2015年2月28日土曜日

Ozigiri/電子粉砕神罰 Digital Grinding Retribution

日本のデジタルグラインドコアアーティストの3rdアルバム。
2014年にMaddest Chick'ndomからリリースされた。
OzigiriはZuhoさんによる一人ユニット。ZuhoさんはAbort Mastication(活動休止中)というブルデスバンドで高音、中音、低音を行ったり来たりする凄まじいボーカルを披露。こりゃあスゲエと思ったものです。そ2人組デジタルグラインドコアユニットのMoconorbはいくつか音源を持っているのだが、Ozigiri名義の音源はこれが初めて。

デジタルグラインドというとまずPig DestroyerのギタリストScott HullのAgoraphobic Nosebleedが思い浮かぶ私だが、そっちよりはメタル成分が減退しデジタル感が前面に押し出されている印象。
Squarepusherをフェイバリットに挙げる、さらに所属レーベルのカラーからしてブレイクコアの影響はかなり多大と思われ、事実容赦のないビート作りには感嘆させられる。こんな言い方は如何にも面白みが無いが、ブレイクコアアーティストとしての曲作りも滅茶苦茶堂に入っている。トラックからメタル成分をさっ引けばそこには上質なブレイクコア/スピードコアの土台が奇麗に残るのだろう。キックの連発は確かにガバっぽくもあるが、そこに乗るスネアその他の使い方が結構細かくバリエーションがあって個人的のはとても好き。
そこにゴアメタルで鍛えたの下品な(ほめてます)なガテラル、耳をつんざく悲鳴の様な高音スクリームが乗ってくる。完全にメタル。お洒落感皆無。さらにテクノ感すら皆無であって、ここでOzigiriがやりたいのはグラインドコアなのだと分かるのである。
連打されるキックはブラストビート由来なのだ。当然ギターがデスメタル由来のハーモニクスを多用するリフでもって登場する訳だし、ボーカルは終始叫んでいる。良く挿入されるSEもゴアグラインド方面を彷彿とさせる。だいたい2分くらいの尺で突っ走りまくる楽曲を聴くと、まぞそのデジタルサウンドに驚くがよくよく聴いてみればまぎれも無い至極真っ当なグラインドではなかろうか。
そもそもジャケットからして「Scum」であるから(過去作は「Kill Trend Suicide」だったりするようだ。)狙い所も分かってくるというもの。
歌詞を見るとユーモアのオブラートに包みながらも矛盾に疑問を投げかける様な視点はハードコアを片親に持つグラインドコアを感じさせて良い。

ブレイクコアもやはりマニアックなジャンルではあるのだろうが、そこにとどまらずにグラインドコアに接近する様は男らしいとしか言いようが無いだろう。本当に好きでやってます感が伝わって来てたまらん。
デジタルグラインドコアというのはニッチなジャンルの中でもさらにニッチなサブジャンルの極み的な孤高感を感じるけど、こんなにも面白い音源が出るというのは素晴らしい。こんな事も出来るのか!という面白さと曲のクオリティが両立しているとても良いアルバムだと思います。グラインドコア好きは是非どうぞ。オススメ。

Prurient/Bermuda Drain

アメリカはカリフォルニア州ロサンジェルスのミュージシャンDominick Fernowによるノイズプロジェクト。
2011年に今はなき(?)Hydra Head Recordsからリリースされた。兎に角多作でこれが一体いくつ目のフルアルバムか分からなかった。
私はこのミュージシャンの音源は同じくHydra Headからリリースされたジャスティン先生のJK Fleshとのスプリットを持っている。当時この色目も鮮やかなジャケットをサイトで見て気になっていたのだが買う事は無かった。
今年になってバレンタインにTwitterでかのProfound Lore Recordsがバレンタインにこのアルバム収録の曲を呟いており、聴いてみたら良かったのでデジタルで購入。

wikiによるとマイクとアンプ、たまにドラムで曲を作っているらしい。
その音楽性はノイズというと一番手っ取り早そう。
ただ壁の様なハーシュノイズとは一線を画した独特の音楽性で、簡単に言うとハーシュというほどハーシュではない。音の厚さと数が少ない。こう書くとなんだかノイズを薄めたぬるい音楽に聴こえてしまうかもしれないがそこは誤解だ。まず強烈すぎるが故に曲のバリエーションをぐっと減らしてしまうハーシュノイズ(絵の具の黒みたいな)の使用を押さえる事で楽曲の幅が広がる。いわばハーシュに頼らない繊細さを獲得している訳で、そこにさらに空間性のあるシンセのまろやかな音をかぶせる事で一種独特の静謐性を楽曲に持ち込んでいる。音楽で静謐性というと矛盾しているようだが、逆に攻撃的なノイズの一音が意識されて映えるように思う。ポツリポツリと呟く様な本人の声が重ねられており、無機的というよりは有機的な音楽性を志向している事が伺える。
ある意味アートな音楽になって来たようだが、アート糞食らえと言わんばかりに妙に生々しいシャウトを入れてくるのがDominickスタイルの様で、一発取りのような臨場感のある妙に素人っぽいそのシャウトがあっという間に曲を地獄の様にしている。シャウトだけにとどまらずどこか煙に巻く様な底意地の悪さが素直に提示されているような印象で、折角丁寧に作った料理に生ゴミをぶちまけた様な様相。私が美食家なら何してんの!といきり立つ分けなんだが、あいにく悪食な私は良いじゃない!と親指を立てるのである。このぶちこわし感がたまらない。作品が気に入らなかったから気まぐれにぶちこわす芸術家というよりはぶちこわしにするのが彼の芸術なのだ、きっと。そういうこだわり好きです。
ガシャガシャしたインダストリアルなドラムビートが冷徹な曲だったり、妙に古くさいシンセロック然とした曲、模糊とした幻想に悪夢が侵入したみたいな一見穏やかな曲などかなりアイディアがある人らしく、このアルバムも曲によって結構触れ幅が大きくて、それゆえむしろややと掴みづらいアルバムになっている。ここをポジティブに受け取るか、ネガティブに受け取るかは聞き手次第か。私は全編本気を感じて、たまに卑怯なくらいな奇麗さを出してくるその音楽性結構気に入りました。

