2015年5月30日土曜日

envy/Atheist's Cornea

日本の激情ハードコアバンドの6thアルバム。
2015年に自身のSonzai Recordsからリリースされた。
タイトルの「Atheist's Cornea」というのは「無神論者の角」という意味みたい。
結構速いペースだと思ったが前作「Recitation」は2010年か。間にいままでのディスコグラフィーをまとめた総決算的な完全版をリリースして、気分的にも一新という感じなのかな?という感じのニューアルバム。
envyといえば初めて買ったのは「君の靴と未来」かな?まだブログも無い様なネット時代に色んな音楽レビューサイトでライブも音源もとにかく激しいのに熱いと絶賛されていて購入したハズ。(ハードコアなんだけどライブだとみんなで合唱する、見たいに書かれて全く想像できないと思った覚えがあります。)多分ニューメタル好きだった頃だからハードコアやポストロックなんて全然知らなかった訳だから疾走する激しさと静のパートのアルペジオの美しさに戸惑いつつも魅了されたもので特に「堕ちてカゴへ」が好きでした。(いまでも好き)

そんな訳でニューアルバム。
再生ボタンを押すと柔らかく暖かみのあるアルペジオが…なるほどなるほどと思っているといきなり轟音がアルペジオを押しつぶしてくる。うおおと唸る幕開け。
全部で8曲で一番長い曲でも7分台で、だいたい4、5分でまとまっている。さすがにコンパクトとは言える尺ではないが、ポストロックにしては短めといえるのでは。
前述の「君の靴と未来」を感じさせる様な激しさに舵を切りつつ、ポエトリーリーディングだったりアルペジオに代表される様な静寂のパートを活かした陰影に富んだ曲作りだったりは引き続き程よく引き締まった曲に存分に活かされている。つまり密度が濃い。

「世界」「希望」「未来」「明日」「君」といった言葉がちりばめられた歌詞も素晴らしい。歌詞も読みやすい文字できちんと(しかも日本語と英語で)書かれている。ちゃんと伝えたい事があるんだよ、という事だろうと思う。ハードコアというくくりの中ではどちらかというと抽象的なのだろうが、なんとなくenvy節みたいなのがあって、曲調も相まっておぼろげながらもこんなことかな、という思いが聞き手の心に浮かび上がってくる。それは個人的だが夢みがちな前向きな気持ちだ(と思う)。激しい音楽性ではあるが、曲を聴いてみればその指向性が概ね明るい方に舵を取られているのが分かると思う。といっても悩みがある訳だからどうしても暗い部分があるのだろうが、それを巻き込んで前進する動きがある。常に迷いつつ常に前進するポジティブさだ。それをばかでかい音でかき鳴らし叫ぶのだ。きっとそれが”激情”なのだろう。特に5曲目のイントロには今のenvyがぎゅっと濃縮されている様な気がする。気分が高揚してくるようなドラムロール、重々しいのに前に向かっていく様なギターの音がどこまでもポジティブだ。歌が始まった後につま弾かれるギターの一音一音が煌めいているようだ。

という訳でようもこう進化するものだなという研ぎすまされっぷり。好きな人は儲かっているだろうから、envyを気になっている人はこのアルバムから買ってみても良いと思う。

ロジャー・ゼラズニイ/伝道の書に捧げる薔薇

アメリカのSF/ファンタジー作家の短編集。
ゼラズニイはアンソロジーで短編をいくつか読んだ事があるのだが、ちゃんと買って読むのはこの本が初めて。早川書房設立70周年ということで3月くらいから展開しているハヤカワ文庫補完計画という絶版本の復刊フェアの一環でこのたび再び日の目を見る事になったそうな。
作者ロジャー・ゼラズニイ1937年に生を受け、1962年にデビュー。60年代後半のアメリカン・ニュー・ウェーブの旗手として活躍したそうな。神話に影響を受けたファンタジー色の強い作風でヒューゴー賞やネビュラ賞など数多の受賞歴もあり。
この本は15個の短編が収められているのだが、中盤にかけては80Pくらいの比較的長めの短編中心で、後半は20P程度の短めのお話しが配置されている。

さてSFというと数式と鋼鉄が支配した難解で荒涼としたハードな世界と言うイメージがあって、実際にそういう作風のいわゆるハードSFと呼ばれるジャンルもあるのだが、だからといってそれだけではなく(あたりまえなんだけど)とても色彩豊かだったり柔らかかったり、感情豊かだったり、そういった物語も沢山ある。例えばレイ・ブラッドベリなんかは(語れるほど読んでないのですが)「火星年代記」が特に有名だけどSF的なガジェットを用いつつ、一般人も気軽に読めて、文学的な面白さに満ちた、さらにいえばどこかしら華々しい進歩の影にある寂しさを書いたりしている。ゼラズニイを読んでみるとどこかしらブラッドベリに通じる趣があるな、と。文章が柔らかく詩的である事(ただし平板な言葉で書いてある。)、それからファンタジックな指向性があること、目を奪う未来的なガジェットを使いつつ、人間の心情や行動に焦点をあてていること、そしてどことなく悲哀を満ちた雰囲気があること。
割と経験豊富な中年男が主人公の作品が多いのでさすがに青臭さというのは皆無なんだが、捻くれて皮肉に満ちた一癖ある男たちの目や手を通して過酷な世界が描かれる。
特異な状況を作る事がSFだとすると、ゼラズニイは普遍的な真理を強調する箱庭そのもの、そして底に至る手段としてそれを用いている印象がある。
例えば「このあらしの瞬間」という中編はとある惑星が超巨大な台風に襲われる話。たしかに眼と呼ばれる空を飛び回る観察機械(ドローン)や獰猛なパンダ犬など奇妙な土着の生物などSF/ファンタジー色はあるものの、がんばれば現代の実際の年で再現できそうな話だと思う。ただこの物語の主眼は惑星間旅行にはもの凄く時間がかかるという設定があって、主人公は複数回の旅行を経た本当の意味で故郷がない(宇宙船で移動している間故郷の親類や知人たちはとっくに死んでいる)男なのだ。宇宙空間での絶対の孤独というのをあえて人間臭い箱庭世界で再現するゼラズニイというのは中々どうして容赦がないし、そしてそれ故に主人公の抱える孤独がいっそう力を持つのである。
ほかにも死滅した世界で誰もいない町に一瞬だけでも明かりをともそうとする男を書いた「ルシファー」や、企業によって人体を改造された普通の環境では生きられない男が恋人ともに自分と同じ境遇の仲間たちが暮らせる惑星を作ろうとする顛末を書いた「十二月の鍵」など、宇宙の絶対零度の冷たさと底の無さ、圧倒的な空虚さに挑む人間のちっぽけな熱意を描いているように思える。それはひたすら圧倒的な科学技術をもってしても感情や物質的な物事にとらわれてしまうちっぽけさをペシミスティックといっていい視点で書いている暗い物語と言っても良いはず。ただその極限のような虚無の中に、一瞬で消える人間の儚い努力が閃光のようにぱっと火花を散らす瞬間を、ゼラズニイは彼特有の透徹な筆致で描き出すのである。それが胸にささる。か弱いからといってそれが悪いのだろうか。そして弱くたって美しさが無い訳ではないのだ。
ビターで感傷的なSFが好きな人は迷わず買って間違い無しの一冊。

