2014年9月28日日曜日

アンディ・ウィアー/火星の人

アメリカの作家による長編SF小説。
2009年から作家自身のサイトで発表し、後にkindle電子書籍ストアで販売、人気に火が付き紙の書籍化、そして映画化(監督はあのリドリー・スコットらしい。)、と前に紹介した「ウール」と似た様なサクセスストーリーを体現した本。私は残念ながら「ウール」はそこまでのめり込めなかったのだが、こちらの本は大変楽しく読めた。

アレス計画は地球から火星への有人飛行を行い、火星上で様々なミッションを行うNASAの計画。アレス計画3番目、6人の宇宙飛行士が火星に到着したが巨大な嵐が発生し、ミッションは6日目で中止が決定。しかし火星から離脱する際に強風で折れたアンテナがクルーの一人マーク・ワトニーを直撃、彼は吹き飛ばされ行方不明に。探索も空しく残りのクルーは彼をのぞく5人で地球に向けて帰還の途につく。
しかしワトニーは奇跡的に一命を取り留めていた。目覚めた彼は火星に一人きり、ハブと呼ばれる居住装置は残っているが、無線はなく地球との連絡のすべはない。救助がくるにしても食料がもたない。生きることをあきらめないワトニーの火星での過酷な生活が始まる。

無人島に一人きり、考えられるシチュエーションだが、火星に一人きりというのは極限すぎる。なんせそもそも酸素がない。食べ物もない。偶然通りかかる船もないのだから。普通なら主人公ワトニーと同じ境遇にたたされたらある食料を食べ尽くして後は自死するか餓死するか、そのどちらかであろうと思う。しかしそんな過酷な状況にワトニーは立ち向かっていく。どうやって?この小説では生き残りのための方法は2つある。そしてそれが抜群にこの物語を面白くしている。
一つ目は科学の力だ。宇宙飛行士ワトニーは同時に優れた宇宙科学者であり、植物学者でもある。地球から超左様にもって来た土壌に自分の排泄物を混ぜて火星の土とブレンド、増やした土壌でこれまた地球から持ち込んだジャガイモを育てようとする。(火星の土壌にはバクテリアがいないので植物を育てることは不可能とのこと。)近代科学の粋を集めた居住施設ハブの内部およそ全体が土に覆われることになる。
一事が万事この調子だ。はっきり言うとこの小説には火星人は出てこないし、光線中も出てこない。恐らく今地球上にある科学装置の延長線上にあるものしか出てこない。ワトニーは科学の知識と技術でもって定められた自分の寿命を延ばそうと試みる。酸素を作り出す。食べ物を作り出す。脱出方法を探り出す。全部その場であるものを調達し、工夫して組み合わせて解決策を講じる。いわば高度な思考実験を書き起こした様な小説である。

さてもう一つの要素、これは勇気だ。
これは勇気と前進の話なのだ。恐らく作者は科学オタクと自任するくらいの理系オタク野郎だから、はっきりと意図しなかったんじゃないかと思うのだが、ガチガチのハードSFであると同時に極めて文学的な作品なのだ。勇気ってなんだろう?私には分からないが、ワトニーの決してあきらめない心、そしてどんな辛いときでもジョークを飛ばす強靭さ。この小説はログという形でワトニーの独白のパートと地球の状況を第三者的に描写するパートで構成されているが、比率は前者が圧倒的に多く、ログを読めばワトニーがどんな人間か分かる。きっと読者は彼の嫌みのない前向きな性格に好感を抱くだろう。前に進もうとする人間の意思のいわば最前線にいるのが遥か彼方火星上にいる彼なのだ。彼はいわば全人類で最も前向きな人間と言える。前に進むということは希望を持って、そしてめげないことだ。
そして地球の人々、NASAにいる人たちは火星軌道を回る人工衛星でもってワトニーの無事を知る。ワトニーだけじゃない彼らもなんとかワトニーを生かして地球に返すことに文字通り全力で邁進することになる。そしてワトニーをおいて帰路にあるアレス3のクルー達。彼らが一つの目的のために力を合わせることになる。科学の粋を集めて、さらに知恵を絞って現状の不可能を一歩超えて可能に指せようとする人たち。彼らは勇敢な人たちだ。そしてその要素が多いに読者を感動させるのだ。泣かせてやろう、というこっすい魂胆なんてみじんもないハードSFである。(子供も可愛い動物も出てこない!!!)それがこんなにも人を感動させるなんて本当すごい。
科学だけでも勇気だけでもどうにもならないんだけど、その2つを掛け合わせて限界を突破する物語。壮大で甘美な夢と辛く苦しい現実を誠実な思想と丁寧な語り口でもって見事につなぎ合わせたとでも例えるべき見事なバランス感覚でもって、それでも火星、そして宇宙への挑戦の崇高さと科学技術の素晴らしさをその後ろ姿で語る様な、そんな凄まじいSF。
小野田和子さんの翻訳もばっちりでワトニーの人柄がすごく良く日本語でもって表現されていると思う。すごい。

