数々の賞を受賞し、現代版のホームズと称されることも。このホームズは黒人で人嫌い、禁欲的だがトラウマに縛られている。現代的だと思う。
ハードボイルドな探偵小説で、事件と同時進行で主人公の抱える問題を浮き彫りにするという手法は目新しくないが、個人的にはギャングの表現とワトソン役の相棒との関係が新しい。
実際アメリカのギャング事情はわからないが、日系アメリカ人である作者のイデは貧しい家庭で黒人貧民街で育った環境を活かし、スラングと独特の掟にまみれた最下層のストリート・ギャングの生活を書いている。
そこには日本からすると円遠いアメリカの抱える貧困と、そして人種の問題がある。あとがきにも書いてあるとおり、白人を頂点とする人種のピラミッドがあり、頂点以外ではお互いに差別し、そして争い合っているのである。
彼らからするとギャングというのは生活の手段であり、つまり現実的な選択肢なのだ。
自身もたった一人の兄を亡くしてから貧困の中で暮らしてきた主人公アイゼイア(・クィンターベイ、通称IQ)もそんなギャングが日常的にいる世界で育ち、また自身も密接にそれと関わってきた。
腐れ縁の相棒ドットソンはアイゼイアとは正反対の性格だが、カネがないアイゼイアに対して住居のないドットソンは一緒に暮らしてきた。在学中から売人になった生粋のギャングのドットソンとの関係は、複雑な出来事もあり単に腐れ縁という生ぬるい関係ではなく、同居人であり、共犯であり、友人であり、そして憎むべき敵がないまぜになった複雑なもので、これが物語を面白くしている。
陰と陽というよりは、自分が取らなかったもう一つの選択肢がドットソンであり、それ故アイゼイアは彼の気持ちが理解できるのだ。反発し合う二人が貧困を理由に交わらざるを得ないときに物語が生まれている。
外に放出するドットソンにたいして、ひたすら貯め込むアイゼイア。アイゼイアは利他の人であり、それは彼を育てたマーカスによるところが多い。おそらくアイゼイアは生まれつきの才があったが、情緒面は貧困にもくじけなかった兄によるところが多い。
兄との絆が彼を善人にしたのだった。
憎み合う夫婦、かつてのラップ仲間、孤独で歪む人間、ギャングの物々しい割にいざと言うときには軽い絆、この物語は様々な形の関係を書いており、そういった意味では普遍的な魅力を持った物語でもある。
貧困とはなにか、逆に豊かさとはなにか、一つの尺度は選択肢の多寡だろう。主人公とその相棒は貧しく、選択肢がなかった。彼らは望んで今の境遇にいるのだが(ドットソンはリッチになれる可能性があるギャングスタに、アイゼイアは他人の役に立てる潜りの探偵になろうという意思でなった)、それでもじゃあ金持ちに生まれてもそうなっていただろうか?
彼らの生活には余裕がなく、ふたりともストリートで生きている。たとえ自ら選んだ人生でもそうせざるを得なかった、という苦さが常に付きまとう。貧困がさらなるトラブルを次々に呼び起こし、解決する際に残る傷跡がどんどん増えていく。不安定に揺れる彼らの境遇が物語に緊張感を生んでいる。
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