2013年10月28日月曜日

diSEMBOWELMENT/diSEMBOWELMENT

どんなジャンルでも伝説のバンドはいるものだ。
ニッチなジャンルで伝説というといささか大仰すぎるかもしれないが、語り継がれる名バンドや名作が確かにあって、今回紹介するのはそんな一枚。(2枚組なのだが。)
diSEMBOWELMENTは1989年にオーストラリアのメルボルンで結成され、1993年には解散している。その短い活動期間の中で2枚のデモと1枚のEP、アルバムをリリースしている。
中でも「Transcendence into the Peripheral」というアルバムはデス/ドゥーム界隈では有名な作品で、プログレッシブな展開からとても1993年にリリースされたとは信じられないと評価されていたり。
オリジナルのジャケット。デスメタルっぽくないロゴがおしゃれ。

当然のことながらミーハーな私としては気になっていたのだが、既に廃盤になっており何となくあきらめていたのだが、ふと思い立って調べると何のことはない、同じRelapse Recordsから2枚組のコンピレーションアルバムの一部として再販されていたのであった。
自分の間抜けさに悪態をつきつつ購入した次第。
2枚組でバンド名が冠されたこのアルバムは2005年にリリース。Disk1は名作と誉れ高い「Transcendence into the Peripheral」がフル収録。Disk2の1−3曲目がEPの「Dusk」から、4曲目がコンピレーションに収録された曲で、残りが「Mourning September」というデモの音源。ちなみに初回版はなんと3枚組だったそうな。私が持っているのは当然2枚組です。

さて曲の方はというと基本はデスメタル。それが速度をぎゅーっと落として、たまに加速するパートを入れるというスタイル。
ドラムは重々しくリズムを刻むが、疾走パートでは堰を切ったようにたすたす走り出して気持ちがよい。遅いパートでもででででっとバスを連打したりして面白い。
ベースはもこもこした低音でひたすら屋台骨を支えるタイプか。
ギターが面白く、片方は叩き潰したような低音でとにかく重く、またつぶれた音像で粒子が詰まっていて、輪郭がはっきりしない。こいつがとにかくリフを刻む様といったらまさにドゥームメタル。重い十字架を背負わされて一歩一歩進んでいくような絶望感がある。そこにもう一本のギターが絡んでくるのだが、こいつがまたくせ者で、クリーンとはいえないが歪みきっていない、妙に透明感のある音で不協和音のような旋律を奏でるのだから、重苦しいその他の演奏感と相まってさらに不安感をあおる。
ボーカルは低音デス声だが、わめくようなブラックメタルっぽさがあって、それが曲から一部のデスメタルが持つマッチョ感をなくし、絶望的な世界観を付与するのに一役買っている。
そう、このバンドの音はその内に圧倒的な陰鬱さ、絶望感をはらんでいる。
音楽性もちょっと似通うところがあるのだが、フューネラルドゥームの持つ圧倒的な抑鬱感に通じるところがある。
デスメタルといっても勇壮な部分は全くない。これはすごい。演奏はひたすら重いのに、外に開けたところが全くない。妙にすんだギターがすばらしく、真綿で首を絞められるような閉塞感。何かが絶対的に間違っているような不安感がある。
中でも引きずるようなギターリフに、落下していくような咆哮が被さってくるイントロから始まる14分を超える5曲目などは、ハウリングノイズ寸前のベース(だと思う。)も相まって一体自分はなんでこんな曲を聴いているのかわからなくなる。あ、これ悪夢みたいだな、と気づくのだが、悪夢というのは途中で目覚めることができないから恐ろしいもので。この音楽も途中でストップボタンを押させない魅力を備えている。
ともすれば単調になりがちな曲調にも、疾走パートやクリーンボーカルなどを効果的に配置することで飽きさせずに聞かせるように意外に細やかなセンスがキラリと光る。(ただしどこをとっても絶望感しかない。)

という訳名盤と歌われるのも納得の出来。
1993年発売というのはあまり意識する必要はないと思う。普遍的にすばらしい音楽が常に語り継がれるのであろう。このCDはその証明みたいなもので、すばらしい音楽に出会いたいあなたはぜひ手に取ってみるべきだ。
ただしとても暗いのでご注意。

2013年10月27日日曜日

Gnaw/Horrible Chamber

この間紹介した「This Face」に続く、元Khanateのボーカルのアラン・ドゥービン率いるノイズ・ドゥームメタルバンドの2ndアルバム。
2013年にSeventh Rule Recordsという聞き慣れないレーベル(スラッジバンドのIndianとかも所属しているようです。)からリリースされた。
さて前作ではドゥームというよりはインダストリアルなノイズの洪水のような音楽性でした。ノイズというのは兎に角ぼんやりしている音像なので、ミニマルな展開でも刻一刻と流動するような作りが大変面白かった。

