アメリカの作家によるSF小説。
最近Amazonがリドリー・スコットに指揮をとらせてドラマ化して話題になっている作品。そういえばと思って買って見た。ドラマの方は見ていない。まずは原作からという気持ちで。ディックの熱心なファンというわけではないがどうしてもSFを読もうとなると映画「ブレード・ランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は避けて通れないわけで。その作品を筆頭に長編「ユービック」「流れよ我が涙、と警察官は言った」、そしていくつかの短編集を読んだりした。日本人はフィリップ・K・ディックが好きなんだと思う。結構今でも新しく邦訳されている事実を鑑みると。
第二次世界大戦で枢軸国が勝利した世界。アメリカはドイツと日本が分割統治していた。
古物商ロバート・チルダンは日本人の官僚田上からの無理難題に喘ぎ、田上はスウェーデン人の実業家バイネスとの会談を前に気を揉んでいた。腕のいい職人のフランク・フリンクは些細なことで工場の仕事をクビになり途方に暮れている。フランクの別れた妻ジュリアナは偶然であったイタリア人の長距離運転手ジョーと懇ろになる。戦後”普通”の世界で普通の人々の生活にとある陰謀が見え隠れし始める。
群像劇というか、登場人物が多くしかも微妙に全ての人が周縁部にいるというか、王道なら身分もバラバラの登場人物たちが次第に集まってきて大団円に向かうわけでもなし、またそのカタストロフィがほのめかされるのも”噂”だったりして結構物語としては捉えどころがない。
フランクが主人公を務める抑圧から歴史のない未来が芽生えるという一つの筋はなるほど特にアメリカ人には受けが良いのかなと思う。(作中でもこの新しい芸術はアメリカ人にしか受けていないのが露骨に示されている。)また歴史のもしもを考えるのはやはり面白い。あの時ああしていれば、って誰にもあるわけだから。個人的なそれなら一番だが、そこは小説なので誰にでもわかる分岐点(この小説は1962年に発表された)が世界大戦だったわけだ。歴史好きは枢軸国側が勝利を収めた世界の設定を考えるのがさぞや面白いのだろうと思う。自分は歴史さっぱりなのでそこまで。
じゃあ何かと言うと個人的にはこれは世界が終わる話を描いていると思った。世界はとかく創作では終わりがちだが、その中心にいる人(または巻き込まれて否応無く中心に引っ張られた人)がその破滅を防ぐために奔走するというのが筋になっていく。非常に派手で面白いのはもちろんだが、実際に世界が終わるとしたら陰謀が渦巻き、そして多くの偶然によって粛々となされていくのではあるまいか。市井の人はきな臭さを感じつつも、意外にそれにほぼ直面するまで気がつかないのではないか。こういうふうに考えてしまうんだけど、この小説はそんなひっそりと終わりつつある世界を描いているのではあるまいか。なるほどスパイや政府の高官たちが出てくるが、彼らも位置は中心に近くても当事者ではないのである。傍観者と言っても良い。自分の役目をわきまえていてそれを逸脱することはない。田上しかりバイネスしかり、「自分はやるべきことはやった」という諦観めいた無力感に襲われているように見えた。考えても欲しいのだが、常に日々のことが大切で、大きすぎる問題に関しては現実感がなくはないだろうか?「世界が終わるんだ!」と言われて実際にあなたは何かするかな?程度や伝え方にもよるだろうけど。割と高い身分にいる人でもそれはそうで、だからやたらと決断を易(古代中国の占い)に頼ることになる。そうでないと判断がつけられないし、自分の判断には根拠や理由の後押しが欲しいからだ。このもしもの世界は別に格別霊力があるそれではないと思う、個人的には。当たるも八卦当たらぬも八卦、でこの世界と50歩100歩なのでは。(そういった意味ではこの世界でも責任ある人の多くは占いに頼っているかもね。)そんな人間のサガを書いている作品なのではないかと思った。
割と注目度の高い作品だと思うので、ドラマを見て気になっている人は原作を読んで見るのはいかがでしょうか。ちょっと調べて見るとだいぶ内容が違うみたいだけど。
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