まあまあ人を選ぶ音楽性だと思うが意外にロックな要素があると思う。気になった人はどうぞ。
↓この曲は素直に美しいと思う。


2015年2月22日日曜日

Napalm Death/Apex Predator-Easy Meat

イギリスはイングランド、バーミンガムのグラインドコアバンドの15thアルバム。
2015年にCentury Media Recordsからリリースされた。
私が買ったのはボーナストラックが追加された日本盤。こちらはトゥルーパーエンターテインメントから。
前作「Utilitarian」が2012年のリリースだから3年越しのニューアルバムという事になる。私は見てないけどライブでの来日に合わせて日本のテレビ番組にも出たそうで。グラインドコアといったらNapalm Deathなんだろうけど、まだまだ現役第一線で活動しているバンドですね。
Apex Predatorという耳慣れない単語は「頂点捕食者」という意味らしい。人間の事かと思ったら調べてみたらそれぞれの分野で結構数がいる印象。「簡単な肉」というのは敵がいない故に簡単に手に入れられる肉、という意味だろうか。CDのケースが分厚く2枚組か?と思ってしまうが、じつは分厚いブックレットがついていてそのため。タイトル通り肉肉しい気持ち悪いアートと曲後との歌詞が読みやすく印刷されている。日本語訳を見ても分かるが、このバンドはやはり根っこにハードコア精神があって攻撃的な楽曲はそれ自体キャッチーに目を引くが、それだけじゃなくて歌詞を読んでくれ!という意図を感じる。

ボーカルは相変わらず独特な咆哮スタイルだが、今回ややのどに引っかかる様な掠れ具合を付加して来ていてしゃがれ感でもって迫力アップしている。ギタリストの高音スクリームとの相性も抜群ですね。それでも歌詞が全く分からんというデス声感は引き続きなし。曲名や特定のフレーズを繰り返すのがNapalm Deathの特徴の一つだと思うのだけど、多分それでキャッチーさが大きく増していると思う。一緒に声を張り上げて歌い(叫び)たくなる。
ギターの音は結構中音が意識されたソリッドかつメタリックな音質で、よくよく聴いてみると低音命のメタルのそれとはかなり異なる。解説で行川さんがMy Bloody Valentineを引き合いに出しているけど確かにそういわれると音楽性は大分違うものの要素的には相通じるものがあるなと思う。勢いがありつつもあえてのつっかかり間ともいうようなフックのあるフレーズをリフに混ぜてくる。とにかく空間に対する音の密度が異常なほど濃い。
反面ベースとドラムは結構えぐいくらい低めに設定されていて、特にバスドラはひたすら重い。こんなに重たかったっけ?というくらいに。回転する様なタム回しもある程度主さがあって軽機関銃のような感じ。
ブラストビート頼みの速い一辺倒ではなくて、曲によっては結構中速でせめて来る。音の数が多いのでもたっている印象は全くない。さらに”疾走感”が意識されているので矢継ぎ早な感じ。例えばハードコアなんかは遅くする事で強制的なモッシュ感や気持ちのよさを演出しているけど、このバンドの場合はハードコアといってもやはり年期を感じさせる初期のものへのリスペクト(というか根幹になっているのか)が強いのか、流行とは無縁、かつ独自の尖ったスタイルを実現している。遊びじゃねえんだよというシリアス感と気持ちよさをここまで絶妙なバランス感覚で表現できるバンドというのは(しかも速さが売りのグラインドコアというジャンルで)なかなかいないのではなかろうか。

個人的には前作よりストレートで聴きやすい印象。うーん、カッコいい。
この手のジャンルが好きな人は迷わず勝手間違いないかと。オススメです。

レイ・ブラッドベリ/太陽の黄金の林檎

アメリカのSF作家による短編集。
ハヤカワ文庫からで私が買ったのは新装版。
さてレイ・ブラッドベリ!言わずと知れたアメリカSF/幻想文学界の巨匠。一番有名なのはやはり「華氏451度」でしょうか。私は「火星年代記」を読んでからのファンで膨大な著作もほとんど手つかずですが、折りをみて買っては読んでおります。
この短編集には全部で22の比較的短い短編が収められており、SFのテイストに色付けされながらも、どちらかという幻想作家としてのブラッドベリの手腕が存分に発揮されたなんとも”郷愁”や”怪奇味”を感じさせる不思議な作品が多めの印象。
なかでもいくつか特に楽しかった短編を紹介。

四月の魔女
恋に恋する魔女が精神を他の女子に飛ばして無理矢理恋させるおはなし。思春期の女子のわがままさを魔女という超常の存在に結実させた感じで、おいおいと思いつつもなにか微笑ましい。

人殺し
テクノロジーの発展により何時何時でも他人と連絡を取り合うのが普通となった社会。ある男がよそからの連絡を絶とうとし、身の回りの機械を破壊すると刑務所に入れられて…というディストピアを描いた短編。常日頃から電話が好きではない私は(他人に良いようにされるのが好きじゃない。)大いに共感したものだが、このディストピアって現代じゃん!

