カナダ出身アメリカ在住の作家による犯罪小説で西部劇。
こちらの本も前々から気になっていたのだが、年末になって国内で様々な賞をとっていたので購入。アメリカでもブッカー賞の最終候補になってたりして25カ国で出版されているとのこと。
ちなみに日本での受賞歴はこちら。東京創元社のサイトから引用です。
*第2位『闘うベスト10 2013』
*第4位『このミステリーがすごい!2014年版』海外編
*第5位(新人賞第1位)『ミステリが読みたい!2014年版』海外編
*第10位『週刊文春 2013年ミステリーベスト10』海外編
作者はパトリック・デウィット(デヴィットではない)でこの彼にとっては2冊目の小説で一躍有名になったそうです。
西部開拓時代の少し前、アメリカはゴールドラッシュにわいていた。オレゴン州で殺し屋を営むシスターズ・ブラザーズの兄弟はボスの「提督」からとある山師を消すために甘煮乗りサンフランシスコを目指す。
シスターズ・ブラザーズとは何とも人を食ったようなタイトルだが、実際はチャーリーとイーライという2人の兄弟の名字がシスターズ。
兄のチャーリーは自信家で狡猾。ひどい酒飲みで粗野で人を利用することに長けている。
弟のイーライはデブ(縦にも横にもでかい)で、優しくて惚れっぽい。すぐ人に良いようにされてしまう正確だが、切れると見境が無い。
小説は弟イーライが語り手となって進みます。イーライはお人好しなところがあるからちょっととぼけたような趣があって結構笑っちゃうような場面もあるんだけど、やはり2人は殺し屋でしかもだまし討ちだって平気の平左でやるもんだから、そのとぼけた感じと凄惨な感じが相まってかなり独特な世界観になっている。
一つ面白いなと思うのは、このイーライという男は半ば殺しに飽き飽きしていやになっているんだけど、やっぱり骨の髄まで殺し屋であって、自分が思っている以上に普通の人間からかけ離れている。本人はそんな自覚は無いんだろうけど。つまり一般人の読者としては語り手の異常さが意図的にわかるようになっていて、そこが彼の独白とずれていてある種の面白さが産まれているように感じました。恐ろしくもあり、ちょっとかわいそうでもあります。
殺し屋の兄弟はターゲットを抹殺すべくサンフランシスコに向かう訳なんだけど、現代ならそれこそ飛行機でひとっ飛びだろうが、何と言っても開拓時代なんだから馬に乗ってテクテク旅することになる。ターゲットの山師に会うまでの道中でいろいろな人にあって、いろいろな事件が起こる。いわばロードムーヴィーみたいな作りになっている。
といっても粗野な2人なのだから必然的に大半の登場人物とは銃を手に剣呑な状態で渡り合っていくことになる訳で。2人の通った後には硝煙と血と死が残される訳であります。
一体旅の果てにイーライとチャーリーがどこにたどり着いたのか、ぜひ読んでいただきたいところです。
個人的にはこの話全体が寓話のように感じられました。具体的にこうこうこれの暗喩です、と断言できるのではないのですが。あえていうと人生の暗喩なんですが、そういった意味ではいかなる小説も人生の暗喩だと言って差し支えが無い訳ですから、ちょっとこの表現だと十分ではない。例えば因果応報だったり、盛者必衰だったりちょっとそういった東洋的な思想を感じさせるような作りになっております。
面白いのは楽しくドンパチやっていたと思ったら、なんだかとても渺茫としたところにたどり着いてしまったような、そんなはかないような切ないような、そんな読後感があります。こういった類いの犯罪小説にはちょっと無い感じに仕上がっている訳です。
本国ではコーマック・マッカーシーの小説との類似性も指摘されていたりするそうで、なかなか一筋縄では行かない苦い小説であることはわかっていただけるのではないかと。
しかし抜群に面白い小説であることは間違いないので、是非手に取っていただきたいと思う訳であります。
2013年12月31日火曜日
Lycus/Tempest
アメリカはカリフォルニア州オークランドのフューネラルドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2013年に20 Buck Spinからリリースされた。ジャケットがお洒落。
結成は2008年で停止期間を挟みつつ初めて世に出たのがこのCDな訳なのだが、結構界隈では有名らしく、まあその流れに乗って私も買ったんだけど。
なんでそんなに注目されているかというとメンバーの一人が元Deafheavenなんだよね。Deafheavenといえば(ファッション・サブカルクソ野郎で)今年リリースした名作「Sunbather」が賛否両論を巻き起こし(私が見たのは大体賛のほうだったんだけど、批判している人の意見も見てみたいな。)たあのバンドです。シューゲイザー+ブラックメタル+激情ハードコアのようなスタイルでまさに一世を風靡したある意味今年の顔のようなバンドじゃないかしら。そのDeafheavenでドラムを叩いていたのがTrevorさんといって上の写真の左端の人。なんとまだ23歳だとか。
自然とお洒落なかつキラキラした音への期待が高まる訳だけど、聴いてみるとこれがフューネラルドゥームなんだよね。
Trevorよ、おまえなして若い身空でこげな地獄のような世界に自ら飛び込んでしもうたんよ…
というわけではないんだけど、なかなか気合いの入ったフューネラルっぷりで若気の至りなどもう皆無な徹底的に絶望的なその音楽性に思わず居住まいを正したよね。
遅い、重苦しい演奏陣に、これまた低音のデス声が苦しいーと乗る伝統的なスタイル。
ドラムの音はタスタスしているのだが、寝ているんじゃないかと思うくらい叩かない。
ギターとベースはフューネラル特有の基本音数が少ないずーんずーんとカーテンのように苦しみが持続するあのスタイルです。
いわばフューネラルドゥームのイロハにそった伝統的なスタイルなんだけど、このバンドが面白いのは基本を踏襲しつつ自分たちのスタイルを確立しているところ。
簡単にいうと曲の展開が凝っていてまるでグラデーションのように、基本から実験的な展開に自然に展開させている。
その実験的なスタイルというのは、疾走するパートだったりもするんだけど、一番目立つのは音の数を増やすことではなかろうか。それこそDeaheavenのような派手さは無いが、ブラックメタルを彷彿とさせるトレモロっぽいギターが結構随所に挿入されている。これが実に饒舌かつメロディアスで灰色のようなフューネラルスタイルに程よく多彩な色をさしています。
これが個人的にはとても刺さったよね。ともすると眠っちゃうような反復的かつ地味なフューネラルに、その世界観を壊すこと無く緩急を導入することに成功している。
9分から20分台(それが3曲収録)という比較的長い尺でも一つの曲として飽きずに聴けるんだからなかなかどうしてさすがです。
途方に暮れたような静寂のパートや妙にお経めいた朗々とした不気味な歌唱法など、あくまでも伝統的なフューネラルスタイルも大切にしつつ、自分たちの音を確立しています。変な表現ですが、カラフルなフューネラルドゥームとでもいいましょうか。
大変気に入りました。
元Deafheaven云々気にせずすばらしいメタルだと思います。
フューネラル好きはぜひどうぞ。ドゥームは聴けるが、フューネラルはきつい、という諸兄も安心してどうぞ。
2013年に20 Buck Spinからリリースされた。ジャケットがお洒落。
結成は2008年で停止期間を挟みつつ初めて世に出たのがこのCDな訳なのだが、結構界隈では有名らしく、まあその流れに乗って私も買ったんだけど。
なんでそんなに注目されているかというとメンバーの一人が元Deafheavenなんだよね。Deafheavenといえば(ファッション・サブカルクソ野郎で)今年リリースした名作「Sunbather」が賛否両論を巻き起こし(私が見たのは大体賛のほうだったんだけど、批判している人の意見も見てみたいな。)たあのバンドです。シューゲイザー+ブラックメタル+激情ハードコアのようなスタイルでまさに一世を風靡したある意味今年の顔のようなバンドじゃないかしら。そのDeafheavenでドラムを叩いていたのがTrevorさんといって上の写真の左端の人。なんとまだ23歳だとか。
自然とお洒落なかつキラキラした音への期待が高まる訳だけど、聴いてみるとこれがフューネラルドゥームなんだよね。
Trevorよ、おまえなして若い身空でこげな地獄のような世界に自ら飛び込んでしもうたんよ…
というわけではないんだけど、なかなか気合いの入ったフューネラルっぷりで若気の至りなどもう皆無な徹底的に絶望的なその音楽性に思わず居住まいを正したよね。
遅い、重苦しい演奏陣に、これまた低音のデス声が苦しいーと乗る伝統的なスタイル。
ドラムの音はタスタスしているのだが、寝ているんじゃないかと思うくらい叩かない。
ギターとベースはフューネラル特有の基本音数が少ないずーんずーんとカーテンのように苦しみが持続するあのスタイルです。
いわばフューネラルドゥームのイロハにそった伝統的なスタイルなんだけど、このバンドが面白いのは基本を踏襲しつつ自分たちのスタイルを確立しているところ。
簡単にいうと曲の展開が凝っていてまるでグラデーションのように、基本から実験的な展開に自然に展開させている。
その実験的なスタイルというのは、疾走するパートだったりもするんだけど、一番目立つのは音の数を増やすことではなかろうか。それこそDeaheavenのような派手さは無いが、ブラックメタルを彷彿とさせるトレモロっぽいギターが結構随所に挿入されている。これが実に饒舌かつメロディアスで灰色のようなフューネラルスタイルに程よく多彩な色をさしています。
これが個人的にはとても刺さったよね。ともすると眠っちゃうような反復的かつ地味なフューネラルに、その世界観を壊すこと無く緩急を導入することに成功している。
9分から20分台(それが3曲収録)という比較的長い尺でも一つの曲として飽きずに聴けるんだからなかなかどうしてさすがです。
途方に暮れたような静寂のパートや妙にお経めいた朗々とした不気味な歌唱法など、あくまでも伝統的なフューネラルスタイルも大切にしつつ、自分たちの音を確立しています。変な表現ですが、カラフルなフューネラルドゥームとでもいいましょうか。
大変気に入りました。
元Deafheaven云々気にせずすばらしいメタルだと思います。
フューネラル好きはぜひどうぞ。ドゥームは聴けるが、フューネラルはきつい、という諸兄も安心してどうぞ。
ラベル:
Lycus,
アメリカ,
フューネラルドゥーム,
音楽
2013年12月30日月曜日
Seven Sisters of Sleep/Opium Morals
アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスのスラッジバンドの2ndアルバム。
2013年にA389 Recordingsからリリースされた。
知らないバンドだったけどなんだか評判よいので買ってみた。
なんといってもバンド名が格好いいね、なんか由来があるのかな?
妙に手作り感のあるオカルトなアートワークが独特の味があって不気味すな。
Opiumというのは阿片という意味らしい。うーん、スラッジっぽいね。
うーん、恐い。スラッジメタルってドゥームメタルに比べるとラフで粗野で、端的に言って怖い感じするんだよね。髪の毛も短いよね。(勝手に髪が短いのはハードコアで長いのがメタルだと思ってる。ただスラッジはハードコア由来だと思ってたけど、それは違うって読んだことあるし、どうなんだろ?)
さて肝心のとの方はというとこれはまた黒いスラッジメタルですね。
ボーカルはデス声ではなくてハードコアっぽいシャウトでEyehatetgodのそれにちょっと似通ったところがある。こっちのが低い分ドスが利いているかな。
ギターとベースはひたすら重い、低音を強調した音作りで、煙ったくて埃っぽいデザートなイメージ。そいつらが這うようなリフを奏でまくる。例えばギターソロや高音域を使った飛び道具的な演奏は皆無で、ひたすら遅い。たまに叩き付けるようにガンガンやったりするとそれがべらぼうに格好いい。私の大好きなフィードバックノイズもやりすぎず適度に入っていて良いね。
ドラムは乾いた音でメタルのそれみたいに重くないのが、前述の弦楽器陣と良い対比になっていると思う。中音域で軽いとは言わないのだが、跳ねるように叩くものだから、曲にメリハリがついてだいぶドラムのおかげで聴きやすくなっているところがあると思う。
たまーに疾走するパートが挿入されていたりで良い。
曲が2分台から4分台というのも聴きやすくて良いす。全体的に見ると兎に角不吉な感じなんだけど、不思議とくどくない作りになっているから、最後までうぉ〜〜っという感じで楽しく聴けちゃう。厭世的な抑鬱感を程よく攻撃性に昇華させたような音楽性でもって兎に角攻撃的なんだけど、どこかしら憂鬱な感じがしてとてもすばらしい。ちょっとGazaにも似ている。Gazaは解散しちゃったし、個人的には今後の活動にも期待大です。
というわけでこりゃあ評判が良いのも頷ける出来!
悪〜いスラッジメタルを聴きたかったらこのCDを買えば問題ないと思うよ。オススメ。
2013年にA389 Recordingsからリリースされた。
知らないバンドだったけどなんだか評判よいので買ってみた。
なんといってもバンド名が格好いいね、なんか由来があるのかな?
妙に手作り感のあるオカルトなアートワークが独特の味があって不気味すな。
Opiumというのは阿片という意味らしい。うーん、スラッジっぽいね。
うーん、恐い。スラッジメタルってドゥームメタルに比べるとラフで粗野で、端的に言って怖い感じするんだよね。髪の毛も短いよね。(勝手に髪が短いのはハードコアで長いのがメタルだと思ってる。ただスラッジはハードコア由来だと思ってたけど、それは違うって読んだことあるし、どうなんだろ?)
さて肝心のとの方はというとこれはまた黒いスラッジメタルですね。
ボーカルはデス声ではなくてハードコアっぽいシャウトでEyehatetgodのそれにちょっと似通ったところがある。こっちのが低い分ドスが利いているかな。
ギターとベースはひたすら重い、低音を強調した音作りで、煙ったくて埃っぽいデザートなイメージ。そいつらが這うようなリフを奏でまくる。例えばギターソロや高音域を使った飛び道具的な演奏は皆無で、ひたすら遅い。たまに叩き付けるようにガンガンやったりするとそれがべらぼうに格好いい。私の大好きなフィードバックノイズもやりすぎず適度に入っていて良いね。
ドラムは乾いた音でメタルのそれみたいに重くないのが、前述の弦楽器陣と良い対比になっていると思う。中音域で軽いとは言わないのだが、跳ねるように叩くものだから、曲にメリハリがついてだいぶドラムのおかげで聴きやすくなっているところがあると思う。
たまーに疾走するパートが挿入されていたりで良い。
曲が2分台から4分台というのも聴きやすくて良いす。全体的に見ると兎に角不吉な感じなんだけど、不思議とくどくない作りになっているから、最後までうぉ〜〜っという感じで楽しく聴けちゃう。厭世的な抑鬱感を程よく攻撃性に昇華させたような音楽性でもって兎に角攻撃的なんだけど、どこかしら憂鬱な感じがしてとてもすばらしい。ちょっとGazaにも似ている。Gazaは解散しちゃったし、個人的には今後の活動にも期待大です。
というわけでこりゃあ評判が良いのも頷ける出来!
悪〜いスラッジメタルを聴きたかったらこのCDを買えば問題ないと思うよ。オススメ。
2013年12月29日日曜日
Cult of Luna/Vertikal
北欧はスウェーデンの7人組ポストメタルバンドの6thアルバム。
2013年にDensity Recordsからリリースされた。
私はこのアルバムの後にリリースされた「Vertikal 2」を始めに買って、その内容の良さに感動。順番が逆になってしまったが、この降るアルバムを購入した次第。
Cult of Lunaは1998年にスウェーデンで結成されたポストメタルバンドで 、リリースする作品には結構強いメッセージ性があるよう。今作は1927年に制作されたフリッツ・ラング監督作「メトロポリス」という映画に強く影響を受けているそうだ。
私はこの映画は見たことが無いから一体どのくらいこのアルバムに影響を与えているのかということをここで述べることは出来ないんだけど。
映画の動画をぺたっと。私も全部見てないけど、これって本編全部?
さて音の方はというと浮遊感のあるドゥームメタルといったイメージでしょうか。
ただしポストメタルというジャンルにカテゴライズされていることもあり、真性のドゥームメタルにある閉塞感や陰湿な攻撃性は希薄。音はヘヴィだしボーカルのスクリームには迫力があり、暴力性という意味では頷かされるものの、陰惨さは皆無。
ヘヴィである一方キーボードをかなり大胆に導入しており、独特の浮遊間を出すことに成功しているようだ。ポストメタルというのは勝手なイメージでは空間的な広がりのある感じ。
兎に角尺長い曲が多く、演奏スタイルも反復の多様や長い間の取り方など、かなり贅沢に使っているよう。とくにつま弾かれるようなギターの音はどうにも功にも北欧の厳しい冬をイメージさせるような冷たさがあってすばらしい。
反響やフィードバックノイズをキーボードに合わせて効果的に使っており、ボーカル特にスクリームはあくまでも1種類の楽器というような使い方をされていて、ここぞというところに登場しては曲を盛り上げる。随所に挿入されるクリーンボーカルはこらまた何とも言えない疲れたような途方に暮れたようなテンションの低さで私のような男には説得力抜群。
全体的に何とも言えないメランコリックさが曲を覆い、五月蝿いバンドアンサンブルなのに、雪が降り積もっていくような寂寞とした感じが私のつぼにはイチイチ入りまくりで困ります。大仰と言っても良いドラマティカルな感じも、派手さの無い音作りで非常に好感が持てる。
お前を殺してやるず、という排他的なメタルも良いけど、ただただひたすら沈み込むようなメタルもやっぱりいいなあと思う。心にしみ込むメタルですよ。
兎に角全体を覆うものすごいような寂しさがすばらしい作品。
わびさびを好む日本人にはこの北欧からの荒涼とした音が以外にもマッチするのではなかろうか。
まあ聴いている人はとっくに聴いていると思うんだが、まだ聴いてない人がいたら手に取ってください。
個人的には18分の大作「Vicarious Redemption」が兎に角すばらしいですわ。
2013年にDensity Recordsからリリースされた。
私はこのアルバムの後にリリースされた「Vertikal 2」を始めに買って、その内容の良さに感動。順番が逆になってしまったが、この降るアルバムを購入した次第。
Cult of Lunaは1998年にスウェーデンで結成されたポストメタルバンドで 、リリースする作品には結構強いメッセージ性があるよう。今作は1927年に制作されたフリッツ・ラング監督作「メトロポリス」という映画に強く影響を受けているそうだ。
私はこの映画は見たことが無いから一体どのくらいこのアルバムに影響を与えているのかということをここで述べることは出来ないんだけど。
映画の動画をぺたっと。私も全部見てないけど、これって本編全部?