今作も前作の流れを汲む、ノイズまみれのドゥームメタルです。
どんよりしたノイズが垂れ流され、ドラムがリズムを作り、ベースは硬質な音像で刻んできて、ギャラギャラした金属質なギターが乗っかるという地獄スタイル。
ノイズといってもインダストリアル要素強め、また基本のビートはドラムが刻んでいるし、思っているより聴きやすい。また今回ではよりギターとベースが前面に押し出されているので前作よりメタル然としている印象。曲によってはほぼドゥームメタルです、といってもいいくらい。そんでもってフィードバックノイズが多めなのが個人的には嬉しい。全体的に悪夢のような遅めのノイズの中ボーカルのアランだけが切羽詰まってわめき散らすようで、その対比がとても面白い。
効果的にピアノを入れたりして、ノイズを前面に押し出した実験的なバンドというより、目的とする曲のイメージをノイズなどを効果的に使って再現しているようなイメージで、変な言い方だけど、結構まじめに曲作りをしているような印象がある。
ノイズ成分強めで模糊としていた前作と比べると大分かっちりとした音像になったと思う。どちらが好みかというと人それぞれだろうが、個人的には前作の「Vacant」のようなほぼどんよりとしたノイズというスタイルの好きだったから、そっちにぶれた曲も聴きたかったなあ、というのも正直ありました。

アランの書く歌詞というのは結構特徴があって、言葉の数がそんな多い訳ではないのだけど、執拗にワードを反復するような陰湿さがある。それまた曲とよくあって全体的になんだこいつヤベエなという、異常さを際立たせるのに一役買っていると思います。歌い方も相変わらず真に迫った必死な感じで、デス声でもイービルな声でもない、しゃがれたなんとも不快な声。不穏なノイズとの相性はばっちりで、反復するような歌詞と相まって聴いていると不快な魔術でもって同じところをぐるぐると回らされているような不安感がある。

というわけで安心の不愉快クオリティで前作買って気に入った人や、アラン・ドゥービンマニアは迷わず買ってしまって大丈夫です。
ノイズは気になるけど、ハーシュはちょっとというあなたにもお勧め。

大泉黒石/黄(ウォン)夫人の手 黒石怪奇物語集

突然だが、大泉黒石という作家をご存知だろうか。
私は知らなかった。この本はAmazonにお勧めされたかった物で、あらすじを読んで気に入ったので何とはなしに購入したのであって、書いた人は全然知らなかった。
調べてみると大泉黒石は明治から昭和にかけて生きた作家で、一躍文壇の寵児となったもののその後急速に忘れられてしまったひとらしい。
本名は大泉清、ロシア名アレクサンドル・ステパノヴィッチ・コクセーキ。そう彼の父親はロシア人であった。周囲の反対を押し切って父と結婚した母親はしかし、産後に亡くなってしまった。母親の実家に引き取られたが、その後父親を頼って中国へ。しかし父親とも死別し今度はロシアの父親の親戚のところに身を寄せる。パリやスイス、イタリアを経て日本に落ち着き、作家を目指したという。
私は知らなかったけど、混血文学というのがあって、黒石はその先駆けだそうな。

その黒石の書いた物語の中で特に怪奇色の強い短編をまとめたのがこの本。
中国の情の深い幽霊譚「戯談(幽鬼楼)」
側近が秀吉に語る奇妙な因縁の復讐譚「曾呂利新左衛門」
東海道中膝栗毛の主人公たちの因果な生活を書いた「弥次郎兵衛と喜多八」
韓国で永遠を生きる女の因縁話「不死身」
ぼろ寺を訪れた画家の男にまつわる恐怖譚「眼を捜して歩く男」
探偵小説風の趣のある夫婦の過去にまつわる悲哀を書いた「尼になる尼」
塩坑に逃げ込んだロシアの脱獄犯の末路を書いた「青白き屍」
死んだ女の手が長崎の中国人街で起こす怪異「黄夫人の手」
という感じです。どうですか?怖そうでしょう。
作者が転々とした中国やロシア、韓国、本邦は長崎の生活と風土がどれも生々しく書かれていて舞台設定と雰囲気は抜群。
こうやってあらすじを書いて思い返してみると面白いのは、幽霊や怪異そのものを書くというよりはその背後にある奇妙な因縁や因業をを暴くように書くのが黒石のスタイルのようだ。異常な嫉妬や執着、人の業のような物が死後凝り固まって残り、幽霊として結晶化する。だからこの本に出てくるどの幽霊、または妄執に取り付かれて生きる人たちも、存在感があって怖い。乾ききらない血を滴らせ、生者につかみかかるような凄惨さがあって、そのこが魅力となっている。巧いのがこのバランスで、この人は人の持つ業を暴力に昇華しなかった。人ならざるものにその恨みを転化したのであって、これによって作品がとても上品且つ情緒のある物になっている。矛盾するようだが、凄惨であると同時に下品ではないのである。近年の作品ではあまり見られないような、どうしようもない物悲しさが、直接書かれるのではなく、作品の行間から霧のようににじみ出てくるようで、それが私のような物好きにはたまらない。

