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2018年3月11日日曜日

エリック・マコーマック/隠し部屋を考察して

大英帝国スコットランド出身、カナダ在住の作家による短編小説。
長編「パラダイス・モーテル」が面白かったので読み終わらないうちに注文した。
私にとってはマコーマックの日本で読める本のうち2冊め。絶版なので古本で。
タイトルからするとミステリーっぽい響きもあるが、基本的にはマコーマックにしか書けないような不思議な短編が20収録されている。

前述の「パラダイス・モーテル」の物語の発端となった話も、より丁寧にページを割いた短編となって収録されている。
マコーマックの各小説は独特だ。どこにも見たことのない物語では全然ないが、こういう書き方、物語の組み立て方はあまり類を見ないような気がする。
幻想文学というのは曖昧な文体で書いちゃ駄目なんだ、というのは(このブログでも何回書いているけど)澁澤龍彦さんが書いていてたしかにそうだと思う。
マコーマックはシンプルで力強い筆致で描く物語はかなり現実離れしているという意味では幻想の世界に片足を突っ込んでいるとは言えるのだが、やはり幻想と言うには硬すぎる。しかしそれが現実を舞台にした小説家というと今度は曖昧すぎるのだ。
結果的に詩的ではあるが物語然としすぎているし、散文ほど散らかっていない。悪い言葉だがかなりどっちつかずの半端な世界観なのだ。状況は鮮明なのだが、どうにも信用出来ないという意味では、最高のほら話、つまり最高の物語と言えるのだがどうもこう居心地の悪さが残る。
この違和感がマコーマックの持ち味だろう。
あとがきでも書かれているが、物語の多くでかなり精算な描写がある。肉体的な痛みについて丁寧に、執拗と言っていいほど書いている。ただそれはあくまでも第三者的な観察眼というふうであり、露悪的なホラー要素は皆無である。まるで外科手術の様子を移したビデオを見ているような感じ、といえばある程度伝わるかも知れない。肉体的な痛みがあっても、どうも物語全体としてはケロリとしてこともなげに、曖昧なオチに向かって進んでいく。マコーマックはスコットランドのだいぶ貧しい地域で生まれ育ったらしい。あらっぽく、近代化されていなかったようなので生と死が渾然としているのは、彼にとってはむしろ普通のことだったのかも知れない。物語が人生のデフォルメや比喩だとすれば、喜びや悲しみとともにそこに肉体的な痛みや死が含まれることは当然のことではある。

物語が人生の比喩ならそこから含蓄を抜き出すのが読書の醍醐味と言える。マコーマックの作品に関してはその醍醐味が難解である。(私の読解力と人生経験の欠如は原因の一つに挙げられると思う。)確固たるものが拾い出せないのである。物語の水槽に手を浸してすっと取り上げても空っぽではないが、よくわからないものしか抜き出せない。この茫洋とした感じは夢に似ている。夢判断がいつの時代も人を引きつけるのは解釈にバリエーションがあるからだ。つまりよくわからないのが夢だ。夢から明快な印を読み解くのは難しい。夢物語といえばなんといっても漱石の夢十夜だろう。通じるところはあると思う。

ところで私はたいてい悪夢ばかり見る。悪夢と言っても追いかけられた挙げ句殺される、とかではなくて、なんとなく不安になるのだ。でも起きた頃にはその不安感を言葉でいいあわらすことが出来ない。マコーマックの小説はとらえどころがないが、私はなんとなく読んで非常に安心したのであった。

2018年3月4日日曜日

エリック・マコーマック/パラダイス・モーテル

イギリスのスコットランド出身、カナダ在住の作家の長編小説。
原題は「The Paradise Motel 」で1989年に発表された。

海岸に面したパラダイス・モーテルで私は回想する。
出奔から放浪を経て30年ぶりに我が家に祖父から聞いた奇妙な話。
昔医師の父親が母親を殺害し、遺体を切断。4人の男女の子どもたちに外科手術でを用い、母親の遺体の各パーツをその腹部に埋め込んだという。
その後4人の子どもたちの行方は杳として知れない。しかし私は不思議なめぐり合わせで子どもたちのその後の人生を知ることになる。

体裁としてはミステリーということになるが、誰がどうやって殺したかという本格性は皆無で、物語の軸となる謎(なぜ父親は妻を殺して子供にしたいを埋め込んだのか、子どもたちはどのように成長したのか、そしてそれらの一連出来事は主人公にどんなつながりがあるのか)も読み進めるとそもそも怪しくなってくる。物語が根底からゆらぎ出し虚実の区別がつかなくなってくる。そういった意味ではポストモダン的であると評されることもあるという。私は無学なので一体ポストモダンが何なのかさっぱり分からないが、幻想という不思議を内包する小説というよりは、小説の枠組み自体が信用ならないという意味できっとそのように言われているのだと思う。例えば骸骨が喋ったりすれば幻想小説かも知れないが、今作は微妙にその線からズレている。主人公は散り散りになったとされる4人の兄弟のその後の消息を”偶然”、それも短期間のうちに、世界中の別の国で本人ではない誰かから聞くことになる。こんな偶然あるだろうか。普通の小説なら何か理由を弄りだすだろう。だがこの小説では臆面もなくそんな芸当をやってのけ、読み手はあまりの出来過ぎに首を傾げることになる。小説と言うのはすべて読み手を意識して書かれているが、ここに関しては読み手を明らかに煙に巻こうという意図で書かれているからそういった意味ではメタ的とも言える。ミステリーでは語り手が犯人とか地の文が改ざんされているとかは禁じ手とされるが、それ故飛び道具的に用いられることもある。ところが「パラダイス・モーテル」ではそんな禁じ手が使われているのに一向にモヤは晴れないし、それどころか読者は自分は一体何を読んでいるのだろうか?という疑心暗鬼にとらわれていく。これは妙な体験である。

文体は凝った比喩が用いられた平明かつ美しいもの(邦訳の妙もあると思う)だが、殆どの章には残酷な描写があり、なかでも体に貼りを1本ずつ突き通していく大道芸の描写には結構まいった。「首が取れた、血がブシャー」みたいなのはぜんぜん大丈夫なのだが、純粋に学術的な意味でカメラで外科手術の風景を記録したようなのは映像でも文章でも苦手らしい。残酷な”他人の”人生と、恋人との何不自由がない(食うこと、寝ること、性交することの描写しか無いと言っても過言ではない)”自分の”人生。やはり出来すぎているという意味で非常に居心地が悪い。ばらばらにした死体を子供の体内にに紛れ込ませたかのごとく、この物語もなにかツギハギで作られて、それを隠そうともしない違和感に覆われている。他人を喜ばせるためのほら話という形を逆手に取っているのだろうか。

面白かった。物語だけでなく文章が非常に良い。読んでいるのが楽しい。マコーマックの作品はこの作品を含めて3冊が日本語で読めるのだが、とりあえずもう一冊を今読んでいる。

2018年2月25日日曜日

イスマイル・カダレ/夢宮殿

アルバニアの作家による長編小説。アルバニアの人が書いた小説って多分読んだのは初めてじゃなかろうか。というかアルバニアってどこだ。System of a Downはアルメニア(コミュニティinアメリカ合衆国)だ。調べるとイタリアをブーツに見立てた時かかとの海を挟んで向こう側。恥ずかしい話どんな国なのか想像もつかない。

オスマン・トルコ1890年台。
アルバニアのキョプリュリュ家(キョプリュというのはトルコ語で橋の意)は毀誉褒貶の激しい名家である。何人もの政治家を輩出した一方では逮捕された人数も少なくない。
かつては家に捧げられた武勲詩にトルコ皇帝が嫉妬し、一悶着あったらしい。
そんな名家二世を受けた若者マルク=アルムは親族一同の喧々諤々の議論の末、タビル=サライに入庁することになった。
タビル=サライは帝国前途から民が見た夢を収集し、選別し、解釈するという公的機関。国民の夢から国の吉兆を占い、行く末を判断しようというのである。
ここで価値のある夢と判断されれば、かのスルタンに献上されることになる。
庁舎は拷問室も備える通称「夢宮殿」と呼ばれる広くそして迷宮めいた巨大な建築物である。権謀術数渦巻くこの迷宮にマルク=アレムは取り込まれていくことになる。

「夢宮殿」というタイトル、それから夜に見る夢を取り扱う仕事というあらすじから思わず幻想小説を思い浮かべてしまうし、なるほど非現実的で科学的な根拠に乏しいという意味ではその要素がなくはない。
しかし、実際に読んでみるともっと強固な物語という印象を受けた。帯にはディストピア小説と紹介されている。これはやはり当たっていて、国家が個人の極めて個人的な”夢”まで管理し、恣意的な判断により夢を見た人間を殺しうると考えるとこれは立派なディストピアと言える。
主人公マルク=アレムは気が弱く優しいと言えるが、陰鬱でやや神経症的だ。彼の目を通して語られるオスマン・トルコは曇天の下どうしたって暗い。しかし煽りほどディストピアかといわれると個人的にはちょっと首を傾げる。
まず国民は何かを制限されているわけでも、何かを搾取されているわけではない。夢を覗き見されているのだが、実は個々人結構喜々として各地元の役所に報告している。皇帝に取り上げられる夢となったらそれは大きな名誉だ。私生活を監視されているのは気分が悪いが、夢ならどうだろう。私が夢の提出を国家に求められたら面倒くさいが別にすごい嫌という感じがしない。もちろん作中では夢解釈のため、当該の夢見人が宮殿に引っ立てられて(おそらく)拷問の末殺されている(二人出てきてふたりとも死んでいるから致死率は100%である。)から、これはもう立派なディストピアであるが、オーウェル、ハクスリー、ブラッドベリのそれらと比べるといかにも規模が小さい。この小説はもう少し別の何かを訴えているようではある。