ぬいとり
三人の女がポーチに坐って一心不乱にぬいとりをしている。もうじき何かが起こるらしい。何かってなんだ…。当たり前だが世界が滅亡したとして、全世界の人間がそれに直面するはずで、その中から田舎の女性三人に焦点を当てた作者は流石だ。こうやって最後を迎える人も絶対いるだろう。世界が終わっていく様がなんとも恐ろしく、嘘のように(または虚構故に)美しい。

発電所
砂漠に棲む女性が母親の危篤を知り、夫ともに遠く離れた故郷を目指す。不安に教われた女性は無人の発電所で一夜を過ごす事になるが…
22個の短編の中でも異彩を放っている短編だと思う。正直この物語の意図するところが完全に理解できないし、勿論読んだ人によって感想は異なるのだが、なんだかすごいという事が分かる。女性が発電所の電気を通して世界と”接続”。そして自分が何者かを知って恐れが無くなる、という話。いわば電気の力を借りた強制的な悟りの境地なのか…彼女が何万もの彼女になって電気となってスイッチを押した家々に顕現する様は圧倒的過ぎて声も出ない。
今まで聖書に栞をはさんだことがないのは、この砂漠での生活に、恐ろしいものが何一つなかったからだろう。(中略)生活の危機はいつも脇を通り抜けていった。死は、いってみれば、遠くで吹き荒れる嵐の噂だった。
この一文のなんと素晴らしい事か。私がもやっと感じていた事をすっと簡潔な言葉で表現してくれる。

ごみ屋
トラックに乗って町のごみを集める男。辛い仕事ながらも自分の仕事に誇りを持っていたが、ある日来るべき危機に備えて有事の際には死体を回収するように市長から通達があり、男は…
これもそうなのだが、うまく言葉にできない人間の「尊厳」「品性」をみごとに物語に閉じ込めた寓話。説明できないからないと思っている効率主義者達はこれを読んだら良い。

なんだか最近面白くもややこしい小説ばかり読んでいた所為か、本当にあっという間に読んでしまった。ブレッドベリは優しい。その視点は冷静で辛辣だが、彼の紡ぎだす世界は残酷でありながらも美しい。それは夕焼けや夜の美しさかも知れません。アイディアと文体で真っ向勝負する素晴らしさ。心に来る物語が読みたい人は是非どうぞ。

トマス・ピンチョン/競売ナンバー49の叫び

アメリカの作家の、うーん?何小説かと言われると少し困る小説。
ピンチョンの名前は結構私が読んでいる本の後書きや解説に出てくる。曰く現代アメリカ文学を代表する作家の一人とのことで、そんなあおり方をされれば勿論気になるのが人情というもの。ただAmazonで「ピンチョン」で検索していただければわかるのだが、彼の本は3000円くらいするデカいモノで、なんとなく躊躇してしまっていたのだが、ちくま文庫から手頃な値段の文庫がでていただのでケチな私は飛びついたのであった。
調べてみるとトマス・ピンチョンという人はいける伝説の様な人で、経歴が謎に包まれている訳ではないのだが、メディアに一切露出しない隠遁した生活を送っている覆面作家であるそうな。この小説はそんな変わり者の作者が1966年に発表した小説。

エディパ・マースはラジオDJの夫を持つ平均的なアメリカ人主婦。ある日昔一時期つきあっていた大富豪ピアス・インヴェラリティが亡くなり、自分が彼の遺産の管理執行人に任命されていることを知る。ピアスの膨大な遺産を整理するためにエディパは実質的にピアスが実権を握っていた彼の地元に赴くが、歴史の影に存在し続ける謎の私設郵便組織を巡る陰謀に巻き込まれていく…

