ノーベル文学賞を受賞した作家の長編小説。
初めて読む作家だったがなんとなく手に取ったのがこの一冊。中身はかなりかっちりしたファンタジーで意表を突かれたが、結果的にはこの一冊を選んで良かったのではと思っている。
アーサー王が崩御したのちのブリテン島。鬼や竜が普通に存在する世界では不思議に人々の記憶が徐々に薄れていくのだった。とある村で暮らす老夫婦はある日長い間離れて暮らしている息子に会いにいくことを思い立ち、良きを選んで出立する。途中の村で異国の腕の立つ騎士と、寡黙だが戦士の才がある少年と出会い、四人で旅路を進んでいく。
記憶を失わせるという霧に覆われているという世界設定通りに物語もどこかぼんやりしている。筆致はシンプルだが優しく、鬼や竜というわかりやすい敵がいる分戦闘の描写などもあるが、必要最低限のことを書き出し(なので十分に残酷である)、淡々と物語は進んでいく。剣と魔法の剣呑だが能天気なファンタジーというわけではなく、むしろ訪れた先々で不和と争いの痕跡や火種が見て取れる。かつてこの国では恐ろしい戦乱があったらしいのだ。そして今もその残火がくすぶり続けている。ひとえにこれらが再燃しないのは記憶の希薄化によるものらしいのだ。記憶がない分人は毎日新しい自分を生きるというわけでもない。むしろ断片的な記憶に固執し、そしてさらなる欠落を恐れているようでもある。不確かさが毎日をおおい、本当のことが常に隠されているように感じる。生活の本質がすでにどこかに行ってしまったような気がしている。
いわば曖昧になってしまった世の中で主人公たち4人たちはそれぞれに目的を持って前に進もうとするわけだ。他の人たちは記憶が薄れた世界で続く単調な毎日に特に疑問や不満はないようだ。ところが動き出してみると色々な災難が主人公たちに襲いかかってくる。様々な判断を迫られる、また肉体的な精神的な痛みも伴ってくる。忘却というぬるま湯に浸かって生きるか、痛みを伴いながらも記憶を取り戻していくか、そんな選択が案に物語の根底に表現されている。
そして不和。どこに行っても争いごとだらけ。口論、つかみ合い、殺し合い。集団生活の決まりごと、民族間の遺恨、諍いの理由は幾つでもある。そんなひどい世界でたったひとつ最後まで綺麗な絆があって、それが主人公の老夫婦二人の間にあるのがそれだ。もう相当おじいちゃんなのに妻のことを「お姫様」と呼ぶ、そんな関係だが、とにかくこの二人がよく喋る。なんでも喋って決める。単に心温まる会話というのではなくて、この世界で生きていく上での知恵であり手段でもある。ここに人々の間に蔓延する不和に対するシンプルな回答が用意されているわけだ。それがみんなに適応できるかはまた別の問題だろうけれども。
記憶を犠牲に過去の遺恨の一部を封印した世界はいわば一時停止中出会って、その操作を止めるべきか、それともこのまま安寧に停止したままにしておくのが良いのか。
2018年6月3日日曜日
2017年7月16日日曜日
スティーヴン・キング/ダークタワーⅠ ガンスリンガー
アメリカの作家の長編小説。
言わずと知れたアメリカモダンホラーの帝王キングのライフワークとなる超長編の初めの一冊。どうやらハリウッドで映画されるらしくそれに合わせて新装版が角川から出るというのでとりあえず買ってみた次第。
あとがきによるとキングのすべての作品の土台になっているのがこの「ダークタワー」シリーズだという。そういえば「不眠症」にでてくる男の子がこの物語ですごく重要な役割を果たすのだっけな。長さゆえに躊躇していたけど別に気が向いたときにポツポツ買って読めばいいかという気持ち。(こういう態度だと絶版になったりする。)
ここではないどこか、中間世界(ミッドワールド)では崩壊が進んでいた。砂漠化が進み緑が失われ、同じく減りつつある食料と水は貴重品だ。生き物は突然変異を繰り返し異形になっているばかりか、説明のつかない化け物どもが跋扈する。そればかりか時間の進み方が一定でなくなり、過ぎ去った過去が一様に溶け込んでいる。人心も荒みきったその世界で最後のガンスリンガー、ローランド・デスチェインは故国を滅ぼした仇である”黒衣の男”を孤独に地の果てまで追いかけていた。黒衣の男の先には世界をつなぎとめているタワーがあるという。
前書きでキング自身が述べているが指輪物語に露骨に影響を受けており、それを西部劇にとけこましたというのがこの物語の大雑把な形だろうか。
キングの作品はいくつか読んできたが「IT」なんかでももちろんそうだが基本的に人類含めたすべての生き物に対して悪意を持っている存在の末端(本人と同一であろうが別の姿をとったようなもの)に対して、善なる人間が立ち向かうというもの。この構図はたまに子供っぽいと揶揄されるようだがけど、キングの場合は書き方が巧みだからそのように思ったことは一度もない。読んでみればわかるがこのとき人間の武器になるのは、常に勇気というか、やってやろうという気持ちだった。この前進する気持ちがマイナスの感情を持つ悪に対しての唯一の武器になる。だからキングの主人公達は明確な武器を持たなかった。(そうしてみるとやはり映画化された「ミスト」なんかは結構異色のサバイバル・ホラーと言える。)そういった意味で銃を持った男が主人公のこの「ダークタワー」シリーズというのはちょっと面白そうである。だいたいが一般的な社会人(女性子供老人含めた)が主人公を張ることが多かったキング作品。というのももし銃を手にしてもきちんとその扱い方を心得ていない。だから基本的に悪の存在に立ち向かうということ自体が異常事態になるわけだけど、今作の主人公は職業兵士のようなのでいわば銃を携帯しその扱いに慣れた殺し屋なわけだから、今までにない過酷な戦いがその前途に待ち受けていると想像するにかたくない。ローランドが目的のために非情な男であることもこの後の変化をほのめかしているようでもある。
長い物語の一番初めなので登場人物と世界の説明に終始し、街を巻き込んだ大虐殺という見せ場は用意されているもののそこまでの盛り上がりはないなというのが正直なところ。これから物語が本格的に動いていくからまた続く二冊目以降をのんびり読んでいくつもり。
言わずと知れたアメリカモダンホラーの帝王キングのライフワークとなる超長編の初めの一冊。どうやらハリウッドで映画されるらしくそれに合わせて新装版が角川から出るというのでとりあえず買ってみた次第。
あとがきによるとキングのすべての作品の土台になっているのがこの「ダークタワー」シリーズだという。そういえば「不眠症」にでてくる男の子がこの物語ですごく重要な役割を果たすのだっけな。長さゆえに躊躇していたけど別に気が向いたときにポツポツ買って読めばいいかという気持ち。(こういう態度だと絶版になったりする。)
ここではないどこか、中間世界(ミッドワールド)では崩壊が進んでいた。砂漠化が進み緑が失われ、同じく減りつつある食料と水は貴重品だ。生き物は突然変異を繰り返し異形になっているばかりか、説明のつかない化け物どもが跋扈する。そればかりか時間の進み方が一定でなくなり、過ぎ去った過去が一様に溶け込んでいる。人心も荒みきったその世界で最後のガンスリンガー、ローランド・デスチェインは故国を滅ぼした仇である”黒衣の男”を孤独に地の果てまで追いかけていた。黒衣の男の先には世界をつなぎとめているタワーがあるという。
前書きでキング自身が述べているが指輪物語に露骨に影響を受けており、それを西部劇にとけこましたというのがこの物語の大雑把な形だろうか。
キングの作品はいくつか読んできたが「IT」なんかでももちろんそうだが基本的に人類含めたすべての生き物に対して悪意を持っている存在の末端(本人と同一であろうが別の姿をとったようなもの)に対して、善なる人間が立ち向かうというもの。この構図はたまに子供っぽいと揶揄されるようだがけど、キングの場合は書き方が巧みだからそのように思ったことは一度もない。読んでみればわかるがこのとき人間の武器になるのは、常に勇気というか、やってやろうという気持ちだった。この前進する気持ちがマイナスの感情を持つ悪に対しての唯一の武器になる。だからキングの主人公達は明確な武器を持たなかった。(そうしてみるとやはり映画化された「ミスト」なんかは結構異色のサバイバル・ホラーと言える。)そういった意味で銃を持った男が主人公のこの「ダークタワー」シリーズというのはちょっと面白そうである。だいたいが一般的な社会人(女性子供老人含めた)が主人公を張ることが多かったキング作品。というのももし銃を手にしてもきちんとその扱い方を心得ていない。だから基本的に悪の存在に立ち向かうということ自体が異常事態になるわけだけど、今作の主人公は職業兵士のようなのでいわば銃を携帯しその扱いに慣れた殺し屋なわけだから、今までにない過酷な戦いがその前途に待ち受けていると想像するにかたくない。ローランドが目的のために非情な男であることもこの後の変化をほのめかしているようでもある。
長い物語の一番初めなので登場人物と世界の説明に終始し、街を巻き込んだ大虐殺という見せ場は用意されているもののそこまでの盛り上がりはないなというのが正直なところ。これから物語が本格的に動いていくからまた続く二冊目以降をのんびり読んでいくつもり。
ラベル:
アメリカ,
スティーヴン・キング,
ファンタジー,
ホラー,
本
2017年6月10日土曜日
ヤン・ヴァイス/迷宮1000
チェコ(当時はイレムニツェ)の作家によるSF小説。
漫画「BLAME!」の元ネタの一冊ということで買ってみた。
ふと目覚めると巨大な構造物の階段だった。自分が誰なのかわからない俺。服のポケットに入っていたメモを見るとどうも俺は探偵らしい。オヒスファー・ミューラーなる人物が作った1000の階層を持つ巨大建築物、通称「ミューラー館」にミューラーに誘拐された小国の姫君を救出に潜入したのだが、何かの出来事で記憶を失ってしまったようだ。特殊な技術によって透明になった俺はタマーラ姫、それから館のあるじと邂逅すべく巨大な館の捜索を開始する。
巨大な建築物を探し物をしながら彷徨う、というところは「BLAME!」に似ているがその設定だけで実際はかなり異なる。なんせ記憶を失って目覚めた主人公が口にするセリフが「どちらにしよう?のぼるか、くだるか?よし、上だ!」だもの。相当エネルギッシュなやつである。そして空気より軽い物質で作られた(なので上へ上へと常識を超えた大きさを保つことができるのだ)巨大な館もいかがわしい喧騒で満たされている。謎の人物オヒスファー・ミューラーが独裁統治する昼も夜もない館では主人がすなわち法である。そこに住まう人々は全て監視され、会話はミューラー本人に盗聴されている。ミューラーの気まぐれによって不幸を被り、押さえつけられ、暗殺や権謀術数が渦巻き、不満を持った体臭がクーデータを起こしている。相当きな臭い場所である。つまりミューラー館は現実世界の縮図であり、そういった意味ではこの物語はディストピア小説といっても過言ではなかろう。1929年に発表された物語だがあとがきでも触れている通り、ナチのガス室を思わせる設備が書かれている。どうやら作者は未来に対して卓越した先見性を持っていたようだ。喜怒哀楽のはっきりした主人公の性格、ぶっ飛んだ設定もあって喜劇的な趣向も備わった通俗小説だが、一読すれば現代とそして地続きにある未来に対する警鐘がみて取れるだろう。すなわち欺瞞に満ちた公的事業、死体すら金儲けに使う拝金主義、監視され自由を奪われる住みにくく醜くゆがんだもう一つの私たちの世界である。
といっても例えば不朽の名作ジョージ・オーウェルの「1984年」のような閉塞感はなく、フリークスめいた狂人たちが闊歩する奇妙な地獄めぐりのようなロード・ムービー的な面白さ、騎士が美人で不遇の姫を救うという冒険譚の要素をきっちり抑えた通俗小説になっている。いわば甘い糖衣で包まれているわけで非常に読みやすい。会話はちょっと演劇めいているものの、読んで見ると時代性といい意味で無縁な普遍的な物語になっていることがわかる。
天を摩する巨大な建築物という設定、物語を彩る濃いキャラクターの面々で色彩豊かな活人画のような趣だけどその核には強烈な風刺の精神がある、まさに反骨の異色のSF。「BLAME!」好きな人にはあまり親和性がないかもしれないがディストピアものが好きな人は是非どうぞ。
漫画「BLAME!」の元ネタの一冊ということで買ってみた。
ふと目覚めると巨大な構造物の階段だった。自分が誰なのかわからない俺。服のポケットに入っていたメモを見るとどうも俺は探偵らしい。オヒスファー・ミューラーなる人物が作った1000の階層を持つ巨大建築物、通称「ミューラー館」にミューラーに誘拐された小国の姫君を救出に潜入したのだが、何かの出来事で記憶を失ってしまったようだ。特殊な技術によって透明になった俺はタマーラ姫、それから館のあるじと邂逅すべく巨大な館の捜索を開始する。
巨大な建築物を探し物をしながら彷徨う、というところは「BLAME!」に似ているがその設定だけで実際はかなり異なる。なんせ記憶を失って目覚めた主人公が口にするセリフが「どちらにしよう?のぼるか、くだるか?よし、上だ!」だもの。相当エネルギッシュなやつである。そして空気より軽い物質で作られた(なので上へ上へと常識を超えた大きさを保つことができるのだ)巨大な館もいかがわしい喧騒で満たされている。謎の人物オヒスファー・ミューラーが独裁統治する昼も夜もない館では主人がすなわち法である。そこに住まう人々は全て監視され、会話はミューラー本人に盗聴されている。ミューラーの気まぐれによって不幸を被り、押さえつけられ、暗殺や権謀術数が渦巻き、不満を持った体臭がクーデータを起こしている。相当きな臭い場所である。つまりミューラー館は現実世界の縮図であり、そういった意味ではこの物語はディストピア小説といっても過言ではなかろう。1929年に発表された物語だがあとがきでも触れている通り、ナチのガス室を思わせる設備が書かれている。どうやら作者は未来に対して卓越した先見性を持っていたようだ。喜怒哀楽のはっきりした主人公の性格、ぶっ飛んだ設定もあって喜劇的な趣向も備わった通俗小説だが、一読すれば現代とそして地続きにある未来に対する警鐘がみて取れるだろう。すなわち欺瞞に満ちた公的事業、死体すら金儲けに使う拝金主義、監視され自由を奪われる住みにくく醜くゆがんだもう一つの私たちの世界である。
といっても例えば不朽の名作ジョージ・オーウェルの「1984年」のような閉塞感はなく、フリークスめいた狂人たちが闊歩する奇妙な地獄めぐりのようなロード・ムービー的な面白さ、騎士が美人で不遇の姫を救うという冒険譚の要素をきっちり抑えた通俗小説になっている。いわば甘い糖衣で包まれているわけで非常に読みやすい。会話はちょっと演劇めいているものの、読んで見ると時代性といい意味で無縁な普遍的な物語になっていることがわかる。
天を摩する巨大な建築物という設定、物語を彩る濃いキャラクターの面々で色彩豊かな活人画のような趣だけどその核には強烈な風刺の精神がある、まさに反骨の異色のSF。「BLAME!」好きな人にはあまり親和性がないかもしれないがディストピアものが好きな人は是非どうぞ。
2017年5月15日月曜日
グレッグ・ベア/グレッグ・ベア傑作選 タンジェント
アメリカの作家による日本オリジナルの短編集。
グレッグ・ベアといえば「ブラッド・ミュージック」が有名なのでは。かくいう私も読んだのはその一冊のみ。なぜこの短編集を手に取ったかというと漫画家の弐瓶勉さんがtwitterで自分が好きなSFの短編集をあげており、そのうちの一冊がこの本だったため。
