2017年4月30日日曜日

The Bug VS Earth/Concrete Desert

イギリスのテクノプロデューサーとアメリカのギタードローンバンドのコラボレーションアルバム。
2017年にNinja Tuneから発売された。
Earthは1989年に結成され、中座もありつつも今尚活動するバンド。Sunn O)))などからもリスペクトされる決して一般の知名度がたいわけではないだろうが、与えた影響は大きいバンド。私は昨今のアルバムは聴いていないのだが、活動を停止する前のアルバムは何枚かレコードで持っている。
一方The BugはイギリスのKevin Martinのユニット。彼自身はいわゆる電子音楽の範疇に入る音楽を様々なユニットでプレイし続けているが、その活動範囲は広く、またアンダーグラウンドなメタル界隈にも触手を伸ばしており、Justin K BroardrickやAlec Empireなどのミュージシャンたちともバンドを組んだり共演していたりする。確かHydra HeadのAaron Tunerもプレイリストの中にThe Bugの楽曲をセレクトしていた。

そんな結構なベテランミュージシャンがタッグを組んだのが今作。
音楽性の編成はあれど一貫してギターを使っているEarth(というかその首魁であるDylan Carlson)といろいろな顔持ちつつも電子音楽をやってきたThe Bugということなるジャンルのミュージシャンががっぷり四つで組むわけだからその出来上がる音がどんなものになるかというのは気になるのが人情というもの。
最近のEarthは追えていないのでわからないが、このアルバムでのDylanはかつてのダウンチューニング著しいギターで分厚い低音を出す演奏方法はほぼ封印。その代わりに乾いたギターの音に空間的な効果を施し、ジャラーン、もしくはキャラーンと言った風情で引く。一つのアタックを効果的にひき伸ばしていく。弾き方自体は変わらないけれど、使っている音の種類というか、音の重量が圧倒的に軽くなっている。つまり空間と時間に対する音の密度と圧力減っている。緊張感というか張り詰めたテンション(文字通り弦による)は減じているどころか増しているが、窒息するような圧迫感は減っている。持ったりとした煙(実はスローモーションされているような)の奥に垣間見えるような、幽玄と言っても差し支えないような豊かで、しかし空虚な音が上物に使われている電子音楽というのがこの音源の方向性だろうか。The Bugが作る音は徹底的にロウだ。重量感があり、また低音が強調されている。リズムがないトラックと、持ったりとしたビートが刻まれるトラックが半々くらいだろうか。こちらもEarthと同様に余韻を強く意識したダブ的な音作りと曲作りになっているので、異なる個性が違った楽器を持ち同じ方向に向かっているという意味でそれぞれの音楽家が非常に尖った個性を活かしつつ、非常に統一感のある楽曲を作り出している。
明るいか暗いかと言われればもちろん暗い音楽だろうが、陰惨さを追求しているわけではない。(が、JK Fleshをゲストに迎えている曲も収録してくるあたりなかなか一筋縄ではいかない。)「コンクリートの砂漠」というタイトル通り、荒廃、つまり陰惨のその後を追求した音世界だ。尖った凶音というわけではなく、音は語弊があるかもしれないがオーカニックであって全体的に丸みを帯びた滑らかさを持っていて、例えるなら偶然世界の破滅を生き残って古いアメリカの車(決して大きくないやつ)で郊外のジャケットにあるような巨大なコンクリートの構造物の下を走っているような、茫漠とした夢の中のような聴き心地。個人的には優しく落ち込んでいく「Other Side of the World」が特に好き。

The Bug、Earthどちらの単語にも引っ掛かりを感じる人は是非どうぞ。また空虚な音楽フリークはマストでどうぞ。ninの一連のアンビエント作品が好きな人はハマると思います。

2017年4月27日木曜日

ロバート・ブロック/アーカム計画

アメリカの作家によるホラー小説。
「アーカム計画」というタイトルで好きな人はわかると思うけどクトゥルーもの。
ロバート・ブロックはアルフレッド・ヒッチコックの手で映画化された「サイコ」が一番有名だと思う。それ以外にも映像化された作品がいくつかあって、ハリウッドの近いところにいた作家なのかもしれない。「鬼警部アイアンサイド」にも別名義で関係していて(原作担当)、「俺の中の殺し屋」で有名なジム・トンプスン(オリジナルノベライズを担当した)もちょっと関わりがあるのが面白いすね。
クトゥルー神話の創始者であるハワード・フィリップス・ラブクラフトとは年が27歳も離れているにも関わらず愛弟子という感じで非常に彼に可愛がられたとか。(直接会うというよりも文通が主だったのだと思う。)ブロックが考えたアイテムを師匠がその神話体系の中に組み込んだりと、なかなかの仲良しっぷり。

親族の遺産で悠々自適の生活を送るキースは美術工芸品の収集が趣味。ある日骨董屋で見かけた絵画はグールが人間を食っているという不快なものだったが、なぜか心惹かれてこれを購入。すると偶然その絵を目にした友人が言う「この絵はピックマンのモデルでは?」。どうもラブクラフトという作家が書いた小説にこの絵に関するエピソードがあるようだ。俄然興味を持つ友人に対して、眉に唾をつけるような気持ちだったキースだが、骨董品屋を再訪すると主人が殺されていることがわかりキースの運命は急展開を迎える。

この作品、現代は「Strange Eons」(直訳すると「見知らぬ永遠」とでもなるのだろうか)で、書かれたのは1978年。師匠であるラブクラフトは既に鬼籍に入っている(ラブクラフトは1937年没)から、この作品はブロックの彼の敬愛する師匠とその作品たちに敬意を払った作品になっている。ピックマンの書いた絵画を皮切りに様々な要素が直接的にラブクラフトの作品から取られ、またそのことが作品内でも言及されている。オマージュでなく直接的にラブクラフトを取り入れ紹介している。奇矯なアングラ作家ラブクラフト、実は彼は真実を書いていた、という体である。
面白いのは一連の神話体系に登場する人外どもを中盤まで極力直接的に書かないことで、中盤までは一般的なホラー作品と言っても差し支えのない作りになっている。これはあえてクトゥルー神話の固有名詞を多用しないことで無用にハードルを上げずに、クトゥルーを知らない人でも入ってこれるようにしているように感じられた。さらにうがった見方をすれば未だに(1978年の時点で)カルト的な作家である師匠ラブクラフトの地位向上のためにこういう体裁をとっているような気がする。マニア御用達の作家じゃないんだぜ。もっと面白いんだぜ、そんな配慮がなんとなく感じられるかな。とはいえブロックも根っからのワイアード・テイルズ作家ということで物語は中盤以降どっぷりクトゥルーに使っていくので好きない人にも安心。あとがきで翻訳者の大瀧啓裕さんも触れているが、ブロックはどちらかというとクトゥルー原理主義者とでもいうべき姿勢、つまり師匠であるラブクラフトの世界観に影響を受け、ピュアな形でそれを受け継いでいる。同門のダーレスは曖昧模糊とした神話に方程式を持ち込んで体系化し良くも悪くも明確化したが、ブロックはもっと混沌としており、恐ろしく、救いがない。あくまでも旧支配者に対して人間は無力である。それから旧支配者たちが恐ろしいのはその巨大な肉体的な強さでは断じてない。醜い巨体はむしろかりそめのもに過ぎず、真に邪悪なのはその精神である。そこから滲み出した毒素が人間を狂わせ、その手足となる。そんな要素をラブクラフトは憑依や精神的な人間の乗っ取りという形でしばしば表現していたが、ブロックもその要素をこの小説の中で存分に発揮している。多様化した神話体系の中で優劣はもちろんないと思うが、私はやはりこのような無力な人間が邪悪になすがままに翻弄される、または怪異の周辺にいて異世界を垣間見る、という物語の形式が醍醐味だと思っているので、そう言った意味でもこの「アーカム計画」は抜群に面白いクトゥルーものとして読めた。

