2015年11月3日火曜日

エドワード・ファーマン&バリー・マルツバーグ編/究極のSF 13の回答

由緒ある出版社を経営し編集も手がけるエドワード・ファーマンと自身作家として活躍するバリー・マルツバーグの手によるSFアンソロジー。
「究極の」と付けるとそれはもう完成してしまって後の発展がなさそうな気もするなあ、と思っていたのだがさすがにこの面子は読むしか無いなと思って購入。
原題は「Final Stage」だからちょっと邦題とはニュアンスが違いますね。1974年に出版されたこの本にはまさにSF界の巨匠がその名を連ねている。例えばアシモフ、オールディス、ディック、エリスン、ティプトリーJr.と。このジャンルを少しかじった私でもお〜とうなる様な歴々たる作家陣である。原題「ファイナルステージ」というのも意味があって、だいたいSFというジャンルは十分に成熟し、その想像力というのはだいたいジャンルの限界までいききりました、そういった意味で終着点。もちろんこれが終わりではなく、同じテーマでもどんどんこれからSFは発展していくよ。ただここで原点に立ち返って、つまりこれがSFだ!という要素を抜き出しそれをテーマに小説を集める、こういうアンソロジーを作ろう!というのが編集したお二人の意図なのであります。
このアンソロジーすごい事があって、それはそのSFを象徴する様なテーマを12個選び(なかでも「未来のセックス」というテーマは2人の作家が書いているので、12のテーマで13個の小説が入っているというわけ。)、そのテーマで持って作家に全く新しい物語を書いてもらっているのだ。普通のアンソロジーというと既存の小説群を作家やジャンル、国家時代などの特定の共通するテーマでもってまとめあげるのが多いのだろうが、この本は逆。テーマがあってそれを生み出す事から始めたのだ。贅沢。それでいてこの面子、この編集した二人というのがいかにSF業界で人望のある人かというのが想像できるね。
12のテーマというのは「ファースト・コンタクト」、「宇宙探検」、「不死」、「イナー・スペース」、「ロボット・アンドロイド」、「不思議な子供たち」、「未来のセックス」、「スペース・オペラ」、「もうひとつの宇宙」、「コントロールされない機械」、「ホロコーストの後」、「タイム・トラベル」。なるほどSFというジャンルの骨格をなす要素がぎゅっと濃縮して集められているのが分かる。

個人的には何と言っても楽しめたのはロバート・シルヴァーバーグの「旅」という作品。
これは多次元宇宙を自由に移動できる男の遍歴のおはなし。彼は逃避ではなく探求のために色々な世界をジャンプして旅行する。原題の地球と少し違っているだけの世界、枢軸国が勝利した世界、崩れた死体がさまよい歩く世界、地球自体がない無の世界、様々な世界を渡り歩いていく男。本人は否定するだろうが別れた奥さんに未練があって完璧な彼女(離婚する前の彼女か)を求める男、新世界につくと常に彼女を探してしまう。良くにた世界での彼女との邂逅そして拒絶、この物語は絶対的な孤独を表現している。広大無辺な宇宙空間をさまよう話も確かに孤独の極北に違いないが、知らない人しかいない、しかも自分が生まれたのではない世界というのはもう一つの究極の孤独では無かろうか。そこでは言葉が通じても彼らが言っている事は本質的に理解できないのだ。彼はどんな世界にもジャンプできるが、到着地点を選ぶ事は出来ない。宇宙は無限に存在する。永遠にエイリアン。前進。センチメンタルが入り込まない平明な文体が孤独を突き放したように書く。最高だ。
SFにでてくる様々なガジェットは隠喩だというが、巨大な舞台装置を使って作り上げた物語、効率悪いけどそれくらいしないと到達できない感情というのがあるのかもしれない。そういった意味ではSFはまさしくロケットだ。
タイトルがハードルを挙げている気がするが、中身は非常に真面目で真っ当なアンソロジー。SFが好きな人は是非どうぞ。

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