2018年8月18日土曜日

Sonic Mania2018@幕張メッセ

誰にでも特別なバンドやミュージシャンがいるものだ。新旧とかジャンルとかは一切関係ない。ただ自分にとって格別な思い入れのあるバンドが。私にとってはnine inch nailsがそれだ。中学生の頃に「The Fragile」を手に取ってからずっとそうだ。

仕事がまたもや忙しくなっていた。私たちがトラブルに遭うのではない。トラブルが私たちを見つけるのだ。仕事が阿呆ほどあって、つまりそれは概ね悪いことであるが、さらにいいことと悪いことがあった。悪いのはQueens of the Stoneageのライブに行けなかったこと。良いことはこんな状態を見越してチケットを買わなかったが、結果的には買っても行けなかったから良い判断だった。炎上中の案件を会議室にこもって対応中に別の案件をやってのけるという図太さを見せつつある私は、8月17日しかつめらしい顔で何かをすごく私にいっている会社の違う部署の人に「大丈夫ですんで」と呟いて会社を立ち去った。(経験のある人ならわかるだろうが全く大丈夫ではない。私を見つめる上司の顔には独特の哀愁がある。)向かうは幕張メッセである。nine inch nailsが私を待っている。Trent Reznorは比較的よくいう。曰く「Nothing can stop me now」

いわゆるフェスに来たのは高校2年生以来ぶりだろうか。そういえばSummer Sonicだった。Marilyn MansonをヘッドライナーにSlipknotも帯同する。日本からはMad Capsule Marketsが堂々と向かい打つ。今思うと隔世の感があるラインナップだ。元気だったから朝一からスタジアムに行って最後までいた。
あれから20年くらい。着いた時点で既にしんどい。22時過ぎ。体が重たい。(会社のPCが入っているリュックを背負っているから。)そしてフェス慣れした元気そうな人々がなんとなくしんどい。普段は小さいライブハウスにばかり行っているから異なるレベルで人が多いのもしんどい。金には常に苦しまされているが、優れた解決方法でもある。私はプラチナチケットなるものを購入してなるべく列に並ぶという行為を排除することにしていた。物販でninのグッズを購入し、実際の重量以上にクソ重たい社会性(会社のPC)をクロークに預けて、とりあえずビールを飲み、軽くご飯を食べる。マウンテンステージという4つあるステージで一番大きいものに向かう。コーネリアスというバンドがやっている。申し訳ないが耳に入ってはくるもののあまり印象がない。ninのことを考えていたから。プラチナチケットだと専用のエリアがあるが、正面から外れている。私は普通のエリアの比較的前の方に陣取った。コーネリアスがはけ、転換が始まる。薄汚い巨大な布状のものが下げられ、いくつもの照明がステージの脇にセットされる。私の興奮は静かに確実に高まっていた。労働で濁った目でステージを見上げる。腫れたように重たい脳で祈るように思う。どこか別の場所に連れて行ってくれ。転換が完了し、大量のスモークが噴射された。いよいよだった。スモークの向こうには別世界がある。

nine inch nails
三部作の1本目Not Actual Eventsから「Branches/Bones」を冒頭に持って来て巨大な地響きのような衝撃を巻き起こし、浮いた観客の体を間髪を容れずに「Wish」「Less Than」「March of the Pigs」で強烈に揺さぶる。隙間なく埋まったステージ前方はここの力が好き勝手に暴れて分子のようにそれぞれがいろんな方向からシェイクされる様相。こりゃやべえな、と笑いがとまらない浮かれた頭のなかに意味のない風のような思考が流れていく。とすると「Piggy」でトーンダウン。基本的に観客はみんなすごく歌う。
そこからは最近の作品からを中心にした曲を続けて披露。いいね、すごくいいね。私はninには単純な暴力性を求めてはいないのだ。激しい曲は素晴らしいが、そうでない曲だって全く同じに素晴らしい。Trentの声をききながら思った。人間が砂のように分子でできているなら一旦崩して再構築できれば良いのに。気持ち良い音が耳からだけでなく全身から入ってそんな原子を揺らしているような感じがして来た。「死と破壊」なんて形容されることもあったけど、nine inch nailsはそんな感じでもない。もっ違う何かだ。なんだか勝手に荒んでた心が、全く違う衝撃で揺らされてめちゃくちゃ感動した。
中盤で「Closer」が披露される。冷静になって思うとやっぱり最近のninはすごい。結構この頃とは曲のつくりが異なる。ロックを電子音で補強したり、一部を入れ替えたりしていた初期に比べると、今は電子音で曲を作ってそこにロック的なアプローチを作り上げている。出来上がった音楽は有機的だが、底流と表層という意味でも多層的な構造になっている。あくまでも歌が中心になっているからすっと受け入れちゃうけど、こうやって新旧の曲を織り交ぜて、そして今の体で再現するライブを体験すると曲の違いが明確に意識される。「Copy of A」もすごく盛り上がる。曲はシンプルといっていいほど音を削ぎ落としたデジタル的な音像だが、リズムが明確だしとても肉体的だ。明るいとは言えない曲だが、実は過去作からすると風通しはとんでもなく良いし抜群に気持ち良い。鬱屈してないわけではないのだが、それを飲み込んで全身する動きがあるよな、とつくづく思う、最近のTrentには。敬愛するDavid Bowieのカバー(Trentがストーカー役でPVに出ている曲)を披露。その後The Fragile大好きマンなので「Even Deeper」で私が発火。こんなの余裕で歌えるぜ!音が持ったりしていてこれはこれでやはり最高。ケタケタ笑っていると次は「Gave Up」じゃん。高校生の頃この歌詞を事業中にノートに書き付けていた私に死角はない。全部歌える。(My Steady Sysmatic Diclineって一番かっこいい英語じゃんって思ってた。今でもそう。)この曲は音源もいいけど、ライブでも後半また別の良さがある。その後「The Hands That Feeds」から「Head Like a Hole」、そしてラスト「Hurt」でしめ。
どの楽器も非常にバランスが良く、曲によってはギターに関しては本当に抑えられているというかロック的なダイナミズムが潔くカットされている。電子音に関しても例えば異常な存在感があるノイズ、とかでもなく全体の統制が意識されている。ただし「Hurt」のギターの音、それから最後の最後のドラム(ここが好きすぎる)などでは音の少ない分存在感がある。相対的な音作りがされているように感じた。
言われているように音は小さめだった。確かに個人的にはもっともっと大きい音で出して欲しかったな、という気持ちもある。だが曲の良さは全く減じられていなかった。オーディエンスのリアクションにもTrentは満足だったらしい(MCは結構してました。)し、またすぐ来て欲しいな。
お客さんは外国の方も非常に多く、私のように人生に忸怩たる思いを抱えていそうな中年男性もふんだんにいたが女性も非常に多かった。