真っ黒い宇宙に思いを馳せたすべての少年達にオススメの超絶面白い小説。
感動する話を読みたいならこの本を手に取っていただいて間違いないです。

Aphex Twin/Syro

イギリスはコーンウォールのテクノアーティストによる6thアルバム。
2014年にWarpからリリースされた。
一つ前のアルバム「Drukqs」がリリースされたのが2001年だからそれから13年のときを経てリリースされたニューアルバム。2001年当時のAphex Twinといったらテクノモーツァルトなどと称され本邦でも絶大な人気を誇っており、nine inch nailsのリミックスアルバムに彼の曲が(リミックスなのか未だに謎なのだが)入っており、興味を持って私も「Drukqs」を購入したものです。当時高校生で本格的なテクノって初めてくらいだったもんで、その音の豊かさに大分驚いたものだ。ピアノの内部を使ったアートワーク通り激しくも何とも言えない閉塞感のあるくらいアルバムで、私はその後Aphex Twin関連のCDをいくつか購入したが結局一番はじめにかった「Drukqs」が一番好きだ。あの随所に挿入されるピアノ曲がたまらない。全体的には何となく雨っぽい雰囲気を持ったアルバムだと思う。
さて、そんな彼はそれ以来ぱっと鳴りを潜めてしまったのだが(「Chosen Lord」はリリースされたし、今調べたら別名儀でも自身のRephlexからリリースしていたみたいだが。(全く知らんかった。))、突然アルバムをリリースするぞということになって世界的にも結構な盛り上がりを見せておったようです。私も過去のアルバムを聞き直したりして大分楽しみに待ったもんです。戦車を通販で買ったとか、曲が滅茶苦茶詰まったハードディスクをどっかで無くしただとか、虚実のはっきりとしないもはや生きる伝説めいた趣のある彼だが、子供も出来てタイトルの「Syro」というのも子供の作った単語だとか。日本でも色々特典のついたオリジナル版を作ったりで期待感満点。まあテクノモーツァルトだから。

さて音の方はというと完全にAphex Twunです。
彼の作る音は音が細かいという印象があって、アンビエントものは別としてテクのものはだいたいどれも小さくてこまい音がぎっしり詰まっていて、それが跳ねたり転がったりするように鳴る、(そう考えると「Windowlicker」ってちょっと変わった曲だよね、大好きだけど。)というのが私の考えなんだけど、これってなかなか唯一無二。具体的にはどこがどうかというと困るんだけど、聴くとあ、Aphex Twinとなんとなーく分かる様な感じです。悪意のあるアートワークとは違って音の一つ一つにかすかに熱を持っている様な暖かみがある。
嵐のように打ちまくるビートは健在だが、一音がより重みを増したので今までの作品になくテクノ然とした聴きやすさがあると思う。アシッドなベース音が走り回る子供のように縦横無尽に右に左に駆け回り、伸びやかなシンセ音がそれに乗っかる。ノイズ寸前の小さな音達がひょっこり顔を出して跳ね回り、消えていく。霞のかかった様な、ベールの向こうから聴こえてくる怪しい声のサンプリングも健在でたま〜に絶妙なタイミングで出てくる。
ドリルンベースもあるんだけど、昔に比べると鳴りを潜めた。「Drukqs」の何とも言えない窒息しそうな閉塞感と焦燥感はほぼなくなり音がもっと外に向かって広がった。得意技のぶよぶよしたアシッドな音が幅を利かせているが、なんでこんなにドリーミィーな曲に鳴るのかはやっぱり分からない。なるほど彼はテクノ魔術師かもしれない。彼が曲を作ると無機質な電子音が感情を持ち出すのかも。(色んな記事を読むとかなり古いアナログ機材を多用しているとあるので、それも要因の一つかも。今回は機材がアートワークに書いてあるのだけど、聴くだけの私は見てもそれがなになのかわからないのだ…)
そんな不思議さの秘密は緻密に作られた音とその数の豊富さかも。テクノというと音を減らすことで格好よさが増すという側面もあると思うのだが(テクノに限らないかも。)、Aphex Twinは音の数がとにかく多い。よくよく聴いてみると色々な音が鳴っている。ピアノだけの曲も何かがこすれる音とか、鳥の声みたいなのがサンプリングされている。いわば病的なくらいの神経質さでもって彼の内面が音楽という形で再構成されているのかどうかは分からんがこの作り込みはすごい。
というわけで個人的には超大満足なアルバムでした。聴いてて楽しい!!次は13年後というのはあんまりだなと思うんで関係者の皆さんよろしくお願いします。

話題のアルバムだからかっている人は多いだろうが、まだの人はまずは視聴だけでも是非どうぞ。なかなかニッチな音楽ばかり紹介しているが、このアルバムは文句無しに色んな人にもお勧めが出来ると思う。


ちなみに私はなんとなくテクノをレコードで聴いたら気持ちよいんじゃないか?と思って(気持ちよかったよ。)レコード盤をかったが、これにはCD盤のように色々な特典はついていない様なのでご注意ください。日本版は1曲ボーナストラックが追加されているそうです。

2014年9月23日火曜日

SWARRRM/FLOWER

日本は兵庫県神戸のChaos&Grindバンドの7年ぶりの3rdアルバム。(だと思う。Black Bongはカウントしていないです。)
2014年にDaymare Recordingsからリリースされた。
この記事ではこれだけ伝われば十分なので始めに書くが、とても素晴らしいアルバムなので色んな人に手に取って聴いていただきたいです。

さてSWARRRMです。オフィシャルサイトを見ると一番最初の音源が1998年。激しい音楽は世に沢山あふれているが、そういうのが好きな人なら日本のこのバンドの名前くらいは聞いたことがあると思う。私も初めて知ったのは結構前でそのときはボーカルの方が前任の人で、どちらかというとカオティックハードコアのバンドの文脈で耳にした様な覚えがある。それからボーカルが元HellchildのTsukasaさんに変更、私もそのタイミングで再録アルバム(インタビューを読むと再録なんだが、元々Tsukasaさんありきで作った曲みたい。)「Black Bong」を購入。あまりに何と表現した良いか分からない音楽性に吹っ飛ばされ、それから全部とは言わないのだがちょこちょこ音源を購入している。
待望のニューアルバムということで密かに楽しみにしているのだが、まずはGaradamaとのスプリット音源での超キラーチューン「花」(アホほど聴きまくった。)を意識したアルバムタイトル「Flower」にこれはすごいことになりそうと期待が高まり、いざ聴いてみると予想の遥か上を行く凄まじさであった。

