2015年3月29日日曜日

Torche/Restarter

アメリカはフロリダ州マイアミのストーナーロック/スラッジメタルバンドの4thアルバム。
2015年にRelapse Recordsからリリースされた。
ポップなストーナー音楽をならすという事で本邦でも知名度があるバンドの3年目の新作。
ミックスは売れっ子Kart Ballouが担当。
私が買ったのは2012年に発表されたシングルが2曲追加されたデラックスバージョンの方。アートワークは色使いがキュートだが、窓からは光沢のある触手の様なものが入り込んでいる(始めは猫のしっぽかと思ったのだけど)毒のあるもの。

基本的な音楽性は以前から変わらず。
ヘヴィな演奏をバックにポップとも言えるメロディが乗るスタイル。ただし、特にアルバムの後半については演奏面のヘヴィさが増しているように思える。
ドラムはあまり手数が多くなく、正確にリズムキープに徹するタイプ。とにかく乾いて尖ったスネアの音が特徴的で低音が強調される全体の演奏感でバシっと強い力で刻まれるスネア音が跳ねるように目立つ。
ベースはグルグル唸るように演奏するタイプ。運指が激しいのかぬるぬる動く。
ギターは相変わらず疾走感があって弾きまくるスタイル。やや丸みのある重量感のある音で、基本的には低音のリフをグイグイ引っ張るようにぶん回す重量感のありつつ爽快感のあるもの。対照的に余韻を残すように引っ張るような高音の単音リフが格好いい。
ボーカル/ギターのSteve Brooksの厳つい外見からは想像できない甘くて良く通る声が伸びやかに歌う。
何と言ってもヘヴィさとポップさのバランス感覚に優れている訳だけど、例えばブラックメタルの一部のバンドのようにメロディを一手にギターにずらしている訳ではなくて、あくまでも人の声で表現しているのが面白い。よくよく考えればこっちの方が圧倒的に普通なんだけど…この界隈では潔い位歌わせるもんだから逆に特異な存在になっているという。まるで違和感なく硬質さと伸びやかなボーカルが混じり合っている訳なんだけど、シーンを見てみるとなかなかにたバンドがいない事を考えると(私が知らないだけというのは大いになると思うけど。)やはりとても難しい事なのかもしれない。
7曲目の「Blasted」のTorche節!とも言うべき重たくポップな爽快感、速度を落として「No Servants」のノイズにまみれた影のあるややくらいメロディ、「Believe It」のさらに速度を落とした圧倒的な重量感とギターの音の密度の濃さ、という3曲の流れがたまらない。アルバムの流れがとても良い。

個人的には後半の縦線者の様な低音感も格好いいのだけれど、これ以上重くなるとメンバーの別バンドFloorに接近しすぎてしまうのでは…と危惧。(ズゥムっとためるようにぶった切る鈍器の様な低音リフはFloorっぽいなと。)アルバム前半くらいのバランス感覚がちょうど良いかなと思います。ここら辺はバンドに何を求めるかという問題かも。
相変わらずのクオリティを保ちつつ、低音にやや舵を取った感のあるアルバム。まだ買っていない人は是非どうぞ。

ちなみにオフィシャルサイトではかなり丁寧に書き込まれたドット絵のミニゲームが公開されている。プロモーション用という事で作られたとの事。結構難しい。気になる人はこちらもどうぞ。

ヘレン・マクロイ/歌うダイアモンド

アメリカの女性推理作家の短編集。
Amazonに結構この人の本をお勧めされるので気になっていたもんで、丁度東京創元社から発売された短編集を買ってみた。
ちなみにヘレンなのでどう考えても女性なので、勝手に男性だと思っていた。多分他の本のあらすじとか読んでハードボイルドだなあと、ハードボイルドなら男だろうと、そう思っていたのかもしれない。
マクロイは1904年生まれの1994年没。この短編集は本国で「The Singing Daiamonds and Other Stories」という生で発表されたものに日本独自に一つ中編を足したもので、収録されているのは1946年から1968年の間の作品。40代という事でもっとも脂ののっていた時期なのかもしれない。推理小説作家として活躍しただけあって、カッチリとしたミステリー、突飛な状況を描いたSF、それから何とも詩情にあふれた物悲しい短編と結構色彩豊かな短編集になっている。
読んで思ったのは非常にアメリカ的だなという感じ。からっと乾いたところがある。例えば最近はイギリスの女流作家の短編集を読む事が何回かあったのだけど、そこに共通するしっとりとした繊細な感じはあまり無い。変な表現だがもっと男性的なイメージで、そこでは確固たる現実に置ける物的証拠が何よりも強固なモノリスとして屹立している様な、そんな世界観である。だから現実的であり、より生活感が漂うとも言える。なかでも「カーテンの向こう側」という短編があって、これは悪夢にまつわるホラー的な要素を活かしつつも、あくまでもミステリー的な解法に到達する面白い話なのだが、犯罪に巻き込まれた女性の心理を生々しく書く反面、一定の距離を保ち物語が個人的なものにならない、あくまでも”事件譚”として扱っているところが面白い。
ジャンル的にも暴力や犯罪は沢山出てくるのだが、残酷描写あくまでもさらりとしているところが女性的である。SF短編「ところかわれば」はユーモラスな作風だが、後半には強い男性批判が描かれている。ここら辺に作者の強い姿勢と主張が伺える。きっといまとは違う時代、女性の待遇も大きく違ったのだろうと思う。

「人生はいつも残酷」は盗みの汚名を着せられた挙げ句殺されかけた主人公が、別の人間になり因縁の地に戻って謎のを暴く話。男性作家なら復讐譚にするところを「それは燃え尽きた青春の後味だった」という悲しい詩情にあふれた物語にするところは流石。身勝手な真犯人の醜悪さも見事。
一番気に入ったのは「風のない場所」でわずか10ページ無いくらいのこの短編では一人の女性の視点で世界が破滅する様を淡々と描いている。大量死ですら膜を隔てたかのように冷徹に書かれているが、だからこそその恐ろしい以上今日がかえって生々しく感じられるものだ。人間中心的に考えれば無常感の漂うラストもなにかしら清澄なものに思えて島から面白い。