さて音の方はというと浮遊感のあるドゥームメタルといったイメージでしょうか。
ただしポストメタルというジャンルにカテゴライズされていることもあり、真性のドゥームメタルにある閉塞感や陰湿な攻撃性は希薄。音はヘヴィだしボーカルのスクリームには迫力があり、暴力性という意味では頷かされるものの、陰惨さは皆無。
ヘヴィである一方キーボードをかなり大胆に導入しており、独特の浮遊間を出すことに成功しているようだ。ポストメタルというのは勝手なイメージでは空間的な広がりのある感じ。
兎に角尺長い曲が多く、演奏スタイルも反復の多様や長い間の取り方など、かなり贅沢に使っているよう。とくにつま弾かれるようなギターの音はどうにも功にも北欧の厳しい冬をイメージさせるような冷たさがあってすばらしい。
反響やフィードバックノイズをキーボードに合わせて効果的に使っており、ボーカル特にスクリームはあくまでも1種類の楽器というような使い方をされていて、ここぞというところに登場しては曲を盛り上げる。随所に挿入されるクリーンボーカルはこらまた何とも言えない疲れたような途方に暮れたようなテンションの低さで私のような男には説得力抜群。
全体的に何とも言えないメランコリックさが曲を覆い、五月蝿いバンドアンサンブルなのに、雪が降り積もっていくような寂寞とした感じが私のつぼにはイチイチ入りまくりで困ります。大仰と言っても良いドラマティカルな感じも、派手さの無い音作りで非常に好感が持てる。
お前を殺してやるず、という排他的なメタルも良いけど、ただただひたすら沈み込むようなメタルもやっぱりいいなあと思う。心にしみ込むメタルですよ。
兎に角全体を覆うものすごいような寂しさがすばらしい作品。
わびさびを好む日本人にはこの北欧からの荒涼とした音が以外にもマッチするのではなかろうか。
まあ聴いている人はとっくに聴いていると思うんだが、まだ聴いてない人がいたら手に取ってください。
個人的には18分の大作「Vicarious Redemption」が兎に角すばらしいですわ。
ラベル:
Cult of Luna,
スウェーデン,
ポストメタル,
音楽,
北欧
ミネット・ウォルターズ/遮断地区
イギリスの女性作家によるミステリー小説。
原題は「Acid Row」。
2014年版ミステリが読みたい!で第1位。このミステリーがすごい!2013の海外編で第2位だそうな。日本でとても受けがいいみたいだし買ってみた。
作者は帯によると英国犯罪小説界の女王と呼ばれているそうです。
本格ミステリー作家で結構な冊数が邦訳されているのだが、私はこの本で初めて。
イギリスのバシンデール団地は1950年代に低所得者向けの集合住宅として建設され、2001年現在ではまともな教育を受けていない低所得者の人々が済み、ドラッグと暴力が蔓延する掃き溜めのような場所になっている。無計画に増築された建造物は老朽化した迷宮のようになっており、地元の人間は立ち入りたがらない。
ソフィー・モリソンは公共の医療機関につとめる医師で治療のためバシンデール団地に出入りしていた。
ある夏の日バシンデール団地に小児性愛者の親子が引っ越してきたという噂が流れる。折しも少女の失踪事件が発生し、団地の住民たちの緊張が爆発。小児性愛者の親子を排斥しようとデモが発生し、たまたま治療のために団地に入っていたソフィーは小児性愛者の親子にとらわれてしまう。
この本は500ページを超える大作だが、およそ一日の間に起きたことを描写している。
だから作品の密度が異常に濃い。普通の犯罪小説はだいたい一つの事件が始まって終わるまであう程度の長さのある時間が流れていくけど、この小説の事件はあっという間に終わりを迎える。常に事態が動いており、尋常でない緊張状態が間断なく続いていく。
これ読んでいる方はたまったものじゃない。常にクライマックスの映画を見せられているようなもので、どこで読むのをやめたら良いのかわからない。非常に疲れる訳である。
しかし本好きの皆様にはわかってもらえると思うが、そういう体験は読書好きにとってはたまらないものである。
犯罪者に閉じ込められた女医ソフィー、デモ(ほぼ暴動に発展した)の首謀者若き母親メラニー、出所したばかりのメラニーの夫ジミー、様々登場人物たちの場面が矢継ぎ早に入れ替わる。現在発生している事件の中継を、次々切り替わるカメラで見ているような緊張感がある。
物語の中心には犯罪者の親子がいて、いかにその2人の関係性が歪んでいるかということを丁寧に描写する。いわば異常な犯罪にいたる心的要因というものの謎解きをしていく訳なのだが、まさに薄い壁一枚を隔てた外界ではその親子を殺してやろうという暴動が起きている。
この本が面白いのは物語の中心に親子がいて、それが原因で巨大な災害のような暴動が発生する訳だが、それは誤解や無知に基づいて発生した非常に危ういものによって引き起こされているところ。なんていうか日本の仇討ちのような整合性(正当性ではない。)があるようで無い。
小さい子供の母親メラニーは子供を守りたいから小児性愛者をこの団地から追い出してくれと警察に向けてデモをするはずが、大衆というのは衆愚というか暴走していき最終的には制御不能の暴動に発展していってしまう。ここがすごい。伝言ゲームにアルコールとドラッグ、そして無知を加えるとどんな凄惨な事態に発展するのかという、一つの(最悪の)可能性の提示である。最悪の箱庭を用意し、不和の種をまいたらどんなカオスが産まれるのか、という観察実験のようでもある。
小石が巨大な雪崩に発展するように、気づいたときにはもう制御不能になっている。善悪の問題から発生したはずなのに、すでに善悪を判断することは難しくなっている。誰が悪いの?原因はたくさんあって確かに悪人もたくさんいるのだが、この本では彼らを罰してめでたしめでたしにはならない。清濁合わせ飲むような苦い結果もある。
とくにデモの首謀者メラニーの造形がすばらしくて、彼女は無知だし、粗野だし、アルコールも麻薬もたしなみ、子供の父親が誰なのかはわからないし、某巨大掲示板だったらDQNと呼ばれそうな若者なんだけど、善し悪しをべつにして彼女がどうして失敗して、それから家族のために何をしたのかというのは非常に面白かった。これはきっと女性にしかかけないんではないだろうかと思った。始末のつけ方が男性作家では無理なんだよね。
グーグルで「遮断地区」と検索すると「遮断地区 ネタバレ」と出てくるのだが、ネタバレはあまり意味が無い。読んだ人ならわかるのだが、この事件がどんな顛末を迎えるのかというのは冒頭にはっきり書いてあるんだよね。この本は間違いなく過程を楽しむ小説だと思う。
私はその過程が非常に面白いかった。もう読みたいような読みたくないようなで、ページをめくる手がどんどん早くなるような。
善悪スッキリ、結末はっきりというタイプのお話が好きな人には合わないだろうが、それ以外の人には文句なしにオススメの小説。年末年始のお休みにでも読んでみてほしい。
原題は「Acid Row」。
2014年版ミステリが読みたい!で第1位。このミステリーがすごい!2013の海外編で第2位だそうな。日本でとても受けがいいみたいだし買ってみた。
作者は帯によると英国犯罪小説界の女王と呼ばれているそうです。
本格ミステリー作家で結構な冊数が邦訳されているのだが、私はこの本で初めて。
イギリスのバシンデール団地は1950年代に低所得者向けの集合住宅として建設され、2001年現在ではまともな教育を受けていない低所得者の人々が済み、ドラッグと暴力が蔓延する掃き溜めのような場所になっている。無計画に増築された建造物は老朽化した迷宮のようになっており、地元の人間は立ち入りたがらない。
ソフィー・モリソンは公共の医療機関につとめる医師で治療のためバシンデール団地に出入りしていた。
ある夏の日バシンデール団地に小児性愛者の親子が引っ越してきたという噂が流れる。折しも少女の失踪事件が発生し、団地の住民たちの緊張が爆発。小児性愛者の親子を排斥しようとデモが発生し、たまたま治療のために団地に入っていたソフィーは小児性愛者の親子にとらわれてしまう。
この本は500ページを超える大作だが、およそ一日の間に起きたことを描写している。
だから作品の密度が異常に濃い。普通の犯罪小説はだいたい一つの事件が始まって終わるまであう程度の長さのある時間が流れていくけど、この小説の事件はあっという間に終わりを迎える。常に事態が動いており、尋常でない緊張状態が間断なく続いていく。
これ読んでいる方はたまったものじゃない。常にクライマックスの映画を見せられているようなもので、どこで読むのをやめたら良いのかわからない。非常に疲れる訳である。
しかし本好きの皆様にはわかってもらえると思うが、そういう体験は読書好きにとってはたまらないものである。
犯罪者に閉じ込められた女医ソフィー、デモ(ほぼ暴動に発展した)の首謀者若き母親メラニー、出所したばかりのメラニーの夫ジミー、様々登場人物たちの場面が矢継ぎ早に入れ替わる。現在発生している事件の中継を、次々切り替わるカメラで見ているような緊張感がある。
物語の中心には犯罪者の親子がいて、いかにその2人の関係性が歪んでいるかということを丁寧に描写する。いわば異常な犯罪にいたる心的要因というものの謎解きをしていく訳なのだが、まさに薄い壁一枚を隔てた外界ではその親子を殺してやろうという暴動が起きている。
この本が面白いのは物語の中心に親子がいて、それが原因で巨大な災害のような暴動が発生する訳だが、それは誤解や無知に基づいて発生した非常に危ういものによって引き起こされているところ。なんていうか日本の仇討ちのような整合性(正当性ではない。)があるようで無い。
小さい子供の母親メラニーは子供を守りたいから小児性愛者をこの団地から追い出してくれと警察に向けてデモをするはずが、大衆というのは衆愚というか暴走していき最終的には制御不能の暴動に発展していってしまう。ここがすごい。伝言ゲームにアルコールとドラッグ、そして無知を加えるとどんな凄惨な事態に発展するのかという、一つの(最悪の)可能性の提示である。最悪の箱庭を用意し、不和の種をまいたらどんなカオスが産まれるのか、という観察実験のようでもある。
小石が巨大な雪崩に発展するように、気づいたときにはもう制御不能になっている。善悪の問題から発生したはずなのに、すでに善悪を判断することは難しくなっている。誰が悪いの?原因はたくさんあって確かに悪人もたくさんいるのだが、この本では彼らを罰してめでたしめでたしにはならない。清濁合わせ飲むような苦い結果もある。
とくにデモの首謀者メラニーの造形がすばらしくて、彼女は無知だし、粗野だし、アルコールも麻薬もたしなみ、子供の父親が誰なのかはわからないし、某巨大掲示板だったらDQNと呼ばれそうな若者なんだけど、善し悪しをべつにして彼女がどうして失敗して、それから家族のために何をしたのかというのは非常に面白かった。これはきっと女性にしかかけないんではないだろうかと思った。始末のつけ方が男性作家では無理なんだよね。
グーグルで「遮断地区」と検索すると「遮断地区 ネタバレ」と出てくるのだが、ネタバレはあまり意味が無い。読んだ人ならわかるのだが、この事件がどんな顛末を迎えるのかというのは冒頭にはっきり書いてあるんだよね。この本は間違いなく過程を楽しむ小説だと思う。
私はその過程が非常に面白いかった。もう読みたいような読みたくないようなで、ページをめくる手がどんどん早くなるような。
善悪スッキリ、結末はっきりというタイプのお話が好きな人には合わないだろうが、それ以外の人には文句なしにオススメの小説。年末年始のお休みにでも読んでみてほしい。
ラベル:
イギリス,
ミステリー,
ミネット・ウォルターズ,
本
2013年12月22日日曜日
Bong-Ra/On Your Knees,Motherfucker
オランダのブレイクコアアーティストのEP。
2013年にリリースされた。CD版は日本のMurder Channelから。
Bong-Raは本名Jason Kohnenといって様々なプロジェクト、バンドに関わっているマルチなミュージシャン。その多彩さはブレイクコア、テクノの枠に収まらずなんとかの有名なメタルWikiであるMetallumにも彼のページがあるから驚きだよね。
http://www.metal-archives.com/artists/Jason_Köhnen/72581
今作は2003年にリリースされた彼の2ndアルバム「Bikini Bandits, Kill! Kill! Kill!」収録の楽曲のうち4曲をセルフリメイク、さらにそれらの楽曲の他アーティストのリミックスを3曲収録。さらにボーナストラックを1曲収録したちょっと変わった作り。
最近ブログで紹介しているThe Kilimanjaro Darkjazz EnsembleやThe Mount Fuji Doomjazz Corporationにハマっており、その首謀者の一人であるJason KohnenのメインプロジェクトであるBong-Raに興味を持ち、ちょうど発売されるという訳で買ってみた次第。
実は私、学生の頃にちょっとだけブレイクコア聴いていたんよね。といってもAphex TwinやSquarepusherなどの超有名所から入って、この前紹介したThe TeknoistやらSublight Record(調べてみたらもう無いんだね!)やら、日本だとRomz Recordsのアーティストなんかを本当にかじる程度聴いてたことがあったよ。そんなわけでちょっと懐かしいな、うえへへとまあ抵抗無く買った訳。
さて音の方はというと小賢しい細工なしのブレイクコアであった。
音がでかい。五月蝿い。
ブレイクコアと言ってもかなり広がりのあるジャンルだと思うんだけど、今作では兎に角基本にしっかりとした太いビートが存在して、そこからさらに細かいドラム音が際限なく配置されている。メロディ性は希薄でどちらかというとBGM的なシンセ音が豊富に配置されていて勢いが命。えげつないボーカルやSEが飛び道具的に配置されている。
明らかにビートが中心の音楽なんだが、もはやメタルといってもいい過剰さでもってドラムの音数が半端無い。これだと明らかに過多の状態になり結果五月蝿いのに起伏がないという残念なことになる危険性もあるのだが、洪水のような音楽の中でも基本となる太いビートがあって、それが非常に気持ちいいんだよね。
はっきり言ってIQ低めの音楽なんだけど(もちろんけなしている訳ではないです。)、所謂IDM(いまでもこんな言葉使うのかな?滑稽だったら申し訳ないのだが)に分類されるアーティストの中には凝りに凝った結果インテリジェンスの壁を越えて抽象的な前衛芸術に到達してしまった人たちも多いと思うのだけど(個人的にはもちろん好きな人たちもいる。)、Bong-Raはそうじゃないんだよね。一言で言うと踊れるブレイクコア。出不精の私が言うのもなんだけど、これライブハウスやクラブで大きい音量で聴いたら気持ちいいだろうね。
家でヘッドフォンで大音量で聴いているだけでも気持ちよくて体が動いちゃう。要するに楽しい音楽。曲展開や音作りは決して底なしに明るい訳じゃないんだけど、やっぱり音楽は面白いものだと感心する。
個人的にはやっぱり本人の手による楽曲の方が気に入ったかな。
如何せん曲が少ないのが難点か。オリジナルアルバムにも手を出してみようかな。
この過剰さはメタラー諸兄も結構気に入ってくれるんではなかろうか。
まあぜひ聴いてみてください。
2013年にリリースされた。CD版は日本のMurder Channelから。
Bong-Raは本名Jason Kohnenといって様々なプロジェクト、バンドに関わっているマルチなミュージシャン。その多彩さはブレイクコア、テクノの枠に収まらずなんとかの有名なメタルWikiであるMetallumにも彼のページがあるから驚きだよね。
http://www.metal-archives.com/artists/Jason_Köhnen/72581
今作は2003年にリリースされた彼の2ndアルバム「Bikini Bandits, Kill! Kill! Kill!」収録の楽曲のうち4曲をセルフリメイク、さらにそれらの楽曲の他アーティストのリミックスを3曲収録。さらにボーナストラックを1曲収録したちょっと変わった作り。
最近ブログで紹介しているThe Kilimanjaro Darkjazz EnsembleやThe Mount Fuji Doomjazz Corporationにハマっており、その首謀者の一人であるJason KohnenのメインプロジェクトであるBong-Raに興味を持ち、ちょうど発売されるという訳で買ってみた次第。
実は私、学生の頃にちょっとだけブレイクコア聴いていたんよね。といってもAphex TwinやSquarepusherなどの超有名所から入って、この前紹介したThe TeknoistやらSublight Record(調べてみたらもう無いんだね!)やら、日本だとRomz Recordsのアーティストなんかを本当にかじる程度聴いてたことがあったよ。そんなわけでちょっと懐かしいな、うえへへとまあ抵抗無く買った訳。
さて音の方はというと小賢しい細工なしのブレイクコアであった。
音がでかい。五月蝿い。
ブレイクコアと言ってもかなり広がりのあるジャンルだと思うんだけど、今作では兎に角基本にしっかりとした太いビートが存在して、そこからさらに細かいドラム音が際限なく配置されている。メロディ性は希薄でどちらかというとBGM的なシンセ音が豊富に配置されていて勢いが命。えげつないボーカルやSEが飛び道具的に配置されている。
明らかにビートが中心の音楽なんだが、もはやメタルといってもいい過剰さでもってドラムの音数が半端無い。これだと明らかに過多の状態になり結果五月蝿いのに起伏がないという残念なことになる危険性もあるのだが、洪水のような音楽の中でも基本となる太いビートがあって、それが非常に気持ちいいんだよね。
はっきり言ってIQ低めの音楽なんだけど(もちろんけなしている訳ではないです。)、所謂IDM(いまでもこんな言葉使うのかな?滑稽だったら申し訳ないのだが)に分類されるアーティストの中には凝りに凝った結果インテリジェンスの壁を越えて抽象的な前衛芸術に到達してしまった人たちも多いと思うのだけど(個人的にはもちろん好きな人たちもいる。)、Bong-Raはそうじゃないんだよね。一言で言うと踊れるブレイクコア。出不精の私が言うのもなんだけど、これライブハウスやクラブで大きい音量で聴いたら気持ちいいだろうね。
家でヘッドフォンで大音量で聴いているだけでも気持ちよくて体が動いちゃう。要するに楽しい音楽。曲展開や音作りは決して底なしに明るい訳じゃないんだけど、やっぱり音楽は面白いものだと感心する。
個人的にはやっぱり本人の手による楽曲の方が気に入ったかな。
如何せん曲が少ないのが難点か。オリジナルアルバムにも手を出してみようかな。
この過剰さはメタラー諸兄も結構気に入ってくれるんではなかろうか。
まあぜひ聴いてみてください。
ジョー・ネスボ/スノーマン
また出た北欧の警察小説!
という訳で新シリーズの紹介。
舞台はノルウェイ、首都オスロ。ノルウェイを舞台にした警察小説というと今まで紹介したことは無かったかな?初めてじゃないかなと思うのだが。
作者はジョー・ネスボ。ノルウェイの作家で経歴が一風変わっている。若い頃はサッカー選手を目指していたが怪我で別の道へ。大学卒業後に就職し、バンド活動を始める。その後オーストラリアに渡り書かれたのが、本作の主人公ハリー・ホーレ警部ものの第一弾。それが本国で出版されて小説家として歩みだした。今はノルウェイに在住。ちなみにバンド活動は今も続けているそうでバンド名は「Di Derre」。ボーカルとギター担当。
本作はハリー警部ものの7作目で、本国では10作が刊行されかのガラスの鍵賞も受賞。単行本の帯によるとマーティン・スコセッシ監督の手で映画かもされるようだ。
ノルウェイ王国の首都オスロ警察に勤めるハリー・ホーレ警部はある女性の失踪事件を契機に近年オスロ周辺での既婚女性の失踪事件の異常な多さに気がつく。調査を開始すると失踪が起きた現場の周辺では雪だるま(スノーマン)が目撃されていた。遅々として進まない捜査をあざ笑うように今度は雪だるまに見立てられた凄惨な死体が…ハリーはいつしかスノーマンと呼ばれるようになった連続殺人鬼を追いつめていく。
さて今作もご多分に漏れず、疲れた中年の男が主人公。
ただほかのシリーズに比べると少し若い印象がある。背の高いからだは痩せてはいるが筋肉質な体つきで、ほぼスキンヘッド直前の坊主頭という強面の警部。やはり家庭の問題とアルコール依存という個人的な問題を抱えていて、彼の生活の苦悩や疲れが事件と平行して丁寧に描写される。いわゆる組織の中のはぐれもので対人関係がヘタクソ。無愛想で頑固で独断専行。面白いのはアメリカで連続殺人鬼についての講習を受けていて、同僚の言葉を借りるならば連続殺人鬼に取り憑かれている。ノルウェイではそんな連続殺人なんて起こらないのに。ようするにちょっと浮いている困り者の警部。
そんな警部の前に連続殺人鬼が現れ、これに対峙することになるのだが、なんといってもスノーマンという呼び名の通り、雪だるまに見立てた殺し方が目を覆いたくなるくらい残虐で、死体をバラバラにするだけでは飽き足らず、雪だるまの頭にのせる、雪だるまにのせてさらに磔にするというちょっとした前衛芸術家のように殺しまくる。この殺人現場の描写が北欧の寒々しさとマッチしてほかに類の見ない独特な凄惨を生み出していることに成功している。曇り空の下、雪と血の強烈なコントラストとも言うべきか。恐ろしいのに凍り付いたような冷徹さがあって、血まみれなのにむせ返るような生々しさが妙に欠落しているような、そんな感じがあってともすると日本人の私からすると異界的な恐ろしさと魅力がある。
事件は如何にも怪しい人物が複数人登場し、徐々に進む捜査は二転三転していく。ミステリといっても警察小説だから、そこまで犯人はだれかな?という問いかけが主題ではないが、徐々に捜査の輪が狭まって真相が明らかになっていく過程がとてもスリリングで面白い。すべてが明らかになってなるほどそういうことだったのか、と納得するまでページをめくる手をどこで止めていいのやら、という楽しくも困った小説。
この小説のテーマの一つは家族、親子関係。ハリー警部は以前の恋人(ひょっとしたら結婚してたのかな?)と分かれているが、未練がある。恋人には子供がいてもちろんハリーとは血がつながっていないが、ハリーは彼のことをとても大事に思っていて、オレグという息子もハリーとは親子のような関係。
殺人鬼スノーマンはサイコパスらしく独自の思想体系と美学でもって殺人を繰り返す訳だが、そこには家族そして親子の関係が根底にある。実際読んでいただきたいのであまり突っ込んでは書かないが、本作によるとノルウェイの子供の20%は父親の子ではないそうだ。重い問題の清濁を余すこと無く書ききって、安易な独断を下さず、善し悪しは読者の判断にゆだねるような書き方は個人的に気に入った。
様々な登場人物が出てくるけど、脇役たちの状況もくどくない範囲でしっかりと書き込んでいるから、この家族というテーマが軽薄にならず、どっしりと問いかけてくる説得力がある。
というわけで非常に楽しめて読めた。あえて言うなら主人公がちょっと格好よく書かれすぎているかな?とも思ったけど、そういうものだと思えばあまり気にならない。
シリーズのほかの作品も邦訳していただきたいところ。
という訳で新シリーズの紹介。
舞台はノルウェイ、首都オスロ。ノルウェイを舞台にした警察小説というと今まで紹介したことは無かったかな?初めてじゃないかなと思うのだが。
作者はジョー・ネスボ。ノルウェイの作家で経歴が一風変わっている。若い頃はサッカー選手を目指していたが怪我で別の道へ。大学卒業後に就職し、バンド活動を始める。その後オーストラリアに渡り書かれたのが、本作の主人公ハリー・ホーレ警部ものの第一弾。それが本国で出版されて小説家として歩みだした。今はノルウェイに在住。ちなみにバンド活動は今も続けているそうでバンド名は「Di Derre」。ボーカルとギター担当。
本作はハリー警部ものの7作目で、本国では10作が刊行されかのガラスの鍵賞も受賞。単行本の帯によるとマーティン・スコセッシ監督の手で映画かもされるようだ。
ノルウェイ王国の首都オスロ警察に勤めるハリー・ホーレ警部はある女性の失踪事件を契機に近年オスロ周辺での既婚女性の失踪事件の異常な多さに気がつく。調査を開始すると失踪が起きた現場の周辺では雪だるま(スノーマン)が目撃されていた。遅々として進まない捜査をあざ笑うように今度は雪だるまに見立てられた凄惨な死体が…ハリーはいつしかスノーマンと呼ばれるようになった連続殺人鬼を追いつめていく。
さて今作もご多分に漏れず、疲れた中年の男が主人公。
ただほかのシリーズに比べると少し若い印象がある。背の高いからだは痩せてはいるが筋肉質な体つきで、ほぼスキンヘッド直前の坊主頭という強面の警部。やはり家庭の問題とアルコール依存という個人的な問題を抱えていて、彼の生活の苦悩や疲れが事件と平行して丁寧に描写される。いわゆる組織の中のはぐれもので対人関係がヘタクソ。無愛想で頑固で独断専行。面白いのはアメリカで連続殺人鬼についての講習を受けていて、同僚の言葉を借りるならば連続殺人鬼に取り憑かれている。ノルウェイではそんな連続殺人なんて起こらないのに。ようするにちょっと浮いている困り者の警部。
そんな警部の前に連続殺人鬼が現れ、これに対峙することになるのだが、なんといってもスノーマンという呼び名の通り、雪だるまに見立てた殺し方が目を覆いたくなるくらい残虐で、死体をバラバラにするだけでは飽き足らず、雪だるまの頭にのせる、雪だるまにのせてさらに磔にするというちょっとした前衛芸術家のように殺しまくる。この殺人現場の描写が北欧の寒々しさとマッチしてほかに類の見ない独特な凄惨を生み出していることに成功している。曇り空の下、雪と血の強烈なコントラストとも言うべきか。恐ろしいのに凍り付いたような冷徹さがあって、血まみれなのにむせ返るような生々しさが妙に欠落しているような、そんな感じがあってともすると日本人の私からすると異界的な恐ろしさと魅力がある。
事件は如何にも怪しい人物が複数人登場し、徐々に進む捜査は二転三転していく。ミステリといっても警察小説だから、そこまで犯人はだれかな?という問いかけが主題ではないが、徐々に捜査の輪が狭まって真相が明らかになっていく過程がとてもスリリングで面白い。すべてが明らかになってなるほどそういうことだったのか、と納得するまでページをめくる手をどこで止めていいのやら、という楽しくも困った小説。
この小説のテーマの一つは家族、親子関係。ハリー警部は以前の恋人(ひょっとしたら結婚してたのかな?)と分かれているが、未練がある。恋人には子供がいてもちろんハリーとは血がつながっていないが、ハリーは彼のことをとても大事に思っていて、オレグという息子もハリーとは親子のような関係。
殺人鬼スノーマンはサイコパスらしく独自の思想体系と美学でもって殺人を繰り返す訳だが、そこには家族そして親子の関係が根底にある。実際読んでいただきたいのであまり突っ込んでは書かないが、本作によるとノルウェイの子供の20%は父親の子ではないそうだ。重い問題の清濁を余すこと無く書ききって、安易な独断を下さず、善し悪しは読者の判断にゆだねるような書き方は個人的に気に入った。
様々な登場人物が出てくるけど、脇役たちの状況もくどくない範囲でしっかりと書き込んでいるから、この家族というテーマが軽薄にならず、どっしりと問いかけてくる説得力がある。
というわけで非常に楽しめて読めた。あえて言うなら主人公がちょっと格好よく書かれすぎているかな?とも思ったけど、そういうものだと思えばあまり気にならない。
シリーズのほかの作品も邦訳していただきたいところ。
2013年12月21日土曜日
The Kilimanjaro Darkjazz Ensemble/From the Stairwell
オランダのダークジャズバンドの3rdアルバム。
2011年にドイツのDenovali Recordsからリリースされた。
Denovaliというと凝った色合いのレコードで有名だが、私の買ったのはCD版。
The Kilimanjaro Darkjazz Ensemble?