そもそも夢とは何か。それは未だによくわかっていないようだ。脳のデフラグだとも言われるがやはり模糊としており、その判断というのは古今東西人を引きつけるものだ。これに解釈となれば恣意的なものにならざるをえないし、国家的にそれをやってのけるというのは、多いな無駄にも思える。(これの判断も実際にやってみないことには出来ないのだが。)ビッグデータの走りとも言えなくもないかもしれない。(とくにその効果が未だはっきりしないという意味(少なくともビッグデータで私の生活は向上していない)では託宣という意味で皮肉な符号がある。)そもそも作中で詳らかにされるのだが、この宮殿内の夢解釈ですら捏造されている。宮殿はその特殊な構造(=機能)で(排他的であるしなんなら内部にいる人も全容を理解しない。また皇帝という最上級権力に直結しているという点で。なにより扱っているデータが模糊としている(つまり手心を加えることが容易である)という点で。)、常に権力闘争の場となっていた。夢判断というブラックボックス(=よくわからないルール)が権力の行使の理由となり、権力の道具になり、ついには権力そのものとなる。主人公はそのいわば架空だが最も苛烈な戦場に送り込まれ、翻弄されている。
夢とはなにか。少なくとも完全な球体はしていない。見る角度によってその形を変える歪なもの。それ故に読み手の心を反映してどうとでも解釈される。結論ありきの不完全な”ファクト”として消費される個人の夢たち。官僚的というよりは役所的な冗長な手続きによって秘匿される夢たち。キョプリュリュ家の一員として、またタビルの職員として否応なく権力闘争の爆心地に多々ざるを得ないマルクはしかし、優しくも無能な男であり、その細い神経は段々とすり減っていく。常に頭上には曇天が重苦しくのしかかり、常に寒さと疎外感にさいなまれる。彼の感じる重圧そして不自然さ。マルクの青春は入庁と当時におわり、不自然さがいつか通常の状態に滑り込んでいく。いわば緩慢な麻痺状態に陥っていく。巨大で真っ黒く底なしの竪穴と称される夢の集積体はしかし、不自然さを共用するより大きな仕組みのことではないかと思った。

夢の解釈は不可能である。

2017年12月16日土曜日

香山滋/海鰻荘奇談 香山滋傑作選

日本の作家香山滋の短編集。河出文庫の<探偵・怪奇・幻想シリーズ>の一冊としてリリースされた。今庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」を皮切りに今何回目かのゴジラ・ブームなのだろうけど、その「ゴジラ」の原作を書いたのがこの香山滋という人。1904年生まれで昭和の時代に活躍した文人。私は多分短編一つも読んだことがなかったと思うが、名前は知っていたのでなんとなく買ってみた次第。怪奇も幻想も好きなので。

奇妙なタイトルは海の鰻とかいて「かいまん」と読む。海鰻というのはうつぼのこと。
冒頭を飾るデビュー作「オラン・ペンデクの復讐」を少し読めばそこにあるのは重厚なで大仰な文体で飾られた昔日の怪奇譚で、例えば夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読み始めたときのような、「ああ私は今現代とはかけ離れた異郷の地のような世界に足を踏みれたぞ」というようなくらっとする感覚が味わえて興奮する。この頃の日本の小説にしか出ない味ではなかろうか。一体ラブクラフトの小説もそうだが超自然という”不自然”をあたかも存在するかのように描写するには、かなり凝った下準備と言うか舞台装置が必要で、その一つが仰々しい文体ではなかろうかと思っている。(音楽ジャンルとしてのメタルに少し通じるところがあると思う。)おそらくだが完全な幻想文学というのはやはり日本では(外国ではどうなのだろうか)なかなかやっていくのが難しいのだろう。香山滋もその溢れ出る怪奇への情熱をミステリーという鋳型に収めるように整形して小説を組み立てている。物語の中心となるのは殺人であり、それを取り巻くのは血と汗の匂いのする人間たち、そしてその周囲に異形の者の影がちらつくというやり方だ。やはりどうしても江戸川乱歩の世界を思い出してしまうのは仕方ないだろうと思う。(ちなみにあとがきを読むと乱歩も香山滋のことをよく評価しているようだ。)
精密な”怪奇”を描くにあたって香山が武器にしているのが博物学というか、生物と植物に対する深い造詣と図鑑的な説明文の大胆な挿入だろう。動植物にしても一般に流布している名称でなくて、学名をいちいち入れてきたりと、異常さをアピールすることに余念がない。これらはあくまでも作者にとって道具であって説明に終始しないところも結構読みやすさを意識して描いている姿勢が見て取れる。
もう一つ面白いのが”憧れ”でこれは具体的には地球上にまだある未開の地へのあこがれである。衛生で地球の地表上ほぼすべてを網羅できる現代では難しいかもしれないが、昭和の時代ならまだ人類未踏破の未知の世界があり、そこには文明に発見されていない全く目新しい生物、植物が溢れているだろうという考えである。(もっともいくら昭和でもないのはわかっているけどやはり憧れを抑えきれない、という知識人の心持ちだったのではないかと思うけど。)その憧憬が絶海の孤島のトカゲだらけの島や、ゴビ砂漠の奥地から来た未知の蝶だったりという要素を生み出す一つの理由になっているように思う。まったく私達の世界の理論とは別の思考体型で動き躍動する生命の野蛮さというのが、半端に文明化された私達の心に不思議なノスタルジックさ(人間はいったことのない土地、存在したことのない土地にもノスタルジーを感じることができる。)を呼び起こす。

エロとグロをしっかり抑えているし、この時代の怪奇にどっぷり浸りたいという人には文句無しでおすすめの一冊。

2017年1月29日日曜日

ダフネ・デュ・モーリア/人形 デュ・モーリア傑作集

イギリスの女性作家の作品を集めた短編集。
ヒッチコック監督により映画化された「鳥」を書いた人で、同じく東京創元社から出た一つ前の短編集「今見てはいけない」が非常に面白かったので、続くこちらの短編集も発売と同時にゲット。

後味の悪〜い短編を書くのがこの人なんだけど、そういった作風だとやはり最近読んだ「くじ」で有名なシャーリイ・ジャクスンが思い浮かぶ。両者の違うところってなんだろう?と思いながら楽しく読めた。まずデュ・モーリアは超自然的な要素はほとんど(というのも全部押さえたわけではないので)書かない。現実的というのもそうなんだけど、人の内面にフォーカスして、人との繋がりや対話の中でそのいやらしさというのが滲み出てくる。ジャクスンの方はダメになっていく動き(正常から狂気への)があるけど、モーリアはある意味持って悪い、すでによろしくない何かの一部分を切り取っていて、つまり最初から最後までずっと悪い。(もちろん最初はわからなかった”悪さ”が露呈していく過程を描いている物語も多いので、そういった意味ではきちんと小説という形式的には十二分面白い。わからなかったものの正体が読み進めることでわかってくるという楽しみがあるので。)ジャクスンが神経症的な怖さがあるのに対して、モーリアははなからどうかしている。調子が狂っている。どちらも魅力があり、甲乙つけがたいのはもちろんだが、モーリアには諦観めいた絶望感があって読むとゾクゾクするいやらしさがある。同時に弱いものに対する同情、そして愛情があると思う。この短編にも娼婦であるメイジーを主人公に据えた物語が二つあるのだが、メイジーは学がなく、見た目も貧相で、自業自得で悪の道に落ちたわけだが、読むと何かしら存在しない彼女に対して複雑な思いが浮かび上がってくるのはきっと私だけではないのではなかろうか。一度失敗したらもう取り戻せないのだろうか。無知でい続けることは罪だが、最初の決断の時に無知なのは罪なのだろうか。自業自得という言葉を使うのは、私は最近特にそう思うのだが、実力があるというよりは今までずっと幸運だったものなのではないだろうか。私の、そしてあなたの人生がとてつもない災厄に見舞われて嵐のように落ち込んでいくこともあるのかもしれない。安全な位置にいるものが「しょーがないでしょ」と言い切ってしまう残酷さに歯止めをかけるような、そんな優しさが、モーリアの小説にはあるような気がしてならない。
モーリアの小説を読んだ時のなんとも言えない嫌な気持ち、居心地の悪さは、行間に潜む「しょーがない」の背後に潜む弱いものたちの声なき叫びが読み終わった後も安穏な人生を送る私たちの耳に残り続けるからなのかもしれない。私たちは生きているだけで誰かの人生を踏みつけているのかもしれない。

