2018年9月30日日曜日

ジョゼフ・コンラッド/闇の奥

ポーランド生まれの作家の小説。
原題は「Heart of Darkness」で1899年に発表された。日本ではいくつかの翻訳で出版されているが私が買ったのは光文社の黒原敏行さんの訳のもの。
先日読んだマッカーシーの「ブラッド・メリディアン」のあとがきに書いてあるもので買って見た。他にも色々な創作物に影響を与えている作品らしく、コッポラ監督の「地獄の黙示録」はこの作品を翻案したものだ(この本を読むまで知らなかった)。

面白いなと思ったのは結局クルツという男が一体なんだったのかということがわからないところ。これは私の理解力不足も大いにあると思うけど、登場する人物たちである人は彼の信奉者であり、ある人はひどく嫌っているといった風にとにかく影響の大きい人物だということはわかる。語り手であるマーロウもクルツという男は足した傑物、「声」だったと回顧する。散々煽っておきながら、実際のクルツに関してはほとんどその個性が具体的に描かれていない。コンゴの川を遡上し、文字通り密林の闇に入り込んでいくマーロウ。しかし目当てだったクルツはすでに瀕死の状態で、マーロウとの間に交わされた、マーロウがクルツをして「声」としたその所以はついに作中では語れることがない。もちろん少ないページでも圧倒的な存在感を示していくのがくるつなのだが、読み終えてクルツという男が結局なんだったのかというのはなかなか判断に難しい。どうやら身分違いの恋の果てに一山当てようとしてコンゴの奥地に入り込み、尋常じゃない量の象牙を入手し、会社の中で一気にその存在感を示したが、その後音沙汰がなくなる。どうやらコンゴの奥地で自分の王国(のようなもの)を作り上げ、その玉座に座ること、権力の象徴として象牙を集めることに執着していたらしい。才能はあるが成功するに至らなかった男が、未開の地で(文明的に遅れており無知な)原住民に対して神のごとく振る舞い、その楽しさに酔っていった、という感じになるのかな。彼は全く個性が掴み取れない。鏡のようなもので、彼に会いたいした人はみんな己をクルツの中に見る。会社の人間たちは自分たちの欲望を具現化し、歪んだ理想郷を実現したクルツに嫉妬し、道化の青年は流浪の果てに王国を築き、無知な原住民に智慧の光をもたらして理想の冒険者を見て取ったのかもしれない。それなら船乗りのマーロウは彼に何を見出しのだろうか。
闇とは単にコンゴの奥地という意味ではない。西洋の考え方や法律が通用しないなんでもありの土地はそのまま野生を表している。そこでは人間は裸にならざるを得ず、普段巧妙に自分からすらも隠しおおせている本質が曝け出されてしまう。
それともやはり密林は暗い力を持っているのだろうか。クルツは何と戦っていたのだろう、無知だろうか、蛮習だろうか、どうも今わの際のセリフは密林に対して吐かれているようだ。作品の中の描写では西洋の教化もそして搾取も広大で濃密な密林には対して効力がないように見える。それどころか熱病にやられて白人は死んでいく。密林の尖兵たる黒人も死んでいく。まったくここは人の住む地ではないように。その奥に分け入っていくことは何かの証明になるのだろうか。

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