SWARRRMの音楽性ははっきりってなんといったら良いか分からない。それは昔からで、インタビューを見るとしかしはっきりとグラインドコアを指向しているそうだ。ここでいうグラインドコアというのはブラストビートのことだそうで、なるほど確かにそういうことで言えばこのバンドはぶれなくグラインドコアだと言える。しかし曲を聴いたことは分かるだろうが、ピュアなグラインドコアのような単純明快さは確かに随所に顔を出すもののもっと曲は長く、そして圧倒的に表情が豊かだ。その表現力。見ていると表情が次々に変わる様な異様さ。それがカオティックと評される由縁だろうと思う。変幻自在だがその変化力はあまりに違和感がなく、見ていくと動き出すロールシャッハテストの図柄のように不穏で思わせがちで、そして真意を汲み取るのが難しい。
カオティックとは混沌だが、混沌を生み出すのは特に音楽では難しいと思う。完全なインプロゼーションならともかく整合性のあるバンド形式での”曲”となるとそれは混沌そのものではなく混沌の表現になってしまうからであって、それは矛盾だし、カオスではない。じゃあ混沌はどこにあるのかというとこれは完全に私の考えだが、曲が産まれる前がカオスであって、それをなんとか楽器で表現しようとするのが混沌の表現なのだと思う。よくわからんと思うのだが、私もよくわからない。でも喜怒哀楽のどれかを指向する音楽ではない、もっと長いスパンで考えるとそれはある意味日記の様なもの、人生の一部を切り取ったものであって、これはカオスだと思います。長い期間、たとえば一日でも良いんだがずっと楽しい人生というのはないと思う。そしてこれを表現しようとするがカオティックな音楽。だからカオティックな音楽というのは非常に表情が豊かで人を混乱させる。(どうしてもわかりにくいので)
SWARRRMは持ち前のカオスにさらに大胆にメロディとキャッチーさを追加した。しかしこのアルバムを聴いて日和ったなと思う人は皆無でなかろうか。むしろ混沌さは増し、聞き手は混乱するだろう。そしてその混乱の中で私はちょっとSWARRRMの言いたいことが分かる様な気がした。つまり共感できたのだ、混沌に。それがひとえにメロディアスさの導入によるものなのかは分からないが。
技術的には凄まじくテクニカルなバンドだが、今作もすごい。私もインタビューを読んでから改めて意識したが、ブラストビートは凄まじい。ベースは兎に角運指が激しく動きまくり、主張が激しい。ギターはブラックメタルを思わせる嵐の様な陰鬱なトレモロリフに加え今作では透明感すらある、クリーンでコード感のあるフレーズを多用していてそれがもう。もうヤバい。これが突き刺さるのだ。鋭く尖った、それでいて繊細な音が。そのメロディが。
Tsukasaさんのボーカルは前からすごいと思っていたが、むしろ静かな曲調が大胆に導入された今作では凄まじい。凄みがあると同時に暗い。劇的であると同時に自然で、手負いの獣の咆哮のようだ。日本語すごいです。
1曲目「幻」でうおおと思い、あっという間に流れ込んだ2曲目「幸あれ」を聴いてこれはとんでもないアルバムだと確信した。この途方もない空虚さをある種キャッチーなメロディにのせて打ち出す新機軸はどうだ。この表現力は音楽がまるで実体を伴ったような力がある。ほぼ実際にある様な姿形がある。

ここここで貴重なメンバーへのインタビューが読めるので是非。
(勝手に紹介してしまいましたが問題ございましたら、お手数ですがご一報ください。)

さてこんな記事を読んでいる場合ではない。(最後まで読んでいただきありがとうございます。)あなたはすぐにCD屋にいってお金を出し、アルバムをかってこないといけない。私はこんな音楽を生み出し世に出してくれたバンドのメンバーに本当お礼が言いたい。素晴らしい。これが音楽です!!!!と快哉を叫びたい超絶オススメの傑作。

ヒュー・ハウイー/WOOL ウール

アメリカの小説家によるSF。
2013年に出版された。

今より未来の地球。地球の環境は人が住めないほどに汚染され、生き残った人々はサイロと呼ばれる地下に144階伸びる特別な施設で生き延びていた。食べ物はサイロ内の耕地を耕し、エネルギーは地下を掘り進むことで得る石油に頼り、人口統制のため出産は完全に統制され、サイロ内の上下の移動は中央を貫く階段で行う。
サイロの階層がそのまま人々の階層を表し、上層に住むもの立ちは下層に住むもの達を見下しているふしがある。市長が事実上サイロのリーダーだが、サーバーと呼ばれる過去の遺物を管理するIT部が実質的に大きな支配力と特権を有している極めて狭い世界。外部の汚染された世界への言及はタブーとされ、外に出たい、と口に出す、あるいは外部への脱出を試みると清掃と呼ばれる実質的な処刑の判決がくだされる。
防護服に身を包みサイロ最上部地表に突き出たレンズ(サイロ内上部にはモニタールームがあり、レンズが映す外の世界を見ることが出来る。)を拭く仕事が課せられるのだ。地表に出た後の行動は誰にも強制力がないのだが、不思議なことに今までの清掃でレンズを投げ出したものはいない。皆レンズを拭き、その後毒の大気で死に至る。
サイロの警察保安官であるホルストンは外の世界に出たいと自ら市長に明言、清掃に赴き、その公認として最下層機械部の女性ジュリエットが保安官に任命される。しかし過去ジュリエットと諍いのあったIT部部長は強くこれに反発。ジュリエットの波乱に満ちた保安官の日々が始まり、彼女は徐々にサイロのそしてこの世界の秘密に迫っていく。