読み進めながらこれは中々に一筋縄でいかない小説だと分かってしまった。所謂幻想小説とは違い確固たる現実を扱っているし、表現が曖昧模糊としている訳ではない(むしろソリッドな文体だ)のだが、なんとなく話の筋が掴みにくい。いや、筋というよりはそれが意図する真意という方が言いかも。解説によるとこの話というのは膨大な暗喩に富んでいるそうで、本文の後ろにながーーい訳者による解説がくっついている。これを読むと少しは小説に対する理解が増すという訳だ。(読むリズムが崩れるし、しおりが2本いるからこの形式は結構厄介だ、個人的には。)もう一つの要素は登場人物達の言動で、気取っている訳でもお洒落な訳でもないが、会話も隠喩に富んでいるのか、やけに婉曲的だったりする。特に女主人公の行動は衝動的で直感的であって、この小説はそんな彼女の一人称でもって進むのだが、それなのに彼女の真意がたびたびこちらには理解できない。(これは私のおつむの程度によるところも大きいと思うけど。)
一見すると元カレの富豪の死を切っ掛けに歴史の背後にあった謎の組織に接近していく探偵小説と読めなくも確かに無いのだが、中盤主人公自体がそんな明快さが一瞬で崩壊する様な”気付き”を読者に発表し、「分かりにくいけど探偵小説」という最後の命綱も他ならぬ主人公によってぷつんと断ち切られてしまうのである。こうなるとこれは小説というよりは半分意味のわからない言語で書かれた石盤や古文書の様相を呈してき、その意味成すところというのはこちらが独自に解釈せねばならない。
私と言えば分かりにくいとぼやきつつも何かしらスラップスティックな雰囲気をこの小説に感じてしまった。主人公エディパという女性はどうやら容姿に恵まれているようで様々な誘いにさらされつつ、妙に変わった登場人物達の間で翻弄される様は確かに悲劇的だ。たしかに重要な登場人物が次々に不振な死を迎えたりして、これはいよいよきな臭くなってきやがったぜ、という空気もありつつ、全体的になんなく間延びした雰囲気やコミカルさ(たとえばメツガー達と湖に出かけるところとか特に。)がその根底にこびりついていて、なんだがやっぱりドタバタした喜劇的な雰囲気がある。これは作者の物語がシリアスになりすぎないようにという配慮、つまり優しさなのか。それとも悲劇と喜劇が表裏一体、それでいて曖昧模糊とした人生をこの短い小説に込めようとしたのか、私には分からないのだが。
一風変わった小説を求めている人はどうぞ。私はというと読んでいる時は唸っていたものだが、不思議な事に読み終えるとまたピンチョンの別の一冊を読みたいと思っている。

2015年2月15日日曜日

ロバート・A・ハインライン/宇宙の戦士

アメリカのSF文学の巨匠ハインラインによるヒューゴー賞も受賞した名作。
ハインラインは日本で大人気の「夏への扉」と題名がカッコいい「月は無慈悲な夜の女王」しか読んだ事無くて、いよいよ「宇宙の戦士」を読んでみるかという感じで手に取った。
「宇宙の戦士」というとほう、という感じだが現代は「Starship Troopers」でそのまま日本語で書くと「スターシップ・トゥルーパーズ」。30歳位の人なら見た事ありませんか?「スターシップ・トゥルーパーズ」。一時期地上波でも結構やってましたよね。人類が虫型異星人と激しい戦闘を繰り広げるあの映画。その原作がこちらの小説。原作と言っても中身は大分違うのですが…(物語というよりは趣旨が結構違う。詳細はwikiをどーぞ。)

今から遠い未来人類はその版図を宇宙に広げていた。広い宇宙にはしかし危険が多く、宇宙軍の需要は高まるばかり。地球政府は市民権を従軍した事のある人間にのみ与える方針を取っていた。(市民権が無いと投票は出来ないが普通の生活はできる。)主人公ジョニーは市民権は無いが裕福な家庭に生まれ、将来は父親の跡を継ぎ経営者になるはずだった。しかし高校卒業後ちょっといいかっこをしたいが為に宇宙軍に入隊。配属された先はもっとも過酷な陸軍の機動歩兵隊だった。パワードスーツに身を包みカプセルに入って敵地に降下する危険な部隊である。甘ったれのジョニーは過酷な訓練を乗り越えて一人前の兵士になれるのか?

さて分厚いこの小説は今でこそそれなりに市民権を得たパワードスーツ(展開してガンダムのモビルスーツ?の元ネタになったとか。間違っているかも…)が堂々と世に出たという小説らしい。(1959年に発表。)物々しい題名もあってたしかにド派手な先頭も展開される痛快な小説でもあるのだが(ここが映画の原作に相当するところ)、実際読んでみるとそれ以上に市民とは兵士とはということを説いたやや観念的というか説教的な側面が強くあって、ページもそっちの方に多めに取られているのではなかろうか。おかげでAmazonのレビューでも読んでいただければ分かるのだが、かなり賛否両論な本なのである。なんせ本編の後に日本で発表されたあとの編集者?と読者の手紙での応酬がたっぷりと収録されているくらいなのだ。
要するに軍隊・暴力礼賛的なファシズム的な要素があって、市民というからには自分より国家を優先して、有事の際にはつべこべ言わずにその身を使って国家に奉仕せよ、とこういう風にも読める側面があるのだ。
私は政治家は全員軍隊で前線に出たら良いんじゃないかと学生の時に考えた事があって、つまりそれはそうしたら平和のありがたさが分かって一番戦争を始めやすい政治家が(と私は思っているのだけど本当は全然違うかもです。)戦争を始めるなんて言いたださなくなるんじゃないかと思ったからだ。この本はそれをさらに押し進めて基本なにか政治的に主張したいなら全員軍隊に行け!というのである。こうなると分からなくはないんだけど、やっぱり基本的にはいつも戦争をしている事になって平和からは遠ざかってないだろうか。でも同時に敵意のある他者がいる場合は善し悪し関係なく武器を取らなければ行けないのだろうとも思う。そういう奴が耐えなければ一億総火の玉で国家のために粉骨砕身、七生報国せよ!と、こうなるのだろうか…
と考えはつきないし、私は一体何が正しいのかは全然判断つかないのでここら辺で。(適当で申し訳ない。しかしあまりブログでは政治的な事と宗教的な事は言いたくないという気持ちもあるのです。)だいたい中身の方は想像できるかと思います。
私的には内容は問題ないんだけど、主張には首を傾げるところがあって、しかもその描写が長いもんでちょっとだれてしまったところもありました。全部が駄目とかではなくてここまでは分かるけど、ここから先はちょっと同意できませんな、という程度の問題かもですが。(そう簡単なもんではないことは分かっているんですが…)