2015年5月24日日曜日

End of All/Same Shit But Different

スウェーデンのハードコアバンドの1stアルバム。
2007年にCrime Against Humanity Recordsからリリースされた。
Wolfebrigadeというバンドのメンバーによって結成されたらしいのだが、前身のバンドもこのバンドも詳細はよくわからない。このアルバムを作った時はメンバーは4人。この後2ndアルバムを2008年に、さらに2009年に音源を出して以来しばらく音沙汰がないようだ。オフィシャルサイトも確認できず。活動休止中なのかも。3LAレコードのラスイチお知らせで視聴したら良かったので買ってみた。

ジャンルとしてはクラストになるのだと思う。Last.fmだとネオクラストのタグも付けられている。ただしメタリックなハードコアという感じでブラッケンド感はあまり感じられず。後述するがボーカル(の片方)くらいかな。かなり男臭く熱い感じ。
曲は2分台がほとんど。速さは底までではない感じ。いわゆるD-Beatのズッタズッタした速さと重厚感のあるドラムに、かなり硬質なベースが乗っかり(ベースはボーカルも兼任)、これまた硬質でギラっとした質感のあるメタリックな重いギターが乗っかる(ギター2人で片方がボーカルをとる)スタイル。今でこそConvergeのKurt Ballouだったりの活躍で隆盛を見せているメタリックな質感を持つハードコアバンドが増えて来たけど、こちらは流行以前から一戦で活動して来たいぶし銀な雰囲気を持つバンド。決して派手ではないのだけど、どっしりとしたかっこよさがある。
一つ目はボーカル。これはかなりドスが利いている男らしい声なんだけど、やっぱりメタル系譜のデス声とは明らかに一線を画す。やはりハードコアを感じさせる。ただ激情のような内省的な雰囲気は無くて、外に向けてフラストレーションをまき散らすタイプ。これは熱い。たまに出てくるもう一人の声は若干ブラックメタルを感じさせるわめき声タイプでこれが良い対比になっている。
二つ目はギターの表情豊かさ。基本黒く塗りつぶす様な重たいリフで突っ走るのだが、たまに短くもバラエティに富んだリフやソロパートが飛び出して来て、曲を豊かなもにしている。バックが黙ってボーカルがそろになる静のパートなどでは、フィードバックノイズも効果的に用いている。
三つ目は2つ目の要素もあるのだけど、曲がメロディックなこと。といってもボーカルは奉公しまくりなので、クリーンパートを導入したりはしていない。ギターが歌うようにメロディアスな旋律を奏でるのと、曲全体に強靭ながらも哀愁のあるメロディラインがあってその二つの要素が相まって独特の詩情を醸し出す事に成功している。この飾らないメロディアスさがクラストコアのアングラな荒々しさと見事に調和していて大変格好いい。
イントロに哀愁のあるアコギを入れてくる、そこから突っ走るのような展開はもはやあざといくらいだが、全体的にハードコアの飾らない誠実さがあって、そこがかっこい。起こっているもののやはり邪悪ではないんだよね。

非常にカッコいいっす。2ndアルバムも是非欲しいんだけど3LAでは売り切れているし、デジタル音源も売っていないようだ。残念。
みつけたら買っておくくらいの気持ちで御願いします。

2015年5月23日土曜日

ロバート・ジャクソン・ベネット/カンパニー・マン

アメリカの作家によるミステリー小説。
アメリカ探偵錯覚ら無精ペイパーバック賞とフィリップ・K・ディック章特別賞を受賞した作品。なんか面白い受賞の組み合わせだなという事で買ってみた。

1919年アメリカ合衆国ワシントン州のイヴスデンは世界の中心になっていた。隆盛の原因はイヴスデンを本拠地にするマクノートン社。とても現代のものとは思えない科学技術を駆使した商業製品を制作・販売することで文字通り世界経済を牛耳っている。そんな世界企業マクノートン社の警備保安部に勤めるシリル・ヘイズはある特殊能力をもっていた。人間の近くにいることで、その人の心が声となって聴こえるのだ。その力を使ってマクノートンの裏の仕事に関わる彼はしかし重度の阿片中毒者でもあった。あるときマクノートン社と対立する労働組合に所属していたと思わしき男の死体が川からあがった。その死にざまから殺された事は間違いない。ここのところ連続する組合員の殺人事件の解決をヘイズは上層部から依頼されるのだが…

こうやってあらすじを書くと所謂探偵小説然としていて、急激な発展を遂げた猥雑な町を舞台にヤク中の探偵が動き回るというハードボイルドな雰囲気をもったミステリーという感じ。実際にその流れで問題ないのだが、舞台が1919年というそう遠くはないものの現代とは確実に隔たりがある過去の時代である事と、そこに明らかに異常な科学技術の要素が入り込む事でスチームパンク的なSF要素が追加されている面白いつくり。いわばハイブリッド小説。
不自然に発達した町は富裕層の住まう夢の様な町並みと、労働者が文字通り詰め込まれたスラムという二極にわかれ、華やかなセレブが夜な夜なパーティを催す一方、曲がりくねったくらい路地には浮浪者やヤクザもの、薬物中毒者があふれている。雨が多い土地と海の近くという事もあって常に霧に覆われている様な町で巨大な工場は煙を吐き、地下には縦横に掘られたトンネルを地下鉄が疾駆する、地上には高い塔が建造され、そこには巨大な飛行艇が絶え間なく発着している。そんな奇妙な町が舞台。文字通り不思議な町に読者は迷い込む事になる訳だ。
ある殺人事件をきっかけにイヴスデンをそして世界を牛耳る企業マクノートンの発展の裏にある真実が徐々に明らかになっていくという話の構成。