とても面白かった。久しぶりにゾクゾクきたわ。もっと読みたいなー。
怖い話が好きな人はさっさと買った方が良い。

2013年10月20日日曜日

Ulver/Messe I.X–VI.X

北欧はノルウェイの実験的バンドの10thアルバム(前作をカウントしなければ9thかもしれない)。
2013年にJester Recordsからリリース。
昨年60年代のサイケデリックロックバンドの楽曲(たしか1曲もオリジナルを知らなかったと思う。)をカバーしたアルバム「Childhood's End」(いうまでもなくアーサー・C・クラークSFの名作が元ネタかと。)をリリースして、オリジナルのアルバムはさらに一年前に出した「War of Rose」だから結構多作なバンドですね。
彼らがアルバムごとに大きく音楽性をかえてくるのは知られていることだけど、今回はなかなか厄介です。

さてTrickster G、またはGarmが率いるこのバンドを捕まえて今更ブラックメタルを期待する輩もいないだろう。というのも初期の3部作は閉塞した激しさと独特のメロディアスさが融合した寒々しいブラックメタルをやっていたが、その後エレクトロニクスを大胆に導入して実験的な方向性に舵を切ったのがこのバンドの特徴。いまや(少なくとも表層上は)ブラックメタルから大きく隔たり、出自を知らない人が近作を聴いたらブラックメタルの香りは底に見いだせないのではないだろうかというくらいの変わりっぷり。
ただすでにアルバムの数が10に届くというのだから、その変遷が多くの人には受け入れられていると解釈しても良いと思う。むしろそのあまりの変わりっぷりが既に彼らの魅力なのかもしれない。

さて今作は前作までの実験性をさらに増した。ロック性はさらに減退し、ボーカルの出番すらぐっと減った。はっきりロックじゃなくなったといっていい。
TROMSØ CHAMBER ORCHESTRAというオーケストラ集団とがっちりコラボをし、重厚なオーケストレーションを大胆に導入している。
ここで面白いのは所謂シンフォニックな音楽性は全くないことである。オーケストラというと重厚な音楽性、幅広い楽器群、良くも悪くもロックバンドにとっては抱えるには大きすぎる影響を与えることは免れないのだが、今作ではそんな大仰なことにはなっていない。まず楽曲の質に大きな特徴があって、実験的前衛的な分カテゴライズすることが難しいが、あえていうならばダークアンビエント性が強く、派手な音色は少ない。ひたすら沈み込むような雰囲気の中ひたすら静を目指すような(音楽を説明する際矛盾をはらむ形容詞であることを自覚しつつ敢えて)静謐な音楽性である。
エレクトロニクス由来のじりじりした電子音がベースになり、そこにゆったりした重厚な弦楽器を初めとするオーケストレーションがずっしりとしかし曲の静謐な雰囲気を壊さないように侵入してくる。
詳しくないので間違っているかもしれないが、いわゆるチェンバーロックという音楽性の影響が多きのかもしれない。チェンバーとは小部屋のことだから、なんとなくフルオーケストラの持つ壮大さとは一線を画す音楽性が想像される。
全6曲だが、1曲はそんなに長くない。潜行するようなノイズに合わせて予感をはらんだようなオーケストラが首をもたげる、そんな音楽性だから派手さはほとんどない。環境音楽とはいわないが、やはりダークアンビエントの質を持っていて、そこに分かりやすさを求めることは難しいと思う。
オーケストラとは不思議な物で、音は変わらないのに弾き方によって表情が豊かだ。6つの楽曲で時に恐ろしく、時に優しく訴えかけてくる。
初め聴いたときは正直むむむと思ったが、繰り返し聞いていると、色々な音になれてくるのかおよよと良さに気付くようだ。

ひとつ気になった事がある。ジャケットには十字架があしらわれている。よく見る逆十字ではない。下の部分が長い普遍的な十字架である。また、裏ジャケットには歌詞が書かれているのだが、なんだか天上の父に許しを請うような内容である。ブラックメタルといえばアンチキリスト的な考えが重要な意味を持つことが多い。しかし思い返してみても初期3部作はアンチキリストというよりはノルウェイの土着の物語にフォーカスを当てていたようだし、音楽性はともかくとしてはっきり反キリスト教を歌った物ではなかったのかもしれない。ひょっとしたらGarmさんになにかしらの考えの変化や啓示があったのかな?とも思ったが、それはよけいな詮索かも。形は変わっても意外に芯はぶれていないのかもしれない。まあ今回のデザインや楽曲を聴いてちょっと気になっただけです。

