2015年3月21日土曜日

ダフネ・デュ・モーリア/いま見てはいけない-デュ・モーリア傑作集-

イギリスの女流作家の短編集。
版元は安心の東京創元社。赤い帯がまぶしい。
著者ダフネ・デュ・モーリアのことは全然知らなかったのだがAmazon先生にお勧めされたので買ってみた。帯の文言で知ったのだが、かのヒッチコックの代表作「鳥」の原作を書いたのが、この人だそうで。ほかにもやはりヒッチコックの手によって映画化された「レベッカ」という作品が有名との事。
ダフネ・デュ・モーリアは1907年にロンドンに生まれ、1989年逝去されたそうな。検索してみると落ち着いたまなざしの中にも意思が見て取れる美人さんだったような。この短編集に収録されている物語はだいたい60年代から70年代に発表されたもの。(書かれたのはもっと前かもしれない。)
女性作家で英国というとこの前読んだばかりのメイ・シンクレアがすぐ思い浮かんでしまうが、女性の燃える様な情念に浮かされたシンクレアとは一線を画す。もっと落ち着いた視点で物語は淡々と進む。女性ながらの視点は心理描写に優れ、特に男性達は女性や奇特な運命に翻弄されながらも強さと可愛さ、そして愚かしいほどの弱さを持って描かれていると思う。ちょっと馬鹿すぎないか!と思う場面もあったのだが、よくよく読んでみるとパニックに陥ったり、ふとした事ですぐに機嫌を損ねる男性の姿にはよくよく見覚えがあるものだ。すなわち自分を見ているようでなかなかむむむ…という感じで思い当たる節々がありました。
さて冷静な観察眼によってしかし、穏やかな筆致で進む物語とは思いきや、さすがイギリスというべきか、やはり一筋縄ではいかない物語ばかりである。さすがにかのアルフレッド・ヒッチコックが惚れ込んで監督したはずである。収録されている5つの短編はどれもこれも”怖さ”をはらんだ物語である。この”怖さ”が面白く、短編によって猟奇的怪奇趣味、太鼓の鈍いと因縁、巧みに真意を見せない何を考えているか分からない奇人、上っ面だけの人間関係のその醜悪な裏側、SFスパイスを利かせた超自然的恐怖とバリエーションは豊なのだが、どれも根底して人間の心理が怖いのである。要するにこの著者の場合中心には人間心理があり、どうもそいつがいびつな形をしているようで怖いのである。(ただ醜いものと扱っているのではなく、所々に愛情や愛着を感じさせるのがまた面白いところ。)いわば日常生活、そしてその向こうにある奇妙な世界、または現代この時間とこの土地から隔たった人外の世界、それらは全く舞台装置にすぎない。いわば特異な状況で起こる人間の心理を書くために用意されたアイテムである。だからそれらに対する言及は、あくまでも主人公達がみたままそのままの姿で、どちらかというと簡潔に描かれている。人間というのを何千という言葉で表現する際に、デフォルメに必要だったのである。いわば日常で垣間見えるちょっとした真理をまるで顕微鏡で見るように拡大させたのが彼女の小説で、そこに書かれているものはいくら舞台が現実から隔たっているように見えても、根底には私たちの”思い”があるわけで、だからこそ共感でき、だからこそ怖いと感じるのだろう。
個人的には表題作「いま見てはいけない」の「おかしくなっていたのは俺の方だったアァー」感、そしてラストの江戸川乱歩感(思わず突っ込みが口から出た。)がたまらん。「第六の力」は聖職者が信者を引き連れて聖地エルサレムに赴くのに、みんな自分の事しか考えていないで動くのが、これはもうグロテスクとしか言いようが無く気持ち悪かった(勿論褒め言葉)。
しっとりとした怪談が読みたい人は是非どうぞ。

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