読んで気持ちの良くなる本ではないけど非常に面白い。ホラーがファンタジーとして機能するなら、ホラーですらないのかもしれない。ただ怖い、そして嫌な感じだ。

2017年1月9日月曜日

チャイナ・ミエヴィル/爆発の三つの欠片

アメリカの作家による短編集。
チャイナ・ミエヴィルの新作ということで買って見た。そもそもミエヴィルを読み始めたのが前回の短編集「ジェイクを探して」だった。表紙が私の好きな漫画家の弐瓶勉さんぽくてかっこよかったから買ったのだ。要するにジャケ買いだったんだけどその中身がよくわからないんだけど面白かった。そこから全部を読み切ったわけではないがミエヴィルは好きな作家の一人になった。

今回の短編には28つの短編が収録されている。数は多いから一つ一つは短いが結構読むのに時間がかかってしまった。ミエヴィルは決して読みやすい作家ではない。特に短編では彼のぶっきらぼうなところと、やや天邪鬼なところ(あえてわかりにくい書き方をするところがあるかなと、後述)が出ている。具体的には状況の説明があまりない。SF作家には結構ありがちだが、マクロな視点ではなくミクロな視点でも圧倒的に説明が不足しており、これはあえて書かれていないので「なんだなんだ」と思って読み進めないと状況が把握できないような作りになっている短編もいくつかあった。これはもちろんあえてこう書いているのであって、「暗闇を歩いているような不安な気分を味わってね」という作者の配慮に他ならない。いわば書かれた文字ではなく、そこから生まれる体験(よくUXとか言われるのと近いかなと個人的には思った。)もプロデュースしちゃうよ、というのがミエヴィルなのかもしれない。読みやすいわけではないが、代わりに他では得難い独自の雰囲気を獲得している作家だと思う。その持ち味が短編になるとギュッと凝縮されていて個人的には大変面白かった。読み解くような読書の遅さも楽しみの一つになったと言える。
自作を怪奇小説と称しているらしく(wikiより) その言葉通り、SF、幻想小説の垣根なく不思議な作品を書いている。(その世界観が遺憾無く発揮されているのが長編「ペルディード・ストリート・ステーションだろうか)ジャンルレスというより描きたいものが既存の枠に収まりきらないのかもしれない。相当頭のキレそうな人だからもちろんその創作物も複雑な意図に満ちているのだろうが、わかりやすいメタファーというよりは不思議そのものを描いているように思えるし、それが本書の帯の「シュール」という言葉に結実しているようにも思う。短編によっては異世界のことが異世界の言葉で書かれているように愛想がなく、異世界の説明不足のまま終わってしまうこともあり、ページを通して異世界を垣間見た読書はポンとそこから放り出されてしまうようなこともある。ミエヴィルのニヤリと笑う顔が見えるようである。(ミエヴィルは作家にしては(という言い方も変だが)強面のほうだ。)
個人的に気に入ったのは下記二つの短編。
「ゼッケン」これはチャイナ・ミエヴィル流の怪談と捉えた。ドイツを訪れた若い女性のカップルが幽霊にとりつかれる話。外国の幽霊譚というとびっくり箱的な恐ろしさがあるものだが、これはかなり和風ではないだろうか。因果がありそしてそれが結局生身の人間には理解できない、という作りがただただ恐ろしい。
「九番目のテクニック」これは魔術、もっというと呪いを現代的に書いた作品。これも方程式めいた独自の言語で書かれており、読み手は魔術師ではないので(私が愚かな性というのも大いにある)全てをはっきり理解できることができないのだが、現代に生きる黒魔術の世界を垣間見ることができる。ミエヴィルはトールキンを毛嫌いしているらしいが、未だに骸骨、蝋燭、反キリスト的な文言など旧態然とした魔術の要素・モチーフを使い続ける小説群に対しての強烈な反旗のようにも感じれらた。この本の中ではこれが一番面白かった。ぞわぞわきてしまうくらい面白かった。

個人的には大変面白かったのでいろんな人にも読んでもらいたい。読みやすいわけではないが、不思議な話(SFでも怪奇でも)に興味がある人ならすらっと楽しめてしまうと思う。是非是非どうぞ。
wikiを見るとまだまだ訳されていない作品があるみたい。新作も楽しみだがまずは既存の本を翻訳してほしいなと思う。とりあえずまだ読んでない作品を買ってみようと思っている。

2016年10月30日日曜日

東雅夫編/世界幻想文学大全 幻想小説真髄

アンソロジストの東雅夫さんが世界の幻想文学の定番作品をまとめるシリーズ。この間紹介した「怪奇小説精華」と対をなすのがこちらで、東さん曰く幻想文学というのは「ホラー(怪奇)」と「ファンタジー(幻想)」の両極があってグラデーションをなしつつ色々な作品がせめぎあっているのですよ(ただし両極は対角線上にあるのではなく、メビウスの輪っかのごとくぐるっとどこまでも繋がっているのだそうな)とのことで、こちらはそのファンタジーに接近した作品を集めたもの。
私は幻想文学といっても大体ホラー寄りの作品ばかり読んでいるので、幻想文学というと実はよくわからない。「ハリーポッター」シリーズも読んだことないし、ファンタジー界に燦然と輝く「指輪物語」も映画しか見たいことない(「ホビットの冒険」は読んだ。)。最近山尾悠子さんやボルヘスの作品をポツポツ読んだくらい。あとは個人的には澁澤龍彦さんの「高岳親王航海記」が一番印象に残っているかな〜というくらい。あとはラブクラフトに多大な影響を与えたということから読んだロード・ダンセイニの一連の作品群だろうか。ホラーは怖がらせればなんでもあり的な裾の広さがあって例えば「悪魔のいけにえ」だったり映像作品と結びついて広く人々に愛されている(けど反面俗化して本来の意味というのは拡散しているのかもしれませんね)けど、なんとなくファンタジーというと格式高いイメージがあってそこまで市民権を得ていないのかなという気がする。ファンタジーというと個人的にはやっぱり剣と魔法の世界?という固定観念をイマイチ払拭仕切れていない感じ。そんな俗な固定観念に毒されている私なので密かに期待感を持って読んだのがこの本。そういったいみではどれも名作と名高い短編を集めたこのアンソロジーは大変嬉しい。
何回かこのブログでも書いているが澁澤龍彦さんが幻想というと曖昧に書けばいいと思っている人が多いけど違うからね、と仰ったそうで扱っている世界は現実離れしていてもそれを正確に描写しないと面白い物語にならないというのは確かで、この本には不思議な物語が詰まっているわけで、中には本当に半分覚えていない夢のように説明がつかない模糊としたものもあるわけでそういった意味では多様な作品が集められているのだけど共通してどれもその物語の核となる”不思議”ははっきりとした言葉で綴られている。それが豪華絢爛で華美、仰々しくも流麗なものもあれば、そっけない語り口でそれゆえ”リアル”に感じられるものもある。ミステリーというジャンルではわかりやすいがこの謎というのはとにかく昔から人間の好奇心というのを大いにくすぐってきていて、センスオブワンダーってやつは大航海時代、そして広大無限なはるか星の世界つまり宇宙に人間を駆り立てていったわけ。そんな不思議な謎がキラキラと、または見るからに不気味に輝くのが幻想文学。いろいろな謎が提示されているものの、ファンタジーのジャンルではそれがわかりやすい因果関係で持って解き明かされることは少なくそれが受け入れられるか否かがひょっとしたらそのままこのジャンルに対するハードルになっているのかもしれない。
「怪奇小説精華」も文体は絢爛なものが多かったが、こちらの方がその傾向が強い気がした。というのも非現実を扱うにはそういった舞台装置が必要になるからだと思っている。いわば呪文みたいなものでこの独特の言い回しが読み手を幻想の世界に導いていくのだ。恐怖に頼らないファンタジーに関してはさらに強い呪文が必要になってくるのかもしれない。煌めきを写し取ろうとするにはどうしてもそのような言葉が必要になってくるのかもしれない。

冴えない主人公が恋とそして冒険に巻き込まれるE・T・A・ホフマンの中編「黄金宝壺」はまさに幻想文学の一大絵巻といった様相を呈しており、人間の想像力の限界に挑むかのような視覚的な表現がどっぷりと夢の世界に浸らせてくれる。同じ恋を主眼に据えながらも全く逆の死の世界に舵をとったゴシックロマン調のヴィリエ・ど・リラダンの「ヴェラ」も恐ろしく儚く、正気と狂気の境にある美を描いている。擬人化された夜の描写はたった4行ながらこのジャンルの魅力を濃縮したようで胸を打った。
一方絢爛な美の世界と正反対に力強くも無愛想な文体で書かれたアンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」。これは再読になったがやはり悪夢としか言いようがない。これは日常の先にある”もしも”の世界で持ってそういった意味ではホラー色も濃い。
同じくアーサー・マッケンの「白魔」も再読だったがやはり良い。ケルトの謎が峻厳で渺茫とした英国の野生の景色に溶け込んでいる。ページをめくるだけでそんな世界にトリップできる。

600ページ超というボリュームで幻想の世界にどっぷり浸ることができる。やたらと残酷趣味な幻想に疲れた人は是非どうぞ。また日常に倦んでどこか遠いところに想いを馳せる人も是非どうぞ。

