アメリカの作家による長編SF小説。
2009年から作家自身のサイトで発表し、後にkindle電子書籍ストアで販売、人気に火が付き紙の書籍化、そして映画化(監督はあのリドリー・スコットらしい。)、と前に紹介した「ウール」と似た様なサクセスストーリーを体現した本。私は残念ながら「ウール」はそこまでのめり込めなかったのだが、こちらの本は大変楽しく読めた。
アレス計画は地球から火星への有人飛行を行い、火星上で様々なミッションを行うNASAの計画。アレス計画3番目、6人の宇宙飛行士が火星に到着したが巨大な嵐が発生し、ミッションは6日目で中止が決定。しかし火星から離脱する際に強風で折れたアンテナがクルーの一人マーク・ワトニーを直撃、彼は吹き飛ばされ行方不明に。探索も空しく残りのクルーは彼をのぞく5人で地球に向けて帰還の途につく。
しかしワトニーは奇跡的に一命を取り留めていた。目覚めた彼は火星に一人きり、ハブと呼ばれる居住装置は残っているが、無線はなく地球との連絡のすべはない。救助がくるにしても食料がもたない。生きることをあきらめないワトニーの火星での過酷な生活が始まる。
無人島に一人きり、考えられるシチュエーションだが、火星に一人きりというのは極限すぎる。なんせそもそも酸素がない。食べ物もない。偶然通りかかる船もないのだから。普通なら主人公ワトニーと同じ境遇にたたされたらある食料を食べ尽くして後は自死するか餓死するか、そのどちらかであろうと思う。しかしそんな過酷な状況にワトニーは立ち向かっていく。どうやって?この小説では生き残りのための方法は2つある。そしてそれが抜群にこの物語を面白くしている。
一つ目は科学の力だ。宇宙飛行士ワトニーは同時に優れた宇宙科学者であり、植物学者でもある。地球から超左様にもって来た土壌に自分の排泄物を混ぜて火星の土とブレンド、増やした土壌でこれまた地球から持ち込んだジャガイモを育てようとする。(火星の土壌にはバクテリアがいないので植物を育てることは不可能とのこと。)近代科学の粋を集めた居住施設ハブの内部およそ全体が土に覆われることになる。
一事が万事この調子だ。はっきり言うとこの小説には火星人は出てこないし、光線中も出てこない。恐らく今地球上にある科学装置の延長線上にあるものしか出てこない。ワトニーは科学の知識と技術でもって定められた自分の寿命を延ばそうと試みる。酸素を作り出す。食べ物を作り出す。脱出方法を探り出す。全部その場であるものを調達し、工夫して組み合わせて解決策を講じる。いわば高度な思考実験を書き起こした様な小説である。
さてもう一つの要素、これは勇気だ。
これは勇気と前進の話なのだ。恐らく作者は科学オタクと自任するくらいの理系オタク野郎だから、はっきりと意図しなかったんじゃないかと思うのだが、ガチガチのハードSFであると同時に極めて文学的な作品なのだ。勇気ってなんだろう?私には分からないが、ワトニーの決してあきらめない心、そしてどんな辛いときでもジョークを飛ばす強靭さ。この小説はログという形でワトニーの独白のパートと地球の状況を第三者的に描写するパートで構成されているが、比率は前者が圧倒的に多く、ログを読めばワトニーがどんな人間か分かる。きっと読者は彼の嫌みのない前向きな性格に好感を抱くだろう。前に進もうとする人間の意思のいわば最前線にいるのが遥か彼方火星上にいる彼なのだ。彼はいわば全人類で最も前向きな人間と言える。前に進むということは希望を持って、そしてめげないことだ。
そして地球の人々、NASAにいる人たちは火星軌道を回る人工衛星でもってワトニーの無事を知る。ワトニーだけじゃない彼らもなんとかワトニーを生かして地球に返すことに文字通り全力で邁進することになる。そしてワトニーをおいて帰路にあるアレス3のクルー達。彼らが一つの目的のために力を合わせることになる。科学の粋を集めて、さらに知恵を絞って現状の不可能を一歩超えて可能に指せようとする人たち。彼らは勇敢な人たちだ。そしてその要素が多いに読者を感動させるのだ。泣かせてやろう、というこっすい魂胆なんてみじんもないハードSFである。(子供も可愛い動物も出てこない!!!)それがこんなにも人を感動させるなんて本当すごい。
科学だけでも勇気だけでもどうにもならないんだけど、その2つを掛け合わせて限界を突破する物語。壮大で甘美な夢と辛く苦しい現実を誠実な思想と丁寧な語り口でもって見事につなぎ合わせたとでも例えるべき見事なバランス感覚でもって、それでも火星、そして宇宙への挑戦の崇高さと科学技術の素晴らしさをその後ろ姿で語る様な、そんな凄まじいSF。
小野田和子さんの翻訳もばっちりでワトニーの人柄がすごく良く日本語でもって表現されていると思う。すごい。
真っ黒い宇宙に思いを馳せたすべての少年達にオススメの超絶面白い小説。
感動する話を読みたいならこの本を手に取っていただいて間違いないです。
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