使ったハードコアなリフに移行している。アルバムを通して聞けばわかるけど、ニューメタル的であるのは単に一個の要素としてそれを取り込んでいるに過ぎない。元々veinが特徴的だった(キャッチーな要素)というのは二つあって、一つはノイズの導入に抵抗がないこと。今回もブレイクコアめいたドラムパターンのサンプリングなども導入している。もう一つは結構オリジナリティがある「キューー」と絞るような高音の出し方。ニュースクール・ハードコアのハーモニクスを使った高音の使い方に似ているけどもっとそれを伸ばしたような感じで、飛び道具といえば飛び道具だが、EPの時点で非常に効果的に使っていた。今回のアルバムでももちろん健在である。表現的には器用なバンドで「その他」の新しさに果敢に挑戦する強さがある。人によってはカメレオン的あるいは鵺的で芯が無い、という気持ちもあるかもしれない。私はニューメタル世代というのはあるかもしれないけど、前述の通り素直にニューメタルリバイバルだとは思わないし、一番キャッチーである(ここら辺のグルーミーな感じはDeftonesに通じるかも)7曲め「doomtech」にしても同時にきっちりとハードコアを抑えてきていてすごく好きだ。確かに仕上がりがよけりゃなんでも良いのか?というのはあるかもしれないが、芳醇になった(最近はハードコアは盛り上がっているのかな?)ジャンルが生み出した次の世代の萌芽という形で、伝統を誇示するバンドがいる一方である意味健康的な動きでは、と思ってしまう。

調べてみるとアヴァンギャルドと称されているようだし、意図的な問題作だと思う。それも含めて全体的にキャッチーである。キャッチーとはわかりやすさだ。それは時に嫌われることはわかるど、個人的にはこの「errorzone」 とても好きです。

From the Dying Sky/Towards Last Horizon

イタリアはフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステのハードコアバンドの1stアルバム(MCD)。元々2000年にDark Sun Recordsから「Truth's Last Horizon」と言う名前でリリースされた。その後2002年に名前を変えてBurning Season Recordsから再発。私が買ったのはその後のさらにの再発盤でオフィシャル盤ながらも盤そのもはCD-Rと言う男らしい仕様。ボーナストラックが1曲追加され、さらにリマスターが施されているようだ。
From the Dying Skyはイタリアのヴィーガン・ストレートエッジ・ハードコアバンド。1999年に結成されこの音源だけを発表し、2003年には解散。メンバーはその後The Secretを結成。音楽的にはArkangelのようなフューリー・エッジに属するバンドでこのジャンルを調べると必ずと行っていいほど目にするバンドだったので、再発と言うことですぐさま購入した次第。(私が買ったところではもう売り切れているので結構な人気が伺える。)

人間の愚かさを揶揄するような独白調のSEがもはや完全に様式美という感じで1曲めからテンション上がる。よく言われるように「Slayer直系」の単音リフを効果的にリフの中に組み込んだ完全にフューリーな音楽だ。激しい音楽といえば低音に慣れた耳に高い音で鳴らされる単音リフが気持ち良い。ハードコアを感じさせるのは単音だろうが高音だろうが、やはりミュートで歯切れよく区切っていくところ。音の鳴らし方はあれど愚直なまでも刻んで行くその先に意識されるのはあくまでも肉感的なリズム感だ。どうしても類型的になりがちなこの手の音楽で個性を出してきている。一つは徹底的に単音リフにこだわっている訳ではないところ。ここら辺は最近やはり聞いたReprisalを思わせる。きっちり低音パートも使ってくる。いわゆる”落とし”、つまり曲中で速度を落とすブレイクダウン・パートでの低音リフは非常に効果的だ。このバンドは展開がかなり複雑でリフも多彩だ。単に単音リフが特徴的という言葉では勿体無いくらいの引き出しがある。単音リフにしてもフレーズといよりはその一歩先メロディを獲得するくらいのキャッチーさがあるし、流石にブラックメタルとまでは言わないが、トレモロを披露したりしている。私が購入したお店では「メロデスニュースクール」という言葉で説明されていた。なるほど、確かにタフでいながら同時にメロディアスさをボーカル以外の演奏陣で表現している。そういった意味では叙情派ニュースクールに通じるところにあるよ、という一文もしっくりくる。
もはやイーヴィルといっていいくらいしゃがれたボーカルも良い。ニュースクール・ハードコア/メタルコアの中でも異端と言えるような行き過ぎた攻撃性というものが良くよく表現されていると思う。並みの考えで肉食をたち、社会的な快楽をあえて避けている訳ではなく、人間の社会に対する強い批判の精神が見て取れる。ブックレットには「メッセージがないと私たちの音楽は空っぽになってしまう」とはっきり書かれている。動物を食料として消費することに対して強い嫌悪感を持っているようだ。肉食で歌詞も理解できない私が偉そうにいうの甚だ恥ずかしところだが、人間を主体的に考えた時の強烈な自己批判的な攻撃性(自傷性)が彼らの音楽をハードコアの中でも特別攻撃的なものにしているのかもしれない。個人的には最後のボーナストラックはキャッチーさが尋常ではなく、間違いなく次のステージを予見させるものだっただけに、その後音源の発表がなく解散してしまったのは非常に残念。