というわけで今回も大きく変化してきたノルウェイの狼ですが、私は気に入りました。
ギャップはありますが、今までのUlverを好んで聴いてきた人たちにはぶすりと刺さるんじゃないでしょうか。
実験的音楽マニアにもお勧め。

2013年10月19日土曜日

アルジャーノン・ブラックウッド/人間和声

イギリスのホラー小説家による長編小説。
ブラックウッドというと妖怪ハンターものの「心霊博士(妖怪博士とも)ジョン・サイレンス」が一番有名なのだろうか。私も恐らく短編集から、ジョン・サイレンスを読んで、この本と同じく光文社から出版された「秘書綺譚」を読んだ。
この本を読むにあたり初めて知ったのだが、ブラックウッドはクロウリーで有名な「黄金の夜明け団」のメンバーだったんだね。Wikiには魔術師だったと書いてあるね。魔術の探求社と魔術師というのはイコールなのかな。

幼い頃から空想癖があり夢見がちなロバート・スピンロビンはある日新聞の広告で奇妙な求人を発見する。曰く、テノールの声とヘブライ語の知識を持った浮世離れした人を求む、と。一も二もなく申し込むスピンロビンは荒野にひっそりと佇む屋敷を訪れる。そこには広告を出した隠遁した聖職者と家政婦、そして美しい聖職者の姪の3人が彼を待っていた。聖職者スケールは人間の声を使ってある恐ろしい試みに挑戦するという。その内容とは…

というあらすじ。ホラー小説でしかも田舎の怪しい屋敷に行くというといかれた狂信者家族にとらわれて〜というストーリーが思い浮かぶが、今作は全然そんなことはない。
聖職者スケール一家は主人公に優しく暖かく接する。脅かすどころか大いなる実験の成功のためスピンロビンにとても大きな期待を寄せている。
だからホラーといっても当初はそんなにおどろおどろしさはない。人里離れた荒々しくも美しい自然に取り囲まれていて、美しい娘と恋に落ちる主人公を描く前半は恋愛小説のようだ。ただし屋敷で感じる人の気配やスケールの態度、そして実験の内容が徐々に明らかになる中盤からは恐怖の足音がひたひたとその存在感を増すようで何とも恐ろしい。
彼らは4人の声を同時に特定のどくどくなやり方で持って発生させることで、何かを起こそうとしている。その試み自体恐ろしい物だが、実は邪悪な物だとははっきり明記されていない。スケールはなみなみならぬ執念を持ったある種のマッドサイエンティストなんだが、だからといって積極的に人を傷つけるような振る舞いは意図しない。この本の面白さはこの恐ろしさが畢竟何に由来する物なのか最後まで分からないことである。そしてその何か分からない物にこそ、神性があるのだと個人的には思った。
人間が圧倒的な神性をもつものに対してどういった選択をすべきなのか、これは読む人それぞれによって考えが違うであろうと思う。読んだ人が一体あの結末をどうとらえるのかは気になるところです。

ちなみに訳したのは南條竹則さんで解説も彼が書いている。ブラックウッドへの愛情が伝わってくる解説でとても面白い。南條さんも解説で書いているが、ブラックウッドはちょっと表現がくどく、また扱っているテーマ的にどうしても描写が抽象的にならざるを得ない。正直言って読みやすい物語ではないんだが、正邪を超越した力への憧憬とそれに対して接近するアプローチ、そこから生じる神性への畏敬の念と瀆神の恐れ、あっとおどくような結末、こういった面白さが詰まった小説ははっきりいって他にはないのではないだろうか。人間の声を使って人間を超える高みに接近しようとするアイディアはとても面白い。
よってブラックッドや恐怖小説を愛する諸兄には是非手に取っていただきたいと思います。

Earthless/From the Ages

アメリカはカリフォルニア州サンディエゴのサイケデリックロックバンドの3rdアルバム。
2013年にTee Pee Recordsからリリースされた。
色の数はそんなに多くないのに鮮やかなデザインがとても目を引く。ジャケットに書かれている動物はよく見るとちょっとずつ変なところがある。
前作が2007年発表だからちょっと間が空いた感じになるのかな。
その間もライブアルバムなどいくつかはリリースがあったようだ。

Earthlessは結構独特なバンドだ。3人組のバンドというのは沢山いるのだろうが、インストでこういう音楽性というのはなかなかないのでは。(私が知らないだけだろうが。)
Rocket from the CryptやOff!(残念ながら聴いたことがないんだが。)などでドラムを叩いているMario Rubalcabaという人、元NebulaのIsaiah Mitchellがギター、Mike Egintonがベースというトリオ。
ジャンルというとサイケデリックロックやあるいはストーナーというふうにカテゴライズされることが多いようだ。