2016年9月4日日曜日

キジ・ジョンスン/霧に橋を架ける

アメリカのSF作家による日本独自の短編集。
表題作は権威のあるSF文学賞であるヒューゴー賞とネビュラ賞を獲得している他、その他の短篇も色々な賞を獲得している。要するに今旬な作家という事だろうか。文庫になったタイミングで買ってみた。
世界幻想文学大賞も獲得している事から分かるのだが、ガチガチのハードSFではなく、現代には存在しない未来的なガジェットを使いつつ、不思議な世界を書いている。解説で書いてあって確かにと思ったのだが、どの物語も特定の人物を主人公をその中心に据え、全編に渡ってあくまでも個人的な視点で持って綴られている。そういった意味では非常に読みやすかった。
気に入ったのはやっぱり表題作「霧に橋を架ける」。
これは気体状の酸(のようなもの)の霧があり、その中には正体不明な”魚”が潜む、という一番超常的な時代設定(一番SF的なのは問題作「スパー」だろうか。)。その霧を渡る橋を造る男の姿が結構長いスパンで書かれている。色々な事件があるものの基本的には本当に主人公が実直に橋を架けていく様を、技術的な描写も交えつつ書いている。この物語から色々な意味や意図を抽出する事も出来るのだろうが、個人的にはそういったのを脇に置いていて一風変わった生活を書いているところが面白かった。そういった意味では椎名誠さんのSFに似ているかもしれない。(が椎名さんの物語にはもっと男の子的な冒険があるから似ているというのはその書き方くらい。)SFが思考実験だとすると、有害な霧が存在する世界で人間がどのように進歩していく(技術的には現代より幾らか昔の世界観)様を非常に非常に丁寧に書いているように思う。それゆえスケールは小さくなるのだが、前述した通りそこが魅力の作家だと思う。
難点を挙げるとするどの物語もちょっと奇麗にまとまりすぎているかな。暴力や流血が足りないとかいう意味ではないし、実際様々な感想を巻き起こしている「スパー」(エイリアンの脱出船で人間の女性宇宙飛行士がエイリアンに延々レイプされる話。)は十分すぎるにショッキングなんだけど、その他の物語に関しては物語にもし”お約束”があるとしたらわりとそれに沿っている様なイメージ。もうちょっとこう作者本人の濃い個性を出しても良いのでは…と思ってしまったりした。
ちなみにキジとは変わったお名前なのだが、これは本名をもじったもので本人は女性。私はその女性を知らずに読み始めたのだが、冒頭を飾る「26モンキーズ、そして時の裂け目」を読んで割とすぐにひょっとして書いているのは女性かな?と思った。多分私は普段男性作家の小説を読む事の方が多そうだ。特に作者の性別にこだわりはないので女性の作家の小説も楽しく読める、というか性別を気にすらしないのだが、たまーにこのキジ・ジョンスンのように作者が女性だな!と思う事があって不思議だ。(一つには恐らく男性の書き方があるように思う。同じように男性が書く女性も女性が読んだら「これ書いたの絶対男だな〜」と思うのだろうな。)「ストーリー・キット」は女性にしかかない話だと思うけど、その他の物語も特有の女性らしさ、というのがあってそこが面白かった。
SFって小難しいんでしょう?という方は是非どうぞ。

2016年7月31日日曜日

ブッツァーティ/タタール人の砂漠

イタリア人の作家による幻想小説。
ブッツァーティは昔光文社から出ている「神を見た犬」という短篇集を読んだ事がある。もうあんまり内容を憶えていないのだけれど。(そういった事もあってこのブログを始めた的な感じです。)
幻想文学界では結構有名な話らしくそんなら読んでみるかというくらいの気持ちで購入。

イタリア人の青年ジョヴァンニ・ドローゴは将校として辺境のバスティアーニ砦に配属される事になった。砦は人の通わない谷に位置し、戦略的な価値はほぼないという。町からも離れ、出世も見込めない。嫌気のさしたドローゴは着任早々に転任を求めるが、上官に諭された彼はすぐに離れるつもりで任務に就く。砦は広大な砂漠に面しており、その砂漠には凶暴なタタール人が住み、いつか武装して攻めて来るという。ドローゴは離れるつもりが砦の生活に沈み込んでいく。

幻想的で不条理なその作風で持ってイタリアのカフカと称される事もあるという作者であって、今作はそんな作者の代表作という事でどんな幻想的な世界が!と思って読んだのだが結構思っていたのと違ってビックリした。つまらなかったという事は全然なくてむしろ夢中によって読み進めたのだが。
要するにこの物語は、前途ある若者がつまらない仕事にとらわれて未だ和解から大丈夫だろと考えているうちに時間は矢のように過ぎて青春と人生の時間をどんどん失ってしまうという話なのだが、発表された当時は幻想性もあって評価されたのだが現代の私が読むと幻想も何もあったものじゃない、実際の自分の姿を見ているようで、たしかに妙に夢の様な陶酔感のある寓話ではあるのだが、現実的過ぎて恐ろしかった。(下手な怪談寄りよっぽど怖い。)
私もいい加減良い年なのだが、やっぱり働くのは大変。働く事はすべての人間にとって苦痛でしかないとは言わないが、なかなか満足する様な環境で働いている人は少ないのではなかろうか。いっそ罵倒される、給料払われない、殴られる、そんなブラックな環境で働いていればやめる事しかなくて良いのだが(勿論大変な事なのだが)、頑張ればまあ我慢できるかな、ちょっと働いてしばらくしたら転職するぞ!というような状況の方が結果的にはやめられなくて、いつの間にか時間が経って辛いのでは。毎日それなりに疲れてしまい、自分のための活動は先延ばしにされ続ける。なんとかやり過ごせる故感覚が麻痺してくる。ある日ふと思う「あれ?今から何かするには俺としとりすぎてねえ?」
状況が悪いのは仕方ないにしてもこの時、一番危ないのは危機感の欠如と自分には未だ時間があるという慢心である。時間は有限である。いつもでも若くはない。この純然たる事実をみんな知っているだろうが、分かっている人は敢えて言うけどほぼ皆無じゃないのか。みんなそれなりにとしくっても未だ自分には何か出来る、と心の奥底では思っているのじゃないか。そしていよいよのっぴきならない状況になると「こんなはずでは…なんであの時」と思うのである。これよっぽどの人でもなければ大半の人はこう思って死んでいったんじゃないかと思うと辛すぎる。
世界には色んな奇麗なところがあって、いつか行けるしいつか行こうと思っていると結局行かないで死ぬ。これはそんな話である様な気がする。作者もそういっている(と思うんだけど)が待っていても何も起こりませんよ、悪いけど。そりゃ運もあって待って海路の日和ありな人もいるんだろうけど、そんな確立低い事にかけて自分の限られた時間を空費するのですか?という話ですよ。
まあ人間なんてどんな環境にあっても満足する訳ではないし、実際に満足できる状況なんて希有だろうが、それでもつまらない仕事や些事に毎日の時間とらわれて公開するのは悲劇としか言いようがない。もっと自分勝手に生きようぜ、という幻想文学らしからぬ作者の激励が詰まっている様な気がして来た。なんだろう、こう感じるのは私だけなのか。

幻想という言葉つられたけど全然違うじゃねえか、こっちは現実逃避で小説読んでんだぞ!と作者に詰め寄りたくなる様な本。激怖い。若い人、毎日の仕事にイマイチ納得感のない人は是非読んだ方が良いです。

2016年1月2日土曜日

岸本佐知子編訳/居心地の悪い部屋

翻訳家でエッセイストでもある岸本佐知子さんがセレクト、訳した短編を集めたアンソロジー。岸本佐知子さん自体は知らなくて、多分翻訳も読んだ事が無いと思う。Amazonでお勧めされたのを気になって買ってみた次第。

なんといってもタイトルである。「居心地の悪い部屋」。インパクト大。このタイトルは岸本佐知子さんが付けたものだと思う。収録されている作品のテーマを端的に表現しており、なによりその言葉の語感の印象も強く良いタイトルだと思う。
全部で12の短編が収録されているのだが、敢えてカテゴライズすればホラーか幻想の分野だろうか。イマイチはっきりしないのはどの作品も独特の味があるのだ。恐怖や不安を扱っている作品が多いし、たしかに血も流れるのだがどばどばではないし、流血沙汰自体を書いている作品は無い(と思う。つまり恐怖小説ではあるが流血行減は手段にすぎないという書き方)。それでは幽霊かというと確かに超常現象を扱っている短編はあるし、なんとも常識(や科学)で説明のつかない物語もある。しかしはっきりと異形のものどもが出てくるかと言われるとそうでもない。ようするにどれもはっきりとしないところがある。はっきりとしないのだが、それは言葉にする事が難しいわけで怖くない訳では全くないのがその持ち味だ。(カテゴライズが困難であることはどれも凝った物語である事の証左であるかもしれない。)不条理と言っても良い。シュールとは少し違う。どれもある程度(8割かそれ以上くらいの印象だが)は非常に現実的である。ただそこから先が霧の中だ。物語によっては唐突だったり、それとも始めから少しだけずれている。とらえどころが無い。ただはっきりと説明できないし、不安である。そんな嫌らしい短編が集められている。ここでもう一度タイトルに戻る。「居心地の悪い部屋」である。たとえば「恐ろしい部屋」「血塗られた部屋」「呪いの部屋」「暴力と殺人の部屋」「悲しみと苦しみの部屋」なんかとは一線を画すのだ。なんか直接的ではないけど、不快である。可能ならば立ち去りたいのだが、何となく説明できないから言い出しにくい、そんな感情が「居心地の悪い」に集約されている。

