民俗学者の柳田國男が1910年に岩手県遠野で採集した民間で流布している説話をまとめた「遠野物語」を、著者没後50年経過により著作権が切れたところ、作家で意匠家の京極夏彦がリミックスした本。
私が買ったのは元となる柳田國男の「遠野物語」がついた角川ソフィア文庫版。
「遠野物語」は民俗学界にすくっと立つ記念碑的な文献であるとともに、物語として面白い文学的な側面をもつ作品でもある。私はどこの出版社かは忘れてしまったが大学生のときに「遠野物語」の元の本を読んだ事がある。大変面白く読んだが、やはり文体が原題のそれとは少し隔たりがあるので読みやすいとは言えなかったのは事実で、作者が伝えたかった事が本当に理解でいているかははなはだ怪しいところがあった。ということで今作は渡りに船というかなんというか。リミックスというのは中々言い得て妙であり、原点をそのまま交互に訳したのは少し違う。順番をかえたり、ニュアンスを補ったり意訳していたりと、作家ならではの変更を加えているそうである。いわば独自の解釈というか。例えばやはり翻訳というのとは少し違うようだ。
元々民俗学というと堅苦しいが、原点に関しても柳田國男が遠野の佐々木さんからきいた昔話や民間伝承をなるべくその魅力を失わないようにまとめあげたものだから、好きな人にはたまらない面白いおはなしが満載なのである。かの泉鏡花も物語として面白いと評したとか。
一つ一つはとてもも次回おはなしが120弱収められており、そのどれもが不思議な話、奇妙な話、恐ろしい話 で、いずれもどこの誰々がその体験をした、もしくは彼から聞いたという形である。山中奥深くに住む恐ろしい山人や狐が人を化かす話、亡くなったはずの女が幽霊となって現れる話。 神隠し幽霊お化け妖怪天狗なんでもござれのまさに昔話の宝庫である。(当時の)不可思議の説明装置として上記のような怪異が社会の中で生み出され、機能していたとは如何にも現代的な解釈でそれはやはり間違いはないのだろうが、この本に収録されている不思議達は単純にそのの解釈にとどまらない豊かな色彩をもっている。恐ろしい妖怪達は実際に霧深い青い山々の奥に息づいていたのであり、人間はたまにその姿をかいま見たのだろうし、現代人がタイムスリップすればやはりその陰を同じく目にするのだろうと私は思う。だから怪異の解釈はなく、あった事感じた事がそのまま書いてあるその生々しさたるや、100年隔たった今でも身を凍らす。
個人的に面白かったのは山人で、コイツらというのはとにかく背がデカくて目の色が常人と異なる。こういう表現を読むと現代人である私たちは日本に漂着した外国人でしょ?と訳知り顔で意見を述べる訳である。所謂鬼達の一部に関しても山中に隠れ住む白人 という解釈がなされる事がある。しかし遠野物語でははっきりと西洋人に対する見識が既にあった事が書かれている( 85など)。ということは当時の人たちだってとっくに白人のことなんてご存知な訳であって、そうなれば当然山人や鬼が白人説は灰燼に帰すのである。昔の人間だからって馬鹿にするなよって訳である。(とにかく現代人は昔の人が素朴で馬鹿だったと考える傲慢な傾向があると思う。)じゃあ山人って何だったんでしょうね?うーん、面白くないですか?ゾクゾクしませんか?
という訳で日本の神話が好きな人、昔話が好きな人で何となく「遠野物語」を敬遠してた人、まだ読んでない人は是非是非読んでいただきたい。一遍一遍はとても短いので本当さらっと読める。さすがは京極夏彦さん。オススメです。
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