ヘレン・マクロイ入門編にはうってつけかもしれない。気になっている人は是非どうぞ。

2015年3月21日土曜日

Terra Tenebrosa/The Purging

スウェーデンはストックホルムのポストメタル/ブラックメタルバンドの2ndアルバム。
2013年にTrust No One Recordsからリリースされた。
1stアルバム「Tunnels」はたしか発売当初にジャケ買いしたのだが、2ndはスルーしていた。この間紹介したポストハードコアバンドBreachがどえらい格好よかったもので、Breach解散後にメンバーが結成したのがこのバンドだと知って慌てて2ndを買った次第。
狐の鬼みたいな可愛い覆面を被っているお洒落な3人組バンド。

ジャンル的にはポストメタル、アヴァンギャルドメタルと紹介される事が多いのだが、個人的には結構ブラックメタルだなあと1stの時から思っていた。
ブラックメタルと言ってもファスト且つ荒々しいプリミティブなものからは大分隔たっているけど。まあジャンルは何でも良いのだが何となく説明してみよう。
まずカテゴライズも難しいし大分変わった音楽である事は間違いない。速度は速くもなく、どっちかというと結構余裕がある。体感的に遅くはないが、スラッジと称される事もあるみたい。
音的には結構特徴ある独自のスタイルを構築している。
ドラムは連打する時はバスドラと呼応する形でしたシンバルを刻んでいく。これがかっこいい。
ギターはかなりソリッドかつクリアな低音を主体にして結構パンキッシュなリフを演奏する。ミュートを使わないで弾ききる様なリフが多めでこれは元ポストハードコアバンドならではかもしれない。音的にはジャリジャリ感が無いので結構メタリックだが。ここら辺もブラックメタルっぽさを感じさせる。で、この低音にキャラキャラした不協和音ぽい高音をかぶせてくる。Deathspell Omegaを彷彿とさせる不穏なスタイル、というと分かりやすいかも。
ボーカルも特徴的で、ぐええとのどから絞り出す感じのしゃがれ声で、凄みはあるけどデス声とは異なる。なんとなく悪意に満ちている感じはやはりブラックメタルのそれを彷彿とさせる。終始叫んでいる訳ではなく、ぼそぼそ呟いたり、妙に一本調子な呪詛めいたフレーズを入れて来たり、ぐにゃっとしたエフェクトをかけたりして不安感をあおるタイプ。ボーカルパートも曲の尺からするとそこまで多くの比率を締めてはいない。
曲によってはストリングスを大胆に取り入れて大仰な演出をしている。また、くぐもった人の声がかすかに聴こえる不穏なドローンパートもふんだんに取り込んだりして、かなり凝った作りになっている。世界観というとあまりに陳腐だが、楽曲を全部のパートを素材にして奇妙な建築物を構築する様な真面目さが全体を通して強く感じられた。お面や黒で統一された意匠もそのためで、表現という意味合いにおいてとてもこだわりが感じられていてアーティスティックだ。雰囲気は圧倒的に暗いが、残酷性ではなくこれから何か悪いことが起こるぞ、という予感めいた不安感に完全に舵を取っているのが面白い。不安に歪みつつも、カタルシス的な疾走感を曲に付与する事で聴きやすさの配慮もあってなんだかんだいって分かりやすいのが好きな私的にはとても良い。

ジャケットは曇天の下、草生い茂る荒野にメンバーがたたずんでいるものだが、この灰色感がよく中身の音楽も表現していると思う。
カテゴライズするのは難しくても音楽性は確固としているので、思った以上に聴きやすい。オススメっす。

表題曲のかっこよさよ。


Svffer/Lies We Live

ドイツはビーレフェルト(もしくはミュンスター、ベルリン)のハードコアバンドの1stアルバム。
2014年にドイツのPer Koro Recordsからリリースされた。私はデジタル版をBandcampで購入。
2014年ベストアルバムに上げる人も多かった話題のアルバム。いま検索したら日本でも沢山レビューされていてその人気を再認識してビックリした。まあ話題になっているし〜位の気持ちで買いました。すみません。

バンド名はSuffer(苦痛)のuをvにしたのかな?字面通り尖りまくった攻撃的なアルバム。ジャンル的にはグラインドコアかパワーバイオレンスになると思う。所謂クロスオーバーな音で分類が難しい。ただ個人的にはハードコアが根底にあるバンドだろうと思う。ブラックメタルやネオクラストの文脈というか影響もあるそうな。
要するに速くて重たい音楽。ドラムはブラストしまくり。ギターはブリッジミュートを多用しないハードコアタイプでとにかく弾きまくり。ベースはゴウゴウした固さのあるこれもハードコアタイプ。ボーカルは女性で終始吐き捨て型の完全ハードコアタイプ。しゃがれていてドスのあるわめいている割にキンキンしていない。
全体的に荒々しさがあって、そこがハードコア由来というイメージを際立たせている。よそ様のレビューでも引き合いに出されているが、Convergeと似ているところがある。喧しい事この上ないが、影のあるメロディが随所に仕込まれているところも似ている。
個人的にどうかというとギターがメロいと思う。曲が馬鹿みたいに速くてメロいのだからこれが受けないはずは無かろう。何がすごいてやはり攻撃性が少しも損なわれていない事だろう。この手のバンドでは良く激しさとメロディアスさが同居されているが、このバンドは激しさ一辺倒かつ抒情的なのだ。矛盾しているようだが、ブラックメタルとか好きな人は多分何となく分かるのではなかろうか。ボーカルは派手だが、あくまでもメンバーの一人なのでギターがメロディを引き受けているのだと思う。しかもずっとめろめろしている訳ではなく、場面によってはメロい。テクニカルだが技巧自慢にならないタイプでとにかくフレーズのバリエーションが豊富で、低音を主体に飛び道具的な高音リフ、グルーヴィで跳ねる様な中音リフと忙しく弾く割には煩わしくない。(よくよく聴いてみるとベースも結構色々弾いている様な気がする。)ずるい。