いわゆる最近流行の巨大な仕掛けものに属する小説なのだろうが、上下2冊の物語の作りがとても丁寧で勢いだけの大どんでん返しみたいなのはない。物語の中心が派手ではったり感満載のネタではなくて、あくまでも登場人物たちの動きに焦点をあてていることで結果真摯な探偵小説になっていると思う。物語は長いのだけど帯にある登場人物紹介は少なめ。脇役も出てくるけどあくまでも主人公たちに寄り添った進め方で臨場感で引き締まっている。(ただちょっと上巻の事件が動き始めるまでが長いかなと思った。これは町とヘイズの普通じゃなさを説明するためにどうしてもある程度の紙面が必要なので仕方ないかもだが。)殺人事件をとおしてバラバラだったなぞが段々収束していく様なイメージ。だからだいたい結末もある程度読めてくるだろうが、前述の通り謎解きメインではないというか、ある意味もしこうなったらどうだろうか?という歴史改変的な、思考実験要素が強く、最後まで面白く読める。
面白いのは冒頭はとにかく霧や小雨や煙でけぶる灰色の町であまり感情を表に出さない主人公が3人(ヘイズ、ヘイズの助手のサマンサ、ヘイズの友人で相棒の刑事ガーヴィー)が登場するのだけど、物語が進むに連れて自体が混乱してくると、対岸の火事が自分の問題になってくる。それは文字通りの意味だけど、それぞれ事件とは直接関係のない過去の出来事や思い入れが事件に直面する事でにじみだしてくる。3人とも感情的になり、表情が豊かになってくる。それが面白い。みな結構困った人間でまったく理論的ではないのだが、だからこそ人間臭い。特にヘイズはラストあたりでの外見と中身のギャップが面白い。異常な事態にどうしても目を奪われてしまうが、普遍的な人間の感情を書く事が作者の狙いの一つであるように思えてならないし、私はそういう小説が好きだ。楽しく読めた。

という訳でまたこういうのか、と思わず是非ご一読をお勧めする。

2015年5月17日日曜日

Garadama/Garadama Ⅲ

日本は大阪のスラッジメタルバンドの3rdアルバム。
2015年に自身のレーベルFiend's Shrineよりリリースされた。
GaradamaはサイケデリックバンドSUBVERT BLAZEのメンバーだった柿木(かきのき)さんを中心に1994年に結成されたバンド。漢字で書くと餓喇墜魔。クレジットを見るとギター・ボーカル、ベース、ドラムに加えて、さらにコントラバスも弾くベーシストとノイズとメタルパーッカションが一人。
Swarrrmとのスプリット「阿鼻叫喚」を2012年にリリースしていて、私はこの音源シカ持っていない。
今回リリースされたこの音源は前述の「阿鼻叫喚」収録の4曲にさらに4曲を加えたフルアルバム。

音楽的には攻撃的なスラッジ/ドゥームという事になるのだろうが、サイケデリックの要素が強くかなり個性的な音像。
体感速度はそこまで遅くない。中速くらい。曲自体も無意味に長くなく、フィードバックノイズを大胆に取り入れつつもコンパクトかつぎゅっとつまった濃い曲になっている。
静と動を意識した曲作り。とくにクリーンや空間性を意識した空間的なギター音とささやく様なボーカルを入れた静寂パートがカッコいい。爆音パートとの対称性もばっちり。
サイケデリック、ブルーズ色が泣く様な伸びやかなギターソロに現れている。また展開がミニマルでまさにずぶずぶ沈み込んでいく泥沼のような様相を呈している。
ボーカルが特徴的で酩酊した悪鬼の様な邪悪さがある。しゃがれたような、膜を通して聴こえるような幻惑的なもので激しさ一辺倒というよりは不気味さを演出する曲に乗っかるにはばっちり。聴こえるか聴こえないか位のつぶやき、呪文の様な詠唱。吐き出す様なスクリームと幅があって面白い。
とにかくギターの音がかっこ良く、ミニマルにリフを刻む堅実さと、ノイズ寸前で縦横無尽に飛び回る奔放さが渾然一体となって結果深みのある独特の世界を気づいている。ギターが走り回っている時は、ドラムとベースがきっちりリズムをキープしていてこのバンド感がたまらない。これは大音量つまりライブで見たら相当かっこ良いのではなかろうか。
歌詞を見ると割とユーモアに富んだ人を食った様なものでこれも面白い。

東洋的で印象的なアートワークは柿木さんのてのよるもの、Birushanahもそうだが、大阪+仏教+重低音の要素がそろったバンドは外さない法則があるのかも。
欲を言えばもっとボリュームが欲しかったところだが、まあ4曲は事前に知っていたししょうがないのかも。素直に以前に発表されたアルバムを探そうと思う。
というわけで流行に全くとらわれないスラッジを聴きたい人は是非。カッコいい。

OMSB/Think Good

日本は相模原のヒップホップ集団Simi LabのリーダーOMSBの2ndアルバム。
2015年にSummit/P-Vine Recordsからリリースされた。
2012年に1stソロアルバム「Mr. "All Bad" Jordan」、2014年にSImi Labの2ndアルバム「Page 2 : Mind Over Matter」、ビートメイカーとして発表した「OMBS」を経ての2ndソロアルバム。
1stの方は仕事が嫌すぎるとラップした彼もいまではSimi Labリーダー、特攻隊長、無職として完全に音楽に舵を取った八面六臂に活躍する生活の中で生き急ぐかのように発表されたこのアルバム。
今回は客演は豪華だが、見てもらえると分かるのだがSimi Labのラッパーの客演はなし。(Hi'Specはトラックメイカーとして参加。)チームの力は借りないというOMSBの意気込みが感じられる。

太々しく構えたジャケットが印象的だが、中身の真摯さが半端無い。
基本的には前作の延長線上にあるのだろうが、まずトラックのバリエーションの豊かさ二驚く。この進化っぷりはどうした事だ。タイトル曲の高らかにならされるホーンの清々しさ。アルバムにちりばめられた内省的な曲の煌めきつつも沈み込んでいく深さ。そしてヒップホップ特有の”悪さ”と”遊び”を存分に発揮した陽気さ。17曲はまさにおもちゃ箱の様な楽しさと乱雑さがそれでも「Think Good」という箱にぎっしりしかし不思議な整然さをもって収められている。
特に印象的なのは浮遊感のあるトラックのたゆたう様な気持ちよさ。1stでもその片鱗は見せていたが今作ではゆっくりしたその展開がかったるいのではなくかっこ良くなっていると思う。また歪んだギターソロも違和感なくトラックに取り込むそのバランス感覚の秀逸さも特筆すべきか。
彼流のリリックはさらに冴えを増し、詩人の域にたっしてないか。ヒップホップのリリックといえば(ちょっと嫌な言い方だが)自分語りだが、彼の場合はこのフォーマットを踏襲しつつ、悪自慢、他者批判にいかずむしろどんどんその心情内部をさらけ出すかの様な内省的なものになってきている。内省的なラッパーというとヒップホップのイメージからかけ離れているが、OMSBのリリックに込めるイメージは非常にポジティブだ。もはやアイデンティティといってもよいと思うハーフとして日本で生きるある種のアウトサイダーとしての視点、アンダーグラウンド出身故の音楽家としての悩み、ともすると愚痴になりがちな悩みを飲み込みつつポジティブに前進するリリック。そこに嘘くささは全くない。とくにタイトル曲「Think Good」に込められた決意表明感は素直にすげー。有言実行の覚悟を感じる。
中音〜低音のねっちこさのある独特のラップスタイルも、かすれて円熟したおちついた雰囲気のある声(#17)、酔っぱらった様に左右にふわふわした遊び心のあるもの(#4、後半の高速化が素晴らしい。「誕生日じゃないけどなんかくれ」はとても良いパンチラインだ。)とバリエーションを増して進化のほどが伺える。
1stを聴いた時にはその素直さ、真摯さに驚いたものだが軸がぶれずに相変わらず聴くものを楽しくしつつも、居住まいを正させる様な力を持った良いアルバム。こっちも真面目に聞かないと!って気持ちになる。

