アメリカの作家による警察小説。
名作ドラマのノベライズをノワール文学の巨匠が担当した異色作。
サンフランシスコ市警のロバート・アイアンサイドは優秀な刑事だったが何者かに銃撃され下半身に障害が残り車いすでの生活を余儀なくされた。しかし市警はアイアンサイドの才能と手腕を買い、通常の組織には捕われない別働隊として彼を抱え、2人の刑事をその部下としてつけた。黒人の運転手を加えた鉄壁のチームが犯罪に挑む。
元々「鬼警部アイアンサイド」というのは1967年から1975年の間に制作・放映されたアメリカのテレビドラマ。その人気は高く都合8シリーズ199話制作され、日本でも放映された。ちなみに設定を変更したリメイク版(アイアンサイドが黒人に、舞台がニューヨークにへんこうされているみたい)が2013年から2014年に放映されていたようで、時が立ってもその人気ぶりが伺える。オリジナル版のQuincy Jonesの手による印象的なテーマ曲は聴いた事のある人も多いはず。(私もアイアンサイドのテーマ曲とは全く知らなかった。改めて聴くととてもカッコいい!)
そのテレビシーズのノベライズが本書。(他にもトンプスンではない作家のノベライズもあるようだ。)始めはてっきりトンプスンが原作かな?と思ったのだがそうではなかった。トンプスンは言わずと知れたノワール文学の巨匠でこのブログでも何冊か感想を書いた。テレビシリーズの警察小説というと少し意外な気もするけど、晩年のトンプスンは映画を始め映像作品と関わっていたとのことなので、そういった繋がりでこの仕事が舞い込んだのかもしれない。ちなみにこの小説、短いながらも警察小説の面白さがぎゅっと詰まったとても良い本。
トンプスンが刑事、しかも悪徳ではなくて正義感に燃えるリーダーを書くとなるとこれだけでもうすごい事なのだけれど、この車いすにのった巨漢アイアンサイドは滅茶苦茶カッコいい。鬼警部の名はだてではなく部下をこき使いまくり、自分でも捜査に積極的に乗り出すが、銃は好きじゃない(銃は健常者のための武器である、というくだりはトンプスンっぽくて納得してしまった)、部下の女性にほのかな恋心があるが、厳しく自分を戒めている、と厳しくも優しい刑事の誕生である。
車いすというのはどうしても移動だけでも常人のように行かないから、チームワークが通常以上に発揮されるという小説的な利点があるのは勿論のことだが、個人的にはこの要素は主人公の不屈さを何より効果的に高めていると思った。アイアンサイドは車いす生活の不便さを嘆く事はあっても、たとえば理不尽だと行って他者を非難するものでもなく(彼が何故そうなったのかというのはほぼこの本では語られない)、自己憐憫などもってのほか。彼にはもっと気になる事がある。それはにっくき犯罪の全貌を白日にさらし、犯人
は法の庭に引っ張りだし(彼は暴力的な人間ではない)、犯罪の被害者には慈愛を持ってその傷をいやそうとするのである。障害は彼にとって何の影響も無いように見える。例えば障害によって改めて人として成長した、とかそんなのも無いのである。ただ不便だ!と悪態をつきつつ、きっと足が自由だった頃と変わらない情熱で持って事件に挑み続ける好漢がアイアンサイドという男なのだろうと感じさせる。
大衆を意識してなのかトンプスンの黒さはさすがに他のノワール作品に比較すると押さえ気味ではあるが、効果的にオブラートに包んだ口の悪さやユーモアは少しも減じる事無く、作者の魅力が濃縮されている。トンプスンお得意の本人すら気づいていない狂気への偏向というのはほぼほぼ書かれておらず(というか犯人サイドに関してはほぼ書かれていない)、あくまでも善人たる主人公サイドにフォーカスして書かれているので、あなり全うな警察小説に仕上がっている。
トンプスン節を期待してしまうとちょっと方向性が違うので驚いてしまうのだが、警察小説が好きな人は読んでみて損は無いのではと。
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