ただこの本を読む事で戦争(と平和)について色々考える事は出来るのではなかろうか。この本を読んでただ蜘蛛との戦いが面白かった!という人がいたら中々の強者では無いでしょうか。という訳で興味がある人は手に取ってみるのはいかがでしょうか。

TechDiff/The Black Dog Released

イギリスはイングランド、シェフィールドのテクノアーティストによるEP。
2011年にPeace Offからリリースされた。
全然名前も知らなかったのだが、日本のネットレーベルOthermanRecordsのラジオ配信でレーベル所属のDJKuraraさんがかけていたものがとてもかっこ良く、その場でBandcampで買った次第。本当インターネットってすごいよね。木月から購入まで全部ネットだけで成立しているからね。

という訳で私は一時期Aphex Twinからの流れで(私の世代このルートは多いのではなかろうか。)ブレイクコアをほんの少しだけ聴いていた時期があり、今もたまに昔買った音源やら新しく何やらを聴いていたりします。所謂ハードコアテクノというくくりのこのジャンルは兎に角五月蝿いドラミングが特徴の一つではなかろうか。ブレイクビーツを高速でならしつつ、オカズというにはゴテゴテしすぎたドラム音を追加しまくったそれは、時にはその攻撃的な音からドリルンベース(連続しすぎたキックがドリルのように聴こえるからだと思うんだけど…)と呼ばれたりもした。
2011年リリースという事もあってこのTechDiffの音源は上記の様な認識を持っている私にはばっちりハマるカッコいいスタイル。
つまり、基本は五月蝿すぎるビートが主体となり、その上にあまり饒舌ではないメロディが乗る。そして全体的には五月蝿いながらも空間性を意識した奥行きのある、やや空虚な音像で一言で言えばちょっと暗い雰囲気の音楽である。思わずこれっすわ〜これなんすわ〜と口走ってしまったとかしまってないとか。
重たいキック音をベースに最早ドラム?なのか...?というくらい音色豊かなスネアだかなんだか分からん連打が続き、一音一音というよりはいくつかの音の塊自体がリズムになって、五月蝿い中にも独特のリズム感がある。ふっといベースに細かい連打が乗る様は小気味良いの一言で、ギリギリいうこの手のジャンルでは御馴染みのあの手の音も満載。
ベースが主役みたいなところもあるもんで、うわモノは幾分地味になる。わりと重たい感じのシンセ音がぽつぽつした単音もしくは、ドローンがようやっとかすかな叙情性を獲得した様な儚いメロディが乗る。でここは好みの問題だがこのうわモノの空虚さが個人的にはツボで、下地は何やら躁病的に五月蝿いのに上のメロディはグルーミィなのである。この温度差が生み出すハーモニー、とても良いじゃない、という感じなのである。

全8曲だがお尻の2曲はリミックスなので実質6曲か。(リミックス音源も結構良い。)フルアルバムが聴きたいな。(というか今買った。)
という訳で文句無しにカッコいい。王道なブレイクコアが好きな人はガッチリハマる事請け合いの音源なので是非どうぞ。オススメ。

2015年2月8日日曜日

Cursed/Ⅰ

カナダのクラストパンクバンドの1stアルバム。タイトルはシンプルにone。
2003年にDeathwish Inc.からリリースされた。
2001年に結成されたバンド自体は2008年に既に解散してしまっているが(wikiによるとどうもツアー最終日に盗難にあった事が原因らしい。なんと残念な…)、わりと色んなメディアで目にする事が多くて気になるもんで買ってみた次第。(Full of Hellがアートワークにアルバムのジャケットの一部を使ったりしてたのが個人的には気になった。)だから知っている人はとっくに聴いているバンドだとは思うんだ。

ギターとベースはこの手のジャンルには定番のざらついた音なんだが、若干湿り気があってややこもっている印象。ここが独特の閉塞感のある雰囲気を作り出すのに一役買っているのかも。耳に刺さる様な高音やフィードバックノイズなども結構飛び出してくる。特に終盤の10曲目とかは刻んでくる+ためる様なリフや弾いた後にキャーンとさせるリフを使ったりして結構メタリック。しかしそれでいてあくまでも勢いを殺さない姿勢はやはりハードコアか。
ドラムは結構手数が多くて、乾いた大人タンタンと響くタイプ。ここに注目しているとストレートな楽曲の中でも結構頻繁に速度やリズムが変わっている事が分かる。
何と言ってもボーカルが良い。酒焼けなんだかタバコのすいすぎなんだか、それとも単に生まれつきなんだか知らないが強烈にガラガラ擦れまくったしゃがれ声は、野太さは別の次元の”近付き難さ”があってそれがカッコいいのだ。滑舌もあまりよくないし、ベロベロに酔っぱらっているくせに目が完全に坐った危ない奴、なんだかそんな印象だ。(ちなみに解散後はBurning Loveでボーカルを取っている。だから私は彼の声を聴くのは実は初めてでなかったみたい。)
基本は粗野で野蛮なハードコアを演奏するのだが、完全なインスト曲があったり、イントロがやたらと贅沢に時間を取ったり、不安感をあおるSEをいれたりして中々一筋縄では行かないバンド。間の取り方も贅沢に取ったりして確かにスラッジっぽい雰囲気もアリ。ストレートが信条のハードコアにしてはかなり内省的なくらい雰囲気に覆われており、個人的には特にそこが好み。スラッジパートもそんな放心した様な感情を良く表現していると思う。

