2015年5月30日土曜日

ロジャー・ゼラズニイ/伝道の書に捧げる薔薇

アメリカのSF/ファンタジー作家の短編集。
ゼラズニイはアンソロジーで短編をいくつか読んだ事があるのだが、ちゃんと買って読むのはこの本が初めて。早川書房設立70周年ということで3月くらいから展開しているハヤカワ文庫補完計画という絶版本の復刊フェアの一環でこのたび再び日の目を見る事になったそうな。
作者ロジャー・ゼラズニイ1937年に生を受け、1962年にデビュー。60年代後半のアメリカン・ニュー・ウェーブの旗手として活躍したそうな。神話に影響を受けたファンタジー色の強い作風でヒューゴー賞やネビュラ賞など数多の受賞歴もあり。
この本は15個の短編が収められているのだが、中盤にかけては80Pくらいの比較的長めの短編中心で、後半は20P程度の短めのお話しが配置されている。

さてSFというと数式と鋼鉄が支配した難解で荒涼としたハードな世界と言うイメージがあって、実際にそういう作風のいわゆるハードSFと呼ばれるジャンルもあるのだが、だからといってそれだけではなく(あたりまえなんだけど)とても色彩豊かだったり柔らかかったり、感情豊かだったり、そういった物語も沢山ある。例えばレイ・ブラッドベリなんかは(語れるほど読んでないのですが)「火星年代記」が特に有名だけどSF的なガジェットを用いつつ、一般人も気軽に読めて、文学的な面白さに満ちた、さらにいえばどこかしら華々しい進歩の影にある寂しさを書いたりしている。ゼラズニイを読んでみるとどこかしらブラッドベリに通じる趣があるな、と。文章が柔らかく詩的である事(ただし平板な言葉で書いてある。)、それからファンタジックな指向性があること、目を奪う未来的なガジェットを使いつつ、人間の心情や行動に焦点をあてていること、そしてどことなく悲哀を満ちた雰囲気があること。
割と経験豊富な中年男が主人公の作品が多いのでさすがに青臭さというのは皆無なんだが、捻くれて皮肉に満ちた一癖ある男たちの目や手を通して過酷な世界が描かれる。
特異な状況を作る事がSFだとすると、ゼラズニイは普遍的な真理を強調する箱庭そのもの、そして底に至る手段としてそれを用いている印象がある。
例えば「このあらしの瞬間」という中編はとある惑星が超巨大な台風に襲われる話。たしかに眼と呼ばれる空を飛び回る観察機械(ドローン)や獰猛なパンダ犬など奇妙な土着の生物などSF/ファンタジー色はあるものの、がんばれば現代の実際の年で再現できそうな話だと思う。ただこの物語の主眼は惑星間旅行にはもの凄く時間がかかるという設定があって、主人公は複数回の旅行を経た本当の意味で故郷がない(宇宙船で移動している間故郷の親類や知人たちはとっくに死んでいる)男なのだ。宇宙空間での絶対の孤独というのをあえて人間臭い箱庭世界で再現するゼラズニイというのは中々どうして容赦がないし、そしてそれ故に主人公の抱える孤独がいっそう力を持つのである。
ほかにも死滅した世界で誰もいない町に一瞬だけでも明かりをともそうとする男を書いた「ルシファー」や、企業によって人体を改造された普通の環境では生きられない男が恋人ともに自分と同じ境遇の仲間たちが暮らせる惑星を作ろうとする顛末を書いた「十二月の鍵」など、宇宙の絶対零度の冷たさと底の無さ、圧倒的な空虚さに挑む人間のちっぽけな熱意を描いているように思える。それはひたすら圧倒的な科学技術をもってしても感情や物質的な物事にとらわれてしまうちっぽけさをペシミスティックといっていい視点で書いている暗い物語と言っても良いはず。ただその極限のような虚無の中に、一瞬で消える人間の儚い努力が閃光のようにぱっと火花を散らす瞬間を、ゼラズニイは彼特有の透徹な筆致で描き出すのである。それが胸にささる。か弱いからといってそれが悪いのだろうか。そして弱くたって美しさが無い訳ではないのだ。
ビターで感傷的なSFが好きな人は迷わず買って間違い無しの一冊。

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