兎に角設定が命の物語なのであらすじが長くなってしまって失礼。
この物語は面白い経緯、というか原題ならではの由来があって、著者ハウイーは作家志望で色々な職業を経た後作家を目指したのが、芽が出ず従来の形の出版に見切りを付けてAmazon.comのKindleストアにこの作品の一部を発表。するとあっという間に大人気になり
、(ストア史上で2番目に売れた作品だとか。)あれよという間に電子だけでなく紙でも、そして世界でも出版され、なんと映画の政策も決まっているとのこと。いわば現代ならではの出版サクセスストーリーである。
人類が一度大きな破局を迎えた後の世界を描く所謂ポストアポカリプスもので、多くが荒廃した世界そのものを舞台にするところ、その地下を極めて小さく書いたのが最大の特徴で、繰り返しになるが兎に角この設定がまた素晴らしい。なんともSF心をくすぐる。
否応無しに厄介毎に巻き込まれた主人公ジュリエットがなし崩し的に世界の謎に迫っていく訳なんだか、同時進行でもう一つの戦いがサイロ内で生じる。あらすじでも書いたが、サイロ内ははっきりとしたそういう法律があるのだが、なんとなく下層階層に身を置く人々ほど差別されるのである。それが清掃によって彼らの世界に綻びが生じ、たまった不満が反乱という形で実を結ぶと、こういう流れである。安全だと思っていた人類のゆりかごが二重の意味で存続の危機に陥る。一つは実質的な戦争。そして一つはジュリエットが暴くサイロの嘘とこんなになってしまった世界の謎の正体である。

世界の謎としてはサイロ内はともかくとして読者は結構早くに設定が推測できるように書いてあるので(ここは変に引っ張らせたりしないでいてとても好感が持てる。)だいたいこんなことが起こったのかな?というのは(登場人物の一人ルーカスへの教育を通して)程よくわかる。(はっきり何が起きたのかは次作以降明らかになるようだ。)
で、いわゆる反乱ものとしたら「月は無慈悲な夜の女王」の緻密かつ綿密な描写と緊迫感には正直歯がたたないと思う。とにかく敵との距離がないからあんなに悠長にやってられないのだろうが、いささか性急すぎるだろうとも。火縄銃の様なお手製単発ライフル対マシンガンでは勝負にならないのはそうだろうと思うのだが。それなら敵方も訓練を受けていない点がきになるし、IT部と機械部の人数が意図的に書かれていないが、どう考えてもエネルギー調達係である機械部の方が人数が多いはず。屈強な男達が揃っているのだから刃物や鈍器を手にベトナム戦争ばりの泥仕合を繰り広げてほしかった。
設定はとにかく良いんだけど、そこから動き出す物語がちょっと期待していたほどではなかったという印象。具体的に言うと設定と結論がありきで、物語がそれに向かってオートで動いている様なぎこちなさ、というか酷い言い方だがご都合主義的な展開が目についてしまった印象。ジュリエットの恋物語もどっかからもって来たような感じでイマイチ感情移入できず。
とはいえ敵役のホランドはいい感じの嫌らしさ+小物っぷりで中々良い。けなしてしまったが退屈でしようがないという感じは皆無で、さすがに物語が気になるので結構読み進める。私は次作は読まないつもりだが、設定が気に入った人はこの第1作目を手に取っても良いかもしれない。

2014年9月15日月曜日

BABYMETAL WORLD TOUR 2014@幕張メッセ 9/14

Babymetalを知っているだろうか?
日本人の3人組のアイドルでヘヴィメタルをもじったユニット名通り激しい演奏をバックにポップなアイドルソングを歌うのが特徴。海外のチャートで1位を取ったり、名だたるメタルミュージシャン達と共演したり、レディガガさんが絶賛したりとなにかと話題なので知っている人も多いと思う。
群雄割拠のアイドル戦国時代に突然現れた突然変異系アイドル、というよりはマイノリティながらも時代の変遷に良くも悪くも関係なく存在する一定の層をターゲットに、という戦略の元に生み出された企画系アイドルじゃないかと個人的には思っている。
私が大好きな日本のバンドCoaltar of the DeepersのNarasakiさんが作曲で参加していたりでほーんと思ったものの元々アイドルにあまり興味がない私と言えば腰を据えて聴くにはいたらなかったのだが、色んな偶然でもって私の職場の同僚の間でちょっとした流行になってしまい、私も1stアルバムなんかを貸してもらったりしてたんだが、あれよという間にライブに行こうぜという流れになった。(私は同僚の方々にCult Ledearを真面目に聴かせて嫌な顔をされたことがあるのでなんとなくメタルが好きな奴と思われているので頭数に入れていただいたのだ。)
アルバムを通して聴くと色んなバンドのオマージュっぽいリフが見て取れたりで想像以上に楽しく聴けた。

なにせアイドルのライブに行ったことがないからそういった意味ではどんなもんなんだろ?という興味もあって個人的には結構楽しみだった。
会場入りすると幕張メッセは満杯。(二階席でした。)往年のスラッシュメタルの名曲が流れてフロアは結構盛り上がっていた。メタリカをみんなで熱唱。赤いサイリウムがチラチラと見えるあたりアイドルなんだなあ、と実感。客層は様々だが、やはり年上のメタルファンと思わしき層が目立つ。若い人も多いのだが、比率的にどんなもんなのか気になるところ。あとはBabymetalのバンドTを来ている人の多いこと。気合いの入ったコスプレされている方も結構いらっしゃいました。最近はライブ自体あまり行かないし、行っても比較的大きくないライブハウスばかりだったので大きい会場はそれだけで面白いなあと思い開演を待機。

