2018年8月11日土曜日

和田博文 編/月の文学館 「月の人の一人とならむ」

日本近代文学研究者で大学教授の和田博文が編んだ短編集。
テーマは「月」で月にまつわる日本人の作家の43の話が収められている。物語もあれば、詩もあれば、エッセイもある。月に関わっていればなんでも良い。

月に兎がいるとしたのは日本人だが、外国にも似たような話はある。中国ではカエルがいるという。ヨーロッパでは女性や男性がいると考えられていたようだ。一体月というのは常に人間というものを惹きつけてきた。それはなぜかというと地球の唯一の衛星だからで、もっと言えば最も近い星であるからだ。太陽をのぞいてあんなに大きく見える星は他にはない。豊かでギラつく太陽とは違い、青白いと称されるその輝きは昼の太陽と対をなす冷たい光だ。暗くて静かで優しい。そんなのが月のイメージだろうか。裏側は地球側からは常に見えないのも象徴的だが、月には常に神秘があった。(アポロ計画はそんな神秘性を暴いたと言える。)女性の体のリズムと同調し、海面の高さを操り、満月の夜には人が狼に姿を変え、殺人が増えるとされた。lunaticという言葉には狂気の意味がある。前述の月の兎もそうだが、人々は古今東西いろんな思いを月に託してきた訳で、月を取り扱った(文学)作品が多いのも必定なのだろうか。

稲垣足穂の「月光密輸入」はこれが幻想だと言わんばかりの洒脱な筆致、中井英夫の「殺人者の憩いの家」はまさにルナティックなミステリーだし、谷崎潤一郎の「月と狂言師」は京都の雅な近所づきあいを書いていて、まさに別の意味で別世界だ。
月の青ざめた光は美しいが、あれは太陽光を反射しているに過ぎない。あのようなデコボコした岩の塊が陽光を反射するなんて太陽の力の強さに感服する。いわば月は巨大な鏡と言える訳で、単に光にとどまらず人間が様々な感情をあの丸く空に浮かぶ衛星に写してきた。幻想的な異世界、あるいは遠く離れた地球の地表にうごめく人間に良からぬ影響を与える非科学的な装置。この本に収録されている作品の内容についてはかなりばらつきがある。一様に幻想でおとなしい情緒に溢れた作品だらけという訳でもなく、そこが面白い。共通点は月なのだが、月というのは雑に言って石の塊なので、どうも人間側が恋い焦がれて有る事無い事を月の顔に塗りたくっているようでもある。そうするとこのいい意味で統一感のない作品ぐんが感情のカタログに見えてきて、非常に良いアンソロジーだなと思った。月といっても安易に幻想と狂気に落ち込んでいないところがとても良い。

月というのは不思議なもので、月齢とともに姿と位置を変える。それはもちろん周期的なもので全く幻想の入り込む隙はないのだが、ふと気がついて夜空を見上げると前に昨日以前に見た位置から大きく離れているように見える。単に毎日見ている訳ではないから連続性が失われているだけなのだが、なんだか私には全く気まぐれに月が好き勝手にその姿を変えて、神出鬼没に気の赴くままに夜空に現れているようで非常に面白いのである。

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