2017年2月26日日曜日

オルダス・ハクスリー/すばらしい新世界

イギリスの作家によるSF小説。
原題は「Brave New World」で1932年に発表された。日本でも何回か翻訳の上出版されているが、この度ハヤカワ文庫から大森望さんの新訳で出版されることになった。ディストピア小説フェアというのがやっているのでそれに合わせたのかもしれぬ。
ジョージ・オーウェルの「1984年」と並ぶディストピア小説の先駆けにして金字塔で、「1984年」に先立つこと17年。「1984年」は以前読んで大変感銘を受けた。本を読む余裕のある人なら皆読んで欲しいくらいの本だ。今更ながら再販をきっかけにこちらにも手を出した。
一体ディストピアというのはどんなものだろうか?色々なそれが描かれているがなんとなく圧政が敷かれ苦しむ民草というのは共通認識ではなかろうか。明確に敵がいて我々民衆はひたすら搾取されるというわかりやすい対立構造である。「1984年」もそうだった。しかし会社の人とも話すのだが、実はもし絶対的な支配者がいるなら生かさず殺さずが一番よいのではなかろうか。1984年の末尾の資料が暗示するように明確な悪政は倒されるリスクがある。あまりに搾り取り過ぎれば人は死ぬしかない、死を覚悟した人間はなりふり構わず捨て身の反撃に身を投じるだろう。でもなんとか飯を食える、たまに気晴らしもある、ならどうだろうか。明日飯が食えなくなるのは辛い、そうなれば諾々と権力者の無理に従うかもしれない。
この小説はそのもう一つのディストピア像を推し進めたものだ。題名はもちろん皮肉の意味も含んでいるが、果たしてその姿はなんだろうか。もちろんディストピア小説だが、この物語で描かれている世界をあなたは否定できるだろうか。私は最近読んだ「都市と星」、または「スキャナーに生きがいはない」に代表される人類補完機構シリーズを連想してしまう。発達したテクノロジーが戦争による徹底的な荒廃に反省し、そして人類の過保護な親となる。人類は生ぬるい、完全にコントロールされた平和にまどろむことになる。その安寧、安逸は作られたものだ。そこでは危機が排除されるのはもちろん、可能性の芽も極めて厳重に判別され、廃棄されている。いわば未来がない。実は過去もない。日常しかない。毎日しかない。寝て起きたらくるのはいつもと同じ今日なのだ。しかし平和である。私はとにかく臆病、怯懦な人間であるから安全と聞けばその安全には自由が損なわれるというおまけがついていてもついつい心惹かれてしまう。この気持ちは反人間的なものだろうか。人間は常に危険な荒野に死の危険を、流血の可能性を伴いながらも打って出て行くべきなのだろうか。あなたが親なら子をあえて危険な目には会わせたくはないだろう。これが詭弁なのはわかっている。なぜなら危険も安全も程度の問題であるからだ。つまりディストピア、あるいはユートピアというのは程度の問題に立脚していることになる。ハクスリーの登場人物は新世界をしてディストピアなんてとんでもない!と言う。少なくとも統制官の一人は、欠点を認めつつもこれが大勢のためになると言う。完璧なユートピアとは言えないかもしれないが、これが最大公約数の天国なのだと言わんばかりだ。いわば優しさで動いている。ハクスリーの描く世界が優れているのはここにあまり高低がないのだ。世界統制官は絶大な権力を持つが、精々が大勢に敬意を払われ、禁制の芸術品を楽しむことができ、世界の仕組みを理解しているくらいではなかろうか。少なくともハーレムを作ったり、美味いものを食ったりしているわけではない。愚かな民草をことさらこき使うこともない。なぜならこの煌めく世界では基本的にフリー・セックスだし、合法的に気分を亢進させる薬が配給されている。民草は頭の程度をコントロールされていることで明確に高級から低級に割り振られているが、階級間の憎悪というのが条件付けによって全然ない。(それぞれが身分の階級の高低にかかわらず別の階級にはなりたくねえなあ〜と思っている。)争いがないわけではないけど、国家を超越した戦争なんてない。だって衣食住に困らないんだもの。なるほど全体主義であってみんなが国家に奉仕しているが、仕事は定時で終わる。(本当は仕事の時間は半分にできるけどみんな時間が余ると荒むので実は世界統制官によってあえて労働時間は引き伸ばされているのだが。)争う必要なんてないんだ。
読者は俯瞰して眺めるからこの世界を歪んだものと捉えるだろう。この新世界の統制官の罪はなんだろう。人の気持ちを踏みにじっている、然り。意識的に人間の知能をはじめとする出生をコントロールしている、然り。しかしこうまとめることができる。この優しさは世界の可能性を、詩的な言い方をすれば未来を奪っている。大衆は無知で、子供でいることが強制されている。これが悪だろうか。本当の邪悪だろうか。今、この平和と争いごとが一緒くたになっているこの歪に光る世界に住む私たちがこのディストピアを邪悪なものだと本当に断罪することができるのだろうか。今いる世界がそれでもこのすばらしい新世界より優れているということができるだろうか。今私たちが暮らす社会、世界は素晴らしいのだろうか。

ぜひこの本を読んで何かを思ってほしい。なぜならこれは世界についての話で、あなたは世界に対して何かを言葉にできないながらも感じているだろうからだ。

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