降神を感じさせる内省的な世界観を獲得しつつ前に前にでる力強さを感じられるクソカッコいいアルバム。「よく考えよう」は「良い方向に考えよう」という意味じゃないかと個人的には思う。私は日本のヒップホップを包括的に語れるほど熱心なリスナーではないが、こんな面白くもカッコよくかざらない真摯なアルバムがリリースされて嬉しい。純粋にカッコいい。非常にオススメの一枚。

ブルース・スターリング/塵クジラの海

アメリカの作家によるファンタジー/SF小説。
1977年に発表されて2004年に日本で翻訳の上発売された。
サイバーパンク小説が好きだ。まあ本当に何冊か読んだだけでスゲーと思っている様なにわかファンなのだが。このジャンルで一番有名なのはやはりウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」だろうか。合わせてこのジャンルの大立物がギブスンの盟友でもあるブルース・スターリングと彼の手による「スキズマトリックス」そして「蝉の女王」ではなかろうか。とにかく目に触れる機会の多いタイトルである。しかしこまったことに前述の2作は本邦では既に絶版されて久しい。というかスターリングの作品で手に取る事が出来るのがギブスンとの合作「ディファレンス・エンジン」、そして単独で書かれた本書のみなのだ。両方読んだ事が無かったが迷った末にまずはとばかりにこちらを選択した訳だ。

水無星。そこは文字通り水が無い世界。惑星に開いた巨大なクレーターの底部にのみ大気が存在し、入植した人類はクレーターの底に張り付くように暮らしている。クレーター自体は塵に覆われ素手で北海の様な様相を呈し、独自の生態系が形成されている。ジョン・ニューハウスは水無星で暮らすジャンキー。塵の海に棲む塵クジラの内蔵からとれる麻薬・フレアの愛好者だ。しかしこのフレアが政府によって法的に規制された。中毒者のニューハウスは自前で内蔵を確保すべく、捕鯨船にコックとして乗り込む。そこには変わり者の船長、そして翼を持って宙を舞う人体改造者ダルーサがいた。ニューハウスの冒険が始まる。

この本に版元はハヤカワ書房だが、SFではなくファンタジーを意味するFTが採番されている。1ページ目にはあの印象的な星のロゴではなく、中世風のドラゴンのロゴが印刷されている。訳者小川隆さんによる後書きによると正確にはサイエンス・ファンタシイというジャンルのようだ。引用すると「(略)想像力を自由に駆使しながら、ちょっとだけ科学の味付けをして作品世界のリアリティが補完されている、というのが特徴だ。」ということ。なるほど分かりやすい。いわゆるハードなSFとは一線を画すという訳だが、個人的には全然OK!ファンタジーでもあるのだが、ドラッグに耽溺するハードボイルドな主人公が異界に飛び込んでミステリアスな美女と切ない恋があったりというのも結構サイバーパンク的だなと思った。
かっとした紫色の太陽が大地を焼き付くし、青すぎる空の下でクレーターの壁に囲まれた砂の海をマストを這った捕鯨船が風のままに疾駆する、という世界観想像しただけでわくわくしてきませんか?
主人公を始め寡黙な男たちばかりでてくるのだろうが、熱さとこの惑星の孤立した環境(入植者の母胎がとある宗教団体であったようでかなり閉鎖的な印象がある。)でそこに棲む人間たちが次第にねじれて狂気をはらんでいる様な緊張感がある。旅が進むにつれて謎の船長デスペランドゥムの狂気が船を支配していく。ジャンキーが気張って健康的且つ開放的な海の旅に出たらむしろ牢獄でした、のようなどん詰まり感があり、砂の海に沈み込んでいく様な逃げ場無しの結末に主人公が引き込まれていく。

しかしこの本はかの有名な「白鯨」を下敷きにしているというし、いよいよ読まなくてはならないかもしれないな。
作者に因る前書きによるとこの本がよめるのは日本でだけのようだ。やはり若い頃かいた青い小説という事で作者が出したがらなかったという事情もあるみたい。サイバーパンクでないにしろ面白さは折り紙付き。SFファンやあらすじの世界観にぐっと来る人は是非どうぞ。

クリス・カイル、ジム・デフェリス、スコット・マキューエン/アメリカン・スナイパー

アメリカの元軍人による自伝。
2012年に発表されると大ヒットし2015年初頭には120万部売れている(後書きより。)。2014年にクリント・イーストウッドがメガホンをとり本書を映画化。さまざまな議論や論争を巻き起こしつつ大ヒットし、戦争を題材にした映画として「プライベート・ライアン」を超えて史上ナンバーワンとなったそうだ。