ナノマシンが人体に及ぼす(強烈な)影響を書いた「ブラッド・ミュージック」を読んでいたのでベアというとSF!というイメージでいたのだが、実際にはファンタジーもよく描く人らしい。この短編集には8つの短編が収録されているが、短編によってはなるほどどう考えてもファンタジーだなというものが入っている。科学そのものを描いてその影響を思考実験のように観察、考察して物語を構築するというタイプの作家というよりは、未来的なガジェットというよりは、非現実的な要素を道具(メタファーとよく言われる)のように使って人間の心理状態とそれによって導き出される行動、つまり(規模はあれど)日常や世界を描こうというタイプの作家のようだ。短編「姉妹たち」はSFのアンソロジーで1回読んだことがあったのだが、改めて読むとベアの人類愛に触れることができる。学校を舞台にした青春小説だが、誰もが一度は思春期を過ごすもの。この青さに未だ未完成な人間の気持ちがぎゅっと濃縮されていて胸を締め付けられる。この物語では舞台は未来で遺伝的に設定された子供達が登場人物だが、その科学的な設定の向こう側に普遍的な人類の問題が提示されているわけだ。新奇な設定で人目を引き、それから日常の背後にある問題にハッと気づかせるような、そんな視点がどの物語にも巧妙に仕掛けられている。特にどの物語のも個々人の孤独、というか周囲との断絶が表現されているように思う。これはベアの子供自体が反映されているのかもしれない。その孤独を埋めようとする試みが物語を生んでいる。一度も恋人ができたことのない50歳の女性(これ男性だとちょっと物語の持つ意味が違ってくるというか、相当うまく描かないと違う方向に行ってしまうのだと思う。)が辞書から理想の男性を作り出す「ウェブスター」は現代人の都会の孤独をよく表現している。ラストがなんとも悲しくも美しい。
一方「飛散」はこの本の中で一番SFらしい。謎の異星人の攻撃(?)を受けてバラバラにされた挙句別の宇宙で別の宇宙の人類含む生物と一緒の構造体(いずれかの宇宙の宇宙線などがデタラメにくっついているようだ)に再構成される話だが、これは広大な宇宙と時空で迷子になってしまった人たちが、何千年もかけて自分の宇宙を見つける物語である。喋る熊が出てきたり、ごちゃまぜのカオスが出てきたりとこの話が非常に弐瓶勉さんっぽいし「フニペーロ」(弐瓶勉さんのバイオメガという作品に同名のキャラクターが出てくる)という登場人物が出てくる。
どんな結果が生じようとも試みが肯定的に描かれている(これを描かないと物語が始動しないというのもあると思うけど)ような気がしていてそう意味ではSF的/ファンタジー的であっても優しい物語(群)だと思う。非常に面白かった。弐瓶勉さんが好きな人はきっと気にいるはず。
グレッグ・ベアといえば「ブラッド・ミュージック」が有名なのでは。かくいう私も読んだのはその一冊のみ。なぜこの短編集を手に取ったかというと漫画家の弐瓶勉さんがtwitterで自分が好きなSFの短編集をあげており、そのうちの一冊がこの本だったため。
1993年に出版された本でもうおきまりのコースだが現時点では絶版状態のため古本で購入。好きな短編集でぱっと思いつくのは、ハヤカワ文庫80年代SF傑作選。グレゴリイ・ベンフォード「時空と大河のほとり」。グレッグ・ベア「タンジェント」。辺りでしょうか。— 東亜重工 nivin (@tsutomu_nihei) 2017年4月18日
ナノマシンが人体に及ぼす(強烈な)影響を書いた「ブラッド・ミュージック」を読んでいたのでベアというとSF!というイメージでいたのだが、実際にはファンタジーもよく描く人らしい。この短編集には8つの短編が収録されているが、短編によってはなるほどどう考えてもファンタジーだなというものが入っている。科学そのものを描いてその影響を思考実験のように観察、考察して物語を構築するというタイプの作家というよりは、未来的なガジェットというよりは、非現実的な要素を道具(メタファーとよく言われる)のように使って人間の心理状態とそれによって導き出される行動、つまり(規模はあれど)日常や世界を描こうというタイプの作家のようだ。短編「姉妹たち」はSFのアンソロジーで1回読んだことがあったのだが、改めて読むとベアの人類愛に触れることができる。学校を舞台にした青春小説だが、誰もが一度は思春期を過ごすもの。この青さに未だ未完成な人間の気持ちがぎゅっと濃縮されていて胸を締め付けられる。この物語では舞台は未来で遺伝的に設定された子供達が登場人物だが、その科学的な設定の向こう側に普遍的な人類の問題が提示されているわけだ。新奇な設定で人目を引き、それから日常の背後にある問題にハッと気づかせるような、そんな視点がどの物語にも巧妙に仕掛けられている。特にどの物語のも個々人の孤独、というか周囲との断絶が表現されているように思う。これはベアの子供自体が反映されているのかもしれない。その孤独を埋めようとする試みが物語を生んでいる。一度も恋人ができたことのない50歳の女性(これ男性だとちょっと物語の持つ意味が違ってくるというか、相当うまく描かないと違う方向に行ってしまうのだと思う。)が辞書から理想の男性を作り出す「ウェブスター」は現代人の都会の孤独をよく表現している。ラストがなんとも悲しくも美しい。
一方「飛散」はこの本の中で一番SFらしい。謎の異星人の攻撃(?)を受けてバラバラにされた挙句別の宇宙で別の宇宙の人類含む生物と一緒の構造体(いずれかの宇宙の宇宙線などがデタラメにくっついているようだ)に再構成される話だが、これは広大な宇宙と時空で迷子になってしまった人たちが、何千年もかけて自分の宇宙を見つける物語である。喋る熊が出てきたり、ごちゃまぜのカオスが出てきたりとこの話が非常に弐瓶勉さんっぽいし「フニペーロ」(弐瓶勉さんのバイオメガという作品に同名のキャラクターが出てくる)という登場人物が出てくる。
どんな結果が生じようとも試みが肯定的に描かれている(これを描かないと物語が始動しないというのもあると思うけど)ような気がしていてそう意味ではSF的/ファンタジー的であっても優しい物語(群)だと思う。非常に面白かった。弐瓶勉さんが好きな人はきっと気にいるはず。
2017年5月4日木曜日
ケン・リュウ/ケン・リュウ短編傑作集1 紙の動物園
中国出身アメリカ在住のプログラマー兼弁護士兼作家の短編小説集。
日本オリジナルの短編集で単行本として2015年に発表されるや否や結構な話題を読んだ本。芸人で最近は作家としても活躍する又吉直樹さんが紹介したことで有名になったみたい。(私は又吉さんがNHKでやっているオイコノミアという番組をたまにみる。)Amazonがオススメしてくるので気になっていたけど、最近文庫本になったのでこのタイミングで買った。どうも文庫本を二つに分割しているようだ。
作者ケン・リュウは中国からアメリカへの移民でハーヴァード大学を卒業したのちマイクロソフトに入社、プログラマーとして独立した後弁護士になったりと、知性とそれを活かす行動力を持った人のようだ。今は作家がメインだと思うがアプリを作ったりもしているみたい。
表題作の「紙の動物園」はヒューゴー賞とネビュラ賞、それから世界幻想文学大賞というアメリカの優れた文学作品に送られる賞を三つ獲得したという。これはなんとそれらの賞が始まって以来の快挙だとか。
あとがきによるとこの分冊本に関してはファンタジー寄りの作品を選んで集めているというからなんとも言えないが、この本を読む限りSFらしい”もしも”の世界での至極個人的な出来事を物語にする作風であって、登場人物があえて限られていること。彼らの行動や心中の動きが物語の主題というか原動力になっていることなどが結果作品の間口を広げ読みやすさを生んでいると思う。なるほど日本でも重版になるのが理解できる。その近しい世界でしかし、絵画に例えると遠景に書き込まれている景色が異様なのである。異様というほど異様ではないのだが(これは作者の柔らかいタッチの文体が大きく影響していそうだ)、やはりちょっとSF好きの心をくすぐる設定が垣間見える。日本とアメリカを結ぶトンネルだったり、緻密なプログラミングがAIを思考するとそこに生まれるのは知性なのか?という問題、あるいはもっとわかりやすく宇宙漂流者と原住民のふれあいだったりと。これらの書き方がSF作家にありがちな大仰なもの(これは個人的には好きなんだけど)ではなく、あるものないものにもかかわらず技術の説明は読者がわかる程度であくまでも簡潔に留められている。
自身の出自を生かした中国、もう少し広げてアジア的な観点をたい程度の物語にも入れており、アメリカン人からすると異国情緒というのが感じられるのかもしれない。私からすると日本の描写もあまり違和感がないし、日本以外のアジアの国の描写も新鮮であった。要するにケン・リュウは異なる二つの事柄(文化というのが大きいが、「愛のアルゴリズム」は文系と理系、父性と母性だったり、「心智五行」は文化にプラスして未来人と原人を対比させていたり)を一つの短い物語の中でぶっつけてそこに生じる衝撃や波紋を描いている。しょっぱなに置かれた「紙の動物園」でうお〜となったが、その他の短編は非常によくできているけど、ちょっとよく出来すぎかなと思ってしまった。私はたとえ間違っていても、多少読みにくくても作者の思い入れが詰まっている作品が好きなので、ケン・リュウの巧みだがあまりに綺麗にまとまりすぎている感のある小説群は、もちろん楽しめるし嫌いというのではないけどそこまでかな…と思っていた。ところが最後にくる「文字占い師」では今までの綺麗な作風を維持しつつもかなり苛烈な領域に子供の目を通して踏み込んでいく。しかも史実(そんな昔ではない)がその底にあるという。ケン・リュウの激しい怒りのようなものを垣間見れて非常に面白かった。SFというと私はとにかくアメリカ、欧州の作家の手によるものを読むのがほとんどだ。ケン・リュウは巧すぎて少し物足りないかなと思ったのは、ひょっとしてアメリカ、ヨーロッパにはないアジア的な慎みの文化がその作品にも滲み出ているのかもしれないと思った。
というわけで中盤合わないかと思ったがラストで引き込まれた。分冊ということもあるしもう一冊の方も読んでみようと思う。巧みなSF、ファンタジーが読みたい人は手に取ってみると良いと思う。非常に読みやすい。
日本オリジナルの短編集で単行本として2015年に発表されるや否や結構な話題を読んだ本。芸人で最近は作家としても活躍する又吉直樹さんが紹介したことで有名になったみたい。(私は又吉さんがNHKでやっているオイコノミアという番組をたまにみる。)Amazonがオススメしてくるので気になっていたけど、最近文庫本になったのでこのタイミングで買った。どうも文庫本を二つに分割しているようだ。
作者ケン・リュウは中国からアメリカへの移民でハーヴァード大学を卒業したのちマイクロソフトに入社、プログラマーとして独立した後弁護士になったりと、知性とそれを活かす行動力を持った人のようだ。今は作家がメインだと思うがアプリを作ったりもしているみたい。
表題作の「紙の動物園」はヒューゴー賞とネビュラ賞、それから世界幻想文学大賞というアメリカの優れた文学作品に送られる賞を三つ獲得したという。これはなんとそれらの賞が始まって以来の快挙だとか。
あとがきによるとこの分冊本に関してはファンタジー寄りの作品を選んで集めているというからなんとも言えないが、この本を読む限りSFらしい”もしも”の世界での至極個人的な出来事を物語にする作風であって、登場人物があえて限られていること。彼らの行動や心中の動きが物語の主題というか原動力になっていることなどが結果作品の間口を広げ読みやすさを生んでいると思う。なるほど日本でも重版になるのが理解できる。その近しい世界でしかし、絵画に例えると遠景に書き込まれている景色が異様なのである。異様というほど異様ではないのだが(これは作者の柔らかいタッチの文体が大きく影響していそうだ)、やはりちょっとSF好きの心をくすぐる設定が垣間見える。日本とアメリカを結ぶトンネルだったり、緻密なプログラミングがAIを思考するとそこに生まれるのは知性なのか?という問題、あるいはもっとわかりやすく宇宙漂流者と原住民のふれあいだったりと。これらの書き方がSF作家にありがちな大仰なもの(これは個人的には好きなんだけど)ではなく、あるものないものにもかかわらず技術の説明は読者がわかる程度であくまでも簡潔に留められている。
自身の出自を生かした中国、もう少し広げてアジア的な観点をたい程度の物語にも入れており、アメリカン人からすると異国情緒というのが感じられるのかもしれない。私からすると日本の描写もあまり違和感がないし、日本以外のアジアの国の描写も新鮮であった。要するにケン・リュウは異なる二つの事柄(文化というのが大きいが、「愛のアルゴリズム」は文系と理系、父性と母性だったり、「心智五行」は文化にプラスして未来人と原人を対比させていたり)を一つの短い物語の中でぶっつけてそこに生じる衝撃や波紋を描いている。しょっぱなに置かれた「紙の動物園」でうお〜となったが、その他の短編は非常によくできているけど、ちょっとよく出来すぎかなと思ってしまった。私はたとえ間違っていても、多少読みにくくても作者の思い入れが詰まっている作品が好きなので、ケン・リュウの巧みだがあまりに綺麗にまとまりすぎている感のある小説群は、もちろん楽しめるし嫌いというのではないけどそこまでかな…と思っていた。ところが最後にくる「文字占い師」では今までの綺麗な作風を維持しつつもかなり苛烈な領域に子供の目を通して踏み込んでいく。しかも史実(そんな昔ではない)がその底にあるという。ケン・リュウの激しい怒りのようなものを垣間見れて非常に面白かった。SFというと私はとにかくアメリカ、欧州の作家の手によるものを読むのがほとんどだ。ケン・リュウは巧すぎて少し物足りないかなと思ったのは、ひょっとしてアメリカ、ヨーロッパにはないアジア的な慎みの文化がその作品にも滲み出ているのかもしれないと思った。
というわけで中盤合わないかと思ったがラストで引き込まれた。分冊ということもあるしもう一冊の方も読んでみようと思う。巧みなSF、ファンタジーが読みたい人は手に取ってみると良いと思う。非常に読みやすい。
2016年3月5日土曜日
ロバート・E・ハワード/深紅の城砦 新訂版コナン全集5
ロバート・E・ハワードの手によるヒロイックファンタジー第5弾。
今回は「黒い異邦人」「不死鳥の剣」「深紅の城砦」の3編が収録されている。どれも結構なボリューム。
今回蛮族のコナンは「不死鳥の剣」よりついにハイボリア世界の一国アキロニアの王となっている。まさに英雄王、蛮族の出自ながらその肉体と剣のみで一国の王となったのだ。王権神授説を唾棄すべきものと考えている野蛮人は刃によって王権を簒奪した。ただ根っからの脳筋野郎のコナンは良い年して、がんばってなってみたもののやっぱり王様は退屈だわ…と悩んでいるご様子なのだが。
さて何と言っても白眉は表題作「深紅の城砦」だろう。
王となったコナンは悪名高い黒魔術師の奸計におちいり、王ながら敵国の城砦の囚われ人になってしまう。反逆者たちは王のいぬ間に挙兵し、王都へ彼らを薦める。王都では反逆者と結託した旧王家に連なるものがクーデターを起こす。城砦の地下深く、地獄と繋がる地下牢に捕われたコナン。今までは自分のみ一つの心配をしていれば良かったが、今回では自分の民たちが肥え太った反逆者どもの餌食にされてしまう。ハワードは物語の中盤で主人公の立場を一兵卒から王に転換させる事で物語に新鮮みを追加することに成功している。クライマックスは、抑圧された群衆が反乱軍を虐殺しているその真上城壁の上で、とある力によって王都に舞い戻り反乱者を血祭りに上げたコナン王が哄笑するシーンだろう。彼の笑いは勝利によってもたらされたものではないのだ。それはこの血で作り上げられた世界とその中心に座る自分を含めた権力者たちの虚構、行ってみれば自分を取り巻くこの世界のくだらなさ、変わらない残酷さに笑わざるを得なかったのだ。最早笑うしかない。それでもコナンは世界を世界に対してなにか希求した事は無い。今回も反逆者どもを鏖殺したあと、やはり元の玉座に坐る事になった。
