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2018年9月17日月曜日

killie単独公演@下北沢ERA

秋になるとセンチメンタルになる人がいるらしい。私はというと苦手な夏が緩やかに倒れていくような秋の気配がたまらなく好きだからむしろ笑顔になってしまう。一回下がり、そしてまた上がった気温も断末魔めいて悪い気がしない。そんな気分で下北沢へ向かう。killieのライブがあるからだ。昼と夜の二部構成で私は昼の方のチケットを購入した。確か早々にチケットはソールドアウトしていたはずだ。調べるとチケットを買ったのは6月でその時は9月が来るなんで想像ができなかった。そして今はもう9月の後半戦だ。光陰矢の如し、というよりは暗殺者のすり足で時は忍び寄る。そして私たちの命を奪っていくのである。時間が私たちを殺すなら私たちは常に死んでいっているのだから、別に秋だからって感傷的にならなくても良いではないか。特にできることもないんだし。呼吸のことを考えても埒もない、いわんや死ぬことをというわけだ。

12時20分ごろに会場に着くと13時開演を前にすでにそれなりに人が入っている。物販は一つ上の5階でということで見にいくと妙に充実している。音源は既存のもののみだったが、アパレルなどが充実しており、私はHis Hero is GoneをもじったT-シャツとメンバーが大胆に移ったお洒落なT-シャツを購入した。
下に降りるとすでに黒山の人だかりである。これはまずったなーと思ったが時すでに遅しでフロアの真ん中あたりの列に。緊張感がたまらなくてなんども時計で時間を確認してしまう。ほぼ13時きっかりにメンバーが登場してライブがスタート。

私は最近killieを知ったにわかリスナーでライブも数えるほどしか見ていないが、この日のkillieはいつもとちょっと違った。killieといえばライブハウスの照明を全部落として自前の蛍光灯を足元に置いただけでライブを行う。本日はまずその蛍光灯にバリエーションがあった。都合6本で2本がいつもの白色、2本が鮮やかなブルー、2本がショッキングピンクだ。さらにはプロジェクターを用いてメンバー越しにライブハウスのステージ後ろの壁に映像を投影。これはニュースキャスターが喋っている映像というらしいものから、ゲーム(ディグダグらしくものは少なくとも)、さらには雰囲気のある(おそらく)映画から抜粋したもの。どうもそれなりにショッキングな映像もあったらしいが良い感じに不鮮明なのとメンバーばかり見ていたので私は気がつかなかった。

ほぼ最近リリースされた編集版を忠実に再現したセットリストだと思う。まさしく自分も含めてだが、客層は何かしらの忸怩たる思いを人生に抱えてそうな男性が多くなんとなく大人しめなのかなと思ったいたが割と冒頭の「先入観を考える」で私を含め多くの人間のタガが外れたようである。勢いで前の方に行って頭を振っていた。
City of Caterpillarを見たときに思ったのはkillieに似ていると。今回killieを見て思ったのはやっぱり似ている。一つは緊張感で、これはもう一つの要素の演奏方法から生じているところもあると思う。確かにkillieの曲は激しいパートもあって盛り上がるが、そうではないパートもかなりある。ポスト感のある美麗なアンビエントパートというには不穏だし今日思ったのは演奏が異常にかっちりしている。これで耽美さがないポスト・ハードコア的なパートに力を割いていく。このミニマルさの中に何かしら積み上げられていくのだ。リズムがはっきりしているからこの反復はむしろ気持ちがよく、そうこうしている間に蓄積された像が完成し、そしてハードコアパートでこれをぶち壊すような勢いがある。なんとも背徳的な曲構成であると思う。今日生で聴いて改めて思ったおは前述の通り演奏の巧さと、そしてメンバー陣の音の被らなさである。技術の向上による恩恵でひたすら低音一辺倒を志向するモダンでブルータルなハードコア界隈でkillieはメンバーそれぞれで音の受け持つ範囲がきちんと決まってそしてそれらが綺麗に分離している。分厚いけどギターの音がソリッドであることはすぐにわかると思う。低音から高音まで出揃っていて全てがごまかしがきかないくらいソリッドだ。ギター2本の掛け合いも何回もあったけどどれも素晴らしく、付かず離れずでときにはすれ違ったり、被って行ったりでそれが正鵠を射て釘を使わずに組み立てていく日本の伝統建築のようにかっちり噛み合っていく、見たこともない聖堂が組み上がっていく。それをぶち壊すような劇速パートはまさに神も仏も拒否する世界で(キリストは復活する!!!皮肉な物言いだ。)そんなことやられた日にはビリビリ震えるしかない。もしくは阿呆のように頭を振るかだ。
全てのパートが必然だ、全てのパートが必要なのだ。散漫なごまかしなど一切ないのだ。どれが欠けても曲が違うものになってしまう。そんな雰囲気がある。「地下室には何かあるはずだ」とはkillieのメンバーの言だが、そこには瞬間があるのだ。常に流れていく時間の中では(早回しや戻しが容易にできてしまう音源とは違って)常に瞬間しかない。その瞬間が全体を構成して、それはもう一つも欠けては別ものになってしまうし、そしてもう過ぎ去ったら取り戻すことができないのだ。
ラストアンコール「お前は労力」で〆。あっという間の1時間であった。