演奏中に日付が変わっていたが、昨日もそしてもう今日も終了だ。私の目的は果たされた。情報量と思い入れが強すぎて完全にハングアップしている。この後は続けてマウンテンステージでMy Bloody Valentineだったが離脱。服がびちゃびちゃだったのでクロークで荷物をうけとり(プラチナだと出し入れ何回でもOK、利用自体も無料)、着替える。飲み物を買ってSpace RainbowまでThudercatを見に。

Thundercat
途中からだし、かなり放心状態だったので全然ちゃんと見れてない。6弦ベースを抱えたフロントマン(Thundercatさん)と鍵盤、ドラムの編成。かなりフリーキーな歌ありなジャズ。超絶技巧で歌があれば結構ダンサブルに聞けちゃうのだが、途中の掛け合いではかなりエグいことに。特にドラムはもはや手数が多くて拍子が把握できない。これはもうジャズを通り越して踊れないのではと心配になる程。私はドラムの連打は超好きなのですごく気持ちよきけた。ベースはいわゆるベースの音ではなくてほぼギター。リズムからメロディから全部自分でやっちゃう多才ぶりで、オルガンみたいに丸っこい音であっちいったりこっちいったりする。詳しくなので印象だけど曲によっては音の感じからもフュージョンっぽいなと思う。技巧を売りにすごくてもどうしてもハードルが高くなってしまうこともあると思うのだけど、Thundercatの場合はここでまるやかな歌が入るので印象が全然違う。格式高いジャズというよりももっと愛嬌のあるやつで、ベースだけでなくこちらの方も丸っこい。音源買ってないけどちゃんと聞いてみよう。

Flying Lotus
そのままSpace rainbowに居座り、次のFLYLOに。事前に3Dメガネが配られる。どうも視覚効果をかなり使うらしい。そう言えば初監督作品がしばらく前から日本でも公開されている。その名も「KUSO」。これは否が応でも期待値が上がらざるを得ない。
「 3Dグラスをつけろ!」というアナウンスがあってからライブがスタート。ステージ中央にセットされたShit(いうまでもなくKUSOのことだ)を模した卓でおそらく音と映像をコントロールしているのだろう。暗くてよく見えなかったが、ドラゴンボールのサイヤ人の戦闘服を着ていたようだ。(ちなみにThundecatも同じで、確かに「Gokuu」とかすごくいっていた。「俺はドラゴンボールが好きなんだ!」ともたしか。)
とにかくサイケデリックな視覚効果に目が奪われる。風邪をひいて熱を出した時に見る抽象的な悪夢のようだ。幾何学模様が姿をぐにゃぐにゃ変えていく。球体関節人形が出てくる。妙に日本的な動物たちがその姿を変えていく。クラゲのような生物。人間のスケルトン、などなど。さすが映画も取る人物だなー、こりゃ見るドラッグだーと感動しているのだが、ふと気が付いた。音がやばい。音量もでかかったが、問題はそこじゃない。映像は非常にアバンギャルドだし、恍惚感を催すが音はバリバリにソリッドだ。わかりやすい酩酊感は全然ないぞ?ハーシュノイズも少なめ(1曲あった)だし、ドローン的な音づかいはほぼ皆無。全編ほぼバッキバッキの金属質なビートで曲を作っていく。リズムが明確だし、非常にリアルだ。この目がさめるような鋭い音でトリップ感を演出するなんて一体何事だろうか。澁澤龍彦さんが幻想文学は朦朧とした文体で書いたらダメよといっていたのを何と無く思い出した。FLYLOはソリッドな音を使って全くの異空間を深夜の幕張に現出させた。
Kendrick Lammarネタで客席を大いに沸かせつつ、Twin Peaksのメインテーマから間断なく攻殻機動隊イノセンスネタを挟んでくる。マニアックさとか日本びいきというより単にてらいなく好きなものを取り込んでいるという感じで面白かった。

電気グルーヴもみようと思っていたが疲労感と虚脱感が半端なかったので帰宅。プラチナチケットは入場、物販、クロークが別列(ほぼ並んでいない)で使えるので快適だった。
フェスといえばご飯なので色々食べるぞ!と思ったけど結果的にほとんど食べてなかった…。フェスの雰囲気は楽しいけど、やっぱりある程度小さいライブハウスの方が自分にはあっているような気もした。人とくればまたちがうのだろう。
とにかくNINを見ることができて私は完全に満足である。ありがとうございました。

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