ちょっとこれは問題がある書き方である事は自覚しているのだが(理由は後述)、ひょっとしたら女性の方が選定しているからこういうラインナップになったのかなと思った。というのもこの手のジャンルは大好きだが、この本は勿論ホラー・幻想のカテゴリに入るものの今まで読んだアンソロジーと一線を画す。思い返してみると私が読んだアンソロジーの編者は男性が多かったように思う。中村融さんや東雅夫さん、西崎憲さんなどなど。現実的なのに(ここが重要!)全体的にはっきりと言葉で表現しにくい、というのは女性っぽく思えた。男性はよくも悪くも分かりやすいのかも…と思うのだが、単に私の読書量が足りないので女性である岸本佐知子さんのこれ一冊で判断するのはいかにも早計であるな。じゃあ書くなという話なのだが、なにとぞご容赦ください。女性が編んだアンソロジー、もっと読みたいものです。

何とも言えない気分になって、そういうのは嫌いではないので楽しく読めた。もやもやしたのがOKってひとは是非どうぞ。

2015年11月30日月曜日

日影丈吉/日影丈吉傑作館

明治生まれの日本人作家の小説を集めた本。
全く知らなかった作家だが、Amazonにお勧めされたかってみた。どうも幻想味のある探偵小説を書く人らしい。帯にはかの澁澤龍彦さん賞賛した作家と書いてある。
全部で13の小説が収録されている。折口信夫や江戸川乱歩が絶賛し、「宝石」という雑誌の賞も取ったという「かむなぎうた」、泉鏡花賞を取った「泥汽車」。なんとなくこの2つの物語でもってその作風を窺い知る事が出来る。
「かむなぎうた」をはじめミステリーの要素を持っている小説が多い。どういう事かというとつまりある謎が物語の中心や根底にあって、その周辺にいる人物がその謎を解き明かしていくという骨子があるのだ。にもかかわらずどの話も所謂本格ミステリーとは一線を画す、さらにいえば少し変わった小説が多いなあというのが素直な感想。こういうと何だが、人に読んでもらうためにミステリーの体裁をとっているものの作者が書こうとしているのはちょっとそこからぶれているのかも、と思った。これは別に小説として出来が曖昧というのではなくて、ミステリーと幻想に両足を突っ込んだまさに作者独特の世界観を作り出しているのである。
冒頭の「かむなぎうた」もどちらかというと都会から田舎に都落ちした少年の、母親を失ったという来歴の寂しさと、田舎の豊穣で粗野な郷愁が豊かな筆致でもって丁寧に書かれている。(この描写の豊かさはちょっとミステリーには無いのではなかろうか。)ある登場人物の死が謎になる訳なのだけど、証拠至上主義というよりは主人公の少年が真相(と思われる)に達するまでの思考の道筋が書かれているようで、それゆえ結末もなんとも茫洋なものになっている。面白いのはその茫洋さがこの作者の持ち味になっているところだ。つまり謎の解決を書きたい訳ではない事がここら辺からなんとなく伺える。
前述の「泥汽車」なんかはミステリー風味のほぼ入らない、こちらも内省的な少年の回想録の趣を持っている。「かむなぎうた」とちがって少年の原風景が近代化によって破壊されていくとこんどはそこに幻想の世界が入り込んでくる。これがまたたまらなく日本人の心に刺さる。私は現代人で本当の田舎の風景はきっと見た事がないはずなのに、なんとも鮮やかに失われた風景が頭と心に再現されるものだ。
一方で配線濃厚になって来た苛烈な太平洋戦争末期のとある部隊の生き残りを描いた「食人鬼」。これはタイトルが物語をほぼ説明している。南方では全く聞いたことが無い訳ではないともう食人ネタを扱った物語。これは完全にホラーで、鬼というのはつまり人で無くなった人の事。山中の祭りの美しさとそこに入り込む幻想味がたまらない「人形つかい」はラストにゾクゾクする事間違い無し。
全編を通じて失われつつあるものや、すでに消え失せたものへの哀悼とそして惜愛の念がひしひしと感じられる。だからどの物語もちょっと寂しい。面白かった。

2015年8月9日日曜日

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/砂の本

アルゼンチンの作家による短編小説。
幻想文学野分野ではとても有名な人ではなかろうか。アルゼンチンの国立図書館館長にも任命されている方です。実は私ボルヘスの本を買うのは2回目。大分前学生かもしくは卒業したてくらいの頃に「伝記集」を購入したのだが、冒頭で挫折してしまった。けちくさい私なので買った本はうむ?と思っても大抵読み切るものなのだが、今となってはそのときどう思ったのかは覚えていないが相当わからん!と思ったのだろう。
それから時間も経ったのでもうそろそろ…というわけで再チャレンジしてみたのがこの本。
「砂の本」という幻想文学のシリーズに、「汚辱の世界史」という世界の悪人たちを題材に取り上げた伝記ものをくっつけた本で「汚辱の世界史」の中にはさらにいくつかの短編と色んな古典から一部を抜粋したもの(をボルヘスが訳したのだろうか?)が含まれている。
このボルヘスさんというのはその生涯を通じて短編しか書かなかった。また詩人でもあるのでとにかく言葉が簡潔で、難解な修辞などは全く使われていない。思ったほど分かりにくくはないのである。ただその確固たる言葉を使って作り出される世界というのがまた不思議なのだ。例えばわかりやすくお化けや化け物が出てくる物語は意外に少ない。(ないことはない。なんとラブクラフトに捧げられたコズミックホラーもあったりします!まさかの展開に歓喜。)悪夢のように模糊とした書き方をする訳ではない。いわば非常にソリッドな幻想世界を簡素な言葉でもって構築するのがこの人の持ち味らしい。一遍目の「他者」これは70歳になった著者ボルヘスがまだ若い自分のドッペルゲンガーと遭遇する話なのだが、若い自分にしたって本当に触れるくらいしっかりしている存在として描かれている。怪異や不思議そのものは勿論描かれるのだが、その前提として不条理だったりずれみたいなのがあって、結果怪異が生じました、という書き方。なんで非現実的な事がおきたのでしょうね?と暗に問いかける(決して読者に直接的な問いかけする様な事は無い)ような書き方。なのでどの物語も非常に短いのだが、とにかく紆余曲折あってこうなったというその背景(歴史)があるように感じさせる。ちょうど良いところだけを切り取ったのがちょうどこのボルヘスが書いたところ、というような印象。
さて怪異や不可思議というのは結構何かの暗喩だったりするわけで、そうすると非日常のギミックが出てくる小説というのはどこかしら寓話めいてくる。別に説教臭くなる必要は無いし、勿論不思議としての不思議だって沢山あると思うけど。そこに来るとこのボルヘスの書く不思議たちというのは様々な解釈が出来るものの、一体何かを象徴しているのだろうか、というと結構難しい。変な話だがボルヘス自身も一体我々を取り巻く世界というものがわからないので、分からないなりに解釈してみようというプロセスの中で彼の物語が生まれて来たように、個人的には感じられるところがあって、うーん?と最後一緒に迷うかの様な「余裕」(というのも変な話だが)がある様な気がする。勿論これは私の解釈でボルヘスは完璧主義者で彼の物語は一語一句すべて何かしらの意味含蓄を持っているのかもしれぬ。ただ何となく私はそんな風に思ってボルヘスの小説の柔らかさに感心したのでした。

という訳でおっかなびっくり手に取ったが意外にも非常に楽しく読めたので次の本が読みたい。折角だから「伝記集」がちょうど良いのだろうが、本棚のどこかに放り込んでしまったので探すのがムズイ。どうしたものか…
幻想文学好きな人は是非どうぞ。「汚辱の世界史」がある分ボルヘス入門としては良いかもです。

2015年6月21日日曜日

中村融編/18の奇妙な物語 街角の書店

東京創元社から出版されたアンソロジー。
アンソロジストの中村融さんが編集したシリーズは全部を読んでいる訳ではないのだが、今のところはずれ無しに楽しませていただいているので今回も購入。
今回のテーマは「奇妙な味」。私も何回か目にした事がある単語だが、元は江戸川乱歩が作った言葉で「ヌケヌケとした、ふてぶてしい、ユーモアのある、無邪気な残虐というようなもの」ということで英米探偵小説の一部の作品を指していたらしい(本署解説より)。それが今では何とも言えない読後感のあるSFとも幻想怪奇小説ともとれる作品に使われるようになり、その観点で持ってその”奇妙な味わい”のある作品をまとめたのがこのアンソロジーである。
一番有名なのは「くじ」のシャーリィ・ジャクスンだろうか。この間このブログでも感想を書いたロジャー・ゼラズニイ。ドートマンダーシリーズのウェストレイク(の変名)やフレドリック・ブラウンも名を連ねる。
いくつか気に入った作品を紹介しよう。

