イギリスのスコットランド出身、カナダ在住の作家の長編小説。
原題は「The Paradise Motel 」で1989年に発表された。
海岸に面したパラダイス・モーテルで私は回想する。
出奔から放浪を経て30年ぶりに我が家に祖父から聞いた奇妙な話。
昔医師の父親が母親を殺害し、遺体を切断。4人の男女の子どもたちに外科手術でを用い、母親の遺体の各パーツをその腹部に埋め込んだという。
その後4人の子どもたちの行方は杳として知れない。しかし私は不思議なめぐり合わせで子どもたちのその後の人生を知ることになる。
体裁としてはミステリーということになるが、誰がどうやって殺したかという本格性は皆無で、物語の軸となる謎(なぜ父親は妻を殺して子供にしたいを埋め込んだのか、子どもたちはどのように成長したのか、そしてそれらの一連出来事は主人公にどんなつながりがあるのか)も読み進めるとそもそも怪しくなってくる。物語が根底からゆらぎ出し虚実の区別がつかなくなってくる。そういった意味ではポストモダン的であると評されることもあるという。私は無学なので一体ポストモダンが何なのかさっぱり分からないが、幻想という不思議を内包する小説というよりは、小説の枠組み自体が信用ならないという意味できっとそのように言われているのだと思う。例えば骸骨が喋ったりすれば幻想小説かも知れないが、今作は微妙にその線からズレている。主人公は散り散りになったとされる4人の兄弟のその後の消息を”偶然”、それも短期間のうちに、世界中の別の国で本人ではない誰かから聞くことになる。こんな偶然あるだろうか。普通の小説なら何か理由を弄りだすだろう。だがこの小説では臆面もなくそんな芸当をやってのけ、読み手はあまりの出来過ぎに首を傾げることになる。小説と言うのはすべて読み手を意識して書かれているが、ここに関しては読み手を明らかに煙に巻こうという意図で書かれているからそういった意味ではメタ的とも言える。ミステリーでは語り手が犯人とか地の文が改ざんされているとかは禁じ手とされるが、それ故飛び道具的に用いられることもある。ところが「パラダイス・モーテル」ではそんな禁じ手が使われているのに一向にモヤは晴れないし、それどころか読者は自分は一体何を読んでいるのだろうか?という疑心暗鬼にとらわれていく。これは妙な体験である。
文体は凝った比喩が用いられた平明かつ美しいもの(邦訳の妙もあると思う)だが、殆どの章には残酷な描写があり、なかでも体に貼りを1本ずつ突き通していく大道芸の描写には結構まいった。「首が取れた、血がブシャー」みたいなのはぜんぜん大丈夫なのだが、純粋に学術的な意味でカメラで外科手術の風景を記録したようなのは映像でも文章でも苦手らしい。残酷な”他人の”人生と、恋人との何不自由がない(食うこと、寝ること、性交することの描写しか無いと言っても過言ではない)”自分の”人生。やはり出来すぎているという意味で非常に居心地が悪い。ばらばらにした死体を子供の体内にに紛れ込ませたかのごとく、この物語もなにかツギハギで作られて、それを隠そうともしない違和感に覆われている。他人を喜ばせるためのほら話という形を逆手に取っているのだろうか。
面白かった。物語だけでなく文章が非常に良い。読んでいるのが楽しい。マコーマックの作品はこの作品を含めて3冊が日本語で読めるのだが、とりあえずもう一冊を今読んでいる。
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