ラブクラフトの愛弟子、そしてブロック自身も師匠に対する敬愛の度の半端ない高さをひしひしと感じる物語であった。すでに絶版状態だが、ラブクラフトの描く物語こそがクトゥルーだ!という困ったクトゥルー・ファンダメンタリストの方々は是非どうぞ。

2017年4月26日水曜日

ジョー・R・ランズデール/ババ・ホ・テップ

アメリカの作家による短編小説。
ジョー・R・ランズデールといえば結構好きな作家だが、いかんせん現状では多くの本がわが国では絶版状態である。代表作は手に入りやすいという意味でも長編「ボトムズ」であろうか。アメリカ南部の闇を、手に取れそうなくらい濃厚に書いている重厚なミステリーだ。と言っても重苦しい作品を書く作家では決してなく、冴えない白人と肉体に恵まれたゲイの黒人が活躍するハップとレナードシリーズに代表されるようにどんな物語でも作家本人特有の(特にどぎつい)ユーモアセンスあふれるジョークを事欠くことがない。
そんな彼の日本オリジナルの短編集がこちら。比較的最近(2009年)発売されたもののすでに絶版状態。古本が苦手な私は読まずにいたが、最近はそんな気持ちより読みたい気持ちが勝りつつあるのでこの本も中古で購入した次第。
タイトルにもなっている「ババ・ホ・テップ」とは作中では「ゴミ捨て場の王」と訳されているがおそらく作者の造語ではないだろうか。「ババ」というのはスラングで「ホ・テップ」というのはエジプトの王に対する呼び名だと思う(が違っていたら申し訳ない)。ちなみにこちらの作品は「プレスリーVSミイラ男」という(邦)題で映画化されている。この映画タイトルが全てを表していると言っても過言ではない短篇である。

この短編集でもランズデール流のユーモアセンスに横溢している。時にそれはどぎつく、バカっぽい若者たちが女を買いに行ってヘマをする話などはひとまず落ちたところまではおバカな青春ものとして味わいがあるのに、そこから地獄のピタゴラスイッチのような展開である。笑えるものの結構ひどい。平凡で気の弱い男がひどい災難にあう「草刈機を持つ男」なんかは結構酷くて私は主人公の情けない男に同情してしまい途中から笑えなくなってしまった。あとがきではモダンホラーの帝王キングに比類する作家として書かれているけど、個人的にはちょっとタイプが違う。こちらの方がきつい。なるほど時には万人に受け入れられないということがあるのではと思う。つまり読後の感じがよろしくない場合がある。それはどぎついユーモアもそうなのだが、実は微妙にそれだけではこの作家の特性というか持ち味が十分に説明しきれないと思う。「ボトムズ」、それからハップとレナードの物語でもそうだったが、ランズデールはとにかく差別に対する筆致が容赦ない。ひたすら醜く書く。誇張というかデフォルメもあると思うが、その背後に潜むのは、私が思うに差別に対する作者の嫌悪である。平然と行われる”肌の色の違い”に対する罵詈雑言、そして暴力、それらを動かす思い上がった精神性。ランズデールの筆はそれらを逃さない。陰惨な暴力の爪痕の描写を見て、私のような愚かな人間は差別は良くないということにやっと気がつくのではないか。この本の中では異質の最後に据えられた母に対する愛情に満ちたエッセイ。この中で描かれる、ランズデールが尊敬し敬愛する母親は反差別的な人間である。
なるほど時に不愉快と言っていいほどの読書体験だが、ランズデールの彼物語はそれゆえ強烈な力を持っている。ランズデール自身は道場を開くほどの格闘技のスペシャリストである。力というものがなんなのかおそらくよーく知っているのであろうと思う。彼の各物語は強烈なパンチだが、それは私たちを傷つけようとするものではない。痛打であるが頭に効く。それがランズデールの作風だと改めて思った。
ねっとりとしたアメリカの暗部を垣間見たい人は是非どうぞ。

2017年4月16日日曜日

CRZKNY/MERIDIAN

日本は広島のジュークプロデューサーによる3rdアルバム。
2017年にGOODWEATHERからリリースされた。
3枚組の重厚なアルバムでジャケット(沖縄のアーティストの手によるものだそうな)に惹かれて視聴すると格好良かったので本当になんとなく買ってみた。
みんなジュークって知っているかな?クラブで超流行っている音楽なんだけど…。ちなみに私は全然わかんない。このアルバムの説明で知ったもんね。ちなみにクラブで流行っているというのは適当だからね。本当は知らないです。ジュークというのはシカゴハウス(ってそもそもわかんないんだけど)から生まれたジャンルで重低音を効かせたビートでBPMが同じ曲中に急にそして大きく変わる。ダンサーがそのビートに合わせて足技に比重を置いたダンスを披露するらしい。だからジューク/フットワークというセットで呼ばれることも多いとか。音楽的には既存の曲のサンプリングを大胆に行い、ビートの調整をプロデューサーが行うみたい。

3枚組なので1枚目から聴くのは当然である。ノイズにまみれた中人の声が何かを喋る(裸絵札の人に似ている声でちょっとびっくりした)1曲目から、ブツブツしたグリッチノイズが入る2曲目。3曲目。4曲目。あれれ?CDがおかしいか?と思うくらいグリッチノイズである。一応曲が進むと背後に不穏なベースライン、ドローンめいた不協和音などの他の音が追加されていくが基本的にはずっとノイズ。グリッチをリズムと捉えることもできなくはないが、これを楽しめるのは相当な上級者かもしれない。ノイズにしても音が少ないので。青い顔で2枚目を再生するとビートが登場するので一安心。なんせ帯には「踊るか、叩き割るか、燃やせ」という煽りが入っているくらいだ。しかしやはりわかりやすい音とは言えない。ビートは明確でわかりやすく、音の数が少ない分一撃が重くなるように重低音が強調されている。それがミニマルに続いていく。あまりBPMの大胆な調整に関しては意識しなくて良いと思う。そこに明らかに存在感のあるノイズが上物として乗っていく。クラブミュージックにしては陰鬱すぎると思う。つまり音楽としてはめちゃかっこいい。流行りのジャンルにしてもこの人はちょっと立ち位置特殊なのではなかろうか。この不穏さはどうだ。ヒット曲を大胆にサンプリングすることもあるらしいジャンルなのだが、CRZKNYの場合はそのようなことはなく単体だとノイズにしか聞こえない音をうまく切りはりしてクラブミュージックを作っている。
ちょっと調べるとこの人はもともとMerzbowの影響でノイズをやっていたこともあるらしい。数年は作ったというからおそらくというか絶対その時の経験が生きているのだろう。なるほどしっとりとしたクラブミュージックとして見事に成立しているのだろうと思う。ビートが明確でとにかくかっこいいからオタクでも思わず体が動き出してくる。しかしただおしゃれなわけでなく、むしろオシャレとしては絶対成立しないようなノイズを曲に大胆に取り組んでいるところがすごい。時には音数の少ないインダストリアルミュージックにすら聞こえる。音の数を少なくすることで聴きやすさと踊りやすさを獲得していると思う。反響を効かせた空間的な音づかいは音数が少ないところで異常な魅力を放つ。それは空洞の音である。正確には空洞で起こる何かの運動の私はこの手の音には目がない。
個人的にはやはり2枚目のかっこよさが非常に良い。情報量の多いメタル/ハードコアで疲れた脳の隙間にリズムが麻薬のように入り込んでいくようで非常に快である。