ライブ後に情報量の多さやその圧倒的な質感に一旦整理させてくれ、となる状態がたまにあって、この日はそう。汗だくで一旦どうにかして頭と体を冷やさなければと、這々の体で下北沢のまちに歩き出した。
そのあとカレーを食べて、すごいレコード屋さんに寄って帰りました。
ビールを2缶、記憶が消える前にこの感動をせめて書き留め(ようとす)る。
今頃夜の部がやっているだろうな。

2018年5月27日日曜日

killie/犯罪者が犯した罪の再審始まる

日本は東京のハードコアバンドの編集盤。
2018年に突如リリースされた。自主リリースという形だろうか。
killieは伝説的なバンドだ。ストイックなステージング、過激なステートメント、コンクリに包まれた音源、いくつかの事件(私は内容を知らない)。はたから見れば秘密主義のカルトの様相を呈し、尾ひれのついた噂が流布している始末。少なくとも現状音源が極めて手に入りにくいのは事実で、そういった状況の中では待望のリリースと言える。一応この編集盤も年単位で出る出るとは言われていたらしい。

音楽的なカテゴリーでは「激情」というジャンルで語られる事が多い。聞いてみるとなるほど(ポスト)ハードコアを土台にかなり複雑な音楽を鳴らしている。しかしそのサウンドには拡大解釈がない、またわかりやすい取っ掛かりがない。例えばメロディ性は希薄であり(たまに入るのが必殺なのが困る)、ブラックメタル要素もなし、分厚いサウンドだが重低音への偏重もなし(ギターの音に関しては元の素材が活かされているような音作り)、モッシュパートもなし。
何かの文脈にある時どうしても特徴的な要素を大げさにしてしまうのが世の常だが(なのでジャンルが盛り上がれば次第に音楽的にはわかりやすくなるはず。ただキャッチーになるという意味ではない。難解さが売りのジャンルならより難解になる。その場合はただ明確に難解になるのだ。)、killieに関してはその手の拡大解釈には与しない。オールドスクールであるというよりは「激情」がなにかというところに他とは違う本質を見ているのかも知れない。全体から一部を拾ってその特徴とするというよりは全体をすくい上げているイメージだろうか。
それなら彼らがその渾然とした音楽で何を表現しようとしているかというとこれは感情ということになるのではなかろうか。むろん古今東西のバンド、アーティストたちはすべて感情を表現しようとしているのだが、ことメタル/ハードコアというジャンルではそれがどんどん激化していくのが常ではないか。なんせ「激情」というのだ。つまり少年誌のバトル漫画のようにどんどん感情表現(=音)が強く強くなっていく。killieはなぜニュースのサンプリング音を頻繁に用いるかというと、あくまでも彼らは激化はしつつも基本的には生活について歌っているという意思表明では。ハードコアパンクという(たとえ形骸化した建前だとしても)メッセージ性が重要な意味を持つジャンルで、あくまでも一つの声を発信しているのだよ、という主張に私は思えた。もちろん単純に音的な趣味嗜好が大きく影響しているとも思うのだが、しかしDIYにこだわるバンドならやはり過剰装飾からは距離を置く姿勢というのも何となく分かる。先だって紹介したweeprayや活動休止中のisolateなど狂気に片足を突っ込みがちの日本の激情シーンに置いて、あくまでも正気で居ることに拘り続けているのがkillieなのかもしれない。前にも書いたがオフィシャルサイトの日記を読めばその溢れ出る生活感に、もはやこけおどしめいたバンド外発信の流言の幻想性がきれいに霞んでいくだろう。徹底したDIYや苛烈な言動、なによりわかりにくい歌詞もあって素顔が見えにくいのは確かだが、その実態は決して突飛それ自体を目的とする奇をてらうだけのバンドではないはずだ。

今まで音源に関しても手作業で数々の仕掛けを施してきたkillieだが、この音源は1,111円という低価格に最低限のジャケットという今までにないシンプルな形式。今までの自分たちに関する(他人が作った)神話を破壊するために広く自分たちの音楽を聞いてほしいという意図なのか、それともいろいろ主張ているものの結局は安価な大量生産品の「音」としてただ消費される売り物として自分たちを自己卑下しているのか、それとも全く別の理由なのかはわからない。ただこの作品にもやはり仕掛けがあって、この音源をただ手に取るだけでは未完成なのだ。つまりこのシンプルさは明確に意図されている。詳細は是非ご自身の手で確かめてみてください。

