2014年10月18日土曜日

大江健三郎/死者の奢り・飼育

日本のノーベル文学賞もとった作家の初期作を集めた短編集。
私は本を読むのが好きだが、だいたい流血沙汰や飲酒など下世話でゴシップめいた要素の強い派手な作品が好きで、SFや幻想文学だったり現実から隔たりのある物語を 読む傾向があるようだ。根が低俗なもので手当り次第に気になるものを読んでいるだけなので、教養とかと向上心いったものとは無縁なのだ。学生の頃はそれでも芥川龍之介や太宰治や坂口安吾など大変面白く読んだものだが、最近とんと文学読んでないな〜ってことで別に高尚なものにコンプレックスがある訳ではないが、折角だしなんか読んでみようと思って手に取ったのがこの本。むかし町で大江健三郎さんご本人を見た事があるし。スラっとしてんな〜と思った。

始めにも書いたがまだ国内国外の文学賞を獲得する前に書かれた物語を集めたのがこの本。読んでみると私が普段読んでいる本とは大分趣が違って面白かった。
まず書き方の距離が大分近い。ほぼ密着していると行っても過言ではない。小説だと主人公の一人称であってもここまでの密着感はちょっとないのではなかろうか。見たものすべてを文章に起こすと行ったらさすがに語弊があるが、主人公が見たもの、嗅いだにおい、触れたものの感触がかなり細かくと着に執拗といっていいくらい書き込まれている。さらに主人公の心情も事細かに書いてある。ほぼ独白スタイルの日記ってくらい。言動も含めて振る舞いによって人間の様を書くのが文学の一つの側面だが、大江さんの小説はとくにその視点の置き所が細かく、そして詳細である。まさに微に入り細に穿つ。

たとえばエルロイの暴力の描写は凄まじく生々しい。匂い立つように下品だがやはりどこかに装飾性の格好よさというのがあると思うのだが、大江さんはその装飾性を取っ払ったように書く。別に露悪的という訳でもなかろうが、なんとなく嫌らしい感じがする。これは一体何が原因だろうと考えたのだが、日常といっても事件があってそれを書いているのだが、根本的にこの人というのはそれでも日常を書いている訳であって、その描写の凄まじさが私になんとも嫌な感じを呼び起こさせるのではなかろうか。私は日常を嫌悪している訳ではないし、そこは作者の視線の偏りもあって大分負のバイアスがかかった書き方をされているのもあって何とも言えない退屈で消耗させる日常(のさらに一段階すすんだ嫌らしさを有した、いわば可能性としての。)がその分の向こう側に透けて見えるどころかにおいもまざまざと生々しく眼前に広がってくるわけで。当然日常のある側面によって疲弊されているこっちとしてはなんともゲンナリするのである。いわば人生をある出来事に凝縮したものを読んでいる訳であってその濃さ、そして 現実とそれに必ず付随する(負だけでない)人の感情というもののやるせなさ(としか言いようがないがやるせなさだけではない事を是非主張したい。いわばこの「やるせなさ」という曖昧な一言に代表される過剰すべてを惹起させるために物語が必要なのだ。)に圧倒される。

派手な訳ではないがこっちの精神をガリガリ削ってくる様な陰湿な力を持った作品である。なんだか酷い言い方だけど見た事もない田舎の景色が現在の都会に生活する俺やお前の眼前に現出する様な化け物じみた筆の力を感じられる恐ろしい本でした。私の頭では本当の良さがちょっとでも分かっている気もしないけど、本好きかつまだ読んでない人はどうぞ。

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