今までは立ちふさがるものはただただ切り伏せて来、そんな力強い姿に読者も歓喜したものだが、この中編ではその世界の裏側をむせ返る様な残虐描写によってハワードは書ききったと言える。これが皆様の読みたかった世界の真実だとばかりに、埃の嵐が巻き立つ荒野に真っ赤な血が吸い込まれていく。こうして書かれるのが30歳にして自らの命を絶ったハワードのペシミスティックさの発露なのだろうか。それともエンタメ以上に人の生死を書ききってやろうという、真面目な精神によるものなのか、なんとも判別がつかなかったのだが、血で書かれた叙事詩に一読者としてただただ圧倒されたものである。
いやあ今回も血湧き肉踊るわ。野蛮な世界である。たまらない。あと3冊、何としても読みたいものだ。
今回は「黒い異邦人」「不死鳥の剣」「深紅の城砦」の3編が収録されている。どれも結構なボリューム。
今回蛮族のコナンは「不死鳥の剣」よりついにハイボリア世界の一国アキロニアの王となっている。まさに英雄王、蛮族の出自ながらその肉体と剣のみで一国の王となったのだ。王権神授説を唾棄すべきものと考えている野蛮人は刃によって王権を簒奪した。ただ根っからの脳筋野郎のコナンは良い年して、がんばってなってみたもののやっぱり王様は退屈だわ…と悩んでいるご様子なのだが。
さて何と言っても白眉は表題作「深紅の城砦」だろう。
王となったコナンは悪名高い黒魔術師の奸計におちいり、王ながら敵国の城砦の囚われ人になってしまう。反逆者たちは王のいぬ間に挙兵し、王都へ彼らを薦める。王都では反逆者と結託した旧王家に連なるものがクーデターを起こす。城砦の地下深く、地獄と繋がる地下牢に捕われたコナン。今までは自分のみ一つの心配をしていれば良かったが、今回では自分の民たちが肥え太った反逆者どもの餌食にされてしまう。ハワードは物語の中盤で主人公の立場を一兵卒から王に転換させる事で物語に新鮮みを追加することに成功している。クライマックスは、抑圧された群衆が反乱軍を虐殺しているその真上城壁の上で、とある力によって王都に舞い戻り反乱者を血祭りに上げたコナン王が哄笑するシーンだろう。彼の笑いは勝利によってもたらされたものではないのだ。それはこの血で作り上げられた世界とその中心に座る自分を含めた権力者たちの虚構、行ってみれば自分を取り巻くこの世界のくだらなさ、変わらない残酷さに笑わざるを得なかったのだ。最早笑うしかない。それでもコナンは世界を世界に対してなにか希求した事は無い。今回も反逆者どもを鏖殺したあと、やはり元の玉座に坐る事になった。
今までは立ちふさがるものはただただ切り伏せて来、そんな力強い姿に読者も歓喜したものだが、この中編ではその世界の裏側をむせ返る様な残虐描写によってハワードは書ききったと言える。これが皆様の読みたかった世界の真実だとばかりに、埃の嵐が巻き立つ荒野に真っ赤な血が吸い込まれていく。こうして書かれるのが30歳にして自らの命を絶ったハワードのペシミスティックさの発露なのだろうか。それともエンタメ以上に人の生死を書ききってやろうという、真面目な精神によるものなのか、なんとも判別がつかなかったのだが、血で書かれた叙事詩に一読者としてただただ圧倒されたものである。
いやあ今回も血湧き肉踊るわ。野蛮な世界である。たまらない。あと3冊、何としても読みたいものだ。
ラベル:
アメリカ,
ファンタジー,
ロバート・E・ハワード,
本
2016年2月20日土曜日
ロバート・E・ハワード/黒河を越えて 新訂版コナン全集4
30歳で夭折した天才作家ロバート・E・ハワードによるヒロイックファンタジー小説全集の第4弾。Amazonで売っているものを順番に買っているので、歯抜けになっていますが…
中編くらいのボリュームがある3編が収録されている。コナンはまだ原野にいてその腕で血路を開いている。男だったらワクワクする様な冒険がいずれにも詰まっている。打ち捨てられた廃都で繰り広げられる全滅戦、100年以上生き続ける魔性の美女、クレータのように隔離されたジャングルの奥にある無人の都とその奥にまつられる秘宝。そんな世界を力強い腕で切り開いていくコナンの活躍が存分に楽しめる。
中でも帯で煽られてもいる最高傑作と名高い表題作「黒河を越えて」が素晴らしい。
解説でも述べられているがこの物語は王道ヒロイックファンタジーからはちょっと異なる。コナンも大活躍するし、怪しげな魔術は出てくるのだが、妖艶な美女は出てこない。スカッとするというよりは重厚な読後感に打ちのめされるようなパワーがある。
蛮族ピクト人に対して進行した文明人たちの砦に関する顛末を描いた作品で、解説を読んでなるほどと思ったのだがこれは開拓史時代のアメリカをそのネタ元にしいている。つまりネイティブを駆逐していく白人の構図になっているわけだ。とはいえ湿っぽく説教的な成分はほぼ皆無で、ピクト人たちはひたすら醜く残虐である。対する白人の先兵たちは誇り高く勇敢だが、無能な支配者たちの傀儡となって絶望的な状況で破滅に向かって行進していく。いわば破滅に向かって歩んで行く両者がまさに生命を賭した全滅戦に赴く様を描いているのであって、全体的に死の予感とそれから逃れられない死が充満し、その血の血おいにむせるほど。故郷を文明の名の下に侵されるピクト人の怒り、文明人の矜持それらが胸を打ち、特に後者は物語の狂言回しになる若者を通してかなり熱く描かれている。ハワードが優れているのはこの物語を文明人の勲にしなかった事である。ラストの国境地帯の男の台詞にも集約されているのだが、うずたかく積み上げられた死体が陰惨な戦場のむなしさを強烈な戦争描写の背後に、つまり言外に描いている。戦場にあるすべての栄光も文明の繁栄も素朴な野蛮人の生活もすべてひっくるめて、強烈な衝突が生む寂寞とした靄の中に落ち込んでいる感じすらある。一言で言うなら無常観であろうか。一見ド派手なヒロイックファンタジーの底にはこのような冷たい流れがあったのだ。それがヒロイックファンタジーのすべての源流となったコナンシリーズを、傑作足らしめているのかもしれない。この「黒河を越えて」はそんな無常観を見事に濃縮した作品だと思う。ハワードの天才の片鱗を間違いなくこの短編にかいま見た。
剣と魔法と美女のファンタジーというと娯楽性に富んでいる分、軽く見られがちな趣があるかもしれない。かくいう私もどうしても単純な構図という先入観があった事を恥ずかしながら認めないわけにはいかないのだけれど、実際に読んでみれば想定外の深みがあるのは楽しい驚きである。気になった人は是非どうぞ。
中編くらいのボリュームがある3編が収録されている。コナンはまだ原野にいてその腕で血路を開いている。男だったらワクワクする様な冒険がいずれにも詰まっている。打ち捨てられた廃都で繰り広げられる全滅戦、100年以上生き続ける魔性の美女、クレータのように隔離されたジャングルの奥にある無人の都とその奥にまつられる秘宝。そんな世界を力強い腕で切り開いていくコナンの活躍が存分に楽しめる。
中でも帯で煽られてもいる最高傑作と名高い表題作「黒河を越えて」が素晴らしい。
解説でも述べられているがこの物語は王道ヒロイックファンタジーからはちょっと異なる。コナンも大活躍するし、怪しげな魔術は出てくるのだが、妖艶な美女は出てこない。スカッとするというよりは重厚な読後感に打ちのめされるようなパワーがある。
蛮族ピクト人に対して進行した文明人たちの砦に関する顛末を描いた作品で、解説を読んでなるほどと思ったのだがこれは開拓史時代のアメリカをそのネタ元にしいている。つまりネイティブを駆逐していく白人の構図になっているわけだ。とはいえ湿っぽく説教的な成分はほぼ皆無で、ピクト人たちはひたすら醜く残虐である。対する白人の先兵たちは誇り高く勇敢だが、無能な支配者たちの傀儡となって絶望的な状況で破滅に向かって行進していく。いわば破滅に向かって歩んで行く両者がまさに生命を賭した全滅戦に赴く様を描いているのであって、全体的に死の予感とそれから逃れられない死が充満し、その血の血おいにむせるほど。故郷を文明の名の下に侵されるピクト人の怒り、文明人の矜持それらが胸を打ち、特に後者は物語の狂言回しになる若者を通してかなり熱く描かれている。ハワードが優れているのはこの物語を文明人の勲にしなかった事である。ラストの国境地帯の男の台詞にも集約されているのだが、うずたかく積み上げられた死体が陰惨な戦場のむなしさを強烈な戦争描写の背後に、つまり言外に描いている。戦場にあるすべての栄光も文明の繁栄も素朴な野蛮人の生活もすべてひっくるめて、強烈な衝突が生む寂寞とした靄の中に落ち込んでいる感じすらある。一言で言うなら無常観であろうか。一見ド派手なヒロイックファンタジーの底にはこのような冷たい流れがあったのだ。それがヒロイックファンタジーのすべての源流となったコナンシリーズを、傑作足らしめているのかもしれない。この「黒河を越えて」はそんな無常観を見事に濃縮した作品だと思う。ハワードの天才の片鱗を間違いなくこの短編にかいま見た。
剣と魔法と美女のファンタジーというと娯楽性に富んでいる分、軽く見られがちな趣があるかもしれない。かくいう私もどうしても単純な構図という先入観があった事を恥ずかしながら認めないわけにはいかないのだけれど、実際に読んでみれば想定外の深みがあるのは楽しい驚きである。気になった人は是非どうぞ。
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ロバート・E・ハワード,
本
2016年1月31日日曜日
ロバート・E・ハワード/魔女誕生 新訂版コナン全集2
アメリカの作家によるファンタジー小説。
さてコナンです。ロバート・E・ハワードはかのラブクラフトのお弟子さん(正確には違うのかもしれないですが)というイメージもあって「黒の碑」やクトゥルーもののアンソロジーでその物語に触れてその魅力を楽しんだもの。そしてハワードというとやはりこのコナンものが著名で「剣と魔法」のヒロイック・ファンタジーというのはこの一連のコナンシリーズから始まったという事になっているから文学的な歴史から見ても極めて重要な作品である事は明白。(この英雄王コナンから名前を借りたドゥームメタルバンドもありますね。)アーノルド・シュワルツネッガー主演で映像化された映画も有名。かくいう私も小学生の頃午後のロードショーで見たもの。ちょっと刺激的なシーンもあってドキドキした思い出が。
興味はあるのだけど「剣と魔法」ファンタジーには全く知見が無くて、よもうよもうと思って後回しにしていたんですが、このたびようやっと重い腰を上げて購入。ちなみに何故2巻からかというとすでに1巻が売り切れていたからなのでした…
全部で5編収録されていおり、後に(きっと)英雄王となるはずのコナンも物語によって傭兵だったりならず者集団の長だったりとまだまだ第一線でしのぎを削る一兵士といった趣。黒く切りそろえた総髪に燃える様な青い瞳、盛り上がった筋肉は鋼鉄のよう、手足は長くしなやか、学は無いものの野生の勘は異常に鋭く弁は立ち戦場では指揮官顔負けの采配、大食漢で酒を浴びるように飲む。目上のものに対しても物怖じする事無く、自分の命の窮地でも一切ひるまない男。というまさに男の中の男。これでもかという魅力にあふれた男の一つの理想像なのかも。
ともするとこんなヤツはいないよ、と冷めてしまう様な造形だがこのコナンという男、豪放磊落という事がぴったりで不思議と好感を持てるから不思議で、なんといってもここがしっかりしているから物語が面白い。例えばコナンは英雄の多分に漏れず好色。物語には必ずと言っていいほど美女が登場するのだが、コナンは彼女たちに魅力を感じつつも決して力ずくで意のままにする様なことはない。意外に紳士。じゃあ良いやつかというと決してそうでもない。自分の命を救ってくれた恩人であるならず者集団の長をあっさりと排斥してしまったりする(ただし殺しはしない)苛烈さを持っている。要するに乱世の時代の寵児の様なもので生命力というものがもの凄い。清濁織り交ぜたその躍動する生命に、現代人の私たちが強烈に当てられてしまう。思うにタダの善人ならきっとそこまで好意はいただけないだろうと思う。
そんな男が長剣でもって悪漢ども、罪人どもに加えて、魑魅魍魎どももばっさばっさきっていく。は虫類めいたフリークス、そして鋼鉄の体を持つ異なる次元からおりて来た邪神までもその腕で立ち向かっていく。文字通りの死体の山と血の川を築いていく。コナンに負けず劣らず生命力に満ちあふれた野蛮な世界、主人公を凌駕するくらい魅力的なのがこのハワードの書く架空のハイボリア世界だろう。冒頭の地図を見ただけでワクワクしてくる。地図のほとんどのが未知の未開の世界で、謎があり、その背後には口にするのも恐ろしい名状しがたいものがうずくまっている。ここはラブクラフトも感嘆するのも頷ける闇の領域である。
荒野に剣戟がこだまし、うめき声と血がほとばしる熱い小説。あっという間に読んだ。とりあえず現状買える分は読むつもり。
さてコナンです。ロバート・E・ハワードはかのラブクラフトのお弟子さん(正確には違うのかもしれないですが)というイメージもあって「黒の碑」やクトゥルーもののアンソロジーでその物語に触れてその魅力を楽しんだもの。そしてハワードというとやはりこのコナンものが著名で「剣と魔法」のヒロイック・ファンタジーというのはこの一連のコナンシリーズから始まったという事になっているから文学的な歴史から見ても極めて重要な作品である事は明白。(この英雄王コナンから名前を借りたドゥームメタルバンドもありますね。)アーノルド・シュワルツネッガー主演で映像化された映画も有名。かくいう私も小学生の頃午後のロードショーで見たもの。ちょっと刺激的なシーンもあってドキドキした思い出が。
興味はあるのだけど「剣と魔法」ファンタジーには全く知見が無くて、よもうよもうと思って後回しにしていたんですが、このたびようやっと重い腰を上げて購入。ちなみに何故2巻からかというとすでに1巻が売り切れていたからなのでした…
全部で5編収録されていおり、後に(きっと)英雄王となるはずのコナンも物語によって傭兵だったりならず者集団の長だったりとまだまだ第一線でしのぎを削る一兵士といった趣。黒く切りそろえた総髪に燃える様な青い瞳、盛り上がった筋肉は鋼鉄のよう、手足は長くしなやか、学は無いものの野生の勘は異常に鋭く弁は立ち戦場では指揮官顔負けの采配、大食漢で酒を浴びるように飲む。目上のものに対しても物怖じする事無く、自分の命の窮地でも一切ひるまない男。というまさに男の中の男。これでもかという魅力にあふれた男の一つの理想像なのかも。
ともするとこんなヤツはいないよ、と冷めてしまう様な造形だがこのコナンという男、豪放磊落という事がぴったりで不思議と好感を持てるから不思議で、なんといってもここがしっかりしているから物語が面白い。例えばコナンは英雄の多分に漏れず好色。物語には必ずと言っていいほど美女が登場するのだが、コナンは彼女たちに魅力を感じつつも決して力ずくで意のままにする様なことはない。意外に紳士。じゃあ良いやつかというと決してそうでもない。自分の命を救ってくれた恩人であるならず者集団の長をあっさりと排斥してしまったりする(ただし殺しはしない)苛烈さを持っている。要するに乱世の時代の寵児の様なもので生命力というものがもの凄い。清濁織り交ぜたその躍動する生命に、現代人の私たちが強烈に当てられてしまう。思うにタダの善人ならきっとそこまで好意はいただけないだろうと思う。