2018年4月30日月曜日

SWARRRM「こわれはじめる」レコ発@新大久保アースダム

SWARRRMの最新作「こわれはじめる」は文句なしの内容だが、文句なしに問題作だろう。私は未だに感想をかけずにいる。態度を留保しているのは卑怯だからちょっと引け目があるのだがレコ発ライブに。この日出演するバンドは7つ。全部日本のバンド。主催しているのは「こわれはじめる」のリリース元のレーベル3LAだから、激情がテーマになってくるのはもちろんだけど微妙にゆらぎがあったと思う。
新大久保の街は連休の中日ということでいつも似まして若い女の子が多く、天気に恵まれた陽気もあって浮かれている印象だった。そんな中臭い地下室に引き込まれていく私。

NoLA
一番手はNoLA。最近ギタリストが1人脱退し4人編成になったがステージは相変わらずパワフルだった。叩きつけるような低速が醍醐味の一つだ。もはやハードコアのブレイクダウンみたいに曲によってはなるのだが、たとえばこの間見たFight It Outとは似ているけどちょっと印象が異なる。多分ドラムの叩き方が違うからだと思った。NoLAのドラムは圧倒的にメタルな感じ。一撃が強くてかっちりして思い。こともなげに豪腕フレーズを弾いているかと思いきや、滑るように展開していくさまはなんとなくCoffinsを彷彿とさせた。だから低音を低速でぶん回してもまたハードコアと微妙に違った暴力性が生まれていた。最後に演奏した曲はやはりブルージィな南部の香りが漂うスラッジ色が強めで格好良かった。スラッジといえばEyehategodが思い浮かぶが、個人的にはやはりどこかしら自暴自棄な感じがするところに惹かれる。NoLAも若いながらもそんな雰囲気が漂っていて良い。このバンドも盛り上げるならまずは自分たちからを地で行くバンドで一番手ながら客席に突っ込むボーカリスト。大いに場を盛り上げた。

明日の叙景
続いては次世代の激情を担うバンドとして注目されている明日の叙景。なんとなく今までちゃんと聞かずに来てしまったので(コンピレーションに収録されている曲のみ聞いたことがある)、この日見るのが楽しみだった。
攻撃的な音像ながらもよくよく練られた演奏力と構成力で勝負をするタイプのバンドでボーカルを除くメンバーはあまり動かずに演奏する。なるほど前評判通りブラックメタルの要素を取り込んだ激情というのは当たっていると思う。でも思っていたほどトレモロのはてしない応酬という感じではなかった。むしろ単音、トレモロ、頻度を落としたコード弾きとかなりバリエーションがあった。そういった複雑さをはらんだ楽曲というこもあってブラックメタルというよりはやはり激情という印象が強い。儚さを伴う胸を打つような美しさ、のようなものを追求しようという音の作り方で、美麗なバッキングとシャウト主体のボーカルが相克して良い感じだ。ボーカリストはマイクを使わず地声で叫ぶのもなかなかどうしてエモーショナルだった。(マイクのトラブルなのかな?)

killie
つづいてはkillie。激情界隈では非常に有名なバンドで数々の伝説が。オフィシャルHPの過去の日記を結構過去まで遡って読んだのだけど、伝説というよりはびっくりするくらい人間臭くて面白かった。最近突如編集盤「犯罪者が犯した罪の再審始まる」(ずっと出る出ると言われて出なかった)をリリースしており、実質この日レコ発と言っても良い。
SEは最近のニュースの音声をつなげたものですでに不穏な感じが漂う。照明をすべてオフにし、持ち込みの蛍光灯をつける。ボーカリストが口上を述べだす。観客に向けて指をさす、そしてマイクスタンドを(怪我しないような速度で)突き刺す。今日行われるのだ。罪の再審が。私たち観客が罪人なのであった。アホ面ならべてまんまとこの場に引きずり出されたのだった。馬鹿馬鹿しいのだが、私は本当蛍光灯の強烈な光に照らされて黒い影法師のようになっているメンバーを見て、ノイズが走り帯電したようにビリビリとした空気の中でそう思ったのだった。
CITY OF CATERPILLARを見た時に激情という音楽の柱に「緊張感」があると思うと書いたが、まさしく日本のkillieはそういった意味で激情の伝統を受け継ぎ、そしてそれを自分たちなりにアップデートしているバンドだと思う。静と動を孕んだ複雑で混沌とした曲展開、シャウトと対をなすスポークン・ワードなど”激情らしい”要素を拾い上げる事はできてもそれらを組み合わせても決してkillieにはならないだろう。観客もすごく暴れるのだけど、決してわかりやすいとはいえないバンドの主張(まさしく主張するバンドだと思うのだ)を一挙手一投足見過ごすまいとステージに食いついていくような趣がある。めまぐるしい展開の中にそれでも音楽としての魅力が詰まっていて、前にいる人は拳を振り上げ一緒に歌っていた。
罪の再審が始まったんだけど、ステージの下にいる人ももちろん、それから上にいる人も全員罪人だったのではなかろうか。killieが号令をかけたのだが、それは自覚しろ、ということだったのだろうか。しばらく呆然とした。音源を聞いてまた考えさせてほしいです。