この間紹介したのはThe Mount Fuji Doomjazz Corporation。で似ている。高い山+~jazzというネーミングセンス。まあ前の記事でも書いたけど、ブレイクコアアーティストであるBong-Raなどで結成された前衛的なジャズバンドが今回紹介するThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleで、その変名でライブでインプロゼーションを演奏するのが富士山の方。
順番が逆になってしまったが今回は元となるバンドの紹介。クレジットによると7人のメンバーによって演奏されている。
Stairwellというのは階段のある吹き抜けという意味でだそうで、ジャケットでは螺旋階段が狭い空間にぎっちり詰まっている。(stairwell=螺旋階段ではなさそうである。)タイトルはすばらしく、まさしく暗い螺旋階段の底の方から聞こえてくるような音楽性。
富士山プロジェクトの方はジャズをその特性の一つとして存在するドローン方向に向かって思いっきり引き延ばした音楽スタイルだった。いわばブラックホールに吸い込まれたジャズであって、永遠に引き延ばされた時間の中でなり続けるその音はまさしくドローンだが、よくよく要素を切り取ってみるとジャズ由来であった、という前衛的なスタイル。
キリマンジャロプロジェクトというのは同じく前衛的なジャズだ。恐らく伝統的なジャズの土台がありながらも、エレクトロニクスとロックの要素を巧みに取り入れ、かなり独特な音楽を演奏している。
はっきり言えば富士山ほど曲の輪郭が崩壊していない。きっちり曲の様相を呈していてこちらの方が圧倒的に受け入れやすいスタイル。
とはいえDarkjazzを名乗っているだけあって暗い。音の数は多くないし、アンプリファー全開でかき鳴らすようなロック的騒音性は皆無。かなり間を意識してゆったり、かつ不穏に妖しく、立ちこめる霧のような視認性の悪い幻想的な音楽が醸し出されるイメージ。
きしむような揺らぐような電子音、あくまでもゆったりと静かに入ってくるドラム、人目をはばかるように吹かれるトランペット、寂しげなピアノ、ドローンめいたチェロ、そしてささやくような女性の声が入ってくる。すべてが静かだ。盛り上がったと思ったら霞のように消えてしまうような儚さがあって、どうにもこうにもたまらない。
個人的には電子音が相当良い縁の下の力持ち存在になっていると思う。やはりドローンの要素があって、密やかになり続けることでアナログに無い冷徹さを曲に追加する役目を担っている。
暗闇に潜行するようなしめやかさと反復性、間と反響が意識された広がりのある空間性があってそれがイチイチこちらの琴線を揺らしにかかってくる。
特に私が偏向した音楽の嗜好を持っているからだと思うが、暗い音楽というと血や死のイメージが付きまとう。ゴアグラインドの残虐性はあまりに過激だが、乾ききった髑髏の持つ陰鬱な死のイメージに代表されるような。
このバンドがならすのは同じく暗い音楽だが、もうちょっとイメージが抽象的であって、具体的に陰惨で如何にも凶めいた不吉な雰囲気は皆無であって、同じ暗さにしてもいろんな種類があるんだな、と素直に感心した。
かすかに夜明けを感じさせる真っ暗闇のような音楽。
暗い音楽好きの人はどうぞ。非常にオススメです。
2011年にドイツのDenovali Recordsからリリースされた。
Denovaliというと凝った色合いのレコードで有名だが、私の買ったのはCD版。
The Kilimanjaro Darkjazz Ensemble?
この間紹介したのはThe Mount Fuji Doomjazz Corporation。で似ている。高い山+~jazzというネーミングセンス。まあ前の記事でも書いたけど、ブレイクコアアーティストであるBong-Raなどで結成された前衛的なジャズバンドが今回紹介するThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleで、その変名でライブでインプロゼーションを演奏するのが富士山の方。
順番が逆になってしまったが今回は元となるバンドの紹介。クレジットによると7人のメンバーによって演奏されている。
Stairwellというのは階段のある吹き抜けという意味でだそうで、ジャケットでは螺旋階段が狭い空間にぎっちり詰まっている。(stairwell=螺旋階段ではなさそうである。)タイトルはすばらしく、まさしく暗い螺旋階段の底の方から聞こえてくるような音楽性。
富士山プロジェクトの方はジャズをその特性の一つとして存在するドローン方向に向かって思いっきり引き延ばした音楽スタイルだった。いわばブラックホールに吸い込まれたジャズであって、永遠に引き延ばされた時間の中でなり続けるその音はまさしくドローンだが、よくよく要素を切り取ってみるとジャズ由来であった、という前衛的なスタイル。
キリマンジャロプロジェクトというのは同じく前衛的なジャズだ。恐らく伝統的なジャズの土台がありながらも、エレクトロニクスとロックの要素を巧みに取り入れ、かなり独特な音楽を演奏している。
はっきり言えば富士山ほど曲の輪郭が崩壊していない。きっちり曲の様相を呈していてこちらの方が圧倒的に受け入れやすいスタイル。
とはいえDarkjazzを名乗っているだけあって暗い。音の数は多くないし、アンプリファー全開でかき鳴らすようなロック的騒音性は皆無。かなり間を意識してゆったり、かつ不穏に妖しく、立ちこめる霧のような視認性の悪い幻想的な音楽が醸し出されるイメージ。
きしむような揺らぐような電子音、あくまでもゆったりと静かに入ってくるドラム、人目をはばかるように吹かれるトランペット、寂しげなピアノ、ドローンめいたチェロ、そしてささやくような女性の声が入ってくる。すべてが静かだ。盛り上がったと思ったら霞のように消えてしまうような儚さがあって、どうにもこうにもたまらない。
個人的には電子音が相当良い縁の下の力持ち存在になっていると思う。やはりドローンの要素があって、密やかになり続けることでアナログに無い冷徹さを曲に追加する役目を担っている。
暗闇に潜行するようなしめやかさと反復性、間と反響が意識された広がりのある空間性があってそれがイチイチこちらの琴線を揺らしにかかってくる。
特に私が偏向した音楽の嗜好を持っているからだと思うが、暗い音楽というと血や死のイメージが付きまとう。ゴアグラインドの残虐性はあまりに過激だが、乾ききった髑髏の持つ陰鬱な死のイメージに代表されるような。
このバンドがならすのは同じく暗い音楽だが、もうちょっとイメージが抽象的であって、具体的に陰惨で如何にも凶めいた不吉な雰囲気は皆無であって、同じ暗さにしてもいろんな種類があるんだな、と素直に感心した。
かすかに夜明けを感じさせる真っ暗闇のような音楽。
暗い音楽好きの人はどうぞ。非常にオススメです。
2013年12月15日日曜日
Son Lux/Lanterns
アメリカはニューヨークで活動するミュージシャンの3rdアルバム。
2013年にJoyful Noise Recordingsからリリースされた。
Son LuxはRyan Lottのソロプロジェクトのようだ。画像を見ると今風な若者である。1979年生まれだそうな。基本的には彼が楽曲を作成し、ボーカルを始め様々なゲストミュージシャンたちを招いて一つの曲として完成させるスタイルだろうか。
その音楽性は何とも形容しがたく、一つまず言えるとしたらメタルでは全くない。エレクトロニクスが中心になった音楽なのだが、作りは非常に暖かく、恐らく生の楽器もかなり大胆に取り入れているではなかろうか。クレジットを見るとフルートやバイオリンなどはゲストに御願いしているようだし。
思うにメタルというのは先鋭的な分分かりやすい音楽だなあ、と思う。
Son Luxの音楽は難解な音楽では絶対無いのだが、なんとも言葉に説明するのが難しい。
楽曲の中心には歌が据えられているので誰にも聴きやすいと思う。はかなげな曲調だが、心底暗い訳ではない。曲によっては楽しく陽気ですらあるが、能天気ではない。
兎に角間の作り方、曲の展開がうまく、いろいろな音がキラキラ次から次へ出てくる。まるで小さな劇場で前衛的な舞台を見ているような感じがある。奇妙な登場人物が次から次に舞台を通り過ぎていくような感じがある。
バイオリンを始めとする弦楽器、手拍子、妙に重厚なコーラスワーク、ぶるんぶるんしたベース、やたらと手数が多いドラム、軽やかな女性声、妙にしゃがれた男性声、そしてそれらを見事に一つの曲につなぎ止めている作曲才能。ちょっとしたオーケストラと言っても良いじゃないかと思うよ。
Ryan Lottの頭の中は多少メルヘンがかっているらしく、ちょっと現実から遊離した牧歌的な雰囲気がある。楽しげな全体に漂うすこしはかなげな雰囲気がたまらん。
という訳で非常に面白い音楽です。
メタルに疲れちまったよ、という哀愁漂う悲しげメタラーの人は視聴してみたらいいんじゃないの。
↓この曲が良くて買ったんだよね、CDを。
2013年にJoyful Noise Recordingsからリリースされた。
Son LuxはRyan Lottのソロプロジェクトのようだ。画像を見ると今風な若者である。1979年生まれだそうな。基本的には彼が楽曲を作成し、ボーカルを始め様々なゲストミュージシャンたちを招いて一つの曲として完成させるスタイルだろうか。
その音楽性は何とも形容しがたく、一つまず言えるとしたらメタルでは全くない。エレクトロニクスが中心になった音楽なのだが、作りは非常に暖かく、恐らく生の楽器もかなり大胆に取り入れているではなかろうか。クレジットを見るとフルートやバイオリンなどはゲストに御願いしているようだし。
思うにメタルというのは先鋭的な分分かりやすい音楽だなあ、と思う。
Son Luxの音楽は難解な音楽では絶対無いのだが、なんとも言葉に説明するのが難しい。
楽曲の中心には歌が据えられているので誰にも聴きやすいと思う。はかなげな曲調だが、心底暗い訳ではない。曲によっては楽しく陽気ですらあるが、能天気ではない。
兎に角間の作り方、曲の展開がうまく、いろいろな音がキラキラ次から次へ出てくる。まるで小さな劇場で前衛的な舞台を見ているような感じがある。奇妙な登場人物が次から次に舞台を通り過ぎていくような感じがある。
バイオリンを始めとする弦楽器、手拍子、妙に重厚なコーラスワーク、ぶるんぶるんしたベース、やたらと手数が多いドラム、軽やかな女性声、妙にしゃがれた男性声、そしてそれらを見事に一つの曲につなぎ止めている作曲才能。ちょっとしたオーケストラと言っても良いじゃないかと思うよ。
Ryan Lottの頭の中は多少メルヘンがかっているらしく、ちょっと現実から遊離した牧歌的な雰囲気がある。楽しげな全体に漂うすこしはかなげな雰囲気がたまらん。
という訳で非常に面白い音楽です。
メタルに疲れちまったよ、という哀愁漂う悲しげメタラーの人は視聴してみたらいいんじゃないの。
↓この曲が良くて買ったんだよね、CDを。
ジョン・スコルジー/老人と宇宙
アメリカ人の作家によるSF小説。
タイトルは「ろうじんとそら」で、原題は「Old man's war」、老人の戦争。
作者のジョン・スコルジーはカリフォルニア州生まれ。ノンフィクションの本をいくつか執筆した後、自身のブログにこの小説を発表。1日1章更新するスタイルで、その後出版社から紙媒体の本として発売された。権威と伝統のあるヒューゴー賞候補になり、ジョン・W・キャンベル賞を受賞。
今より未来。科学技術は発展し、人類は宇宙に進出。コロニーを作り、そこに植民することでその版図を広げていた。地球生まれ地球育ちのジョン・ペリーは75歳の誕生日にコロニー連合の持つ防衛軍へ入隊した。老人たちの部隊。応募資格は75歳以上であること、2度と地球に帰って来れないことに同意することなど。奇妙な噂はあれど地球には全く情報は入ってこなかったが、老人たちの志願兵は後を絶つことがなかった。ペリーは軌道エレベーターで宇宙へ。そこで驚愕の事実を知らされたペリーらは脅威の技術でエイリアンたちと戦う兵士に仕立て上げられ戦場に赴いていく。
実はこの話、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」へのオマージュらしい。らしいというのは私はそちらを読んだことがないからなんだよね、恥ずかしながら。映画化された「スターシップ・トゥルーパーズ」なら見たことあるんだが。
面白いSFが読みたいと思っていたところ、Amazonで評価が良いので買ってみた。
この話の肝はなんといっても老人が兵士になって戦争に行く、というアイディアだと思う。読み始めた当初は主人公を老人にする意図がイマイチ分からなかったが、読み進めていくとなるほどなあと思う。一旦死んで生まれ変わるというのではないが、主人公の老人たちはそれまでの人生を捨てて兵士として全く新しい世界での戦いに身を投じる訳です。過去を捨ててと言っても意識も個性も老人のそれから連続している訳だから、そこに葛藤が生まれて、普通の新兵とは一風違ったドラマが生じる訳。
主人公ジョンの内面的な告白を織り込みながらも、読み物として大変魅力的な宇宙戦争が繰り広げられていく。魔法的な最先端科学、容赦のない鬼軍曹、奇怪で気色悪く残忍なエイリアンたち、ミステリアスな特殊部隊の女性兵士、そして戦い、死、戦い。優秀な兵士に成熟しつつあるジョンが次第に心のバランスを失っていく過程は戦争という状況の異常さ個人的なレベルに落とし込んでいて非常に共感できた。また勇ましい軍隊をただ賛美するのではなく、そのあり方に対して疑問を感じさせるような書き方も個人的には良かった。
地球とコロニー連合、人類とエイリアン、若者と老人、新兵と特殊部隊に属する兵士などはっきりとした二項対立が恐らく意図的に多めに配置されているので、物語のコントラストがはっきりしていて、単純明快で結構さくさく読めてしまうのも良いところ。
ただちょっと個人的には気になるところもいくつかあった。
スキップドライブの理論ではちょっと疑問が残るし(これは単に私の頭のできの問題だと思う。)、特殊部隊の兵士の由来の効率の悪さには首を傾げた。(たとえ多様性を維持するにももうちょっとスマートなやり方があると思うんだけど。)作中の登場人物も言っていたが、そもそも広大な宇宙を巡って大規模な戦争が必要なのか?とも思った。ただしこれは前の記事でも書いたが、たとえ全宇宙の全民族の腹が満たされるような世界がやってきたとしても争い毎はなくならないのだろうとは思う。そういう意味でこの本に出てくるコンスー族はとても興味深い種族である。
そんな疑問に関しても自分で考えてみるのは読書の醍醐味の一つかも。
多少御都合主義過ぎなところがあって気にならなくもないが、エンターテインメント性は抜群なのでSFが読みたいぜという貴方にはオススメ。
タイトルは「ろうじんとそら」で、原題は「Old man's war」、老人の戦争。
作者のジョン・スコルジーはカリフォルニア州生まれ。ノンフィクションの本をいくつか執筆した後、自身のブログにこの小説を発表。1日1章更新するスタイルで、その後出版社から紙媒体の本として発売された。権威と伝統のあるヒューゴー賞候補になり、ジョン・W・キャンベル賞を受賞。
今より未来。科学技術は発展し、人類は宇宙に進出。コロニーを作り、そこに植民することでその版図を広げていた。地球生まれ地球育ちのジョン・ペリーは75歳の誕生日にコロニー連合の持つ防衛軍へ入隊した。老人たちの部隊。応募資格は75歳以上であること、2度と地球に帰って来れないことに同意することなど。奇妙な噂はあれど地球には全く情報は入ってこなかったが、老人たちの志願兵は後を絶つことがなかった。ペリーは軌道エレベーターで宇宙へ。そこで驚愕の事実を知らされたペリーらは脅威の技術でエイリアンたちと戦う兵士に仕立て上げられ戦場に赴いていく。
実はこの話、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」へのオマージュらしい。らしいというのは私はそちらを読んだことがないからなんだよね、恥ずかしながら。映画化された「スターシップ・トゥルーパーズ」なら見たことあるんだが。
面白いSFが読みたいと思っていたところ、Amazonで評価が良いので買ってみた。
この話の肝はなんといっても老人が兵士になって戦争に行く、というアイディアだと思う。読み始めた当初は主人公を老人にする意図がイマイチ分からなかったが、読み進めていくとなるほどなあと思う。一旦死んで生まれ変わるというのではないが、主人公の老人たちはそれまでの人生を捨てて兵士として全く新しい世界での戦いに身を投じる訳です。過去を捨ててと言っても意識も個性も老人のそれから連続している訳だから、そこに葛藤が生まれて、普通の新兵とは一風違ったドラマが生じる訳。
主人公ジョンの内面的な告白を織り込みながらも、読み物として大変魅力的な宇宙戦争が繰り広げられていく。魔法的な最先端科学、容赦のない鬼軍曹、奇怪で気色悪く残忍なエイリアンたち、ミステリアスな特殊部隊の女性兵士、そして戦い、死、戦い。優秀な兵士に成熟しつつあるジョンが次第に心のバランスを失っていく過程は戦争という状況の異常さ個人的なレベルに落とし込んでいて非常に共感できた。また勇ましい軍隊をただ賛美するのではなく、そのあり方に対して疑問を感じさせるような書き方も個人的には良かった。
地球とコロニー連合、人類とエイリアン、若者と老人、新兵と特殊部隊に属する兵士などはっきりとした二項対立が恐らく意図的に多めに配置されているので、物語のコントラストがはっきりしていて、単純明快で結構さくさく読めてしまうのも良いところ。
ただちょっと個人的には気になるところもいくつかあった。
スキップドライブの理論ではちょっと疑問が残るし(これは単に私の頭のできの問題だと思う。)、特殊部隊の兵士の由来の効率の悪さには首を傾げた。(たとえ多様性を維持するにももうちょっとスマートなやり方があると思うんだけど。)作中の登場人物も言っていたが、そもそも広大な宇宙を巡って大規模な戦争が必要なのか?とも思った。ただしこれは前の記事でも書いたが、たとえ全宇宙の全民族の腹が満たされるような世界がやってきたとしても争い毎はなくならないのだろうとは思う。そういう意味でこの本に出てくるコンスー族はとても興味深い種族である。
そんな疑問に関しても自分で考えてみるのは読書の醍醐味の一つかも。
多少御都合主義過ぎなところがあって気にならなくもないが、エンターテインメント性は抜群なのでSFが読みたいぜという貴方にはオススメ。
2013年12月8日日曜日
アーナルデュル・インドリダソン/湿地
昨今日本でも流行を見せている北欧ミステリーの一冊。
この本ではアイスランドが舞台。
北欧の最も優れた推理小説に与えられる銀の鍵賞を受賞した作品。ちなみに同シリーズの自作でも受賞するという快挙を達成したとのこと。
日本ではミステリが読みたい!で1位をとった。
ミーハーな私は流行に乗っかり、ちょいちょい北欧ミステリーを読んでいたので、今作も前々から気になっていた。しかし文庫じゃないと(通勤の社内で読むにはちょっと不便だ)なーと何となく後回しになっていた。しかしまあいつまでも放っておく訳にもいかんだろうということで購入してみた。
ちなみに訳者はヘニング・マンケルのヴァランダーシリーズも訳している柳沢由実子さんで訳しっぷりも申し分なし。
2001年アイスランドは10月のレイキャビクの湿地で独り身の老人が殺された。灰皿で頭を殴られ、状況を見るに典型的な行き当たりばったりのアイスランド的殺人事件かと思われたが、現場に残された犯人の手によるものと思われる謎のメッセージにより捜査は混乱する。現場主義の古株捜査官エーレンデュルは地道な捜査を続けるうちに事件の背後にあるおぞましい事実に肉薄していく。
他の北欧ミステリーとはちょっと趣向が異なる作品である。一言で言うと地味というのだろうか。事件はとても残忍だが、かなり狭い範囲で発生した事柄であり、もちろん国外には波及しない。派手などんぱちもカーチェイスもない。主人公に妙にミステリアスな記憶の障害がある訳でもない。恐ろしい過去とそれにまつわるトラウマを持っている訳ではない。訳者や解説者が本の後ろでも書いているが、とにかく言葉が平明で必要充分な事柄しか書かない。こってりとした濃密な描写はない。(ただし作者も明言しているが、どんなひどいことでも全部ありのままに書かれている。その視点はきわめて冷静でそれゆえ犯罪の恐ろしさが読者にはストレートに伝わる。)だからこの手の小説にしたらページ数も少なめ。全部で300ページほど。ただし、抜群に面白い。
さて警察小説の主人公の刑事と言ったら(ブログで繰り返し書いているが)疲れたおっさんと相場が決まっている。今回の疲れたおっさんは年の頃50がらみで、昔気質の仕事人間。典型的な古いタイプの人間でデジタル捜査には全く理解がないし、わかろうともしない。気難しく頑固で部下との関係もたびたび険悪になる。離婚していて娘と息子がいるが、それぞれ問題を抱えていて家庭環境は崩壊している。さらに最近なんだか妙に胸が痛い。というゲンナリっぷりである。
この疲れたおっさんことエーレンデュルが足(車だけど)をたよりに動き回って、とんでもない事件の真相を少しずつ暴いていき、その真実の重みにさらにさらに疲れてくるというおっさん殺しスタイルで事件は進む。
先に書いたがこの本が扱う事件は、非常に狭い範囲で起きたもので、捜査も広がりを見せるというよりは深く深く掘り下げていくように進む。そこには派手な陰謀も悪いギャングもいない。私たちと同じ生活があって、そこに犯罪が入り込むのだ。こういう類いの小説ではどんな悪を描くか?ということが最も大きなテーマになってくる。そこで様々悪辣な犯罪、悪行がごたごた積み上がってきたような感じがある。しかし根源的な犯罪に潜む、陰湿さというのは犯罪のスケールに必ずしも比例しないのだということをこの本を読んだら感じるのではなかろうか。
悪意が人の生活にどんな影響を与えるのかということを、平明に言葉少なく作者は語る。
作中ではほとんど雨が降っている。雨が降っている中、主人公たちは既に半ば終わってしまった事柄を追いかけることになる。疲れた視線の先に待っているのは到底楽しいことではないことを半ば確信して。彼らが犯罪を通して何を見ているのか。読んだ人毎に答えがあるのだろうが、なんだかこう言外に語りかけてくるような、不思議な感じがあった。
徹頭徹尾「私とあなた」の関係性で描かれる小説。
犯罪の持つ悪さが一体本質的にはどんなものなのか、ということを突きつけられたようだった。最後までページをめくる手が止まらなかったすばらしい本。
この本ではアイスランドが舞台。
北欧の最も優れた推理小説に与えられる銀の鍵賞を受賞した作品。ちなみに同シリーズの自作でも受賞するという快挙を達成したとのこと。
日本ではミステリが読みたい!で1位をとった。
ミーハーな私は流行に乗っかり、ちょいちょい北欧ミステリーを読んでいたので、今作も前々から気になっていた。しかし文庫じゃないと(通勤の社内で読むにはちょっと不便だ)なーと何となく後回しになっていた。しかしまあいつまでも放っておく訳にもいかんだろうということで購入してみた。
ちなみに訳者はヘニング・マンケルのヴァランダーシリーズも訳している柳沢由実子さんで訳しっぷりも申し分なし。
