ドイツ人の作家による短編小説。
2009年に発売されるや否や人気を博し、既に全世界33カ国で出版されて発行部数をのばしている。日本でも2012年に複数の賞の1位や2位を獲得している。
版元は東京創元社という事で私も結構前から読みたかったのだが、今回文庫化されたというタイミングでようやっと買ってみた。
作者のフェルディナント・フォン・シーラッハは実際にドイツで刑事事件を扱う弁護士として働いており、今作はそんな作者の経験を生かした”創作”である。なんでも家柄が良いみたいで祖父はナチ党全国青少年最高指導者だったようだ。親戚も弁護士だったりなんだったりするようです。
この本にはタイトル通り犯罪を扱った11の短編が収められている。一つの犯罪に付き1章でそれぞれは独立している。主人公「私」は弁護士をしており、11の犯罪に関わっていく。
犯罪小説というと銃であったり麻薬であったり、大量であったり猟期であったり、国家的な陰謀であったりととかくフィクションでは話が大きくなりがちであるところだが、この本に出てくる犯罪というのは窃盗、殺人、死体遺棄などおどろおどろしくも正しく日常の延長線上にあるもので、犯罪者たちも不良や職業犯罪者はいるものの普通の人たちである。著者は序文でこう書いている。私たちは薄氷の上にいてたまに氷を割って冷たい水の中に落ち込む人もいる。幸運にも落ちない人もいる。この本に出てくる犯罪者たちの境遇というのは隣にあって、何かあれば私たちもそこに落ち込んでしまう事があるのだと言っている訳である。彼が弁護士として様々な犯罪を目にし、自分でも関わって来た分説得力のある言葉で、説得力のある物語が紡がれている。
人が犯罪に走るのは何故かというと理由はあるだろうが、この本では環境的な要因に焦点が当てられている。勿論同じ状況でも犯罪を犯さない人はいるだろうから最終的には人の資質によるところもあるのだろうが。どんな状況で人は犯罪を犯すのか?気になるところである。「大人しい人でとてもそんな大それた事をするとは…」ニュースで何度も目にする言い方ではないでしょうか?
弁護士は基本的に依頼人の味方であるから、この本は警察小説は明確に違って善悪というのと真相というものからは一定の距離がある。どうしても犯罪者本人の言質に弁護士は左右されるからで、それがどんなものであってもできる仕事の範囲が決まっているからだ。これは非常にミステリアスな結果を小説に生じさせていて、本当は結局どうだったのだ?となる短編がいくつかある。ちょっとぞっとする。
作者の文体というか書き方は面白く、登場人物とくに犯罪者たちの何を考えているか心のうちを描写する事は無い。ただ動作などの機微で案に心情を描写している。これも人の心がどんなものなのかってことは分からない、というスタンスに因っているからこそのものだと思う。一番の味方だが何を考えているのか弁護士だって分からない。本当は何が起こったのかも。さてそんな感じで淡々とわかりやすい言葉で書いている。比較的簡素でお話自体も短い。しかしそこの人の人生がぎゅっと凝縮されているようだ。簡潔な言葉で人の人生が必要あればその生い立ちから書かれている。そこには楽しみがあり、悲しみがある。面白い事もあれば嫌な事もある。そんな思いだったり、どうしようもない外部の出来事だったりが原因で人は犯罪に走っていくのである。私たちはそこに自分の人生の一部を見いだし、そしてちょっと恐ろしくなるのだ。これは自分かもしれないと。
話題になるのが納得の面白さ。作者の本はまだいくつかあるのだが、文庫化まで待てないかもしれないな。面白い小説を探している人は是非どうぞ。読みやすく面白い。それでいてよ見終えたら自分の人生について色々考えずにはいられないと思う。とても良い本です。
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