2018年9月17日月曜日

killie単独公演@下北沢ERA

秋になるとセンチメンタルになる人がいるらしい。私はというと苦手な夏が緩やかに倒れていくような秋の気配がたまらなく好きだからむしろ笑顔になってしまう。一回下がり、そしてまた上がった気温も断末魔めいて悪い気がしない。そんな気分で下北沢へ向かう。killieのライブがあるからだ。昼と夜の二部構成で私は昼の方のチケットを購入した。確か早々にチケットはソールドアウトしていたはずだ。調べるとチケットを買ったのは6月でその時は9月が来るなんで想像ができなかった。そして今はもう9月の後半戦だ。光陰矢の如し、というよりは暗殺者のすり足で時は忍び寄る。そして私たちの命を奪っていくのである。時間が私たちを殺すなら私たちは常に死んでいっているのだから、別に秋だからって感傷的にならなくても良いではないか。特にできることもないんだし。呼吸のことを考えても埒もない、いわんや死ぬことをというわけだ。

12時20分ごろに会場に着くと13時開演を前にすでにそれなりに人が入っている。物販は一つ上の5階でということで見にいくと妙に充実している。音源は既存のもののみだったが、アパレルなどが充実しており、私はHis Hero is GoneをもじったT-シャツとメンバーが大胆に移ったお洒落なT-シャツを購入した。
下に降りるとすでに黒山の人だかりである。これはまずったなーと思ったが時すでに遅しでフロアの真ん中あたりの列に。緊張感がたまらなくてなんども時計で時間を確認してしまう。ほぼ13時きっかりにメンバーが登場してライブがスタート。

私は最近killieを知ったにわかリスナーでライブも数えるほどしか見ていないが、この日のkillieはいつもとちょっと違った。killieといえばライブハウスの照明を全部落として自前の蛍光灯を足元に置いただけでライブを行う。本日はまずその蛍光灯にバリエーションがあった。都合6本で2本がいつもの白色、2本が鮮やかなブルー、2本がショッキングピンクだ。さらにはプロジェクターを用いてメンバー越しにライブハウスのステージ後ろの壁に映像を投影。これはニュースキャスターが喋っている映像というらしいものから、ゲーム(ディグダグらしくものは少なくとも)、さらには雰囲気のある(おそらく)映画から抜粋したもの。どうもそれなりにショッキングな映像もあったらしいが良い感じに不鮮明なのとメンバーばかり見ていたので私は気がつかなかった。

ほぼ最近リリースされた編集版を忠実に再現したセットリストだと思う。まさしく自分も含めてだが、客層は何かしらの忸怩たる思いを人生に抱えてそうな男性が多くなんとなく大人しめなのかなと思ったいたが割と冒頭の「先入観を考える」で私を含め多くの人間のタガが外れたようである。勢いで前の方に行って頭を振っていた。
City of Caterpillarを見たときに思ったのはkillieに似ていると。今回killieを見て思ったのはやっぱり似ている。一つは緊張感で、これはもう一つの要素の演奏方法から生じているところもあると思う。確かにkillieの曲は激しいパートもあって盛り上がるが、そうではないパートもかなりある。ポスト感のある美麗なアンビエントパートというには不穏だし今日思ったのは演奏が異常にかっちりしている。これで耽美さがないポスト・ハードコア的なパートに力を割いていく。このミニマルさの中に何かしら積み上げられていくのだ。リズムがはっきりしているからこの反復はむしろ気持ちがよく、そうこうしている間に蓄積された像が完成し、そしてハードコアパートでこれをぶち壊すような勢いがある。なんとも背徳的な曲構成であると思う。今日生で聴いて改めて思ったおは前述の通り演奏の巧さと、そしてメンバー陣の音の被らなさである。技術の向上による恩恵でひたすら低音一辺倒を志向するモダンでブルータルなハードコア界隈でkillieはメンバーそれぞれで音の受け持つ範囲がきちんと決まってそしてそれらが綺麗に分離している。分厚いけどギターの音がソリッドであることはすぐにわかると思う。低音から高音まで出揃っていて全てがごまかしがきかないくらいソリッドだ。ギター2本の掛け合いも何回もあったけどどれも素晴らしく、付かず離れずでときにはすれ違ったり、被って行ったりでそれが正鵠を射て釘を使わずに組み立てていく日本の伝統建築のようにかっちり噛み合っていく、見たこともない聖堂が組み上がっていく。それをぶち壊すような劇速パートはまさに神も仏も拒否する世界で(キリストは復活する!!!皮肉な物言いだ。)そんなことやられた日にはビリビリ震えるしかない。もしくは阿呆のように頭を振るかだ。
全てのパートが必然だ、全てのパートが必要なのだ。散漫なごまかしなど一切ないのだ。どれが欠けても曲が違うものになってしまう。そんな雰囲気がある。「地下室には何かあるはずだ」とはkillieのメンバーの言だが、そこには瞬間があるのだ。常に流れていく時間の中では(早回しや戻しが容易にできてしまう音源とは違って)常に瞬間しかない。その瞬間が全体を構成して、それはもう一つも欠けては別ものになってしまうし、そしてもう過ぎ去ったら取り戻すことができないのだ。
ラストアンコール「お前は労力」で〆。あっという間の1時間であった。

ライブ後に情報量の多さやその圧倒的な質感に一旦整理させてくれ、となる状態がたまにあって、この日はそう。汗だくで一旦どうにかして頭と体を冷やさなければと、這々の体で下北沢のまちに歩き出した。
そのあとカレーを食べて、すごいレコード屋さんに寄って帰りました。
ビールを2缶、記憶が消える前にこの感動をせめて書き留め(ようとす)る。
今頃夜の部がやっているだろうな。

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