そんな男が長剣でもって悪漢ども、罪人どもに加えて、魑魅魍魎どももばっさばっさきっていく。は虫類めいたフリークス、そして鋼鉄の体を持つ異なる次元からおりて来た邪神までもその腕で立ち向かっていく。文字通りの死体の山と血の川を築いていく。コナンに負けず劣らず生命力に満ちあふれた野蛮な世界、主人公を凌駕するくらい魅力的なのがこのハワードの書く架空のハイボリア世界だろう。冒頭の地図を見ただけでワクワクしてくる。地図のほとんどのが未知の未開の世界で、謎があり、その背後には口にするのも恐ろしい名状しがたいものがうずくまっている。ここはラブクラフトも感嘆するのも頷ける闇の領域である。
荒野に剣戟がこだまし、うめき声と血がほとばしる熱い小説。あっという間に読んだ。とりあえず現状買える分は読むつもり。
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ホラー,
ロバート・E・ハワード,
本
2015年12月23日水曜日
アーシュラ・K・ル・グィン/風の十二方位
アメリカの女性作家による短編集。
ル・グィンといえば何と言っても「ゲド戦記」が有名かと思う。ジブリの手でもってアニメ映画化もされたし。私は中学生のとき長期休暇の課題図書になって読んだものです。その後大人になって第2作「こわれた腕輪」を読んだけどこれも面白かった。ゲド戦記シリーズは真の名前が絶対的な力を持つ世界「アースシー」を舞台にした硬派なファンタジーだけど、作者のル・グィンはSF作家でもあり、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞も受賞している実力者。私は有名な「闇の左手」を読んだ。これは両性具有の人たちの星で男性の大使が運命に翻弄されるという、硬派なSFであった。
といっても三冊しか読んでないからこの「風の十二方位」というタイトルがかっこ良い短編集を手に取った訳だ。ちなみにこのタイトルはA・E・ハウスマンという人の詩からとったもので、原典の抜粋が冒頭に書かれている。やはりとてもかっこいいぜ。作者自身がまえがきで書いているのだが、作家デビューしてからの10年で発表した短編をほぼ時系列順に並べたのがこの短編集。
収録されている物語はSF/ファンタジーにはっきりよっているものもある。例えば時空を超える魔法もでてくれば、科学が生み出した先進的なクローン人間たちも出てくるし、舞台は未来、現代、中世(風)と様々。ただ結構両者が混ざり合っているものが多い印象でそこら辺がおもしろい。一見登場人物の語り口を見ると魔法っぽいのだが、栄華を極めた未来文明が崩壊後の残留物では?と思わせたり。
思うに作者には書きたいテーマがあって(これを読み手が、というか私が完全に理解できているか怪しいのが悲しいところだ)、それを書くために舞台装置となる未来的な技術だったり、魔法だったりをかき分けているように思えた。(ただ作者も書いているけど思索的であることを良い事だと考えているから科学技術に対する愛情の様なものがあるなとも感じた。)
概ね思索的で「闇の左手」を思わせる様な灰色い荒涼としたイメージの小説群が多い。人間の感情を書いているが、答えの無い暗黒に沈み込む様な内省的なベールを帯びていて、暗いといえば暗いのだが、表紙になっている(良い表紙だよね、調べたら前は違ったものだったようだ)「セリムの首飾り」「地底の星」のように暗闇で豊かに輝く色彩があってそれが目を引く。ただ輝きが降伏を象徴している訳ではないからどれもただ楽しいという小説は無い。
例えば「オメラスから歩み去る人々」はテーマははっきりしているけど、そこから読んだ人が何を読み取るのかというのは結構面白いのではと思った。因果関係を求めがちな人間の思考形態の一種病的な発露とも見れるなと思った。どれも読んで面白かったというよりは、その後からこっちで考える時間が始まる様な感じで、そういった意味では突き放した感もあれば、ヘヴィな小説群であった。ただ基本的に拡張、変容しているものの普遍的な感情を出発点に(もしくは中心に)書かれているから読みにくいという感じは全くなかった。
ル・グィンはフェミニズムの作家と言われる事も多いらしいけど、無知な私はそこら辺をあまり意識せずに読み物として楽しめた。奥付を見ると初版が1980年で私が持っているのは第16版だったから本邦でも長く人を引き続けている短編集なのだと思う。興味がある人はぜひどうぞ。私は作者の別の本も読んでみるつもり。
ル・グィンといえば何と言っても「ゲド戦記」が有名かと思う。ジブリの手でもってアニメ映画化もされたし。私は中学生のとき長期休暇の課題図書になって読んだものです。その後大人になって第2作「こわれた腕輪」を読んだけどこれも面白かった。ゲド戦記シリーズは真の名前が絶対的な力を持つ世界「アースシー」を舞台にした硬派なファンタジーだけど、作者のル・グィンはSF作家でもあり、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞も受賞している実力者。私は有名な「闇の左手」を読んだ。これは両性具有の人たちの星で男性の大使が運命に翻弄されるという、硬派なSFであった。
といっても三冊しか読んでないからこの「風の十二方位」というタイトルがかっこ良い短編集を手に取った訳だ。ちなみにこのタイトルはA・E・ハウスマンという人の詩からとったもので、原典の抜粋が冒頭に書かれている。やはりとてもかっこいいぜ。作者自身がまえがきで書いているのだが、作家デビューしてからの10年で発表した短編をほぼ時系列順に並べたのがこの短編集。
収録されている物語はSF/ファンタジーにはっきりよっているものもある。例えば時空を超える魔法もでてくれば、科学が生み出した先進的なクローン人間たちも出てくるし、舞台は未来、現代、中世(風)と様々。ただ結構両者が混ざり合っているものが多い印象でそこら辺がおもしろい。一見登場人物の語り口を見ると魔法っぽいのだが、栄華を極めた未来文明が崩壊後の残留物では?と思わせたり。
思うに作者には書きたいテーマがあって(これを読み手が、というか私が完全に理解できているか怪しいのが悲しいところだ)、それを書くために舞台装置となる未来的な技術だったり、魔法だったりをかき分けているように思えた。(ただ作者も書いているけど思索的であることを良い事だと考えているから科学技術に対する愛情の様なものがあるなとも感じた。)
概ね思索的で「闇の左手」を思わせる様な灰色い荒涼としたイメージの小説群が多い。人間の感情を書いているが、答えの無い暗黒に沈み込む様な内省的なベールを帯びていて、暗いといえば暗いのだが、表紙になっている(良い表紙だよね、調べたら前は違ったものだったようだ)「セリムの首飾り」「地底の星」のように暗闇で豊かに輝く色彩があってそれが目を引く。ただ輝きが降伏を象徴している訳ではないからどれもただ楽しいという小説は無い。
例えば「オメラスから歩み去る人々」はテーマははっきりしているけど、そこから読んだ人が何を読み取るのかというのは結構面白いのではと思った。因果関係を求めがちな人間の思考形態の一種病的な発露とも見れるなと思った。どれも読んで面白かったというよりは、その後からこっちで考える時間が始まる様な感じで、そういった意味では突き放した感もあれば、ヘヴィな小説群であった。ただ基本的に拡張、変容しているものの普遍的な感情を出発点に(もしくは中心に)書かれているから読みにくいという感じは全くなかった。
ル・グィンはフェミニズムの作家と言われる事も多いらしいけど、無知な私はそこら辺をあまり意識せずに読み物として楽しめた。奥付を見ると初版が1980年で私が持っているのは第16版だったから本邦でも長く人を引き続けている短編集なのだと思う。興味がある人はぜひどうぞ。私は作者の別の本も読んでみるつもり。
2015年9月22日火曜日
山尾悠子/増補 夢の遠近法 初期作品集
日本の幻想文学作家による初期作の短編集。
作者は作家生活の中で一回筆を折った事があり、かつては幻の作家と呼ばれた事もあるとか。最近では執筆活動を再開したり、こうやって過去作が再販されたりと現実世界に戻って来たとの事。このジャンルでは有名な人で私はちくま文庫から出た「ラピスラズリ」のみ読んだ事がある。冬ごもりするという奇妙な物語でたしか不思議な絵画に入り込む様なそんな感じだった。それぎりになっていたがこの間読んだ「皆勤の徒」の後書きにも影響を受けた作品・作家の一人としてあげられていたため、よしもう一冊となった次第である。
昭和51年(作者は当時まだ大学生だったそうだ)から昭和63年までに発表された13作品を含む。元は国書刊行会から2000年に発売された「山尾悠子作品集成」からいくつか作品をピックアップしたものが2010年に同社から発売され、さらにそれに作家本人の手による作品解説を追加して、筑摩書房から発売されたのがこの本。よくわからんが版元や形を変えて発売されているという事はそれだけ読みたい人が多いのだろう。
幻想文学というのは幅広いジャンルで(本当のファンには怒られるかもしれないけど)例えば本格ミステリーだったり、ハードな近未来SFみたいな緻密で正確な説明描写は必ずしも必要でないから、とにかくなんでもあり!のような思い込みがあって、この本でも幻想であるという共通点を持って様々な空間時間に広がった物語が集まっている。現代に発生した怪談めいた話もあるし(落ちの付け方が女性的で大変良かった)、異形の宇宙を扱ったSF要素のある作品もあれば(初期の三作品は「SFマガジン」に掲載された)、フリークス出てくる”どこか”を扱ったthe幻想な物語もある。
帯にこう書いてある「世界は言葉で出来ていると」。これは作中の文の抜粋なのだが、この作者というのは言葉に異常なこだわりを持っていて、リズムは勿論、とにかく文体がもの凄い。さらっと読める現代小説風のものもあれば、修辞と読めないくらいの漢字に装飾された荘厳なもの。語り口をとっても日常を語る柔らかいものから、歴史書を読んでいる様な錯覚を覚える固いものまで。何かというと恐らくこれが幻想を生み出す魔法の様な技術(のひとつ)なのだろう。よく考えてほしいのだが、異常な世界は中々普通の言葉や文体で語りにくい。私はメタル音楽が大好きなのだが(何でもメタルで例える私!)、剣と魔法で邪悪な竜に立ち向かう話(あんまり聴かないけど)、薄暗い地下室にぶちまけられた臓物の生々しさ、誰もいなくなった廃墟等々異常な情景をテーマにしている事が多いのだが、そんな状況を説明するのにはやはり荒々しくもおどろおどろしい音楽(時には衣装なども含めて)が必要なのだ。そう考えるとこの文体の持つ現実的な力に気づくはずだ。つまり幻想文学を角煮は相当の技量が必要になるのかもしれない。さっきは何でもありと書いたがきっと書き手を選ぶのだろう。
自作解説での作者が引用しているのをさらに引用するとかの澁澤龍彦さんは「幻想文学ははっきりとした文・表現で細部まで緻密に書け!」というようなことをおっしゃっていたようでなるほどなと思った。幻想というと夢の様な、模糊としたと思うのだが、この本で書かれている一流の幻想譚はすべて明確な分でそれこそ細部まで書き込まれている。土台がしっかりしていなければ架空の不思議は存在できないのだと考えると面白い。
全体的に付きがモチーフになる事が多い、まさに夜の文学であると思う。冷たく青い光に照らされている荒涼と世界に入り込む様な楽しみがある。
幻想文学が好きな人は是非どうぞ。
作者は作家生活の中で一回筆を折った事があり、かつては幻の作家と呼ばれた事もあるとか。最近では執筆活動を再開したり、こうやって過去作が再販されたりと現実世界に戻って来たとの事。このジャンルでは有名な人で私はちくま文庫から出た「ラピスラズリ」のみ読んだ事がある。冬ごもりするという奇妙な物語でたしか不思議な絵画に入り込む様なそんな感じだった。それぎりになっていたがこの間読んだ「皆勤の徒」の後書きにも影響を受けた作品・作家の一人としてあげられていたため、よしもう一冊となった次第である。
昭和51年(作者は当時まだ大学生だったそうだ)から昭和63年までに発表された13作品を含む。元は国書刊行会から2000年に発売された「山尾悠子作品集成」からいくつか作品をピックアップしたものが2010年に同社から発売され、さらにそれに作家本人の手による作品解説を追加して、筑摩書房から発売されたのがこの本。よくわからんが版元や形を変えて発売されているという事はそれだけ読みたい人が多いのだろう。
幻想文学というのは幅広いジャンルで(本当のファンには怒られるかもしれないけど)例えば本格ミステリーだったり、ハードな近未来SFみたいな緻密で正確な説明描写は必ずしも必要でないから、とにかくなんでもあり!のような思い込みがあって、この本でも幻想であるという共通点を持って様々な空間時間に広がった物語が集まっている。現代に発生した怪談めいた話もあるし(落ちの付け方が女性的で大変良かった)、異形の宇宙を扱ったSF要素のある作品もあれば(初期の三作品は「SFマガジン」に掲載された)、フリークス出てくる”どこか”を扱ったthe幻想な物語もある。
帯にこう書いてある「世界は言葉で出来ていると」。これは作中の文の抜粋なのだが、この作者というのは言葉に異常なこだわりを持っていて、リズムは勿論、とにかく文体がもの凄い。さらっと読める現代小説風のものもあれば、修辞と読めないくらいの漢字に装飾された荘厳なもの。語り口をとっても日常を語る柔らかいものから、歴史書を読んでいる様な錯覚を覚える固いものまで。何かというと恐らくこれが幻想を生み出す魔法の様な技術(のひとつ)なのだろう。よく考えてほしいのだが、異常な世界は中々普通の言葉や文体で語りにくい。私はメタル音楽が大好きなのだが(何でもメタルで例える私!)、剣と魔法で邪悪な竜に立ち向かう話(あんまり聴かないけど)、薄暗い地下室にぶちまけられた臓物の生々しさ、誰もいなくなった廃墟等々異常な情景をテーマにしている事が多いのだが、そんな状況を説明するのにはやはり荒々しくもおどろおどろしい音楽(時には衣装なども含めて)が必要なのだ。そう考えるとこの文体の持つ現実的な力に気づくはずだ。つまり幻想文学を角煮は相当の技量が必要になるのかもしれない。さっきは何でもありと書いたがきっと書き手を選ぶのだろう。
自作解説での作者が引用しているのをさらに引用するとかの澁澤龍彦さんは「幻想文学ははっきりとした文・表現で細部まで緻密に書け!」というようなことをおっしゃっていたようでなるほどなと思った。幻想というと夢の様な、模糊としたと思うのだが、この本で書かれている一流の幻想譚はすべて明確な分でそれこそ細部まで書き込まれている。土台がしっかりしていなければ架空の不思議は存在できないのだと考えると面白い。
全体的に付きがモチーフになる事が多い、まさに夜の文学であると思う。冷たく青い光に照らされている荒涼と世界に入り込む様な楽しみがある。
幻想文学が好きな人は是非どうぞ。
2015年5月30日土曜日
ロジャー・ゼラズニイ/伝道の書に捧げる薔薇
アメリカのSF/ファンタジー作家の短編集。
ゼラズニイはアンソロジーで短編をいくつか読んだ事があるのだが、ちゃんと買って読むのはこの本が初めて。早川書房設立70周年ということで3月くらいから展開しているハヤカワ文庫補完計画という絶版本の復刊フェアの一環でこのたび再び日の目を見る事になったそうな。