というわけでこりゃあ話題になるはずのクオリティ。五月蝿い音楽が好きだ!という人でまだ聴いていない人はいますぐどうぞ。超カッコいいです。

ロバート・ブロック/予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖

アメリカの作家による短編集。
井上雅彦さんによる「予期せぬ結末」という海外の異色の作家の短編をまとめたシリーズの第三弾。ジョン・コリアーとチャールズ・ボーモントが編集されているそうだが、そちらは読んだ事が無い。
この一個前の記事で紹介したダフネ・デュ・モーリアの「鳥」や「レベッカ」を原作とした映画を監督しているがアルフレッド・ヒッチコックだが、彼の一番有名な映画は「サイコ」ではなかろうか。その「サイコ」を書いたのが他ならぬロバート・ブロックである。(ちなみに続けて読んだのは偶然だ。)「サイコ」以外にも沢山のテレビや映画の脚本を書いたそうで「ハリウッドの恐怖」という題は同名の短編から取られている。映像作品に多く関わっていたブロックが、そこを題材にネタにしたのだろうと思う。
さてブロックには実はもう一つ顔があって、それがクトゥルー(クトゥルフ)神話の継承者であることだ。開祖ラブクラフトとの年の差はなんと27歳!だそうだが、熱心に文通して親交は厚く、クトゥルーファンに取っては御馴染みの禁断の書物「妖蛆の秘密」は彼の手によるものだそうな。私もラブクラフトの弟子といったらなんとかくブロックというイメージがある(他の年上の作家達は弟子というよりは同士とか仲間とか言ったイメージ)。そんなブロックは邦訳も色々出ているのだが、ほとんどは絶版状態(「サイコ」も絶版。)で私は色々なクトゥルーアンソロジーでしか彼の作品を読んでいない。(なんせ「アーカム計画」だって読んでないんだ。こんなんでファンと言えるのか…)で、そんな彼の短編が読めるって訳でこの本を買ったのだ。
残念ながらこの短編はクトゥルー作家としてのブロックというよりは、短編小説の名手としての彼に焦点が当てられていて、勿論コズミックホラーは一つも含まれていないのだが、それでもブロック流の怖さがぎゅっと詰まったホラーが目白押しだ。
デュ・モーリアと違ってこちらは恐怖そのものを書く作家だから、奇想そのものが面白く、狂気が香り血が滴る悪趣味の博覧会といっても言いだろう。勿論心理描写が無い訳ではないし、むしろ豊富でそこら辺が抒情的な物語とどの作品にも顔を出す人を食った様なブラックユーモアに良く現れている。
いくつか特に気に入った作品を紹介。

プロットが肝心
ロボトミー手術を受けた女性がなんかおかしい事に気づくという作品。映画に絡めた筋もいいんだけど、なんといってもロボトミー手術を受けた後のすっきり感の意外性、そして意識のブラックアウト(記憶と感覚が吹っ飛ぶ)が面白い。一瞬後には全然違う国にいたりして、ここの部分はさらっと流されているけど実はかなり怖い。

牧神の護符
牧神というとパンであるから、どうしてもマッケンの「パンの大神」が頭に浮かぶが、期待を裏切らず素晴らしいないようだった。この話が一番怪奇且つクトゥルー風味があるだろう。ギリシアの森の奥深く、忘れ去られた遺跡ではかつて人ならぬ神に生け贄が捧げられていたいう、そこで若い考古学者が目にしたのは…という内容でもうゾクゾクくるでしょ。

弔花
編者よるとジェントルストーリーと紹介されている。祖母に引き取られ墓で育ち幽霊と遊んだ少年が大人になる話。大人になるって色々な書き方があるなと実感。読み進めるとこうなるんだろうな〜読みたくないな〜と思うのだが、ページをめくる手が止まらない。人を感動させる話なんだけど、意外に捉え方は人によるのではないだろうか。私にはロマンティックに思えた。生きる事が傷つく事なら最後の痛みは主人公をどこに連れて行くのだろう。

なんせクトゥルーファンなんでもっとドロドロした奇想天外な物語が読みたいよーというのは正直あるのだが、それでも十二分に楽しめた。
面白くかつ、都会的な雰囲気の中におどろおどろしさを感じたい人は是非どうぞ。
各版元の皆様に置かれましては、他のブロック作品の重版を切に御願いする次第でございます。確実に一冊は売れるかと存じます。