このジャンルを語る時に必ず名前が上がるのも納得の出来だ。強烈なメッセージに単に音楽として消費してしまう自分が情けなくなってしまう。今回のリリースも数量限定のようなので、もしきになる人は早めにどうぞ。非常に格好いいです。

椎名誠/旅先のオバケ

作家椎名誠のエッセイ。
私はだいたい本といっても小説しか読まないんだけど、作者の椎名誠さんが好きなので彼のエッセイはたまに読む。何が面白いかというとまずは妙に砕けてゆるーい語り口(椎名誠の文体はかつて昭和軽薄体と呼ばれたらしくて、普段彼のSFを読んでいると別段軽薄な感じはしないのだけど、こういったエッセイだと確かになという納得感がある)が心地よく、するする読めてしまう。それでいて、つまり言葉の数は少なく、表現はシンプルでわかりやすいのに作者の語るところというのはすっと頭に入ってくる。きちんと細部を抑えていて彼のいわんとすることが、読み手の頭の中で容易に再構築されるのだ。この利点は物語ではもちろんこういった類のエッセイでも抜群に活かされる。というのもこの「旅先のオバケ」という本は一種の旅行記の抜粋だからだ。椎名誠は旅慣れた人であり、世界であまり人が行かないようなところになんども出かけている。一方私はというと非常に出不精で、またアウトドアだ、キャンプだというのは正直苦手であまり心惹かれない。テントの凸凹が気になって寝れないし、何よりどんな虫が非常に苦手である。トイレも綺麗じゃないとやだし、という根っからの軟弱な都会人であるから、未開の地の野天で一泊なんてとんでもない話だ。ところが困ったことにそんな荒々しいキャンプで観れる光景というのに憧れもあるわけで、そんな時に私の好奇心を満たすのがこの椎名誠さんの旅行記である。読みやすく、それでいて非常に具体的である。SFだとどうしても非日常感が出ることは否めない。ただし椎名誠の場合はこういった世界各地の旅によって得た知識が存分にその創作に生かされているから、断言してもいいが他の作家には出せないリアルな世界をのびのびと描いている。いわばそんな椎名・ワールドの元ネタである、実際にあるヘンテコなところをこうやって本で読むのは非常な楽しみである。
この本は何処かへの旅、という本ではなくていままでの数多くの旅を包括的に「宿」という視点でまとめたものだ。だから一冊でもそれこそモンゴルからロシアの端っこまで世界各地の様子が織り込まれていてお得感もある。そしてそのどれもが日本の生活からはいくらか(時にはひどく)離れていて、そのギャップが面白いのだ。モンゴルで落馬し5時間かけてゲルに戻った話(モンゴルの大平原では目印が何もないので下手をすると迷って死ぬ。)や、モンゴル人は猫が嫌いで時に蹴り殺す話、北極圏で大の方を排出するときの気苦労の話、戦術的に無価値になった廃墟のようなユーラシア大陸の端っこの街で食べるロシア風うどんの美味しさ、ソ連時代の外食の素っ気なさ、日本の廃棄された離島の凄まじさなどなど。こんなところあるの!こんなことがあるの!ってことが淡々と書いてある。「こんなことがあってすげーんだぜ」というよりはさらっと「こうだったんだよね」みたいな飄々とした語り口でそれがまた良い。
「旅先のオバケ」というタイトル通り、幽霊譚怪異譚も収録されていて面白い。幽霊はいないというのは簡単だが、実際に世界各地に行って不思議体験をした人、その体験が科学的に証明できるとしてもやはりその話は面白い。そこには幽霊がいる/いないを超えた面白さがある。
誰か偉い人が言うには人を成長させるのは、本を読むか、人に会うか、旅に出るしかないらしい。椎名誠は旅に行って、文化の違う色々な人にであり、そして旅先の空の下で本を読んでいるからこの全部をこなしていて私からするともはや仙人めいて見える。その飄々とした姿もなんか逆に浮世離れしているかも。そして旅に出たいなーなんて思ってしまうのだ。忙しくて旅なんてもっての外だと言う人にこそ読んでほしい一冊。