作者ロジャー・ゼラズニイ1937年に生を受け、1962年にデビュー。60年代後半のアメリカン・ニュー・ウェーブの旗手として活躍したそうな。神話に影響を受けたファンタジー色の強い作風でヒューゴー賞やネビュラ賞など数多の受賞歴もあり。
この本は15個の短編が収められているのだが、中盤にかけては80Pくらいの比較的長めの短編中心で、後半は20P程度の短めのお話しが配置されている。
さてSFというと数式と鋼鉄が支配した難解で荒涼としたハードな世界と言うイメージがあって、実際にそういう作風のいわゆるハードSFと呼ばれるジャンルもあるのだが、だからといってそれだけではなく(あたりまえなんだけど)とても色彩豊かだったり柔らかかったり、感情豊かだったり、そういった物語も沢山ある。例えばレイ・ブラッドベリなんかは(語れるほど読んでないのですが)「火星年代記」が特に有名だけどSF的なガジェットを用いつつ、一般人も気軽に読めて、文学的な面白さに満ちた、さらにいえばどこかしら華々しい進歩の影にある寂しさを書いたりしている。ゼラズニイを読んでみるとどこかしらブラッドベリに通じる趣があるな、と。文章が柔らかく詩的である事(ただし平板な言葉で書いてある。)、それからファンタジックな指向性があること、目を奪う未来的なガジェットを使いつつ、人間の心情や行動に焦点をあてていること、そしてどことなく悲哀を満ちた雰囲気があること。
割と経験豊富な中年男が主人公の作品が多いのでさすがに青臭さというのは皆無なんだが、捻くれて皮肉に満ちた一癖ある男たちの目や手を通して過酷な世界が描かれる。
特異な状況を作る事がSFだとすると、ゼラズニイは普遍的な真理を強調する箱庭そのもの、そして底に至る手段としてそれを用いている印象がある。
例えば「このあらしの瞬間」という中編はとある惑星が超巨大な台風に襲われる話。たしかに眼と呼ばれる空を飛び回る観察機械(ドローン)や獰猛なパンダ犬など奇妙な土着の生物などSF/ファンタジー色はあるものの、がんばれば現代の実際の年で再現できそうな話だと思う。ただこの物語の主眼は惑星間旅行にはもの凄く時間がかかるという設定があって、主人公は複数回の旅行を経た本当の意味で故郷がない(宇宙船で移動している間故郷の親類や知人たちはとっくに死んでいる)男なのだ。宇宙空間での絶対の孤独というのをあえて人間臭い箱庭世界で再現するゼラズニイというのは中々どうして容赦がないし、そしてそれ故に主人公の抱える孤独がいっそう力を持つのである。
ほかにも死滅した世界で誰もいない町に一瞬だけでも明かりをともそうとする男を書いた「ルシファー」や、企業によって人体を改造された普通の環境では生きられない男が恋人ともに自分と同じ境遇の仲間たちが暮らせる惑星を作ろうとする顛末を書いた「十二月の鍵」など、宇宙の絶対零度の冷たさと底の無さ、圧倒的な空虚さに挑む人間のちっぽけな熱意を描いているように思える。それはひたすら圧倒的な科学技術をもってしても感情や物質的な物事にとらわれてしまうちっぽけさをペシミスティックといっていい視点で書いている暗い物語と言っても良いはず。ただその極限のような虚無の中に、一瞬で消える人間の儚い努力が閃光のようにぱっと火花を散らす瞬間を、ゼラズニイは彼特有の透徹な筆致で描き出すのである。それが胸にささる。か弱いからといってそれが悪いのだろうか。そして弱くたって美しさが無い訳ではないのだ。
ビターで感傷的なSFが好きな人は迷わず買って間違い無しの一冊。
ゼラズニイはアンソロジーで短編をいくつか読んだ事があるのだが、ちゃんと買って読むのはこの本が初めて。早川書房設立70周年ということで3月くらいから展開しているハヤカワ文庫補完計画という絶版本の復刊フェアの一環でこのたび再び日の目を見る事になったそうな。
作者ロジャー・ゼラズニイ1937年に生を受け、1962年にデビュー。60年代後半のアメリカン・ニュー・ウェーブの旗手として活躍したそうな。神話に影響を受けたファンタジー色の強い作風でヒューゴー賞やネビュラ賞など数多の受賞歴もあり。
この本は15個の短編が収められているのだが、中盤にかけては80Pくらいの比較的長めの短編中心で、後半は20P程度の短めのお話しが配置されている。
さてSFというと数式と鋼鉄が支配した難解で荒涼としたハードな世界と言うイメージがあって、実際にそういう作風のいわゆるハードSFと呼ばれるジャンルもあるのだが、だからといってそれだけではなく(あたりまえなんだけど)とても色彩豊かだったり柔らかかったり、感情豊かだったり、そういった物語も沢山ある。例えばレイ・ブラッドベリなんかは(語れるほど読んでないのですが)「火星年代記」が特に有名だけどSF的なガジェットを用いつつ、一般人も気軽に読めて、文学的な面白さに満ちた、さらにいえばどこかしら華々しい進歩の影にある寂しさを書いたりしている。ゼラズニイを読んでみるとどこかしらブラッドベリに通じる趣があるな、と。文章が柔らかく詩的である事(ただし平板な言葉で書いてある。)、それからファンタジックな指向性があること、目を奪う未来的なガジェットを使いつつ、人間の心情や行動に焦点をあてていること、そしてどことなく悲哀を満ちた雰囲気があること。
割と経験豊富な中年男が主人公の作品が多いのでさすがに青臭さというのは皆無なんだが、捻くれて皮肉に満ちた一癖ある男たちの目や手を通して過酷な世界が描かれる。
特異な状況を作る事がSFだとすると、ゼラズニイは普遍的な真理を強調する箱庭そのもの、そして底に至る手段としてそれを用いている印象がある。
例えば「このあらしの瞬間」という中編はとある惑星が超巨大な台風に襲われる話。たしかに眼と呼ばれる空を飛び回る観察機械(ドローン)や獰猛なパンダ犬など奇妙な土着の生物などSF/ファンタジー色はあるものの、がんばれば現代の実際の年で再現できそうな話だと思う。ただこの物語の主眼は惑星間旅行にはもの凄く時間がかかるという設定があって、主人公は複数回の旅行を経た本当の意味で故郷がない(宇宙船で移動している間故郷の親類や知人たちはとっくに死んでいる)男なのだ。宇宙空間での絶対の孤独というのをあえて人間臭い箱庭世界で再現するゼラズニイというのは中々どうして容赦がないし、そしてそれ故に主人公の抱える孤独がいっそう力を持つのである。
ほかにも死滅した世界で誰もいない町に一瞬だけでも明かりをともそうとする男を書いた「ルシファー」や、企業によって人体を改造された普通の環境では生きられない男が恋人ともに自分と同じ境遇の仲間たちが暮らせる惑星を作ろうとする顛末を書いた「十二月の鍵」など、宇宙の絶対零度の冷たさと底の無さ、圧倒的な空虚さに挑む人間のちっぽけな熱意を描いているように思える。それはひたすら圧倒的な科学技術をもってしても感情や物質的な物事にとらわれてしまうちっぽけさをペシミスティックといっていい視点で書いている暗い物語と言っても良いはず。ただその極限のような虚無の中に、一瞬で消える人間の儚い努力が閃光のようにぱっと火花を散らす瞬間を、ゼラズニイは彼特有の透徹な筆致で描き出すのである。それが胸にささる。か弱いからといってそれが悪いのだろうか。そして弱くたって美しさが無い訳ではないのだ。
ビターで感傷的なSFが好きな人は迷わず買って間違い無しの一冊。
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ファンタジー,
ロジャー・ゼラズニイ,
本
2015年5月17日日曜日
ブルース・スターリング/塵クジラの海
アメリカの作家によるファンタジー/SF小説。
1977年に発表されて2004年に日本で翻訳の上発売された。
サイバーパンク小説が好きだ。まあ本当に何冊か読んだだけでスゲーと思っている様なにわかファンなのだが。このジャンルで一番有名なのはやはりウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」だろうか。合わせてこのジャンルの大立物がギブスンの盟友でもあるブルース・スターリングと彼の手による「スキズマトリックス」そして「蝉の女王」ではなかろうか。とにかく目に触れる機会の多いタイトルである。しかしこまったことに前述の2作は本邦では既に絶版されて久しい。というかスターリングの作品で手に取る事が出来るのがギブスンとの合作「ディファレンス・エンジン」、そして単独で書かれた本書のみなのだ。両方読んだ事が無かったが迷った末にまずはとばかりにこちらを選択した訳だ。
水無星。そこは文字通り水が無い世界。惑星に開いた巨大なクレーターの底部にのみ大気が存在し、入植した人類はクレーターの底に張り付くように暮らしている。クレーター自体は塵に覆われ素手で北海の様な様相を呈し、独自の生態系が形成されている。ジョン・ニューハウスは水無星で暮らすジャンキー。塵の海に棲む塵クジラの内蔵からとれる麻薬・フレアの愛好者だ。しかしこのフレアが政府によって法的に規制された。中毒者のニューハウスは自前で内蔵を確保すべく、捕鯨船にコックとして乗り込む。そこには変わり者の船長、そして翼を持って宙を舞う人体改造者ダルーサがいた。ニューハウスの冒険が始まる。
この本に版元はハヤカワ書房だが、SFではなくファンタジーを意味するFTが採番されている。1ページ目にはあの印象的な星のロゴではなく、中世風のドラゴンのロゴが印刷されている。訳者小川隆さんによる後書きによると正確にはサイエンス・ファンタシイというジャンルのようだ。引用すると「(略)想像力を自由に駆使しながら、ちょっとだけ科学の味付けをして作品世界のリアリティが補完されている、というのが特徴だ。」ということ。なるほど分かりやすい。いわゆるハードなSFとは一線を画すという訳だが、個人的には全然OK!ファンタジーでもあるのだが、ドラッグに耽溺するハードボイルドな主人公が異界に飛び込んでミステリアスな美女と切ない恋があったりというのも結構サイバーパンク的だなと思った。
かっとした紫色の太陽が大地を焼き付くし、青すぎる空の下でクレーターの壁に囲まれた砂の海をマストを這った捕鯨船が風のままに疾駆する、という世界観想像しただけでわくわくしてきませんか?
主人公を始め寡黙な男たちばかりでてくるのだろうが、熱さとこの惑星の孤立した環境(入植者の母胎がとある宗教団体であったようでかなり閉鎖的な印象がある。)でそこに棲む人間たちが次第にねじれて狂気をはらんでいる様な緊張感がある。旅が進むにつれて謎の船長デスペランドゥムの狂気が船を支配していく。ジャンキーが気張って健康的且つ開放的な海の旅に出たらむしろ牢獄でした、のようなどん詰まり感があり、砂の海に沈み込んでいく様な逃げ場無しの結末に主人公が引き込まれていく。
しかしこの本はかの有名な「白鯨」を下敷きにしているというし、いよいよ読まなくてはならないかもしれないな。
作者に因る前書きによるとこの本がよめるのは日本でだけのようだ。やはり若い頃かいた青い小説という事で作者が出したがらなかったという事情もあるみたい。サイバーパンクでないにしろ面白さは折り紙付き。SFファンやあらすじの世界観にぐっと来る人は是非どうぞ。
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本
2015年1月17日土曜日
チャイナ・ミエヴィル/ペルディード・ストリート・ステーション
イギリスの作家によるSF/ファンタジー小説。
2000年に発表された。
がっしりとした体躯にピアス、さらにスキンヘッド。不敵な顔で写る写真は作家というよりはパンクロッカーの様なミエヴィルの出世作。この本で彼はアーサー・C・クラーク賞と英国幻想文学賞というSFと幻想文学の賞を同時に獲得し、その名を巷間に知らしめた。
私は短編集「ジェイクをさがして」を弐瓶勉さん風の表紙に惹かれてジャケ買い、それから「都市と都市」、「クラーケン」と楽しく読み、いよいよこの本を手に取った訳だ。
異世界バス=ラグの都市国家ニュー・クロブゾン。蒸気機関が発達した猥雑な町はフリークスと危険に満ちあふれている。そんな町で大学を追われた異端の人間の科学者アイザックは自身の「統一場理論」を追求する毎日を恋人の虫人リンとマイペースに暮らしていた。ある日珍しい鳥人ガルーダ種族のヤガレクがアイザックを訪れ、金塊を差し出しとある依頼をした。罪を犯して失った翼を科学の力で復活させてほしいと。魅力的な報酬もあり引き受ける事に鳴ったアイザック。この依頼が彼とヤガレク、そしてその周囲の人々、さらにはニュー・クロブゾン全体の運命に激震を与える事になるとは気づかずに…
「クラーケン」にはかなり独特の体系を持った魔術が登場するし、ミエヴィルはフィクションを書くのにSFでもファンタジーでもあたかも作品を構成する上でのアイテムとしてとても器用にかつ重厚に描く。
この作品でも電気の代わりに蒸気が発達したスチームパンクの世界に、まるで違和感なく魔法の概念を取り込んでユニークな世界を描いている。「都市と都市」なんかは特にそうだが、ミエヴィルは都市国家(街と言っても良いかも)、つまりかなりデカい生物(本作には人間以外の生物が出てくるので)の生活と意識の集合体(つまり生きた文化?)を書くのを心情としているのかもしれない。ただあくまでもその街に棲む住人の視点で描くので、文字通り読者は主人公に習って異形の都市を見上げるように読む事ができる。その異世界探訪感がミエヴィルの魅力の一つと言っても過言ではないのでは。
上下巻でそれぞれが560ページくらいある大作だが、特に序盤は読者を案内するかのようにアイザックにその都市を歩き回らせて都市の姿をあらわにする。
蒸気にけぶる巨大なニュー・クロブゾンは人間の他にもロシア方面の水妖ヴォジャノーイ(本邦に置けるカッパみたいなものだが皿は無い。)、エジプト神話のケプリ(人間の女性の体に頭部はスカラベ。)、インド神話の鳥人ガルーダ、次元を渡り歩く巨大な蜘蛛ウィーバー、集合と偶然によって機械のガラクタに宿った知性、地獄を拠点にする悪魔、さらにはグロテスクに蒸気機械と融合した人間のリメイド(罪に対する罰として、または嗜好としてリメイドされる/する人がいるようだ)などなどのフリークス達が跋扈する街である。
体制側の民兵は姿勢にまぎれ反体制の人間とあれば暴力的に排除する。殺人鬼が跋扈し無惨な死体が腐った川に浮く、怪しげなドラッグが蔓延し、ギャング達が果てない抗争を続ける。そんな危なくも、生活感の活気と熱気があふれた町がニュー・クロブゾンである。曲がりくねった路地のひとつひとつに物語が詰まってそうな街である。この設定だけでもう興奮してくるではないか。今回はそんな街に詰まった物語の一つ、科学者アイザックは自分が発端になり、人の精神を食らう最悪の生物スレイク・モスと対決する事になる。
倒すべき悪役の登場で物語をまとめつつ、ごった煮の世界観で巻き起こる胸くそ悪い出来事をビジュアル感にあふれた生々しい描写と主人公達登場人物の心の機微によって書き出す筆致は流石で、物語が走り始めると同時に吐き気を催す展開が矢継ぎ早に展開されていく。特に苦い苦いラストはレビューを読むとなかなか色々な意見があるようだ。
かなりヤバい状況なのに妙に活気がある未来的な世界観は少し椎名誠さんの小説ににたところがあるなと。ただしこちらの方が何倍も悪趣味で悪夢感が強いのだが。
日暮雅通さんの翻訳もばっちり。年の初めからすごいの読んでしまったな〜。劇的に面白かった。重厚な世界観に圧倒されたい人は是非どうぞ。オススメっす。
ひとつ疑問だったのがアイザックの体型で、あるところではデカいが引き締まったからだと書かれたり、あるところではデブと書かれたり、結局どっちだったんだろう?