まずドラムが土台を作る。堅実だが手数が多い。やたらと叩きまくるようなひけらかすタイプではない。ドラムだから重いのは勿論だが、重苦しくはない。乾いていてしっかりしている。(ドラムなんで当たり前だが)リズミカルでドラムの音だけで体が動いちゃうそんな叩き方である。
ベースはどぅるどぅるした低音で、ドラム同様やたらと目立つようなタイプじゃない。しかし良ーく聴くとなかなかに動き回っている。這い回っている。当然だが、3人しかいないわけだから、ただコードにそってでろでろ弾いているようではつまらない。後述するが兎に角ギターが暴れまくるバンドだから、不良の兄ちゃんを陰ながら支えるよくできた弟のように俺が家を支えるよ兄ちゃんとばかりに普段は堅実にリフを弾きまくる。まじめに見えるんだけど、よくよく聴いているとなかなかこれはこれでえぐい。ものすごいテクニカルな注文をさらっと弾いてさらにおまけまで付けちゃう、そんな印象。
さて、ギターだ。このバンドはギターが顔である。ボーカルがいないインストバンドだから音の種類的に自然とギターが前に出るのは分かるのだが、こいつが兎に角弾きまくる。曲は大抵10分以上あるのだが、こいつその間弾いて弾いて弾きまくる訳である。そのスタイルはまさに縦横無尽、変幻自在といった様で中音のリフを奏でていたと思ったら、恐ろしいようなギターソロを、おいおいいつまで弾くんだいと心配になるくらい弾き倒す。私は実はギターソロはあまり好きじゃない。嫌いじゃないがあんまり弾きまくられると辟易してしまう。(曲の雰囲気を損なわなければ全然大丈夫だ。)それがどうだ、この気持ちのよさは。めちゃくちゃな陶酔感である。
サイケデリックロック、サイケ、普段はあまり聴かないジャンルだが、このバンドを聴く限りは音が聴いている頭の中で視覚イメージすら持つような色彩豊かな音楽だ。
ただこのバンドで面白いと思うのは、まずテクニック重視でないこと。絢爛ともいえるが、一人のメンバーがテクに走ることが皆無だ。すごいことをさも普通にさらっとやってしまう。だから自然に耳に入ってくる心地よさがある。
もう一つは派手なんだが、結構堅実だ。というのは独特の陶酔感があってまるで別次元につれてかれるような音楽性だが、徐々に盛り上がるその構成がすごいんだ。円を描いてだんだん高度を上げていくような、土台から高い塔をがっしり作り上げるような、そんなまじめな感じがある。冒頭が地味だ、スロースターターだ、というのではない。初めから全開なんだが、それにしたって曲の盛り上げ方が半端ない。リフとソロが渾然一体となってはっきりいってされるがままで何が怒っているのか全然分からんというのに、このノリの良さはなんだ。どんどん高みに登っていって、曲の本当のラストで完成を迎えて気持ちよく放り出されるような気持ちよさがある。
ボーカルがいない分演奏側の感情が伝えにくい。でもCDを最後まで聴くとなんとな〜く分かるような気がする。それは僕らを楽しませようという心意気と、本人たちの楽しさがこちらにも伝わってくるのかもしれない。

最高に格好いいロック。オススメ。

2013年10月14日月曜日

ジェームズ・ロリンズ/ユダの覚醒

 
御馴染みロリンズ先生(獣医さんでもあります。)によるシグマ・フォースリシリーズの第3弾。
今度はバイオハザードからの病原菌からのプラスミドからの謎に、東方見聞録で有名なマルコ・ポーロの冒険の空白期間の謎が絡んでくるという相変わらずのお得満載感全開な感じ。

科学者に仕立て上げられた優秀な兵士で構成される米国国防総省内の秘密組織シグマ・フォース。
その一員のモンクは医者のリサとともにインド洋はオーストラリア領クリスマス島で発生した感染症と思わしい病気の調査に向かう。簡単な調査のはずが武装した海賊に襲われる一行。どうやら病の背後には未知のウイルスの存在が。
一方同じくシグマ所属のグレイは敵対する組織ギルドの工作員セイチャンに助けを求められ、両親とともにギルドに追われることに。セイチャン曰く世界は絶滅の危機に瀕しているらしい。世界を救うカギはマルコ・ポーロの失われた冒険期間だというが…

