2008年にEbullition Recordsからリリースされた。
名盤をたどる激情ってなんだシリーズの第三弾。(一旦今回はここまで。)
Portraits of Pastは1994年に結成され、翌1995年にはもう解散している。その後再結成もあったようだが現在はやはり解散状態のようだ。(再結成後にEPをリリースしている模様。)このディコグラフィーは唯一のアルバム1996年の(だから解散後にリリースされたという事になる)「Portraits of Past」通称「01010101」(とアートワークに書いてある事からそう呼ばれている)に色々な音源を足したもので、基本的なアートワークはオリジナルアルバムを踏襲している。レーベルオーナーによると解散後に人気が出たバンドのようだ。
「昔のポートレイト」というバンド名からして既に「エモ」いのだが、その音楽性はいわゆる「スクリーモでしょ?」という現代からの一言には集約できないもやもやとした何かと言わざるを得ない。前に聴いたYaphet Kotto、Orchidが同じスクリーモにカテゴライズされながらも、そのごメインストリームに躍り出たそれらのカテゴリーとは明らかに一線を画す内容で、明らかに余計無いものが沢山ついている。悪く言えば洗練されていない(始めに言うが私はメインストリームのスクリーモより前述のバンドのならす音楽の方が好きであります。)し、余計なものが沢山ついている。曲によっては8分を越えてきて、その曲展開は例えばエモバイオレンスという言葉がぴったり来るOrchidに比べると圧倒的に複雑で速度も速いということは無い。そういう意味ではYaphet Kottoに似ているがこちらの方が凝っている。カオティックハードコアの要素も多いのだが、例えばその文脈の二大巨頭バンドConverge、The Dillinger Escape Planに比べると分かりやいハードコアの暴力性はこのバンドにはかけている。激しいという意味では勿論激しく五月蝿い音楽である事は間違いないんだが、このバンドの激しさというのは多分に内省的。
乾ききったガシャガシャしたギターがコード感にあふれたリフで引っ張っていく。疾走感のアルパートは勿論、タメのある中速パートの叙情性、つま弾かれるアルペジオの澄んだしかしマイナーな響きがある美しさはその後のポストハードコアに大きな影響を与えたのではなかろうか。かれたその単音の響きには震えるハートが見事に表現されている。ここでもやはり引き算の美学なのか、と驚愕。(7曲目Something Less Than Intendedのイントロを聴きながら。)感情的(なハードコア)というとたとえば前述のConverge、The Dillinger Escape Planのようにどうしてもマスやらポストの要素を取り込みつつも激しくコマーシャルになっていくものだけど、このPortraits of Pastというバンドにはあまりそういった分かりやすい方向性が見えなくて、だからちょっともやっとしてしまうのだろうが、要素要素に注目しているうちに段々曲の良さが頭に入ってくる。移ろい行く事に美学かあって一番分かりやすいのは曲の展開における速度の調整だろうか、そしてボーカルの声もクリーン、スクリーム、そしてその中間がある。個人的にはボーカルパートにおいてはその中間がとにかくアツい!詩を歌うにしても言葉にできない感情が詰まっているってこういう事じゃないかと思ってしまう。(つまりそれがバンドの良さの一つ。)
日本でも結構方々で紹介されているこのバンドのこの音源。あふれる感情をそのままのせた様な混沌に正直戸惑ったものの、しばらく聴いていると少しずつその理由が分かって来た様な気がした。枠にとらわれないDIY精神がハードコアならまぎれもなくハードコアでしょ。激情ってなんだ?と思っている人は是非。
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