ミルドレッド・クリンガーマン/赤い心臓と青い薔薇
病院に入院する「わたし」。向かいのベッドの女が話をする。クリスマス前の時期軍隊に行った息子が休暇に道中一緒になった男を実家に連れてくる。何とも言えない雰囲気を持った男は語り手の女のことを「マム」と呼び、その振る舞いは次第に奇妙さを帯びてくる。
語り手が病院に入院しているからか、聴かされる物語は次第に不穏さを帯びてくる。結局何が正しいのかは判断つかないのだが、一つ一つのエピソードに少しずつ真実が紛れ込まれているようで底から類推するのが楽しい。なんせ主人公の「わたし」も語り手と一緒に入院している訳で全部夢か妄想なのではとも思えてしまう。

テリー・カー/試金石
会社員ランドルフはある日怪しい本屋で「試金石」と呼ばれる魔術道具を買う。真っ黒くて三日月の形をしたその石は不思議とランドルフの手に馴染んだのだ。ランドルフの手は石を求め、意識は次第に鈍麻してくるようだ。日常が奇妙に少しずつぶれていく様な気がする。
大事件は起きないのだが、なんかおかしくないだろうか?と思う、その違和感を欠くのが抜群に巧妙だ。魔術道具、たとえばお守りもそうだが、説明をつけるのが目的だとすると自派よく動いている。ランドルフに起きた不調の説明が試金石のせいでないにしても、最終的には石が悪かったって事になるのが面白い。きちんとその役割を果たしのかなと思う。

ケイト・ウィルヘルム/遭遇
保険のセールスマンクレインは仕事に向かう途中大雪に遭遇し、長距離バスの待合所に一晩止まる事になる。イラストレイターだという女性も一緒だった。暖房が良く効かない密室の中でクレインは決して良好とは言えない妻戸の関係に思いを馳せていくが…
雪に降り籠められた密室で一見完璧な男の表面がいちまいいちまいはがれていき、その中に隠した狂気が暴かれていく。解説にある通りのラストにはぞっとするのだが、むしろその破綻に至るまでのクレインの深奥が明らかになっていく過程が素晴らしかった。無論ほかの17の物語も文句無しに面白いのだが、この一遍だけでお金を払う価値があるなと思う。作者が女性だからだと思うのだが表現と台詞が感情的かつ鋭くて良いんだよね。
クレインはメアリ・ルイーズを殴った。初めて殴った。手術後の彼女は蒼白で出血のために弱っていた。クレインは彼女を殴った事を何とも思わなかった。のびた手が彼女の頬にぶつかって、赤い跡を残しただけだ。
この分の冷静さ、そしてそれ故の恐ろしさよ!男性作家ならもう少し誇張して書いてしまうのではあるまいか。

どれも面白かったが個人的には女性作家の手による作品が壷に入ったのかなと、改めて思い返してみると思う。情念!というほどの濃い作品がある訳でもないが、説明できない不可思議が主題になる時、感情を素直に表す女性の感性が冴えるのかもしれない。こんな単純化できる話でもないかもしれないけど…
さてSFとも超自然とも説明できない、または説明しない作品というのは怪異そのものというより、怪異が引き起こす状況自体が描写したい対象となる様な印象がある。厄介な状況は人間の感情を、それも複数の感情が入り交じった複雑な気持ちや感覚を誘起する。その感情が入り交じった状態が”奇妙なあじ”なのではと思う。これは中々病み付きだ。
好きな人にはたまらない短編集だと思う。不思議な物語の収集家の貴方は是非、手に取ってみてほしいオススメの一冊。

2015年2月22日日曜日

レイ・ブラッドベリ/太陽の黄金の林檎

アメリカのSF作家による短編集。
ハヤカワ文庫からで私が買ったのは新装版。
さてレイ・ブラッドベリ!言わずと知れたアメリカSF/幻想文学界の巨匠。一番有名なのはやはり「華氏451度」でしょうか。私は「火星年代記」を読んでからのファンで膨大な著作もほとんど手つかずですが、折りをみて買っては読んでおります。
この短編集には全部で22の比較的短い短編が収められており、SFのテイストに色付けされながらも、どちらかという幻想作家としてのブラッドベリの手腕が存分に発揮されたなんとも”郷愁”や”怪奇味”を感じさせる不思議な作品が多めの印象。
なかでもいくつか特に楽しかった短編を紹介。

四月の魔女
恋に恋する魔女が精神を他の女子に飛ばして無理矢理恋させるおはなし。思春期の女子のわがままさを魔女という超常の存在に結実させた感じで、おいおいと思いつつもなにか微笑ましい。

人殺し
テクノロジーの発展により何時何時でも他人と連絡を取り合うのが普通となった社会。ある男がよそからの連絡を絶とうとし、身の回りの機械を破壊すると刑務所に入れられて…というディストピアを描いた短編。常日頃から電話が好きではない私は(他人に良いようにされるのが好きじゃない。)大いに共感したものだが、このディストピアって現代じゃん!

ぬいとり
三人の女がポーチに坐って一心不乱にぬいとりをしている。もうじき何かが起こるらしい。何かってなんだ…。当たり前だが世界が滅亡したとして、全世界の人間がそれに直面するはずで、その中から田舎の女性三人に焦点を当てた作者は流石だ。こうやって最後を迎える人も絶対いるだろう。世界が終わっていく様がなんとも恐ろしく、嘘のように(または虚構故に)美しい。

発電所
砂漠に棲む女性が母親の危篤を知り、夫ともに遠く離れた故郷を目指す。不安に教われた女性は無人の発電所で一夜を過ごす事になるが…
22個の短編の中でも異彩を放っている短編だと思う。正直この物語の意図するところが完全に理解できないし、勿論読んだ人によって感想は異なるのだが、なんだかすごいという事が分かる。女性が発電所の電気を通して世界と”接続”。そして自分が何者かを知って恐れが無くなる、という話。いわば電気の力を借りた強制的な悟りの境地なのか…彼女が何万もの彼女になって電気となってスイッチを押した家々に顕現する様は圧倒的過ぎて声も出ない。
今まで聖書に栞をはさんだことがないのは、この砂漠での生活に、恐ろしいものが何一つなかったからだろう。(中略)生活の危機はいつも脇を通り抜けていった。死は、いってみれば、遠くで吹き荒れる嵐の噂だった。
この一文のなんと素晴らしい事か。私がもやっと感じていた事をすっと簡潔な言葉で表現してくれる。

ごみ屋
トラックに乗って町のごみを集める男。辛い仕事ながらも自分の仕事に誇りを持っていたが、ある日来るべき危機に備えて有事の際には死体を回収するように市長から通達があり、男は…
これもそうなのだが、うまく言葉にできない人間の「尊厳」「品性」をみごとに物語に閉じ込めた寓話。説明できないからないと思っている効率主義者達はこれを読んだら良い。

なんだか最近面白くもややこしい小説ばかり読んでいた所為か、本当にあっという間に読んでしまった。ブレッドベリは優しい。その視点は冷静で辛辣だが、彼の紡ぎだす世界は残酷でありながらも美しい。それは夕焼けや夜の美しさかも知れません。アイディアと文体で真っ向勝負する素晴らしさ。心に来る物語が読みたい人は是非どうぞ。

2014年11月2日日曜日

A・E・コッパード/天来の美酒/消えちゃった

イギリスの作家による恐らく本邦オリジナルの短編集。
訳して編んだのは南条竹則さん。
この間紹介した同じ作者の「郵便局と蛇」が面白かったもんで、すぐにこの本を買った次第。
生涯を通じて2編(自伝と子供向け)しか長編を書かなかったという生粋の短編小説作家であったコッパード。この本には11編の珠玉の物語が編まれている。
相変わらずちょっと不思議な様な、牧歌的な雰囲気があったかい様な、それでいて背筋が凍る様な、そんな要素が混沌として簡潔ながらも詩情に(作者は詩人でもありました。)あふれまくった短編に何とも言えない味わいがある。今作ではより幻想味は抑制され、かわりに悲劇的かつ宗教に関する不信感(無神論者であったそうな)をイギリス人らしく黒いユーモアに包み込んだ作品が目立つ。幻想味はあるものの大きな事件が起こる訳ではないが、おもしろおかしいとも思える物語の向こうに人間を冷静に観察し、その豊かな表情を書いている様な感じがあって、昨今の例えば派手な事件によって異常な心理を書こうとする物語とは明らかに別の境地にある作風。どちらが優れている訳でもないが、やはりこういう小説にはなにかしら深く感銘を受けてしまう。私が自分自身の日常で感じるもどかしさに名前を付けずに、より深い考察をもって目の前に提示する様なそのような感じがある。もともと何かに名前を付ければ本質がいくらか失われるのだから(言語のもつ限界)、変に説教じみた物語より、こういう言葉とそれが紡ぐ風景が心に響くのは当たり前かもしれない。