ノイズやインダストリアルに興味がある、耐性がある人は結構ロック界隈に多いと思うが、そんな人なら結構バッチリはまるのではなかろうか。クラブで流行というとうーむ、となってしまう人でもまずは視聴してみると良いかもしれない。おすすめです。

Integrity/Suicide Black Snake

アメリカ/ベルギーのハードコアバンドのおそらく10枚目のアルバム。
2013年にA389 Recordsからリリースされた。
1988年にアメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランドで結成されたバンドで、今はベルギーに活動の拠点を移しているらしい。メンバーチェンジは激しいようだが、ボーカリストのDwid Hellionだけは不動。いわゆる生けるレジェンド的なバンドなのだろう。私もバンド名だけ知っていたものの聞かずにいたが、来日が決まったということで慌ててデジタル版を購入した。

およそ30年近く切れ目なく活動しているバンドということでその音楽性も変化しているのではないだろうか。このアルバムで初めて聴くからわからないが、思っていたハードコアとはだいぶ違ったスタイルの音楽をやっていて驚いた。
色々なスタイルはあれど基本スタイルというよりいわゆるプリミティブなものとしては、早い、重たい、そして無駄があまりないというところがあると思うけど、このアルバムに関してはそのスタイルの範疇には止まらない。メタルっぽいなというのが1周した時の印象。メタルというのはメタルコア(メタリックなハードコアという意味での)というのもそうだが、クラシカルなギターソロが結構多め。ロックンロールの影響を感じさせる短くてやたらと高音の聞いたやけっぱちなソロを決めてくるバンドは多いけど(同じレーベルのPulling TeethとかDeathwishのRise and Fallとか思い浮かんだ)、このバンドのそれはもっとハードロック〜メタルっぽい音がクリアで綺麗、そしてそれなりに尺(といっても長いということはないんだけど)をとっていることが面白い。じゃあメタルかと言われると全然そんなことはなく、曲によってはスラッシーに刻みまくってくるハードコアを演奏している。ただこれもオールドスクールのリバイバルというよりは、それを30年間やってたら変化するのが自然な流れだよね、という圧倒的な経験と進化を感じさせる独自なもの。ミクスチャーというとあまりよろしくない言葉かもしれないが、こういうった具合にハードコア(を基調としながら)とメタルを混合させるバンドというのはちょっと珍しいのでは。Dwid(読み方はデヴィッドなのかな)のボーカルは唸りあげるようなストロングスタイルで完全にハードコア。ボーカルには一切メロディを持ち込まないいさぎの良さ。単にメロディアスさを追求したいわけではない。ただ表現の仕方としてハードコアの外に可能性を求めたのだろうか。

全力で特攻するような前半と早弾きソロの後半が一つの完成系ではと思わせる「+Orrchida」、アコギとボソボソウィスパーからやはりギターソロで感情豊かさを表現する(後半はボーカルの登場頻度がさらに落ちる)「There's Ain't No Living In Life」なんかはこのバンドではなくてはできない曲だなと思って面白い。リユニオンでかつての曲をやるバンドと違って、最前線でずっと活動していたのがこのサウンドに現れているのだと思う。
来日するのは今年の10月初旬。こうなると俄然初期の曲もきになるところ。

THIS GIFT IS A CURSE ×SeeK Split CD Release Japan Tour 2017 孔鴉@新大久保アースダム

スウェーデンのストックホルムにTHIS GIFT IS A CURSEというバンドがいる。2015年にリリースされた2ndアルバム「All Hail the Swinelord」を聞いた初めての印象は”うるさい”。そんな彼らが来日するらしい。日本は大阪のSeeKというバンドとスプリット音源をリリースするらしいのだ。そんな日本ツアーの1日目に言ってきた。孔鴉は大阪のSeeKとStubborn Fatherの企画である。この日のメンツは日本の特定の種類のハードコアバンドを一堂に集めたイヴェントということもあって個人的にはとても楽しみだった。なんせ8バンドが出演するのだから。孔には穴という他に隠れ家という意味があるらしい、孔鴉とは鴉穴、鴉の隠れ家と言った意味だろうか。この日はさながら鴉のテリトリーで鴉の大集会が行われたわけである。なんとも不吉じゃないか。
場所は新大久保アースダム。このライブハウスには独特の匂いがするが、この日さらにここに新しい匂いが追加されることになる。

Stubborn Father
一発目は企画主のバンドの片方。大阪のStubborn Father。自前のライトを持ち込みそれのみ使うなど音だけでなく見せ方にもこだわりがある。見るのは2回目だと思う。基本的には日本の激情といったスタイルでアルペジオに代表される感情豊かなパートと低音を効かせた轟音パートを織り交ぜたハードコアを演奏する。展開がすげーなと思って観ていたが、わかりやすいのがドラムで1曲の中でのアイディアというか叩き方のバリエーションがものすごく豊富。変拍子なのかどうかわからないのか、ドラムの叩き方のセット(リフみたいな)がコロコロ変わる。多分2つか3つでもあれば十分なんだろうが、惜しみなくアイディアをぶち込んでくる。ギターとベースもそれに合わせて表情を変えてくる。そうすると曲もいよいよ双極性的な不安定さを帯びてくる。逆光気味のライトの中ぴったりとした衣装で長い手足を動かす専任ボーカルの動きは不吉でかっこいい。イヴェントの挨拶がわりにはもってこいの演奏だった。