ほぼほぼ時間通りにライブスタート。
妙なイントロ映像から演奏開始。
まずは予想より音はでかめで良かった。やはりたまにボーカルとぶつかるな〜とは思ったが。個人的にはギターの音が目立っていたので、も少しドラムとベースの音を強めに出してほしかった。(ボーカルが聴こえにくくなっちゃうからダメなのかもだけど…)
女の子3人は本当に子供って感じ。結構縦横無尽に踊るので大変そう。メインボーカルを取るのは年上の子なので、あとの2人の女子は踊りメインで間の手を入れるくらい。調べてみると15歳らしい。YuimetalさんとMoametalさんというのだが、とにかく小さい女の子ががんばっているのを大人の自分がどういうテンションで見たら良いのか全く分からないというのが私がアイドル苦手な要因の一つなんだが、実際に見てみるとやはり戸惑いはあったけど素直にすごかった。学芸会みたいな気持ちで、と思っていたが結構とんでもない話で、実際のところ大勢の観衆の前でお金を取ってパフォーマンスしている訳でなんだか妙に感心してしまった。振り付けも足を振り回したり、足をくぐってみたりと可愛い。
ボーカルを取るのがSu-Metalさんでこの人は年上(っつても16歳なんだが)は歌が上手い。メタルといってもデス声なんかはいっさいやらないで(絶対そういったことはやらない方が良いと思う。)、伸びやかかつ力強く歌い上げるスタイル。可愛いながらも結構声量があって、コミカルな曲とちゃんと歌い上げる曲のギャップと技量はすごかった。2人ほどではないけど踊るしスゲーなあと感心。
兎に角バックバンドがすごい人たちなんだよ、と聴いていたんだけど確かにすごかった。メタルということでやはり技量がものを言う世界であって、格別好きではないんだけどバックバンドだけのコーナーではそれぞれの技量の高さに唸ってしまった。楽器の交換も結構頻繁にやっていて、思ったより演奏面がしっかりしていて良かった。
スラッシュ四天王から拝借したへんてこな映像や、派手なパイロなどはデカい会場、そしてお金のあるアーティストながらの演出で普段目にしない分視覚的派手なのはやはり見ていて楽しい。
始めはステージが広くて、バックバンドは後ろの一段高いところからおりてこないから、華奢な女子3人では広すぎるんじゃないかなーと危惧したが流石のステージングでメンバー3人は結構客席をアジっていて盛り上げていた。海外ツアーの賜物だろうか。中々堂に入っていて良かった。客席も盛り上がりってアイドルらしくみんなでやる動きみたいなのもあって楽しそう。上から見ているとモッシュやダイブも発生していた。途中で映像でウォールオブデスをあおって実際にやっている様は中々アイドルらしくねえなと思って楽しかった。反面MCは一切無しで潔し。多分しゃべると普通の女の子だからってこともあると思うけど。
結構あっという間に(90分くらい?)に終わってしまったが、話のネタにでもなればと思っていったけど中々どうして終わってみれば楽しかった。

さらっと書くつもりが大分長くなってしまった。
Babymetalというと当然硬派なメタル愛好家の方々の間で賛否両論巻き起こり、特にメタル系フェスへの参加に伴い喧々諤々の議論が生じることもあって私と言えばなんとなく反対!と叫ぶ方々の気持ちも分かる。ただ同時にマニアックながらも懐の広いのがメタルだとも思っているので、彼らがメタルかそうでないのか、単にアイドルなのかメタルの新しい形なのか、そういうのは分からないがなかなかどうして面白いかもしれないな、と思った次第です。

2014年9月14日日曜日

Code Orange/I am King

アメリカはペンシルベニア州ピッツバーグのハードコアバンドの2ndアルバム。
2014年にConvergeのJacob主催のDeathwish Inc.からリリースされた。私がかったのはボーナストラックが1曲追加された日本語版でこちらはDaymare Recordingsからリリース。

元々はCode Orange Kidsというバンド名で2008年位ハイスクールに通う学生らで結成されたそうな。始めはストレートなハードコアパンクをやっていたが、次第にドゥーミィになって来たとのこと。2012年に前述のDeathwishと契約したとき18歳だったというからすごい。

プロデューサーはJacobと同じConvergeのKurt Ballou。今や売れっ子というかたびたび目にする。ちなみにこのアルバム、ビルボードのレコードランキングで首位を取った件で結構話題になっているよう。
一通り聞いた感想としては暗いハードコアだなあ。兎に角若い人たちのバンドだというのは知っていたので、とはいえ思春期特有の青臭さとか初期衝動とかあるのだろうな、と思っていたのだが聴いてみるとこれは暗い。徹頭徹尾暗いものだからちょっとビックリした。アメリカの若者は大丈夫なのか?ちなみに私は暗い音楽が好きなもんでこのアルバムもいたく気に入った訳だ。
ジャンルとしてはハードコア。それもConverge以降というか、強く意識した感じ。速いだけではなく凝った複雑な曲。そして後ろ向きな感情の注ぎ込み方が似ているところがあると思う。アーティスティックなんだけど遣り過ぎて装飾過多にしすぎないやり方。いわばハードコア流な男の美学とも言うべきスタイル。

跳ねる様なギターワークは結構Converge。プワプワした音を入れるリフ(ハーモニクス?間違っていたら失礼。)もそれらしい。さらに突進するというよりは、音の数を少なくちぎった様なビートダウン系のリフも大胆に取り入れて結構今風。バルンバルンしていてこれは頭を振るのに適している。弾き方のバリエーションもすごく多彩で前述のハードコアから一転陰鬱なアルペジオだったり、フィードバックノイズ、妙にソリッドなノイズなどなど結構自由に引き倒すイメージ。
ドラムは乾いた音で連打するスタイルなんだが、ドゥーミィな曲調にぴったりの一撃の重さ。疾走の軽快さとスラッジパートの重々しさの対比は素直に格好よい。
ベースは中々すごい。ぱっと見目立つ感じではないのだが、ヘッドホンでもって大音量で聴くとちょっとすごい。重くてちょっと輪郭が曖昧なもこっとした音なんだが、パートによってはパーカッションのようだ。スラッジパートではあふれる様なノイズい唸り。ギターが結構縦横無尽なのでドラムとベースで堅実に曲を演奏する様な印象。
ボーカルは三種類で一つはハードコアらしい性急なもの。生き急いでいる。それからこれもハードコアな低音。デスボイスとは違うもっと男臭いあれです。それからたまに出てくる女性ボーカル。(このバンド女性メンバーがいる。)三者三様なので一つの曲にしても聞き応えがあって良い。何より女性ボーカルはずるいって位。想像してほしいんだがドゥームなハードコアに怪しい女性ボーカルにメロディを歌わせたらそれはちょっと反則的に妙なハードコアになるに決まっている。このバンドは結構そこを上手く使って来て、結果差別化に成功していると思う。使い方もあざといとまでは言わない流儀でもって好感が持てる。
そんでもって出来る曲がこんな閉塞感に満ちたハードコアな訳だ。今も聴きながら書いているけどやっぱり暗い。曲としてはしっかりとした土台に派手なギターが乗る勢いのあるハードコアなんだけど、トータルとしてなんとなく陰鬱な印象を受ける。それは単に曲が遅いから、音が重いからというだけではなさそうだ。いわばConvergeが作り出した暗い、強いけどちょっと儚げなハードコアに若者特有の力強さでもって下向きの動きを加えたもの、とでも例えようか。