Disgunder
続いてはTokyo Darkness Possessed GrindersことDisgunder。
実は見るのも聴くのも初めてで楽しみだった。これはグラインドコアだ。それもとびっきりの。まず曲が速い。とにかく速い。ブラストしまくる。当たり前だが曲が速い、ブラストを主体にするとなれば自然と曲のバリエーションは限られてくる。しかしこのバンドはまずリフが圧倒的に豊富だ。高速という縛りの中でさらにリフの手数が多すぎる。高速すぎてトレモロみたいになったり、ミュートで落としたり、さらにはギターソロを披露したりと、まさにグラインドコア遊園地。ドラムもブラスト主体だが、D-ビート、ツービートなど目まぐるしく叩き方を変えていく。共通点はどれも速いこと。ドラマーの方(笑顔がとても爽やか!)は見た目も筋肉質で叩き方も筋肉質だが、速い∧重たいの一辺倒では決してない。端々に挟むロールがめちゃくちゃかっこいい。もうほとんどドラマーばかり見ていた、といえば嘘になる。なぜならギタリストの方も魅せるからだ。二人いるギタリストのうち、1人の方は多分半分以上はステージにいなかったのではなかろうか。フロアに降りて縦横無尽に弾きまくっていた。面白いのだが、その間も演奏は全然ぶれない。ちなみにもうひとりのギタリストの方は常にポーカーフェイスでそれも面白かった。
Possessedというのは「取り憑かれた」という意味で確かに何かが憑依したかのような攻撃的なグラインドコアだったが、終始楽しい。これはすごい。ファニーという意味ではなくてあくまでもグラインドコアなのだが、なんとなく笑顔になってしまうのだ。客席もkillieとは全く違った趣で盛り上がっていた。ベーシストの方はお休みだったと思うのでフルメンバーでまた見たい。

SWARRRM
続いては兵庫県神戸市、結成22年を迎える本日の主役SWARRRM。
結成以来一貫して「Chaos&Grind」(必ず曲中にブラストビートを用いるという厳格で実際的なルールでもある)を掲げるバンド。昨今見られたメロディへの大胆な接近がついに最新作「こわれはじめる」で開花し絶賛と拒絶を巻き起こしたのは記憶に新しい。
明確なメロディラインを歌いながらそのまま絶叫に移行するという並外れた歌唱力によって完成された(バンドがずっとこのピースを探していた、とは個人的には思わないが)、歌謡グラインドがブラストビートにのって鋭く突き刺さってくる。どちらが先かは分からないが、ボーカルにあわせてギターも音を意図的に削り、低音からの偏向から脱却している。緩急、静と動のコントラストはよりくっきりし、ギターを始め表現力は明らかに豊かになっている。重さと速さと残虐性で攻撃性を増していくこのジャンルの中で、あえて速度を落として赤裸々になることで誰にも行けない場所に行くのがSWARRRMなのだ。一体誰がSWARRRMが「愛のうた」をうたうなんて思っただろう。
だいたい私は前作「FLOWER」収録の「幸あれ」からもう本当にこの路線が好きだったのだ。最新作が悪くないわけがない。音楽性は違うが同じ日本のRedsheerにちょっと似ている。どちらも私の心に直接刺さってくるような鋭さがある。この日色々なバンドが素晴らしい音楽を披露し、大いに私は感動したけど、涙が出そうになったのはSWARRRMだけだった。アンコールでやった2ndの「偽救世主共」の冒頭の曲も個人的には全然流れから浮いてなかったと思う。
MCは基本ほとんどしないバンドなのだけれどこの日は司さんが「あと3曲」(それでも短いけど)といったり、ブラストしすぎてスネアの革破ける事件があったりとちょっと和やかなところもあってよかった。

Wolfgang Japantour
続いては北海道は札幌のハードコアバンド。概ね関東圏が多いメンツの中で異彩を放っていた。今年リリースした新作で初めて聞いたけどかなり独特だったもので生で見たかった。3人編成でギタリスト方はAcuteのシャツにギターにはLife、SLANGなどの日本のハードコアのステッカーを貼っている。物理的に距離が離れているということは、たとえネットで接続されていても現実的な差分を生み出すと常々思っている。だから音楽の世界でも地方性というのが確立されていて、それを証明するようにオリジナリティのある音楽を鳴らしている。Disgunderと同じで曲は速い。ギターのリフが速くて非常にバリエーションがある。リフとソロがひとつなぎになったような感覚があって、とにかく流れるように弾きまくる。ただ音を意図的に軽くしてあるのでグラインドコアとは全然異なる趣になっている。やはりこれはいわゆるジャパコアからの影響が強いのだろう。メタリックで感情豊かなギターソロ、単純ではない(かといって複雑すぎるわけでもない)曲展開、そして曲をまとめ上げるある種のポップ性。そのポップさにフォーカスしたのがこのバンドで、ごった煮という印象のある曲をキュートなボーカルが歌うメロディが一つにまとめている。駆け抜けていく、という言葉がぴったりにあっという間に曲が終わってしまう。哀愁というよりは、(過ぎた)青春という印象でやはり胸が締め付けられる。良かった!

