2018年9月30日日曜日

TJxLA FEST 2018 Day2@Zirco Tokyo

日本のレーベルTokyo Jupiter RecordsとLongLgesLongArms Recordsが共同で主催するその名もTJxLA FESTが2回目の開催ということで行ってきた。めあてはスペインのネオクラストバンドKhmerで、音源もさることながら前回見た来日公演でけっこうな衝撃を受けたのでこれはもう一度見ないと、と思ったのだ。2日間の開催で迷ったのだが、私は2日目にいくことした。
会場のZirco Tokyoは初めて行くライブハウス。多分まだできて間もないのではないかな、きれいでした。歌舞伎町のど真ん中くらいにある地下二階。分煙で喫煙所が別れているのが嬉しい。エントランス、フロア、バーカウンターの順につながっている結構広いライブハウスでフロアは決して広いわけではないけど、横に長くて何より特徴的なのはステージが広い!経営者としてはチケット代を稼ぐために客を入れたいわけだから必然的にフロアが広くなるのはわかるんだけど、ここは結構ステージに場所を使っている面白い。結果いろいろな演者が立ててライブハウスのラインナップも豊かになるってわけだ(と思う)。面白いなあ。音も相当に良かったと思う。自動で動くカーテンがステージに付いていて、転換のときはこれを閉じるシステム。

Pale
一番手は日本は東京のブラッケンド・ハードコアのPale。一発目の出音が素晴らしくて圧倒されたしこのイベント間違いないなと確信した。そのくらいの迫力がある。
ギター1本に専任ボーカルの4人組。ギタリストは日本では珍しい?長髪にヒゲぼーぼーの浮世離れスタイル。(ちゃんと清潔な感じ。)
速度の早いハードコアにこれでもかというくらいトレモロをかぶせるTheブラッケンド・スタイル。一時期一部の界隈では隆盛を極めたが、それ故今ではここまでストレートに鳴らしてくるバンドは珍しいかもしれない。何が良いって音が良いのである。一連のブラッケンド・ブームの火付け役であるAlcestはその後の正しくシューゲイザーの美麗な音作りに接近していったが(最新作ではまた違う報告に舵をとっているらしい)、個人的にはそうじゃないという気持ちもあって。というのももはやそうしたらブラック(メタル)じゃないじゃん。私が聞きたいのとはちょっと違う。ところがこのPaleに関してはそんな美麗さとは全く違うベクトルのトレモロを鳴らしているわけだ。それでは小汚いプリミティブかと言われるとそれともちょっと違う。まるでMortiferaの1st(AlcestのNeigeが在籍していた頃)のようなガリガリとした音なのだ。このザキザキささくれだった音がたまらない。有刺鉄線でできているようでこれが高速で回転するとこちらの気持ちがザリザリ削られていくようでたまらなく快感である。このマゾヒスティックな快感は確かにブラック・メタルの耽美差につながる。ハードコアデコレをやるというのは更に倒錯していて良い。そう考えるとボーカリストの動きもなんとなくDeafheavenのボーカルに通じるものがあるように思えてくる。ラスト近くにやった曲は高速で刻んでいくスタイル(シューゲイザーmeetsスラッシュメタルな感じ)はどことなく往年の(今はちょっとスタイルが違うので)Coaltar
of the Deepersを彷彿とさせた。とても良かった!理想の1番手だったと思う。


Klonns
続いては東京のハードコアバンドKlonns。主催の3LAからリリースされたコンピレーション「ろくろ」収録のインタビューでは明確にブラッケン度とのつながりを否定していた。実際聞くと確かに違うんだよな、ということがわかる(ただしノイジーなトレモロなど似ている要素が少しあるのも否定出来ないと思う。)んだけど、この日見てさらに完全にハードコアバンドだなと再確認した。
曲やパートによってほぼハーシュノイズとかしているギターに印象を持っていかれがちだけど、ベースがD-beatか2ビートが基本のローファイなハードコアなんだ。ローファイっていうとあれだがオールドスクールと言っても良い。ボーカルがリバーブかけているのも前衛的に誤解しがちだけど、歌唱法を聞いてほしい。ほぼメロディがなくて単発でシャウトをうるさい演奏にかぶせるスタイルだ。(ただしライブ後半は結構ボーカルの頻度が多くなっていたような気がする。)叫びであって歌じゃない。これがなにかというとD系のクラスト・コアかなと。たまに挟まれる短くつんざくようなギターソロも個人的にはそちら方面の影響色濃いような気がした。もちろん当時のそれからはかなり表現方法を独自にアップデートしているわけだけど、抑えるべきところはきっちり抑えている。もちろんなにかがあってその本質をどこと捉えるのか、というのは人によって異なるわけだから個人の印象になってしまうのだが。
抑えめの楽器隊とよく動くボーカリストの対比も良い。以前スタジオライブのときはステージとフロアの境がなくて怖かった。この日もそんな緊張感があってよかった。


