グレッグ・ベアといえば「ブラッド・ミュージック」が有名なのでは。かくいう私も読んだのはその一冊のみ。なぜこの短編集を手に取ったかというと漫画家の弐瓶勉さんがtwitterで自分が好きなSFの短編集をあげており、そのうちの一冊がこの本だったため。
1993年に出版された本でもうおきまりのコースだが現時点では絶版状態のため古本で購入。好きな短編集でぱっと思いつくのは、ハヤカワ文庫80年代SF傑作選。グレゴリイ・ベンフォード「時空と大河のほとり」。グレッグ・ベア「タンジェント」。辺りでしょうか。— 東亜重工 nivin (@tsutomu_nihei) 2017年4月18日
ナノマシンが人体に及ぼす(強烈な)影響を書いた「ブラッド・ミュージック」を読んでいたのでベアというとSF!というイメージでいたのだが、実際にはファンタジーもよく描く人らしい。この短編集には8つの短編が収録されているが、短編によってはなるほどどう考えてもファンタジーだなというものが入っている。科学そのものを描いてその影響を思考実験のように観察、考察して物語を構築するというタイプの作家というよりは、未来的なガジェットというよりは、非現実的な要素を道具(メタファーとよく言われる)のように使って人間の心理状態とそれによって導き出される行動、つまり(規模はあれど)日常や世界を描こうというタイプの作家のようだ。短編「姉妹たち」はSFのアンソロジーで1回読んだことがあったのだが、改めて読むとベアの人類愛に触れることができる。学校を舞台にした青春小説だが、誰もが一度は思春期を過ごすもの。この青さに未だ未完成な人間の気持ちがぎゅっと濃縮されていて胸を締め付けられる。この物語では舞台は未来で遺伝的に設定された子供達が登場人物だが、その科学的な設定の向こう側に普遍的な人類の問題が提示されているわけだ。新奇な設定で人目を引き、それから日常の背後にある問題にハッと気づかせるような、そんな視点がどの物語にも巧妙に仕掛けられている。特にどの物語のも個々人の孤独、というか周囲との断絶が表現されているように思う。これはベアの子供自体が反映されているのかもしれない。その孤独を埋めようとする試みが物語を生んでいる。一度も恋人ができたことのない50歳の女性(これ男性だとちょっと物語の持つ意味が違ってくるというか、相当うまく描かないと違う方向に行ってしまうのだと思う。)が辞書から理想の男性を作り出す「ウェブスター」は現代人の都会の孤独をよく表現している。ラストがなんとも悲しくも美しい。
一方「飛散」はこの本の中で一番SFらしい。謎の異星人の攻撃(?)を受けてバラバラにされた挙句別の宇宙で別の宇宙の人類含む生物と一緒の構造体(いずれかの宇宙の宇宙線などがデタラメにくっついているようだ)に再構成される話だが、これは広大な宇宙と時空で迷子になってしまった人たちが、何千年もかけて自分の宇宙を見つける物語である。喋る熊が出てきたり、ごちゃまぜのカオスが出てきたりとこの話が非常に弐瓶勉さんっぽいし「フニペーロ」(弐瓶勉さんのバイオメガという作品に同名のキャラクターが出てくる)という登場人物が出てくる。
どんな結果が生じようとも試みが肯定的に描かれている(これを描かないと物語が始動しないというのもあると思うけど)ような気がしていてそう意味ではSF的/ファンタジー的であっても優しい物語(群)だと思う。非常に面白かった。弐瓶勉さんが好きな人はきっと気にいるはず。
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