REDSHEER
続いては東京のREDSHEER。やはり激情らしい音を鳴らすが、Stubbornに比べれば音の方は非常にソリッドにきっちりまとめている。鈍器というよりは研ぎ澄まされた刃なのだろうが、経験豊かなメンバーによって作り出される音は初期衝動を超越したどっしりした迫力のあるもの。いぶし銀といえばそうなのだが、こちらのバンドはまともになるどころか思春期でずれ出したマインドがそのままずれまくってとんでもないところまできてしまった感じがある。あえていうなら雑味がある音で曲の中に色々な葛藤や感情が溶け込んでいる。渦巻く感情を一度るつぼに放り込んでドロドロに溶かし、異常な集中力で一つの形に再整形したかのような趣があって、ところどころに生々しい感情の由来を感じ取ることができる。MCは肩の力が抜けたリラックスしたものだが、演奏の方は凄まじい。ベースボーカルの小野里さんの荒い息もそうだが、raoさんのドラムがすごいなと思った。一発入魂みたいなテンションを曲の間ずっと保っている。涼しい顔で叩くベテランとは明らかに一線を画す。ぶっ倒れるんじゃないか、っていう雰囲気である。ドラムの手数の多さ、そして曲に込められた陰鬱な感情という意味ではやっぱりToday is the Dayに通じるところがあるなと思った。かっこいい。今度ツーマンをやるとのこと。

kallaqri
続いては青森のバンドkallaqri。メンバーはみんな若く見える。ベースが二人いるのが特徴で片方の方はいわゆる普通のベースらしい仕事をするのだが、もう片方は結構変態的なことをやっていた。タッピングを始めギターのような奏法をしたり、ベースとは思えないような音を出したりと。結構テクニカルなわけなんだけど音の方はというとやはり日本の激情方面を彷彿とさせる。モダンなテクニックでアップデートしているものの出している音は完全に激情スタイルで温故知新という感じ。きらびやかなギターとベースの轟音の間に日本歌詞を叫ぶボーカルは日本の絵もバイオレンスの延長線上に乗ったもので、VA「Till Your Death」収録の曲を最後に演奏したのだが、スポークンワード、アルペジオが導く静のパートが印象的で、このジャンルのこれからを担うバンドなのではと思った。

Trikorona
続いては日本のハードコアバンドTrikorona。最近出したBroilerとのスプリットが話題になっていたりするバンドだけど音を聞くのも、見るのもこの日が初めて。ドラム、ベース、ギター、ボーカルの4人組なんだけど弦楽の二人はエフェクターの数が多め。(この日のバンドはみんなエフェクター多めだったが。)さらにテルミンもセットしているから一体どんな音を出すのかワクワクしていたが、いざ音が出て見るとびっくりした。まず激情じゃないな。短くめまぐるしい。個人的には音の迫力もあってグラインドコアっぽいと思った。調べて見るとパワーバイオレンスもしくはエモバイオレンスということらしいのだが、なるほど、頷ける部分とその範疇に入らない部分があると思う。めまぐるしい演奏にボーカルが何個かの音節を吐き出すように叫ぶ姿はパワーバイオレンスっぽいがスラッジパートがない。(スラッジパートがないパワーバイオレンスもあるのでこれだけでパワーバイオレンスっぽくないとは言えないが)代わりにノイズ成分を多めに曲に打ち込んでいる。ギターの人がノイズ担当なのだが、ギターのエフェクト過剰とノイズが同一曲線状に繋がっていていつの間にかノイジーなギターがハーシュノイズに溶解している。テルミンもバンドの持つ変態性をゆんゆん増している。そしてボーカルが常軌を逸していて、見た目はちょっとゆるい感じのお兄さんなのだが、全身を使って叫ぶ。それも無表情で。大抵こういうバンドでは叫ぶということもあって表情が豊かになるもんだが(笑顔の人も結構多い)、この人は常に無表情。睨むのではないが目が座っていて、そして無表情。笑っている人が怖いとはよく聞くけど、無表情でシャウトする人の方がこええかも!と思った。

weepray
続いては東京のハードコアweepray。見るのは2回目かな。6ヶ月ぶりのライブということでした。このバンドも自前の光源を持ち込んでいるのが、Stubbornと違ってこちらは白熱灯で温かみがある。基本的にはアルペジオを多用する激情系の音だよね〜と思っていたのだが、あれれ前見たときと印象が結構違う。もっと速度が遅くなっている。ダークでグルーミー。そしてアルペジオの響きももっと陰鬱になっている。前見た時より演奏がかっちりしていると思った。低音でドン!とぶちかますようなモダンなハードコア色も取り入れて暴力性も増している。フロアの方も相当盛り上がっていた。結果モダンハードコアに魂を売り渡したのか、とはならずによくよく聴いて見ると激情を自分たちなりの新解釈でやっているのだった。だからかなり感情的で(といっても明確に暗い方に舵をきっている)退廃的な陰鬱さは遅さにあっているし、見た目にも気を使うし化粧していることもあって昔のヴィジュアル系のような耽美さの匂いをかすかに感じ取れた。かっこいいぜ、これは。遅くてかっこいのが好きなのでもっと見たいし、いよいよ作るという音源にも期待が高まる。

isolate
続いては東京のハードコアバンドisolate。ブラッケンドなハードコアをやっている。歌詞は日本語でやはり激情スタイルの影響が色濃いのだが結果的にだいぶ先鋭的なことをやっている。音だけ聞くと絶望感しかないような、ブラッケンドなトレモロリフで全てを塗りつぶしたような救いのないような音なのだが、その轟音で張り上げるボーカルが良い。ある意味演奏と喧嘩しているようにぶつかっているんだけど、そこに葛藤があってこのバンドの持ち味になっていると思う。ボーカルの安藤さんはMCではまっすぐだが、歌っている姿は結構おっかない。アルバム名が「ヒビノコト」となっているようにこのバンドはいろんな感情をあえて削ぎ落とさずに全部ぶち込んでいる。REDSHEERもそうだが、私はそういったバンドが大好きなんでこの日も鳴り響く轟音の中でそんな彼らを見上げていた。私のだけでない、突き上げられる拳が爽快だった。weeprayとのツーマンが企画されているとのこと。

Seek
続いては企画の主催のもう一方。大阪のSeeK。見るのも聞くのも初めてでした。このバンドもベースが二人いる変わった編成。最近やっとこギターが加入する前は長いことベース二人で活動していたようだ。そういうこともあって同じくダブルベースのkallaqriとはベースの使い方が結構異なる。こちらも一方のベースがいわゆる単音引きの普通のベースの役割をするのは同じ。ただフレットレスベースを使い、裏方を支えるという以上に表情豊かに動いていた。もう一方のベーシストは(おそらく)6弦のベースを用いていて、それをギターのようにコードで引くというスタイル。それもほぼほぼ引き倒すようなトレモロスタイル。考えれば弦の太さが違うだけなんで基本的にはギターの働きもできるんだな、と思うようにした、私は。ギターの人はえらく強面だが、かなり空間的な音を出していて攻撃性はもちろんだが、もっと奥行きのある音を組み立てるのに一役買っていた印象。(ちなみにこの方TGICのギターの音を直してあげたり、物販ではすごく丁寧だったりととても良い人でした。)音的には余計なものを削ぎ落としている印象でひたすらソリッド。展開や技巧(相当難しいことをやっているのだと思うのですが)という激情の要素はあまり感じられず、ひたすらトレモロで突き進むスタイル。ただ低音が強調された音の壁で持って圧殺するので美麗や耽美さはなく結構荒廃している音風景で、そこに美意識を見出すタイプ。息のあった低速パートがライブで見ていると気持ちが良い。