老人の仕事
続いては東京をベースに活動するトリオ編成のストーナー/ドゥームロックバンドの老人の仕事。音源は持っているのだがぜひともライブを見たかった。この間のkillieのライブが恐ろしく良かったからだ。
ドラム、ベース、ギターのトリオ編成。全員狙撃手が原っぱに隠れる際の迷彩であるギリースーツらしきものに身を包んでいる。はじめ老人というバンド名なのでボロを着ているのかと思ったら、もっと森の精的な意味合いがありそうだ。オーガニックな感じだ。つまり葉っぱだ。葉っぱの妖精なんだ。(深い意味はない。)照明は当然緑一色で、メンバー三人が三角を結んで向かい合っているのは神秘性を演出するというよりはフリーな楽曲で合わせるところを合わせるためだと思った。
ステージに持ち込んだ小さい鐘の音がなって演奏が始まると、ブリブリ分厚いが温かみのある埃っぽいヴィンテージ・サウンドが桃源郷に導く長尺ストーナー絵巻だ。同じ煙たさで行ってもどんよりとこもった邪悪なドゥームというよりは煙に巻かれて高みに立ち上る無双の中を明晰が打つような密教的な音楽。反復的だがそこにのみ固執するというよりは、確たるテーマを反復しつつ、それを足がかりに自由に広がっていくような奥行きのあるサウンドで、何かというとこれはSleepだ。もうもうたる音楽に巻かれているとal
cisnerosのけだるいボーカルが聞こえてきそう。サイケデリックなのだが、酩酊的なのはそうだが、たとえばEarthlessのように弾きまくるというよりは音程よくのばし、そしてアンサンブルで合わせるところは合わせる。これが例えばめちゃでかい音とかじゃない。あくまでもアンサンブルでかっちり頭を合わせていくというオーガニックなもので、この強弱のバランスが酩酊状態をいい感じに持続させてくれる。まさに夢見心地。気持ち良い。グリーンなんだ。緑なのだ。人間にはこれが必要なのだ。リラックスしろ。ぼんや~りしているとメンバーがカーテンを締めて終了!もっと見たい。少なくとも倍の時間でも良い!もはや中毒。またライブに行きます。


thisquietarmy
続いてはカナダの一人ユニット。持っているのはギター1本なんだが、足元ののスイッチ類の量がえげつない。足元のペダル、スイッチをじっと見るからシューゲイザーなのだが、このユニットの彼はもはや見るだけじゃなくてあっちを押したり、つまんで回したりと、むしろこっちがメインのようだった。大量のエフェクターでギターの音を加工し、それを多重録音でどんどん重ねていく。使っているのはルーパーだろうか?あくまでも短い録音タイムを反復させて重ねていく。手法的にはシーケンサーを使ってつくるテクノっぽいのではなかろうか。(私はカオシレーターしか持っていないからあっているかわからないけど。)
ただ音の方はテクノとは程遠い、分厚くまた輪郭のはっきりしないものだ。(おそらく)歪ませた上で空間系のエフェクターを何重にもかけているようで、出ている音はヘヴィ・アンビエント(こんな矛盾した言葉もないな)やヘヴィ・ドローンといった趣でもったりと重たく厚みがある。どれも滲んだように音の輪郭が合間でそれらが半ば融解して一つになり、巨大な音像を生み出している。トレモロが儚いメロディを奏でているのが音の隙間に垣間見えるような気がするが、それも木のせいなのかもしれない。ただ不安定に振動するノイズの間に聞こえた空耳だったのかもしれない。面白いのは曲によってはマシーンドラムによるビートが入ること。これも重たく遅く、見るからに機械製といった趣でそういった意味では同郷のヘヴィ・ドローンユニットNadjaに通じるとことがあると思う。ただ向こうは多重録音をここまで駆使するわけではないので、音の数という点では差異がある。
プロジェクターを使ってモノクロの景色を映し出す中でこの轟音を聞いていると、深海で巨大な生き物がゆっくりと反転しながら泳いでいくさまを見ているようでもあった。