ENDON
トリを飾るのはトーキョー・ディオニソスことENDON。
見るのは結構久しぶりでいきなり見た目のことで恐縮なのだけど、ボーカリストの方は髪がのびると本当若く見える。ちょっとびっくり。しかしやはり歌う(叫ぶ)ときの迫力はもはや上記を逸している。
2曲め、最新作からMVも作成された「Your Ghost is Dead」。もはや完全にキラーチューンと化しフロアが湧く。インタビューでロックバンドに憧れているノイズバンドのようなことをおっしゃっていたと思う。ENDONの特徴として歌詞がないことがあげられると思っている。全編言語化できない叫びや呻きや嗚咽で構成されている。抽象的という意味では非常に「ノイズ」なのだけど、これをロックフォーマットで構築するとライブで客がその叫びに呼応して自分が叫んだり、拳を振り上げたりできる。なるほどロックだな、と強烈に思った。その後も目下最新作「Through The Mirror」からかなり再現性の高いライブをするわけで、ノイズを一つの楽器として扱っているのかなと。ENDONはわかられることを拒否しているような印象があったけど、じつは結構ヒントを投げかけてくれているのかもしれない。ラストでノイズがベース音を出していたのも結構個人的には面白い気付きだった。(つまりバンドサウンドをノイズで代用するという意味で。)ただあくまでも2人のマニピュレーターから発信される”ノイズ”は強烈でよくよく統制されているものの、やはり物理的に耳を侵してくる。現時点で自分たちの立ち位置をやはりノイズバンドとして捉えているのだろうか。(その判断を委ねられているのは聞き手の私達ですね。)

なかなかの長丁場だったがそれぞれに個性的なバンドが集って良いイベントだった。単にレーベルからリリースしているバンドを集めたというよりは、例えば激情というジャンルにおいて新進気鋭の明日の叙景に伝説的なkillieをぶつけたり、グラインドでも変化し続ける(というよりはグラインドの限界に挑むような)主役SWARRRMに対して正統派Disgunderをぶつけたり。それに普段なかなか見れない札幌のバンドを招聘してくれたりと。主催者の意図と思惑が感じられるラインナップでした。ありがとうございました。

実はこの日killieが先の編集盤「犯罪者が犯した罪の再審始まる」の特装版を物販に持ってきておりちゃっかり購入。まだ開けてないけど重さ的にコンクリートではないと思います。パッケージには写真集って書いてある。

2017年5月7日日曜日

SWARRRM・killie/耐え忍び、霞を喰らう

日本で活動するハードコア2バンドのスプリット音源。
2017年にLongLegsLongArms Recordsからリリースされる。私はリリース記念ライブで一足早くにゲットした。12インチ45回転、筆の後も荒々しい白黒のジャケットに透明緑の盤が入っている。音を提供しているのは神戸のSWARRRM、そして東京のkillieである。

誰か、もしくは誰かたちを知りたい場合、その人が何をしているかに注目するのと同じくらい、何をしていないかということも重要ではないかと思う。SWARRRMはSNSに関してあまり注力していなかったり、MCらしいMCがないライブだったりとあまりユーザーフレンドリーとはいえないバンドだと思う。killieに関してはさらにその度合いが強く、音源の枚数をライブ会場のみの販売にほぼ限定しているのは象徴的だと思う。音楽をやっているのに音源を広めたくないというのは矛盾しているようにも思える。ここで何をしているか、何をしていないかという視点で見るとkillieというバンドはどうもライブハウスで演奏するという場所と空間を非常に大切にしている。ひょっとしたらそこで行われることのみがkillieというバンドの音楽なのかもしれない。

SWARRRMは2曲「愛のうた」「あなたにだかれこわれはじめる」。タイトルのらしくなさにも驚くが、歌詞がすごい。「愛のうた」は誰かの日記を読んでいるかのような生々しいものだ。今までにSWARRRMにこんな詩あっただろうか。音源を全部網羅しているわけではないから断言できないが、少なくとも直近ではここまでストレートに心情を吐露している歌詞はないのではと思う。ここで綴られているのは後悔と未練である。先日のライブを見て思ったのだが、SWARRRMは渇望するバンドだ。感情とかをたくさん持っていてそれを見る人に与えるバンドではなく、自分が(持って)ない故に取りに行くバンドで、いわば虚無的な真空が中心にある。そして空気がそこに殺到するように(地球上で真空は非常に存在しにくいのだ!)周辺にいる人(つまり音楽を見て聴いている人)を惹きつける。この感想はこの音源を聞く前になんとなくライブを思ったのだけど、「愛のうた」を聴いてうおおとなってしまった。私の勝手な思い込みではあろうが、なんとなく個人的にはしっくりきたのだった。
音楽的にはやはり目下の最新アルバム「FLOWER」を踏襲する、あえてのヘヴィさからの脱却で、代わりに削ぎ落としたギターで圧倒的な感情を充填している。特にメロディが強調された「愛のうた」は音楽的にも衝撃である。私は「FLOWER」 収録の「幸あれ」がとにかく好きなので、もうすでに何回「愛のうた」をリピートしているかわからない。「あなたにだかれこわれはじめる」の後半「もう二度と 答えを見つける必要のない あの場所へ」からの感情の本流と音的なドラマティックなクライマックス感に感情が揺さぶられる。あえて見せるこの心の内は弱さなのか。それは人を感動させる。劇的な音に別の地平線を見ているバンドだと思う。