2000年に発表された。
がっしりとした体躯にピアス、さらにスキンヘッド。不敵な顔で写る写真は作家というよりはパンクロッカーの様なミエヴィルの出世作。この本で彼はアーサー・C・クラーク賞と英国幻想文学賞というSFと幻想文学の賞を同時に獲得し、その名を巷間に知らしめた。
私は短編集「ジェイクをさがして」を弐瓶勉さん風の表紙に惹かれてジャケ買い、それから「都市と都市」、「クラーケン」と楽しく読み、いよいよこの本を手に取った訳だ。
異世界バス=ラグの都市国家ニュー・クロブゾン。蒸気機関が発達した猥雑な町はフリークスと危険に満ちあふれている。そんな町で大学を追われた異端の人間の科学者アイザックは自身の「統一場理論」を追求する毎日を恋人の虫人リンとマイペースに暮らしていた。ある日珍しい鳥人ガルーダ種族のヤガレクがアイザックを訪れ、金塊を差し出しとある依頼をした。罪を犯して失った翼を科学の力で復活させてほしいと。魅力的な報酬もあり引き受ける事に鳴ったアイザック。この依頼が彼とヤガレク、そしてその周囲の人々、さらにはニュー・クロブゾン全体の運命に激震を与える事になるとは気づかずに…
「クラーケン」にはかなり独特の体系を持った魔術が登場するし、ミエヴィルはフィクションを書くのにSFでもファンタジーでもあたかも作品を構成する上でのアイテムとしてとても器用にかつ重厚に描く。
この作品でも電気の代わりに蒸気が発達したスチームパンクの世界に、まるで違和感なく魔法の概念を取り込んでユニークな世界を描いている。「都市と都市」なんかは特にそうだが、ミエヴィルは都市国家(街と言っても良いかも)、つまりかなりデカい生物(本作には人間以外の生物が出てくるので)の生活と意識の集合体(つまり生きた文化?)を書くのを心情としているのかもしれない。ただあくまでもその街に棲む住人の視点で描くので、文字通り読者は主人公に習って異形の都市を見上げるように読む事ができる。その異世界探訪感がミエヴィルの魅力の一つと言っても過言ではないのでは。
上下巻でそれぞれが560ページくらいある大作だが、特に序盤は読者を案内するかのようにアイザックにその都市を歩き回らせて都市の姿をあらわにする。
蒸気にけぶる巨大なニュー・クロブゾンは人間の他にもロシア方面の水妖ヴォジャノーイ(本邦に置けるカッパみたいなものだが皿は無い。)、エジプト神話のケプリ(人間の女性の体に頭部はスカラベ。)、インド神話の鳥人ガルーダ、次元を渡り歩く巨大な蜘蛛ウィーバー、集合と偶然によって機械のガラクタに宿った知性、地獄を拠点にする悪魔、さらにはグロテスクに蒸気機械と融合した人間のリメイド(罪に対する罰として、または嗜好としてリメイドされる/する人がいるようだ)などなどのフリークス達が跋扈する街である。
体制側の民兵は姿勢にまぎれ反体制の人間とあれば暴力的に排除する。殺人鬼が跋扈し無惨な死体が腐った川に浮く、怪しげなドラッグが蔓延し、ギャング達が果てない抗争を続ける。そんな危なくも、生活感の活気と熱気があふれた町がニュー・クロブゾンである。曲がりくねった路地のひとつひとつに物語が詰まってそうな街である。この設定だけでもう興奮してくるではないか。今回はそんな街に詰まった物語の一つ、科学者アイザックは自分が発端になり、人の精神を食らう最悪の生物スレイク・モスと対決する事になる。
倒すべき悪役の登場で物語をまとめつつ、ごった煮の世界観で巻き起こる胸くそ悪い出来事をビジュアル感にあふれた生々しい描写と主人公達登場人物の心の機微によって書き出す筆致は流石で、物語が走り始めると同時に吐き気を催す展開が矢継ぎ早に展開されていく。特に苦い苦いラストはレビューを読むとなかなか色々な意見があるようだ。
かなりヤバい状況なのに妙に活気がある未来的な世界観は少し椎名誠さんの小説ににたところがあるなと。ただしこちらの方が何倍も悪趣味で悪夢感が強いのだが。
日暮雅通さんの翻訳もばっちり。年の初めからすごいの読んでしまったな〜。劇的に面白かった。重厚な世界観に圧倒されたい人は是非どうぞ。オススメっす。
ひとつ疑問だったのがアイザックの体型で、あるところではデカいが引き締まったからだと書かれたり、あるところではデブと書かれたり、結局どっちだったんだろう?
ラベル:
SF,
イギリス,
チャイナ・ミエヴィル,
ファンタジー,
本
2015年1月3日土曜日
上橋菜穂子/神の守り人
守り人シリーズ第5弾まで読み進めてきました。
2巻に分冊されていて上巻が「来訪編」、下巻が「帰還編」。
前回の事件で大けがを負った女用心棒バルサは病後のリハビリもかねて幼なじみの呪術師タンダに隣国ロタ王国国境近くの町の草市に出かける。そこで商人に連れられた兄妹を見かけたバルサは、商人が実は奴隷商人である事を見抜く。自分の過去を少女に重ねたバルサは兄妹から目が離せない。宿の彼らの部屋を訪ねると目に見えない何かに襲われるバルサ。奴隷商人は殺され、別の呪術師が兄妹の身柄を狙っているようだ。何か訳のあるのは間違いないが、バルサは兄妹を救う事を決意する。その選択が国家を揺るがす陰謀に繋がっている事も気づかずに。果たして兄妹の抱えている秘密とは何なのか…
という訳で今回の主人公はバルサに戻る。時系列で言えば前作の「虚空の旅人」のちょっと前からほぼ同時進行という感じになるかと。
女子供に弱いバルサはチャグムの時と似ていて訳ありの兄妹を守る事に。チャグムの場合は命を狙われていたが、今回は兄妹の少女の方がなにかとてつもない”力”を持っていてそれ故に命ではなく身柄を狙われる事になる。いわば争奪戦。
右も左も分からない子供なのを良い事に、その大きな力を自分のために使っちゃおうという大人達が露骨に汚い感じ。人の手に余る力というと核兵器が思い浮かぶ。国家間の政治の切り札にもなりますよね。今回はその核兵器が擬人化されたのが少女という事なのかも。一体どうするのが彼女のためになるのだろうと直感的に手を差し伸べたものの逡巡するバルサ。ヤバげな力関係一切無視して少女の幸せを願うあたりぶれなくて格好いい。
前作あたりから話のスケールがアップしている感じがあるけど、作者はマクロな物語をあくまでもミクロ(個人)の視点で書くのが上手い。出来事一つ一つを大雑把にではなく、個人の体験で書く事で感情移入度がぐーん増す。面白いのは今回の悪役、どう考えても頭良い系クズでいや〜な奴(大抵悪役が良い感じに嫌な奴だと物語は面白くなります。)なんだけど、なんかこいつはこいつですごいかもーと思わせてしまうところ。人は多かれ少なかれ人を利用して生きていく訳だから、一体どこからどこまでが許されるのだろうと思わせる作り。恐らくわざと正義という言葉を明示していないところにもなんとなく意図的な配慮が伺える気が。
というわけで安定の面白さですかね。
徐々に周辺の平和にかげりが見えてくるきな臭さが高まっている気がして次巻以降にも期待大。ふと思ったけど見方は結構固まっている話なので物語の面白さが結構敵次第で感じになって来ているのかな?まあ今のところ敵役の魅力は十分なので特に問題無しですが。
という訳で気になった人はシリーズ1冊目からどうぞ。
2巻に分冊されていて上巻が「来訪編」、下巻が「帰還編」。
前回の事件で大けがを負った女用心棒バルサは病後のリハビリもかねて幼なじみの呪術師タンダに隣国ロタ王国国境近くの町の草市に出かける。そこで商人に連れられた兄妹を見かけたバルサは、商人が実は奴隷商人である事を見抜く。自分の過去を少女に重ねたバルサは兄妹から目が離せない。宿の彼らの部屋を訪ねると目に見えない何かに襲われるバルサ。奴隷商人は殺され、別の呪術師が兄妹の身柄を狙っているようだ。何か訳のあるのは間違いないが、バルサは兄妹を救う事を決意する。その選択が国家を揺るがす陰謀に繋がっている事も気づかずに。果たして兄妹の抱えている秘密とは何なのか…
という訳で今回の主人公はバルサに戻る。時系列で言えば前作の「虚空の旅人」のちょっと前からほぼ同時進行という感じになるかと。
女子供に弱いバルサはチャグムの時と似ていて訳ありの兄妹を守る事に。チャグムの場合は命を狙われていたが、今回は兄妹の少女の方がなにかとてつもない”力”を持っていてそれ故に命ではなく身柄を狙われる事になる。いわば争奪戦。
右も左も分からない子供なのを良い事に、その大きな力を自分のために使っちゃおうという大人達が露骨に汚い感じ。人の手に余る力というと核兵器が思い浮かぶ。国家間の政治の切り札にもなりますよね。今回はその核兵器が擬人化されたのが少女という事なのかも。一体どうするのが彼女のためになるのだろうと直感的に手を差し伸べたものの逡巡するバルサ。ヤバげな力関係一切無視して少女の幸せを願うあたりぶれなくて格好いい。
前作あたりから話のスケールがアップしている感じがあるけど、作者はマクロな物語をあくまでもミクロ(個人)の視点で書くのが上手い。出来事一つ一つを大雑把にではなく、個人の体験で書く事で感情移入度がぐーん増す。面白いのは今回の悪役、どう考えても頭良い系クズでいや〜な奴(大抵悪役が良い感じに嫌な奴だと物語は面白くなります。)なんだけど、なんかこいつはこいつですごいかもーと思わせてしまうところ。人は多かれ少なかれ人を利用して生きていく訳だから、一体どこからどこまでが許されるのだろうと思わせる作り。恐らくわざと正義という言葉を明示していないところにもなんとなく意図的な配慮が伺える気が。
というわけで安定の面白さですかね。
徐々に周辺の平和にかげりが見えてくるきな臭さが高まっている気がして次巻以降にも期待大。ふと思ったけど見方は結構固まっている話なので物語の面白さが結構敵次第で感じになって来ているのかな?まあ今のところ敵役の魅力は十分なので特に問題無しですが。
という訳で気になった人はシリーズ1冊目からどうぞ。
2014年12月14日日曜日
上橋菜穂子/虚空の旅人
最近ハマっている守り人シリーズの第4弾。
今回はタイトルが守り人ではなくて旅人になっている。
女用心棒バルサではなくて新ヨゴ皇国の皇子チャグムが主人公。
新ヨゴ皇国の皇太子チャグムは隣国である海洋国家サンガルの王位継承の儀に国賓として招かれた。新ヨゴ皇国とは全く違う南の国家の情景に心奪われるチャグムであったが、サンガルでは国家レベルの陰謀が秘密裏に進行し、その手を王家に伸ばそうと侵略者達が虎視眈々と機会をうかがっていた。否応無しに争乱に巻き込まれるチャグムの運命はいかに…
1作目「精霊の守り人」では11歳、運命に翻弄されバルサに守られていた少年も、正式に王位継承権第一位の立場になりこの物語では14歳。皇子として隣国の国家行事にさんかする立派な王家の男になった。旅人と銘打たれた本は勿論守り人シリーズの中の物語ではあるが、バルサは登場せず基本は皇子チャグムの物語。バルサから護身術を習ったとはいえ14歳の少年であるチャグム。派手な武術で敵を打ち倒していく事は勿論できないが、殴り合いとは全く異なった戦いにその身を投じる事になる。
思えばバルサは肉体を使って危機を切り抜けていく分過酷ではあるが、単純ではあった。敵は殴れば良いし、逆に言えば殴れる奴が敵だった。しかし国家間の陰謀の場合、下っ端をいくら殴ろうが争いは止まらない訳で、国家が包括すると人間と文化すべてを”守る”必要がある分、戦いのスケールと責任の重圧は圧倒的に重くなってくる。
特にこの物語で強調されるのは、チャグムにかせられる選択である。サンガルは女性が強い国家でとにかく女性が活躍する話なのだが、年齢に化からわず全員が成熟した政治家であって国家のためにはたとえ自国に属する子供だろうが、国家の運営のためならば切り捨てる事に躊躇が無い。一方チャグムは個人的な体験のため一人でも何人であっても無辜の人間を切り捨てる事ができない。非効率で青臭いこだわりをどこまで貫けるかがチャグムの戦いになる。武器ではなくて殺意が人を殺すなら守るのもまた意思の力になる。つまりこれは信念の戦いってことになる。
いままでの個人的な物語から一気に国家間の物語に大幅にスケールアップしたにもかかわらず面白さはぶれないどころか、さらに新しい風を取り込んだ様な快作。変に壮大にせずに話の根幹自体はチャグムという主人公の目線で書いた事が面白さの要因の一つかも。
2014年11月29日土曜日
上橋菜穂子/夢の守り人
日本のファンタジー守り人シリーズ第3弾。ハマっています。
来年NHKでドラマ化されるらしい。アニメが評判だったのかもしれない。観てないが。
新ヨゴ皇国で呪術師を営むタンダは眠ったまま目を覚まさないという姪の様子を見る。どうも魂が抜かれて何かにとらわれている節がある。数は少ないものの他にも同じ症状が出ている人間がいるようだ。姪の魂をたどって何者かの夢に潜入したタンダだが、逆にとらわれて夢の主の奴隷になってしまう。夢の主と浅からぬ因縁のあるタンダの師匠トロガイ、そしてタンダの幼なじみの女戦士バルサは人鬼と化したタンダを救う事ができるのか…
前作「闇の守り人」で過去とケリをつけたバルサ。今回は全く新しい物語。
前作の敵役は露骨に自分のために他を害をなそうとする攻撃的な男だったが、今回はナイーブな引きこもりが意気地がないもんでみんなを巻き込んで自殺しようというはた迷惑な話。そんな背景もあってか(「守り人」というタイトルからしてそうだが、)今作は色んな登場人物みんなの行動する動機が何かを守るためってことにセットされている。守るってことは脅威があって直接的もしくは予防的に動くもんだからどうしても動きが後手になりがちだし、地味だ。しばしば困難になりがちだが、あらためてその困難さを逆手にとったこのシリーズの巧みさを実感。このもどかしい感じ。やきもきする。
容赦のない格闘シーンは痛みを感じない人鬼の登場もあっていつも以上に生々しい。今回は一番動く敵がタンダなので刃物が使えない。動きを封じるために関節技主体の戦いになる訳だけど、外れるわ折れるわで読んでてイタタタとなる事請け合い。
この上橋菜穂子さんの各世界というのは牧歌的で美しい反面、しっかり現在ほど文明化されていない世界の残酷さと非情さ、そしてそこを生き抜くための力強さを描いている。今作ではぬるま湯につかっているようにただただ楽しい夢や過去にぼんやり浸っていても前進しないし、なんなら死ぬ、というちょっと説教的な内容でもあるんだけど、そこを言葉でこぎれいにまとめるのではなくて(ある意味)ばしーんと殴りつけて人間は飯を食わないと死ぬ!(だいぶ私なりのまとめ方です。)という様は潔くかつ説得力がある。主人公のバルサからしてそうだけど、このシリーズにはすごい優しくても生き抜くためには力強く無ければいけないよ、というメッセージがあると思っている。
安定の面白さ。次は皇子チャグムが主人公になるらしい。次も読むぜ。
