イタリア人の作家による幻想小説。
ブッツァーティは昔光文社から出ている「神を見た犬」という短篇集を読んだ事がある。もうあんまり内容を憶えていないのだけれど。(そういった事もあってこのブログを始めた的な感じです。)
幻想文学界では結構有名な話らしくそんなら読んでみるかというくらいの気持ちで購入。
イタリア人の青年ジョヴァンニ・ドローゴは将校として辺境のバスティアーニ砦に配属される事になった。砦は人の通わない谷に位置し、戦略的な価値はほぼないという。町からも離れ、出世も見込めない。嫌気のさしたドローゴは着任早々に転任を求めるが、上官に諭された彼はすぐに離れるつもりで任務に就く。砦は広大な砂漠に面しており、その砂漠には凶暴なタタール人が住み、いつか武装して攻めて来るという。ドローゴは離れるつもりが砦の生活に沈み込んでいく。
幻想的で不条理なその作風で持ってイタリアのカフカと称される事もあるという作者であって、今作はそんな作者の代表作という事でどんな幻想的な世界が!と思って読んだのだが結構思っていたのと違ってビックリした。つまらなかったという事は全然なくてむしろ夢中によって読み進めたのだが。
要するにこの物語は、前途ある若者がつまらない仕事にとらわれて未だ和解から大丈夫だろと考えているうちに時間は矢のように過ぎて青春と人生の時間をどんどん失ってしまうという話なのだが、発表された当時は幻想性もあって評価されたのだが現代の私が読むと幻想も何もあったものじゃない、実際の自分の姿を見ているようで、たしかに妙に夢の様な陶酔感のある寓話ではあるのだが、現実的過ぎて恐ろしかった。(下手な怪談寄りよっぽど怖い。)
私もいい加減良い年なのだが、やっぱり働くのは大変。働く事はすべての人間にとって苦痛でしかないとは言わないが、なかなか満足する様な環境で働いている人は少ないのではなかろうか。いっそ罵倒される、給料払われない、殴られる、そんなブラックな環境で働いていればやめる事しかなくて良いのだが(勿論大変な事なのだが)、頑張ればまあ我慢できるかな、ちょっと働いてしばらくしたら転職するぞ!というような状況の方が結果的にはやめられなくて、いつの間にか時間が経って辛いのでは。毎日それなりに疲れてしまい、自分のための活動は先延ばしにされ続ける。なんとかやり過ごせる故感覚が麻痺してくる。ある日ふと思う「あれ?今から何かするには俺としとりすぎてねえ?」
状況が悪いのは仕方ないにしてもこの時、一番危ないのは危機感の欠如と自分には未だ時間があるという慢心である。時間は有限である。いつもでも若くはない。この純然たる事実をみんな知っているだろうが、分かっている人は敢えて言うけどほぼ皆無じゃないのか。みんなそれなりにとしくっても未だ自分には何か出来る、と心の奥底では思っているのじゃないか。そしていよいよのっぴきならない状況になると「こんなはずでは…なんであの時」と思うのである。これよっぽどの人でもなければ大半の人はこう思って死んでいったんじゃないかと思うと辛すぎる。
世界には色んな奇麗なところがあって、いつか行けるしいつか行こうと思っていると結局行かないで死ぬ。これはそんな話である様な気がする。作者もそういっている(と思うんだけど)が待っていても何も起こりませんよ、悪いけど。そりゃ運もあって待って海路の日和ありな人もいるんだろうけど、そんな確立低い事にかけて自分の限られた時間を空費するのですか?という話ですよ。
まあ人間なんてどんな環境にあっても満足する訳ではないし、実際に満足できる状況なんて希有だろうが、それでもつまらない仕事や些事に毎日の時間とらわれて公開するのは悲劇としか言いようがない。もっと自分勝手に生きようぜ、という幻想文学らしからぬ作者の激励が詰まっている様な気がして来た。なんだろう、こう感じるのは私だけなのか。
幻想という言葉つられたけど全然違うじゃねえか、こっちは現実逃避で小説読んでんだぞ!と作者に詰め寄りたくなる様な本。激怖い。若い人、毎日の仕事にイマイチ納得感のない人は是非読んだ方が良いです。
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