killieは1曲「お前は労力」を収録。11分を超える大曲。不穏な人の声のサンプリングからスタートするその暗さに驚くが、演奏は激しいがやはりギターの音はソリッドでそこまで重低音に偏向しているわけではない。生々しい音だと思う。まくし立てるボーカルは怒りに満ちいているが、時たま見せる地声には柔らかさが残る。あくまでもとある個人(達、バンドなので)の意思表明、つまり声であるということだろうか。コラージュ(もしくは連想の飛躍)のような手法でエンコードされているものの歌詞は直接的である。現状への不満、もっというなら社会に対する圧倒的な不信感でほぼ構成されている。個人的な感情の登場する隙はほぼないのだが、前述のように現状を詩に翻訳することで個人的なものにしていると思う。いわば広義の社会を自分の問題として捉える真面目さがあって、真面目すぎてどうかしてしまったというバンドは真っ先に日本のisolateが思い浮かぶが、あちらは個人的な問題(ヒビノコト)を抱えており、こちらはいわば日々そのものに対する違和感、不信感がありそれを咀嚼できない苛立ちと悩みが曲に表れている。どちらのバンドも最終的に自分というフィルターを介しているものの、killieの方が反体制という意味でパンクであるかもしれない。しかし次第に言葉少なくなっていく代わりにうねり出す後半の音楽的なかっこよさは半端ない。個人的にはConvergeの名作「Jane Doe」の「Jane Doe」に通じるところがあるのではと思っている。
どう考えても格好良いのだが、バンドのスタンス的にはあくまでも音源は名詞みたいなものかもしれない。立場が印刷されているが、実態(本人)を全部表現しきってはいない。名刺を見てきになるなら現場に来てくれ、そういった意味だろうか。ああでももっと音源も聞きたい。もっと別の曲も聴きたい!

歌詞が掲載されたインナーが面白くて白と黒でのみ構成されたジャケットに対して、二つ折りのインナーの中身は極彩色といっていいほどの豊かな色彩に溢れている。アンダーグラウンド音楽にありがちな灰色や死をイメージさせるモチーフとは明らかに一線を画す表現技法で、表面的には暗い音楽を演奏しつつも決して暗さのみ志向しているバンドではない、ということの証明だろうか。
「耐え忍び、霞を喰らう」というのがこのスプリットのタイトル。霞というのは霧やもやのこと。霞を食べるのは人間ではない、仙人だ。しかしこのタイトルは「俺たちは超越者だ」ということではないだろう。SWARRRMを聴いて、見て思うのは孤高のバンドだということだ。無愛想なやり方もそうだが、特に昨今の彼らの音楽を聴けばその特殊性がわかると思う。ハードコアの枠組みの中で誰もいない境地に辿り着いている、もしくはたどり着こうとしているように思える。奇をてらった飛び道具ではなくバンドが重ねてきた20年という年月の重みがそのサウンドの変遷を支えているのだろう。一方killieも伝説的なバンドなのだが完全にアンダーグラウンドというよりは徹底的な現場志向であえて聞き手を絞るやり方を続けてきた。いわば大衆に迎合しない姿勢で長いこと活動していたバンドの美学がタイトルの「耐え忍び、霞を喰らう」に表れているのだと思った。孤高の二つバンドのスプリット、つまり邂逅点としても事件であるし、圧倒的に手に入りにくいkillieの音を聞けるという意味でも価値があると思う。尖っている音が好きな人は今すぐ予約で大丈夫です。

2017年5月5日金曜日

犯罪者と同姓同名@新大久保Earthdom

犯罪者と同姓同名、嫌な企画名である。全然関係ないところから来る二次的な被害という感じだし、ともすると本当は本人だけど同姓同名だよ、と嘘ついているみたいに思える。サイコパス。怖い。企画したのは日本のハードコアバンドkillieである。killieはとても有名なバンドで名前を知っている人は多いと思う。私もそれこそ何年か前から気になっているがこのライブまで直接でも音源でも聞いたことがなかった。というのもこのバンドのリリースした音源は全て今や非常に希少なものとなっている。まず枚数が少ないし、ほとんどライブ会場でしか売らない。リリースのやり方も凝っていて非常に凝ったDIYなアートワークを施し、聞いた話だがコンクリートでラッッピングした音源もあるとか。聞くためにはコンクリートを破砕しないといけないのだ。(壊すと果たして音源は無事なのだろうか?)最近はライブの数も多くないみたいで、そう言った意味でも伝説的なバンドなのだ。そんな孤高のバンドがなんとSWARRRMとスプリット、「耐え忍び、霞を喰らう」をリリースして、おまけにリリースパーティもやるというのでこれを逃す手はないとばかりにのそのそアースダムに向かったのである。

