ジョン・クロウリーの「エンジン・サマー」に似ているがあそこまでぶっ飛んでいない。
本作で描かれる、表紙のヒエロニムス・ボスの絵画のように奇妙な世界はこの私達のクラス世界の延長線上にあるのだ。
故にこの小説は荒唐無稽な世界を描くSFでありながら、ありうる可能性としての破局を描写することで現社会体制の汚点を鋭く指摘するディストピア小説でもある。
ディストピア小説は扱う題材が社会なのでマクロな視点になりがちだが、この作品は終始ミクロな視点で進行するのが面白い。
ここはオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」に通じるところがある。
ただしハクスリーは主人公の今が最悪な未来を描いていく一方、今作では主人公の過去にフォーカスすることでいかにこの奇妙な終着点に人類が、そして主人公が到達したのかということを描いていく。
つまり謎解きの仕組みがあってこれがエンジンになって読者にページを捲らせていく。
格差社会がさらに加速し、持てるものの天才はかつての神の領域に躊躇なく踏み込んでいく。
ある意味では増長した天才が倫理観の欠如によって世界を崩壊させた。
主人公スノーマンことジミーは壁の中=持てるものの子息として生まれたが、彼には支配者の一員たる才能はなかった。
彼は天才たちがめちゃくちゃにした世界をなんとか彼の才能、演じる才能、人を引きつける才能、言葉を操る才能によってなんとかつなぎとめようとする。
生まれついての根っからの傍観者であった彼は思い上がりで破壊されて生まれたいびつな世界をいわば育てる役目を課された形になる。
ジミーは上級市民だったが社会構造に疑問を持ち下級市民に下った(まだ発展途上にあった少年のジミーを捨てた)母親、そして育児に興味のない父親のもと生まれ、両親の愛情というものを知らない。
それ故他人を常に求め、その演技と言葉の才能と人を見抜く明晰な分析力で愛情には事欠かなかったがどれも長続きしなかった。
そんな彼が天才たちが勝手に作り変えてネグレクトした新人類の教育役を引き受けさせられることになるのも構造的に良くできている。
人類に似ながら全く違う性質をデザインされた新人類は劣悪な環境でも生き抜くことができる能力がありながら精神的には非常に未熟でまた旧人類から見てあまりに異質だ。
スノーマンもそんな彼らとシンからわかり合うことはできないだろう。
オリクスとクレイクというのはスノーマンことジミーが本当に愛した二人だが、しかしジミーは結局二人のことを本当にわかっていたのだろうか。
大切なことはいつもはぐらかすミステリアスなオリクス、そして天才だがずっとジミーの親友だったオリクス。彼の真意は私にとっても他の読者にとっても大きな謎である。
スノーマンの新人類に対する献身もジミー時代の二人への愛情と恩義、そしてクレイクへの罪悪感もあったろう。
決して他者とわかり合うことのできない旧人類と、争いのない新人類を見ていると天才クレイクのやりたかったことが単に冒涜とも思えないのは私だけだろうか。
彼は彼なりにこの状況を憂い、根本的な解決を目指していたのかもしれない。
たとえ人類が異形になりはて、その前に旧人類が全員絶滅しようとも存続させようとしていた人類という種をより大きな視点で愛していたのかも。
この「オリクスとクレイク」は同じ世界観を共有するマッドアダムという三部作の一作目だそうだ。今のところこの次作は翻訳されているのでそれは読む。
非常に面白かった。
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