of decay and sublime
日本は大阪のVampilliaのギタリストの方の別のバンド。こちらは洒脱なポストロックという感じのイメージ。物販を見ると音源の装丁やTシャツのデザインなどが非常に洗練されていて世界観をきちんと構築していることがわかる。大体白を基調に統一されていたようだ。
ブラックメタルからの強い影響はありつつも、それらを用いて最終的にはポストロックの形でアウトプットしているなと言う印象。ギタリストが三人いるのが特徴で、きちんと役割分担されている。一人はアルペジオ担当、もうひとりは和音担当(ただこの人はもっと細かい技を駆使していたように思う。)、そして最後の一人がトレモロ担当。最後のトレモロがこのバンドの肝であるメロディを担当している。これでもかというくらいトレモロを弾きまくる。一番手Paleはプリミティブなブラックメタルの病的さを受け継いでいたけど、こちらは技法はそのままにすでに聖別されて浄化済みでむしろ神々しさすら感じるレベル。スライドから滑るようにメロディを奏でるトレモロの美しいこと。楽曲に緩急があって一辺倒でくどくなりがちなマンネリからしっかり脱却していた印象。イヤモニをおそらくつけていたのは、とにかく正確さを至上としているアティチュードの表れだったのかなと。音楽的にはオランダの一人ブラック/シューゲイザーのHypomanieに似ているところがあると思う。あえてトレモロの存在感を絞ることで儚さを演出する辺りに共通点があるかなと。こちらのほうがもっと外へ外へ広がっていくという音像で明るく、そしてポストロックの成分が強めだけど。あとドラムがかなり強靭だった。三拍子の曲が多かったかな?(自信ない)

sans visage
続いては日本は東京のエモ/エモバイオレンスバンド。
見るのも聞くのも初めての3人組。いわゆる激情スタイルのハードコアなのだろうが、完全に西欧スタイルで新鮮。おおよそエモからスタートした音楽は日本でけっこう独自の進化を遂げているのではと思うのだが、このバンドに関しては割と正統派なエモ/エモバイオレンスをやっているのでは?という気がした。日本のバンドが次々と暗黒方面に落ち込んで行き、見た目や音楽にもその方面の差異が現れてそれは島国ジャパンの良い意味でガラパゴスという感じで大好きなのだが、こういう素直で正統派な表現方法もやはり良い。メンバーはたぶんかなり、とても若そうだが、そのてらいのない真っ直ぐさとエモという音楽/文化ががっちりタッグを組んでフックのないストレートな音楽が波になって私を襲う=泣きである。これはくる。ただ別に冷房の効いた部屋でおっさんが甲子園を見ている気持ちとは違う。年齢不問の主張がバシバシくるのだ。別に彼らが老人だって良いんだ。単純に良い音楽なんだ。大人が偉そうに青くて素晴らしい音楽だなんていう上から目線で言うヤツじゃないんだ。
正当といってもオリジナリティはあって、例えばメンバーが終演後City of Caterpillarのシャツを着ていたが確かに生音を残した生々しいイメージ(像)という音的には非常に通ったところがあるものの、あの反復的に繰り返していく病的な、生で見ていると思わず固唾を飲んでしまうような緊張感はなく、その代わりエモバイオレンスのバイオレンス、つまりもう感情が爆発してしまうあのパートが全編続いているような、そんな感じなのだ。曲はおそらく短く、矢継ぎ早(途中で弦が切れて中座するところはあったけど)に曲を演奏していく。速い、重たくはないがそれゆえ生々しい。


