作品自体は土地も主人公もバラバラで直接のつながりはないことは多いが(中には主人公が同じ短編がある)すべての物語が作者の描く共通の未来世界に属している。
俗に「八世界」と呼ばれるこの世界では、人類の一部が月で暮らしているくらいの未来に地球は異星人に奪われてしまった。当初月で暮らしていた数少ない人類はその後また別の異星人からのメッセージ(通称へびつかい座ホットライン、別に人類に当てたものではない)を発見。そこに含まれる超技術を使って宇宙に適応し、長い期間をかけて月を含めて8つの星で暮らすようになった。
ここらへんの事情はこの短編では詳しくは説明されていない(後書きによると長編ではちゃんと経緯が書かれているそうだ)。ヴァーリイはくだくだしく技術一つ一つを取り上げて説明するタイプの作家ではないらしく、大まかな設定だけでなくギミックや技術の説明も最低限。それらを当たり前のものとして受けれて暮らしている私達からすると未来人の生活を丁寧に描く。作品によっては派手な事件も起こるのだが、大体が例えば長く離れて暮らしている姉が弟に会いに来るとか、珍しい鉱石を拾いに行くとかそういうった類の物語である。これで面白いのかと言われれば面白い。まずはスケールが違う。石を拾いに行くったって金星の砂漠にまでいくのである。金星の砂漠ってどんなのか知っている?私は知らない。ヴァーリイは現在(彼が書いた当時)推測できる科学的根拠に基づいて誰も見たことのない景色を描き出す。金星の砂漠は暗く(人間の目だと何も見えない)、それでいて太陽は楕円形で地平線に沈むことがない。当然呼吸できる大気はなくて、砂漠は高台でまた高低差が凄まじい。そんな過酷な状況を臍帯で接続された荷物持ちロボットと延々と歩いていくのである。過酷な状況が爆発性の鉱石を生み出すのだ。爆発寸前で特殊な加工をすれば他では見れない色で輝き出す。
ヴァーリイは徹底的に環境を書く作家である。環境×人で物語ができる。ところで人の方は柔軟である。地球を追われた人類は過酷な環境に適応すべく必要に応じて肉体に外科的な改造を施している。ある程度衣食住が確保された後ではレジャーの性質も帯びており、なかでも気軽に性転換できる「チェンジ」は未来の人類にとっては大きな意味を持っている。人間の見た目はもちろん、モラルや規範は環境に合わせて臨機応変に変わっていくのである。現状から大いにギャップがある環境を描くことでこれに合わせて人の姿は変わっていくので、ヴァーリイはまず徹底的に環境を書くのである。(作中出てくる環境エンジニアリングが芸術の域にまで高められているのは印象的だと思う。)いわばパラメータをセットして作り上げた箱庭に任意のキャラクターを設置し、あとはそのシミュレーションの再生ボタンを押すかのごとく。異常な環境下で異形の人間たちが繰り広げるのはやはり人間ドラマにほかならなく、そういった意味ではどこまで行けば人間ではなくなるのか、またはどこまで行っても人間は人間である、つまり人間を人間たらしめるのはなにか、という問いかけであり、そういった意味ではこの本に収められている物語は極めてSF的小説群ではないだろうか。
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