どの短編も面白かったのだが、特に最後に控える中編くらいの長さのある「天国の鐘を鳴らせ」が凄まじい。始めはなにかよくわからんな、って感じで面白くなかったのだが、中盤から一転、凄まじい物語になる。(最後のために前半は絶対に必要だったと、読み切ってから気づいた。)これは人生の話しだし(人の一生を短編に閉じ込める事が出来る、というのが作者の尋常ではない力量を証明していると思う。)、恋の物語だ。昨今恋の物語は成就する事が一つの前提にすらなっているが、これはいわばそんな風潮の中で見向きもされない様な恋物語かもしれない。恋物語というにはあまりにも儚い。一体恋に破れ落ちぶれた孤独な魂はどこに行くのか。
彼を悩ませ、居ても立ってもいられない気持ちにさせるのは、マリーを失ったことだけではなかった。彼自身のうちに何か孤独で頑迷なものがあって、それもまた彼を悩ませ、彼の奇妙な風体と一体になっていた。天国の輝きは曇り、もう望ましいものではなくなった。彼はこの世の住人だが、この世には嫌悪を覚えた。この世界を愛したい、狂おしいほど愛したいと思っていたが、その中に溶け込む事はできなかった。
ちょっと中々ない孤独感だ。コッパードはスポーツを愛する快活な人だったようだが、その身のうちにどんな孤独を抱えていたのだろうか。
私は気に入ったフレーズがあるとページを折って後で読めるようにするのだが、この本では4回ばかし折った。

ちなみにこの素晴らしい作家を日本に紹介したのはかの平井呈一さんで、荒俣宏さんも好んで訳したとの事。幻想怪奇のジャンルの本を読んでいるとこのお二方の名前は良く目にする。偉大な方達でおかげさまで大層面白い読書体験が出来ます。感謝。
というわけで非常にオススメの”物語”。本読むのが好きな人は是非どうぞ。

2014年10月5日日曜日

西崎憲 編訳 A・E・コッパード/郵便局と蛇 A・E・コッパード短編集

イギリスはケント州出身の詩人・作家の日本オリジナル短編集。
翻訳し編集したのは西崎憲さんで以前このブログでもいくつか短編集を紹介したことがある。この人はジェラルド・カーシュを紹介したりと個人的には琴線に触れまくる作家や短編を紹介してくれて嬉しい限り。
表紙はエドガー・アラン・ポーでも御馴染みハリー・クラーク!

今回はAmazonにお勧めされてかってみたので作家のことは知らなかった。あらすじが面白そうだったのだが、果たしてとても面白く読めた。
A・E・コッパードは1878年生まれの1957年没だからそんなに古めかしい作風でもない。本書の解説を読むと作家生活を通じて長編は子供向けの1編のみというのだから、かなり筋金入りの短編作家と言えると思う。同時に詩人でもあり、どの短編も詩情にあふれている。面白いのはほとんどの作品が現実を舞台とし、日常を扱ったものにも関わらず何とも言えない幻想味がある。靄と霧に包まれた様な不思議な物語。どの物語も一抹かそれ以上の人生の辛辣さや物悲しさ、寄る辺のなさ、残酷さが含まれているが、解説で西崎さんが述べている通り後味が悪くなく、読後感がさわやかなところがある。寓話的であるが、はっきりとした真意を測りにくい、メッセージ性というよりは作家の思い描いた風景を干渉する様な感覚に近いから分かりやすい話を求める人には厳しいかもしれない。しかし(このブログでは何回か同じ様なことを言っているが)人生が分かりやすいことなんてあったでしょうか?

特に気に入った作品をいくつか紹介。
郵便局と蛇
山の麓の郵便局で世界を食い尽くすという蛇が山の頂上にある沼に封じ込められているという。沼に向かった主人公が出会ったのは…
まずこの短編集弾かれたのはその不思議なタイトルである。中々結びつかない2者である。そんなタイトルのつけられたごく短いお話。象徴的だが、物語としてただ面白い。3人しか登場人物が出てこないがみんなそれぞれ愛嬌があるのが良い。牧歌的とでも言うべきか。

アラベスク-鼠
町の片隅で隠者のように暮らす中年の男。ある夜更け彼は暖炉の近くをうろつく鼠を発見する。鼠を意識しながらも過去の人生を振り返る男。断片的かつ瑞々しい彼の記憶と忌まわしい鼠の存在が一つの出来事に集約していく。
ある意味この短編集で一番衝撃を受けた作品で読後の何とも言えない感じが忘れられない一遍。なんともいえない人生の悲哀が象徴的な出来事に集約しており、楽しかった過去とその後の悲劇的な運命、年を経てからの人生の喪失感がないまぜになって非常に苦しい。なんともやるせない。人生の楽しみは若いときの思い出にしかなく、楽しかった日々もしおれていく花のようにダメになってしまうように運命付けられている様な、そんな悲しさが支配している短編。

シオンへの行進
大天使ミカエル、あるいは世界の王の元に旅することを運命付けられた男は道中不思議な修道士に会う。彼は得体の知れないところはあるが快活な好人物。しかし悪人であれば自費なく打ち殺し、その身ぐるみを剥ぐ残虐性をももっていた。修道士に疑念が生じ始めた主人公はしかし、偶然であったマリアに恋心を抱くが…
シオンというのは言うまでもなく聖地シオンのこと。この物語はとにかく象徴的寓話的で幻想味に満ち満ちている。すべてが現実を元にしながらも現実から遊離しており、含蓄に飛んでいそうなのに、その真意は極めてとらえにくい。登場人物の会話は著しく現実性を欠いており、詩心にあふれたそれは最早禅問答のようになっている。(私の頭と理解力がよろしくないことも大いにあるだろうが。)道中主人公達が登る山の描写のなんと美しいことか。桃源郷というのではないが、こんな風景は誰かの頭の中にしかないのかもしれない。そのあるはずもない景色が何故こんなにも心を感動させるのは分からない。しかし読書の最大の楽しみの一つだろうと思う。

はっきり言ってそんなに間口の広い小説ではなかろうが、好きな人にはたまらないのではないだろうか。日本では他に違う出版社からも短編集が出ている。そちらも注文したので読むのが楽しみである。幻想的な話を好む方は是非どうぞ。

2014年4月13日日曜日

恒川光太郎/南の子供が夜いくところ

日本のホラー作家による幻想小説。
角川ホラー文庫から出版されているが、内容的にはホラーというよりは幻想小説といっても良いと思う。主人公は男の子なのだが、直接彼の出てくる物語と大筋の物語に関連があるが別の物語があって全部で7つの物語で構成されている。
恒川光太郎は日本ホラー小説大賞を受賞した「夜市」とループものの表題作ほか2編を収録した「秋の牢獄」という本を読んだことがあって、たしかにどちらの本にも得体の知れない恐さが描かれているのだが、全体的には異界を書いたようなその不思議な世界観にいたく感動したもので、もうちょっとこういう話を書く日本人作家が増えたら良いのに、と思ったものだ。
久しぶりに読んでみようということで買ってみた。

11歳のタカシは両親ともに湘南の海水浴場に来ていた。両親はレストランの経営に失敗し、借金で首が回らず一家心中を企てていたが、すんでのところで謎の女性ユナの手引きで夜逃げすることになる。タカシは両親とはなれ、南の島「コロンバス島」で生活することになる。そこは現代にありながらも不思議な異界につながっていた。

子供が主人公ということもあって全体的に南の島の豊かな色彩に彩られた物語がゆったり進む様な印象がある。ただしそこは作者のことだから一筋縄の良い話で進む訳もなく、平和な島は実は不思議な異界との境界が曖昧になっており、怪異が少しずつ日常にとけ込んでいる。盆には先祖の霊が現出し、海からは過去からの異邦人が訪れる、島を巡るバスは時にとんでもない場所に乗客を連れて行く。
まるでおとぎ話のようだが、昔話めいた寓話性はなく、ひとまず教訓を求めるよりはその不思議な世界に入り込む様な楽しさがある。勿論ちゃんと考えられた作者なりの意味があるんだろうが、私はむしろ島で起こる様々な不思議なことを、端から眺めつつぐるっと島を巡るように本を読んだ。こういうことも起こるのかー、というのんびりとした様な感じである。
島に関わる様々なエピソードが7つの短編になって、視点と主人公を変えつつ展開される。よくよく読んでみると実は一見脈絡のない出来事も実は因果があって、物語全体を通して過去とそしてそれがあっての現在というテーマが根底にあるようだ。謎の呪術師ユナの出生や、引退した海賊の頭領で長いときの中で半分人間を超えた存在になったティユルのエピソード、タカシの友達ロブが先祖の霊にあう話などなど。因果といってもこうしろああしろ、お前が悪い、そういうのではなくて大波に浚われるよう流されて、必死で嵐の中漕いで来た今はここにいます、というような因果応報ではなく、運命のそのどうしようもない無情さと、その中で生きる人の営みの儚さというのが、その過去-現在-未来という一直線上にのっているように「コロンバス島」という不思議な島に集約されていて一つの物語になっている。
その不思議な世界はロールシャッハテストのインクのシミのようにじっと見ているとシミが動き出すような不気味さがあって、そして見る人によって一体それが何を表しているのかというのは変わっていくのかもしれない。

という訳であっという間に読んでしまった。感想を書くのはとても難しかったが、非常に面白いので是非手に取っていただきたい一冊。

2013年12月1日日曜日

西崎憲編訳/怪奇小説日和 黄金時代傑作選

筑摩書房から発売されたホラー短編小説のアンソロジー。
編集は西崎憲さんで以前このブログでも紹介した「短編小説日和」の第2弾である。
タイトル通りより怪奇小説に舵を切っている。国書刊行会から発売された「怪奇小説の世界」全3巻から13編、同じく国書刊行会「書物の王国15/奇跡」から1編が選ばれ、さらに新訳の4編を加えた全部で18編の短編小説がおさめられている。
怪奇小説好きなら読んだことのあるレ・ファニュやジェイコブス、さらにはシャーロックホームズ生みの親コナン・ドイルの短編もおさめられていて、まさに黄金時代というタイトルにふさわしいアンソロジー。一体いつが黄金時代なんだい?という疑問が当然あると思う。実はいろいろな定義があるらしく、詳しくは西崎さんの手になる紳士なあとがきを読んでいただきたい。