青春パンクって知ってます?まだあるのかな?私が学生の頃は全盛期みたいな感じで好きな人には申し訳ないのですが私は好きになれなかったな〜。で、今思うんだけどこういうCode Orangeみたいな青春パンク(青春パンクだよね?)だったら大歓迎だな〜。
という訳であの頃の青春パンクムーブメントに乗れなかったあなたにオススメのとても格好よいCDです!!


2014年9月13日土曜日

Gehenna/The War of the Sons of Light and the Suns of Darkness

アメリカはカリフォルニア州サンディエゴのネガティブハードコアバンドのコンピレーションアルバム。
元は1998年にCrimethincというレーベルからリリースされた。私がもっているのは2008年にA389 RecordingsからリリースされたLP再発版。レーベル直販だと送料が高いからAmazonで買ったんだけど赤盤だった。そのかわりダウンロードクーポンがなかったから、さらにBandcampでデジタル音源買った。デジタルにはボーナストラックが2曲追加されている。昔はLPかったらPCで録音して聞いていたんだけど、最近は面倒だから良いなと思ったら買い直しちゃうこともしばしば。じゃあ始めっからデジタルでいいじゃん、といわれると反論のしようがないんだけど。
とまあ話がずれてきてしまいましたが、以前紹介した彼らの1st「Negotium Perambulans in Tenebris」がとても格好よかったので別の音源も、というわけで購入した次第。
時系列で言えば前回のアルバムより前にリリースされたもので、それまでにリリースしたデモ音源やスプリット音源、レア音源などを集めたコンピレーション。英語のタイトルで、えーと「光の息子達と闇の太陽達の戦争」という感じだろうか。妙に宗教がかったジャケットが格好いい。カラフルでよく見ると悪魔もなんだかかわいい。中と裏も宗教画でやっぱりちょっとブラックメタル然としたところがある。捻くれたハードコア臭がぷんぷんするぜ。

さて音の方はというとフルアルバム前の音源といっても結構音楽スタイルは確立されていて、荒々しいのは勿論だがかなり整然として予想よりかなり聴きやすい。
メタリックな刻みまくるリフトハードコア由来の引き倒すリフが混在したハードコアで、勢いを重視したストイックな演奏が売り。
ギターはメタリックな重さをもっているのだが、今作では1stよりもっとハードコアスタイルな印象で、不安をかき立てる高音リフが突発的に飛び出して来たりして面白い。
ベースは相変わらず低く、重い。ドラムは比較的軽いのでここってところで曲がぎゅっと引き締まる印象。もこもこした音でスラッジパートでは映えること。
またドラムはよく聴いてみるとかなり叩きまくりの直情スタイルでスタスタ刻みまくって格好いいことこの上無し。
なんといってもボーカルの禍々しさよ。ブラックメタルのイーヴィル感を彷彿とさせるスタイルなのだが、様式日のメタルの世界とは一線を画すハードコア由来の汚さよ。邪悪であるが、たとえば絵画の世界の邪悪ではない。そこにあるかもしれない邪悪である。より卑近な悪意に満ちているとでも言うべきか。悪漢が出す錆び付いたなまくらナイフの様な現実的で生々しい直接的な恐ろしさである。粗いメタリックハードコアを一気に魔物めいた音楽にかえていると思う。
5分超のスラッジな曲も入っていてこれがバンドの雰囲気とすごい合う。後ろでグログロ唸っているフィードバックノイズと、不穏な静けさがたまらん。
またたまに顔を出すパーカッシブとも言う様なバンド全体で刻んでくる様なパートが良い。取っ付きにくいかと思いきや意外にユーザーフレンドリーじゃないか?
前回の記事でなんでハードコアスタイルでやっているのだろう?と思ったと書いたんだけど、歌詞を読んでみるとなるほど完全なハードコアアティチュードでこのスタイルは必然なのかもしれない。人口の83%はクソだと言い切る1曲目から始まり、無知と傲慢さに対するヘイトを直接的な言葉でまき散らすのはやはりハードコアだ。

という訳でかなり人を選ぶ音楽性かもしれないが、好き者の皆さんは是非聴いてみていただきたい。マニアックな貴方には意外にも刺さるかもしれませんよ。

2014年9月7日日曜日

ジム・トンプスン/グリフターズ

アメリカの作家によるノワール小説。
1963年に発表されたグリフターとは詐欺師のこと。

ロサンゼルスでセールスマンとして働く25歳のロイ・ディロンには裏の顔があった。彼は詐欺師だった。敢えて大仕事ではなく小口の仕事をこなすことで目立たず、また地に足の着いた生活を送ることに成功している。年上の恋人モイラとの関係も良好だが、ある詐欺で怪我を負ってしまう。そこに7年もあっていないロイの母親リリィが訪ねてくる。リリィは14歳のときにロイを産んだが愛情はなく、ロイは早々に家を飛び出したのだった。久しぶりの再会はしかしロイの人生に大きな波乱を招くことになる。