東方見聞録といえば誰でも知っているはず。冒険家マルコ・ポーロによる文字通り東方世界への冒険譚。私も実際のところ中身をちゃんと読んだことはないのだが、イタリアに生まれたマルコは東方に旅に出て、モンゴルのフビライ・ハーンに長いこと重用されたのち、生まれ故郷に帰還するというもの。黄金の国ジパングという話も有名。(我が国に対する記述は伝聞だそうです。)
さてそのマルコ・ポーロだが、実はイタリアに帰還する際は十四隻の船に600人からなる大船団でもって帰途についたはずが、到着した際は船は一隻で18人しか乗組員が残っていなかったそうな。2年間というその間に何があったのかマルコは生涯黙して語らず、ただほのめかすように自分の見たことの半分しか話していないといったとか。
わくわくしますな〜。ここまでは史実で、この本ではマルコはどこかの島で死の都に出会い、そこで船団のほとんどを失ったことになっております。「近づくなかれ」と隠されたメッセージの中で警告するマルコ。死の都(!)がどこなのか、グレイ一行はまた世界をまたにかけて追われながら謎の究明に奔走するわけだ。
これは男なら絶対わくわくするはず。

今回読んで改めて思ったのはロリンズ先生は現実(史実と科学)と虚構の繋げ方が抜群にうまい。本の一番最後で必ず作者本人の解説が入って、どこまでが現実でどこからがフィクションなのかきちんと説明されている。彼は自分で扱うテーマに関しては歴史、人物、建物(歴史的建造物はどのタイトルにも必ず出てくるが、読んだことのある人はその描写の精緻さに驚いたはず。)、それから毎回出てくる最新の科学技術などなど、これらについては(恐らく)現地に赴き取材をし、資料を集めて読み込んでいる。
ちゃんと自分の頭で理解してから文字にする。それからそれらが各々一本の線だとするとその先端にフィクションである虚構の部分を少しずつ書き足していく。
これが不格好な線だと勿論根幹となる現実の部分とずれてしまうから、変な言い方だがもっともらしく嘘をつかないといけない(当然だが私は物語中毒者としては他人のうまい嘘に乗っかるのがこの上ない人生の楽しみだと思っている。)訳だから、これは私たちが考えているよりずっと難しいことだろう。
最新の科学のもしも、そして昔に起きて歴史の闇に葬られているなぞのもしも、いわば歴史の最先端と過去の出来事というそう反するベクトルの両端をぐっと一つの物語にまとめてよりあげる訳だから、面白くてすらーっと読ませるのになかなかどうして巧みな物である。

今回は扱っているテーマからして全2作に比較するとSF的な要素が強め、表紙にあるとおり最後は歴史のあるとある建造物にたどり着く訳なのだが、そこがま〜面白かった。兎に角盛りだくさんの物語が最後ぎゅーっと一点にしぼられて密度が濃くなるような感じ。こういうたぐいの本の醍醐味ですね。
というわけで安定の面白さ。過去2作を読んだ人は今作も面白いので是非どうぞ。

2013年10月13日日曜日

Broken Hope/Omen of Disease

アメリカのイリノイ州シカゴのデスメタルバンドの6thアルバム。
2013年にCentury Media Recordsからリリースされた。
Broken Hopeというバンド名は何となく若手のデスコアバンドっぽい雰囲気なのだが、結成は1988年というベテランバンド。

前任ボーカルの急逝などの問題を抱え活動休止期間を挟みつつ活動を再開。前のアルバムから14年の歳月を経て今作がリリースされたそうな。ちなみに私はこのアルバムで初めて彼らの音楽を聴いたよ。

タイトルは直訳すれば「病の前兆」か。なんとも婉曲的に不安を駆り立てるようで良いではないですか。
メンバーはボーカル、ギター2人、ベース、ドラムというオーソドックスなスタイル。
曲の長さは2分台から長くて4分台だから少し短め。ところがグラインドコアとは違って、かなりオールドスクールなデスメタル。速いパートは速いが、基本中速主体で押しつぶすようなブルドーザースタイル。
流行のビートダウンほどの露骨さはないが、曲間に地を這うような低速パートを導入していてこれが格好いい。
選任のボーカルは唸るような超低音デスボイスで、ひたすらぐおぅぐおぅきゅるきゅるいっていて良い。中速〜低速にかっちりハマるタイプ。たまーに高音シャウトが入っている。(楽器隊の人の声かもしれん。)
兎に角リフがかっちりした印象で、場合によっては結構グルーヴィ。職人芸かというくらい刻みまくりで重苦しいが、リフの決め所に高音ハーモニクスを多用していて、ともすれば地味になりがちな曲にアクセントを加えている。またテクニカルなんだが遣り過ぎないギターソロも結構大胆に取り入れている。
ドラムは重〜いバスの連打と乾いたタム、速度がない状態でも手数が多めで聴いていて楽しい。ただしあくまでもかっちりしたスタイルでフリーキーではない。
ベースラインが面白くてよく聴くと結構裏で唸っている。運指(書き方合っているかな…)が大胆なんで、ぶーんぶーん動き回るようなイメージ。
これらでアンサンブルを奏でる訳なのだが、全体的にしっかりとした土台があって、その上にテクニカルさに裏打ちされたアクセントをつけるようなスタイル。派手さはないが、安定感が抜群。
音質はクリアかつ乾いていて、個人的にはこれがとてもいい。ここでマニアックに音質を悪くさせると、なんならかっちりしすぎているから金太郎あめ状態になってしまって、アルバム全体が退屈なものになってしまっていたような気がする。
ベテランらしい作曲・演奏スタイルなんで、こういったクリアな音質で勝負した方が良さが出て、露呈するようなぼろもベテラン故にないのだからいいのかな〜と思う。

