サマセット・モームの「月と6ペンス」を読んだのでなんとなくゴーギャンのイメージはあまり良くなかったが、この人物は小説家を魅了するらしい。
ゴーギャンは実はペルーに縁があり、それがこのノーベル賞作家バルガス=リョサの何かに引っかかったらしい。
彼はゴーギャンとその祖母、フローラ・トリスタンを題材に長い小説を書いた。それがこの「楽園への道」だ。
ゴーギャンは名前だけ走っている人も多いだろうが、フローラ・トリスタンとは?
彼女は1800年代初頭に生きたペルーの貴族の血筋で、貧困にあえいで育ち、逃亡者で、思想家であり、著述家であり、労働者を団結させて組合を立ち上げさせようとした社会主義者でもあった。
バルガス=リョサはこの二人の晩年の人生を交互に、ミルフィーユのように何層にも重ねて書いている。
かなり特車構造でもある。なぜかというとこの祖母と孫は生きている間は一度も面識がなく、したがって交互に繰り返される二人の人生が直接交わることがないからだ。
バルガス=リョサはこの二人を異なる時代に生きた反逆者として書いている。
反逆者と言っても社会の破壊者ではない、それぞれの理想を追い求め、当時の社会にその実現を目指した追求者として、だからタイトルは「楽園への道」なのだ。
二人の共通点〜出自〜
同じ血を引いている以上にこの二人の反逆者には似ているところが多い。
ふたりとも根っからの反逆者ではなく、しばらくは既存の社会の一員として生活をしていた。
ゴーギャンでいえばむしろ金融業界で働くエリート(当時で言うブルジョワ)であった。(その前は船員をやっていたから育ちが良いわけではない。)それがほとんど興味がなかった絵画に出会って自ら筆を執り、そしてその魅力に取り憑かれて人生を狂わせていく。
フローラはペルーの貴族であった父親が早逝し、その後は貧困から望まない結婚をし、そこから逃亡し、文字通り世界を遍歴する中でフェミニズム、それからコミュニズムに開眼していく。
いわばある出来事から覚醒し、それから世界と戦うことになった。
二人の共通点〜生き方〜
既存の世界と対立する新しい世界秩序に目覚めた二人は、爆発的なエネルギー。
それまで持て余していたエネルギーを文字通り100%ぶつけていくことになる。
そのためには周囲との反発も厭わなかった。アウトサイダーになり、警察を始めとする権力と摩擦が生じることもじさない。
禁欲的ではなく感情を発露させ、他人と戦い、快楽をあけっぴろげに求めた。
しかし結局は自分の理想が全てに優先された。
世界との対立にしても、自分の居場所を作る的な自己防衛ではなく、世界の一員であることを高らかに宣言し、それでいて世界をあけすけに批判した。
ここはゴッホとの対比を見てほしい。アルルの狂人ゴッホにとっては世界は違和感に満ちていて、そこにとどまって生きること自体が戦いだった。
一方でこの祖母と孫はどんな環境でも生きるたくましさ、強靭さがあった。
無知や搾取と戦った。
今までこうだったから同じやり方を踏襲している、という考えのなさを批判するベンチャー精神で、未踏の大地(ゴーギャンでいう南の島、フローラでいう諸外国の労働環境)を切り開いていった。
二人の共通点〜最期〜
二人も自分勝手と言われて差し支えないほど自己中心的で、無限のエネルギーを燃焼して生き急いでいる。
最後は旅の途中でなくなるまで燃え続けた。
ふたりともついに終の棲家を見つけることができず、家族に対しては愛情はあっても保護することはなかった。それは自分本位で身内は愛さなかったと行っても良い。また生きるために他人を利用する強かさと鈍感さを持っていた。
二人の差異
二人の共通点はそうだとして、違うところはどこだろう?
性別が違う。
これは結構重要で、フローラは女性であることがそもそも彼女の苦難のひとつなのだ。
搾取される側のフローラと、半ば無意識に搾取する側のゴーギャンであると言える。
また祖母は世界と明確に対立したが、孫は世界と対立したのは副次的なものだった。
楽園を実際の社会構造に求めたフローラと、あくまでも自己の内部(の発露しての作品とそれに付随する名声)に求めたゴーギャン。
楽園とは
まずこの二人は楽園を目指したが、それは確実に存在しなかった。
いわば頭の中にある楽園を創造しようとした。
フローラが実際に労働者とあってもほとんど賛同が得られなかったように、ゴーギャンが移住したタヒチでも彼の夢想した楽園がなかったように。
失望や落胆は彼らを諦めさせることはできなかった。
フローラは時に非合法の会合を持ち続け、ゴーギャンは絵筆を取り続けた。
ともに病魔がその体を蝕んで動けなくなるまで。
かっこいい死に様は存在せず、かっこいい生き方だけがあるように楽園はなく、ただそれにいたろうとする道こそが人を感動させた。
いわば不可能への挑戦であり、作品や思想そのもの質と関係なく、その情熱やその実行者が単に善悪の基準を超えて、燃え盛る炎のように人を魅了する。
批判性と普遍性
この作品は文明というよりは画一的な近代化批判がある。
西洋の進んだとされる文明が後進国を教化することで、もともと個性があった文明の良さを消してしまうこと。
そして教化のあとは鈍化させることで労働力として搾取すること。その権力の手先として活動するのが警察とそれからキリスト教教会だった。
フローラの置かれている状況も非常に悲惨であって、近年の#metoo運動もそうだけど女性は生まれながらにして差別されている、ということを強く意識させる。
またゴーギャンもフローラも人種差別はしないことも非常に面白い。
今世界が混乱している、というよりは混乱が世界の抱える問題をあぶり出しているだけだと思うが、そんなときにこの小説を読み、そしていつになったら人が平等に生きられるのだろうか、と考えることは楽しい。
そのためにできることが見つかればそれは間違いなく楽園への道、その道は非常に険しいだろうけど、あなたや私が道半ばで倒れてもそれはとても尊い。
凡人である私は、少なくともその道を歩む人をバカにしない人間になりたい。
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