2001年アイスランドは10月のレイキャビクの湿地で独り身の老人が殺された。灰皿で頭を殴られ、状況を見るに典型的な行き当たりばったりのアイスランド的殺人事件かと思われたが、現場に残された犯人の手によるものと思われる謎のメッセージにより捜査は混乱する。現場主義の古株捜査官エーレンデュルは地道な捜査を続けるうちに事件の背後にあるおぞましい事実に肉薄していく。
他の北欧ミステリーとはちょっと趣向が異なる作品である。一言で言うと地味というのだろうか。事件はとても残忍だが、かなり狭い範囲で発生した事柄であり、もちろん国外には波及しない。派手などんぱちもカーチェイスもない。主人公に妙にミステリアスな記憶の障害がある訳でもない。恐ろしい過去とそれにまつわるトラウマを持っている訳ではない。訳者や解説者が本の後ろでも書いているが、とにかく言葉が平明で必要充分な事柄しか書かない。こってりとした濃密な描写はない。(ただし作者も明言しているが、どんなひどいことでも全部ありのままに書かれている。その視点はきわめて冷静でそれゆえ犯罪の恐ろしさが読者にはストレートに伝わる。)だからこの手の小説にしたらページ数も少なめ。全部で300ページほど。ただし、抜群に面白い。
さて警察小説の主人公の刑事と言ったら(ブログで繰り返し書いているが)疲れたおっさんと相場が決まっている。今回の疲れたおっさんは年の頃50がらみで、昔気質の仕事人間。典型的な古いタイプの人間でデジタル捜査には全く理解がないし、わかろうともしない。気難しく頑固で部下との関係もたびたび険悪になる。離婚していて娘と息子がいるが、それぞれ問題を抱えていて家庭環境は崩壊している。さらに最近なんだか妙に胸が痛い。というゲンナリっぷりである。
この疲れたおっさんことエーレンデュルが足(車だけど)をたよりに動き回って、とんでもない事件の真相を少しずつ暴いていき、その真実の重みにさらにさらに疲れてくるというおっさん殺しスタイルで事件は進む。
先に書いたがこの本が扱う事件は、非常に狭い範囲で起きたもので、捜査も広がりを見せるというよりは深く深く掘り下げていくように進む。そこには派手な陰謀も悪いギャングもいない。私たちと同じ生活があって、そこに犯罪が入り込むのだ。こういう類いの小説ではどんな悪を描くか?ということが最も大きなテーマになってくる。そこで様々悪辣な犯罪、悪行がごたごた積み上がってきたような感じがある。しかし根源的な犯罪に潜む、陰湿さというのは犯罪のスケールに必ずしも比例しないのだということをこの本を読んだら感じるのではなかろうか。
悪意が人の生活にどんな影響を与えるのかということを、平明に言葉少なく作者は語る。
作中ではほとんど雨が降っている。雨が降っている中、主人公たちは既に半ば終わってしまった事柄を追いかけることになる。疲れた視線の先に待っているのは到底楽しいことではないことを半ば確信して。彼らが犯罪を通して何を見ているのか。読んだ人毎に答えがあるのだろうが、なんだかこう言外に語りかけてくるような、不思議な感じがあった。
徹頭徹尾「私とあなた」の関係性で描かれる小説。
犯罪の持つ悪さが一体本質的にはどんなものなのか、ということを突きつけられたようだった。最後までページをめくる手が止まらなかったすばらしい本。
ラベル:
アーナルデュル・インドリダソン,
ミステリー,
警察小説,
北欧,
本
Avatarium/Avatarium
北欧はスウェーデンのドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2013年にNuclear Blastからリリースされた。
CandlemassのベーシストLeif Edlingを中心に結成されたボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの5人編成のバンド。Metallumを参照するとボーカル以外は元々同じバンドだったりでつながりがある面々で結成されているようだ。ボーカリストはJennie-Ann Smithという女性でこのバンド以前のデータは上記サイトには明記されていなかった。
さて女性ボーカルのドゥームメタルバンドというと今や珍しくはないよね。このブログでも以前紹介したJuciferやWindhand、個人的にはThe Riverというバンドも大好きです。(現在は女性のボーカルは残念ながら脱退してしまっているのだが。)
とはいえこのバンドは上記あげたバンドとはちょっと趣が異なる。
なんでかというとボーカルがとても歌っている。メロディックドゥームメタルと行っても良いかもしれない。基本的にはクリーンなボーカルでメロディアスに歌い上げるスタイル。ドゥームメタルというとその他のメタルに比べると閉鎖的でおどろおどろしい感じがするが、このバンドに関してはもちろん決して明るい楽曲はやっていないが、底の見えないような真っ暗闇のような感じはない。情念たっぷりのしかし、あくまでも普通の声でもって歌い上げさせることで、ドゥーム特有の妖しい感じを見事に聴きやすさと両立させていると思う。マニアックさとメロディアスさの融合なんだが、非常にバランス感覚に優れている。ほんとに自由奔放に歌うような感じで、様式をとっても大切にするマニアックなメタル界隈だとちょっと珍しいんじゃないかな。
バックの演奏陣は非常にどっしりとしていて、アンサンブルはまさにドゥームメタルのそれである。楽曲はかなり凝っていて、ただリフを反復的に奏でるというよりは、1曲の中でも様々な展開を見せるタイプ。個人的にはギターの変幻自在さが気に入った。重々しいリフ、引き延ばしたような不穏なアルペジオや随所に入るノイズ、ワウのかかった突発的なフレーズとかなり芸達者。曲中に挿入される妙にクラシカルなメタルスタイルのギターソロも哀愁たっぷりでとても良い。キーボードも背後で不安感をあおるようなスタイルから、乾いたピアノがぽつりぽつりとメロディを奏でるようなスタイルまで結構幅広い。作曲は楽曲中心のスタイルでどの楽器も多彩ながら走りすぎないスタイルもいいね。
重々しい楽曲にメロディアスな歌唱を重ねるスタイル自体は目新しいものではないのだが、とにかくバランスが良いのとメンバーの技量が図抜けているのか、頭一つ抜きん出ているような印象。
悪魔を呼び出すようなスタイルでも、お前をのろい殺してやるという呪怨スタイルでもない、念のこもったしかし全体的には何ともいえない寂しさを感じさせるような音楽性。
妖しい深い森に迷い込んだようなちょっとミステリアスな感じがたまりません。
これは良いアルバム。大変オススメ。ロックと言っても良いくらいの音楽性なので、メタルはちょっと重すぎるな、という人も安心して聴けるのではなかろうか。
個人的にはこの曲にやられてCDを買ったね。すごい妖しい。これはやっぱり女性ボーカルでないと出せない世界観だと思う。
2013年にNuclear Blastからリリースされた。
CandlemassのベーシストLeif Edlingを中心に結成されたボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの5人編成のバンド。Metallumを参照するとボーカル以外は元々同じバンドだったりでつながりがある面々で結成されているようだ。ボーカリストはJennie-Ann Smithという女性でこのバンド以前のデータは上記サイトには明記されていなかった。
さて女性ボーカルのドゥームメタルバンドというと今や珍しくはないよね。このブログでも以前紹介したJuciferやWindhand、個人的にはThe Riverというバンドも大好きです。(現在は女性のボーカルは残念ながら脱退してしまっているのだが。)
とはいえこのバンドは上記あげたバンドとはちょっと趣が異なる。
なんでかというとボーカルがとても歌っている。メロディックドゥームメタルと行っても良いかもしれない。基本的にはクリーンなボーカルでメロディアスに歌い上げるスタイル。ドゥームメタルというとその他のメタルに比べると閉鎖的でおどろおどろしい感じがするが、このバンドに関してはもちろん決して明るい楽曲はやっていないが、底の見えないような真っ暗闇のような感じはない。情念たっぷりのしかし、あくまでも普通の声でもって歌い上げさせることで、ドゥーム特有の妖しい感じを見事に聴きやすさと両立させていると思う。マニアックさとメロディアスさの融合なんだが、非常にバランス感覚に優れている。ほんとに自由奔放に歌うような感じで、様式をとっても大切にするマニアックなメタル界隈だとちょっと珍しいんじゃないかな。
バックの演奏陣は非常にどっしりとしていて、アンサンブルはまさにドゥームメタルのそれである。楽曲はかなり凝っていて、ただリフを反復的に奏でるというよりは、1曲の中でも様々な展開を見せるタイプ。個人的にはギターの変幻自在さが気に入った。重々しいリフ、引き延ばしたような不穏なアルペジオや随所に入るノイズ、ワウのかかった突発的なフレーズとかなり芸達者。曲中に挿入される妙にクラシカルなメタルスタイルのギターソロも哀愁たっぷりでとても良い。キーボードも背後で不安感をあおるようなスタイルから、乾いたピアノがぽつりぽつりとメロディを奏でるようなスタイルまで結構幅広い。作曲は楽曲中心のスタイルでどの楽器も多彩ながら走りすぎないスタイルもいいね。
重々しい楽曲にメロディアスな歌唱を重ねるスタイル自体は目新しいものではないのだが、とにかくバランスが良いのとメンバーの技量が図抜けているのか、頭一つ抜きん出ているような印象。
悪魔を呼び出すようなスタイルでも、お前をのろい殺してやるという呪怨スタイルでもない、念のこもったしかし全体的には何ともいえない寂しさを感じさせるような音楽性。
妖しい深い森に迷い込んだようなちょっとミステリアスな感じがたまりません。
これは良いアルバム。大変オススメ。ロックと言っても良いくらいの音楽性なので、メタルはちょっと重すぎるな、という人も安心して聴けるのではなかろうか。
個人的にはこの曲にやられてCDを買ったね。すごい妖しい。これはやっぱり女性ボーカルでないと出せない世界観だと思う。
デニス・ルヘイン/シャッター・アイランド
アメリカの作家によるハードボイルドなミステリー。
2003年に出版され、日本では2006年に翻訳された。
有名な作家による有名作であることは間違いないが、マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演で2010年に映画化されており、こちらで知っている人も押印じゃなかろうか。
ちなみに私は映画の存在を知っていたものの見たことはなく、前にブログで紹介した「運命の日」に多いに感動して同じ作家の本を買ってみたのである。
1954年、連邦保安官のテディ・ダニエルズは相棒のチャック・オールとともにフェリーに乗りボストン沖に浮かぶシャッター島を目指していた。島にはアッシュクリフという病院が存在し、精神を患った犯罪者たちが収監されている。この施設から女性の患者が一人こつ然と姿を消した。重い監視がついた施設内の部屋から文字通り消えたのだった。謎のメッセージを残して。テディとチャックは捜査を開始するが、島にはかつてテディの妻を殺害した男が収監されており、折しも巨大な台風が迫るさなか事件は思わぬ方向に大きく動いていくことになる。
舞台は1950年代である。当然現在とは大きく隔たりがあって、とくに精神病理学の現場となったら今とはだいぶ趣が異なる。とにかく閉鎖的封鎖的で、治療薬だってその効果のほどは不確かでロボトミー手術が治療の一つの手段として存在していた時代である。
そこに警察官がたった2人で乗り込むという訳だから普通の警察小説とはかなり趣を異にする作品である。昨今の警察小説・犯罪小説が犯罪の手口が時代とともに大仰になっていくのにあわせて次第にそのスケールを増していることを考えると、時代設定も相まってだいぶ古風な作品であるといえるかもしれない。しかし犯罪の本質、その恐ろしさ、おぞましさというのは時代がいくら変わっても変わらないものである。むしろ現在と隔たりがある分、なにかしら不気味な存在感があるのかもしれない。
社会から孤立した、精神に異常がある犯罪者を収監している小島、テディとチャックの2人はそんな異界に足を踏み入れて女性の創作にあたる訳だが、謎めいた患者、島の物々しい雰囲気、謎の暗号、捜査は広がりを見せるどころか謎の小道に迷い込んでしまうようである。加えてテディの妻を殺した仇敵の存在、物語は妻を失ったテディの深すぎる悲しみにページを割いていく。物語は次第次第にテディの内面に切り込んでいく。井戸に沈み込んでいくように深みにはまっていく。昨今の警察小説の主人公たちは種類は違うものの何かしらの問題を内面に抱えていく、外で発生する事件と同時進行で彼らの内面が描写され、事件の解決とともに内面の問題も解決する場合、解決した後も同じように問題を抱えていく場合、それは様々だが、この小説では主人公であるテディの内面の問題がどんどん肥大化していき、外的世界を浸食していくようである。捜査は進んでいくのに、文字通りの箱庭で巨大な陰謀によってコーナーに追いつめられてしまうような閉塞感と不安感がある。
すべてを吹き飛ばしてしまうような嵐が象徴的で一体嵐が過ぎ去った後はどんな景色が広がっているのか、ぜひ読んでいただきたいと思う。
「運命の日」とは全く違った意味でううむ、と唸らされた。
物語だからどうしても極端な所はあるけど、今作でも出来事の持つ良い側面、そして悪い側面をどちらも描くような力強さがあってそこがこの作者の持つ面白さなのかもしれない。非常にオススメ。
2003年に出版され、日本では2006年に翻訳された。
有名な作家による有名作であることは間違いないが、マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演で2010年に映画化されており、こちらで知っている人も押印じゃなかろうか。
ちなみに私は映画の存在を知っていたものの見たことはなく、前にブログで紹介した「運命の日」に多いに感動して同じ作家の本を買ってみたのである。
1954年、連邦保安官のテディ・ダニエルズは相棒のチャック・オールとともにフェリーに乗りボストン沖に浮かぶシャッター島を目指していた。島にはアッシュクリフという病院が存在し、精神を患った犯罪者たちが収監されている。この施設から女性の患者が一人こつ然と姿を消した。重い監視がついた施設内の部屋から文字通り消えたのだった。謎のメッセージを残して。テディとチャックは捜査を開始するが、島にはかつてテディの妻を殺害した男が収監されており、折しも巨大な台風が迫るさなか事件は思わぬ方向に大きく動いていくことになる。
舞台は1950年代である。当然現在とは大きく隔たりがあって、とくに精神病理学の現場となったら今とはだいぶ趣が異なる。とにかく閉鎖的封鎖的で、治療薬だってその効果のほどは不確かでロボトミー手術が治療の一つの手段として存在していた時代である。
そこに警察官がたった2人で乗り込むという訳だから普通の警察小説とはかなり趣を異にする作品である。昨今の警察小説・犯罪小説が犯罪の手口が時代とともに大仰になっていくのにあわせて次第にそのスケールを増していることを考えると、時代設定も相まってだいぶ古風な作品であるといえるかもしれない。しかし犯罪の本質、その恐ろしさ、おぞましさというのは時代がいくら変わっても変わらないものである。むしろ現在と隔たりがある分、なにかしら不気味な存在感があるのかもしれない。
社会から孤立した、精神に異常がある犯罪者を収監している小島、テディとチャックの2人はそんな異界に足を踏み入れて女性の創作にあたる訳だが、謎めいた患者、島の物々しい雰囲気、謎の暗号、捜査は広がりを見せるどころか謎の小道に迷い込んでしまうようである。加えてテディの妻を殺した仇敵の存在、物語は妻を失ったテディの深すぎる悲しみにページを割いていく。物語は次第次第にテディの内面に切り込んでいく。井戸に沈み込んでいくように深みにはまっていく。昨今の警察小説の主人公たちは種類は違うものの何かしらの問題を内面に抱えていく、外で発生する事件と同時進行で彼らの内面が描写され、事件の解決とともに内面の問題も解決する場合、解決した後も同じように問題を抱えていく場合、それは様々だが、この小説では主人公であるテディの内面の問題がどんどん肥大化していき、外的世界を浸食していくようである。捜査は進んでいくのに、文字通りの箱庭で巨大な陰謀によってコーナーに追いつめられてしまうような閉塞感と不安感がある。
すべてを吹き飛ばしてしまうような嵐が象徴的で一体嵐が過ぎ去った後はどんな景色が広がっているのか、ぜひ読んでいただきたいと思う。
「運命の日」とは全く違った意味でううむ、と唸らされた。
物語だからどうしても極端な所はあるけど、今作でも出来事の持つ良い側面、そして悪い側面をどちらも描くような力強さがあってそこがこの作者の持つ面白さなのかもしれない。非常にオススメ。
The Mount Fuji Doomjazz Corporation/Roadburn
オランダのジャズバンドのライブアルバム。
2013年にRoadburn Recordsからリリースされた。私の持っているのはCD版。The Mount Fuji Doomjazz CorporationというのはThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleというジャズバンドがライブでインプロゼーション(即興)を演奏する際の変名である。
そもそもThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleというのは誰なのよ?という質問ももっともである。
The Kilimanjaro Darkjazz Ensembleは7人(サイトによっては8人だったりするので、メンバーの定義が曖昧なのかもしれない。)によって構成され、前衛的なジャズをプレイする集団である。メンバーの中にはブレイクコアアーティストBong-Raとして活動するJason Köhnenも含まれる。前衛的なジャズとは何ぞや?となるとこれは大きな論争が発生することは必死だが、ここでは割愛する。
さてよくわからない音楽を演奏する集団の別名儀でのライブアルバムはかなり良くわからないことになっている。
ジャンルでいうとドローンに近いのではないだろうか。単音が長く続くあのドローンである。ジャズといっているが?これまたもっともな疑問である。
ジャズというとドラム、ベース、ピアノ、トランペットなどで奏でる音楽形態で(メタル同様現在ではものすごい幅広い音楽性を有していることはおぼろげながら理解しているつもりだがあえて)、軽やかかつ陽気。かと思えばテンポを落として、ムーディかつお洒落な大人の音楽。というイメージが(私の中では)ある。
彼らの音楽を聴いてなるほどジャズだね、となる人はなかなかいないのではないだろうか。どう聴いたって暗い雰囲気のドローンである。なんと詐欺ではないかといきり立つジャズマニアの皆様、待ってくれ。彼らは如何せんDoomjazzなのである。ドゥームなのである。かといってメタルではないのだが、紛うことなきドゥームっぷりである。ジャズは?ごもっとも。しかし、よく聴いてほしい。よく聴くとあの悲しそうな音は確かにトランペットでは?然り。何かほかの金管楽器も入っているようだ。確かにトランペットでずっと単音を出せば(息が続くのかな)たしかにそれはドローンの要素がある。
曲は全部で4つ。9分台が1曲、あとは16分台が3曲。
何とも物悲しいバイオリンに導かれてドゥームなジャズ旅が始まる。泣くようなトランペット。時にドラムが重々しくビートを刻む。そして力強いドローン。ドローンといっても最初っから最後まで単音を持続させる訳ではなく、楽器もいくつか種類があり、それが滑るようにちょいちょい音程をずらしていく。曲自体が巨大な反響である。巨大な伽藍にうろんに響く合奏である。きしむような電子音も挿入されて夢見心地。
そもそもジャズは即興演奏の要素が強いと聴く。
ともすればすぐにその音楽性は前衛的な領域に踏み込み、だからこそドローンとの親和性もあるのかもしれない。
ジャズを期待するとビックリすることは間違いないが、暗黒音楽を好きなあなたならハマるだろう。人によっては音楽ととらえることにも抵抗があるかもしれないが、こんなブログを読んでいるなら視聴くらいしたって罰はあたらないだろう。
2013年12月1日日曜日
PORTAL(Australia) Japan tour with COHOL@下北沢ERA 11/30
このブログをくまなく読んでくださっている希有な人がもしいたらわかっていただけるかもしれないが、私はかのH.P.ラブクラフトが創出し、彼の周りの様々な作家陣が確固たるものにし、そして今なお拡張し続ける架空の神話体系クトゥルー(クトゥルフ)の愛好者である。
また、少々ニッチなメタルというジャンルのさらにニッチなサブジャンルの音楽を好んで聴く。デスメタルだとか、ブラックメタルだとか。
そんな訳でクトゥルーとデスメタルをくっつけたオーストラリアのバンドPortalは大好きである。音楽にクトゥルー神話を融合させる試みは他のバンドでもなされていると思うけど、彼らの完成度は群を抜いていると思う。
さて、そんなマニアックなバンドがまさかの来日となったら、いくら出不精でライブが苦手(人ごみが苦手)な私としてもチケットをとらざるを得ないのはおよそ必定のことであった。
9月の頭にイープラスに登録して買ったチケットは14番であった。私は一抹の不安を覚えた。お客さんは来るのだろうか…14人だけならそれは贅沢だが…
不安をよそに月日は矢のごとく過ぎさり、気づくと11月の末日。私は下北沢に足を向けたのだった。
18時30分開場、19時公園開始であるところ、19時少し前についた。お客の入りはそれなりだ。不安は杞憂に終わった。物販にははるまげ堂さんが出張で来ていた。私ははるまげ堂さんの通販でアナログの「Seepia」を買ったのがPortalの音源との出会いだったから何となく運命めいた偶然を感じてうれしかった。
19時ちょっとに日本のEndonからライブがスタート。
前にライブを見たことがあるんだけど、ドラム、ギターにノイズが2人、そしてボーカルという変則的なスタイル。悲鳴のようなハーシュノイズが鳴り響く中、客席の観客を押しのけてボーカルが登場。なんといってもこの坊主頭のガタイが異常に良いボーカルがバンドの顔であって、左右の2人が派手に動く中、体を左右に揺らすくらいでほぼ動かない。(中盤以降は結構動いてたけど)その目つきたるや尋常ではなく悪く、咆哮は動きもあって恐竜のようだ。高中低音の絶叫の使い分け、荒い息づかいとなかなか多彩だが、とにかく怖い。ノイズも相まってカオスの一言。前見たときよりかっこ良かった。
2番手は日本のCohol。
大好きなバンドなので初めてのライブが嬉しかった〜。
5弦ベースのメンバーは熊みたいな風貌だったと思うけど、襤褸切れで作った覆面をかぶっていて恐ろしさアップ。ライブ映えしてました。
始め音量がちょっと大人しいかな(Endonの後ってのもあったと思うけど)、中盤以降は気にならず。とても3人とは思えない音でギターとベースが交互に歌う、叫ぶ。演奏はかなりカッチリなんだけど、やっぱりCDとは違った暴力性があって、特にギターはかっこうよかった。ドラム(Coholはドラムが好き)も手数が多くてすごかった。1stアルバムから「変わらぬ誤解変わる嘘」を演奏してくれて、この曲が大好きなんで嬉しかった。
メタルバンドっぽくないものすごいアツいMCもちょっと戸惑ったけど、そのあまりの率直さに好感が持ててよかった。
3番目はPortal。fromオーストラリア!