派手さはないが、要所要所でベテランらしい職人芸がぎらりと光るいぶし銀。
やっぱりこういうオールドスクールなデスメタルはいいですな。
オススメです。

澁澤龍彦訳/暗黒怪奇短編集

サディズムという言葉の語源であるマルキ・ド・サドを日本に紹介したことで有名な翻訳者・作家・エッセイストの澁澤龍彦さんが翻訳したフランスの怪奇幻想小説を編集したアンソロジー。前に紹介した「幻想怪奇短編集」の第2弾。解説は前作同様東雅夫さん。
どうも前作が好調だったようで、この本の出版が決まったそうな。なんだか嬉しいもの。
今回はタイトルに暗黒とあり、またモンス・デジデリオという人の「地獄」という絵画を抜粋した表紙がなんとも不気味。前作よりも暗ーい感じをにおわせている。

フランスの恐怖小説、とりわけ澁澤龍彦さんが好んだ作品だから、前作同様怖いだけでない。独特のユーモアや諧謔という物が物語に織り込まれていて、独特の味わいがある。日本の古典の怪異譚にも通じるような物悲しい感じとでもいおうか。
読んでで思ったが、ひとえに恐怖小説といってもいろいろあって、この本に収録されている6つの話はどれも、床に血がびちゃっと飛び散るような分かりやすく低俗な恐怖感はほとんど全くない。(勿論低俗な恐怖小説も好きだよ。)前作と違って幽霊も出てこない。6編中3編は人ならざる物の存在がにおわされるが、後の3編は不思議の要素はあるものの超自然的な恐ろしさは皆無である。それでは何が恐ろしく、何が暗黒かというとそれは人の情念の恐ろしさである。
比較的長い尺の「罪のなかの幸福」「ひとさらい」「死の劇場」3編については、人の持つ欲望や業の深さといった物がこれでもかというくらい精緻に描写されていて、それぞれがまとわりつくような不快感を持っている。
とある貴族夫婦の過去の愛憎劇を描く「罪のなかの幸福」は恋愛という要素のもつマイナス要素を結晶化させたような一品でなんとも嫌な気持ちになる。
南アメリカの英雄である快活な「大佐」が子供欲しさに誘拐を繰り返し、破滅していく様を描いた「ひとさらい」は誘拐という禍々しい題材をテーマにとっているのに妙な明るさを持った不思議な作品。前半のほのぼのとした感じが徐々に不幸に蝕まれていくような過程が恐ろしい。
とある田舎町に伝わる死にかけた女を町の男全員で観察するという風習を描いた「死の劇場」。現代では(特に有名人の)人の死さえエンターテインメントだが、これは直接的にまさに死の瞬間を見せ物にするという胸くそ悪い話。兎に角場の雰囲気の描写が秀逸で息が詰まるよう。男尊女卑だとか行き過ぎたジャーナリズムへの批判だとか云々以前に、単純に不快度マックスな一遍。

恐怖小説というのは非日常を書くことにその面白みの一つがあると思う。いわば現実離れしていることが、エンターテインメントに一つの条件なのだ。だからどれだけ凄惨でどれだけ血が流されてもそれは非日常の世界の出来事であって、ページをめくる私たちには本質的に関係ないのである。
ところがこの本に収録されている作品と来たら、勿論フィクションであることは百も承知である。なんなら古くさい昔話であることも知っている。しかしこれらは私たちが普段知らんぷりしているような事柄を私たちの目の前にまざまざと突きつける。
恋愛や子供のいる家庭や好奇心、普段歓迎されるような事柄の裏側に確かに存在し、私たちがそんなことをあたかも存在していないように振る舞う、その事柄をこれらの小説群は書いているのである。そしてそれが恐怖なのである。暗黒なのである。
ひとたびこの本を開けば、私たちの今いるところから続いている「そこ」に私たちは連れて行かれなければならないのである。

