2018年12月23日日曜日

神坂次郎/今日われ生きてあり

良くも悪くも(悪いほうが圧倒的に多い)適当な会社で働いているとまあ良いこともある。今は上長二人が非常に良い。元々音楽やっていた二人で、上司ながら部活の先輩みたいなところがある。ふたりともいくつか共通点があり、そのうち1つが戦争に対する興味だ。いわゆるミリタリーオタクではなくて、先の大戦における日本軍の動向について並々ならぬ思いがあるのである。そんな二人のうち、一人の方からおすすめされたのがこの本。何回か書いているが人のおすすめというのは良い。自分の興味の外にあるものに触れる機会になるからだ。知らない人はもちろん、やはりある程度その人の人となりを知っている人のおすすめというのは更に良い。

私は争いごとは嫌いだがあまり戦争を取り扱った本は読んでいない。ぱっと思いつくのは「キャッチ=22」くらい。これは凄まじい反戦小説である。ただしこれはフィクション。調べてみると9年前にティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」をアマゾンで買っていた。これもいい本だった。でもこれはアメリカ軍でしかもヴェトナム戦争の話だったはず。

この本が取り扱っているのは明確に特攻隊だ。神風特別攻撃隊のことだ。その中でも沖縄天号作戦に関わった振武隊のことを取り扱っている。特攻隊員たちが残した手紙、遺書。さらには彼らの関係者(家族、戦友、それから彼らと積極的に関わることになった基地のそばに住んでいた非戦闘員)から聴いた話をもとに構築されている。手紙をそのまま引用している章もあれば、談話から物語として再構築している章もある。
いずれも浮かんでくるのはまさに死なんと飛び立つ寸前の若者の心情である。検閲もあるだろうが、手紙に関してはそれを避けるために世話をする地元の非戦闘員(これも14〜5歳の娘である。)に手渡していたようだから、おそらくほぼ率直な内容になっているのだと思う。これが思った以上に前向きななのだ。例えば死にたくないとかそういった気持はない。(もちろん作者が意図的に弾いているという可能性はあるかもしれないが。)もう自分が死ぬということは覚悟しているわけだから、ある意味達観している。そうなるとあるのはあとに残してきた家族に対する思いである。自分は死ぬがあなた達は健やかに長生きしてくれ、というそんな思いが綴られている。
だから敵兵を殺しまくる!というのはあまりなくて(たまに挿入されるそれらはどちらかというと自分自身に言い聞かせているような趣がある。)家族や恋人、それから最後に触れ合った人に対する想いが素直に吐露されている。妙に達観したような文章の裏にはしかし、半ば理不尽に死に向かって進んでいく自分の運命に対する不安と反発する気持ちが見え隠れしていると考えるのは何も私のうがった意見ではないと思う。いまわのきわに手紙を書くということ自体がこの世に対する執着と言ってもよいだろうし、途中で死んでいく自分の命と、この綺麗な景色(彼らは美しい祖国日本という)を生き残っていく家族や他人に託している節がある。俺が死ぬのは彼らのためだと。彼らが健やかで暮らせるなら俺は死のうと思って、そう信じ込んで彼らは250キログラムの爆弾を搭載した飛行機でフラフラ飛び立ったのだった。物資不足により目標空域に辿り着く前に何割かの飛行機が墜落し、またすでに制空権を抑えられていた状況でおもすぎる爆弾を積んだ日本の軽い戦闘機は格好の的だった。ほとんどは目標に体当りすることなく落ちていったようだ。

今ではもう本来の重量をほぼ失った「カミカゼ」という言葉。私は直接目にしたことはないが、銃後すぐは特攻に行った人たちはだいぶ軽蔑されたそうだ。愚かな軍部の盲目的な手先だとして。実際彼らは愚かではなかったし、むしろ誰よりも勇敢だった。その場にいない人たち、その場でできなかった人たちが行動した人を批判することはできない。私は特攻は非常にくだらないことだと思う。しかし特攻していった人たちは立派な人達だった。私は戦争には引き続き反対だ。もし特攻に飛び立つ前の隊員にあうことができたとして、「あなたは立派だから飛んで死んでくれ」といえばなるほど軍国主義かもしれないが、私は「あなたは立派だから飛ばないでくれ」と言うだろう。(もし私が当時生きていたら実際にそんな事はきっとできなかっただろう。ただ周りに合わせてバンザイをしていただろうが。)

良い人が戦争でみんな死んで今生きている人は真っ先逃げ出した臆病者の血族であるとか、昔の人は立派で今の人はどんどん傲慢になっていると考えるのは面白いが全く意味のない思考である。
この本を読んでますます戦争が嫌になった。こういう本を課題図書にすればよいのに。

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