THIS GIFT IS A CURSE
続いては本日の主役ストックホルムからの刺客。4人組だったのがギターが一人加入したようだ。ドラムの人が丸刈りの坊主頭で、後のメンバーはクラスティーナ長髪。またドラム以外のメンバーはメンバーのロゴが入ったお揃いの上着を着ている。客電が落ちるとフィードバックノイズの中でボーカルがステージに座り込んで何かやっている。どうも何かの液体を体になすりつけているみたい。なんとも言えない匂い(正露丸みたいな、と言われていた。)がアースダムに充満、それとともにみんな「あ、これやばいやつ」と思ったのではなかろうか。これから儀式が始まるんだなと。
音の方はというと激烈でギターがずっと引き倒している。そういった意味ではブラックメタルなのだろうが、とにかく音の方は重く、またトレモロリフのメロディ性が強調されないのでそういった意味ではハードコアだ。結果的にはうるせー音楽になる。CDでも五月蝿かったが、生で聴くと輪にかけてうるさい。(私は耳栓してなかったので尚更)物理的に耳が痛い最高だ。壁のような音を作り出す様式はそれこそSeeKやisolateに通じるところもあるが、こっちの方が辛い。なぜかというと前述の二つのバンド、それから日本のバンドはどうしても別の要素を取り込んで楽曲を構成するが(その別の要素が激情を激情たらしめる音的な特徴なのだろうか)、このバンドは基本的にそういったものをほぼ入れない。一つのスタイルで持って最初っから最後まで突き通すようなピュアさがある。ジャンルは違うがkhanateめいたトーチャー感。臆面のない異常さ。禍々しさ。葛藤云々ももちろんあるのだろうが、振り切った、あるいはそれらを振り捨てた攻撃性が魅力。ボーカルも終始叫びっぱなしで逃げ場がない。音的には低速パートなんかを入れてそこらへんはCult Leaderにも通じるクラスト臭があり、一種の清涼剤的な?非常に良かった。あとはドラムが明快で割とそこにも爽快感がある。あとは暗黒。瘴気(もはや物理的な臭気)に当てられてふらふらになりながらなんとか物販でT-シャツを買う。お釣りの100円玉がないぞ、とあたふたするギター氏が唯一の癒しポイントでした。

ということでMCでもあったがこの手のバンドが一堂に会したという意味で非常に濃厚なイヴェントでした。ある意味この間ENDONが「エヴァンゲリオンごっこ」と煽ったDisに対する回答がこの日だったのではなかろうか。ごっこのつけ入る隙なんてなかったですね。この日がツアー初日で都内もまだライブがありますんで迷っている人は是非どうぞ。
しかし8バンドは流石に書くのが大変!!!!!

2017年4月13日木曜日

East West Fast Blast Festival#14@新代田Fever

NFESTが来日するらしい。INFESTはアメリカ合衆国カリフォルニア州ヴァレンシアのハードコアバンドだ。1986年に結成され、いくつかの音源をリリースしたのち1991年に解散。パワーバイオレンスというジャンルに多大な影響を与えたバンドらしく、にわか丸出しの私だってその名前を知っているくらい。奇跡の再結成、そこからの奇跡の来日!ということだったのだが、正直「感涙!」とか言ったら嘘になってしまう。最近興味があるジャンルなので、というくらいの気持ちで行くことにした。(割と早いうちにチケットはソールドアウトになり、何だか申し訳ない気持ちもありました。)
ところがこのバンド、音源のほとんどが入手困難。disk union行った時に探してたりしたんだけどそもそも売ってない。youtubeですわーっと聞いただけの状態でライブに臨んだ。
East West Fast Blast FestivalはSLIGHT SLAPPERSの企画。新代田Feverは綺麗なライブハウスなのでパワーバイオレンス!というのはちょっと面白い。ライブハウス前が人だかりだし、入場は整理券順というあまりこんな音楽界隈ではちょっとないような光景でそれまた面白かった。最初っから客の入りは上々(前述の通りこの日はソールドアウト)。

SLIGHT SLAPPERS
一番手は1994年から活動している東京のパワーバイオレンスバンド。私は「Tomorrow Will The Sun Shine Again?」から入って何枚か最近の音源を持っている。
メロディックハードコア調の爽やかな曲の入りから一気に加速、というか爆発したように突っ走る様はパワーバイオレンス。低速パートを取り入れるパワーバイオレンスバンドが多い中、このバンドはほとんど高速で突っ切るファストコアスタイル。スラッシーというわけでもなく、曲の中に印象的なフレーズや、低速というよりは一時停止めいたストップをかけてくる変態性があり、曲の表情は超高速が勿体無く感じられるくらい豊かである。ボーカルのKUBOTAさんは眼鏡をしていて、動きが痙攣的に妙だ。カクカク動いたり、ビールをやたら吹き出したり(あごひげに泡がついてチャーミングでした)、感謝の気持ちを喋ろうとしたらカミカミになったりしていた。眼鏡が危ないぞ、と思っていたら満を辞してという形で中盤にはズレ出して最終的にはどこかに飛んで行ってしまった。(投げたのかも。)”バイオレンス”であっても笑顔が絶えないステージングで「うお〜」と思って見ていた(あとでこれに関しては気づきもあり)。音的にはうるさいはずなのだが、音の厚みのバランスが良くてそう言った意味で非常に聞きやすかったのだ、と気づいたのはだいぶあと。楽しかった。すでにご満悦。

Crucial Section
続いて同じく東京は三多摩のハードコアバンドCrucial Section。短髪、ハーパン、頭にはバンダナ、という出で立ちで何となく音が想像できる。厳ついやつである。スラッシーなハードコアでスケートスタイルというやつであろうか。何となく最近聞いたAgnostic Frontに似ているな(ハードコアの語彙(知識)が少ないせいもあると思うが)と思った。ただしオールドスクールなハードコアのがなりたてるパートをもっと早く、そしてリフをスラッシュで武装している。やはり見た目通りのいかつさ。そして男らしいシンガロング(というほどの長さはないのだが)が入る。ここら辺が絶妙でビートダウンほど速度が落ちるわけではないが、初めて見る人でも一緒に拳を振り上げることができる。前の方では完全に歌詞を歌う人もいて盛り上がっていた。
「危機感がある。」というMCは音楽からすると思ったより柔和であったが、しかし聞いているとなぜか背筋を伸ばしてしまうようなストイックさがあった。前のSLIGHT SLAPPERSと雰囲気が全く異なり、同じ盛り上がりでも空気というのはバンドがガラリと変えてしまえる。イベントの醍醐味ではないだろうか。

VIVISICK
続いてやはり日本は東京のVIVISICK。世界規模で活動するバンドで私は目下の最新アルバム「Nuked Identity」だけ持っている。
前の二つのバンドとは違う。もっと速度は遅いというか、遅くはないし早いのだけどもっとドタバタしている。コミカルというのではなくて、特に速さを追求して行くと削ぎ落として行くことが一つの美学になることも多いのだと思うのだけれど、このバンドはそこらへん全部落とさずそれで走っているような感じ。だから高い声で絶叫するボーカルから一転、サビとも取れるような長くてメロディアスなシンガロングが入ったりする。そしてこれが猛烈に楽しい。殺伐としたモッシュというのも良いのだろうけど、このバンドが演奏しているときは大抵フロアにいる人が笑顔でモッシュしていたのではなかろうか。ポップであることはともすると嫌われる土壌があるアンダーグラウンドのシーンでここまで温かく受け入れられるのは、一つは曲のクオリティが高いこと、そしてさらに感情的なことではあるまいか。「こいつ嘘くさいぞ」と思われたらしらける現場であそこまで盛り上がるのはそういうことなのではと思った。また見たい。

