イギリスの作家によるSF小説。
原題は「EmbassyTown」で直訳すると「大使館の街」というところだろうか。時期的には「クラーケン」の後に執筆・発表(2011年)された。私はチャイナ・ミエヴィル作品が好きなので購入した。相変わらず読みやすいとは言えない文体で読むのにだいぶかかってしまった。
遥か未来人類は宇宙に進出。私たちが宇宙だと思っていたのは実は通常宇宙と言ってあまたある宇宙の一つの表層であり、その裏側にあるイマー、恒常宇宙は人間には正確に把握することができないいわば高次の宇宙であった。そのイマーに潜行することで星の海の距離もある程度は問題ではなくなった。人類は広く銀河とその外に広がる宇宙に広がり(ディアスポラと呼ばれる)、異星人とも遭遇、今では共存する様になった。
宇宙の辺境にあるアリエカに住む異星人は変わった身体構造を持っている。口が二つあり、二つのそれらが同時に言語を喋る。困ったことに二つの口に共通の意思がないとアリエカ人はそれを言語と認識できないため、意思がない翻訳機では用をなさない。アリエカ人の高い技術力を融通してもらうため、近隣の星であり一つの国であるブレーメンは人工的に一卵性の双子を精製、訓練、薬物、テクノロジーによって同一の別人を作り出し、これを大使としてアリエカ人と交渉することにした。アリエカ人は馬と昆虫が合体した様な外見をしているが基本的には友好的で、人類は大使を中心とした都市エンバシータウンをアリエカに建設し、そこではある程度の人類はアリエカ人と共存していた。
アリエカ生まれのアヴィスは恒常宇宙飛行士イマーサーとしてアリエカを一度は出たもの、夫となった男の研究のため生まれ故郷であるアリエカに戻ることになる。時をほぼ同じくしてアリエカにブレーメンから新しい大使が送られてくる。彼らの外見は全く違うばかりか、彼らは双子ではなく全く別個の人間であるという。エズ/ラーという名の大使たちはアリエカに大きな変革をもたらすことになる。
とにかく設定が特殊でこれを説明するのが大変。アリエカは別系統の技術によって進歩し、無機物を基礎とした科学が発展した人類に対して、バイオリグという生物を基調とした技術が進歩しており、文で読むだけでその異様さに目眩がしてくる別世界だ。グロテスクと言っても良い。ここら辺はミエヴィルは「ペルディード・ストリート・ステーション」なんかでも書いていたごった煮の異様な世界に共通している。「気持ち悪いというよりは感覚が違うのさ」という様な作者なりの美学が感じられる。その圧倒的な世界観にただただ幻惑されるのが面白い。相変わらず見慣れない単語を頻発する割には説明しないスタイルなので読んでいると疑問符が浮かぶこともしばしばだが、それは当然もう読み進めてなんとなく掴んでいくしかない。今回は特に読むのに時間を要したわけだけど、そう言った一歩一歩おっかなびっくり進んでいく読書体験も、冒険めいていてそれだけで面白い。
ミエヴィルは差異を描く作家で特定の異なるテリトリーをあえて近接させることで物語を加速させていく。いうまでもなく境界ではその差異が明確になるからだ。そう言った意味では巻き込まれ型の主人公が魔術の世界に落ち込んでいく「クラーケン」は面白かったな。今回はかなり気の強い女性主人公が物語にグイグイ介入していく。この女性も強いんだが、弱いんだかわかない人間味溢れる人で私はちょっとついていけないな…と思うこともしばしば。(選民意識と被害者意識が強い割に気が小さいんだもん。)
今回は言語の構造が一つのテーマになっているわけだけど、こういう思い出がある。高校生の時に国語の先生が「言葉って何」と問いかけると私も含めて「情報伝達の手段」とか答えるわけだけど、先生は不満そう。一人が「言語は世界です」というとその先生は「それだ!」声を張り上げたものだ。ちなみに彼は東大に行った。言語というのは一番わかりやすいのは名前をつけるということだけど、人間は言語を通して世界を認識しているわけだから、同じ景色を見ていても思考の基体となる言語体系が異なれば世界自体が違って見えてくる。それがこの本のテーマで、いわば辺境で素朴に育まれていた異星人の文化、世界に人間の言語(と考え方)という毒が紛れ込んでくる。両者は隔たりすぎてい他ので当初は混じり合わなかったわけだけど、特異な性質を持つ人間の大使の出現で否応無く毒がアリエカ人に蔓延する。この毒というのは比喩表現だけどそれを実際の表現にするのがミエヴィルであって、大使の都市は中盤以降聴き的な状況に陥ってくる。さながらゾンビに囲まれ逃げるのもままならない人類という、サバイバルホラーの様相を呈してくる。
異なる二つが遭遇する時、片方がもう一方絶滅させる以外の選択肢、それが文化的な融合になってくる。人種が違うので確実に合一はできないわけだけど、人類とアリエカ人の今後に関してはある意味では不公平になっている。人類は技術に劣るけど失うものがなかった。一方アリエカ人は技術に劣る人類から毒とその解除方法を学ぶわけなんだけど、人類が言語と世界認識で優れているというわけではなくて、たまたまそうせざるを得ない変化だったからそれを選択したわけだ。ここはどうなんだろう?純粋さを失ったこと自体は問題ではないのだが、人類の世界認識にもうちょっと疑問を呈して欲しかった。(ただ人間は人言の言語以上の思考はできないので相当難しいと思うけど。)否応ない変化が種を次のステージに引っ張り上げるというのは良かった。
相変わらず一筋縄ではいかない小説を書いている。難しいから、わかりにくいから面白い、高尚だというのではなくて、自分が考える以上の考えを聞かされるとそれを膾炙するのに時間がかかる。そう行った意味でチャイナ・ミエヴィルの各物語は超一級品だ。気になった人は是非どうぞ。
0 件のコメント:
コメントを投稿