ダフネ・デュ・モーリア/いま見てはいけない-デュ・モーリア傑作集-

イギリスの女流作家の短編集。
版元は安心の東京創元社。赤い帯がまぶしい。
著者ダフネ・デュ・モーリアのことは全然知らなかったのだがAmazon先生にお勧めされたので買ってみた。帯の文言で知ったのだが、かのヒッチコックの代表作「鳥」の原作を書いたのが、この人だそうで。ほかにもやはりヒッチコックの手によって映画化された「レベッカ」という作品が有名との事。
ダフネ・デュ・モーリアは1907年にロンドンに生まれ、1989年逝去されたそうな。検索してみると落ち着いたまなざしの中にも意思が見て取れる美人さんだったような。この短編集に収録されている物語はだいたい60年代から70年代に発表されたもの。(書かれたのはもっと前かもしれない。)
女性作家で英国というとこの前読んだばかりのメイ・シンクレアがすぐ思い浮かんでしまうが、女性の燃える様な情念に浮かされたシンクレアとは一線を画す。もっと落ち着いた視点で物語は淡々と進む。女性ながらの視点は心理描写に優れ、特に男性達は女性や奇特な運命に翻弄されながらも強さと可愛さ、そして愚かしいほどの弱さを持って描かれていると思う。ちょっと馬鹿すぎないか!と思う場面もあったのだが、よくよく読んでみるとパニックに陥ったり、ふとした事ですぐに機嫌を損ねる男性の姿にはよくよく見覚えがあるものだ。すなわち自分を見ているようでなかなかむむむ…という感じで思い当たる節々がありました。
さて冷静な観察眼によってしかし、穏やかな筆致で進む物語とは思いきや、さすがイギリスというべきか、やはり一筋縄ではいかない物語ばかりである。さすがにかのアルフレッド・ヒッチコックが惚れ込んで監督したはずである。収録されている5つの短編はどれもこれも”怖さ”をはらんだ物語である。この”怖さ”が面白く、短編によって猟奇的怪奇趣味、太鼓の鈍いと因縁、巧みに真意を見せない何を考えているか分からない奇人、上っ面だけの人間関係のその醜悪な裏側、SFスパイスを利かせた超自然的恐怖とバリエーションは豊なのだが、どれも根底して人間の心理が怖いのである。要するにこの著者の場合中心には人間心理があり、どうもそいつがいびつな形をしているようで怖いのである。(ただ醜いものと扱っているのではなく、所々に愛情や愛着を感じさせるのがまた面白いところ。)いわば日常生活、そしてその向こうにある奇妙な世界、または現代この時間とこの土地から隔たった人外の世界、それらは全く舞台装置にすぎない。いわば特異な状況で起こる人間の心理を書くために用意されたアイテムである。だからそれらに対する言及は、あくまでも主人公達がみたままそのままの姿で、どちらかというと簡潔に描かれている。人間というのを何千という言葉で表現する際に、デフォルメに必要だったのである。いわば日常で垣間見えるちょっとした真理をまるで顕微鏡で見るように拡大させたのが彼女の小説で、そこに書かれているものはいくら舞台が現実から隔たっているように見えても、根底には私たちの”思い”があるわけで、だからこそ共感でき、だからこそ怖いと感じるのだろう。
個人的には表題作「いま見てはいけない」の「おかしくなっていたのは俺の方だったアァー」感、そしてラストの江戸川乱歩感(思わず突っ込みが口から出た。)がたまらん。「第六の力」は聖職者が信者を引き連れて聖地エルサレムに赴くのに、みんな自分の事しか考えていないで動くのが、これはもうグロテスクとしか言いようが無く気持ち悪かった(勿論褒め言葉)。
しっとりとした怪談が読みたい人は是非どうぞ。

2015年3月15日日曜日

TechDiff/P.Conv

イギリスはシェフィールドのDave Forresterによるプロジェクトの2ndアルバム。
2012年にAd Noiseamからリリースされた。
この間紹介したEP「The BlackDog,Released」がとても良かったのでその後リリースされたフルアルバムを買ってみた次第。レーベルからデジタルで購入。

前作は暗い雰囲気でありつつもハチャメチャなビートを刻むオーソドックスなブレイクコアだったが、今作は少し趣が異なっている。
まず全体的にシリアスになった。元々複雑なリズムの上に乗っかるあまり主張しないメロディは暗いものだったが、今作はさらにそこが押し進められ、リズムを飲み込む勢いで領域を拡大して来た印象がある。相変わらずエコーのかかったシンセ音は無機質でメロディラインをなぞるのも難しいが、非常に効果的に耳に入ってくる。完全にエレクトロドローンな曲もあったりする。
理由はいくつかあると思うのだが、大きいのがリズムとなるビートの激烈さが抑制されている事。所謂ブレイクビーツに比較したら音の数自体は未だ多く、さらに複数のリズムを複合させたかの様な複雑なビート感も健在だが、たとえるならばお祭り騒ぎの様なハチャメチャさは鳴りを潜めている。音の数自体が減っている分一音自体の存在感は大分増している。これはビートだけの話ではないのだが、端的に言ってダブステップへの接近が見られると思う。太い歪んだビートがドゥンドゥン響き、びよんびよんうなる連続する歪んだベース音は確かにダブステップ風である。
元々どちらかというと寡黙なメロにリズム重視の楽曲を作成しているTechDiffにとっては安易に流行を追いかけたというより、自身の楽曲のキャパシティからそっちの方面に巧妙を見いだし比重を置いたというところだろうか。聴いていただければわかるのだが、所謂ダブステップにしてはやはりリズムの音が喧しすぎると思う。これをブレイクコアとダブステップのどっち付かずの半端ととらえるか良い所取りのハイブリッドとらえるかはひとえに聞き手次第だと思う。個人的には後者の方で初め戸惑ったもの、これはこれでアリだなと思う。煙に巻く様な”芸術性”という名の分かりにくさは皆無なのでだいたい3回くらい聴けば好きか嫌いかは判断できるはず。

2015年現在この音源以降Techdiff名義でのリリースは無いようだが、この音源が過渡期のものだとしたら次作が気になるのが心情というもの。つぎは一体どんな作風でくるのか楽しみである。
暗いテクノが好きな人、ダブステップが好きな人はどうぞ。

2015年3月14日土曜日

Jig-Ai/Rising Sun Carnage

チェコ共和国の首都プラハの3人組ゴアグラインドバンドの3rdアルバム。
2014年にBizarre Leprous Productionからリリースされた。
日本大好きゴアグラインドバンドで、オタクネタや下品なポルノネタを曲にぶち込んだその特異性が日本でも人気(だと思う。)のバンド。
私も1stと2ndを持っていて未だに良く聴きます。なんとなく買いそびれていた最新作。デジタルで購入。

美少女+ゴアというジャケットはもう卒業。渋く兜と鎧に身を包んだメンバーが黄昏の荒野で女性の丸焼けに舌鼓を打つ、という落ち着いた味わいのあるアートワークになっている。
曲名を見ると1曲目「Koi Throat Fuck」から始まり「Sumo Sex Instructor」や「Human Tofu」、「Shitcuntsen」(恐らく新幹線?)といった日本大好きすぎてもはや一部の人たちが激怒しそうな曲名が並んでいる。うーん、どうです?あまりに酷さにワクワクしてきますよね。

