日本は兵庫の作家によるエッセイ。
中島らもである。
中島らもさんを初めて知ったのは多分高校生くらいの頃で、当時4チャンネルで爆笑問題が作家の方を招いて話を聞くみたいな番組が夜11時にやっていて、京極夏彦さんとかが出ていて私は結構好きでよく見ていたものだ。そこに登場したのが中島らもさんだった。名前くらいは知っているが勿論作品を読んだ事もないし、どんな人かも知らなかった。帽子にサングラスでノースリーブのデニムっぽい?ジャケットみたいなのを着ていた(腕に陰陽のマークのタトゥーも入っていた。)中島らもさんはとにかくすごーくゆっくりしゃべる人でこの人なんか色々と大丈夫なのか?と思ったのを強烈に覚えている。その後ギターを取り出し放送禁止用語満載の歌を歌ったりして(ピーがすごい多く入って事なきを得た。)印象はかなり強烈だった。しかしその後作品を読んだのは大学生になってからで名作サイキック小 説「ガダラの豚」から始まり、アル中小説「今夜、すべてのバーで」、とにかく手当り次第にドラッグを試しまくるエッセイ「アマニタ・パンセリナ」まで結構な作品を楽しく読ませていただいた。その後も 逮捕、収監などスキャンダラスな話題を世間に振りまきつつ、残念きわまりない事に2004年に逝去。
しばらく中島らもさんの作品は読んでいなかったのだが、人生には中島らもの文章を読む時間というのは必要なのである。とにかく中島らもさんの本が読みたいということで中身も調べずにAmazonで注文したのがこの本。
このブログでは初めてだが、この本は小説ではなくエッセイ。
それも著者の躁鬱病体験を中心に据えたものである。幼少時代から現在に至るまでおおよそ時系列にそって躁鬱病との付き合いが面白く描いてある。この面白くというのがポイントでとにかく電車の中で読めないくらい面白いのだが、よくよく読んでみるとかなり尋常ではない悲惨な状況が綴られている事に気づく。私は中島らもさんにはあった事はないが、恐らく戸とも優しい人ではなかったのだろうか、と勝手に思っている。どんな本でも人を楽しませようとする姿勢があふれている。この本もそうなのだが、軽妙な語り口の向こう側には結構深刻な状況がチラチラ見える訳である。 以前ケッチャムの小説を軽妙な語り口で恐ろしい泥沼にはまり込んでいくようだと書いたが、大分印象は違うがやり方的にはちょっと似ている。とにかく赤裸々に書くものだから、オイオイ大丈夫なのか(勿論大丈夫じゃない。)というエピソードが満載である。気持ちの浮き沈みは勿論、バランスを欠いた精神がどのような身体的な症状、また社会的な状況を引き起こすのかということが(作者の経験を活かして)書いてあるのだが、やはり面白いではすまされない過酷な状態が垣間見える。
アルコールそして楽物中毒である事を隠す事なく告白する作者の鬱病かも?という人への
メッセージは至極簡単である。「病院行って薬をもらいなさい 。」死ぬほど思い悩むんじゃないよ、とりあえず経験上薬飲むと症状は良くなるよ、まず行って来なさい、とこういう訳である。(勿論ペットロスの女性とのエピソードをあげて特異な状況で病気になった場合は単純に薬の効果だけで万事収まる訳ではないと書いている。)
久しぶりに読んだけどやっぱり良いな〜。別に心を病んでいる人でなくても面白く読めるのでとにかく楽しいエッセイが読みたい!という人は手に取っていただいて問題無し。
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