という訳で昨今クラストパンクも自分の中では盛り上がっている印象なんだけど、2003年リリースの今作は流行の波とはちょっと隔たってしまっているのだけど、それ故に時勢に迎合しないハードコアな音質になっている。昨今この手のジャンルが気に入っている人は是非どうぞ。オススメ。

カート・ヴォネガット・ジュニア/猫のゆりかご

アメリカの作家によるSF小説。
(解説によると)本書はアングラな作家であった著者の出世作となった。
私はヴォネガット(ヴォガネットと間違えてしまう事が多々あるんだ、私だけ?)の熱心なファンである訳ではないが、爆笑問題の太田さんがなんどもお勧めするのを、彼らが作家をゲストにしたトーク番組で見ていたから「タイタンの妖女」と「スローターハウス5」を読んだ事がある。
今回何となく久しぶりに読んでみたくて買った次第だ。ちなみに「猫のゆりかご」とは英語でCat's Cradleでこれはあやとりの事だそうな。

作家のジョンはプエルトリコ沖に浮かぶサン・ロレンゾで「世界が週末を迎えた日」という本を執筆している。ジョンは元々はキリスト教徒であったが、サン・ロレンゾのみで流布している奇妙な宗教ボコノン教を今では信奉している。おそらく世界の人口は6人。ついこの間まで全く正常を保っていた世界に一体何があったのだろうか…

本書はなんと全部で127章に分かれている。といっても全部がぶちぶち切れているショートショートで構成されている訳ではないが、基本的に連続している物語の場面場面に小見出しが付けられている様な作りになっているから、普通に一遍の長編として読む事ができる。
これは真面目に書かれた本ではない。いわば寓話みたいなものであって、私も2冊しか読んだ事が無いから偉そうな事は言えないのだが、ヴォネガットの小説には色んな一風変わった人々が出てくるんだけど、特にこの本では前述の2冊よりは奇人変人度が強い人たちばかりがでてくる。といっても主人公のジョンことジョーナを始めみんなどこかしら抜けているので変な劇を見ている様な緩さとおかしさが全体を覆っている。
あらすじでも書いたがこの本は世界の終末について書かれている。普通のSFは世界が終末
を迎えた後の荒廃した世界か、もしく来るべく世界の終末をなんとか回避しようとする努力が書かれる事が多いが、残念ながら本書では世界はあっという間に破滅を迎えてしまうのである。奇人達が緊張感無く右往左往し、運命的な偶然でもって世界が破滅を迎え、残された奇人達がついにボコノン教を通して真理に到達する、のか?
完全に喜劇的な物語はしかし、その背後に人間の悲喜こもごもと愚かしさを描き、そんな人間達が自分たちの所属する世界を考え無しに滅ぼしてしまう危険性、そして人生の果てのない意味の無さと空虚さを描いている。喜劇じゃなかった悲劇でした。
どんな退屈な人生でも1冊の書物にするには長すぎるかもしれない。なので物語というのは多かれ少なかれ物事や人物をデフォルメするものだが、この物語はデフォルメが顕著でほぼ現実離れしているレベル。ヴォネガットは物語を喜劇調にしたのは何故かと考えると面白い。それは彼の優しさだったのかもしれない。「スローターハウス5」は実体験を元に描かれた作品であって、彼は確実に人間が引き起こす世界の終わりを戦場にかいま見たのかもしれない。
そう考えるとなんだかこののんきな登場人物達がそれこそ既に荒廃しきった廃墟となった地球に打ち立てられたずさんな書き割りの用で何か恐ろしくなってしまったのである。

穿ち過ぎかもしれないが中々恐い小説であった。一読しては単に変な物語なので興味ある人はそんなに来老いなく読んでみてほしいし、どんな感想を抱いたのか御聴きしたいところでもある。

Breach/It's Me God

スウェーデン北部のノールボッテン県ルレオのポストハードコアバンドの2ndアルバム。
1997年にBurning Heart Recordsからリリースされた。
Breachは1993年に結成され4枚のアルバムとその他の音源を発表し2001年に解散している。英語のwikiによるとメタルに影響されたハードコアでクラストパンク、ポストロックにブラックメタルとスラッシュメタルを混ぜた様な音楽スタイルで他のこの手のバンドよりラフで五月蝿いと書いてある。なかなか分かりやすい説明なので引用させていただいた。最終的なラインナップにはドラムが2人クレジットされていたりして、攻撃的かつ中々エクスペリメンタルなにおいを感じ取れる。
私が買ったのは完全にたまたまで、まずもう思い出せないがこの印象的なジャケットを以前ネット上で目にした事がある。で、ある日全然関係ない動画をyoutubeでみていたら右横のオススメにこのジャケットが表示されていたので、見た事あるなってだけで何の気無しい見てみたらこれが滅茶格好いいではないか。即買った訳である。因に私が買ったのはiTunesのデジタル音源。マテリアルは残念ながら見つけられなかった。ジャケットがカッコいいから是非CDかLPが欲しい!

