日本の作家によるSF小説。
椎名誠さんのSF小説はたくさんあるけど、初期の(1990年台)三部作みたいになっているのが「アド・バード」、「武装島田倉庫」、そしてこの「水域」。前の2冊に関しては賞をとったり、漫画化されたり(ちなみに何回も言っているけど「武装〜」の方は弐瓶勉さんの漫画「BLAME!」の元ネタの一つでもある。)しているので手に入りやすいのだけど「水域」だけは結構前から絶版状態。いつか読もうと思っていたけどようやく買ってみた。
地球が水に覆われた未来。当て所なく海流の赴くままに世界を旅する男。偶然手に入れた筏に書いてあるローマ字から「HARU」と名乗り、奇妙に変形した生物、そして荒廃した世界に適応した野蛮な人間たちと出会っていく。
いわゆるポスト・アポカリプスもので現在の文明はほとんど滅びている。海の水位が上昇し地球全体を覆う、というのはそういった映画があったと思う(有名な俳優が出ているやつで中身はあまり覚えていない)。椎名誠さんはたくさんのSFを書いていて、実は一貫しているような世界があるのだが、この物語はどうもその世界には属していないように思える。いわゆる「北政府」ものじゃないんじゃないかなと。あっちの世界でもやはり文明は一度崩壊しているのだが、海は油の被膜で覆われてほとんど曇天が重たくのしかかっているはず。地域が違うという可能性もあるが、「水域」では海は割ときれいで雨はどちらかと言うと珍しいみたいなので。
「つがね」や「ねご銃」などの椎名流の一風変わった(最先端だがどこか土着的な匂いのする)テクノロジーはほぼ出てこないというところも相違点の一つ。なんせほとんど海の上、と言うか水の上(場所によっては淡水だったりするのも天変地異が予想できて面白いところだ。)ということもあって余り”物”自体がない。そういう世界で人間とその生活がどうなるかというとより原始的になってくる。やはり敵性勢力(人やそれ以外)も出て来るが、争い方はより地味で生々しい。椎名さんの小説は一言で言うと「生命力」だと思う。前述のテクノロジーや特異な状況でも「生命力」は発揮されるが、SFのヴェールでやや隠れがちになってしまう。それが「水域」では存分に発揮されている。水の上なのでボートを漕ぐといっても限りがある(海流は強く、流れに逆らって漕ぐのは数時間が限度)、食べ物は魚をとるしかない(水はろ過装置がある)。こんな世界では生命力を発揮する前に魚が取れなかった死ぬし、ボートや筏から落ちたら死ぬし、サバイブすること自体が軽く奇跡めいている。自分の足ですら歩けない世界は非常に過酷である。文明に属する我々からすると恐ろしい世界に落ち込みそうになるが、登場人物たちは基本的に前向きである。彼らからしたら生きるのに必死で落ち込んでいる隙がない。基本的に今を生きて行くしかない。人間の本性は野蛮だとか、文明がなければこんなものだというような説教臭さはまったくなく、死に物狂いで生きて、それでだめならもうダメだ、という達観めいたのんきさ(これが生命力の行き着くところなのかもしれない。争いはじつは効率が悪い。)が全体を覆っていて、状況の悲惨さを緩和している。(というか悲惨さを受けれるしかない、という心構えがデフォルトになっている感じ。つまり悲惨の総量は減じてない。)究極のその日暮らしで、自分がどこに向かっているかもわからず海流任せ。人にあったらどうしても武器は構え無くてはならない。そんな世界。
主人公は「ハル」と名乗るがこれは本名ではない。無名の男でこれはつまり主人公は誰でもあるってことだ。一人の誰でもない、つまり誰でもある(あなたや私である)男の水の上のロードムービー、つまり人生の縮図が淡々とした筆致で軽やかに描かれていく。メタファーとしてのSFというよりは、見るものすべてが新しい、見慣れないという純粋な驚嘆を描くための、作者お手製のよくわからない魚達、植物たち。ここで重要なのは彼らとの関係性だ。よくわからない生き物を書くことはできても、その「よくわからない」たちとのふれあいをこうもリアルに掛けるのはおそらくこの作家だけってことはないだろうけど、やっぱり非常に稀有だと思う。「よくわからない」を捕まえて食べるのはもちろん、「よくわからない」がいっぱいの森を切り開いて歩く時に、手をついた木の幹に張り付く「よくわからない」の奇妙な感触などなどが実際に存在するかのように生々しく描写されている。やはりハードコアな旅人としての作者の経験、膨大な知識量があってこその芸当だと思う。サラリと書いているが確実に唯一無二だ。
作者本人も読みやすいと書いているし、このように素晴らしい本がなぜ長いこと絶版なのかわからない。もっと多くの人に読んでほしいのだが。別にSFに限らず、上質の人生にとっての栄養である「センス・オブ・ワンダー」を求めるなら手にとって絶対に間違いない。
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