主人公というか語り手はクリス・カイル。彼はアメリカ海軍の特殊部隊SEALに所属し、公認されているだけで160人のアメリカの的を狙撃で仕留めた。これはアメリカ軍の狙撃史上では最高の記録であるそうだ。160人というのはきちんとした規定で測定されたもので(例えば撃たれてその場で死なないとカウントされない。撃たれた人が見えないところまで這っていてそこで死んだらノーカウント。)、実際にはもっと多いだろうと言う事だ。
クリス・カイルはテキサスに生をうけ、幼い頃から狩猟を通して銃器の扱いには慣れていた。カウボーイになりたいという希望があり、大学に通いながら農業で働き、ロデオに熱中していた青年はしかし軍隊に入る事を決意。大学を中退し紆余曲折を経て海軍に入隊。人々を守りたいという強い欲求を持っていた彼ははじめから特殊部隊入りを視野に入れており、時に脱落率が9割を超えるという厳しい訓練を経て無事に海軍特殊部隊SEALに入隊。イラクに戦争に赴く事になる。次第にスナイパーとして活躍していく彼は4たび戦争に従軍した。戦果は挙がるばかりで的には「悪魔」と仲間からは「伝説」と呼ばれるようになったが、妻と子供との結婚生活は戦争の犠牲になり崩壊寸前。次第に心身のバランスを崩したクリスは除隊を決意。
という流れが、いかにも無骨な男の語りで淡々と進められていく。日本人の私からすると想像を絶する海軍のトレーニングなどは読んでいてとても面白い。また軍隊の厳しさを改めて実感する。新人は徹底的にいじめられ(とにかく理不尽に殴られるそうだ。時には気を失うまで。)、戦争で仲間は減る。本国では人殺しとなじられる。
そんな中クリス・カイルはぶれない。彼は標的を撃つこと、殺す事に全く疑問を持っていない。少なくとも彼は疑問を持っていないという。公開だってした事が無い。彼が殺したのは悪意を持った邪悪な人間で、彼がそんな人たちを殺す事でイラクにいる他の米軍兵士たちを、ひいては本国で戦争とは無縁(ではないのだが、テロもあるし)な人々を守る事になると信じて彼は異国の地で死体の山を築いていく。
こうかくと日本人の私たちからするといかにも米軍の厳しい訓練と教育が生み出した(もっと嫌な言い方をすると洗脳された)戦争マシーンの用に感じられるし、ある意味では実際に彼はそうなのだろう。しかしこの本の彼の語り口とその背後にある事実からはやはり人として血の通ったクリス・カイルが浮かび上がってくる気がした。一番印象的なのは最終的に彼は戦争にいる状態が一番心身が落ち着き、むしろリラックスしているべき時に血圧があがるという異常な状態に陥ってしまい、除隊を決意するところ。彼は酷な言い方だが家庭生活より戦地での生活を選んだ。4回も戦争に行って、子供はいるけど結婚生活・家族生活はほとんどないがしろにして来た。彼が望んだ事といっても彼は4回目の従軍の時にはかなりぼろぼろになっていた。面白いのは彼は決して自分の口で戦争が自分を駄目にしたとは言っていない。彼は優秀な兵士で入りたくても入れない様なエリート部隊にいた。しかし彼が普通の兵士と大きく異なっていたかというとそうではない。むしろ経歴が非常に目立つ分、普遍的な兵士の体現者として物語化しやすいと思う。(やはり普通の兵士の従軍記より、米軍史上最も殺したスナイパーの自伝の方が求心力があるだろう。)私たちは屈強な彼の背後に戦争の徹底的な荒廃をみる。少なくとも私はそう読んだ。これを読んで戦争に反対だとか、賛成だとか、ちょっとそんな簡単なものではない。まずはこういった世界があると、私たちがおぼろげながら知りつつも敢えて無視していた状況を、読者は受け入れなければいけない。すでにあるものに対して、賛成反対はできても、一体それ以上どういう立場を取れるのかというのは大きな疑問だ。そもそも今まで通り何もしなくても良いのだろうか?
むかしからこう思っている事がある。私が平和に暮らしているのはどこかで誰かが平和を守るために戦っているからだろうか?私は戦争は好きではない。結局は自分がいきたくないという臆病な理由が主だと思う(が、やっぱり戦争に巻き込まれた人たちの写真や映像を見るとなにかしら胸が締め付けられる)。でも現実に起こっている戦争に対して、変な話自分が嫌らだからという理由で気軽に反戦!といって良いのだろうか。世界に色んな人たちがいて、その人たちがこちらに害をなさないと信じるというのは無茶な話だと思う、悲しい事だが。この本を読んで私は戦争の恐ろしさを改めて実感した。いまでも戦争には反対だ。しかし兵士に石を投げる事は出来ない。たとえ彼らが私が好きじゃない事をしてもだ。彼らは少なくとも私たちを守ろうとして戦っているのだ。私たちは守られているのに彼らにつばを吐きかけるのか??彼らは私たちを守ってなんかいないという人もいるだろう。それは本当かもしれない。しかし情けなさを承知で言わせてほしいのだが、それが(そしてどれが)本当に正しいのか私には分からないのである。(神様でもないのに彼らが悪い事をしているか良い事をしているか、本当に分かる人がいるのだろうか?????)戦争をこのように一兵士レベルで考えるのはそもそも無理なのかもしれない。批判の矢面には政治家たちをたたせるべきなのだろうか。
人が死ぬという事は嫌な事だ。そういった意味で兵士が死なないでほしいと思う。(可能だったら殺さないでほしいとも思う。正直。)戦争が行われているということを受け入れるというのはもの凄く難しい。私はこの本を読んで大いに混乱している。しかし読んで良かったと思っている。映画も見たい。
面白さと、そして戦争について考えざるを得ない力を持った本だ。是非読んでほしい。特に戦争が嫌いな人たちに読んでどう思ったのか教えてほしい。

2015年5月10日日曜日

Khmer/Nubes que anuncian tormenta

スペインはマドリードのネオクラストバンドのEP。
2014年にHalo of Flies Records、Tupatutupa、KTC Domestic Productions、Long Legs Long Armsという複数のレーベルから共同でリリースされた。
私が購入したのは日本のLong Legs Long ArmsからリリースされたLPフォーマットのもので、LP自体は茶色に黒のスプラッターが施されたもの。DLクーポンの他にポスターとスペイン語の歌詞とその英訳とさらに和訳がついている。(3LAの並々ならぬ思い入れが感じられる。Khmer結成当時からのレーベルの熱いサポート体制については是非3LAをご覧ください。)
Khmerは4人組のバンドでスペインの伝説的なネオクラストバンドIctus、それから同国でメロデスバンドをやっていたメンバーによって結成されたとの事。結成自体は2012年でいままでにデモとスプリットを1枚ずつリリースしているようだ。
全10曲でEPとはいかにという感じだが、新録音の音源は前半5曲で、後半5曲は前述のデモ音源の再録ということ。当然というかデモはすでに品切れ状態なので嬉しい再録。
タイトル「nubes que anuncian tormenta」はGoogleにぶち込むと「嵐の雲が発表します」。むむむ。ポスターをみると「風雲宣嵐」と書いてある。ジャケットは海の上に付きが浮かぶ荒涼としながらも美しいものだが、付きの周りでは雲が渦巻いている。なるほど。

中身の音の方も嵐の様な出来になっている。ネオクラストということで身構えていたのだが、実際聴いてみると音楽的な区分としてはKhmerはブラッケンドハードコアにとても近いようだ。ブラッケンドハードコアというとその名の通りブラックメタル成分を飲み込んだハードコアで昨今わりと隆盛を見せているジャンルではなかろうか。ただ例えば以前紹介したYoung and in the Wayなんかもこのジャンルだが、それに比べると一線を画す。まずもっとハードコア感が強い。もっというとクラスト感か。クラストは殻とかかさぶたとか言う意味でここで言うクラスト感は身も蓋もない言い方だが粗い感じである。洗練された今風の音というよりはより生々しい音といったらよいだろうか。音質が悪い訳ではなくて、派手な音色や調整でごまかす様なところは感じられない。
のどから絞り出すようにギャアギャアわめくボーカルはなどるほど確かに多分にブラックメタル的である。またトレモロを多用したギターもブラックメタル的ではある。ギュラギュラしたギターリフはメタリックだがメロディアスで嵐のように刻むリフから爆速でトレモロになだれ込むさまがたまらなくカッコいい。ドラムは手数が多くて気持ちよい。デモと最新曲だとスネアの音が結構違う。デモのよりポコポコした音も個人的には気持ちよくて好き。
面白いのはそれらが組み合わさるとブラックメタルの影響は隠しきれなくもありつつ、完全にハードコア然としている。思うに決して明るい楽曲ではないしストイックではあるけど全体的にブラックメタルのイーヴィルさが無い事。音がカラリとしているところがその秘訣ではと。コールドというよりは激情的な熱さがうねっている印象。