一口に怪奇小説と言ってもいろいろな形式があって、この本では怪奇という共通の大きなテーマに沿っていろいろな種類の恐ろしさに焦点をあわせた短編がおさめられている。
なかでも気に入ったものを何編かご紹介させていただく。

閉ざされた環境で過去の因縁がゆっくりと浮上していき、恐ろしい終末に結実する「フォローレンス・フラナリー」。著者はマージョリー・ボウエン。クトゥルーっぽさもちょっとあって(とはいえ描かれたのはラブクラフト以前だと思うけど)ジトジトした嫌らしさがある。何と言っても、没落した貴族と金に釣られて彼と結婚した婚期を逃した女との何ともいえない関係が良い。
ヴァーノン・リーによる「七短剣の聖女」は傲慢きわまりない貴族の冒険譚。幻想の美しさと貴族が見舞われる運命の残酷さの対比が良い。悪漢のくせにきわめて信心深い主人公は友達にはなりたくないが、なんか愛嬌があると思う。
ヒュー・シーモア・ウォルポールの「ターンヘルム」はたらい回しにされた少年が行き着いた叔父の家で怪異に教われる話。尊大で不気味な兄と人はいいが兄の言いなりになる気弱な弟の2人の叔父、孤独な主人公にとって唯一の友人である従僕のキャラクターがそれぞれ良い。怪しすぎる召使いや入ることが禁じられた塔など全体的に魔術的な怪しさがあって舞台装置がすばらしい。
なんといっても一番はトマス・バークの「がらんどうの男」。殺された男が蘇り、殺した男のもとを訪れる。男は復讐する訳でもなく、ただ殺した男の近くにぼんやり居座るだけ、というまさに悪夢のような物語。殺された男は確実に何かが欠落していて、その空疎な様が生者を苦悩させる。幽霊は恨みがましいものだが、こいつは何となく来ちゃったよ、という変に達観した趣があって面白い反面恐ろしい。

ゴーストストーリーから乗っ取りもの、ともするとコントのように見える喜劇調の作品。多種多様で面白いが、すべてが恐怖という糸でつなげられた首飾りのように絢爛豪華である。

私は恐らくだが「墓を愛した少年」以外はどれも読んだことがなかった。まだまだ知らない楽しい話がたくさんあってうれしい限りである。
怪奇小説を愛する人は手に取って損はないと思います。むしろ大変楽しい時間を過ごせるでしょう。

2013年10月27日日曜日

大泉黒石/黄(ウォン)夫人の手 黒石怪奇物語集

突然だが、大泉黒石という作家をご存知だろうか。
私は知らなかった。この本はAmazonにお勧めされたかった物で、あらすじを読んで気に入ったので何とはなしに購入したのであって、書いた人は全然知らなかった。
調べてみると大泉黒石は明治から昭和にかけて生きた作家で、一躍文壇の寵児となったもののその後急速に忘れられてしまったひとらしい。
本名は大泉清、ロシア名アレクサンドル・ステパノヴィッチ・コクセーキ。そう彼の父親はロシア人であった。周囲の反対を押し切って父と結婚した母親はしかし、産後に亡くなってしまった。母親の実家に引き取られたが、その後父親を頼って中国へ。しかし父親とも死別し今度はロシアの父親の親戚のところに身を寄せる。パリやスイス、イタリアを経て日本に落ち着き、作家を目指したという。
私は知らなかったけど、混血文学というのがあって、黒石はその先駆けだそうな。

その黒石の書いた物語の中で特に怪奇色の強い短編をまとめたのがこの本。
中国の情の深い幽霊譚「戯談(幽鬼楼)」
側近が秀吉に語る奇妙な因縁の復讐譚「曾呂利新左衛門」
東海道中膝栗毛の主人公たちの因果な生活を書いた「弥次郎兵衛と喜多八」
韓国で永遠を生きる女の因縁話「不死身」
ぼろ寺を訪れた画家の男にまつわる恐怖譚「眼を捜して歩く男」
探偵小説風の趣のある夫婦の過去にまつわる悲哀を書いた「尼になる尼」
塩坑に逃げ込んだロシアの脱獄犯の末路を書いた「青白き屍」
死んだ女の手が長崎の中国人街で起こす怪異「黄夫人の手」
という感じです。どうですか?怖そうでしょう。
作者が転々とした中国やロシア、韓国、本邦は長崎の生活と風土がどれも生々しく書かれていて舞台設定と雰囲気は抜群。
こうやってあらすじを書いて思い返してみると面白いのは、幽霊や怪異そのものを書くというよりはその背後にある奇妙な因縁や因業をを暴くように書くのが黒石のスタイルのようだ。異常な嫉妬や執着、人の業のような物が死後凝り固まって残り、幽霊として結晶化する。だからこの本に出てくるどの幽霊、または妄執に取り付かれて生きる人たちも、存在感があって怖い。乾ききらない血を滴らせ、生者につかみかかるような凄惨さがあって、そのこが魅力となっている。巧いのがこのバランスで、この人は人の持つ業を暴力に昇華しなかった。人ならざるものにその恨みを転化したのであって、これによって作品がとても上品且つ情緒のある物になっている。矛盾するようだが、凄惨であると同時に下品ではないのである。近年の作品ではあまり見られないような、どうしようもない物悲しさが、直接書かれるのではなく、作品の行間から霧のようににじみ出てくるようで、それが私のような物好きにはたまらない。

とても面白かった。久しぶりにゾクゾクきたわ。もっと読みたいなー。
怖い話が好きな人はさっさと買った方が良い。

2013年10月19日土曜日

アルジャーノン・ブラックウッド/人間和声

イギリスのホラー小説家による長編小説。
ブラックウッドというと妖怪ハンターものの「心霊博士(妖怪博士とも)ジョン・サイレンス」が一番有名なのだろうか。私も恐らく短編集から、ジョン・サイレンスを読んで、この本と同じく光文社から出版された「秘書綺譚」を読んだ。
この本を読むにあたり初めて知ったのだが、ブラックウッドはクロウリーで有名な「黄金の夜明け団」のメンバーだったんだね。Wikiには魔術師だったと書いてあるね。魔術の探求社と魔術師というのはイコールなのかな。

幼い頃から空想癖があり夢見がちなロバート・スピンロビンはある日新聞の広告で奇妙な求人を発見する。曰く、テノールの声とヘブライ語の知識を持った浮世離れした人を求む、と。一も二もなく申し込むスピンロビンは荒野にひっそりと佇む屋敷を訪れる。そこには広告を出した隠遁した聖職者と家政婦、そして美しい聖職者の姪の3人が彼を待っていた。聖職者スケールは人間の声を使ってある恐ろしい試みに挑戦するという。その内容とは…

というあらすじ。ホラー小説でしかも田舎の怪しい屋敷に行くというといかれた狂信者家族にとらわれて〜というストーリーが思い浮かぶが、今作は全然そんなことはない。
聖職者スケール一家は主人公に優しく暖かく接する。脅かすどころか大いなる実験の成功のためスピンロビンにとても大きな期待を寄せている。
だからホラーといっても当初はそんなにおどろおどろしさはない。人里離れた荒々しくも美しい自然に取り囲まれていて、美しい娘と恋に落ちる主人公を描く前半は恋愛小説のようだ。ただし屋敷で感じる人の気配やスケールの態度、そして実験の内容が徐々に明らかになる中盤からは恐怖の足音がひたひたとその存在感を増すようで何とも恐ろしい。
彼らは4人の声を同時に特定のどくどくなやり方で持って発生させることで、何かを起こそうとしている。その試み自体恐ろしい物だが、実は邪悪な物だとははっきり明記されていない。スケールはなみなみならぬ執念を持ったある種のマッドサイエンティストなんだが、だからといって積極的に人を傷つけるような振る舞いは意図しない。この本の面白さはこの恐ろしさが畢竟何に由来する物なのか最後まで分からないことである。そしてその何か分からない物にこそ、神性があるのだと個人的には思った。
人間が圧倒的な神性をもつものに対してどういった選択をすべきなのか、これは読む人それぞれによって考えが違うであろうと思う。読んだ人が一体あの結末をどうとらえるのかは気になるところです。

ちなみに訳したのは南條竹則さんで解説も彼が書いている。ブラックウッドへの愛情が伝わってくる解説でとても面白い。南條さんも解説で書いているが、ブラックウッドはちょっと表現がくどく、また扱っているテーマ的にどうしても描写が抽象的にならざるを得ない。正直言って読みやすい物語ではないんだが、正邪を超越した力への憧憬とそれに対して接近するアプローチ、そこから生じる神性への畏敬の念と瀆神の恐れ、あっとおどくような結末、こういった面白さが詰まった小説ははっきりいって他にはないのではないだろうか。人間の声を使って人間を超える高みに接近しようとするアイディアはとても面白い。
よってブラックッドや恐怖小説を愛する諸兄には是非手に取っていただきたいと思います。