INFEST
続いてはアメリカからパワーバイオレンスINFEST。概ねフロアはパンパンだったがさすがに密度がすごい。メンバーがステージに現れるとガタイの良さにビビる。みんなでかい。なんせ86年に結成したのだから年は立つわけで、ドラムのメンバーはスタッフに手伝ってもらいながらセッティングする様を見て失礼千万にもお父さんがドラムを趣味で始めたみたいだなあと思ったりしてしまった。(ちなみにドラムも超すごかった。正確。)ボーカルのJoe Denunzioは何だかやばそうな雰囲気たっぷりだったが。
そんなJoeがバーカウンターでメンバーのお酒を購入してライブがスタート。パワーバイオレンスに爆発力があるなら、このバンドが音を出した瞬間にそれが100%の力でもって惹起した。フロアの盛り上がりがハンパない。モッシュするもの、拳を振り上げるもの。とっくに廃盤の音源なのにみんな聞き込んでいるのだろう。私はほぼ初めてINFESTの音を聞いたようなものだが、強烈なストップアンドゴーの形を成しながらも、ただ早いだけでなく曲は練られていて高速でばちばち唸るベース、そしてギターリフの表情豊かさ。twitterでINFESTはハードコアだ、という方が結構いらしたが、なるほど確かにハードコアの感情の豊かさがある。おそらくだがパワーバイオレンス黎明期、まだ形を成す前のそれは純粋にハードコアの延長線上にあって、それがが激化した一つの表現方式の原型だったのではないだろうか。中盤Joeはほぼフロアに降り、客ともみくちゃになり、客にマイクを持たせ、客の胸ぐらを掴み(おっかないのだけど剣呑な雰囲気ではない)、客の上をサーフし、客と抱き合い、とまさに縦横無尽に動き回っていた。彼の動きでフロアのそれが支配されていたと言っても過言ではないかも。ただ支配といってもフロアの雰囲気は常にポジティブだった。曲の凄まじさに圧倒された序盤と、そして私も汗まみれになった中盤以降は会場の雰囲気にと感動していた。あっという間にINFESTのライブは終わってしまった。

ハードコア、特に音楽的にはその極北というくらい激しいパワーバイオレンス、そのライブは何となくひたすら恐ろしいのではと思っていたが、この日”伝説”という形容詞がついてもおかしくないバンドのライブを見ると、その印象が違って、というか逆にみんなが楽しそうにしているのを見てとても衝撃的で、そして自分も楽しかった。思い返して見ると音はでかかったけど、別に耳も変にならなかった、そういえば。不思議。日本に来てもらうのはきっと大変だっただろうと思います。企画・主催の皆様ありがとうございました。

ジェイムズ・エルロイ/自殺の丘

アメリカの作家による警察小説。
アメリカ文学界の狂犬ことジェイムズ・エルロイによる刑事ロイド・ホプキンズシリーズ第三弾にして最終作。だいぶ前に読んだ一冊め「血まみれの月」、そしてこの間読んだ2冊目「ホプキンズの夜」ときたらやはり最後まで行かないといけない。すでに絶版状態の本のため古本で購入。1990年の初版本で前の2冊は重版後だったので表紙のデザインが異なる。上の画像は新しい方で私が持っている本とは異なる。(古い方の画像がなかった)

車泥棒のライスは密告を受けて刑務所に収監されていた。模範囚となり、出所を目前にした彼は偶然強盗の手口を耳にする。それは不倫をしている銀行の支店長の愛人を人質にとり、金を奪うというものだった。ライスは売春婦の彼女をロックスターにする夢がある。そのためには金が必要だ。まともになる気なんて毛頭ない。彼は出所後その計画を実行することにした。LAPDの部長刑事ロイド・ホプキンズはハヴィランドの事件の後始末でヘマをやらかし停職中だったが、ライスの起こした強盗事件の捜査のためFBIとの共同戦線に引っ張り出される。上層部は彼を警察から追い出すことにし、それまでの間に事件をあてがわれたのだった。窮地に陥ったホプキンズはこれが自分の最後の事件と腹をくくり捜査に乗り出す。

ざっとしたあらすじだけでも前の2冊とは明らかに一線を画すことがわかる。今度の事件にはサイコパス、もしくは殺人に執着する精神異常者は出てこない。ライスは彼女をロックスターに仕立てたいのだ。そのために金が必要で、手っ取り早く強盗稼業で稼ごうとする、一応一般人にも理解できるロジックで動く男。ただしやはり情緒面に問題を抱えて降り、怒りがある地点を超えると理性を失ってしまう。(視界に赤い色が滲んでくる、という描写で表現される。)彼と相対する主人公ホプキンズもトラウマから(もしかしたら生まれ持っての)同じく精神構造に問題を持ち、それが行動となって現れることで生きにくさを抱えている。両者ともにロマンティックな面が強調されていて、ホプキンズは別居中の妻と子供(末っ子だけは彼の味方)と気持ちが通じ合わない。ライスも自分の思いは強いのに、彼女には全然届いていない。ロマンティックというよりは自分の生きがいを恋人に求めているような一方通行感が目立つ。それだけ彼らの孤独な魂が浮き彫りになる寸法で、ロマンチシズムを感じさせるのは何も恋愛感情だけでなく、そう言ったある種の男の美学的な表現にも当てはまる。あとがきにも書いてあるようにエルロイの描く男たちというのはみんな屈強な体に凶暴な意思を持ち、その手には銃が握られている。時には簡単に一線を越える”強い”存在であると同時に心の奥には強い恐怖を感じている。それは孤独や、生きがいの喪失(今回ホプキンズは生きがいである警察官という職を失うことを極度に恐れている)、またはホモフォビアだったりする。硬い殻とナイーブな魂を持った彼らはトラウマという単語に収まらないほど病的で危険な存在である。異常な執着心すらも飾りのように死に向かって飛び込んでいくような姿は狂気を通り越して、非常に虚無的に見える。熱い情熱があるのに、その中身は空っぽなのだ。魂に欠落があるから外見を武装しているようにも見える。その間違った情熱こそがエルロイの魅力なんだと思う。文体が流麗なわけでもないし、むしろたまにわかりにくい。余計な物がついている。情報量が多い。(登場人物の行動に)無駄が多い。しかしそれらが良い。その混沌とした行き当たりばったりな矛盾。執着とどうでも良いという諦めが同時に存在して、ぶつかり合って火花を立てている。冷たい炎に焼かれるように破滅していく。そんな姿はやはりロマンティックで、私としては羨望の眼差しで彼らを見てしまう。
彼らの魂に祝福を、と思わせるラストも驚いたが良かった。面白かった。