Khmer
続いてはスペインはマドリードのネオクラストバンドKhmer。
2年前の来日ライブは衝撃的だった。非常にポジティブだったからだ。観客の多くが笑顔で楽しそうだった。概ねライブで人は楽しそうだけど、こうもポジティブな雰囲気だったのは後にも先にもKhmerだけだ。もちろんフロントマンMarioの立ち居振る舞いの影響が多いのだろうが、それだけではないはずだ。機会があればもう一度ライブが見たかった。というわけで本日のお目当てである。今日はあの謎を説いてやろうという気がまえでなるべく前の方に。
前回ベーシストはオライアさんだったが今回は欠場で、かわりに坊主にヒゲのいかついメンバーがベースを担当。この人はもとIctus。でギタリストとドラマーも元Ictus。なので今回ボーカリストのMario以外は全員Ictusのメンバーということになる。Ictusといえばスペインから全世界にネオクラストを発信した伝説的なバンドだ。今回そういった意味でも貴重なライブになった。見終わってみるといい意味で前回のライブの印象が裏切られる形になった。まず音が出た瞬間に思ったのはKhmerってこんなにヘヴィなバンドだっけ?ということ。メンバーが全員Ictusというのもあったかもしれないが、そういえば目下の新作「Larga Sombra」でも典型的なブラッケンドから身軽に脱却して新しい世界観を提示していたのだった。あの新曲群をライブで見るとこうも強靭なのか。速さを維持しつつリフは結構めまぐるしい。例えばビートダウン的な要素は皆無で、由来はあくまでもクラスト。濃密でありながらかなり無愛想かつ贅沢(リフレインや過剰な装飾性には目を向けない)に突っ走っていく。メロディアスなトレモロはキャッチーでエモーショナルだが、それゆえコマーシャル的で画一的でもある。とっとと次の挑戦をする姿勢はパンクだと思った。
Marioは相変わらず長身を生かした(多分ステージ上では実際より大きく見えていたんじゃなかろうか。)しなやかなステージングとそしてあの笑顔!見ているこちらまで楽しくなってくる。ただ今回近くで見てわかったがMarioだった常に笑顔でステージ上に立っているわけではない。叫んでいるときはめちゃくちゃ張り詰めている。当たり前だが真剣だ。今回はステージからフロアにも降りてくるMario。暴力的ではなかったがそれでも非常にラディカルだ。曲だけ聞けば「とにかくこの場だけをみんなで楽しもう」的なバンドではないことはすぐわかる。攻撃的で時には陰鬱なハードコアだ。彼らは別に悲しいふりもしない、怒っているふりもしない(曲を消えば怒りも悲しみもしっかり含まれているが、ステージ上ではそれを過剰に装飾しない、つまり演技しない。)、ただ伝えてくる。それが自然で多分ありのままの彼らがすっと目と耳から入ってくる。
非常に謙虚なMCもとても良かった。ただ楽しいじゃなくて本当締めるところバッチバチにしまっていて結構個人的にはビリビリ震えた。すごかった。


Rosetta
続いてはこの日のとり。アメリカ合衆国はペンシルベニア州のポスト・メタルバンド。
白状してしまうと1st「The Galilean Satellites」しか持っていない。2枚組の同時がけ推奨の厄介なやつである。
ギタリスト2人に、選任ボーカルがいる5人組。最近は追っかけてなかったので、もっと頭でっかちなバンドで例えばシンセ担当のメンバーがいるのかな?とか複雑な展開のアートっぽい曲なのかな?と思っていたのだが、始まって見ると全然肉体的な音楽やっていてびっくりした。(1stも聞き返すと別に頭でっかちでは全然なかったのでした。)バンドアンサンブル以外の音はボーカリストがタブレット(?)から出すくらいでそれも味付け程度。基本はかっちり重厚なメタルサウンド。ポストとついてもロックとはかなり違(これはバンドによって異なるだろうが)って、Rosettaに関していえば全編これクライマックスというくらいギュッと凝縮した曲をプレイするバンドのようだ。もっとこう静かに始まって徐々に組み立てていくのかと思っていたので結構びっくりした。音は大きいが刺々しいでかい音というよりは轟音を柔らかいわたで包んだような独特なもので、シューゲイザーとはまた異なる。これに浸っているととても気持ちが良い。そうこうしているとボーカリストの咆哮が入ってくる。こっちはこっちで声が入るときは基本全部叫んでいる。例えばアルペジオから轟音パート、のようなわかりやすい展開というよりはゆっくり曲が鳴り続けてその姿を変えていくようなイメージか。とにかくうるさいの独特の恍惚感があって確かに、ポスト・メタルというジャンルをしっかりに脳に刻んでくる。ボーカリストの方は細身だが、格闘技の経験者のようなゆっくりしているが非常にしなやかな動きで妙に雰囲気があってかっこいい。煽り方も非常に良かった。
終演後アンコールの拍手が鳴り止まなかったのだが、締められたカーテンからボーカリストの方がひょっと顔を出して「ごめん今日はここまで、またすぐにくるよ」(たぶん)とのことでした。

Tokyo Jupiterと3LAはかなりカラーの違うレーベルで、こうやってそれぞれが選出したバンドが顔を並べてイベントをやるとその違いが浮き彫りになっていて非常に面白かった。ひとえに轟音といっても結構違いがあるし、ポスト感の解釈も結構千差万別かなと。個人的にはブラッケンドという一つのムーブメントに対して色々なバンドがそれに参画し、それを構成しつつも、今この時にそれぞれの付き合い方が微妙に変わってきているのが面白かった。

2 件のコメント:

  1. いつも楽しく見させてもらってます。
    自分も1日目だけ参加して会場で気付いたんですが、zicro×ではなくzirco○みたいですね。

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    1. 読んでいただきありがとうございます。
      またご指摘いただきありがとうございます。お恥ずかしいかぎりです。
      該当の箇所を修正いたしました。
      今後もゆっくり更新していきますので、お暇がございましたら読んで頂けましたら幸いです。

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