というわけでトンプスンの小説。もう紹介するのは4冊目?
以前の感想ではトンプスンの小説はディティールは異なるものの概ねの舞台設定はどの話でも同じものである、ということを翻訳者の方の指摘もあって書いたと思うんだけど、今作は結構今まで読んで来たトンプソンルールからは逸脱したないようになっている。
変わらず犯罪を書いているのは同じ。主人公も人並み以上の容姿と才能を持ち、あえてそれを隠してどちらかというと人に舐められるような生き方をしているのも同じ。しかし今作の主人公ロイはどちらかというとセールスマンという隠れ蓑があるものの完璧な犯罪者である。ただし口先三寸で渡り歩く詐欺師であって、暴力とは無縁である。
上手く渡り歩いているが母親との関係は不和に満ちたものであり、逃げる様に実家を飛び出したものの彼女との関係はロイが気づいていないにしても暗い影を彼の人生に落としており、いわば離れて暮らしている今でも母親を常に意識している。いわば未だに彼女に支配されており、本当の自分の人生を獲得していない。そんなところに母親が訪ねてくる訳だ。作者はトンプスンだから涙ながらの再会と和解ということにはならず、どちらかというと親子の対決と言った趣になってくる。母親リリィはロイの上を行く職業犯罪者であるから、百戦錬磨のロイでも扱いに困る。
緊張感が高まっていく中である事件が起き、それからはそれこそジェットコースターのように一気呵成にラストになだれ込む。主人公ロイは暴力が嫌いである。犯罪者ではあるが今までの主人公達のようにうちに秘めた凶暴性はない。ロイは君主的に振る舞う母親に抑制され、徹底的に牙を抜かれてしまった、そんな趣すらある。
トンプスンは暴力を書く作家だから暴力の威力を良く知っている。彼はしかし暴力そのものを書きたい訳ではない。(と思う。)彼のノワールって何だろう?私の様なものが一言で言い表せるものではないだろうが、ひとつにこの世の空虚さを書こうとしているのだろう。今作でトンプスンはその持ち味をあえて小出しにすることで最大限の効果を発揮することに成功している。たしかに今までの作品の様な暴力の氾濫はない。あれはあれで大変面白いが、作品が少しおかしくなりすぎる嫌いがあって、壮快だが現実感が少し希薄になる。今作はちょっと地味な感は否めないが、その分空虚さが半端無い。詳しくかけないがラストまで是非読んでいただきたい。暴力を。この暴力とその結果こそがトンプスンの書きたかったものではなかろうか。

という訳でトンプスンを読んだことある人は勿論、敢えて万人にお勧めしたい小説。ノワールとは黒という意味だ。これは黒い小説だ。本当に真っ暗である。けばけばしい世界にぽっかり開いた穴の様な話だ。そこを覗き込みたい人は読んだ方が良い。
ちなみにこの話、マーティン・スコセッシの手によって90年に映画化されているそう。
合わせてみたら面白いかも。

Greenmachine/D.A.M.N+3

日本は金沢のロックバンドの1stアルバム。
私が買ったのは2003年にDiwphalanx Recordsから発売されたタイトル通りボーナストラックを3曲追加したリイシュー版。オリジナルは1997年にMna's Ruin Rechordsからリリースされた。
Greenmachineというと日本のドゥーム/ストーナーを語る文脈だと必ず出てくるバンドなのだが、1995年に結成し1999年には解散している。私が彼らのことを知ったときは既にどのCDも廃盤になっていた。例によってiTunesでは購入することが出来るのだが、なんとなくアナログ音源に愛着のある私としては結局購入するに至らなかった。ところが昨今になってバンドが再始動(突発的に復活してライブを行うことも以前にあったようだ。)し、Borisと東京でツーマンライブもやったりと積極的に活動しているようで、どうもそれに合わせてCDが再度プレスされているんじゃないかと思う。普通にAmazonでかえた。

さてオフィシャルのTwitterにはハードコアロックバンドと紹介文がある。
なるほどドゥームと言ってもおどろおどろしいメタルではなく、明快な暴走型ロックンロールとでもいうべき音楽性である。曲の速度も極端に遅い訳ではなく、むしろ体感では結構速い。
リフは刻みまくるスラッシーなものにチョーキングを多用したためる様なクラシカルなロックの要素が取り入れられたものだが、何と言っても音が滅茶苦茶厚い。ざらざらしていてちょっと湿った様な粒の粗い音がぎっしり詰まった音の塊である。一見全然ストーナーっぽくないぞ?と思ったのだが、よくよく聞いてみるとなるほどそここはストーナーっぽい。煙たく埃っぽいとは言えないのだが、よくもまあその力業でと思わせる迫力があって面白い。
ベースはうろうろ歩き回る様な不穏な音でこちらも音割れ寸前の爆音が気持ちよい。突き放した様なスラッジパートでは迫力満点。
ドラムは破裂する様なタムが気持ちいい。弦楽器の作り出す閉鎖的な息苦しさに対して一種の清涼剤の様な開放感がある。
絞り出す様な絶叫スタイルのボーカルは確かにハードコア。日頃の鬱憤を吐き出す様な自棄糞さでもってお世辞にも上品とは言えないスタイルだが、演奏と相まってこれがすごい格好いい。
小細工無しのハードコアロックンロールの応酬なんだが、やはり放心したようなノイジーなドゥーミィさがあってそれがグサグサ刺さる。特にためてためてからのぐぅあーっと爆音が解放されるように弾かれる様が良い。この陰鬱さはしかし明快で飾りっけがなく良い。メタルと言ったら何でも過剰にしてしまってそれが良いところでもあるのだろうが、Greenmachineはもうちょっといさぎのいい感じ。必要最小限の音で勝負するイメージで、ダラダラしていないから攻撃的な音でも楽しく聞けるのがよい。それでいてタイトルトラックのイントロなんかはそこらのメタルバンドがはだしで逃げ出す様な荘厳な迫力があってヤバい。底なし。