さてネオクラストなのでクラストである。ハードコアですよということで勿論音楽を聴いて楽しいのは良いのだが、当然バンドの主義主張というのがどうしても気になってくるもの。そこで嬉しいのが歌詞対訳である。読んでみると特定のだれそれを名指しでどうこうという歌詞からは明確に異なる雰囲気が感じ取れる。それはシンプルな詩情に富んだ極めてストイックなもので、安直な「おまえ」みたいな要素はあまり無い。「俺」を通して個のあり方を問うてくるような男臭いスタイルでまさにハードコアな世界観。

早々に予約完売ってことで(出遅れた私はユニオンで買ったっす。)この界隈では有名な音源なので聴いている人は多いかもですがまだでしたらどうぞ。私もようやっとという感じでネオクラストに足を踏み入れたんだが、中々どうして楽しいジャンルの予感。

Bell Witch/Four Phantoms

アメリカはワシントン州シアトルの2人組ドゥームメタルバンドの2ndアルバム。
2015年にProfound Lore Recordsよりリリースされた。
Bell Witchは2010年に結成されたバンドでメンバーはベース/ボーカルのDylan Desmondとドラム/ボーカルのAdrian Guerra。2人ともいくつかのバンドでプレイしているが共通してLetheという(既に解散している)のメンバーだったようだ。
バンド名Bell Witchはアメリカで実際に起きた怪談話を元ネタにしている。ポルターガイストが起こる家にまつわるおはなしで中々面白い。興味がある人は調べてみると言いかも。
2012年に同じくProfound Lore Recordsより発売された1stアルバム「Longing」はなんとなしに買ったのだが激烈な音楽性の割には結構ばっちりハマってしまいいまでも良く聴いている。そんな彼らのニューアルバムとなれば、という訳で購入した次第。

「4人の幽霊」というタイトル通り22分、10分、22分、10分という4曲で構成されている。10分か20分な訳だから1曲はとても長い。基本的な路線は1stから変更無し。彼らの音楽というのは尖っている分結構説明がしやすいかもしれない。
基本はドゥームメタルだが、リフは古くなりすぎたカセットテープの用にズルズルに引き延ばされている。低音が過剰に強調されており、さらに余韻にただならぬ思い入れがあるようでドラムとベースがグシャーーとなってフィードバックノイズがズズズズズズと長く続く、さすがにそこまででは無いがSunn o)))を引き合いに出すとイメージしてもらいやすいと思う。あの要素をもう少しロック的にしている。そこにグロウルめいた方向が乗る。徹頭徹尾低い。このボーカリゼーションはWorshipを始めとするフューネラルドゥームっぽさが色濃い。
こうやって書くととにかく荒涼として硬派で取っ付きにくい鋼鉄音楽を想像してしまうし、実際に半分は正解なのだがこのバンドはここに独自の叙情性を付与する事に腐心しているバンドで、そこがいちいち私の壷に入るのである。
具体的にはまず重苦しい中でも中音で泣くように入るベース(うーんギターなのか?)の印象的なフレーズ。伸びやかで多分ベースのフレットをぐーんと指で滑らせるスライドも多用されていてこれがなんともメロディアスで哀切。涙を誘うというとさすがに大げさだが、大仰でない悲劇的な陰鬱さがあってこれが荒涼としたバックの演奏(ずうぅううーーという感じで低音は唸っている)に映える事。凶暴さそのものというよりは廃墟に漂うまさに幽霊の悲鳴の様な趣がある。もう一つはボーカルに低音以外も使用している事。あえてクリーンと書かないのは例えばボソボソとしたつぶやきであったり、なにかしらオリエンタル風の詠唱めいた朗々とした歌い方であったり、器用とは言えないものの曲全体の雰囲気に従いつつもそれをさらに拡張する様な実験的な声を取り入れている。勿論クリーンで結構メロディアスに歌い上げるフレーズも(全体の割合からすればわずかにしても)入っている。で、この歌い方が例えばメタルコアのサビの様な爽快感があると全くそんな事はなく、むしろ怒り以上に悲しみの感情がにじみだすようでなんともさらに陰鬱さを倍加させる。このやるせなさは一体どうした事だ。
短い2曲がJudgement、長い方の2曲がSuffocationと名付けられたコンセプトアルバムになっている。攻撃性に特化したJudgementもよいが個人的には長い分贅沢且つ感情豊かなSuffocationの方が好み。
1stに比べるとジャケットの色彩もやや豊かになっている通り、上記に挙げた激烈さと陰鬱さのとけ込みがさらに進化していて、激→メロウ→激という進行だったのだが、展開はありつつもさらに激メロウ同時のカオスさを両立させている印象。とても良い世界観。

前作にあった魅力を踏襲しつつさらにぎゅっと濃くなったとても良いアルバム。とても良いバンドなので沢山の人に聴いてもらいたい。とにかく見た目というか第一印象より聴きやすい音楽性だと思うので一回試してみてはいかがでしょうか。オススメですよ。

2015年5月5日火曜日

ダニエル・フリードマン/もう年はとれない

アメリカの作家によるハードボイルド小説。
日本では去年に発売されて以来翻訳ミステリーベストに選出されたり、Amazonでもレビューの数が多くかつ好意的だったりと恐らく色々と話題になっている小説。本国では映画かも決定しているし、続編も既に刊行済みとの事。

ユダヤ系アメリカ人バック・シャッツは87歳。メンフィス署で30年以上も捜査の最前線にたった古兵で最盛期ではメンフィスの死因第4位はバックによるものだった。そんな彼も年並には勝てずに現役を退いてから大分長い時間が過ぎた。ある日知り合いの臨終に立ち会うと彼はバックと因縁のある既に死んだはずの元ナチの将校を目撃した事があるという。それも車が沈み込むほどの金塊を持っていたらしい。おとぎ話と鼻で笑うバックだったが、周りは彼を放っておかなかった。孫のテキーラに尻を叩かれて思い腰を上げるバックだったが…