すっと読める本じゃない、濃い本が読みたいならエルロイの描く物語は最適だと思う。近作よりはどうかしている度合いは低くてわかりやすいので初めて読む人もいいと思う。まずは「血まみれの月」を読むのがもちろん良い。冒頭で大体合うか合わないかわかると思う。

2017年4月9日日曜日

Gatecreeper/Sonoran Depravation

アメリカ合衆国はアリゾナ州フェニックス/ツーソンのデスメタルバンドの1stアルバム。
2016年にRelapse Recordsからリリースされた。
Gatecreeperは2013年に結成されたバンドで、2014年のEPを皮切りに行くつかのスプリット音源をリリース。待望のという形でのデビュー作がこちら。
アルバム名は日本語に訳すと「ソノラの堕落」という感じ。ソノラというのはアリゾナ州に隣接する州の名前なので要するに地元をレペゼンしたタイトルということなのだろうと思う。
Relapseからのお知らせなどでアルバムリリース時にMVを見たが「フーム」という感じで買わなかった。ところが最近youtubeでライブ映像を見たらえらいカッコよかったので慌てて音源を購入した次第。

オールドスクール・デスメタルでいわゆるスウェディッシュな一派に影響を受けた感じの音で、潰れたようにぐしゃっとしたギターの音が特徴的。重苦しい圧殺系のねっとりとしたアトモスフィアはいかにもメタル的だが、よくよく聞いてみると結構面白い音を演奏しているなと思う。
全部で9曲で31分たらずで終わるからこの手のメタルにしてはあっさりめ。1曲もだいたい平均すると3分台。ボーカルは専任ということもあると思うのだけど、冗長なパートに時間を一切使わないスタイル。テクニカルではあれど技巧自慢はほとんどなく、ギターソロも非常に短め。ただしたまに必殺の不穏なメロディアスなフレーズが飛び出してくるから侮りがたし。初めっから最後までクライマックス系の音で、グルーヴィさよりも神経症的に隙間を埋めてくる情報量の多さはメタリックなリフにその基本的な姿勢が見て取れる。演奏もかっちりしているのでお手本のようなデスメタルかと思ったんだけど、どうももっとこう遊びというか荒々しいところがある。個人的には結構ハードコア的だなと思った。というのも曲の核となるドラムの叩き方がタシタシそれっぽいのと、主に中速〜低速あたりのテンポチェンジが結構多いこと。曲の短さ(シンプルではないのだけれど)もあって、暴力性という共通項でハードコアと結びついている気がする。シンプルなリフでモッシーに踊れる音楽性では全くないのだが。
どの曲も高速というほどの速さはないわけで、リフのきらびやかさが目立つ。ためのアルミュートリフと蠢くようなギュラギュラしたリフの対比が楽しい。徹頭徹尾メロディアスさが皆無なので一見とっつきにくいけど、よくよく聞いてみると魅力に溢れている。(ちなみに別に音楽的な知識がなくても大丈夫なのでご安心ください。)

かっちりしているし、アイディアも豊富なんだけどそれに溺れずにシンプルかつ削ぎ落とした曲作りをしているから結果魅力満載でかっこいいんだと思う。

2017年4月2日日曜日

Granule/AURORA

日本は東京のドゥーム/スラッジメタルバンドの1stアルバム。
2017年にBandcampでフリーダウンロード形式(NYPではなくフリー)でリリースされた。
2016年に解散したバンドBOMBORIのメンバーによって結成されたバンド。
Granuleというのは「顆粒」という意味らしい。聴いたことはないがBOMBORIの音源に同名の曲がある。

BOMBORI最終作となった3rd「we are cured, fuck you」の延長線上にある「今これをやるのかよ?」というくらいのオールドスクール・スラッジを展開している。ただ同じバンドではないわけで音の方にも結構変化が見られる。
ベースはGriefの系譜にあるようなひたすら低音に特化した、聴いているのが苦しいと言った趣のトーチャー・スラッジ。遅い。重たい。不穏なサンプリング。フィードバックノイズにまみれた一音をこれでもかというくらいに伸ばす、伸ばす。そこに金切り声のボーカルが乗る。それをだいたい10分越えでやるわけなので非常にとっつきにくいマニア向けの音楽になりそうなのだが、そのフォーマットの中でもある種のききやすさ、というより聴きどころか、絶壁におけるかすかな足がかりのようなものが設定されていて、オリジナリティに溢れたエクストリーム・ミュージックを展開している。
「we are cured, fuck you」ではEyehategodを思わせる疾走パートがあったが、今作でもはほぼその要素は生かされていない。明確にBOMBORIにけりをつけて新しいバンドを始める、という意思が感じられる。代わりに長い尺の中盤以降にワウを噛ませたサイケデリックなギターパートが大胆に導入されている。もともと地の音の数が多くないので、この組み合わせはかなり映える。殺伐とした漆黒の世界に異形の命の芽吹きが注ぎ込まれているようで、まさしくミュータントな生命力が付加されている。Griefなら「Dismal」の廃墟のアートワークなどが象徴するように概ね死と破壊に向かいがちなスラッジコア界隈では、Granuleのこのような蠢く生命の(暗い)躍動、というか蠢動を感じさせる楽曲はベクトルが逆というか、異質で非常に面白いのでは!と思う。そう言った感覚というのは他にも表れていて、長い尺の曲の他にイントロ、インタールード的な「Esoterica」、そしてアルバムのラストを飾る6分足らずの「Whale Song」。これらの曲に関してはヘヴィネスが抑制されており、かわりに空間系のエフェクトがかけられた模糊として奥行きのある風景である。女性ボーカルが導く「Whale Song」はソリッドなアコースティックギターと裏で響くアンビエントなドローンがあいまって絶滅した地球で生き残ったクジラが深海を一人でどこかに泳いでいくような、寂寞とした感じ。残響が想像力を掻き立てる音でそう言った意味で非常にクリエイティブだ。

Grief大好きなスラッジ・フリークなら迷わずだし、単に音の表現形式ではなくて感覚的にポスト系が好きな人も激音の向こう側にそんな精神を垣間見ることができるかもしれない。ぜひどうぞ。

DIEAUDE/渦巻く絶望の世界

日本は愛知県岡崎市のハードコアパンクバンドの1stアルバム。
2014年日本四国のDan-Doh(男道)Recordsからリリースされた。バンド名は「ダイオード」と読む。
AcuteのSivaaaaaさんによるコッテリ過ぎなアートワークが印象的。
2016年には姫路のネオクラストバンドsekienのメンバーらによる新バンドKuguridoとスプリットをリリース。東京は新宿のAntiknockでリリースライブを開催。私はそこでこのバンドのライブを目の当たりにして大変かっこよかったので物販でこの音源を購入。このアルバムをリリースした当時は5人編成だが、今はギターが一人抜けて4人編成のようだ。