この頃にはフロアは結構満員の用な感じ。
幕が上がってライブがスタートすると客が前にグワっと殺到。密度が偉いことに。
ボーカル以外は黒い衣装に黒い頭巾(メンバーによって微妙にデザインが違うことに気づいた。ベースのだぼっとして厚みのあるのが私の好みでした。)をかぶっていてさながら処刑人スタイル。恐ろしや。ボーカルはなんだかよくわからない格好でさらに恐ろしい。指がクトゥルーを思わせる触手になっていて大変格好よろしい。
多分これ。顔はヴェールで覆われているのだが、光の加減でちょっと輪郭が見える(ような気がしたんだけど)瞬間があって恐ろしかったっす。
メンバー全員背が高いんでステージ映えはすごかった。
んだが、ライブの方はさらにすげかった。はっきり異常なライブといっても良いと思う。
曲が塊のようなんだわ、音の。
ギターがギュラギュラギュラギリギリとリフを奏でるのだが、これがもうどうなっているのかわからん。8弦ギターで運指がとにかくヤバい。手が触手のようにフレット上を所狭しと動き回り、相当複雑なフレーズを弾きまくる。
ベースがギロギロリテロテロ、こちらも超指がフレットを動き回ること動き回ること。
ドラムはブラストで叩きまくるんだが、五月蝿いっちゃあすげー五月蝿いのだが、音がクリアで不思議と耳に心地よい。
はっきりいってカオスすぎてわからなかったのだが、アンサンブル自体はカッチリしていたんじゃなかろうか。というのも嵐のような曲が結構ッッドンという感じで切れるパートが結構あるんだけど、息がぴったり合って、美しかった。曲によってはミニマルなパートが挿入されていてそれはもう完全に異次元に連れて行かれた。
ボーカルは両手を上げる以外ほぼ不動で、当然MCいっさいなし。(「コンニチハ、トーキョー」とか言い出したらどうしようかちょっと不安だった。)恐らく曲のタイトルを始めにコールするくらい。CDと同じく、ドスのある深く息を吐き出すようなデス声スタイルで、低く低く叫ぶというまさに地獄のようなスタイル。
客の方も乗るに乗れず、思い思いに体を揺らしたり、頭を振ったりしていた。
Sunn o)))のライブにちょっと似ているかも。ただしこちらは音がとてつもない密度(そう!密度が半端無いんだよ!)でとんでもない速度で繰り出されているから、はっきりいってメタルのライブらしくない異常なフロアの状態になっていたと思う。
じゃあ退屈だったかというと、(少なくとも私は)まったくそんなことはなかった。
まさに異界の門が開かれたような世界に放り込まれて、恍惚としたような幸せな時間だった。
五月蝿いメタルでもこんなライブをするバンドがあるのかと本当に感心してしまった。
今回はこれにてツアーは終了してしまったが、再度の機会があればぜひ足を運んでいただきたい。
終演後メンバーが写真とってくれていて、今思えば一緒にとってもらえれば良かったなあ。せめて感想くらい伝えれば良かったわい。
というわけでお洒落な若者が集う下北沢にまさに地獄の釜が開いて異形のものたちが怪しい煙の向こう側にそのシルエットを見せたような、恐ろしい事態が11月の30日に突如出現したのだった。そこに立ち会えて本当に良かった。
本当に日本に来てくれてありがとうございます。
彼らを日本に呼んでくれたRoad to Hell Bookingさんにも超感謝。
また、少々ニッチなメタルというジャンルのさらにニッチなサブジャンルの音楽を好んで聴く。デスメタルだとか、ブラックメタルだとか。
そんな訳でクトゥルーとデスメタルをくっつけたオーストラリアのバンドPortalは大好きである。音楽にクトゥルー神話を融合させる試みは他のバンドでもなされていると思うけど、彼らの完成度は群を抜いていると思う。
さて、そんなマニアックなバンドがまさかの来日となったら、いくら出不精でライブが苦手(人ごみが苦手)な私としてもチケットをとらざるを得ないのはおよそ必定のことであった。
9月の頭にイープラスに登録して買ったチケットは14番であった。私は一抹の不安を覚えた。お客さんは来るのだろうか…14人だけならそれは贅沢だが…
不安をよそに月日は矢のごとく過ぎさり、気づくと11月の末日。私は下北沢に足を向けたのだった。
18時30分開場、19時公園開始であるところ、19時少し前についた。お客の入りはそれなりだ。不安は杞憂に終わった。物販にははるまげ堂さんが出張で来ていた。私ははるまげ堂さんの通販でアナログの「Seepia」を買ったのがPortalの音源との出会いだったから何となく運命めいた偶然を感じてうれしかった。
19時ちょっとに日本のEndonからライブがスタート。
前にライブを見たことがあるんだけど、ドラム、ギターにノイズが2人、そしてボーカルという変則的なスタイル。悲鳴のようなハーシュノイズが鳴り響く中、客席の観客を押しのけてボーカルが登場。なんといってもこの坊主頭のガタイが異常に良いボーカルがバンドの顔であって、左右の2人が派手に動く中、体を左右に揺らすくらいでほぼ動かない。(中盤以降は結構動いてたけど)その目つきたるや尋常ではなく悪く、咆哮は動きもあって恐竜のようだ。高中低音の絶叫の使い分け、荒い息づかいとなかなか多彩だが、とにかく怖い。ノイズも相まってカオスの一言。前見たときよりかっこ良かった。
2番手は日本のCohol。
大好きなバンドなので初めてのライブが嬉しかった〜。
5弦ベースのメンバーは熊みたいな風貌だったと思うけど、襤褸切れで作った覆面をかぶっていて恐ろしさアップ。ライブ映えしてました。
始め音量がちょっと大人しいかな(Endonの後ってのもあったと思うけど)、中盤以降は気にならず。とても3人とは思えない音でギターとベースが交互に歌う、叫ぶ。演奏はかなりカッチリなんだけど、やっぱりCDとは違った暴力性があって、特にギターはかっこうよかった。ドラム(Coholはドラムが好き)も手数が多くてすごかった。1stアルバムから「変わらぬ誤解変わる嘘」を演奏してくれて、この曲が大好きなんで嬉しかった。
メタルバンドっぽくないものすごいアツいMCもちょっと戸惑ったけど、そのあまりの率直さに好感が持ててよかった。
3番目はPortal。fromオーストラリア!
この頃にはフロアは結構満員の用な感じ。
幕が上がってライブがスタートすると客が前にグワっと殺到。密度が偉いことに。
ボーカル以外は黒い衣装に黒い頭巾(メンバーによって微妙にデザインが違うことに気づいた。ベースのだぼっとして厚みのあるのが私の好みでした。)をかぶっていてさながら処刑人スタイル。恐ろしや。ボーカルはなんだかよくわからない格好でさらに恐ろしい。指がクトゥルーを思わせる触手になっていて大変格好よろしい。
多分これ。顔はヴェールで覆われているのだが、光の加減でちょっと輪郭が見える(ような気がしたんだけど)瞬間があって恐ろしかったっす。
メンバー全員背が高いんでステージ映えはすごかった。
んだが、ライブの方はさらにすげかった。はっきり異常なライブといっても良いと思う。
曲が塊のようなんだわ、音の。
ギターがギュラギュラギュラギリギリとリフを奏でるのだが、これがもうどうなっているのかわからん。8弦ギターで運指がとにかくヤバい。手が触手のようにフレット上を所狭しと動き回り、相当複雑なフレーズを弾きまくる。
ベースがギロギロリテロテロ、こちらも超指がフレットを動き回ること動き回ること。
ドラムはブラストで叩きまくるんだが、五月蝿いっちゃあすげー五月蝿いのだが、音がクリアで不思議と耳に心地よい。
はっきりいってカオスすぎてわからなかったのだが、アンサンブル自体はカッチリしていたんじゃなかろうか。というのも嵐のような曲が結構ッッドンという感じで切れるパートが結構あるんだけど、息がぴったり合って、美しかった。曲によってはミニマルなパートが挿入されていてそれはもう完全に異次元に連れて行かれた。
ボーカルは両手を上げる以外ほぼ不動で、当然MCいっさいなし。(「コンニチハ、トーキョー」とか言い出したらどうしようかちょっと不安だった。)恐らく曲のタイトルを始めにコールするくらい。CDと同じく、ドスのある深く息を吐き出すようなデス声スタイルで、低く低く叫ぶというまさに地獄のようなスタイル。
客の方も乗るに乗れず、思い思いに体を揺らしたり、頭を振ったりしていた。
Sunn o)))のライブにちょっと似ているかも。ただしこちらは音がとてつもない密度(そう!密度が半端無いんだよ!)でとんでもない速度で繰り出されているから、はっきりいってメタルのライブらしくない異常なフロアの状態になっていたと思う。
じゃあ退屈だったかというと、(少なくとも私は)まったくそんなことはなかった。
まさに異界の門が開かれたような世界に放り込まれて、恍惚としたような幸せな時間だった。
五月蝿いメタルでもこんなライブをするバンドがあるのかと本当に感心してしまった。
今回はこれにてツアーは終了してしまったが、再度の機会があればぜひ足を運んでいただきたい。
終演後メンバーが写真とってくれていて、今思えば一緒にとってもらえれば良かったなあ。せめて感想くらい伝えれば良かったわい。
というわけでお洒落な若者が集う下北沢にまさに地獄の釜が開いて異形のものたちが怪しい煙の向こう側にそのシルエットを見せたような、恐ろしい事態が11月の30日に突如出現したのだった。そこに立ち会えて本当に良かった。
本当に日本に来てくれてありがとうございます。
彼らを日本に呼んでくれたRoad to Hell Bookingさんにも超感謝。
Ghost B.C./If You Have Ghost
北欧はスウェーデンのドゥームメタル・クラシックロックバンドのRP。
2013年にLoma Vista Recordsからリリースされた。
全部で5曲入りで、最後のSecular Hazeのライブ音源以外はすべてカバー曲となっている。
以下が曲名とオリジナルアーティスト。
1.If You Have Ghost (Rocky Erickson) アメリカのシンガーの81年発表アルバム収録曲。
2.I'm a Marionette (ABBA) 言わずと知れたスウェーデンのポップバンド77年のアルバム収録。
3.Crucified (Army of Lovers) 1987年結成のスウェーデンのダンスポップバンド。91年作。
4.Waiting for the Night (Depeche Mode) イギリスのシンセポップバンド90年アルバム収録曲。
という感じ。私はいくつかのアーティストは名前は知っているものの曲に関してはどれも知らなかった。バンド名を見るととても有名だからオリジナル曲を知っている人は多いのかも。
プロデューサーは元Nirvanaのドラムで現Foo Fightersギターボーカル、デイブ・グロール。実は知らずに買ってブックレットを見て驚いたのだけど、Queens of the Stone Age(今や超有名バンドだけど)に参加したり、Southern LordからProbot名義で結構マニアックなミュージシャンたち(Motorheadのレミーを始めどメジャーな人もいたけど)とコラボしてたり、結構マニアックな人なのかもしれないですね。プロデュースにとどまらず曲によってはドラムを叩いたり、ギターを弾いたりもしているようです。
3色刷りのお洒落なジャケットの元ネタは恐らく映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」ではないかと。
1922年のドイツ映画で、偉そうにいう私も実は見たことないのだけど、1978年にヴェルナー・ヘルツォーク監督の手で「ノスフェラトゥ」としてリメイクされており、こちらは見たことがあります。大変恐ろしい映画で、暗黒メタルファンの諸兄には非常にオススメ。たしか劇中に出てくる不気味な少年が弾くバイオリンの旋律をイントロに使ったブラックメタルのアルバムがあったような…Dekadent Aesthetixだったっけな。オリジナル版も見てみようかな…
さて曲の方はというと、2ndアルバムの流れを汲むクリアかつヴィンテージな雰囲気の漂うクラシックなロックスタイルとなっている。ただし音の質は重みがあって今風になっているので大変聴きやすい。そう考えると今風の音で時代を感じさせる演奏をこなす彼らの技量のほどがわかりますな。
ちょっと怪しい雰囲気のオルガン調のキーボードも引き続きいい味を出している。
なんといってもボーカルがすばらしく、透明感がある伸びやかな声でありつつも、何ともいえない妖しさ艶っぽさがあって良い。原曲を知らないからあれなんだけど、知っている人が聴いたらどう思うのか、知りたいところ。
全体的なドゥームメタル然とはしていなく、かなりメジャー指向な感じ。とはいえセルアウトしたようなわかりやすい迎合した安っぽさは皆無で、あくまでも彼らのスタイルをきっちりと踏襲した堂に入った音楽性でファンも文句のつけようはないでしょう。元々見た目のおどろおどろしさと、楽曲の持つフックに富みつつもポップ性をふんだんに取り入れた音楽性だから、メジャー所の楽曲もがっちりハマるんではなかろうか。
ネットを駆使し原曲を聴いてみたけど、結構どの曲もオリジナルに忠実に演奏しているようだ。(4曲目だけは結構曲調は違うかも。)とはいえ年代もあって当然ここまでがっちりとしたバンドサウンドではないので、そこに彼らのオリジナリティが伺える。完全にメタル調にするのではなく、オリジナルの雰囲気というか良さをそのまま残しているところはさすがか。
というわけで彼らのファンなら買ってみて損はないと思います。
私も楽しめましたが、やっぱりYear Zeroのような邪悪っぽさがある曲も聴きたいな〜とも。個人的にはこの曲が良かった。
2013年にLoma Vista Recordsからリリースされた。
全部で5曲入りで、最後のSecular Hazeのライブ音源以外はすべてカバー曲となっている。
以下が曲名とオリジナルアーティスト。
1.If You Have Ghost (Rocky Erickson) アメリカのシンガーの81年発表アルバム収録曲。
2.I'm a Marionette (ABBA) 言わずと知れたスウェーデンのポップバンド77年のアルバム収録。
3.Crucified (Army of Lovers) 1987年結成のスウェーデンのダンスポップバンド。91年作。
4.Waiting for the Night (Depeche Mode) イギリスのシンセポップバンド90年アルバム収録曲。
という感じ。私はいくつかのアーティストは名前は知っているものの曲に関してはどれも知らなかった。バンド名を見るととても有名だからオリジナル曲を知っている人は多いのかも。
プロデューサーは元Nirvanaのドラムで現Foo Fightersギターボーカル、デイブ・グロール。実は知らずに買ってブックレットを見て驚いたのだけど、Queens of the Stone Age(今や超有名バンドだけど)に参加したり、Southern LordからProbot名義で結構マニアックなミュージシャンたち(Motorheadのレミーを始めどメジャーな人もいたけど)とコラボしてたり、結構マニアックな人なのかもしれないですね。プロデュースにとどまらず曲によってはドラムを叩いたり、ギターを弾いたりもしているようです。
3色刷りのお洒落なジャケットの元ネタは恐らく映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」ではないかと。
1922年のドイツ映画で、偉そうにいう私も実は見たことないのだけど、1978年にヴェルナー・ヘルツォーク監督の手で「ノスフェラトゥ」としてリメイクされており、こちらは見たことがあります。大変恐ろしい映画で、暗黒メタルファンの諸兄には非常にオススメ。たしか劇中に出てくる不気味な少年が弾くバイオリンの旋律をイントロに使ったブラックメタルのアルバムがあったような…Dekadent Aesthetixだったっけな。オリジナル版も見てみようかな…
さて曲の方はというと、2ndアルバムの流れを汲むクリアかつヴィンテージな雰囲気の漂うクラシックなロックスタイルとなっている。ただし音の質は重みがあって今風になっているので大変聴きやすい。そう考えると今風の音で時代を感じさせる演奏をこなす彼らの技量のほどがわかりますな。
ちょっと怪しい雰囲気のオルガン調のキーボードも引き続きいい味を出している。
なんといってもボーカルがすばらしく、透明感がある伸びやかな声でありつつも、何ともいえない妖しさ艶っぽさがあって良い。原曲を知らないからあれなんだけど、知っている人が聴いたらどう思うのか、知りたいところ。
全体的なドゥームメタル然とはしていなく、かなりメジャー指向な感じ。とはいえセルアウトしたようなわかりやすい迎合した安っぽさは皆無で、あくまでも彼らのスタイルをきっちりと踏襲した堂に入った音楽性でファンも文句のつけようはないでしょう。元々見た目のおどろおどろしさと、楽曲の持つフックに富みつつもポップ性をふんだんに取り入れた音楽性だから、メジャー所の楽曲もがっちりハマるんではなかろうか。
ネットを駆使し原曲を聴いてみたけど、結構どの曲もオリジナルに忠実に演奏しているようだ。(4曲目だけは結構曲調は違うかも。)とはいえ年代もあって当然ここまでがっちりとしたバンドサウンドではないので、そこに彼らのオリジナリティが伺える。完全にメタル調にするのではなく、オリジナルの雰囲気というか良さをそのまま残しているところはさすがか。
というわけで彼らのファンなら買ってみて損はないと思います。
私も楽しめましたが、やっぱりYear Zeroのような邪悪っぽさがある曲も聴きたいな〜とも。個人的にはこの曲が良かった。
ラベル:
Ghost B.C.,
ドゥームメタル,
音楽
Death Grips/No Love Deep Web
アメリカはカリフォルニア州サクラメントの3人組ヒップホップグループ。
なにかとネットで話題になっている彼ら。今回CDが発売されるということでこのタイミングで買ってみた。
2012年に発表された2ndアルバム。私が買ったのは2013年にHarvet Recrodsから発売されたCDバージョインである。というのもこのアルバム、なんだがちょっと発売までに紆余曲折あったようだ。本来は2012年にEpic Recordsからリリースされる予定だったのだが、リリースの日付を巡ってバンドとレーベルの間でもめた結果、バンド側が自らウェブで音源をリークしてしまった。レーベルとしては商品を無料でリークされたらかなわんよね。この後バンドはレーベルから解雇されてしまったようだ。(Wiki読んで書いてますので間違っているかもしれません。)
さらに、買った人ならわかるのだろうが、あまりに過激なジャケットでも有名である。
私が買ったCDは本当のジャケットに、真っ黒いビニール質のカバーがかぶせられていて、二重パッケージになっております。上のジャケット画像はこちら。中身が気になる人はタイトル名で検索してみていただきたい。私はあまりにストレートな表現に笑ってしまった。どちらかというと無邪気な悪ふざけに感じられるけど、不快に思う人はいるだろうね。
さて中身の方はというとエレクトロ分強めのヒップホップですが、だいぶ尖った音楽になっております。
現在のヒップホップはエレクトロ音楽と強い親和性があるけど、あくまでも中心はラップであって音の数はあまり多くない印象だけど、このアルバムではより楽曲に重きが置かれていて、音に関しても所謂ヒップホップからすると大胆な音使いがされているようだ。音の数が多いし、作りが凝っていて結構アバンギャルドである。ドラムのメンバーがいることもあって、土台の音作りも全うなヒップホップからちょっと距離があるように思う。さすがにメタル然としてたたきまくるグラインドスタイルというのはないのだが、リズミカルかつミニマル性を維持しつつ、おかずを入れて主張してくる。とはいえ乗りやすくて気持ちいい。全曲完全に人力ドラムなのかは気になるところ。
さて最大の特徴はラップであって、こいつがくせ者である。ガリガリしてタトゥーだらけの見た目もなんだが異常なインパクトがあるが(動画を見ると動きもなんだか怖い)、かなり特徴的なスタイルである。やたら粘りっけのあるラップで、力の入り方が半端ない。シャウト寸前のそのスタイルはもはやハードコアのようである。性急にまくしたてる用は泣いているようにも聞こえて情念の入り方が半端ない。とはいえ落ち着いているときはなかなかかっこいい。ストレートだけじゃなくて意外に使い分けてくる技巧派で聴いていて飽きない。
特徴的なバックのアンサンブルと合わさって相当かわった音楽を奏でている。曲が凝っているので普段ヒップホップを聴かない人でも楽しく聴けるんじゃないかと。
過激なジャケットは話題を呼ぶが、むしろ本作の評価の障害となっているのではと思ってしまうくらい内容はまじめですばらしい。
今でも無料公開されているのかな?私はアナログ人間なのでCDを買ったが、興味のある人はダウンロードして聴いてみてはいかがだろうか。
なにかとネットで話題になっている彼ら。今回CDが発売されるということでこのタイミングで買ってみた。
2012年に発表された2ndアルバム。私が買ったのは2013年にHarvet Recrodsから発売されたCDバージョインである。というのもこのアルバム、なんだがちょっと発売までに紆余曲折あったようだ。本来は2012年にEpic Recordsからリリースされる予定だったのだが、リリースの日付を巡ってバンドとレーベルの間でもめた結果、バンド側が自らウェブで音源をリークしてしまった。レーベルとしては商品を無料でリークされたらかなわんよね。この後バンドはレーベルから解雇されてしまったようだ。(Wiki読んで書いてますので間違っているかもしれません。)
さらに、買った人ならわかるのだろうが、あまりに過激なジャケットでも有名である。