噂に違わぬ破壊力のある音で満足。オススメ。
一つ難点を挙げるとしたらオリジナル版の方がCDのジャケットは断然良い。血を流している女の子のイメージのもの。暴力的なイメージが良いというのでないが(私はむしろ死体写真とかは苦手。)、何とも言えない空しい残酷さを表現していて音によく合っていると思う。


ジャック・ケッチャム リチャード・レイモン エドワード・リー/狙われた女

アメリカの有名なホラー作家3人によるアンソロジー。
各1作ずつ合計3編が収められている。原題は「Triage」で、2001年に出版されたもの。ただし版元が廃業していたりの関係で序文などが含められていない日本独自のものであるそうだ。(3作品個別に契約したというのだから扶桑社さんは結構な執念である。ありがとうございます。)

ジャック・ケッチャム、リチャード・レイモン、エドワード・リーというスプラッタパンクという新しいホラーのムーブメントの旗頭となって活躍する三人ということだそうだが、私はケッチャムの本しか読んだことがない。
ケッチャムと言えば後味の悪い小説をあげる際に必ず「隣の家の少女」でもって名前が挙がる近代ホラー界では著名な作家である。日本でも人気があってこの本と同じ扶桑社から翻訳が何冊も出ている。かくいう私も上記の高校生の頃の「隣の家の少女」から始まり、恐らく全部とは言わないがおよそ大変楽しく読ませていただいている。

シープメドウ・ストーリー ジャック・ケッチャム
ニューヨークで出版社の原稿閲読係として糊口を凌ぐ冴えない作家志望の中年男ストループのツキは最悪。女には振られ、元カノからは借金の返済で裁判所に訴えられ、さらに仕事はクビになってしまう。追いつめられたストループは拳銃を手にシープメドウにあるセントラルパークに赴く。そこに元カノがいると聞いて…
冴えない中年男ストループはケッチャムの不遇だった時代を投影した分身みたいなキャラクターらしい。わがままで横柄。もてるのだろうが男女関係ではセックスのことしか考えていない。そんな男が辛くあたる現実に対して遂に銃を取る訳であって、働く冴えない男子諸君ならそのたがの外れた中年男に嫌悪どころか妙な共感を覚えること請け合いである。それほどにケッチャムの筆致は凄まじく。ストループの軽口に私は車内だというのニヤニヤがが止まらなくなってしまったものである。
しかしケッチャムの作品を読んだことがある人なら頷いてもらえると思うが、ケッチャムは優しい作家ではない。次第にストループが追いつめられていく様にはぞっとする。幻聴が彼の正気と狂気のバロメータになっているのだろうが、物語が進むにつれて始めはご機嫌かつノーテンキなホラーかと思いつつ気づいたら泥沼にはまり込んでいる。ラストの衝撃は賛否があるだろうがそこは本質じゃない。(個人的にはもっとケッチャム節でも良かったと思う。)読んで最高に面白い。やっぱりケッチャムはすごい。


狙われた女 リチャード・レイモン
金曜日の終業間近。法律事務所で働くシャロンの元に電話がかかってくる。「おまえをいただくぜ」。いぶかしむ暇もなく両手にショットガンをもった男がオフィスに押し入り、あっという間に同僚三人を射殺。辛くも逃げだしたシャロンは同じビルの男とともにオフィスに戻るが、そこにはバラバラにされた同僚達の死体が山のように積み上げられていた…
スプラッター。真っ向勝負のスプラッターである。ほぼ無人のビルでか弱い女性が屈強なサイコに追いかけ回されるというストーリー。こういっては何だが、典型的なストーリーだから、作品の質を決めるのはなんと言っても描写であるが、そこはこのレイモン、圧倒的な筆致でもって酸鼻極まる地獄絵図を書いた。それは肉と臓器の世界でもって生臭い血がそこら中に飛び散っている。簡素かつストレートな表現はそのまま暴力的な力もって読み手の気分を害するのだ。最高のホラーだ。エロとグロである。肉感たっぷりの悪夢。
落ちのまとめ方も奇麗。
残念ながらこの作品を書き上げた直後くらいに作者リチャード・レイモンは急逝したとのこと。残念。ご冥福御祈りいたします。例によって絶版になっている著作の復活を望む。

われらが神の年 2022年エドワード・リー
終業間近クリスチャン連邦航宙艦エデッサ号で情報技師として働くシャロンの元に通信が入る。「おまえをいただくぜ」。いぶかしむ暇もなく高周波銃を持った男がブリッジに押し入り、あっという間に同僚三人を射殺。辛くも反撃に出たシャロンは一命を取り留める。犯人は世界を混乱せしめようと暗躍するテロ組織レッド・セクトのメンバーだと言う。混乱するシャロンに上司はエデッサ号は極秘の任務についていることを打ち明ける。星の彼方にあるエデンを確認しにいくのだと…
書き出しはレイモンとほぼ同様だが、なんと今作はSF!前の2作とは大分趣が異なる。スプラッターな描写は冴えまくるが、もっとじっとりと読ませるホラー要素が強まる。
なんと言ったって銀河の果てに見つかったエデンを見つけにいくというのだから、こう中二病というのでもないだろうが、そんなこと聞かされたら男子としてはわくわくしてしまうではないか。で、閉鎖的な船内での陰謀合戦である。裏切りである。騙し合いである。誰が見方なのか?中々読ませる展開で当初は前2作とのギャップに戸惑うがあっという間にスペースホラーに引き込まれる。クリスチャン連邦が世界を席巻したというのその禁欲的な世界観とテロリスト達の放埒的な悪魔主義が相まってとても気持ち悪い。

という訳でどれも文句無しに濃厚なホラーで楽しめること請け合い。
どれも良かったが個人的にはやっぱりケッチャムはすげーと思った。
作品と読者の距離が近いんだよね。ぐっと文字通り引き込まれました。
素晴らしいアンソロジー。ホラー好きは是非どうぞ。オススメ。