日本の作家による短編集。
日本にも三大奇書(元ネタは中国)というものがあって小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」、中井英夫の「虚無への供物」、そして夢野久作の「ドグラ・マグラ」だ。中でも一番著名なのが「ドグラ・マグラ」ではなかろうか。読んだら気が狂うという触れ込みで1935年に発表されて以来、未だに出版され続け人々に読まれている。サブカルチャーに多大な影響を与えて今でも呉一郎やモヨ子というワードを見たりする。ミーハーを地で行く私もそんな訳で「ドグラ・マグラ」を手にとってのは大学生の頃。内容を理解できたのかは怪しいところだが大層面白く読んで、よし自分が何か仮の名前を名乗るならこの本の登場人物からとった正木にし様などと思ったものだ。(幸か不幸か10年以上経ってもそんな機会はなかったが。)その後当時読めた短編集をいくつか読んだ。
2016年は夢野久作没後80年ということで今はことごとく廃刊になっている全集の代わりに!という志で出版されたのがこの本で売上次第では第2弾以降も、ということだそうだ。印象的な表紙の絵はバンドたまの「電車かもしれない」のアンオフィシャル(?)MVで有名な近藤聡乃さんの手によるもの。
独特なカタカナづかいがとにかく印象的な文で語れられるのは凄惨な、いわゆるエロ・グロ・ナンセンスというやつなのだろうか(私はこの文脈で語れる芸術に触れるといつもナンセンスではないなと思うのだが)。冒頭を飾る「死後の恋」、のっけから狂人の語り口でとんでもない与太話(かどうかの判断はあなた次第)が披露される。その酷いこと。凄惨な殺生の描写がいかにもグロテスクかつ耽美的だ。続く9本の物語も多かれ少なかれそんな色彩に彩られている。ところがやはり昨今の猟奇趣味とは明らかに一線を画す。例えばエルロイのマッチョかつ常軌を逸した男たちの狂気、とは少し趣を異にする。というのも「瓶詰地獄」に代表される様な禁忌、「支那米の袋」に描写される恋の熱情、なるほど夢野久作の描く物語は死体によって彩られているのかもしれないが、じゃあその死体が一体どの様な力学で生産されるか、というそここそが面白い。一言で言えば狂気であろうし、もっというなら狂気に至るまでの道であり、登場人物は実は概ね真面目なのだが、外的要因によって多大なストレスを受ける。そしてその逃避として、またはPTSD的に歪められた精神によって狂気に陥るのであって、凄惨であり猟奇であってもナチュラルボーンのサイコパスの生み出すそれではないのである。そういった意味ではどの物語にも一抹の、それ以上の悲しみとツラさがあり、それがえもいわれぬ味を生み出している様に思う。夢野久作は作家以外にも色々な顔を持つ人だった様だが、その中でもなんとお坊さんだったというから驚きだが、仏教にある因果応報と無常観という概念がよくよくよんでみるとその作品に滲み出ている様にも感じる。「木魂」の主人公の描写を読んでほしい。あれは自縛であって、神経症、うつ病というのは簡単だが、一体最愛の妻と子供を相次いで失った彼が最後の瞬間に何を考えていたか、あるいは何を考えなくてもよくなったのか。誰がどうやったのか、という探偵小説の枠からどう考えても逸脱している作家だと思う。
あなたが狂気が何かと思うなら手にとってみると良いかもしれない。耽美的なそれに続く道はしかし苦痛に満ちたそれだった。禁忌の果実は甘く、そして苦いのだ。
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