2018年7月1日日曜日

コードウェイナー・スミス/三惑星の探求<人類補完機構全短編③>

アメリカの作家の短編小説集。
人類補完計画の元ネタ(と言っても名前だけ)人類補完機構シリーズの全短編を集めたシリーズの最後の一冊。前作からだいぶ時間が空いてしまったがやっとこ読んだ。
前述のエヴァンゲリオンもそうだし、日本のSF系フィクションにおける猫(耳)の女の子の造形に多大な影響を与えた、というより原型になったのがこのスミスの生み出したクメルというキャラクターらしい。(ただしスミスの描写ではクメルには猫耳は付いていない。)クメルは下級民とよばれる、動物を人間の形態に改造し、合わせて知的レベルもそれ並みに引き上げた種族の一員であり(ただし社会的な地位は著しく低く、ほとんど雑用に従事する奴隷といったところである)、今作でもそんな下級民がたくさん出てくる。
SFの良いところはたくさんあるけど、一つに同時期に全く別の世界を同居させることができるということがある。もはや地球上人の住むところには概ね幻想の入り込む隙がなくなってしまったため、たとえフィクションの中でも黄金郷、理想郷、地下世界そんな異世界はなかなか説得力を持って存在できなくなってしまった。ところが未知なるフロンティアである宇宙はそんなことがない。なんせ信じられないような環境があるわけでそれに合わせて様々な世界が考えられるわけだ。今作でもスミスは、宝石でできた惑星(そのため土が非常な貴重品になっている)、常に尋常じゃない風が吹き荒れる嵐の星などの魅惑的な環境を作り上げ、それに合わせた異常な生態系や社会性を構築し、そこにキャラクターを配置することで独特な物語を編み出している。人類を導く補完機構は監視するが統治はしないので基本的には異様な文化でも容認されている。ある意味統一性がない世界では異世界が星の数だけ奇妙に育つのである。今作では魔女が登場し、生まれ故郷を独裁者に乗っ取られた主人公のことを導いてくる。
個人的に面白かったのは人類補完機構以外の短編で、こちらは地球を舞台にしたコメディもあれば、異世界にたどり着く前の長い宇宙旅行を取り扱ったシリアスなものもある。特に後者ではそもそも絶対的な孤独を強いられる宇宙空間で長時間人間が生き残れるのか?という問いがテーマになっている短編が二つあって面白かった。社会的な動物である人間は本質的に単体で生きることができないのだ。「三人、約束の地へ」でもスミスの考える人間の本質について書かれている。つまり人体をいくら改造、改変しても人間の本質的な幸福とは他社とつながりの間にしかないという。
作者の逝去により人類補完機構シリーズは未完のままである。ただはっきりとした筋があるわけではないから消化不良感はない。

YOB/Our Raw Heart

アメリカ合衆国はオレゴン州ユージーンのドゥームメタルバンドの8枚目のアルバム。
2018年にRelapse Recordsからリリースされた。
YOBは1996年に結成されたバンドでギター/ボーカルのMike Scheidtが唯一のオリジナルメンバー。メンバーの変遷はあるものの一貫してトリオ編成を保っているようだ。2006年に一回解散し2008年に再結成してからはメンバーは変わっていない。
バンド名はもちろんキリスト教のヨブからとったのだろう。ヨブは厚い神への忠誠をサタンに試されていろいろな苦痛を与えられた人だ。(その後忠誠は本物だと認められ神から贈り物をもらってもいる。)
2014年に発売された「Clearing the Path to Ascend」はいくつかの媒体でその年のベストアルバムに選ばれていたと記憶している。私ももちろん良いな~と思ったんだけどあとから数えてみると一つ前の「Atma」(2011)の方がよく聴いていた。
今回はどうしようかな?と思っていたのだけどyoutubeで全曲公開されている冒頭1曲め「Ablaze」を聴いたら良かったのでそのままデジタル版を購入した。