私が買ったCDは本当のジャケットに、真っ黒いビニール質のカバーがかぶせられていて、二重パッケージになっております。上のジャケット画像はこちら。中身が気になる人はタイトル名で検索してみていただきたい。私はあまりにストレートな表現に笑ってしまった。どちらかというと無邪気な悪ふざけに感じられるけど、不快に思う人はいるだろうね。
さて中身の方はというとエレクトロ分強めのヒップホップですが、だいぶ尖った音楽になっております。
現在のヒップホップはエレクトロ音楽と強い親和性があるけど、あくまでも中心はラップであって音の数はあまり多くない印象だけど、このアルバムではより楽曲に重きが置かれていて、音に関しても所謂ヒップホップからすると大胆な音使いがされているようだ。音の数が多いし、作りが凝っていて結構アバンギャルドである。ドラムのメンバーがいることもあって、土台の音作りも全うなヒップホップからちょっと距離があるように思う。さすがにメタル然としてたたきまくるグラインドスタイルというのはないのだが、リズミカルかつミニマル性を維持しつつ、おかずを入れて主張してくる。とはいえ乗りやすくて気持ちいい。全曲完全に人力ドラムなのかは気になるところ。
さて最大の特徴はラップであって、こいつがくせ者である。ガリガリしてタトゥーだらけの見た目もなんだが異常なインパクトがあるが(動画を見ると動きもなんだか怖い)、かなり特徴的なスタイルである。やたら粘りっけのあるラップで、力の入り方が半端ない。シャウト寸前のそのスタイルはもはやハードコアのようである。性急にまくしたてる用は泣いているようにも聞こえて情念の入り方が半端ない。とはいえ落ち着いているときはなかなかかっこいい。ストレートだけじゃなくて意外に使い分けてくる技巧派で聴いていて飽きない。
特徴的なバックのアンサンブルと合わさって相当かわった音楽を奏でている。曲が凝っているので普段ヒップホップを聴かない人でも楽しく聴けるんじゃないかと。
過激なジャケットは話題を呼ぶが、むしろ本作の評価の障害となっているのではと思ってしまうくらい内容はまじめですばらしい。
今でも無料公開されているのかな?私はアナログ人間なのでCDを買ったが、興味のある人はダウンロードして聴いてみてはいかがだろうか。
ラベル:
Death Grips,
Electric,
Hip-Hop,
音楽
アルネ・ダール/靄の旋律
昨今流行っているという北欧ミステリー。かくいう私も何作か読んですっかり虜になっているが、今作もそんな北欧ミステリー・警察小説の一冊。
舞台はスウェーデンだから、ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダーシリーズ(ヴァランダーはスウェーデンの刑事)を大変面白く読んでいる私は否が応でも期待が高まるというもの。
作者はアルネ・ダール。これはペンネームで本名はジャン・アーナルド。本国スウェーデンでは文芸評論家でWikiによると新聞でも定期的に書いているよう。
今作から始まる一連のシリーズは全10作で、映像化もされている人気作なんだとか。
スウェーデン、ストックホルム郊外の警察署に勤める警察官ポール・イェルムはある日、移民が起こした人質立てこもり事件を正規の手順を踏まずに解決した。一躍マスコミの寵児となったが、しかし重大な規定違反を起こしたイェルムは懲戒免職も覚悟するが、以外にも新しく設立された部署特捜班Aへの転勤を命じられる。
イェルムは自分も含めて個性的な7人のチームで実業家が頭に銃弾を2発打ち込まれ殺された事件に取り組むことになる。
警察小説というと大抵個性的、はみ出しものの刑事が主人公なのが定石だが、今作は一癖も二癖もあるメンバーで構成されたチームものということでちょっと珍しい。チームものというとユッシ・エーズラ・オールスンの特捜部Qシリーズが思い浮かぶが、こちらは人数があちらの倍以上あって、またあそこまでキャラクターがぶっ飛んでいる訳でもない。
今作の刑事たちは個性的であるものの一般的な生活を送ってきたまじめな刑事ばかりである。彼らの個性は深く日常生活に根ざしていて、それゆえ彼らの抱える悩みに共感しやすい。それはヒーロー故の悩みというよりは一般人である故に連続する毎日の悩みであり、徐々に摩耗させられていくような彼らの疲れやいら立ちが身近に感じられて良い。当たり前なのだが、彼らも私たちと同じ人間なのだと改めて気づかせてくれるよう。
捜査も一つ一つの手がかりを丹念に追っていくスタイルで、トライアンドエラーの繰り返しである。何回もの袋小路から細い手がかりを追って徐々に事件の全容が明らかになる。
恐らくこの手法のためにチームものにしたのかなと思った。警察小説だととにかく主人公だけがある手がかりに突っ込んでいくことになるんだけど、この小説ではいくつかの手がかりが複数あって、それをチームで割り振って同時進行させていくというスタイル。
現実的にはこちらが当たり前の手法なんだけど、小説で改めて読むと結構新鮮で面白い。
また主人公イェルムは事件解決のためとはいえ人を撃ってしまったことに非常に動揺している。事件自体は陰惨だが、あまり派手などんぱちがない分、拳銃に代表される暴力の恐ろしさがはっきり出て(随所に大変痛そうな描写はありますが)、やたらと撃ちまくる小説(それはそれで好きなんだけど)が多い昨今では好感が持てた。
地味ながらもいぶし銀な魅力がきらりと光る一品。
チームのメンバーが多いので、今作は紹介がてら軽く紹介という感じか。もう少し各キャラクターを深堀してほしいと思うのはわがままだろうか。
何れにしても続刊が刊行されてみたらぜひ読んでみたい。
舞台はスウェーデンだから、ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダーシリーズ(ヴァランダーはスウェーデンの刑事)を大変面白く読んでいる私は否が応でも期待が高まるというもの。
作者はアルネ・ダール。これはペンネームで本名はジャン・アーナルド。本国スウェーデンでは文芸評論家でWikiによると新聞でも定期的に書いているよう。
今作から始まる一連のシリーズは全10作で、映像化もされている人気作なんだとか。
スウェーデン、ストックホルム郊外の警察署に勤める警察官ポール・イェルムはある日、移民が起こした人質立てこもり事件を正規の手順を踏まずに解決した。一躍マスコミの寵児となったが、しかし重大な規定違反を起こしたイェルムは懲戒免職も覚悟するが、以外にも新しく設立された部署特捜班Aへの転勤を命じられる。
イェルムは自分も含めて個性的な7人のチームで実業家が頭に銃弾を2発打ち込まれ殺された事件に取り組むことになる。
警察小説というと大抵個性的、はみ出しものの刑事が主人公なのが定石だが、今作は一癖も二癖もあるメンバーで構成されたチームものということでちょっと珍しい。チームものというとユッシ・エーズラ・オールスンの特捜部Qシリーズが思い浮かぶが、こちらは人数があちらの倍以上あって、またあそこまでキャラクターがぶっ飛んでいる訳でもない。
今作の刑事たちは個性的であるものの一般的な生活を送ってきたまじめな刑事ばかりである。彼らの個性は深く日常生活に根ざしていて、それゆえ彼らの抱える悩みに共感しやすい。それはヒーロー故の悩みというよりは一般人である故に連続する毎日の悩みであり、徐々に摩耗させられていくような彼らの疲れやいら立ちが身近に感じられて良い。当たり前なのだが、彼らも私たちと同じ人間なのだと改めて気づかせてくれるよう。
捜査も一つ一つの手がかりを丹念に追っていくスタイルで、トライアンドエラーの繰り返しである。何回もの袋小路から細い手がかりを追って徐々に事件の全容が明らかになる。
恐らくこの手法のためにチームものにしたのかなと思った。警察小説だととにかく主人公だけがある手がかりに突っ込んでいくことになるんだけど、この小説ではいくつかの手がかりが複数あって、それをチームで割り振って同時進行させていくというスタイル。
現実的にはこちらが当たり前の手法なんだけど、小説で改めて読むと結構新鮮で面白い。
また主人公イェルムは事件解決のためとはいえ人を撃ってしまったことに非常に動揺している。事件自体は陰惨だが、あまり派手などんぱちがない分、拳銃に代表される暴力の恐ろしさがはっきり出て(随所に大変痛そうな描写はありますが)、やたらと撃ちまくる小説(それはそれで好きなんだけど)が多い昨今では好感が持てた。
地味ながらもいぶし銀な魅力がきらりと光る一品。
チームのメンバーが多いので、今作は紹介がてら軽く紹介という感じか。もう少し各キャラクターを深堀してほしいと思うのはわがままだろうか。
何れにしても続刊が刊行されてみたらぜひ読んでみたい。
西崎憲編訳/怪奇小説日和 黄金時代傑作選
筑摩書房から発売されたホラー短編小説のアンソロジー。
編集は西崎憲さんで以前このブログでも紹介した「短編小説日和」の第2弾である。
タイトル通りより怪奇小説に舵を切っている。国書刊行会から発売された「怪奇小説の世界」全3巻から13編、同じく国書刊行会「書物の王国15/奇跡」から1編が選ばれ、さらに新訳の4編を加えた全部で18編の短編小説がおさめられている。
怪奇小説好きなら読んだことのあるレ・ファニュやジェイコブス、さらにはシャーロックホームズ生みの親コナン・ドイルの短編もおさめられていて、まさに黄金時代というタイトルにふさわしいアンソロジー。一体いつが黄金時代なんだい?という疑問が当然あると思う。実はいろいろな定義があるらしく、詳しくは西崎さんの手になる紳士なあとがきを読んでいただきたい。
一口に怪奇小説と言ってもいろいろな形式があって、この本では怪奇という共通の大きなテーマに沿っていろいろな種類の恐ろしさに焦点をあわせた短編がおさめられている。
なかでも気に入ったものを何編かご紹介させていただく。
閉ざされた環境で過去の因縁がゆっくりと浮上していき、恐ろしい終末に結実する「フォローレンス・フラナリー」。著者はマージョリー・ボウエン。クトゥルーっぽさもちょっとあって(とはいえ描かれたのはラブクラフト以前だと思うけど)ジトジトした嫌らしさがある。何と言っても、没落した貴族と金に釣られて彼と結婚した婚期を逃した女との何ともいえない関係が良い。
ヴァーノン・リーによる「七短剣の聖女」は傲慢きわまりない貴族の冒険譚。幻想の美しさと貴族が見舞われる運命の残酷さの対比が良い。悪漢のくせにきわめて信心深い主人公は友達にはなりたくないが、なんか愛嬌があると思う。
ヒュー・シーモア・ウォルポールの「ターンヘルム」はたらい回しにされた少年が行き着いた叔父の家で怪異に教われる話。尊大で不気味な兄と人はいいが兄の言いなりになる気弱な弟の2人の叔父、孤独な主人公にとって唯一の友人である従僕のキャラクターがそれぞれ良い。怪しすぎる召使いや入ることが禁じられた塔など全体的に魔術的な怪しさがあって舞台装置がすばらしい。
なんといっても一番はトマス・バークの「がらんどうの男」。殺された男が蘇り、殺した男のもとを訪れる。男は復讐する訳でもなく、ただ殺した男の近くにぼんやり居座るだけ、というまさに悪夢のような物語。殺された男は確実に何かが欠落していて、その空疎な様が生者を苦悩させる。幽霊は恨みがましいものだが、こいつは何となく来ちゃったよ、という変に達観した趣があって面白い反面恐ろしい。
ゴーストストーリーから乗っ取りもの、ともするとコントのように見える喜劇調の作品。多種多様で面白いが、すべてが恐怖という糸でつなげられた首飾りのように絢爛豪華である。
私は恐らくだが「墓を愛した少年」以外はどれも読んだことがなかった。まだまだ知らない楽しい話がたくさんあってうれしい限りである。
怪奇小説を愛する人は手に取って損はないと思います。むしろ大変楽しい時間を過ごせるでしょう。
編集は西崎憲さんで以前このブログでも紹介した「短編小説日和」の第2弾である。
タイトル通りより怪奇小説に舵を切っている。国書刊行会から発売された「怪奇小説の世界」全3巻から13編、同じく国書刊行会「書物の王国15/奇跡」から1編が選ばれ、さらに新訳の4編を加えた全部で18編の短編小説がおさめられている。
怪奇小説好きなら読んだことのあるレ・ファニュやジェイコブス、さらにはシャーロックホームズ生みの親コナン・ドイルの短編もおさめられていて、まさに黄金時代というタイトルにふさわしいアンソロジー。一体いつが黄金時代なんだい?という疑問が当然あると思う。実はいろいろな定義があるらしく、詳しくは西崎さんの手になる紳士なあとがきを読んでいただきたい。
一口に怪奇小説と言ってもいろいろな形式があって、この本では怪奇という共通の大きなテーマに沿っていろいろな種類の恐ろしさに焦点をあわせた短編がおさめられている。
なかでも気に入ったものを何編かご紹介させていただく。
閉ざされた環境で過去の因縁がゆっくりと浮上していき、恐ろしい終末に結実する「フォローレンス・フラナリー」。著者はマージョリー・ボウエン。クトゥルーっぽさもちょっとあって(とはいえ描かれたのはラブクラフト以前だと思うけど)ジトジトした嫌らしさがある。何と言っても、没落した貴族と金に釣られて彼と結婚した婚期を逃した女との何ともいえない関係が良い。
ヴァーノン・リーによる「七短剣の聖女」は傲慢きわまりない貴族の冒険譚。幻想の美しさと貴族が見舞われる運命の残酷さの対比が良い。悪漢のくせにきわめて信心深い主人公は友達にはなりたくないが、なんか愛嬌があると思う。
ヒュー・シーモア・ウォルポールの「ターンヘルム」はたらい回しにされた少年が行き着いた叔父の家で怪異に教われる話。尊大で不気味な兄と人はいいが兄の言いなりになる気弱な弟の2人の叔父、孤独な主人公にとって唯一の友人である従僕のキャラクターがそれぞれ良い。怪しすぎる召使いや入ることが禁じられた塔など全体的に魔術的な怪しさがあって舞台装置がすばらしい。
なんといっても一番はトマス・バークの「がらんどうの男」。殺された男が蘇り、殺した男のもとを訪れる。男は復讐する訳でもなく、ただ殺した男の近くにぼんやり居座るだけ、というまさに悪夢のような物語。殺された男は確実に何かが欠落していて、その空疎な様が生者を苦悩させる。幽霊は恨みがましいものだが、こいつは何となく来ちゃったよ、という変に達観した趣があって面白い反面恐ろしい。
ゴーストストーリーから乗っ取りもの、ともするとコントのように見える喜劇調の作品。多種多様で面白いが、すべてが恐怖という糸でつなげられた首飾りのように絢爛豪華である。
私は恐らくだが「墓を愛した少年」以外はどれも読んだことがなかった。まだまだ知らない楽しい話がたくさんあってうれしい限りである。
怪奇小説を愛する人は手に取って損はないと思います。むしろ大変楽しい時間を過ごせるでしょう。
デニス・ルヘイン/運命の日
アメリカの作家によるハードボイルド小説。
デニス・ルヘインというと一番有名なのはクリント・イーストウッドによって映画化された「ミスティック・リバー」だろうか。私も最近この映画を見直してそのシナリオの巧みさと作品を覆う独特の正義感と世のやるせなさを感じさせる雰囲気に圧倒されたものである。
そんなこともあってこの本を手に取ってみたのだった。
1910年代アメリカは荒れていた。
自由の国では無政府主義者、共産主義者たちが徒党を組み政府の転覆を企み、テロが繰り返された。
ボストン市警に勤めるダニーは警察一家に生まれ、親族の命令で警察内で労働組合を組織しようとする一派への潜入を命じられる。
一方オクラホマ州では黒人のルーサーはギャングと関わった故に殺人を犯し、追っ手を逃れるためにボストンに流れていく。
ダニーとルーサーは運命的に出会い、友情を育むが時代の激流に飲み込まれていく。
これは非常に短い期間を綿密に描写した長い小説であるが、その背景というか根底にはには舞台となるアメリカという一つの国が重要な意味を持っている。この本には実際のアメリカの偉人たちが何人か出てくる。(FBIを設立したフーバーとか。)だからちょっとした(重みは半端ないのだが)年代記と行っても良いかもしれない。
ので、1900年代のアメリカについてちょっと説明せねば。意外に日本人の私たちにとってはよくわからないのだと思う。私の場合はわからないということもわからないくらい意識してなかった。
まず非常に社会が荒れている。アメリカがテロに脅かされるようになったのは911に象徴されるようにてっきり昨今のことだと思っていたが、実際はそんなことはなかったようだ。
1900年代当時のアメリカは共産主義者たちが暴れまくり、爆弾テロも頻発していたようだ。そして重要なテーマなのだが、警察官は異常な薄給の中劣悪な環境で働かされ、労働組合などはなかった。今でいうとんでもない超ブラック企業だが、当時では警察官が労働組合を結成すること、もしくは参加することは正義の徒であり、市民の従僕としての警察官としてはとんでもないことだと考える人が少なからずいたということである。
そして黒人の差別は根強く、黒人は白人に使えてしかるべきで、バスでは黒人は専用席に座らなければ行けなかった。あまつさえ白人に面白半分やとんでもないへりくつ・難癖を付けられ最悪当然のように殺されたりもした。
アメリカというと銃社会といこともあると思うが、現在でも日本人からすると野蛮な感じがするのだが、この本ではもっと野蛮である。理不尽が横行し、暴力がものをいった。そんな時代でまっすぐ生きることがいかに困難であるか。
2人の主人公たちはこんな激動の時代に生を受けて、自分ではどうしようもない力の中でひたすら翻弄されていく。そこでは一時の判断が生死を分けて、行動の結果が思ってもいないような結果をもたらす。自分の力というとたかが知れているのに、2人はそれぞれの信念でもって非常に大きな力に立ち向かっていくことになる。それは大きな意義性を伴い、殺人という罪を犯して家族と離ればなれになったルーサー、大切だった家族と決別することになるダニー。ひょっとしたらこの本は「仕方ないさ」に果敢に立ち向かっていく若者を描いた青春小説であるのかもしれない。
そして往々にして思うのだが、悪役が本当に悪いやつの物語は抜群に面白い。ダニーとルーサーの前にどんな悪漢がその熱い思いを阻むべく立ちふさがるのか、ぜひ読んでいただきたい。貴方は心底むかつき、本をもつてが怒りで持って震えるだろう。
またこの本の主人公は実はアメリカという国かもしれない。作者ルヘインは狂言回しのベーブ・ルース(いうまでもなくあのアメリカの球界の永遠のスターである。)や主人公たちの目を通してこの国に時に批判的、時に肯定的につまり、紳士に(作者の感じる)正当な視点で描こうとしているように感じた。それは「ミスティック・リバー」でも存在した、善い悪いを超越した視点である。発生した事象を清濁あわせて精密に描写するまじめさがあって、それは往々にして私たちに重い衝撃を与え、時にはカタルシスがなく、途方に暮れさせてしまう。考えさせてしまう。
正直にいえば上巻の前半分は少々冗長に感じてしまい、ページをめくる手もなかなか進まなかったものであるが、事件が起き始めると一気に引き込まれ寝る間を惜しんで最後まで読んでしまった。
読み終えて本を閉じたときに思ったものだ。これはすごい本を読んでしまったぞと。
久しぶりにどーんと殴られるような重ーい小説であった。
貴方に凄まじい衝撃を与える本であることは間違いない。生半な気持ちでは読めないかもしれない。しかしその面白さは折り紙付きであることは私から保証させていただく。大変オススメです。
デニス・ルヘインというと一番有名なのはクリント・イーストウッドによって映画化された「ミスティック・リバー」だろうか。私も最近この映画を見直してそのシナリオの巧みさと作品を覆う独特の正義感と世のやるせなさを感じさせる雰囲気に圧倒されたものである。
そんなこともあってこの本を手に取ってみたのだった。
1910年代アメリカは荒れていた。
自由の国では無政府主義者、共産主義者たちが徒党を組み政府の転覆を企み、テロが繰り返された。
ボストン市警に勤めるダニーは警察一家に生まれ、親族の命令で警察内で労働組合を組織しようとする一派への潜入を命じられる。
一方オクラホマ州では黒人のルーサーはギャングと関わった故に殺人を犯し、追っ手を逃れるためにボストンに流れていく。
ダニーとルーサーは運命的に出会い、友情を育むが時代の激流に飲み込まれていく。
これは非常に短い期間を綿密に描写した長い小説であるが、その背景というか根底にはには舞台となるアメリカという一つの国が重要な意味を持っている。この本には実際のアメリカの偉人たちが何人か出てくる。(FBIを設立したフーバーとか。)だからちょっとした(重みは半端ないのだが)年代記と行っても良いかもしれない。
ので、1900年代のアメリカについてちょっと説明せねば。意外に日本人の私たちにとってはよくわからないのだと思う。私の場合はわからないということもわからないくらい意識してなかった。
まず非常に社会が荒れている。アメリカがテロに脅かされるようになったのは911に象徴されるようにてっきり昨今のことだと思っていたが、実際はそんなことはなかったようだ。
1900年代当時のアメリカは共産主義者たちが暴れまくり、爆弾テロも頻発していたようだ。そして重要なテーマなのだが、警察官は異常な薄給の中劣悪な環境で働かされ、労働組合などはなかった。今でいうとんでもない超ブラック企業だが、当時では警察官が労働組合を結成すること、もしくは参加することは正義の徒であり、市民の従僕としての警察官としてはとんでもないことだと考える人が少なからずいたということである。
そして黒人の差別は根強く、黒人は白人に使えてしかるべきで、バスでは黒人は専用席に座らなければ行けなかった。あまつさえ白人に面白半分やとんでもないへりくつ・難癖を付けられ最悪当然のように殺されたりもした。
