アメリカの作家によるサイバーパンクSF小説。
1984年に出版され日本では1989年に翻訳されて発売された。絶版になっていたが復刊フェアの一環としてこのたび重版されたようだ。
こってりとした女性の顔はよくよく見るとつぎはぎのように微妙に歪んでいるという表紙が気になり、手に取った次第。
アメリカやロシアと言った強大な国家が相次いで分裂した近未来。アラブの都市ブーダイーンは殺人も日常茶飯事の危険な犯罪都市。そこで探偵を営むマリードはどこの派閥にも属さず独自の流儀を通す一匹狼。銃を持たない主義だが麻薬に目がないジャンキー探偵。ある時人探しの依頼を頼まれた直後に依頼人が目の前で殺される。験が悪いと嘆くが、次に引き受けた顔なじみの性転換済みの娼婦の足抜けも上手く言ったかと思えば、依頼人が消えてしまう。いぶかるマリードは自分が既に巨大な陰謀に巻き込まれている事に気づいていない…
私は熱心なSF読者ではないから間違っているかもしれないがアラブ世界を舞台にしたSFというのは中々無いのではなかろうか。架空のイスラム都市ブーダイーンはまさに悪徳の町といった風情で麻薬がはびこり、性転換した娼婦が闊歩し、殺人すら住人に取っては珍しくない。それでもイスラム教が深く浸透した町にはモスクがあり、祈りの時間にはアナウンスが流れ犯罪集団のボスですらその手を止めてメッカに礼拝する。ラマダーンを始めとする厳格なルールもやや形を変えながらも根強く残っている。いわばサイバーパンクでは御馴染みの猥雑な町を旧態依然としたアラブ国に再現した訳で、このカオスさというのは他にはちょっと無いのではなかろうか。なんともいまにも異国のスパイスにむせ返る様なにおいとざわめきが感じられる様な、そんな感覚は読書の醍醐味の一つだろう。
きになるサイバーパンク部分だが、ネットを省き脳拡張が一般的に敷衍した世界というと分かりやすいだろうと思う。外科的な手術によって脳内部をいじり頭につけたソケットでもって様々な機械に結線するのだ。言語を始めとする知識を”追加”するアドオン、それから人格そのものを変容させるアドオン、大きく分けてこの二つが合法、違法含めて蔓延している。特に後者は実在の人物にとどまらず架空の人物(ジェームズ・ボンドやネロ・ウルフといった探偵たちがでてくる。)になりきる事が出来る。コイツを付けると体型までもが変わった感覚になり、思考体系は確実に自分のものではなくなる。全く自分が無くなるというよりは主導権を別人に取られる様な感覚のようだ。おかげでアドオンをオリジナルの意思で持って取り外す事が出来る。(完全に別人になったらそいつは消えたくはないだろうからアドオンを取りたがらないだろう。)つまり意識の変容はありつつもあくまでも現状の人格を機転にしたブースト化まで対応しており、その連続性はこの手の小説では比較的読みやすい部類だと思う。
設定だけでワクワクしてくるがここに変わり者のマリードを主人公とした探偵風味が乗っかってくる。前述の通りマリードというのは一匹狼で暴力は辞さないが銃は携帯しない。いわば頭でと足で働くタイプの実直な探偵で、節制できているのかと思えば麻薬と酒は浴びるように消費する。自分の事をなかなか出来た奴だと思っているのだが、結構へまをやったりして抜けているところがある。言うなれば「飲み友達にしたら面白そうな奴」である。自信過剰気味かもしれないがあまり偉そうなところが無い。良い奴そう。
この小説で面白いのは対立するテーマをその関係を混沌とさせて内包させているところだと思う。古く幻覚な戒律と冒涜的な新技術。見た目と内面(割と簡単に性転換できるため男女の区別が曖昧である。)。そして自意識とそこに流れて込んでくる他者の意識。完全に対立しきっている訳ではなくて両者の境界が曖昧になってくるのである。そこの葛藤というか、摩擦による衝突を扱っている。そして強烈なラストに結実するのだが、マリードのキャラもあってある種の軽薄な楽しさはしかし純然たる世界のルールとして横たわる無常観に打ち負かされてしまうのである。この無常観、中々無いのではなかろうか。思えば汚い道ばたにゴミ袋に突っ込まれた娼婦の死体にも、モッド屋の老婆に汚らしい身なりや動作にもどちらかというと東洋的な冷徹ながらも言葉にならない哀切の念がこもった様な何とも遣り切れない視点が感じ取れる。
ドラッグの描写やマリードが脳手術のために長い事とらわれることになる病院での生活や医者とのやり取りは妙に生々しいのだが、それは常に病に悩まされた作者の経験が活かされているのだろうと思う。作者エフィンジャーは残念ながら既に逝去されているようだ。残念でならない。続編が2編。こちらも復刊してくれないかなと思います。
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