ギターリフはざくざくしながらもテンポの速いノリ重視のスタイル。速さも勿論魅力なんだけどこのバンドは何と言ってもこのノリの良さが魅力的だと思う。体が自然に動いちゃう気持ちよさがある。(「March of Jig-Ai」という曲もあるんだけど、まさにマーチの様な勇壮さと楽しさが根底にあると思う。)ドリルのようにねじ込んでくる弾き倒す様な陰惨なリフもアリ。音質的にはざらっとしつつもメタリックでソリッド。まさに鋼鉄のスタイル。ベースは反面ゴロゴロうなる徹頭徹尾重たいスタイル。たまに強烈なディストーションをかけたえぐい音で前に出てくる。ドラムはグラインドバンドでは影の主役。バスドラはベタベタという感じの迫力のある音でこれだけでもうカッコいい。当たり前のように叩きまくるんだけど、シンバルなどの高音の使い方が派手かつ上手でブラストにも華がある。
ボーカルワークも多彩でゴウゴウ唸るグロウル低音スタイル、高音超音波スクリーム、嘔吐寸前みたいなキュワキュワしたのどに引っ掛ける低音吐きだし、豚声とバリエーション豊富。
変態じみたSEも健在で今作も日本語出てきます。
なんといっても楽しさがあるバンドで、だからこそ過激な音楽スタイル(やアートワーク)であっても陰惨になりすぎない(ゴアグラインドなのに陰惨になりすぎないって実は結構すごくないか。)し、曲も重々しさの中にノリを生むグルーヴ感がある。不謹慎さではギリギリアウトな曲名だって愛があるんだなあ〜と何故か許せてしまう(むしろなんか好きになっちゃう)。要するに人(ごく一部の人かもだが)を惹き付ける華があるバンドなんだと思う。
とにかく1曲目が抜群に格好よく、ぐっと掴まれてそのまま引き込まれてアルバムを通して聴いてしまう。今作も非常に気持ちがよいアルバム。1stに垣間見えたおどろおどろしさは減退しているが、代わりにファニー且つキャッチーさが増したと思う。超気持ちよくて自分は大好き。Jig-Ai気になっているけどまだ聴いた事無い人はこのアルバムが良いかも。オススメ。


ピエール・ルメートル/その女アレックス

フランスの作家による警察小説。
2011年にフランスで発表されると本国の文学賞だけでなく、イギリスの文学賞も獲得。
邦訳されると日本でも週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!で1位を獲得したという話題作。訳者の後書きによると映画かも決定しているそうだ。
やたらとAmazonがお勧めしてくる訳で買ってみた次第。レビューの数も200件を超えていて私が普段読んでいる本はだいたいレビューが10個もつかないことはザラなんでワクワクしてくる。

パリの路上で女性が誘拐されたという通報があり、パリ警視庁犯罪捜査班のカミーユ警部は捜査の指揮を執る事になる。カミーユは有能だが身長145センチという体躯がコンプレックス。おまけに妻を誘拐された上に殺されたそう遠くない過去があるため、この案件の捜査には当初乗り気ではなかった。通報によって発覚したこの事件、あまりに証拠が少なく捜査は遅々として進まないが、カミーユは次第に熱を上げていく。少しずつ概要が明らかになる中で疑問が出て来たのだ。誘拐された女性の情報が全く入ってこない。刑事の直感で女性の正体がきになるカミーユ。
一方誘拐された女、アレックスは全裸で木で作った極端に小さい檻に閉じ込められていた。その檻の中では坐る事も立つ事も出来ない。誘拐犯の男は「お前が死ぬのを見たい」という。監禁状態が続き次第に精神の均衡を崩していくアレックス。しかし決してあきらめない心で脱出の機会をうかがうが…

さてこの小説、調べていただくと分かると思うのだが所謂衝撃の結末系でもってやたらと後半の展開がすごいとあおられている。(個人的にはネタバレがあるよとか衝撃の結末だよ、という事自体がすでにネタバレしている様な気がするんだけど、まあこの本の場合は帯にも書いてあるくらいだからまあ良いかと思って言及する。)なんとなく構へて読んだけど結論から言うとその「衝撃」部分を脇において(実際には脇には置けないのだが)も良く出来た警察小説だと思う。というか結構オーソドックスな警察小説だ。
主人公カミーユは自分の問題を抱えた中年の刑事でこれは昨今の警察小説では王道パターン。(ただ身長という問題と、そこに結びつく母子の関係(母親が妊娠中に喫煙しまくったから胎児カミーユに影響があって身長が伸びなかったと思われるという設定。)、さらに自分の妻が殺されたトラウマと結構盛りだくさんってのは特異かもしれない。ただそれぞれカミーユの行動の同気になるので個人的には別に多過ぎとは思わなかった。)それから善悪の問題が根底に横たわっている。(この善悪の扱いと拷問だったり殺人だったりの時にどぎつい描写が個人的にはこのブームを生み出しているのではないかと思う。)何回か書いているが警察小説が個人的に面白いのは絶対的正義という矛盾を抱えた警察組織で働く刑事達の心の葛藤(もしくは読み手側への問題提起というかもやもやしたこの気持ち)である。この小説もアレックスという特異な女性の存在でその問題に切り込んでいると思う。ただカミーユは結構さばさばしていて迷う事無く正義に向かって突っ込んでいくので説教臭さはほぼ無い。警察小説のツボを押さえつつ残酷描写でガっと掴んでスピーディに進めていくジェットコースター感重視なスタイル。カミーユ側とアレックス側での視点変更も結構この手の犯罪小説にはある手法ではないかと。
だもんで「衝撃の〜」ってのは個人的にはそこまで衝撃ではなかった。ただこれってああいうことか!というのが何回かあってそこが良かった。不可解さが後から説明される感じ。
レビュー読んでて低評価にしている人は、主人公カミーユの個人的なストーリーがうざいってのと謎とか全部後出しじゃん、って人が多いようだから多分警察小説ををあまり読んでない人が煽りの文言でミステリーだと思って読んでしまっているからではなかろうか。(べつに警察小説沢山読んで出直してこい!って訳じゃないよ。)

