ロシアの兄弟作家によるSF小説。
72年から80年にかけて発表された連作小説をまとめたもの。
アンドレイ・タルコフスキー監督が映画化した事でも有名だが、個人的には映画は見た事無く、どちらかというとウクライナのオープンワールドFPSゲーム「S.T.A.L.K.E.R.」の元ネタという印象。(ゲームも実は自分でやった事は無いんだけど…)なので結構知っている人も多いかもしれない。
白鳥座α星から突然来訪した宇宙人は人類にその姿を見せずにあっという間に去っていた。しかし彼らが来訪した地球上の6カ所の地域はその姿を大きく変貌させ、彼らの痕跡は人類に取っては解明不可能な超自然現象として残り続けた。大きな危険をはらむそこはゾーンと呼ばれ地域の政府によって立ち入りが禁止されている。しかし危険を顧みずに未知の強大な力を持つ遺物を運び出す男たちは後を絶たなかった。彼らはストーカーと呼ばれる。
なるほどゲームの「S.T.A.L.K.E.R.」は多くの設定をこの小説から仕入れている事が分かる。ボルトを投げて危険を確かめるところや、手にした人間の願いを何でも叶えるという願望機(の噂)などの遺物など。でもこちらのゾーンには危険な生物はいないし、放射能も無い。超危険地帯という設定はあるものの、派手なアクションを期待するとちょっと趣が違う小説である。
原題を英訳すると「Roadside Picnic」となる。さらに和訳すると「路傍のピクニック」。大分印象が違うでしょ?訳者の深見弾さんが後書きにて端的にこの小説の内容をまとめてくれているのでここに引用。
キャンピングカーで旅をしている連中が、ある日一夜をどこかの道端でキャンプをして立ち去ったあと、そこに残していった塵芥は、野の虫たちにとってどんな意味があるのか、という問いかけの意味が込められています。
言うまでもなくある連中がエイリアンで虫たちが我が人類で、エイリアンのごみ=遺物を巡って右往左往する(この表現も深見さんのものによる。)という物語。
だから基本的にエイリアンが不在で非常に真面目な視点で人間を書いた小説、ということになる。超危険なものだからほっとけば言い訳なのだが、それが莫大な富をもたらすとなれば、そして未知のものを知りたいという欲求(どちらかというとストーカーは前者目当てだという割には実はこっちがメインでないかと思う。なぜなら作中豊かなストーカーは「禿鷲」と呼ばれる他のストーカーをこき使う嫌なヤツしか出てこないから)があって、ゾーンに見せられてしまう人間の性。人知を遥かに超えた未知の技術は確かに後世の人類の(作中の描写を見ると大分後になると思う。研究しているけどそのくらい何も分かってない。)役に立つのだろうが、少なくともゾーン周辺の人間は幸福になっているのだろうか。主人公レッドもまたゾーンに取り憑かれ、いつでも離れられる、もう離れると思っているのにそこから立ち去る事は出来ない。(彼の場合は普通に働くのはまっぴらだと考えるアウトローさもあるのだが。)愛する人との間に生まれた娘は人類の姿からはかけ離れている(ストーカーの子供はたいてい奇形を持って生まれる)。
いわばゾーンという奇特な存在によってその周辺の人類の営みのシステムが微妙に歪められてしまった世界を(ゾーンが無くても必ずしもシステムが上手く動いているかという塗装でもないのだろうが)そこに住む一人一人の人間の目と手でもって描いている訳で、だから少し違ったその世界が奇妙に物悲しいのである。取り憑かれたという表現が妙にしっくりくるのはやはりどこかしら目的意識が欠如しているように見えるだろうか。ストーカーは危険そのもに中毒になっているように見える。
さて意外に真面目な人間ドラマが展開されるのだが、じゃあ地味かと言われるとそんな事は無い訳で。ゾーンとその中身の設定・ギミックに関しては無類の魅力を誇っていると言っても過言ではない。だいたいSFというのはどれだけ面白い”非現実”が展開されるのかと言った点も個人的には大きな読む楽しみの一つ。そこをいくとこの小説は危険な液体?「魔女のジェリー」重力異常地帯「虹の禿」、家に帰ろうとする蘇った死者、まだ名前もない様々な危険たちと枚挙にいとまがない。後半レッドとゾーンに潜り込む緊張感はこの本のクライマックスだろう。
「S.T.A.L.K.E.R.」好きな人は是非どうぞ。違いをなぞっているうちにあっという間に引き込まれる事請け合いです。
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