「俺だ、神だよ」と名付けられたこの不遜なアルバムについて説明しよう。
ポストロック、ポストメタルと頭にポストを付けるとその音楽性は激しさはそのままにある種のアート性を獲得し始めているように個人的には感じられるのだが、このバンドはポストハードコアであるものの、ざらついたハードコア感がまったく削ぎ落とされていない。だが確かに封筒のハードコアにしては演奏が長いし、全く鼻につかないが演奏は結構凝っている。まさにいいとこ取りのバンドというのが持ち味。なんせ始めは全くポスト感が感じられないくらいストレートなハードコアだと思ったからね。

ギターは低音にフォーカスしたからっからに乾いたざらついた音で、初期ハードコアの粗さにメタリックな質感を追加したもの。97年の音質と侮るなかれな重たさを持っている。
ベースはこちらも乾いた音でギロギロいう音で、硬質な音でゴロゴロせめて来る。割と伸びやかに演奏し、タメを意識したうねりのある曲調ではややぶっきらぼうなドラムと奔放に演奏するギターの丁度中間でどっしり支えるような印象。
ドラムも音的には乾いていて緊張した感のある破裂音が気持ちよい。決して技巧的ではないが疾走パートの連打感と、不穏なパートのつんのめる様なリズム感を切り替えて来たりで面白い。
ボーカルは掠れた声でわめき散らす完全なハードコアスタイルで終始シャウトの潔く男らしいもの。格段太い訳ではないのだが五月蝿い演奏に負けないくらい声を張り上げている。
何が”ポスト”なのかというとまぜボーカルの入らない演奏パートがハードコアバンドに比べると圧倒的に長い。不穏なアルペジオだったり、スラッジパートであったり、フィードバックノイズを利用したタメの時間だったり、そういった要素を追加し、つなぎ目を奇麗にしたのがこのバンドの音楽スタイル。要するにポスト感の対になるハードコア感の生々しさが絶対的に失われていないからだ。冗長なパートは一切無いし、ボーカルの入らないパートは兎に角全員で嵐を作っている様なカオスを波乱だ轟音の応酬何だが、その中にちらりと見えるメロディーの片鱗がこう、ぐっとくる。
曲の前後に不穏なドローン音やノイズを入れたりと曲の音作りにはバンドアンサンブル意外の音も積極的に取り入れており、それが彼らなりの”ポスト感”をに一役買っているのかも。

というわけでスゲエバンドがいたんだな〜、と思わずにやけてしまうくらいに格好いいわ。他のアルバムも買ってみる予定だし、兎に角ちょっとでも興味のある方はすぐ買った方が良いんじゃないのかな、と思うくらいオススメです。



ちなみにこのバンドの解散後何人かのメンバーが始めたのが知っている人もイルカもだが、あのかぶり物をしたわけわからないブラックメタルバンドTerra Tenebrosaであるとのこと。私はそんな事情わからず一時期彼らの1stアルバムを買って聴いていたから面白いものだ。聞き返してみるとやはり格好いいから、こちらの2ndアルバムも買ってみる予定。


2015年2月1日日曜日

Aphex Twin/Computer Controlled Acoustic Instruments Pt2 EP

イギリスはイングランドのテクノアーティストによるEP。
2015年にWarp Recordsからリリースされた。私が買ったのはおまけがついた日本盤。
2014年に「Druqks」以来13年ぶりのフルアルバム「Syro」をリリースした事も記憶に新しいコーンウォールの奇人Aphex Twinことリチャード氏だが、2015年1月9日突如次の音源をリリースすることをアナウンス。それがこのEP「Computer Controlled Acoustic Instruments Pt2 EP」。13曲収録なんでアルバムっぽいのですが、兎に角曲の尺が短い曲が多くて3分超えるのは4曲しかない。あっという間に終わってしまう27分。ってことで恐らくEPなのかと。ちなみにPt1は世に出ていないようだが、リチャードおじさんの事なんできっと膨大なハードディスクのどこかに収録されているのだろうと思う。(インタビューで兎に角曲はいつでも作っているけどコンパイル(マスタリングかも)がめんどくさくて結果リリースが無い時期が長かったんだよね〜と語っておりました。いっそ家宅捜索でもしてHDD全部押収して誰かにコンパイルさせたら滅茶苦茶沢山音源出せるんじゃないのだろうか…)

気になる中身の方はというとまたこれが大分変わったものになっていて少なくとも「Syro」とは少し異なるのは確か。曲のあちこちに”らしさ”は感じられるものの曲を構成している音自体がかなり異色になっている。ここでタイトル「Computer Controlled Acoustic Instruments Pt2 EP」が出てくる。訳すとコンピューターがアコースティック機器を制御したパート2EPだと思うから、私は最初アコースティックなデジタル音源のみを使ってソフトウェア上で作ったのがこの音源なのだと思っていたが、どうも違うかもしれない。
Twitterで見たのだけれども曲名に入っている「snar」とか「Hat」とか言うのは本物のドラムの一部をロボットによって叩かせる機械のことらしい。そうなると事情は変わって来て、本物の楽器を全部デジタルではなくて実体のある機械に演奏させている、という意味になってくる。まあ真偽のほどは分からないんだけどリチャードさんならいかにもやりそうだなあ、と思ってしまうのは確か。
まったくピコピコしていないし、いかにもアコースティックな音達がやや陰鬱な楽曲群を構成している。やはりビートに焦点が当てられた印象で、メロディ性は基本希薄である。
跳ねる様なスネアが基本のビートを作る。やや音の数は多くてチキチキキンキンしたハイハットが気持ちよい。冷たいピアノがメロディと呼ぶには儚い旋律をループする。浮遊感のあるドローンめいた音が霧のように静かに足下を覆っている。だんだんと楽器が増えて音が重なってくるようにテンションがあがってくる、と思うとふっと終わってしまう。
とくに短い曲は本当フルアルバムに置けるインタールードの様な印象でミニマル性が強くて幕間のようにあっという間に終わってしまう。本人は遊びで作っているかもしれないのだが、やや張りつめた様な緊張感をはらんでいるものもあって短いと言っても馬鹿にできない。
全体とを通してただその中にもピアノや打楽器の反響を活かした空間的な音使いがされていて、個人的には特にそこに美しさを見いだせた。BPMも低めでゆったりとした速度なのは1音1音を楽しんで聴いてくれ、というメッセージなのかもしれない。アコースティック機器の柔らかさと頑迷さを混沌ではなくて、あくまでもテクノい曲の作り方で表現したのは流石なのだろうと思う。