来年NHKでドラマ化されるらしい。アニメが評判だったのかもしれない。観てないが。
新ヨゴ皇国で呪術師を営むタンダは眠ったまま目を覚まさないという姪の様子を見る。どうも魂が抜かれて何かにとらわれている節がある。数は少ないものの他にも同じ症状が出ている人間がいるようだ。姪の魂をたどって何者かの夢に潜入したタンダだが、逆にとらわれて夢の主の奴隷になってしまう。夢の主と浅からぬ因縁のあるタンダの師匠トロガイ、そしてタンダの幼なじみの女戦士バルサは人鬼と化したタンダを救う事ができるのか…
前作「闇の守り人」で過去とケリをつけたバルサ。今回は全く新しい物語。
前作の敵役は露骨に自分のために他を害をなそうとする攻撃的な男だったが、今回はナイーブな引きこもりが意気地がないもんでみんなを巻き込んで自殺しようというはた迷惑な話。そんな背景もあってか(「守り人」というタイトルからしてそうだが、)今作は色んな登場人物みんなの行動する動機が何かを守るためってことにセットされている。守るってことは脅威があって直接的もしくは予防的に動くもんだからどうしても動きが後手になりがちだし、地味だ。しばしば困難になりがちだが、あらためてその困難さを逆手にとったこのシリーズの巧みさを実感。このもどかしい感じ。やきもきする。
容赦のない格闘シーンは痛みを感じない人鬼の登場もあっていつも以上に生々しい。今回は一番動く敵がタンダなので刃物が使えない。動きを封じるために関節技主体の戦いになる訳だけど、外れるわ折れるわで読んでてイタタタとなる事請け合い。
この上橋菜穂子さんの各世界というのは牧歌的で美しい反面、しっかり現在ほど文明化されていない世界の残酷さと非情さ、そしてそこを生き抜くための力強さを描いている。今作ではぬるま湯につかっているようにただただ楽しい夢や過去にぼんやり浸っていても前進しないし、なんなら死ぬ、というちょっと説教的な内容でもあるんだけど、そこを言葉でこぎれいにまとめるのではなくて(ある意味)ばしーんと殴りつけて人間は飯を食わないと死ぬ!(だいぶ私なりのまとめ方です。)という様は潔くかつ説得力がある。主人公のバルサからしてそうだけど、このシリーズにはすごい優しくても生き抜くためには力強く無ければいけないよ、というメッセージがあると思っている。
安定の面白さ。次は皇子チャグムが主人公になるらしい。次も読むぜ。
2014年11月23日日曜日
上橋菜穂子/闇の守り人
守り人シリーズ第2弾。前作「精霊の守り人」がすごく面白かったのですぐさま次作を買った次第。
新ヨゴ皇国の皇子チャグムを守りきったバルサは自分の過去と決着を付けるため6歳の時に後にした祖国カンバル王国に25年ぶりに足を向ける。祖国では裏切り者の汚名を着せられている育ての親ジグロの無念を晴らすために。しかし貧しい山国カンバルでは恐ろしい陰謀が進行していた。否応無く陰謀に巻き込まれるバルサの運命やいかに。
という訳で今回は(結果的に)復讐譚という人を惹き付けるおはなしに、祖国の地下に住む謎の山の王というファンタジー的な要素がくっついてまた面白い話になっている。
この面白さの中心にいるのが、バルサの育ての親ジグロに汚名を着せて、さらにはカンバルの伝統をさらには国そのものを意のままにしようとする敵役であるユグロの存在。こいつは平気な顔で嘘をつくし、人の命なんてな〜んとも思わない現代風に言えばソシオパス。とにかく敵役が嫌な奴かつ魅力的(ここが重要)だと物語とは俄然面白くなる。いつコイツのツラに拳をめり込ませるのだ!とやきもきしながら読み進めるのも読書の醍醐味の一つではなかろうか。
通常ならば血なまぐさい復讐単になる訳なのだが、ここでもう一つの要素が利いてくる。ユグロの陰謀を止めるべく、バルサも否応無しにカッサという陰謀を止める鍵となる男の子の用心棒を引き受ける事になる。復讐するのに守っている暇など無いからコイツは足かせにしかならない訳だが、復讐にはやるバルサは無力なカッサを”守る”ことで冷静になれる。単に復讐は何も産まない!という押し付けがましい傍観者の論理ではなくて、むしろもっと実際的な理由で復讐者になることができないバルサ。守る、となると攻める事が難しい。ベルセルクではないがどっちかを選ばない事には…って感じ。そんなもやもやした気持ちがクライマックス”槍舞い”に結実、昇華されるわけだけど、やはり作者上橋さんは様々気持ちがぎゅっと凝縮した、そのなんとも言葉にできない塊の様な感情を描き出すのが抜群に上手い。言葉にできない感情だからそのままかけない訳で、ちょっとした仕草や動きにそれが投影されている訳だけどそれが嫌み無くすっと入ってくるよね。
ファンタジー的なギミックも利いていて、オコジョを駆る妖精や山の地下水脈に存在する謎の肉食魚。中でも選ばれた人しか姿を見た事が無い、歴史の闇に存在する山の王の正体。如何にも恐ろしい彼の宮殿とともに存在がほのめかされるだけで中々詳らかにされないあたりは流石。
あとは解説がついているけど相変わらず食べ物がおいしそう。
やはり文句無しに面白かった。ファンタジーって良いな。峻厳な山の国のごろごろとした岩肌を突き刺す様な風が吹き荒れる、そんな光景が頭に浮かぶようでした。
バルサが過去に決着を付ける因縁譚。前作を読んだ人は是非どうぞ。気になった人は是非前作からどうぞ。
新ヨゴ皇国の皇子チャグムを守りきったバルサは自分の過去と決着を付けるため6歳の時に後にした祖国カンバル王国に25年ぶりに足を向ける。祖国では裏切り者の汚名を着せられている育ての親ジグロの無念を晴らすために。しかし貧しい山国カンバルでは恐ろしい陰謀が進行していた。否応無く陰謀に巻き込まれるバルサの運命やいかに。
という訳で今回は(結果的に)復讐譚という人を惹き付けるおはなしに、祖国の地下に住む謎の山の王というファンタジー的な要素がくっついてまた面白い話になっている。
この面白さの中心にいるのが、バルサの育ての親ジグロに汚名を着せて、さらにはカンバルの伝統をさらには国そのものを意のままにしようとする敵役であるユグロの存在。こいつは平気な顔で嘘をつくし、人の命なんてな〜んとも思わない現代風に言えばソシオパス。とにかく敵役が嫌な奴かつ魅力的(ここが重要)だと物語とは俄然面白くなる。いつコイツのツラに拳をめり込ませるのだ!とやきもきしながら読み進めるのも読書の醍醐味の一つではなかろうか。
通常ならば血なまぐさい復讐単になる訳なのだが、ここでもう一つの要素が利いてくる。ユグロの陰謀を止めるべく、バルサも否応無しにカッサという陰謀を止める鍵となる男の子の用心棒を引き受ける事になる。復讐するのに守っている暇など無いからコイツは足かせにしかならない訳だが、復讐にはやるバルサは無力なカッサを”守る”ことで冷静になれる。単に復讐は何も産まない!という押し付けがましい傍観者の論理ではなくて、むしろもっと実際的な理由で復讐者になることができないバルサ。守る、となると攻める事が難しい。ベルセルクではないがどっちかを選ばない事には…って感じ。そんなもやもやした気持ちがクライマックス”槍舞い”に結実、昇華されるわけだけど、やはり作者上橋さんは様々気持ちがぎゅっと凝縮した、そのなんとも言葉にできない塊の様な感情を描き出すのが抜群に上手い。言葉にできない感情だからそのままかけない訳で、ちょっとした仕草や動きにそれが投影されている訳だけどそれが嫌み無くすっと入ってくるよね。
ファンタジー的なギミックも利いていて、オコジョを駆る妖精や山の地下水脈に存在する謎の肉食魚。中でも選ばれた人しか姿を見た事が無い、歴史の闇に存在する山の王の正体。如何にも恐ろしい彼の宮殿とともに存在がほのめかされるだけで中々詳らかにされないあたりは流石。
あとは解説がついているけど相変わらず食べ物がおいしそう。
やはり文句無しに面白かった。ファンタジーって良いな。峻厳な山の国のごろごろとした岩肌を突き刺す様な風が吹き荒れる、そんな光景が頭に浮かぶようでした。
バルサが過去に決着を付ける因縁譚。前作を読んだ人は是非どうぞ。気になった人は是非前作からどうぞ。
2014年11月16日日曜日
上橋菜穂子/精霊の守り人
日本人の作家によるファンタジー小説。NHKでアニメ化もされた作品で守り人シリーズの第1作目。知っている人も多いかと。私は正直そこまで興味があった訳ではないが、会社の人にお勧めされたので買ってみた。国際アンデルセン賞という章があるのだが、それの作家賞を作者の上橋さんは受賞されたそうだ。国際アンデルセン賞というのは児童文学が対象だそうな。私は守り人シリーズは名前くらい知っていたが児童文学だったとは知らなんだ。突然変な話で恐縮だが私は子供時代大好きだった絵本を引っ越しのときにすべて捨ててしまったのが一生の後悔している事のうち一つである。当たり前の話だが優れた物語は子供だろうが大人だろうが楽しめる。中学生のときに読んだゲド戦記を大人になってからまた読んだがやっぱり面白かった。だもんで児童文学、全然OK、問題無し。
30歳の女用心棒バルサは短槍の名手。ある時新ヨゴ国を旅しているとやんごと無き方の乗った牛車が橋の上で横転し、乗っていた第2皇子が川に転落。川に飛び込んだバルサは寸でのところで彼を救出。お礼に招かれた王宮で第2皇子チャグムの母親二ノ妃から何かに”憑かれた”チャグムは帝その人に命を狙われていること、彼を連れて逃げてほしい事を告げられる。断れば王家の秘密を知ったバルサは殺される。否応無しにチャグムをつれて逃げたバルサに帝の追っ手がかかる。次第に憑かれたものの影響を受けるチャグム。彼に取り憑いた”モノ”の正体は何なのか…
読んでいて児童文学だと意識した事は本当偽りなく一回もない。勿論読み終えてみてそういえば生々しい大人な描写はなかったな、と思うくらい。むしろ普通の小説となんら変わらなく読めたし、バルサの戦闘シーンは派手な首が飛ぶ、とか胴がまっ二つ、とか無いのにまさに手に汗を握る鬼気迫る描写で、命のやり取りの応酬が一挙手一投足に表現されていて凄まじかった。作者は女性なんだけど戦いの描写は男性に一歩も引けを取らない。戦いというのは勿論バルサなら槍を構えてのきったはったもそうなのだが、もう一人の主人公皇子チャグムも自分に取り憑いたもの、そしてその理不尽さ、宮廷生活から一転山中での逃亡生活と戦っていく。とにかくここの心理描写が巧みで、たとえばチャグムは〜〜と思った、とは書かない。でも不意に爆発する怒りだったり、涙だったり些細な行動にその裏にある心理状態が透けて見えて、押し付けられる訳ではなく滅茶共感できる。ここの書き方がとても丁寧。
チャグムが抱えているものの正体が次第に明らかになっていく中、混戦模様だった物語がとある一点で集中して最後ぎゅっとまとまる。その凄絶な戦いでさえも実は登場人物の意思が一つにまとまっていなくて、最後のチャグムの決断というのがだからこそ猛烈にいきてくる。この作者は女性だからかタイトルもそうだが、「守る」ということに主眼を置いていて二ノ妃もバルサも、帝の追っ手ですら何かを守ろうとして結果戦いが生じているんだけど、最後チャグムが自分の命ですら投げ出すように一歩を踏み出す、それが何なのかというと勇気だったり母性だったり、共感だったりするんだろうけどどれも一言では決して説明でき得ない、ない交ぜになった感情の爆発するようなそのまばゆい閃光。その圧倒的なまぶしさ。そこにこの本の、この物語のポジティブさが結実していると思う。思わず唸る。
児童文学である、ということは文体が明快で読みやすい、ただその一点に凝縮されているようで、文句無しに大人でも楽しめる物語。むしろ大人にこそ読んでほしいくらい。心がぐわっと熱くなる一方読後のさわやかさも素晴らしい。本にしてもちょっと変わったものばかり好んで読むが、この本に関しては普段本を全く読まないという人にもお勧めできる。是非手に取っていただきたいオススメの一冊です。私は2作目も勿論読むつもり!
30歳の女用心棒バルサは短槍の名手。ある時新ヨゴ国を旅しているとやんごと無き方の乗った牛車が橋の上で横転し、乗っていた第2皇子が川に転落。川に飛び込んだバルサは寸でのところで彼を救出。お礼に招かれた王宮で第2皇子チャグムの母親二ノ妃から何かに”憑かれた”チャグムは帝その人に命を狙われていること、彼を連れて逃げてほしい事を告げられる。断れば王家の秘密を知ったバルサは殺される。否応無しにチャグムをつれて逃げたバルサに帝の追っ手がかかる。次第に憑かれたものの影響を受けるチャグム。彼に取り憑いた”モノ”の正体は何なのか…
読んでいて児童文学だと意識した事は本当偽りなく一回もない。勿論読み終えてみてそういえば生々しい大人な描写はなかったな、と思うくらい。むしろ普通の小説となんら変わらなく読めたし、バルサの戦闘シーンは派手な首が飛ぶ、とか胴がまっ二つ、とか無いのにまさに手に汗を握る鬼気迫る描写で、命のやり取りの応酬が一挙手一投足に表現されていて凄まじかった。作者は女性なんだけど戦いの描写は男性に一歩も引けを取らない。戦いというのは勿論バルサなら槍を構えてのきったはったもそうなのだが、もう一人の主人公皇子チャグムも自分に取り憑いたもの、そしてその理不尽さ、宮廷生活から一転山中での逃亡生活と戦っていく。とにかくここの心理描写が巧みで、たとえばチャグムは〜〜と思った、とは書かない。でも不意に爆発する怒りだったり、涙だったり些細な行動にその裏にある心理状態が透けて見えて、押し付けられる訳ではなく滅茶共感できる。ここの書き方がとても丁寧。
チャグムが抱えているものの正体が次第に明らかになっていく中、混戦模様だった物語がとある一点で集中して最後ぎゅっとまとまる。その凄絶な戦いでさえも実は登場人物の意思が一つにまとまっていなくて、最後のチャグムの決断というのがだからこそ猛烈にいきてくる。この作者は女性だからかタイトルもそうだが、「守る」ということに主眼を置いていて二ノ妃もバルサも、帝の追っ手ですら何かを守ろうとして結果戦いが生じているんだけど、最後チャグムが自分の命ですら投げ出すように一歩を踏み出す、それが何なのかというと勇気だったり母性だったり、共感だったりするんだろうけどどれも一言では決して説明でき得ない、ない交ぜになった感情の爆発するようなそのまばゆい閃光。その圧倒的なまぶしさ。そこにこの本の、この物語のポジティブさが結実していると思う。思わず唸る。
児童文学である、ということは文体が明快で読みやすい、ただその一点に凝縮されているようで、文句無しに大人でも楽しめる物語。むしろ大人にこそ読んでほしいくらい。心がぐわっと熱くなる一方読後のさわやかさも素晴らしい。本にしてもちょっと変わったものばかり好んで読むが、この本に関しては普段本を全く読まないという人にもお勧めできる。是非手に取っていただきたいオススメの一冊です。私は2作目も勿論読むつもり!