いかにも不器用な感じのMCも含めて決して器用なバンドではないのだろうが、ライブは楽しかった。一緒に出ていた東京のNoLAはわかりやすく派手なステージングだった。一方のDIEAUDEはなるほど動きこそ控えめだったが、(特にボーカルの人の不敵な面構えもあってか)凄みのあるものだった。リリースパーティということもあって「主役は俺らでしょ」という自負と自身で持ってフロアもそれまでにない盛り上がりを見せていた。それは音楽的にもそうで、多様なバンドが様々な音を鳴らしている中ストレートなハードコアを鳴らしているのは異様に目立っていた。私の目にはその異質さが「ヤンキー感」に見えてしまったのだった。マイナーな音楽にしても流行や時代の潮流があって、それに迎合しにくい土壌があったとしても(フラフラ流行を追いかければコマーシャル、中身がないと批判されがち)、多かれ少なかれ影響はされるものだと思う。(”ブラッケンド”なんてのはまさにそうではと思う。新しい可能性の伝播なのでそれ自体は良し悪しではないかなと思います。)ところがこのDIEAUDEというバンドはあまりそう言った感じがしない。一緒に見たKUGURIDOはTragedy型のクラストを自分たちなりに解釈、構築するバンドだったというのもあって、このバンドのブレなさは逆に異質に見えたのだと思う。
日本の伝統的なハードコアスタイルに則った音楽を演奏している。ここら辺は私PaintoboxとThink Againくらいしか聴いてないのだけど、この二つのバンドに比べるともっと勢いがあってその代わりメロディアスさは減退している。ほぼシャウトで構成されたボーカルはなかなか歌詞が聞き取りにくい。コーラスは多めだが例えばライブで初見で乗れるようなキャッチーさはない。言葉で説明するととっつきにくい音楽性だけど、実際に見てみるとこれがひたすらかっこ良い。一つは(どうも独特のコード進行らしいのだが)構成と進行が明快でわかりやすい。ひたすらストレート。ドカドカ蹴り込むドラムにギロギロに硬質なベースが勢いを出してくて、ギターもそれに乗っかる形だがここがかなり凝っていて勢いに程よく感情の色を乗せている。つんざくようなソロ、中音域の分厚いトレモロ、実はかなり感情的だ。そこに乗っかるボーカルに再度注目してみると勢いの中にも。耳に馴染むメロディがある。演歌とまではいかないが哀愁のある儚いメロディ。それゆえに尖った強いメッセージ性も胸に突き刺さってくるのだなと思う。
KUGURIDOとのスプリットではさらにアルペジオを取り入れたりと時にグルーミィな叙情性を激しい曲に溶け込ませていくわけなんだが、なるほどその萌芽をこの音源でも聞き取ることができると思う。

既存の曲の完全なコピーをやっているのでなければ新しい要素の入る余地がないわけがない。温故知新に見えてこのバンドにしても必ず独自の要素が入っている。東京を一つの地方とすれば、それとは別系統の音を鳴らしているのがDIEAUDEを含む地方のバンドであって、それを体験する時に単にオールドスクールだというのはちょっと変だ。(まるで東京はその地点を通り過ぎて最先端だといわんばかりの傲慢さがある。)独自の進化系統にる、もう一つの可能性じゃんと思ってしまう。少なくともこのバンドにはそう思わせるかっこよさがある。ヤンキーが強いのはそう言った別の可能性の楽しさがあるなと思った。

ジェイムズ・エルロイ/ホプキンズの夜

アメリカの作家による警察小説。
原題は「Because the Night」で1984年に発表された。
刑事ロイド・ホプキンズシリーズ「血まみれの月」に続く第二弾。

ロサンジェルスの酒場である夜人が殺された。酒場の店主、そして客が二人。一列に並ばされ、そして頭を大口径の銃で撃たれていた。
LAPDの一匹狼の刑事ロイド・ホプキンズは事件の捜査に当たる。しかし証拠は極めて希薄で捜査は前途多難の相を呈している。そんな中変装の名人で「錬金術師」の異名を持つ警察官が実はしばらく前からその姿を消していることが発覚。事件の匂いを嗅ぎつけたホプキンズはそちらの捜査にも乗り出すが…。

アメリカ文学会の狂犬と称され、自身もドラマティックな出自を持つ作家ジェイムズ・エルロイの小説。「血まみれの月」を読んだのはだいぶ前だが作中の宿敵の歪んだ精神は強烈だった。濃厚な小説だった。非常に残念かつ不可解だが、そのホプキンズシリースは今では絶版状態である。(当時「血まみれの月」だけは買えたのだが、今ではそれも絶版のようだ。)しようがないから中古で買った。(可能なら新品が良いんだよね。)
熱心なエルロイファンとはとても言えないが、いくつかの作品を読んでそして非常に楽しめた。エルロイの書く小説はその凄惨さにまず心と目を奪われてしまうが、実は非常にロマンティックだ。いわゆる「ハードボイルド」とカテゴライズされるジャンルの中でのアメリカの一つの理想である”強い男”の物語であって、それがなんらかのプレッシャーで著しく歪んでしまい(それが非常に激しく損壊された死体に現れる)、それでも崩壊一歩手前で虚勢を張っている、そんな趣だ。そう言った意味でロマンティックで自己本位だし、それが異常に濃厚である。だがそれが面白い。異常な輝きを放っている。
今回はそのエルロイのロマンティックさが色濃く、そしてわかりやすく現れている。凄惨な過去があり苦悩とトラウマ(トローマ)を抱えているホプキンズは、体躯に恵まれ、頭も異常に切れる(IQが人並外れて高い、という客観的な説明が付与されている)、非常にアンバランスで作中では明言されないが、常識を超越した理論で動いているシリアルキラーたちとどこかで同調している。乱暴さと知性、正義と悪という矛盾を内包してはち切れんばかりになっている危ない男。まさに男の子の考える理想なヒーロー像なわけだ。キャラクターの個性を他のキャラクターに喋らせるなど、結構ストレートな表現がされている作品だなと思う。この本はエルロイの5冊目の本らしいから、まだまだ円熟の域に達していない頃なのだろう。
ホプキンズ自身は女漁りがひどい(ただしこの作品ではその要素は皆無)し、家族とは離れて暮らしている、そして独断専行で動くだけでそこまで問題がない。また警察内部の混乱もほぼ皆無。例えば「ホワイト・ジャズ」のようなもはや悪人としか呼べないような悪徳警官たちの権謀術数入り乱れる作品とは明らかに一線を画す。単純な反面非常に読みやすい。物語が直線的なのでただページをめくるだけで良い。
ただどろっとした熱い激情(血と汗と精液となってほとばしる)によって突き動かされる登場人物たちはすでに健在で、そこでは理詰めではない偶然と思いつきと、忍耐と暴力が支配している。理路整然とはしていないわけで、読者はわからない方程式で動いている彼らは異常である。はっきり言って狂気の沙汰なんだけどそれが面白い。思うに説明不可能な情熱を燃やされる方がいい。その情熱の正体はもちろんわからないのだけど、そう言ったこだわりがあることはもちろんじゃん。それが体温であって、それが伝わってくる創作物は私からしたら最高なのである。

濃い物語が好きな人は是非どうぞ。エルロイ好きの人も中古でいいなら是非読んでみてほしい。殺人鬼の異常さに関しては前作「血まみれの月」に軍配があがるが、登場人物が全員非常にめんどくさいトラウマ地獄の様相を呈する今作も非常に読み応えがあると思う。