娯楽小説として非常に優れているおり、話題になるのも頷けた。400ページちょっとあるけど先が気になって(橘明美さんの翻訳もすごく読みやすい!!)結構短時間で読み切ってしまった。個人的にはただ「衝撃の展開」のすごさというよりは至極真っ当な警察小説として完成されている点が気に入った。
話題になっている面白い本が読みたい人は是非どうぞ。

2015年3月11日水曜日

ロバート・ルイス・スティーヴンスン/新アラビア夜話

イギリスの作家スティーヴンスンによるロンドンを舞台にした冒険小説。
発表されたのは1882年。スティーヴンスンは一番有名なのは「宝島」らしいのだが、私は読んだ事がない。「ジキルとハイド」は読んだ事あるので多分2冊目かな。
翻訳しているのは南条竹則さんと坂本あおいさん。南条さん翻訳ならば面白いはずと購入した次第。

大英帝国はロンドンに滞在しているボヘミアの若き王子フロリゼルは旺盛な好奇心を満足させるために夜な夜な部下のジェラルディーン大佐を伴い、身分を隠して事件を探しうさん臭い界隈を歩き回っている。ある日場末の居酒屋に腰を据えると、皿一杯のクリームタルトを持ち、他の客に振る舞う若い男性に遭遇。事件のにおいを嗅ぎ取ったフロリゼル王子は彼の後をついていく事に。その先に王子の想像を超える危険な事件が待ち受けている事を知らずに…

アラビアとついているものの舞台はロンドン。解説によると「千夜一夜物語」(「アラビアンナイト」とも)の中の物語の形式を踏襲しているからだそうな。とはいっても作者はアラビア人であるよ、という趣向が凝らされていて各章の末尾には〜というようにアラビア人の著者は語っているよ、という風な文がついている。要するに雰囲気の問題である。これを美学と取るか蛇足と取るかは読み手次第。私は断然前者。面白い物語ならどんなに荒唐無稽だろうが、無理があろうが乗るのが粋ってもんでしょう。
さてこの本の主人公はボヘミアの王子フロリゼル殿下が活躍する二つの中編がセットになって収められている。中編はそれぞれ3つの章に分かれていて、それぞれで主人公が違うのだ。これが面白い。中心には事件があって、登場人物達は色んな立場でそこに関わっているから、読み手は視点の移動によって多角的に事件をとらえる事が出来るし、別の章での謎が章の転換で判明したるする驚きを味わう事が出来る。
警察官でも探偵でもない王子様が好奇心から事件に首を突っ込み、解決に導くというスタイルなんだが、この主人公の王子がまた良いキャラクターをしている。金持ちであることをまったく隠さないし(身分を偽っている事は多々だが、必要があれば開けっぴろげに話すスタイル)、お洒落な身なり(下品ではない)金払いも相当よい。自分の判断に絶対の自信があり、勇気と決断力に優れる。ただ鷹揚であっても横柄なところは全くなく、下々のもの達との交流にもこだわるところが無い。記号化されたキャラクターが多い昨今で本当の王子様キャラを見た気がする。なんかこう喜んで御使えします〜と言いたくなる様な、そんな面倒見の良さがある。
敵役は悪の首魁的な大悪党も勿論出てくるのだが、脇役達がいかにも小市民的でちょっとの気の迷いや弱さで道を踏み外し、魔都ロンドンの暗がりに落ち込んでしまう、というのが面白い。小市民代表としては大いに共感できるところがある。そんな弱者達を時は励まし、時には叱咤しつつもぐっと闇から拾い上げるフロリゼルは本当カッコいいな。グラナダの「ホームズ」やITVの「ポアロ」が大好きな私としては、これ本当そのまま映像化したらすごく面白いものになるんじゃないかなと思う。

という訳でまさに「冒険譚」という感じで面白かった。古いからという理由で読まないのはもったいなさすぎるでしょう。読後感もさわやかでいうことなし。帯には「奇想・活劇・ダンディズム」と書いてある。この中の一つの単語でもおっと思った人は買って損なしでしょう。オススメ。

The Body&Thou/Released from Love/You, Whom I Have Always Hated

アメリカのスラッジメタルバンド2組による共作をまとめた編集版。
Released from LoveとYou, Whom I Have Always Hatedという2014年に発表された独立した音源をくっつけたもの。
一緒になってCD形態で発売されるのは日本のDaymare Recrdingsのみからとのこと。
両者に関してはそれぞれThe Body「I Shall Die Here」、Thouの「Heathen」と2014年に発表した音源が色々な年間ベストにランクインするなどまさにややアングラメタル界では気鋭のバンドという事になると思う。
私はThouの方はいくつか音源は持っているものの、上記2つのアルバムはまだ聴いていない。なんとなく買わなきゃなと思っているまま年もあけ、さらに3月までになってしまった。一緒に楽しめるならお得だね!とばかりにこのアルバムに飛びついたのだった。

このアルバムは両者が各々独自に録音した音源を収録した所謂スプリット形式ではなくて、メンバーが一緒になって曲を作り演奏している形式。要するに人気の2バンドによる夢の共演になっている。
ざらついて不吉なジャケットがある意味中身の音楽性を十二分に物語っている。
ざらついたモノクロ基調はぼやけて所々灰色に見える。
音楽的には苛烈だが、激しさで言えばデスメタルを突き詰めたバンドに何歩か譲らないと行けないだろう。しかし、この2つのバンドは凶暴ではあるが暴力を表現するというよりは悪意や物悲しさ、不吉さを指向するバンド(だと勝手に思っているのだが)のようだ。言うなれば悪い予兆の様なもので聞き手は体力というよりは精神的に削られるような印象である。
ザラザラした粒子の粗いギターが容赦のない低音で空間を塗りつぶしていく。勿論フィードバックも多め。
曲にもよるのだが、ベースの音の数がスピードに対して多い気がする。音的には割と角が丸い音なんだけど、えぐいくらいの低音。そうすると後ろで低音がぬらぬらぬらぬら動いていて大変気持ちが悪いわけだ。
ドラムは重々しく、また変に色気を出して手数を多くもしないので、死刑執行に赴く重たいマーチの用な悲壮感でもって、たまにでるシンバルのクラッシュが清涼剤に。逃げ場無し。
ボーカルはしゃがれたわめき声で(多分)Thou側がメイン担当だと思うんだけど、Thou本体より悲壮感のある曲を背景にもはや絶望感マックスな感じ。
ジリジリしたノイズがそれに覆い被さる。不気味なか細いコーラスや高音ノイズで不安感をあおる。息苦しい。カラーが増えたのに雰囲気は陰惨になるという不思議。