主人公が87歳の老人というのが最大の売り。偏屈なじいさんというのはある種典型的なキャラクターなのだが、ここまで振り切った老人も珍しい。かくしゃくとしているどころではない。弁は孫より立つし、減らず口皮肉がマシンガンのように飛び出してくる。強気はダーティハリーを地でいった当時から恐らく少しも減じていないのだろう。ただ面白いのは彼も寄る年並には打ち勝てない。口より先にというよりは口と同時に手が出るタイプなのだが、その拳に既に力はなくむしろ血液が凝固しないように飲む薬のために痣が出来てしまう。ネット技術は皆目分からないし、医者に因ると認知症の初期症状が出ている可能性がある。精神はたくましいのに、肉体の衰えはかくしようがない。いわば威勢は良くて一見層は見えないのだが、確実に黄昏れの人なのだ。応援するには老人すぎるし、かといって同情しいたわるには頑丈・固陋すぎる。全く魅力的なキャラクターができたものだ。ある種典型的でも細部まできちんと作り込んだ、その技術に面白さが宿る。

主人公だけでも魅力的だが、話の筋も結構いいとこ取りになっている。
基本は老人が探偵役のハードボイルドが根幹にあるのは良しとして、さらに主人公はナチの強制収容所に収監されていた事があり、そのとき因縁があったのが今回追うべき金塊の所有者であるから、これは大分長い事を経た主人公の復讐譚である。
それからナチが持っているという金塊を追うという物語、これもいささか累計的かもしれないがだからこそファンタジーとしてリアリティがある(矛盾しているな、ファンタジーなのにリアリティとは)わけで、これは冒険譚でもある。
主人公は元警察官だから警察小説?でも引退しているので警察捜査の煩わしさからは解放されている。気の向くままに捜査を進める事が出来る。
とまあ、色んなジャンルの良いところをすすっと集めてくみ上げたのがこの小説。上手いな〜という印象。87歳が主人公というとしぶいいぶし銀のイメージだが(そしてたしかに主人公は叩き上げの渋いキャラクターであるのは事実だが)、結果としては結構勢いで押し切る様なエンターテインメント方向に舵を取った小説になっていると思う。(映画化とはだから良いと思う。)
個人的にはちょっと気になるところ(犯人のやり方のあたり)が無かった訳ではなかったかな。主人公の悩みと今後に関してはとくに異論は無いんだけどもうちょっと葛藤が弱い感じ。良く出来ているのだけど教科書的・模範的なところからもう一歩進めてほしかったなと思うのは、自分読者の贅沢なわがままだとは思う。
最後まで面白く読めた。最後は好みだと思うこの本を手に取って損したって人はあまりいないのではなかろうか。面白い本を探している人や、超高齢ハードボイルドって単語に引っかかる人はどうぞ。

山岸真編/[ポストヒューマンSF傑作選]スティーヴ・フィーヴァー

ハヤカワ文庫によるSFマガジン創刊50周年記念アンソロジー3冊の最後の1冊。
私はSFマガジン自体読んだ事が無いし、この一連のシリーズも前の2冊をスルーしている様な不信心ものである。サイバーパンクや!とばかりにこの本を取ったのだった。オールドスクールなSFファンの人たちには申し訳ない。
さてサイバーパンクと書いてしまったが、この本は編集した山岸真さんが最後の後書きで書いているがサイバーパンク的な小説やその範疇に入る小説が名を連ねているのは確かだが、厳密に言うとサイバーパンクアンソロジーではない。理由は明確で70年代に勃興したサイバーパンクムーブメント以前の作品を含むからである。日本で大人気のグレッグ・イーガンの短編も含むからSFのあらゆる時代を網羅しながらも”人間を超える”というテーマに沿った小説が編まれた真摯なアンソロジーになっている。
人間を超えるというと神を超越的な意味合いでそれこそ不遜な響きが幾らか含まれるのだろうが、科学技術という人間の英知を結集してあっさりその感情的な壁を越えるところにも面白さの一つがある。つまりブレイクスルーはあれど自然な(科学を自然というのは面白いな)進歩の果てに超人間があるので、別に人間を超えるといっても薄型テレビみたいなものじゃない?という無邪気な動機がある様な気がする。(それはやはり奢りや無知や無配慮が含まれるようには個人的に思う。)
もう一つ面白いのは肉体の軛を逃れるところに個人的な興味がすごくある。人間のご立派な精神は肉体に超左右されるのは皆様ご存知の通り。体調が悪ければ気分が悪い。血が沢山出たら正気でいられない。よくも悪くも異性への興味によって行動が酷く影響される。挙げればきりがないが私たちの精神は肉体という牢獄にとらわれているとかなんとか。デジタル人間というのは如何にもサイバーパンク的でもはや目新しくはないが、その先にあるだろう超人間の生活とその変容ぶりが気になるのだ。私は夢みがちな人間なので常に未来が気になっている。技術の革新が人を幸福にするのではという半ば宗教じみた願いみたいなのがあり、それがSF小説に対する動機になっていたりする。(ただ大抵未来はディストピアになっているんだよなー。天国は物語にならないのかもしれない。)いわば超人間たちは人間の苦しみから解放された文字通りの新人類なのだ。

アンソロジーという形態を採る以上短編〜中編という制約がある事もあるのだろうが、おそらく山岸真さんの意図もあってこの本に収められている物語はどれも未来の人たちの生活に根付いている。例えば前に紹介した「オルタード・カーボン」のような未来で繰り広げられるハードかつエンターテインメントな世界観とは明確に一線を画している。大きく姿を変えた未来人と旧大全とした人類が対立するかのように出て来たり、酷く人間的な悩みである家族の喪失に科学技術でもって決着をつけようとする人が出てくる。やはり「そこにある未来」というのは隠れたテーマでこんな未来はどうですか?という問いかけが根底に横たわっている様な気がした。
このアンソロジーに出てくるポストヒューマン、つまり超人間たちは多かれ少なかれ現在の私たちからはギャップがあるから、ざっくばらんにいって違和感やもっと言えばグロテスクさも感じ取れてしまう。しかしこれは現状との差異に戸惑っているだけなのか(つまり時がくれば私たちでも受け入れられる自分の姿なのか)、それとも超えてはならない禁忌の壁(酷く反SF的な表現である。)を超えた呪われたものどもの姿を見て本能的に嫌悪感を感じているのか、はっきりと判じきれない。そしてそこに酷く面白さを感じるのある。
という訳で面白かった。サイバーパンク好きな人はどうぞ。

