アルゼンチンの作家による短編小説。
幻想文学野分野ではとても有名な人ではなかろうか。アルゼンチンの国立図書館館長にも任命されている方です。実は私ボルヘスの本を買うのは2回目。大分前学生かもしくは卒業したてくらいの頃に「伝記集」を購入したのだが、冒頭で挫折してしまった。けちくさい私なので買った本はうむ?と思っても大抵読み切るものなのだが、今となってはそのときどう思ったのかは覚えていないが相当わからん!と思ったのだろう。
それから時間も経ったのでもうそろそろ…というわけで再チャレンジしてみたのがこの本。
「砂の本」という幻想文学のシリーズに、「汚辱の世界史」という世界の悪人たちを題材に取り上げた伝記ものをくっつけた本で「汚辱の世界史」の中にはさらにいくつかの短編と色んな古典から一部を抜粋したもの(をボルヘスが訳したのだろうか?)が含まれている。
このボルヘスさんというのはその生涯を通じて短編しか書かなかった。また詩人でもあるのでとにかく言葉が簡潔で、難解な修辞などは全く使われていない。思ったほど分かりにくくはないのである。ただその確固たる言葉を使って作り出される世界というのがまた不思議なのだ。例えばわかりやすくお化けや化け物が出てくる物語は意外に少ない。(ないことはない。なんとラブクラフトに捧げられたコズミックホラーもあったりします!まさかの展開に歓喜。)悪夢のように模糊とした書き方をする訳ではない。いわば非常にソリッドな幻想世界を簡素な言葉でもって構築するのがこの人の持ち味らしい。一遍目の「他者」これは70歳になった著者ボルヘスがまだ若い自分のドッペルゲンガーと遭遇する話なのだが、若い自分にしたって本当に触れるくらいしっかりしている存在として描かれている。怪異や不思議そのものは勿論描かれるのだが、その前提として不条理だったりずれみたいなのがあって、結果怪異が生じました、という書き方。なんで非現実的な事がおきたのでしょうね?と暗に問いかける(決して読者に直接的な問いかけする様な事は無い)ような書き方。なのでどの物語も非常に短いのだが、とにかく紆余曲折あってこうなったというその背景(歴史)があるように感じさせる。ちょうど良いところだけを切り取ったのがちょうどこのボルヘスが書いたところ、というような印象。
さて怪異や不可思議というのは結構何かの暗喩だったりするわけで、そうすると非日常のギミックが出てくる小説というのはどこかしら寓話めいてくる。別に説教臭くなる必要は無いし、勿論不思議としての不思議だって沢山あると思うけど。そこに来るとこのボルヘスの書く不思議たちというのは様々な解釈が出来るものの、一体何かを象徴しているのだろうか、というと結構難しい。変な話だがボルヘス自身も一体我々を取り巻く世界というものがわからないので、分からないなりに解釈してみようというプロセスの中で彼の物語が生まれて来たように、個人的には感じられるところがあって、うーん?と最後一緒に迷うかの様な「余裕」(というのも変な話だが)がある様な気がする。勿論これは私の解釈でボルヘスは完璧主義者で彼の物語は一語一句すべて何かしらの意味含蓄を持っているのかもしれぬ。ただ何となく私はそんな風に思ってボルヘスの小説の柔らかさに感心したのでした。
という訳でおっかなびっくり手に取ったが意外にも非常に楽しく読めたので次の本が読みたい。折角だから「伝記集」がちょうど良いのだろうが、本棚のどこかに放り込んでしまったので探すのがムズイ。どうしたものか…
幻想文学好きな人は是非どうぞ。「汚辱の世界史」がある分ボルヘス入門としては良いかもです。
0 件のコメント:
コメントを投稿