ドゥームメタルをプレイするバンドだが、重さ、暗さ至上主義ではなく、ストーナー・ロックの延長線上にある埃っぽくも温かみのあるふくよかな音で長い尺の曲をマイペースに演奏していく。重たさのための重たさ、遅さのための遅さ、いわば形式化したジャンルの中で無計画に産み落とされた音楽というよりは、自然にこの長さに落ち着いたという印象。というのも無駄な反復や冗長な展開はほぼないからだ。
Mike Scheidtは年季の入ったヒッピーか仙人のような風貌だが、声もかなり独特でかなり高い。低音も時として用いるけど基本的にはややもこっとした高音ボーカルを多用する。ただし清涼はかなりあって迫力がある。ちなみに「Atma」の1曲めを聴いたときは女性が歌っているのかと思った。
前作はやや宗教的というか高尚で難解な作りだったように思うが、今回は内容が個人的に柔らかくなっている。曲は相変わらず長いし、遅いのだがサイケデリックさ、プログレッシブさは鳴りを潜め、代わりに歌が大胆に充填されている。どの曲にも静かなパートが織込められ、楽器陣の音の作りもあって非常にオーガニックな印象がある。元々コード感のある弾き方を多用するバンドだったと思う(今作でもフレーズ終わりに高音要素強いキャーンって感じのコードびきを入れるやり方は踏襲されている)けど、今作ではそのコードの運び方が大変メロディアスだ。5曲め「Beauty in Falling Leaves」(落葉の美しさ)という曲名も非常に印象的だ。(曲もゆったりとしたアルペジオを背景にクリーンで歌い上げるというエクストリーム性とは真逆にある。)どの曲も明るいというのではもちろんないのだが、うちに強くエネルギーを秘めており、それがゆっくりと体動していくようだ。フロントマンのMike Scheidtは2016年の暮れに大病を患い死にかけたことが少なからず影響しているのではないだろうか。落ち葉のような極小の中に、宇宙の生命の神秘がそのまま閉じ込めれているのを見る、まさにそんな感じでで内なる宇宙が爆発的に拡大していくような壮大さが余すことなく表現されているラストの3曲は素晴らしい。(2曲め、3曲めはヘヴィかつミニマルなリフが持ち込まれていて対比があって面白い。)ただ個人的にはやっぱりちょっと呪術めいた1曲め「Ablaze」がとても好きだ。

「Atma」以降では一番好きかな、というかここ最近ではとても素晴らしいアルバムだと思う。是非どうぞ。

ビューティフル・デイ

苦境にある女性をナイトたる男性が助けるという王道的な話ではある。ただしナイトの方はトラウマと孤独で半分おかしくなっている。面白いのは女性がただ助けられる存在ではないこと。
物語の中盤から合法なのか非合法なのかわからないが、ジョーが薬を飲む描写がなくなる。やり返すという目的がそれまでのぶれていた、揺れていた彼をしゃんとさせる。つまり(殺された母親に対する、それからすれ違ったように出会ったニーナに対する不思議な)愛というのは人生の目的たり得るのだ。ところがそうじゃなかったのがあのラストだ。ジョーはもうすることがない。目的というのは愛そのものではなくて、その獲得、もしくは失われた愛に対する報復だったのだ。またもや絶望に首まで浸かってしまうジョー。もはや彼と世界のたった一つの有機的な縁だった母親はおらず、自分の家には帰れない。今までできなかったことを遂に実行する時が来たと考える彼に、ニーナはいう。「今日は素晴らしい日だから」。目的がなくたっていいじゃないかと、彼にいうのだ。優しいラストだ。
虐待に苦しんだ幼少期、戦争の無残さを目の当たりにした従軍時代、 国際的な軋みに殺される弱者たちを目にした(この経験から失踪した子供たちを家に返す仕事を始めたんじゃないかと勘ぐる)従軍後と少なくとも3つのトラウマを抱える主人公ジョーは孤独だ。半分おかしくなっている。人はおかしいから一人でいるのか、一人でいるからおかしくなるのか私はいつも気になっている。朝まだきの空港、雑踏がさんざめく昼下がりの街、警察車両と塵芥車が闊歩する夜の車道。どの風景もびっくりするほど鮮明で、そしてどれもびっくりするほど排他的に感じられるのはジョーに感情移入している所為だろうか。邦題は素晴らしいが、原題は「You Were Never Really Here」でちょっと伝わるところが違う。ニーナに会う前はジョーは世界のどこにも居場所がなかったのだ。
うるさいくらいの音量でソリッドになる音楽が格好良かった。バキバキのテクノ感が大音量でノイズに聞こえてくる。