2015年5月4日月曜日

Bosse-De-Nage/All Four

アメリカはカリフォルニア州サンフランシスコのポストブラックメタルバンドの4thアルバム。
2015年にProfound Lore Recordsからリリースされた。
昨年にはかのDeafheavenともスプリットを出したりといわゆるポストブラックメタル/ポストハードコアの畑のバンドで激しく攻撃的な音楽性でありながらもちょっとした芸術性や繊細さを持っているスタイルが売り。
実は私は1stアルバムだけ持っているのだけどうーん?という感じであまりハマれなかった。そんなもんで当然2個目3個目のアルバムもスルーしていたのだけど、レーベルが発売前に公開した音源、このアルバムの1曲目「At Night」をあまり期待せずに聴いたらあれ?すごいかっこ良くない?という訳でこのアルバムを買った次第。

ブラックメタルといってもプリミティブなアングラ臭は皆無でもちろんコープスペイントもしておりませんから、あくまでも音楽的なバックグラウンドと考えていただけるとよいかも。雪崩の様なトレモロリフの応酬はさすがにシューゲっぽいブラックメタルバンドのキラキラ感こそないものの、メロディアスで訴えかけてくるメッセージ性は十分。恐らくボーカル抜きで楽曲を聴いたら結構美しい感じに仕上がっているのではなかろうか。
個人的にはどちらかというとポストハードコアっぽい雰囲気が強いかなと。アコースティックなギター音だったりぼそぼそ呟くボーカルだったり、陰鬱ながらも明るさを指向してきような前向きさを感じさせる(徹頭徹尾明るくはない)楽曲は激情っぽさを感じた。ただ例えば長く美しいアルペジオだったり、ストリングスだったりという様な方向性に舵を取らずにあくまでも喧しい音楽を奏でながらも、曲の純粋な出来で大きく幅を広げている。大仰というよりはドラマチックで、それがしかしあくまでもバンド編成の自力から生じている用に感じる。曲によっては8分だったり9分だったり、比較的長かったりもするのだが激しい中にも徐々に盛り上げる様な展開があって1つの曲として飽きずに聴けるところにも巧みな作曲能力が垣間見える。

吹っ切れたというか、持ち味でもあったんだろうがちょっとインテリぶったところをぶん投げて直球勝負でやってみました、という様な印象。ボーカルは天パに眼鏡という冴えない男声なんだが(超共感できるよな。)なよっとしたいじめられっこがぶち切れたみたいな危うさがやべえコイツ絶対本気じゃねえか、という緊張感をビリビリ振りまいている。見た目は普通の兄ちゃんなのにこの音楽の本気度はちょっとすごい。もはやなりふり構ってられねえんだよという自棄糞感故に熱さ、そしてにもかかわらず曲の生前とした完成度の高さの両立はどうした事だ。なんかこう聴いているとこっちももやもやと熱いものが胸に込み上げてくる。前作前前作を聴いていないからこの変化が突然進化的なものなのかどうかは判断できないのだが、久しぶりに聴いたらちょっとこれはすごい。ブラックメタルは結構ストイックなものという印象があって、ある種そういうところとは無縁なのか?というジャンルなんだが、実際はスタイルは伝統的なものとは違えど相当こびないストイックスタイルだと思う。

という訳でうーんすごいカッコいい。あまり合わないバンドかな?と思っていたから嬉しい一撃という感じ。なんか申し訳ない。この手の音楽が好きな人は是非どうぞ。多分だがちょっとした芸術性が鼻につくなと思っていた人もこのアルバムならいけるんじゃないだろうか。オススメっす。

Jucifer/District of Dystopia

アメリカはジョージア州アセンズの夫婦スラッジバンドの7thアルバム。
2014年に自身のレーベルNomadic Fortress Recordsより発売された。
Juciferは結構メッセージ性の強いバンドで詳しくはTwitterなんかを見てほしいんだが、アルバムにも結構コンセプトがあって例えばRelapseから出ている4thアルバム「L'Autrichienne」はたしかフランス革命がテーマ、前作「За Волгой для нас земли нет 」(読めない…)はタイトルに使われている文字からも分かる通りロシアの戦争がテーマ。で今作は「ディストピア地区」と銘打たれたより政治的な意味合いが強いアルバムになっているようだ。ジャケットも国会議事堂かな?これは。

音の方はというと凶暴さで言えば過去最強ではなかろうか。
全部で9曲だが長さはほぼ25分。ほぼ2分から3分台の曲で締められていてスラッジというにはすこし短い印象。もちろん曲調が遅くても短い曲というのは沢山あるんだが。ただこのアルバムは所謂スラッジとは少し異なっていて曲の速度はそこまで遅くないし、音の密度もかなり濃い。突っ走るパートも多いのでなんならグラインドコアっぽくも聴こえる。
ただなんとも陰鬱な攻撃性に満ちていてまさにジャケットの通り全体的に灰色な印象。
コンクリートの塊の様なざらざらした粒子の粗いギターですりつぶす様なギターはたしかにスラッジ由来のもの。歌いながら弾いているのだが結構リフは練られていて、こじるようなスラッジリフやぐーーんと引っ張る様なタメの聴いたリフ、グルーヴィなリフが混在していて気持ちよい。ノイズ分も多め。ほぼほぼ全編メタリックに引っ張る。
ドラムは手数の多いシンバルが喧しく乾いた音のスネアが気持ちよい。曲によってはかなり叩いている。完全に重たい方向にいかなかったので、ある種の開放感が出て来ていて個人的にはこっちの方が良かったんだろうなと思う。こうじゃないと陰鬱になりすぎるんじゃないかなと。
Amberのボーカルは引き絞る様なドスの利いた絶叫スタイル。この人は結構多彩な声を出せる人なんだが、今作ではウィスパーだったり通常の声、前作でたまに顔を出したクリーンで不穏なメロディを歌い上げるというパートも皆無。全編のどが千切れるんじゃないのかという絶叫。
方向性としては2つ前のアルバム「Throned in Blood」に近い。あちらもグラインドっぽいアグレッションを持ったアルバムだったがそれをさらに過激に押し進めたイメージ。前作にあった実験性はほぼ皆無で完全に直接的な攻撃性に舵を取った印象。

個人的には「L'Autrichienne」のスラッジと陰鬱かつ美麗なメロディアスさとの融合、それから2ndアルバム「I Name You Destroyer」(本当に名盤なんで皆さん是非聴いてほしいっす。)のノイジーなメタルを基調にしながらもAmberの女性らしさが色濃く出ているごった煮ロック感が大好きな身としてはもう少し多様性を打ち出したアルバムをついつい期待してしまう。(普通はむしろとっ散らかったアルバムは良くないとされるんだが…このバンドに関してはそれが楽しいと思う。)まあさすがに2ndの路線はもう無いんだろうけど…。
個人的な好みはあるんだが、Juciferのファンなら購入して損は無いと思います。アグレッションに富んだ地獄めいたスラッジが聴きたい人も是非どうぞ。最後の曲はノイズ地獄みたいな後半がとてもカッコいいんだ。
ただ初めてJuciferを聴くのだったら別のアルバム(前述の2枚がオススメ)が良いかなと思います。