アメリカというと銃社会といこともあると思うが、現在でも日本人からすると野蛮な感じがするのだが、この本ではもっと野蛮である。理不尽が横行し、暴力がものをいった。そんな時代でまっすぐ生きることがいかに困難であるか。
2人の主人公たちはこんな激動の時代に生を受けて、自分ではどうしようもない力の中でひたすら翻弄されていく。そこでは一時の判断が生死を分けて、行動の結果が思ってもいないような結果をもたらす。自分の力というとたかが知れているのに、2人はそれぞれの信念でもって非常に大きな力に立ち向かっていくことになる。それは大きな意義性を伴い、殺人という罪を犯して家族と離ればなれになったルーサー、大切だった家族と決別することになるダニー。ひょっとしたらこの本は「仕方ないさ」に果敢に立ち向かっていく若者を描いた青春小説であるのかもしれない。
そして往々にして思うのだが、悪役が本当に悪いやつの物語は抜群に面白い。ダニーとルーサーの前にどんな悪漢がその熱い思いを阻むべく立ちふさがるのか、ぜひ読んでいただきたい。貴方は心底むかつき、本をもつてが怒りで持って震えるだろう。
またこの本の主人公は実はアメリカという国かもしれない。作者ルヘインは狂言回しのベーブ・ルース(いうまでもなくあのアメリカの球界の永遠のスターである。)や主人公たちの目を通してこの国に時に批判的、時に肯定的につまり、紳士に(作者の感じる)正当な視点で描こうとしているように感じた。それは「ミスティック・リバー」でも存在した、善い悪いを超越した視点である。発生した事象を清濁あわせて精密に描写するまじめさがあって、それは往々にして私たちに重い衝撃を与え、時にはカタルシスがなく、途方に暮れさせてしまう。考えさせてしまう。
正直にいえば上巻の前半分は少々冗長に感じてしまい、ページをめくる手もなかなか進まなかったものであるが、事件が起き始めると一気に引き込まれ寝る間を惜しんで最後まで読んでしまった。
読み終えて本を閉じたときに思ったものだ。これはすごい本を読んでしまったぞと。
久しぶりにどーんと殴られるような重ーい小説であった。
貴方に凄まじい衝撃を与える本であることは間違いない。生半な気持ちでは読めないかもしれない。しかしその面白さは折り紙付きであることは私から保証させていただく。大変オススメです。
2013年11月17日日曜日
Russian Circles/Memorial
アメリカはイリノイ州シカゴのメタルバンドの5thアルバム。
2013年にSargent Houseからリリースされました。日本版はライブ収録のボーナストラックを1曲追加し、御馴染みDaymare Recordingsからリリース。
不思議なバンド名ですね。ロシアの円?ロシア人のサークル?ロシア語のサークル?(複数形のsがついているから違うと思うけど)。少なくともメンバーはアメリカ在住だと思うが。
前々から名前は知っていたけど、何となく買う機会を逃していたバンドの一つでしたが、私の好きなChelsea Wolfeさんがゲストボーカル(レーベルが同じですかね、そういえば)として参加しているというので、この機会に始めて買ってみた次第。
メンバーが3人ということも知らないし、いざ聴いてみて勘違いに気づいた。
なんとなくMouth of the Archietectのようなスラッジぽいポストメタルを想像していたのだが、なんとまずインストバンドだった。ボーカルいつ入るのかな?と聴いていたら、あれよあれよと前述のWolfeさんのボーカルが入っている最後の曲まで行って驚いたね、というのはさすがに嘘ですけど。まあ結構ビックリした。
メンバーの写真を見ると確かにメタルっぽくないですな。
じゃあどんな音楽性なのよ?といわれるとこれがなかなか形容するのが難しい。
インストバンドであることは間違いない。音の質感もメタルといってもいいだろう。ギター、ベース、ドラムのシンプルな3人編成だが、どの楽器も重々しい。曲のスピードはその質感もあって遅めだが、スラッジやドゥームほどの様式にかっちりはまっている訳ではない。これが俺たちです!といわんばかりのどっしりとした様は本当に3人なのか?というくらい堂に入っている。それぞれが替えの効かない体制だからテクニックは一級だが、それをひけらかすようなところはいっさいなし。どちらかというとジャケットのように渋く、寡黙。その一見の取っ付きにくさはまさに峻厳とした山のごとし。
音はクリアかつソリッドで、静のパートと動のパートが両立した陰鬱といってもいい曲調だが、なんというかひねった邪悪さがない。曲の長さもそんなに長くないので疲れないで聴けるのも良いね。
思うに比較的手数の多いドラムがすばらしい、そこにベースが滑るように入ってきて、ギターが旋律を奏でるのだが、暗い曲調の中にきらりと光るメロディセンスがたまらない。
はっきりいってメロディアスはあんまりないんだけど、皆無という訳ではない。そのバランスが心地よい。
前述の説明と矛盾するようだが、ちょっとアートっぽいなと思いました。
アートといっても小難しい理屈をこね回した底の浅さが見て取れるお洒落なやつじゃない。なんだかよくわからなさ、で煙に巻こうとする小賢しさでもない。
例えれば一枚の絵を描くようなもので、それがとても示唆に富んでいる。目に見えない音楽なので頭に描く絵は人それぞれ違うだろうが、私としてはなかなか楽しく聴けた・描けたというのが正直なところ。
インストバンドというのは面白くて、はっきりボーカルと歌詞があるバンドと比較すると演奏する側が何を伝えたいのかというのがやっぱりちょっとわからなくなる。
音楽は音楽なのだが、ちょっと曖昧な形で伝わるから、こっちにあれこれ想像する楽しみがあって気分によってはボーカルありの音楽よりハマったりする。
というわけで非常に格好いいインストバンドであった。
俺の気持ちはお前らごときにわかってたまるか、という貴方におすすめ。
ちなみにWolfeさんボーカルの曲はすげー格好いい。ばっちりだ!
2013年にSargent Houseからリリースされました。日本版はライブ収録のボーナストラックを1曲追加し、御馴染みDaymare Recordingsからリリース。
不思議なバンド名ですね。ロシアの円?ロシア人のサークル?ロシア語のサークル?(複数形のsがついているから違うと思うけど)。少なくともメンバーはアメリカ在住だと思うが。
前々から名前は知っていたけど、何となく買う機会を逃していたバンドの一つでしたが、私の好きなChelsea Wolfeさんがゲストボーカル(レーベルが同じですかね、そういえば)として参加しているというので、この機会に始めて買ってみた次第。
メンバーが3人ということも知らないし、いざ聴いてみて勘違いに気づいた。
なんとなくMouth of the Archietectのようなスラッジぽいポストメタルを想像していたのだが、なんとまずインストバンドだった。ボーカルいつ入るのかな?と聴いていたら、あれよあれよと前述のWolfeさんのボーカルが入っている最後の曲まで行って驚いたね、というのはさすがに嘘ですけど。まあ結構ビックリした。
メンバーの写真を見ると確かにメタルっぽくないですな。
じゃあどんな音楽性なのよ?といわれるとこれがなかなか形容するのが難しい。
インストバンドであることは間違いない。音の質感もメタルといってもいいだろう。ギター、ベース、ドラムのシンプルな3人編成だが、どの楽器も重々しい。曲のスピードはその質感もあって遅めだが、スラッジやドゥームほどの様式にかっちりはまっている訳ではない。これが俺たちです!といわんばかりのどっしりとした様は本当に3人なのか?というくらい堂に入っている。それぞれが替えの効かない体制だからテクニックは一級だが、それをひけらかすようなところはいっさいなし。どちらかというとジャケットのように渋く、寡黙。その一見の取っ付きにくさはまさに峻厳とした山のごとし。
音はクリアかつソリッドで、静のパートと動のパートが両立した陰鬱といってもいい曲調だが、なんというかひねった邪悪さがない。曲の長さもそんなに長くないので疲れないで聴けるのも良いね。
思うに比較的手数の多いドラムがすばらしい、そこにベースが滑るように入ってきて、ギターが旋律を奏でるのだが、暗い曲調の中にきらりと光るメロディセンスがたまらない。
はっきりいってメロディアスはあんまりないんだけど、皆無という訳ではない。そのバランスが心地よい。
前述の説明と矛盾するようだが、ちょっとアートっぽいなと思いました。
アートといっても小難しい理屈をこね回した底の浅さが見て取れるお洒落なやつじゃない。なんだかよくわからなさ、で煙に巻こうとする小賢しさでもない。
例えれば一枚の絵を描くようなもので、それがとても示唆に富んでいる。目に見えない音楽なので頭に描く絵は人それぞれ違うだろうが、私としてはなかなか楽しく聴けた・描けたというのが正直なところ。
インストバンドというのは面白くて、はっきりボーカルと歌詞があるバンドと比較すると演奏する側が何を伝えたいのかというのがやっぱりちょっとわからなくなる。
音楽は音楽なのだが、ちょっと曖昧な形で伝わるから、こっちにあれこれ想像する楽しみがあって気分によってはボーカルありの音楽よりハマったりする。
というわけで非常に格好いいインストバンドであった。
俺の気持ちはお前らごときにわかってたまるか、という貴方におすすめ。
ちなみにWolfeさんボーカルの曲はすげー格好いい。ばっちりだ!
2013年11月10日日曜日
コーマック・マッカーシー/ザ・ロード
アメリカの作家が2006年に発表した小説。
この小説は2007年のピュリッツァー賞フィクション部門を受賞した。
ピュリッツァー賞というと何となく優れた報道に対して与えられる賞かと思っていたのだが、調べてみるとジャーナリズムだけでなく、文学や音楽に対しても部門がもうけられているようだ。ただ面白いのが、アメリカ人が書いたものとか、アメリカに題材をとったものが望ましいとされているようだ。
ずれてしまったが、今作は2009年に映画化もされているようだ。金曜日の新聞広告に掲載されていたのをなんとなく覚えているが、こちらは私は見ていない。
「血と暴力の国」で書いたが、マッカーシーは知人にお勧めされた。当時は「血と暴力の国」と「ザ・ロード」どちらから読んでみようか迷ったが、前者の映画を見ていたことと後者に関してはなんとなくすごく暗そうな話だからと思い、まずは前者から手に取ったのだった。「血と暴力の国」は文句なしに面白かった。よし!ではいよいよ!という形で本書に取り組んだ次第です。
地球上の文明が崩壊した世界。
男は息子とともに南を目指し旅を続ける。
ストーリーはこれだけである。これは誇張でも何でもなくて、これがこの本のストーリーなのだ。
終末を迎えた世界を書く小説は一つのジャンルして確立していて、いろんな物語が世に出ている。以前紹介した「沈んだ世界」もそうだし、椎名誠さんの一連のSF小説群も一旦崩壊しきった世界のその後を書いている。あと私が大好きな小説「エンジンサマー」なんかも所謂一周した後の世界を書いていると思われる。
ただ上のあげたのは共通して世界が崩壊した後破滅に向かうにしろ、安定に向かうにしろ一旦小康状態になった世界である。
この本では世界は徹底的に破壊し尽くされ、破滅に向かっている。動物と植物はその姿を完全に消し(なんと虫もでてこない)、人類はその数を大きく減らし、日々の食料を奪い合いつつ生き延びている。何故世界が滅んだのか、はっきりと原因は書かれていない。ただ主人公の男(登場人物は一人をのぞき固有名詞がでてこない。)は世界の終わりの始まりを目の当たりにし、その後世界の崩壊を生き延び、また一日でも長くその世界で息子とともに生き延びようとしている。
空は厚い雲に覆われ、灰が降る。食物も家畜も死に絶えたから、食料は崩壊前に生産された保存食のみで、いくら数が激減(私の体感では1割以下だと思うんだが、)したからといって人類全体を生きながらえさせるには無理がある(そもそももう作れないんだかららどだい供給が重要を上回ることはあり得ないはず)。廃墟を漁り食料を探す、もしくは人から奪うしかない。政府はとっくにないのだから、法がある訳がない。略奪暴行が横行し、自分以外はみんな敵である、そんな世界である。救いがない。ほかの小説に比べると徹底的に救いがない。これ以上良くなることがなく、食うにも困るから人類は過酷な椅子取りゲームに命を削ることになる。
終末ものの小説は数多くあるのに、なぜこのような極限世界はあまり書かれないのか(私がただ知らないだけという可能性も大いにあるということを書いておきます。)、それはこのような世界で生まれるドラマを一体誰が好んで読もうとするのか、という問題に起因するのかもしれない。多くの小説家がそう考えてあるいは彼らの終末にわずかに色を付けて発表したのかもしれない。
ただこの本「ザ・ロード」は終末のモノクロームにいっさい色を付けず発表された。それは灰色一色の世界で、読んでいる私たちは作者はどこに色を付けたのか、あるいは読み手である私たちはこの物語のどこに自分なりの色を付ければ良いのか、わからない。私は通勤途中に本を読むのだが、人がぎゅうぎゅう煮詰まった車両の中で半ば吐き気を覚えながら、一体なんで自分はこんな本を読み続けているのかと思ったものだ。
読むのは楽しい。ページをめくる手が止まらない。めくった先には楽しい話なんてないのだが。
この本にはいろんな要素が生々しく、しかしきちんと説明されていない状態でぶち込まれている。この絶望的な本は何がいいたいのか。物質があふれ変える世界で巧妙に隠匿されている人間の本性を露悪的かつ批判的に暴きだしたのだろうか。完全に破滅した世界でいまにも消え去ろうとしている人間の良心をあえて辛辣に書いて、現代に生きる私たちの冷えた心を溶かそうと試みたのか。崩壊した世界でぎりぎりの善(なんなのかはぜひ読んでくれ)を貫こうとする、その試み自体が状況にマッチしているのか。彼らが運んでいるという「火」とは何なのか。
私はこの本を読んで、なるほどこの本はこういうことがいいたいのです、と説明は出来ない。こんなに中身が詰まった本なのにどうしたことだ。私はこの本を飛んで文字通り打ちのめされた。私はただただ圧倒された。私はただ圧倒されるのが好きである。あんぐりと口を開けてただぼんやりと立ち尽くすしかないような、言葉にできない感じが大好きだ。
考えなければいけない問題や、様々な感情が渦巻いているけど、言葉にうまく整理できない感じである。小説や音楽でたまに私をこんな気分にさせるものがあって、私はそれらを愛してやまない。
この本は灰色の本で、最初のページをめくると灰色一色の世界が貴方を待ち受けている。
それは貴方を嫌な気分にさせるだろう。しかし私はぜひ貴方にこの本を読んでいただきたいと思っている。
最後にこの本はかなり装飾性を省いた平素な文で書かれている。(ただし句点が省かれ、会話にも鍵括弧がない独特の文体である。)しかし、比喩や言葉がすばらしく、ほとんど詩みたいになっている。これがあんまりすばらしく、最後に私が気に入ったフレーズを書いておく。このフレーズが気になる人はぜひ本をとっていただきたい。
「いよいよ死が自分たちの上に臨んだようだから誰にも見つからない場所を探さなければならないと彼は考え始めた。坐って少年の寝顔を見ていると嗚咽がこみ上げてくることがあったがそれは死が理由ではなかった。よくわからないがおそらく美しさとか善良さとかいったものが理由だった。」
「本当だよ。みんないなくなったらいるのは死だけになるが死の時代にも終わりがくる。死は道に出てもすることがないしなにをしようにも相手の人間がいない。そこで死はこういう。いったいみんなどこへ行ってしまったんだ?いずれそうなるんだよ。それのなにがいけないかね?」
この小説は2007年のピュリッツァー賞フィクション部門を受賞した。
ピュリッツァー賞というと何となく優れた報道に対して与えられる賞かと思っていたのだが、調べてみるとジャーナリズムだけでなく、文学や音楽に対しても部門がもうけられているようだ。ただ面白いのが、アメリカ人が書いたものとか、アメリカに題材をとったものが望ましいとされているようだ。
ずれてしまったが、今作は2009年に映画化もされているようだ。金曜日の新聞広告に掲載されていたのをなんとなく覚えているが、こちらは私は見ていない。
「血と暴力の国」で書いたが、マッカーシーは知人にお勧めされた。当時は「血と暴力の国」と「ザ・ロード」どちらから読んでみようか迷ったが、前者の映画を見ていたことと後者に関してはなんとなくすごく暗そうな話だからと思い、まずは前者から手に取ったのだった。「血と暴力の国」は文句なしに面白かった。よし!ではいよいよ!という形で本書に取り組んだ次第です。
地球上の文明が崩壊した世界。
男は息子とともに南を目指し旅を続ける。
ストーリーはこれだけである。これは誇張でも何でもなくて、これがこの本のストーリーなのだ。
終末を迎えた世界を書く小説は一つのジャンルして確立していて、いろんな物語が世に出ている。以前紹介した「沈んだ世界」もそうだし、椎名誠さんの一連のSF小説群も一旦崩壊しきった世界のその後を書いている。あと私が大好きな小説「エンジンサマー」なんかも所謂一周した後の世界を書いていると思われる。
ただ上のあげたのは共通して世界が崩壊した後破滅に向かうにしろ、安定に向かうにしろ一旦小康状態になった世界である。
この本では世界は徹底的に破壊し尽くされ、破滅に向かっている。動物と植物はその姿を完全に消し(なんと虫もでてこない)、人類はその数を大きく減らし、日々の食料を奪い合いつつ生き延びている。何故世界が滅んだのか、はっきりと原因は書かれていない。ただ主人公の男(登場人物は一人をのぞき固有名詞がでてこない。)は世界の終わりの始まりを目の当たりにし、その後世界の崩壊を生き延び、また一日でも長くその世界で息子とともに生き延びようとしている。
空は厚い雲に覆われ、灰が降る。食物も家畜も死に絶えたから、食料は崩壊前に生産された保存食のみで、いくら数が激減(私の体感では1割以下だと思うんだが、)したからといって人類全体を生きながらえさせるには無理がある(そもそももう作れないんだかららどだい供給が重要を上回ることはあり得ないはず)。廃墟を漁り食料を探す、もしくは人から奪うしかない。政府はとっくにないのだから、法がある訳がない。略奪暴行が横行し、自分以外はみんな敵である、そんな世界である。救いがない。ほかの小説に比べると徹底的に救いがない。これ以上良くなることがなく、食うにも困るから人類は過酷な椅子取りゲームに命を削ることになる。
終末ものの小説は数多くあるのに、なぜこのような極限世界はあまり書かれないのか(私がただ知らないだけという可能性も大いにあるということを書いておきます。)、それはこのような世界で生まれるドラマを一体誰が好んで読もうとするのか、という問題に起因するのかもしれない。多くの小説家がそう考えてあるいは彼らの終末にわずかに色を付けて発表したのかもしれない。
ただこの本「ザ・ロード」は終末のモノクロームにいっさい色を付けず発表された。それは灰色一色の世界で、読んでいる私たちは作者はどこに色を付けたのか、あるいは読み手である私たちはこの物語のどこに自分なりの色を付ければ良いのか、わからない。私は通勤途中に本を読むのだが、人がぎゅうぎゅう煮詰まった車両の中で半ば吐き気を覚えながら、一体なんで自分はこんな本を読み続けているのかと思ったものだ。
読むのは楽しい。ページをめくる手が止まらない。めくった先には楽しい話なんてないのだが。
この本にはいろんな要素が生々しく、しかしきちんと説明されていない状態でぶち込まれている。この絶望的な本は何がいいたいのか。物質があふれ変える世界で巧妙に隠匿されている人間の本性を露悪的かつ批判的に暴きだしたのだろうか。完全に破滅した世界でいまにも消え去ろうとしている人間の良心をあえて辛辣に書いて、現代に生きる私たちの冷えた心を溶かそうと試みたのか。崩壊した世界でぎりぎりの善(なんなのかはぜひ読んでくれ)を貫こうとする、その試み自体が状況にマッチしているのか。彼らが運んでいるという「火」とは何なのか。
私はこの本を読んで、なるほどこの本はこういうことがいいたいのです、と説明は出来ない。こんなに中身が詰まった本なのにどうしたことだ。私はこの本を飛んで文字通り打ちのめされた。私はただただ圧倒された。私はただ圧倒されるのが好きである。あんぐりと口を開けてただぼんやりと立ち尽くすしかないような、言葉にできない感じが大好きだ。
考えなければいけない問題や、様々な感情が渦巻いているけど、言葉にうまく整理できない感じである。小説や音楽でたまに私をこんな気分にさせるものがあって、私はそれらを愛してやまない。
この本は灰色の本で、最初のページをめくると灰色一色の世界が貴方を待ち受けている。
それは貴方を嫌な気分にさせるだろう。しかし私はぜひ貴方にこの本を読んでいただきたいと思っている。
最後にこの本はかなり装飾性を省いた平素な文で書かれている。(ただし句点が省かれ、会話にも鍵括弧がない独特の文体である。)しかし、比喩や言葉がすばらしく、ほとんど詩みたいになっている。これがあんまりすばらしく、最後に私が気に入ったフレーズを書いておく。このフレーズが気になる人はぜひ本をとっていただきたい。
「いよいよ死が自分たちの上に臨んだようだから誰にも見つからない場所を探さなければならないと彼は考え始めた。坐って少年の寝顔を見ていると嗚咽がこみ上げてくることがあったがそれは死が理由ではなかった。よくわからないがおそらく美しさとか善良さとかいったものが理由だった。」
「本当だよ。みんないなくなったらいるのは死だけになるが死の時代にも終わりがくる。死は道に出てもすることがないしなにをしようにも相手の人間がいない。そこで死はこういう。いったいみんなどこへ行ってしまったんだ?いずれそうなるんだよ。それのなにがいけないかね?」
JinnyOops!/Mother Shock!