Nepenthes
一番手はNepenthes。日本のドゥームメタルバンドで、元Church of Miseryの根岸さんがボーカルをつとめるバンド。このバンドも見るのは初めてだった。全員上背があり、ボーカルとギターの二人はタイトなシャツにベルボドムのパンツをぴっちり来ていてかっこいい。多くの方がNepenthesはロックだ!と賞賛の声をあげるのがこの日分かったと思う。非常にオールドスクールなタイプのビンテージ感溢れるドゥームロックを現代的な轟音でアップデートしているもの。1曲目は隙間の空いたいかにもドゥームなリフをほとんど同じリズムで程よい遅さで延々繰り出していくもの。程よい隙間があるので重たいものの閉塞感がなく気持ちが良い。ロック感溢れるギターソロも非常にきらびやかでここら辺がロックだと言われる由縁の一端か。一発めで持っていかれる。根岸さんはにこやかでユーモアもあるが、ちょっと鬼気迫る感じがしてなんなら怖い。ロックスター的な佇まいを持った人だと思う。2曲目は打って変わってバンドの持つロックンロールのサイドを全開にした曲。ここで気づくのだが、演奏が非常にかっちりしている。1曲めは特に隙間がある分アンサンブルがずれだしたら目も当てられないがそんなことは全然なく終始タイトだった。そして思った、ギターのリフがめちゃかっこいい。確かにロックだというのもわかるが、このリフへのこだわりは(ヘヴィー)メタルかもしれないぞ!とワクワクした。(メタルはリフが凝ったものだと思っている節があるので。)ただメタル特有のこだわりの強すぎる感じはあまりしないので、メタルの技術でロックの鷹揚さの話術で饒舌に語っているのかもしれない。一番手にはもってこいのバンドだと思った。

Wrench
続いてはWrench。前にマイナーリーグとのツーマンを見たから多分2回めだと思う。結成25年を迎えるバンドで調べたらなんとToday is the Dayとスプリットを出したこともあるみたい!中高生くらいの時から知っていてその時はモダンヘヴィネスなバンドかなと思っていたのだが(実際初めはミクスチャーっぽいハードコアだったとのこと)、この間見たらすごい印象の違う音を出していた。今日はじっくり見て見ようという気持ち。まずはメンバー4人どれも機材の量が多い。ギタリスト、ベーシストはどれ踏むのか覚えていられるのか?というくらいのエフェクター類。ドラムの人はThink Tankのメンバーとヒップホップユニットを組んでBlack Smokerからリリースしているくらい幅のある人でやはり通常のドラムセットに電子ドラム?を追加でどんと置いている。ボーカルはシンセサイザー、ボコーダー、(見えないので間違っているかも)サンプラーなどを目の前にセット。声を楽器のように使うという表現は珍しくないが、このバンドは本当にそのように声を使っている。空間的な処理をかけた短い発声をさらにエフェクトかけてダブのように反響させていく。この日聞いて思ったのはテクノ的だ!ということ。基本的にどの楽器陣もミニマルにフレーズを繰り返し、神の手がそれぞれを操作するようにON/OFFを切り替えていく。フレーズの重なりが曲を作り、層が増えたり、減ったりしていく。反復の美学と気持ちよさ。もちろんロックのフォーマットでやるから音の数と曲の展開はテクノ寄りあって面白い。非常にタイト。ドラムの手数が多く、シンプルだがずれないリズムを力強く叩いていくスティックの軌道がとにかく美しかった。

