通常の作品は世界観は一つ持っている。しかしこの作品には二つの世界観がある。
家族の世界と、その外側の世界だ。世界、世界観は何か?それは視座の違いだ。万引きは悪いことなのは百も承知だが、あなたは映画見進めていくうちにリリーフランキー演じる父親、安藤サクラ演じる母親たち偽物の家族をだんだんと好きになっていったのではないだろうか。少なくとも私はそうだった。万引きが仕方がない、罪がないというわけではなくて、彼らには彼らの事情があるのだということが理解できるようになるのだ。この歪だが安定した小さな平和が後半破られることになる。そしてその奇妙さが世間に対して暴かれ始める。池脇千鶴演じる女性刑事に怒りを覚えた人もいるだろう。「何も知らないのに好き勝手言いやがって」と。訳知り顔で有る事無い事喋る冷静なリポーター達の浅はかさに悔しい思いを抱いたかもしれない。しかしもしあなたがこの映画の前半部分を見ずに、このニュースを偶然目にしたとしたらどうだろうか。容疑者達は幼い女の子を誘拐した。事実だ。老婆が不審死を遂げその年金を不正に受け取っていた。事実だ。老婆の死には他殺の可能性が認められる。自然な解釈だ。容疑者達は定職につかず万引を繰り返していた。事実だ。容疑者達は実は血縁関係はなく偽物の家族だった。事実だ。実際に事件もあったし、後ろ暗い偽家族というのはありふれた設定ではある。人を惹きつける力がある。現実にこのニュースを見たらあなたは気味が悪いと思わないだろうか?そして偽家族の構成員達は犯罪者で、ロクでもない奴らだと思わないだろうか?その時あなたは間違っているだろうか?間違ってはいない。彼らが後ろ暗い犯罪者で誘拐者であることは事実なのだ。彼らを嫌いになる理由としては十分だろう。彼らはいくら規模が小さくても平和の破壊者だからだ。劇中の家族を見て抱いた温かい気持ちが、視座が変わる後半で打ちのめされる。温かい湯に浸かっていたと思っていたのに、突然それが冷水に変わったことに気がついたようになんとも落ち着かないいや気分になる。この世界観の反転が非常に巧みで、そして残酷である。前半部で彼らに対して感じた温かい思いは、後半を経ても変わるものではない(もちろん変わる人もいるだろうし、前半から主人公達に反感を持つ人も大勢いると思います。)だろうか。いわば一人の人を違う側面から見た。または異なる距離で見た。そうすると同じ人でも全く別人のように見える。映画は、物語は神の視点を持っているからこそこういう見せ方ができる。普通は私たちはこういうケースはほとんどニュースによってのみ知ることができる。そして彼らに対する判断はなされる。さらにこの時この判断は間違っていない。
神の視点とは何か、それは人間を全部平等に見る視点だと思った。例えばこうだ。人がみんな平等なら、自分の家族と他人いずれかが死ななければならない場面でいずれかの選択を迫られた場合、どちらでも構わないということになる。だから神の視点は人間にとっては到達のできない高みである。しかしこの映画を見て思ったのは、神の視点とは全ての人間をミクロな視点でくまなく見つめることである。彼の凹凸を知ろうとすることである。彼の良いところ悪いところを観察することである。これは映画を観る前の私の考えとは決定的に違うし、そして同様に人間には到達することができない。なぜならそんなことをできる能力も、時間も我々には残されていないのである。精々生涯を通しても近しい5、6人に対してだけだろう、そんなことができるのは。つまり人数的には親友とか、家族である。主人公達は家族になろうとした。つまり他人をわかろうとしたのだった。じゅりまたはゆりは血縁のある家族にいても幸福ではなかった。血縁は時に欺瞞に満ちた方便であり、失敗しており、そしてその失敗は秘匿されがちであった。偽家族達は分かり合えることで血縁に挑もうとしたのだった。しかし、結果的に彼ら偽家族は血縁に敗北したのだろうか?幸福とは選択肢の過多だった。主人公達に金があればもっと万引きをしなくて済んだろう。知識や学があれば違う職業を選べたかもしれない。彼らには切れるカードが少なかった。そしてその少ないカードの中で家族になることを選択したのだった。(祥太、そしてゆりの場合はだいぶ難しく、それが物語を面白くしているテーマの一つだ。彼らは選んだのだろうか?強要されたのだろうか?)共同体としての家族、中盤で亜紀が治に問いかける。治と信代はどこで繋がっているのか?つながりの最たるものは金だと。しかし万引きは手段であって、つまり彼らは幸福を求めて繋がっていたのだった。
ボロで繋いだシェルターはやがて壊れる。「誰も知らない」がそうだったように。今回登場人物には大人が含まれる分、責任と善悪(というよりその判断)がつきまとう。刑事達の物言いがしっくりこない私だが、やまとやの老いた店主が祥太に発した一言に希望を感じてしまうのは甘いのだろうか。でもみんなが、少なくとも自分があの対応ができれば…と思ってしまったのだ。
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