日本は南大阪(堺市)のロックバンドの2ndミニアルバム。
2011年にThird Stone from the Sunというレーベルからリリースされた。
普段変な音楽ばっかり私だが、たまには王道のロックを聴きたいということで女性3人組のロックバンドのCDを買ってみた。意外に私GOGO!7188とか好きだしね。(ベストアルバムしか持ってないけどね…好きと言い張るね。)
JinnyOops!といっても実はバンドのことはよくわからないんだけど。私の大好きな大阪のバンド・Birushanahのパーカッショニストの佐野さんのTwitterだかを見てたら名前が出てきてたまたまという感じでかったんよね。
オフィシャルサイトを見ると当初はトランペットなども在籍してスカバンドぽかったらしい。1stミニアルバムをリリースしたのだが、メンバーの脱退があって3ピースになって初めてリリースしたのがこの音源だそうです。
だいたい一曲2分台から3分台のロックを奏でるバンドです。
ギターボーカルに、ベース、ドラムというスタイル。
特別早い訳でも、特別遅い訳でもありません。馬鹿テクな訳でもありませんし、デス声やわめき声も出る幕ありませんし、曲の構成もきわめてシンプルです。
歌詞は「貴方と私と私の悩み」について若者のそのまま感じたような飾らないも言葉で綴られています。四文字熟語を並べてみたり、ちょっと若い、青臭い感じです。
ようするにまあ技術的には凝ってはない訳なんだけど、これがまた格好いいんだな。
うまく説明できないんだけど、デザインって言葉は無駄を省くって意味だって職場の人に聴いたことがある。(違ってたら申し訳ないんだが。)このバンドはシンプルなんだけどすげーデザインセンスというよりは、まあ普通に苦労して作ったらこの形でした、という地に足がついた感じがあってそこに好感が持てる訳です。どんな青臭くても、中二病的でも「いや、僕らこう思っているんですよ」と面と向かって口にされると私としては「お、おう」という感じでそらもうヘッドフォンつけて聴くしかないよね。それでだめなら駄目なんだけど、少なくともこっちとしてはまあ正座する訳ではないけど、聴かせてもらいやすはなる訳です。
まあそうやって聴いてみたらとてもかっこうよいですね、というお話でした。
グルーブ(グルーヴ?)観のあるロックでもって、とにかくギターの音が好みですね。リフもシンプルだけどノリが良い。
ベースは結構ギロンギロンしたソリッドなスタイル。ドラムはぱしっぱしっと軽快なスタイル。
前半4つは疾走感のある曲。後半4つはちょっと速度を落とした曲。
あとは短い曲の中でもタメやちょっとした間があってメリハリがあって良し。
コーラスワークも妖艶な感じというよりはやんちゃな感じでこれまたよし。
ポップって言い切ってしまえるメロディアスさと粗野なロックが見事に融合した8曲があっという間でもっと聴きたい。
という訳で普段ひねくれている貴方。じつは普通のロックも聴きたいんだけど思っているんじゃないでしょうか。そんなときはこっそりこのCDを買うといいんじゃないのかな。
2013年11月4日月曜日
Noothgrush・Coffins/Split
日本は東京のドゥーム・デスメタルバンドCoffinsと、アメリカはカリフォルニア州オークランドのスラッジメタルバンドNoothgrushのスプリットEP。
2013年に日本のDaymare Recordingsからリリースされた。かのSouthern Lordからアナログオンリーでリリースされるようです。CDフォーマットは日本のみだそうな。
日本のCoffinsは1996年に結成された由緒あるデスメタルバンドなのだが、私は恥ずかしながら今作で初めて聴きました。
この音源では2曲収録。ドゥームの要素が多分にあるどっしりとしたいぶし銀のデスメタル。
ドラムは重々しいがシンバルがやたらシンバルを叩いていてやかましく格好いい。
ベースはややもこもこした低音で、ぶぉーぶぉー唸るようなスタイル。
ギターは比較的クリアな音質で音圧がものすごい。ただ異常に低音かというとそうではない。ミドルにどっしり構えて、引きまくるタイプ。とにかくリフが面白くて、ドゥームっぽく低速で這うように弾いてみるかとと思えば、やけにグルーヴィなリズムを刻んできたり。本当に短いギターソロを入れたり、ぎゅいーんとスクラッチしたり、音自体に派手さはないのにここまで多彩なのはすげーと素直に感動。
ボーカルはデス声なんだけど、ちょっと悪いロックっぽさがあって格好いい。
やっていることはオールドスクールなデスメタルなんだが、結構随所随所に工夫があって、聴いていて気持ちいい。アンダーグラウンドのバンドを捕まえてこんなこというと怒られそうだが、思っていたより聴きやすくてビックリ。
2曲は少ないので、最近出たというアルバムを買ってみようかな。
もう一方がアメリカのスラッジメタルバンドNoothgrush。
昔日本のCorruptedとスプリットを出したりでこの界隈では有名なのではなかろうか。
しばらく活動休止していたが、昨今また活動を再開したようです。私もアルバムを1枚、ライブアルバムを1枚持っております。
ドラムがなんと日本人もしくは日系の女性。ちょっと珍しいよね。
しかしヌースグラッシュってバンド名は格好いい。どういった意味なのだろう。
スラッジというとハードコアの要素があって、ちょっとラフかつダーティなイメージがある。EyeHateGodなんかも悪そうだよね。
ドラムが面白くてバスは超重々しいものの、スネアやタム(違ってたら申し訳ない。)はたすって感じで軽快。手数も結構多めで、全体的な曲の速度は遅いんだが、ここら辺でもって単調に陥るのを防いでいるのではないかと。
ベースはひたすら低音という感じで重い。どーーんと伸びるような特徴的な弾き方。
ギターは引きずるようなスラッジ特有の感じ。ブリッジミュートをドゥームメタルほど多用しない所為か、意外に抜けた感じがあって聴きやすい。フィードバックノイズも多めで個人的にはとても好きだ。
ボーカルはこらまたスラッジぽい。前述のEyeHateGodも彷彿とさせるようなわめくような叫び声スタイル。
こちらは3曲収録で曲間にナレーションをコラージュしたりで結構自由奔放にやるスタイル。全体的にノイズと埃っぽい煙たさが充満した怪しいスタイルで大変格好いい。
昔の音源より格好いい気がするんだけど。音の作りがちょっとわかりやすくなったから地下室のような閉塞感がちょっと減退したのかも。ここら辺は好みかも。私は好きだけど。
両バンドともに良いですね。ただ全部で5曲だからやっぱちょっと物足りない。
なんと来日ツアーを両バンドやるんだそうで、気になる人はどうぞ。
2013年に日本のDaymare Recordingsからリリースされた。かのSouthern Lordからアナログオンリーでリリースされるようです。CDフォーマットは日本のみだそうな。
日本のCoffinsは1996年に結成された由緒あるデスメタルバンドなのだが、私は恥ずかしながら今作で初めて聴きました。
この音源では2曲収録。ドゥームの要素が多分にあるどっしりとしたいぶし銀のデスメタル。
ドラムは重々しいがシンバルがやたらシンバルを叩いていてやかましく格好いい。
ベースはややもこもこした低音で、ぶぉーぶぉー唸るようなスタイル。
ギターは比較的クリアな音質で音圧がものすごい。ただ異常に低音かというとそうではない。ミドルにどっしり構えて、引きまくるタイプ。とにかくリフが面白くて、ドゥームっぽく低速で這うように弾いてみるかとと思えば、やけにグルーヴィなリズムを刻んできたり。本当に短いギターソロを入れたり、ぎゅいーんとスクラッチしたり、音自体に派手さはないのにここまで多彩なのはすげーと素直に感動。
ボーカルはデス声なんだけど、ちょっと悪いロックっぽさがあって格好いい。
やっていることはオールドスクールなデスメタルなんだが、結構随所随所に工夫があって、聴いていて気持ちいい。アンダーグラウンドのバンドを捕まえてこんなこというと怒られそうだが、思っていたより聴きやすくてビックリ。
2曲は少ないので、最近出たというアルバムを買ってみようかな。
もう一方がアメリカのスラッジメタルバンドNoothgrush。
昔日本のCorruptedとスプリットを出したりでこの界隈では有名なのではなかろうか。
しばらく活動休止していたが、昨今また活動を再開したようです。私もアルバムを1枚、ライブアルバムを1枚持っております。
ドラムがなんと日本人もしくは日系の女性。ちょっと珍しいよね。
しかしヌースグラッシュってバンド名は格好いい。どういった意味なのだろう。
スラッジというとハードコアの要素があって、ちょっとラフかつダーティなイメージがある。EyeHateGodなんかも悪そうだよね。
ドラムが面白くてバスは超重々しいものの、スネアやタム(違ってたら申し訳ない。)はたすって感じで軽快。手数も結構多めで、全体的な曲の速度は遅いんだが、ここら辺でもって単調に陥るのを防いでいるのではないかと。
ベースはひたすら低音という感じで重い。どーーんと伸びるような特徴的な弾き方。
ギターは引きずるようなスラッジ特有の感じ。ブリッジミュートをドゥームメタルほど多用しない所為か、意外に抜けた感じがあって聴きやすい。フィードバックノイズも多めで個人的にはとても好きだ。
ボーカルはこらまたスラッジぽい。前述のEyeHateGodも彷彿とさせるようなわめくような叫び声スタイル。
こちらは3曲収録で曲間にナレーションをコラージュしたりで結構自由奔放にやるスタイル。全体的にノイズと埃っぽい煙たさが充満した怪しいスタイルで大変格好いい。
昔の音源より格好いい気がするんだけど。音の作りがちょっとわかりやすくなったから地下室のような閉塞感がちょっと減退したのかも。ここら辺は好みかも。私は好きだけど。
両バンドともに良いですね。ただ全部で5曲だからやっぱちょっと物足りない。
なんと来日ツアーを両バンドやるんだそうで、気になる人はどうぞ。
ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q カルテ番号64
北欧はデンマーク、コペンハーゲンの作家による警察小説。
特捜部Qシリーズの第4弾。前作からちょっと間が空いてしまった。この本はデンマークを代表する文学賞である「金の月桂樹賞」という由緒ある賞を受賞したそうな。
このシリーズはなんと世界36カ国で出版されているとのこと。人気のほどが伺われる。
本の裏表紙に載っている写真を見て作者は渋い強面かと思ったら、意外に優しそうなおじちゃんでした。
コペンハーゲン警察署の地下室にある未解決事件のみを扱う部署・特捜部Q。
メンバーはとある事件で同僚一人を失い、一人は半身不随となり、自身も心身ともに傷を負ったカール・マーク。
謎のシリア系移民アサド。多重人格が疑われる変わり者の女性ローセ。
3人は1987年のある時期に集中した複数の失踪事件の調査に乗り出すが、その背後にはデンマークにかつて存在したとあるおぞましい施設が関わっていて…
過去の3作と同様今作も、おぞましい事件とカールら特捜部Qの面々の軽妙なやり取りのバランスが冴える。カールは終始ぼやき、怒り、叫びながら陰惨な事件に立ち向かう訳だが、相変わらず敵役のキャラ造形がすばらしく、そびえ立つクソの山かというほどの胸くそ悪いサイコ野郎な訳だ。一体この作者というのは自己中マックスで他人への共感能力ゼロの悪役を書くことに関しては昨今右に出るものがないのではなかろうか。
逆恨みストーカー、ねじの外れたボンボン、メソメソトラウマ依存反動マッチョときて、今回は齢88歳の選民思想こってりファシスト医者クソやろうとくるのだから、ページをめくるこちらとしては腹が立ってしょうがない訳である。だいたい悪役がすばらしい作品は良作と決まっているのだから、今回も前3作と比較して全く引けを取らない面白さ。
さて、悪役が完全に悪者だと物語が平板すぎる恐れがあることはわかってもらえると思う。俺正義の体現者、悪者をばこーん、読者スッキリ、というのももちろん面白いのだが、イマイチ深みにかけるのも事実ではないだろうか。
そこにくるとこのユッシおじさんときたら、物語の構成がとても巧みで一連のシリーズの中で常に悪者とそれに立ち向かう正義の警察官カールらのほかに、第三のキャラクターを設置することで、単純な善悪の二項対立から物語をより深いものすることに成功している。それはどちらかというと被害者の立場に近い人々だから、犯罪の残酷さ、陰鬱さがいっそう引き立つ。
また善い、悪いを超越した人の持つ情念だったり、負けない(勝つんじゃなくて)強さだったり、業だったりを警察小説では物語の一つの大きな枠となるべき法と罰の埒外から書くことで、一体何が正義なのかをぐっさり私たち読者に突きつけてきた。私は過去のタイトルの感想で持って、「戦う女性たち」が一連のシリーズで重要なファクターであるのようなことを書いたが、特に2作目「キジ殺し」ではその女性が良いとか悪いとかを振り切って行動する様を圧倒的な筆致でもって書き出し、私はただただ感動したのだが、今作ときたらその要素を引き継ぎつつ、「そうでなかった人」を書ききってしまったのである。
「そうでなかった人」とは何か。これははっきりいって物語の確信に迫る事柄なので、具体的には書けないのだが、ぜひ読んでいただきたい。ある女性の復讐の執念が異様な形で現出するこの本のクライマックスは変な話日本の怪談のような趣がある。思わずううむと唸るような面白さであった。
加えてカールの過去の記憶の曖昧さが露呈し、トラウマの原因となっているステープル釘打ち事件も本編とは関係ないものの怪しい進展を見せて、アサドの過去と同様気になることこの上なし。邪推だが、特捜部Qは問題のある3人を意図的に集めた実験的な意味合いがあるのかと疑ってしまった。次回作以降が気になるところだが、訳者の吉田薫さんのあとがきによるとこのシリーズは全部で10作を予定しているらしく、今作は4個目だと考えると、まだまだ解けなそうである。一読者としては次回作が楽しみでならない。
警察小説の形をとった怪談であるとはいわないが、善悪の向こうにある言葉にできない人間の感情をみごとに書ききった恐ろしい娯楽小説であった。
相変わらずの面白さでいろんな人にお勧めしたいが、まずは第1作目から読んでいただきたいと個人的には思う。
ちなみに1作目の「檻の中の女」は映画化されている。
予告編をどうぞ。
カール・マークもアサドもちょっと若すぎるような気もするが、面白そうだ。日本でも公開されないだろうか。
特捜部Qシリーズの第4弾。前作からちょっと間が空いてしまった。この本はデンマークを代表する文学賞である「金の月桂樹賞」という由緒ある賞を受賞したそうな。
このシリーズはなんと世界36カ国で出版されているとのこと。人気のほどが伺われる。
本の裏表紙に載っている写真を見て作者は渋い強面かと思ったら、意外に優しそうなおじちゃんでした。
コペンハーゲン警察署の地下室にある未解決事件のみを扱う部署・特捜部Q。
メンバーはとある事件で同僚一人を失い、一人は半身不随となり、自身も心身ともに傷を負ったカール・マーク。
謎のシリア系移民アサド。多重人格が疑われる変わり者の女性ローセ。
3人は1987年のある時期に集中した複数の失踪事件の調査に乗り出すが、その背後にはデンマークにかつて存在したとあるおぞましい施設が関わっていて…
過去の3作と同様今作も、おぞましい事件とカールら特捜部Qの面々の軽妙なやり取りのバランスが冴える。カールは終始ぼやき、怒り、叫びながら陰惨な事件に立ち向かう訳だが、相変わらず敵役のキャラ造形がすばらしく、そびえ立つクソの山かというほどの胸くそ悪いサイコ野郎な訳だ。一体この作者というのは自己中マックスで他人への共感能力ゼロの悪役を書くことに関しては昨今右に出るものがないのではなかろうか。
逆恨みストーカー、ねじの外れたボンボン、メソメソトラウマ依存反動マッチョときて、今回は齢88歳の選民思想こってりファシスト医者クソやろうとくるのだから、ページをめくるこちらとしては腹が立ってしょうがない訳である。だいたい悪役がすばらしい作品は良作と決まっているのだから、今回も前3作と比較して全く引けを取らない面白さ。
さて、悪役が完全に悪者だと物語が平板すぎる恐れがあることはわかってもらえると思う。俺正義の体現者、悪者をばこーん、読者スッキリ、というのももちろん面白いのだが、イマイチ深みにかけるのも事実ではないだろうか。
そこにくるとこのユッシおじさんときたら、物語の構成がとても巧みで一連のシリーズの中で常に悪者とそれに立ち向かう正義の警察官カールらのほかに、第三のキャラクターを設置することで、単純な善悪の二項対立から物語をより深いものすることに成功している。それはどちらかというと被害者の立場に近い人々だから、犯罪の残酷さ、陰鬱さがいっそう引き立つ。
また善い、悪いを超越した人の持つ情念だったり、負けない(勝つんじゃなくて)強さだったり、業だったりを警察小説では物語の一つの大きな枠となるべき法と罰の埒外から書くことで、一体何が正義なのかをぐっさり私たち読者に突きつけてきた。私は過去のタイトルの感想で持って、「戦う女性たち」が一連のシリーズで重要なファクターであるのようなことを書いたが、特に2作目「キジ殺し」ではその女性が良いとか悪いとかを振り切って行動する様を圧倒的な筆致でもって書き出し、私はただただ感動したのだが、今作ときたらその要素を引き継ぎつつ、「そうでなかった人」を書ききってしまったのである。
「そうでなかった人」とは何か。これははっきりいって物語の確信に迫る事柄なので、具体的には書けないのだが、ぜひ読んでいただきたい。ある女性の復讐の執念が異様な形で現出するこの本のクライマックスは変な話日本の怪談のような趣がある。思わずううむと唸るような面白さであった。
加えてカールの過去の記憶の曖昧さが露呈し、トラウマの原因となっているステープル釘打ち事件も本編とは関係ないものの怪しい進展を見せて、アサドの過去と同様気になることこの上なし。邪推だが、特捜部Qは問題のある3人を意図的に集めた実験的な意味合いがあるのかと疑ってしまった。次回作以降が気になるところだが、訳者の吉田薫さんのあとがきによるとこのシリーズは全部で10作を予定しているらしく、今作は4個目だと考えると、まだまだ解けなそうである。一読者としては次回作が楽しみでならない。
警察小説の形をとった怪談であるとはいわないが、善悪の向こうにある言葉にできない人間の感情をみごとに書ききった恐ろしい娯楽小説であった。
相変わらずの面白さでいろんな人にお勧めしたいが、まずは第1作目から読んでいただきたいと個人的には思う。
ちなみに1作目の「檻の中の女」は映画化されている。
予告編をどうぞ。
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