SWARRRM
続いては20年以上の歳月をChaos&Grindを掲げ独自の道を模索し続けるこの日もう一つの孤高のバンドでスプリット音源リリースパーティの主役の一人。
ほぼ最低限の4人、機材も少なくアンプも壁際に据えているため急にステージが広く見える。照明もつけっぱなしの飾りっ気のなさ。上半身を脱いだボーカリスト司さんの恐ろしさ。混沌とグラインド、この二つの要素を使うバンドのほとんどが重さと速さの泥沼にはまり込んでいく(もちろんこういった音楽も大好きです)。そんな麻薬的な、つまり強すぎる要素をこのバンドは全く異なるように使っている。目下の最新作Flowerや昨今の各種バンドとのスプリット音源(充実した活動ありがたい)では、叙情的なハードコアというある意味陳腐なフレーズを全く別のアプローチから実現している。その感情の豊かさ、そしてエクストリームな音楽に求められる”凶暴さ”がちっとも損なわれていない凄みを見せつけ、もう全く全く違う場所にバンドが脇目も振らず到達しつつあることを証明しているバンド。ただその音楽だけで20年の重みを見せつけるまさしく孤高のバンド。
重さで塗りつぶさない6本の弦の振動が分離して聞こえるような生々しいギターの音がコード感に溢れるフレーズを奏でる。ドラムはタイトで曲に必ずブラストビートを導入、という厳格なルールを黙々とこなしていく。ベースは本当に驚くのだが、音の数の多さ。それもトレモロ的な秩序立った連符ではなく、空間を時に伸びやかに使って縦横無尽。司さんのボーカルは恐ろしい。前のめりに客席に乗り出して絶叫し、曲によってはそれはただ絶叫にしか聞こえない。言葉がない。感情の塊を吐き出していく。手に巻いたマイクのコードの束が古の剣闘士のように見える。激烈な感情の中心にはでっかい空虚があるような気がする。それが強烈な感情を放射している。感情豊かに見えるのはたくさん持っているのではなく、それが無いから渇望し希求しているからでは、と思った。だから聞いていると感情が高まり、しかし体は透明になってくる気がする。轟音が軽くなった体を突き抜けて揺らしているように思える。この日SWARRRMはアンコールに応え、そういうのは初めて見た。「幸あれ」は本当に阿呆ほど聞いた曲だけど演奏してくれて泣きそうになった。(誇張ではない。)ちなみにフロアの盛り上がりも相当半端なく、アンコールではお祭り状態でした。

killie
いやもうSWARRRMだな、と思っているところにラストkillie。専任ボーカルにギターが二人、ベース、ドラムの5人編成。メンバーはそれぞれラフな格好をしていて自然体。ステージに強烈な光を放つ蛍光灯を5つ壁に沿って設置し、演奏中は他の照明は一切使わない。
意外にも(そういうことは一切しないバンドかと勝手に思っていた)MCから始まり、演奏スタート。出音で持っていくバンドは少ないが、このバンドはそう。ぐえええ、と思わず口走る。ところが何をやっているのかよくわからない。ギュウギュウのおしくらまんじゅうの中で思ったのは「暗い」。この圧倒的な暗さはなんだ。
おそらく曲はなるほど激情と呼ばれる音楽の範疇に入ることはわかる。曲の尺が長く、その中で複雑に展開が変わる(もしかしたら別の曲になっているのかもだが)。ボーカルの頻度はそんな演奏の中で高いわけではなく、高音を利かした絶叫を主体に、ポエトリーリーディングのような歌唱法も取り入れてる。ギターは低音に偏向するのではなく、生音をそれなりに活かしたソリッドな音でそこに空間的なエフェクトを追加している。ソリッドだが後を引くので、そう言った意味ではブラッケンド・ハードコア的な何をしているのかちょっとわかりにくい音像ではあるかもしれない。それでもメタル的なやりすぎ感はなくあくまでもハードコアのフォーマットでやっている。
そしてこのバンドの場合、そのフォーマットで全く明るさや美しさがない。日本の激情お家芸のポストロック的な美麗なアルペジオのアンサンブルや、アンビエントなパートもない。このバンドの静のパートはボーカルがボソボソ喋り続ける中に、楽器陣が思い出したように鉄の塊のような音の塊をゴンゴンぶっこんでくる時間のことだった。いわば(激情的な)華が全くない!その空隙を勢いで埋めてくる。勢いというと言葉は悪いが演奏は非常にソリッドかつタイト。片方のギタリストの人はどうかしている動きをしているのだが、めちゃくちゃミニマルにリフを繰り返して弾きまくっていて怖かった。だるいパートがないので常に何かに急かされているような異常な緊張感、ひりつくような焦燥感がある。呪いで突き動かされているような音楽。照明の照り返しのない真っ暗なフロアも異常な盛り上がりできっと呪いが感染したのだろう(もしくは自らの呪いを認識したのかもしれない)。
MCでは簡潔にしかし力強く自分たちのスタンスを述べた。この地下の密室に何かあると信じている人がいて、その言(これは主に大半が音楽という形でその場にいる人々に流布される)は全く信憑性のあるものだと思った。フラフラで「耐え忍び、霞を喰らう」を買う。killieに関しては特にもう一度以上はライブを見ないといけない気がしている。

この日特に思ったのは音楽はやはり抽象的でそれゆえ感情を表現することに長けている。そしてそれを言語化するのは難しい。この困難はこうやってブログに感想を書くということだけではなく、その場のフロアで突っ立っている時からそう思っていた。特に主役の二つのバンドは色々はみ出しているバンド(孤高と称されることもある)なので特にその傾向は強く、そしてそれゆえ非常に面白かった。4つのバンドで出している音は全部違って、どれも一筋縄ではいかない。とっても楽しかった。