河出書房新社からでているSFアンソロジーの第三弾。
このシリーズは(恐らく)読んで字のごとく20世紀に発表されたSFを世代(ディケイド=10年)ごとに分類、編集していくもので、1940年代からはじまり1990年代まで全部で6冊が刊行されている。この本は3冊目で1960年代。この時代というのはSF界では大変革の時代だったようで旧態然として死にかかったSFの復権を計るべく(もしくは古いオーソリティにとどめを刺すべく)「ニュー・ウェーブ」が展開されたそうな。この本にはそんな新しい波に属する刺激的な小説も含めて全部で14本の小説が収められている。
ちなみになぜ第3弾から買ったのかというと単純で1弾と2弾が絶版状態になっているからに他ならない。ちなみに4弾と6弾も同じ憂き目に遭っている訳で私は泣く泣くこの3弾と恐らくこの後紹介する5弾を注文したのだった。
作家陣に関してもとても豪華で、この間紹介したゼラズニイや学生時代に読んだ「結晶世界」から何冊か楽しんだバラード、それからトリックスターエリスン(「世界の中心で愛を叫んだ獣」はエヴァの元ネタでなにかと私世代では有名なのかな?)、復刊した「寄港地の無い船」が最高過ぎた(個人的に今年ベスト)オールディス、巨匠クラークと。個人的にはSFというとこの世代が思い浮かんでしまうかもしれない。私的にはこの上ないラインナップ。
さて「新しい波」とは何かというと旧体制に反動的な文字通り新しいSFという事になりそうだ。歴史的な背景があってカウンター・カルチャー的な側面がある。中村融さんも紹介しているがバラードは外宇宙では無く内宇宙に目を向けろ!と叫んだらしい。この本に収録されているこの本の題名にも採用されているバラードの「砂の檻」というのはまさにこの流れにある"SF" 小説である。廃墟と化した地球の海岸線に集った宇宙と関わりのあった、そして挫折した3人の男女が集まって死んだ宇宙飛行士が乗った人工衛星を眺める、というこの逆説的なSF小説はその情景の危ういくらいのやるせなさと退廃的な美しさ、華やかな成功と多いな失敗、そして天と地という対比を描きつつ、完全に人間の心理を中心に据えてその主題としているように思える。SF的なガジェットは舞台装置と言っても良いくらい。SFに文学的な価値を付加したというと明らかに言い過ぎだろうが、読み物(芸術)としてのSFに新しい可能性を見いだそうとしたのが、ニュー・ウェーブではなかろうか?と思った次第である。時に大仰すぎる舞台装置と夢物語、ちっぽけな(そして崇高な)人間の意識のさざ波を描くのに必要なのかもしれないのだ。
復讐の二つの側面を見事に描いている(どちらにも感情移入できるまさにアンビバレントな真理が楽しめる)アンソロジーの冒頭を飾るゼラズニイの「復讐の女神」。一見おどけているのにオーウェルの「1984年」めいたディストピアを描くエリスン「「悔い改めよ、ハーレクイン!」とチクタクマンはいった」。まさに人間の内宇宙を書き出した暗黒小説ディッシュ「リスの檻」は主人公の言葉はすべて虚無に放り出されて跳ね返る事無く消えていく恐ろしさを書いている。誰からも忘れられる事は死ぬ事より辛い。シルヴァーバーグの「太陽踊り」は巨大な舞台装置(文字通り!)で人間のトラウマを書いた作品で異形の愛くるしい生物がひしめく一つの「楽園」を舞台装置に、これも内宇宙を描いている。
そしてやはりオールディスだった。「讃美歌百番」は個人的に大好きな1週巡った世界を書いている。身勝手な人間が一人残らず<内旋碑>の向こう側に一体となって消えた世界を描いている。そこは静寂が支配する世界で、人間の作り出した優しい異形たちが穏やかに暮らしている。どこかしらクロウリーの「エンジン・サマー」に通じる世界観であってその情景を想像しただけで頭と胸の色んなところが締め付けられるようだ。遥か彼方見た事も無い(そして金輪際存在する事すら無いかもしれない)情景に何故人は郷愁を感じ得るのか、それがとても不思議だが、そんな面白みをもつのがSFと読み物の面白さだ。
というわけでSF好きのみならず物語フリークには是非お勧めしたいアンソロジー。おすすめすぎる一冊。
最後に働く貴方にハーレクインからの一言を引用しておきたい。
「どうして、いいなりになっているんだ?どうして勝手ほうだいにいわせておくんだ?アリやウジみたいに、いつまでもちょこちょこうろうろしてるだけでいいのか?時間をもっとかけろ!すこしは、ぶらぶら歩きもしろ!太陽を楽しんでみろ、そよ風を楽しんでみろ、自分のペースで人生をおくったらどうだ!時間の奴隷じゃないんだぞ、最低の死に方だぞ、一寸刻みに死んでいく……チクタクマンばんざいか?」
ハーラン・エリスン
0 件のコメント:
コメントを投稿