苦境にある女性をナイトたる男性が助けるという王道的な話ではある。ただしナイトの方はトラウマと孤独で半分おかしくなっている。面白いのは女性がただ助けられる存在ではないこと。
物語の中盤から合法なのか非合法なのかわからないが、ジョーが薬を飲む描写がなくなる。やり返すという目的がそれまでのぶれていた、揺れていた彼をしゃんとさせる。つまり(殺された母親に対する、それからすれ違ったように出会ったニーナに対する不思議な)愛というのは人生の目的たり得るのだ。ところがそうじゃなかったのがあのラストだ。ジョーはもうすることがない。目的というのは愛そのものではなくて、その獲得、もしくは失われた愛に対する報復だったのだ。またもや絶望に首まで浸かってしまうジョー。もはや彼と世界のたった一つの有機的な縁だった母親はおらず、自分の家には帰れない。今までできなかったことを遂に実行する時が来たと考える彼に、ニーナはいう。「今日は素晴らしい日だから」。目的がなくたっていいじゃないかと、彼にいうのだ。優しいラストだ。
虐待に苦しんだ幼少期、戦争の無残さを目の当たりにした従軍時代、 国際的な軋みに殺される弱者たちを目にした(この経験から失踪した子供たちを家に返す仕事を始めたんじゃないかと勘ぐる)従軍後と少なくとも3つのトラウマを抱える主人公ジョーは孤独だ。半分おかしくなっている。人はおかしいから一人でいるのか、一人でいるからおかしくなるのか私はいつも気になっている。朝まだきの空港、雑踏がさんざめく昼下がりの街、警察車両と塵芥車が闊歩する夜の車道。どの風景もびっくりするほど鮮明で、そしてどれもびっくりするほど排他的に感じられるのはジョーに感情移入している所為だろうか。邦題は素晴らしいが、原題は「You Were Never Really Here」でちょっと伝わるところが違う。ニーナに会う前はジョーは世界のどこにも居場所がなかったのだ。
うるさいくらいの音量でソリッドになる音楽が格好良かった。バキバキのテクノ感が大音量でノイズに聞こえてくる。
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