2017年9月24日日曜日

Khmer/Larga sombra

スペインはマドリードのネオクラストバンドの2ndアルバム。
2017年に複数のレーベル、WOOAAARGH、Long Legs Long Arms、In My Heart Empire、Halo Of Flies、The Braves Recordsからリリースされた。
私が買ったのは日本盤のLPでこれはLong Legs Long Armsからリリースされている。この通称3LAというレーベルはこのKhmerというバンドに黎明期(バンドは2012年結成)から注目しており、ディスコグラフィー含めて幾つかの音源をリリースしている。前回のノルウェイのLivstidとのスプリットもそうだったが、今回も上質の紙を利用した二つ折りジャケットを使った特殊な装丁から始まり、スペイン語の歌詞とそれを日本語に訳した(曲名全てに邦題をつけている徹底ぶり)小冊子がついている。小冊子にはバンドのボーカリストMarioの手による絵が収録されている。ただ帯をつけて日本盤としてリリースするレーベルもあれば(これも発売してくれるという意味では有益だとは思うが)、こうやって手作りで物理的な距離と言語の相違を埋めようとしてバンド側の言わんことを日本人のリスナーに伝えようと奮闘するレーベルもあるものだ。

さて装丁も素晴らしいこの作品タイトルは「長い影」。聞いてみると結構難しいなと。内容がイマイチというのではなく内容は素晴らしく、ディスコグラフィーをこのタイミングで聞いてみると音の拡充ぶりがただならぬことになっており、その表現力には改めて驚かされるわけだが、このいわば拡大し、充実し、芳醇になったハードコアを一体なんと言ったらいいかわからなくなったのだ。「Khmerね、はいはい、ネオクラストっしょ。新作、いいね。」といってしまえば良いのだが、個人的にはこの作品を聞いてみてそもそも一体ネオクラストがなんなのかという問題に直面してしまった。正直今までの音源だとブラッケンドなクラスト・コアなんですかね〜くらいの認識でいたわけで、それがまあつまりネオクラストすっかね…という感じだったのだが、今作を聞いてみるとあまりブラッケンドな感じがしなくてちょっと驚いてしまったわけです。
ブラッケンドはそもそもブラック・メタルに特有な音的特徴を他のジャンルに持ち込んだもので、一番印象的なのは何と言ってもコールドなのにメロディアスなトレモロギターだろう。この要素は(もともとあったものだが)シューゲイザーやドリーム・ポップの方面にまで(ときにはAlcestのようにブラック・メタルを通過しつつ)その触手を伸ばしている。今回のKhmerの新作ではあまりこのトレモロを使っていない。Khmerはだいたいがその黎明期からあまりミュートを使った力強いメタリックなリフをメインの武器に数えてこなかったから、ノンストップで弾きまくるハードコアなリフがその持ち味であり、今作でもそれは多用しているのだが、あまりこう型にはまった美麗トレモロという感じではない。ギタリストは一人なので必要性から、そしておそらく目指している音の方向性から低音に特化して極端に重たくエフェクトをかけるやり方ではなく、低音から高音まで全域を贅沢に使って、アッタクの音も生々しくも非常に厚みのある(温かみのある)音に仕上げている。実際のところは分からないがコード感にあふれていて6つの弦すべてがなっている印象といえば伝わるのではなかろうか。音がギュッと詰まっていて、弾き方についても単にオルタネイトに弾きまくっていくトレモロとは違う。もっと余韻を活かしたひねりのあるもので、腕の振り方というのか程よく音を抜いていて緩急がついている。非常にメロディアスという意味ではブラッケンドに共通点があるが、メロディは別にブラック・メタルにしかない要素ではないので、これはもっと別の何かだろうと思う。あえていうならもっと色鮮やかな何かである。別に明るいわけではなく、むしろ確実に暗い方だと思うがその黒さは単に黒一色で塗りつぶすのではなく、無数の色彩が兼ねられているような印象だ。(レーベルでは「哀愁」といっててなるほど!と思う。)
慌てて過去作を聞き返してみると、やはり単純なブラッケンドとは明らかに一線を画す曲を展開していて、そういった意味では軸がぶれていない。私の聞き込みがあまかったというのと、黒と白の世界に大胆に色彩を持ち込んだかのような大胆な音の使い方を持ち込んだことでその異質さがより明確に現れたのがこの2ndアルバムなのでは。(特に1stと聴き比べてみると大変面白い。)たとえば曲にわかりやすいメロディ(流行したメタルコアのサビのような)を持ち込んだとしたらわかりやすく、そして感情的になるがそうではないところに美学を感じる。歌詞もそうだが、そうそうわかりやすくはなく、感情を溶かしてリフと曲に塗り込めている。それで書いたのがこの絵(アルバム)というわけだ。そういえばMario(デザイナー/グラフティアーティストとして活動している)のアートワークは完全にモノクロで構成されているのも面白い要素だと思う。
ちなみにMarioのボーカルは特徴的でしゃがれていて、やはり低音強くないので強いて言えばこの要素はブラック・メタル的だが、持って生まれた天性もあってこれだけでブラッケンドというのは個人的にはちょっと難しいかな〜という感じ。
個人的にはブラッケンド≒ネオクラストくらいの適当な感覚でいたもので、今回の音源はそういった意味では違うのか〜という驚きがあって面白かった。

歌詞を読むとかなり長さがある。多分あまりリフレインがないのだと思う。その世界観は抽象的だが読んでみるとかなり個人的であって驚く。まるで人の日記をこっそり読んでいるような感じがある。例えばラストの曲のタイトルは「孤独」という意味なのだが、歌詞はアルバム全般に渡って結構閉塞感がある。いわゆるハードコア的な歌詞(打ち倒せ、もしくはユナイトしろ)とは一線を画す。どうしてもTragedy以降という認識があるんだけど、歌詞の内容は明快にクラストだったそこからもう一歩進んだのがネオクラストなのだろうか。激情というと悩んでいる内省的な(歌詞)世界が曲に反映されているから似通っているところはやはりあるのではともおもう。

とにかく曲と音の充実ぶりに驚く新作。暗くもメロディアスな作風は日本人に結構あっているのではと思う。Khmer気になっていたけど、という人は是非今作からどうぞ。

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