徹頭徹尾重苦しい空気だが、曲の尺がこの手のジャンル比較的短い事(長くて7分台。まあ双方ともスラッジバンドなので元々そこまで長い曲を演奏している訳ではないのかな?)、カバー曲の収録などなんとなくだが作り手の聴きやすさへの追求が垣間見える気がする。これは共作というかそれぞれのバンドが元々持っている姿勢なのかもしれないが。大分人を選ぶ先鋭的なジャンルであるし、メジャーとは違うのだから変な話が何をやったっていいわけで。そんな中で自分たちの求める芸術を突き詰めるのと、よく分かりやすさ(この手のジャンルだと大衆性とは言えないだろう)は嫌われるが、なんとなくこの音源を聴いて孤高の音楽でもむしろそういった制限があって私の様な聞き手は大いにありがたいなと思う。

話題の両バンド、どちらも聴いた事無い人は手っ取り早く両バンドの事を知るという意味ではこのCD、とても良いのではないでしょうか。

2015年3月7日土曜日

ウィリアム・シェイクスピア/ハムレット

言わずと知れたシェイクスピアの戯曲。
1601〜1602年頃に書かれたものでシェイクスピアの四大悲劇のうち一つ。
読んでなくても名前だけならほとんどの人が一度は聴いた事はあるのではなかろうか。忠誠に書かれた戯曲でありながら、現代になってもまだまだ劇場では色んな形で(原作に忠実に現代風にアレンジしたり…)上演されている物語である。
偉そうな事言う私も読んだ事が無く、というかシェイクスピア作品は一冊も読んだ事が無く、学生の頃から良い大人なんだからそろそろ読んでおくべきかな、と思いつつもそれから10年ほど経過してようやく手に取った次第。
なんでこの本にしたかというと絵である。ミレイの手によるオフィーリアである。これも美術の教科書に載っているから誰でも見た事があると思う。私もご多分に漏れずこの絵が大好きだ。奇麗さと恐怖がこんなに美しく調和している芸術というのもちょっと無いのではなかろうか。実物を見た事があるけど、意外に小さくてビックリしたものだ。

デンマーク王子ハムレットは本人の亡霊から父王が叔父に暗殺された事を知り、復讐を誓う。母親である妃は葬儀も間もないのに叔父と再婚してしまった。かつての学友達も叔父の言いなりである、そんな状況でハムレットは頭の狂った振りをしながら虎視眈々とその時を伺うのであった。

さて読んでみて思ったのは台詞が大仰で芝居がかっている。芝居用に書かれたので当たり前なのだが、本になって読んでみると当たり前だが、神の視点で書かれた様な動作の描写がほとんど(訳者の本当に動きだけたまに括弧で囲んで書いてある。「あとじさる」とかそんなもんだが。)ないので、当たり前だが役者は体の動きだけでは表現できない自分の思いを台詞にするしかないのであって、必然的に台詞が長くて芝居がかったものになる。実際に文字になってみると面白い。意外に違和感無く読める。
悲劇というと構えてしまうが、ハムレットというのはかなりお茶目な人柄で役者の福田恆存さんも矛盾した性格と書いているし、後書きによると性格が破綻しているという表もあるそうだが。しかし個人的にはハムレットなんかいいやつだなあという感じ。好きな人(オフィーリア)には上手く接する事が出来ないし、復讐を誓ったはいいものの中々これを実行に移せない。王族らしく追う様なところもありつつ、本当の友人には敬意を払い、恐ろしい冒険で命の危機をくぐり抜けて来たのになーんか泰然としている。このとこハムレットが喜怒哀楽も豊かに舞台を右往左往する様が、なんとなく目に浮かぶようで良い。
王家という密室的な状況で起こった事件を書いているが、不思議に、これは現代人である私が読んでそう思うのかもしれないが、なんとなく解放された状況で普遍的な人間の心情を扱っているように思えるのである。だから様々なアレンジにも耐えうるのだろうと思うのだが、そこは素人目なので本当のところは分からないが。
翻訳が良いのかちっとも古くささは無い。長さも短いので気になっている人はさくっと読んでしまうと良いのではなかろうか。

Planning for Burial/Desideratum

アメリカはニュージャージー州マタワンのシューゲイザーアーティストによる2ndアルバム。2014年にThe Flenserからリリースされた。
Plannning for Burialはこれが聴くの初めてだが、調べてみるとThom Wasluckという方のソロプロジェクトらしい。
アルバムのタイトル「Desideratum」どこかで見た事あるなと思ったら、この間紹介したAnaal Nathrakhの最新アルバムでも同じタイトルが冠せられていた。調べると意味は「切実な要求」という事らしい。