2014年4月13日日曜日
恒川光太郎/南の子供が夜いくところ
日本のホラー作家による幻想小説。
角川ホラー文庫から出版されているが、内容的にはホラーというよりは幻想小説といっても良いと思う。主人公は男の子なのだが、直接彼の出てくる物語と大筋の物語に関連があるが別の物語があって全部で7つの物語で構成されている。
恒川光太郎は日本ホラー小説大賞を受賞した「夜市」とループものの表題作ほか2編を収録した「秋の牢獄」という本を読んだことがあって、たしかにどちらの本にも得体の知れない恐さが描かれているのだが、全体的には異界を書いたようなその不思議な世界観にいたく感動したもので、もうちょっとこういう話を書く日本人作家が増えたら良いのに、と思ったものだ。
久しぶりに読んでみようということで買ってみた。
11歳のタカシは両親ともに湘南の海水浴場に来ていた。両親はレストランの経営に失敗し、借金で首が回らず一家心中を企てていたが、すんでのところで謎の女性ユナの手引きで夜逃げすることになる。タカシは両親とはなれ、南の島「コロンバス島」で生活することになる。そこは現代にありながらも不思議な異界につながっていた。
子供が主人公ということもあって全体的に南の島の豊かな色彩に彩られた物語がゆったり進む様な印象がある。ただしそこは作者のことだから一筋縄の良い話で進む訳もなく、平和な島は実は不思議な異界との境界が曖昧になっており、怪異が少しずつ日常にとけ込んでいる。盆には先祖の霊が現出し、海からは過去からの異邦人が訪れる、島を巡るバスは時にとんでもない場所に乗客を連れて行く。
まるでおとぎ話のようだが、昔話めいた寓話性はなく、ひとまず教訓を求めるよりはその不思議な世界に入り込む様な楽しさがある。勿論ちゃんと考えられた作者なりの意味があるんだろうが、私はむしろ島で起こる様々な不思議なことを、端から眺めつつぐるっと島を巡るように本を読んだ。こういうことも起こるのかー、というのんびりとした様な感じである。
島に関わる様々なエピソードが7つの短編になって、視点と主人公を変えつつ展開される。よくよく読んでみると実は一見脈絡のない出来事も実は因果があって、物語全体を通して過去とそしてそれがあっての現在というテーマが根底にあるようだ。謎の呪術師ユナの出生や、引退した海賊の頭領で長いときの中で半分人間を超えた存在になったティユルのエピソード、タカシの友達ロブが先祖の霊にあう話などなど。因果といってもこうしろああしろ、お前が悪い、そういうのではなくて大波に浚われるよう流されて、必死で嵐の中漕いで来た今はここにいます、というような因果応報ではなく、運命のそのどうしようもない無情さと、その中で生きる人の営みの儚さというのが、その過去-現在-未来という一直線上にのっているように「コロンバス島」という不思議な島に集約されていて一つの物語になっている。
その不思議な世界はロールシャッハテストのインクのシミのようにじっと見ているとシミが動き出すような不気味さがあって、そして見る人によって一体それが何を表しているのかというのは変わっていくのかもしれない。
という訳であっという間に読んでしまった。感想を書くのはとても難しかったが、非常に面白いので是非手に取っていただきたい一冊。
角川ホラー文庫から出版されているが、内容的にはホラーというよりは幻想小説といっても良いと思う。主人公は男の子なのだが、直接彼の出てくる物語と大筋の物語に関連があるが別の物語があって全部で7つの物語で構成されている。
恒川光太郎は日本ホラー小説大賞を受賞した「夜市」とループものの表題作ほか2編を収録した「秋の牢獄」という本を読んだことがあって、たしかにどちらの本にも得体の知れない恐さが描かれているのだが、全体的には異界を書いたようなその不思議な世界観にいたく感動したもので、もうちょっとこういう話を書く日本人作家が増えたら良いのに、と思ったものだ。
久しぶりに読んでみようということで買ってみた。
11歳のタカシは両親ともに湘南の海水浴場に来ていた。両親はレストランの経営に失敗し、借金で首が回らず一家心中を企てていたが、すんでのところで謎の女性ユナの手引きで夜逃げすることになる。タカシは両親とはなれ、南の島「コロンバス島」で生活することになる。そこは現代にありながらも不思議な異界につながっていた。
子供が主人公ということもあって全体的に南の島の豊かな色彩に彩られた物語がゆったり進む様な印象がある。ただしそこは作者のことだから一筋縄の良い話で進む訳もなく、平和な島は実は不思議な異界との境界が曖昧になっており、怪異が少しずつ日常にとけ込んでいる。盆には先祖の霊が現出し、海からは過去からの異邦人が訪れる、島を巡るバスは時にとんでもない場所に乗客を連れて行く。
まるでおとぎ話のようだが、昔話めいた寓話性はなく、ひとまず教訓を求めるよりはその不思議な世界に入り込む様な楽しさがある。勿論ちゃんと考えられた作者なりの意味があるんだろうが、私はむしろ島で起こる様々な不思議なことを、端から眺めつつぐるっと島を巡るように本を読んだ。こういうことも起こるのかー、というのんびりとした様な感じである。
島に関わる様々なエピソードが7つの短編になって、視点と主人公を変えつつ展開される。よくよく読んでみると実は一見脈絡のない出来事も実は因果があって、物語全体を通して過去とそしてそれがあっての現在というテーマが根底にあるようだ。謎の呪術師ユナの出生や、引退した海賊の頭領で長いときの中で半分人間を超えた存在になったティユルのエピソード、タカシの友達ロブが先祖の霊にあう話などなど。因果といってもこうしろああしろ、お前が悪い、そういうのではなくて大波に浚われるよう流されて、必死で嵐の中漕いで来た今はここにいます、というような因果応報ではなく、運命のそのどうしようもない無情さと、その中で生きる人の営みの儚さというのが、その過去-現在-未来という一直線上にのっているように「コロンバス島」という不思議な島に集約されていて一つの物語になっている。
その不思議な世界はロールシャッハテストのインクのシミのようにじっと見ているとシミが動き出すような不気味さがあって、そして見る人によって一体それが何を表しているのかというのは変わっていくのかもしれない。
という訳であっという間に読んでしまった。感想を書くのはとても難しかったが、非常に面白いので是非手に取っていただきたい一冊。
2014年4月6日日曜日
ジーン・ウルフ/ケルベロス第五の首
アメリカの小説家によるSF/ファンタジー小説。
国書刊行会からでている単行本、その怪奇なタイトルが前々から気になっていて購入。
始めこの本を知ったときはそのタイトルに首を傾げたもので、当然地獄の番犬ケルベロス(RPGゲームを始め日本の創作物にはよく出てくるので知っている人も多いと思う)には三つの首があるので、「ケルベロス第四の首」ならわかるが第五と来たからには大分人を食った題名だと思ったものだ。
3つの異なる中編が収められていて、微妙に関連のあるそれら全部を読み終えると、本文に書かれていないある事実が浮かび上がってくる、というマニアックな作りになっていて、一部の本好きの間ではとても有名な本なのだとか。
遥か未来、人類は地球を飛び出しその版図を大きく広げていた。
双子星サント・アンヌとサント・クロアに移住した人々はしかし、母星との繋がりはむしろ希薄になり中世フランスの様な独自の世界を作り上げていた。
この2つの星には伝説があって、人類が移住する前には何物にも姿をかえることが出来る原住民が住んでいたという。「アボ」と呼ばれるそれらは移植してきた人類によって全滅させられてしまった。しかし実は逆に人類を絶滅させた彼らは自分でも「アボ」であることを忘れて今でも成り代わった人類として生きながらえているという。
サント・クロアの妾館の息子「私」こと第五号は弟デイヴィッド、妙な家庭教師ミスター・ミリオン、叔母、そして父親との暮らしの中で自分が父親のクローンであることに気づく。夜ごと繰り返される父親からの尋問で記憶と意識に変調を来す中で「私」はある決心をする。
上記のあらすじは最初の短編「ケルベロス第五の首」のもの。他に「『ある物語』ジョン・V・マーシュ作」、「V・R・T」という2編が収録されていて、それぞれ同じ世界観の中登場人物の何人かを共有しつつ別の物語が展開していく。
ジャンルとしてはSFなのだろうし、実際現在とは大きく隔たった未来の話ではあるが、あまり本格SF的なガジェットはでてこない。舞台となる星の世界観は未来というよりは過ぎ去った中世を彷彿とさせるもので、なんとなくセピアでカビ臭いような、そんなイメージ。そこに宙船と呼ばれる宇宙船や、人格を転写されたロボット、クローン技術などたまに未来の技術が出てくるわけで、新旧おり混じった独特の世界観が展開されている。
「ケルベロス第五の首」以降の二編に関しては一遍が民話の体裁を取ったもの。謎の原住民「アボ」に関するものでインディアンの物語のようにかなり独特の世界観で一見まったく本格SFさはない。(しかし最後まで読んだ後には実はこの話が一番謎に関する示唆に富んでいるようで、隠されたSF成分に大分うち震えた。)最後の一遍はとある囚人に対する(原始的なというか未来的ではない)執拗な尋問と、囚人に関する資料の断片が同時進行で描かれている。何となく稚拙な印象がする野蛮な尋問と奴隷(サント・クロアの方にはなんと奴隷がいるのだ!)に対する士官の態度は読んでいて結構嫌な気分になる。
さてこの本の最大の面白さは一見バラバラの3つの物語の中心には一つの大きい謎が設置されていることに他ならないと思う。結論から言ってしまうと最後まで読んでも結局謎の招待が一体なんだったのかは書かれていない。しかし、3つの物語から推察するとおぼろげな真実が見えてくるらしい。らしいと書いたのは私も一回読み終わってもはっきり理解しているとは言いがたいからである。ネットで検索してみるとやはりこれがはっきりとした真実です!というのはなく、ある程度から先は読者の方がそれぞれ結論を導きだしているようだ。(本書の後書きにもあるが海外には研究サイトもあるらしいが私は見ていないので本当は確固たる真相があるかもしれない。)
いわばミステリーの要素もあるのだろうが、どちらかというと芥川龍之介の「藪の中」ではないが、錯綜する情報を整理して結論を推察する様な楽しみがあって私も残念な頭を使って色々と考えてみたのだが、ネットではされに深く精緻な考察をされている方々がいて恥ずかしい気持ちである。
一体私は誰なのだ?という疑問にはしかし誰も答えることが出来ないのだろうし、今日の私が今日産まれたということを否定することは出来ない(のだっけ?)。自己認識の不確かさは哲学的だが、アイデンティティの曖昧さは伝統的なSF的命題ともいえる。そういった意味では文学ではある種普遍的なテーマを壮大な箱庭をこしらえてそっと謎を提示してくる様な趣があって、つくづく丁寧に作られた作品だと思う。
すっきりする本しか読みたくない、という人にはお勧めできないが不思議な話が読みたいという人は是非。ノスタルジックな雰囲気のそこかしこにふと見えるSF成分がたまらない一冊。
国書刊行会からでている単行本、その怪奇なタイトルが前々から気になっていて購入。
始めこの本を知ったときはそのタイトルに首を傾げたもので、当然地獄の番犬ケルベロス(RPGゲームを始め日本の創作物にはよく出てくるので知っている人も多いと思う)には三つの首があるので、「ケルベロス第四の首」ならわかるが第五と来たからには大分人を食った題名だと思ったものだ。
3つの異なる中編が収められていて、微妙に関連のあるそれら全部を読み終えると、本文に書かれていないある事実が浮かび上がってくる、というマニアックな作りになっていて、一部の本好きの間ではとても有名な本なのだとか。
遥か未来、人類は地球を飛び出しその版図を大きく広げていた。
双子星サント・アンヌとサント・クロアに移住した人々はしかし、母星との繋がりはむしろ希薄になり中世フランスの様な独自の世界を作り上げていた。
この2つの星には伝説があって、人類が移住する前には何物にも姿をかえることが出来る原住民が住んでいたという。「アボ」と呼ばれるそれらは移植してきた人類によって全滅させられてしまった。しかし実は逆に人類を絶滅させた彼らは自分でも「アボ」であることを忘れて今でも成り代わった人類として生きながらえているという。
サント・クロアの妾館の息子「私」こと第五号は弟デイヴィッド、妙な家庭教師ミスター・ミリオン、叔母、そして父親との暮らしの中で自分が父親のクローンであることに気づく。夜ごと繰り返される父親からの尋問で記憶と意識に変調を来す中で「私」はある決心をする。
上記のあらすじは最初の短編「ケルベロス第五の首」のもの。他に「『ある物語』ジョン・V・マーシュ作」、「V・R・T」という2編が収録されていて、それぞれ同じ世界観の中登場人物の何人かを共有しつつ別の物語が展開していく。
ジャンルとしてはSFなのだろうし、実際現在とは大きく隔たった未来の話ではあるが、あまり本格SF的なガジェットはでてこない。舞台となる星の世界観は未来というよりは過ぎ去った中世を彷彿とさせるもので、なんとなくセピアでカビ臭いような、そんなイメージ。そこに宙船と呼ばれる宇宙船や、人格を転写されたロボット、クローン技術などたまに未来の技術が出てくるわけで、新旧おり混じった独特の世界観が展開されている。
「ケルベロス第五の首」以降の二編に関しては一遍が民話の体裁を取ったもの。謎の原住民「アボ」に関するものでインディアンの物語のようにかなり独特の世界観で一見まったく本格SFさはない。(しかし最後まで読んだ後には実はこの話が一番謎に関する示唆に富んでいるようで、隠されたSF成分に大分うち震えた。)最後の一遍はとある囚人に対する(原始的なというか未来的ではない)執拗な尋問と、囚人に関する資料の断片が同時進行で描かれている。何となく稚拙な印象がする野蛮な尋問と奴隷(サント・クロアの方にはなんと奴隷がいるのだ!)に対する士官の態度は読んでいて結構嫌な気分になる。
さてこの本の最大の面白さは一見バラバラの3つの物語の中心には一つの大きい謎が設置されていることに他ならないと思う。結論から言ってしまうと最後まで読んでも結局謎の招待が一体なんだったのかは書かれていない。しかし、3つの物語から推察するとおぼろげな真実が見えてくるらしい。らしいと書いたのは私も一回読み終わってもはっきり理解しているとは言いがたいからである。ネットで検索してみるとやはりこれがはっきりとした真実です!というのはなく、ある程度から先は読者の方がそれぞれ結論を導きだしているようだ。(本書の後書きにもあるが海外には研究サイトもあるらしいが私は見ていないので本当は確固たる真相があるかもしれない。)
いわばミステリーの要素もあるのだろうが、どちらかというと芥川龍之介の「藪の中」ではないが、錯綜する情報を整理して結論を推察する様な楽しみがあって私も残念な頭を使って色々と考えてみたのだが、ネットではされに深く精緻な考察をされている方々がいて恥ずかしい気持ちである。
一体私は誰なのだ?という疑問にはしかし誰も答えることが出来ないのだろうし、今日の私が今日産まれたということを否定することは出来ない(のだっけ?)。自己認識の不確かさは哲学的だが、アイデンティティの曖昧さは伝統的なSF的命題ともいえる。そういった意味では文学ではある種普遍的なテーマを壮大な箱庭をこしらえてそっと謎を提示してくる様な趣があって、つくづく丁寧に作られた作品だと思う。
すっきりする本しか読みたくない、という人にはお勧めできないが不思議な話が読みたいという人は是非。ノスタルジックな雰囲気のそこかしこにふと見えるSF成分がたまらない一冊。
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