個人的には「Druqks」収録のアコースティックな雰囲気の暗い曲群を思わせる楽曲はとても好意的に受け入れられたので楽しめて聴けた。wikiの評価を見ると結構賛否両論なのかもしれませんが…という訳で「Druqks」が好きな人は多分気に入るんじゃないかと思いますよ。煙に巻かれている気がしないでも無いけど素直に曲が良いか悪いかで良いんじゃないですかね。


Xibalba/Tierra Y Libertad

アメリカはカリフォルニア州ポモナのハードコア/デスメタルバンドの3rdアルバム。
2015年にSouthern Lordからリリースされた。わたしが買ったのはボーナストラックが追加された日本盤でこちらはDaymare Recordingsから。
根がガッチリしたハードコアバンドながらもデスメタルバンド顔負けの迫力とドゥーム成分を追加した強面バンドで、1stアルバムはA389 Recordings、前作からSouthern Lordから発売。前作ではレーベルオーナーのグレッグがドローンとしたギターで参加してたりと話題になったりならなかったり。
日本盤には久保田千史さんの解説がついているのだが、それが面白くて「悪いけどXibalbaはモッシュコアだよ」と書いてある。私はハードコア全然知らないのだがモッシュコアというのはその名の通りモッシュに特化したマッチョなハードコアであり、Southern Lordのような神秘的かつアート性に富んだ音楽とは結構正反対ですよ、といっている。なるほど〜。私なんてミーハーでスノッブだから何となく知っているレーベルから出てたり、誰かがほめたりするとスゲエなって感じで感化されて何も考えずに買っちゃうポリシーなんて皆無なタイプなんだけど、たしかにレーベルカラーからしたら異色なのかもですね。(ハードコアやブラックメタルは音楽性だけでなく根底に思想との強固な繋がり(思想や考えが音楽となって出てくるイメージ)が強固なので私には本当にハードコアやブラックメタルは分からないのかもしれないなあ、と寂しく思う事あります。)

さて、そんなハイブリッドバンドの新作ですが、基本は前作を踏襲しつつも随所によりメタルっぽさがみえるかなという印象。
1曲目を聴いた時はうおおなんか速いな、と思ったのですがよくよく聴くとそこまで速くない。ただ戦車がその無限軌道でもって戦場を踏みしだいていく様などっしりとした迫力があってなんだか体感は焼く感じでしまう。いずれにしても掴みはばっちりでそこからずーーんとしたおそハードコア沼に引きずり込むという鬼畜なアルバムにあっております。
全体的に遅いハードコアだからやっぱりビートダウンってことになるのかな?
ドラムはバスドラムをかなり執拗に(速度は速くないのだけれど)踏み込んでいく、手数も多いので恐らくこのドラミングによって曲が速く聴こえるのかも。
ギターは結構特徴的な弾き方でずわーっとのばすように弾いてお尻でミュートでガッと止める様なリフでこれがとても気持ちよい。おそらくモッシュしやすいのかな?刻み込むメタリックなリフと弾き倒すハードコアのリフ(でもたまにきゅわきゅわしてPortalみたいにきこえるから面白い)の混交スタイルはハードコアとデスメタルのハイブリッドはギターが担っているのかも。短いがソロも入って結構曲にメリハリを付けて来た印象。
ボーカルは迫力のある声で、あえて批判を恐れずに言うならいわゆるデブ声ってやつ(みんなやるよね?お相撲さんみたいなあれっす。)に近いなと思っている。のどに引っかかる様なちょっと掠れていて、それでいて滅茶迫力がある。ボーカルは完璧にハードコアな感じ。
好印象なのは例えばレーベルカラーに染まってSunn o)))のようなドローン成分はあくまでもの範囲にとどめておいていること。変に気取ったり賢いぶったりはしておりません。遅い中にも徹頭徹尾グルーヴ感に支配されていて気持ちよい。このグルーヴ感が恐らくメタルのそれとは少し異なる。簡単に言うと音の数がそこまで多くなく、波のように上下に大きく揺れてくる様な演奏。これがある程度ミニマルさを持つと、そうです、暴れたくなる体のリズムが誘発されて、それがモッシュコアたる由縁ではなかろうか。
海外のモッシュピットとかみるとあまりにおっかなくて、とても生きて出れる気がしないが、ちょっと楽ししそうですよね。まずはこのCDを聴いて家でひとりモッシュの練習をするというのはいかがでしょうか。
とてもカッコいいアルバムなんでオススメっす〜。