さて音楽の方はというとジャンルで言えばポストメタルなんだろうが、シューゲイザーとカテゴライズしても遜色の無い音楽であると思う。音的には確かにそうだし、シューゲイザーの持つドリーミーな雰囲気を内省的で暗い方向性に思い切り舵を取った作風になっている。こう書くと昨今流行のブラックメタルへの影響が気になるところではある。たしかにブラックメタルを彷彿とさせる箇所も部分部分であるが、どちらかというと個人的にはドゥームメタルっぽいな、と。曲の速度が遅めというよりは独特のもったりとしたギターの運び方間の取り方がドゥームメタル。
ただブラックメタルにしてもドゥームメタルにしてもそれらの攻撃性は期待できない。攻撃性が無い訳ではないのだが、それも内側にめり込んでいく様なメランコリックなもので、外的なものではない。轟音の中にゆったりと沈んでいく様な、そんな音楽である。
空間性が意識された音楽で、一番目立つのはやはりギターの分厚く、やや粒子の粗い音だろ。もっと繊細な音にも出来るのだろうが、敢えてこのように若干荒々しさを持った音を選択しているのだろうと思う。フィードバックノイズはほぼ必須という感じで全編程よく彩っている。エコーのかかった気怠いボーカル、良く唸り伸びる様なベース、そして霧のように静かに足下に停滞しているシンセ音。ボーカルは一歩に弾いた感じで、どの曲も声が入らないパートの方が圧倒的に長いと思う。

個人的にはラストを飾る16分の大曲「Golden」が筆舌に尽くせないほど美しい。ノイズから始まった曲がミニマルなリフを繰り返しながら次第にその音を厚く厚くさせていく。ボーカルは呟く様なものが入るだけで歌は皆無である。耳障りな様々なノイズの洪水にぶわーーっと浸っている様な気持ちよさである。たまらん。桃源郷。

全5曲でその内間に挟まれた2曲はインタールード的なもんだからちょい物足りない。まあでも自己紹介的にはすっと聴ける良い音源ではなかろうか。次回作がどんなもんか速くも気になりますね。暗くて五月蝿いけど独特の美しさがキラリと光る良い音源だと思います。メランコリック轟音。オススメっす。

2015年3月1日日曜日

メイ・シンクレア/胸の火は消えず

イギリスの女性作家メイ・シンクレアの日本独自の短編集。
翻訳はこの分野では御馴染み南条竹則さんで、版元は東京創元社。鉄板の組み合わせで買う以外の選択肢が無い。
作者メイ・シンクレアは1863年生まれの1946年没の女性作家でこの短編集は特に怪奇色の強い作品を集めたもの。もっと具体的に言うと幽霊である。英国怪談といえばなんといっても辛気くさい幽霊と相場が決まっており、シンクレアもこの伝統をふまえつつ女性ならではの執念だったり情の深さが色濃く影を落とした独特の短編を書いている。
全部で11の短編が収められているが、女性が主人公または脇役であっても相当の存在感を放っている様な作品がほとんど。いわば女性に焦点があてられた物語を書いている。後書きによると女性の地位向上運動にも関わったようだが、物語となると政治色は無く、一見穏やかで落ち着いている女性の内側、そこで燻り場合によってはかっと燃え立つ炎のような思いをしっとりとした文体で書いている。登場人物達の迷いや悩み、そういった心情の描写にページを裂き丁寧に書いている。やや神経症的ともいえるようなそれらの懊悩はやはり先生で女性的に感じられた。
もう一つの特徴は幽霊でシンクレアという人の書く幽霊はとても生々しく、まるで生きているかのように肉感的である。そして直接的に描写がされるのだが、相対しても不思議と恐いという感じがしないのである。(なかには十分恐い幽霊も出てくるのでご安心を。)
ジェントル・ゴースト・ストーリーというジャンルもあるくらいだから恐くない幽霊というのは物珍しいものでもなかろうが、作者の書く幽霊は優しいというより、まるで生きている時と代わり映えしない様な、というところが特徴だろう。彼らの取って死は単なる通過儀礼にすぎず、勿論肉体はすでに無く超自然的な力は備わっているものの、死が彼らの精神を変容させなかったのか、例えるならば奇妙な隣人の様な超然とした感じがある。

中でもいくつか気に入った短編を紹介。
胸の火は消えず
コイがうまく行かなかった女性が地獄に堕ちる話。
色濃い沙汰が原因で地獄に堕ちるとは如何にも女性らしいと男性諸氏は鼻を鳴らすかもしれないが、ようするに生き方とそして自分の気持ち(その一部に良心がありそうだ)の問題だろうと思う。人間が書く地獄の形態は様々だが、この地獄の描写は凄まじい。時間という概念がなくなった世界、意識の力でどこにでも行けるのだが、逆に言うと意識外には決して行けない牢獄の世界で永遠に罪を繰り返す事になる。

仲介者
人を避けるためにいわくありげな民家に下宿した男が出会った女の子の幽霊。夜ごと閉じられた部屋の中ですすり泣く彼女は無愛想で何かにおびえる下宿先の夫婦と関係がありそうだが…
女の子の幽霊の悲劇的な生前(彼女が幽霊になった理由)はおぼろげながら推測されるのだが、この話はそこにとどまらず彼女と夫婦の”これから”について書いている。いわば過去を暴き、不自然な現在が、劇的な未来(クライマックス)を迎える訳なのだが、この現在から未来への繋がり方が半端無い。一見グロテスクな狂気としか言いようが無いのだが、その背後にあるのはやるせない真実とそれに決着をつける”許し”であって、これこそが作者が書きたかった事ではなかろうか。単純に善悪を超えた向こう側にある神々しさすら感じさせる渺茫たる世界だが、何より面白いのはそれが人間的な超自然的存在、つまり幽霊によって明白に形作られた事なんだ。人を許せるのは本来人だけなのか?このラストは男性には書けないのではなかろうか。これは子供を産める女性にしか書けない話かもしれない。この歪んだ物語はしかし希望の福音でもあるのだ。そんな気がした。素晴らしい。

という訳で曇り空の湿ったヒースが茂る荒野に立つ黒ずんだ屋敷、荘厳な往時を感じさせつつ今は傾いている、そんな光景がありありと眼前に浮かんでくる様な素晴らしい英国怪談であった。読書はいいぜ〜と思わせてくれる、その楽しさ。私はやはりやや陰鬱な景色にそれを見いだすのでした。
怪談ものが好きな人は是が非でも読んでください。オススメ。