表紙通り真っ黒い小説である。
なんとも嫌ーな気分になりたい人は是非どうぞ。
私は最近ちょっと忘れがちであった、暗い気分を思い出しつつ大変楽しく読めました。
あまり紹介できていない残りの3編については前作の流れを汲むフランスらしい、ゴシック且つ儚い恐怖に彩られた恐怖小説なのでご安心を。

2013年10月6日日曜日

Subrosa/More Constant Than the Gods

アメリカはユタ州ソルトレイクシティのドゥームメタルバンド。
2013年にProfound Lore Recordsからリリースされた3rdアルバム。
レーベル名を見て分かる人もいるだろう、またちょっと(変な方向に)変わったバンドだろうと。
5人組のバンドで、うち女性が3名(2ndのときは女の人がもっと多くて、男が一人だったような気がするから抜けたり入ったりがあったんだろう。)、ギター、ベース、ドラムにバイオリンが2人いて、ギターの人合わせて弦楽器の3人が女性でボーカルを兼任している。たしか「Subrosa」というのは「Under Rose」じゃなかったかと思う。
装丁はクリーム色をベースに黒が映える不吉なジャケット、裏にはなんだか黒魔術を連想とさせる鹿(だと思う。よく黒魔術で出てくるヤギではないことに何か意味があるのかもしれぬ。)が配置されていて、タイトルは「神々より不変」だから某か判然としないが、不穏な感じがする。

音の方はというと基本はドゥームメタルということで間違いないと思う。
一番短い曲でも7分台で一番長い曲が14分台。全6曲収録ということで、だいたいイメージはつかめるのではないかと思います。
重く粒の粗いギター(固まりというよりは輪郭がぼやけた感じ。)、重々しくうねるベース、一打一打が重いドラム。
そこにバイオリンが入ってくるのですが、メタルっぽさはだけでなく、どちらかというとトラッドな雰囲気が多分にあって、バイオリンだけでなく、ピアノや笛、アコースティックギターなどなどが入ってきて独特な雰囲気を醸し出しています。
曲の振れ幅が大きくて、例えば最後の曲なんかは全編トラッドなアコースティック調全開で重いギターもドラムもいっさい入っていない寂しげな曲。(たまらん。)かと思えば2曲目なんかは凄まじく禍々しい引きずるような叩きのめしたような牛歩ドゥームメタル。勿論2つの要素が見事に混じり合った曲もある。
私は彼らの2ndアルバムをたいそう気に入って今作も買ったのだけれど、彼らの一番の魅力は実は重さでもトラッドさでもなく、ボーカルワークになると思っています。
女性ボーカルなのだが、叫ぶようパートはあまりなく、(男のデス声っぽいバックボーカルがはいることはあり。)ほぼほぼ歌に徹しています。何ともいえない特徴のある歌声できっとすごいうまい訳ではないのだろうが、妙に気迫があってこちらをガットつかんでくるようなすごみがある。そんな声で「All of my life,I've been waiting for you」とくるのである。なるほどこれは恨み節かと妙に納得。なんというか女性の情念がこもった声とでもいうのか、強さと弱さが共存していて妙に色っぽく恐ろしくてなかなか癖になる。
なんといってもボーカル3人いることでコーラスワークが素晴らしい。分厚くてメロディアス。やっぱり歌が一番魅力だと思う。
殺伐としつつも感情のこもった世界観というのは男ボーカルでは難しいのかもしれんが、女性ボーカルの強みを活かして独特の曲世界を作ることに成功していると思う。
曲に展開があって長居曲も飽きさせず最後まで聞かせるのもよい。

というわけでこれまた素晴らしいアルバム。
かなり変わっているバンドなのは間違いないが、基本がメロディアスな歌が中心になっているので、結構ポピュラリティがあると思う。
いろんな人に聴いていただきたい名盤。

このアルバムの音源がなかったので前作の。
今作はこちらでどうぞ。
http://subrosausa.bandcamp.com/

コーマック・マッカーシー/血と暴力の国

アメリカのピュリッツァー賞もとった作家による暴力・犯罪小説。
真っ赤な夕暮れ、日がまさに沈もうとしているところに途方に暮れたように荒野をさまよう表紙が何とも恐ろしい。
ブコウスキーやシグマフォースシリーズをお勧めしてくれた知り合いにリコメンドしてもらい購入。感謝。
さて血と暴力の国とは恐ろしいタイトルだが、原題は「No Country for Old Men」で直訳すると「老人に国は無し」と大分印象が違う。
「ノーカントリー」だととうかな?はっとする人もいるかもしれない。
2007年にコーエン兄弟によって映画化されたあの作品の原作である。
このマッシュルームカットをした奇妙な殺し屋のことを覚えている人も多いかもしれない。
私もこの映画を見たことがあって、マッカーシーをお勧めされた時、これならばという訳で手に取ったのである。

ベトナム帰還兵で現在は溶接工として働くモスは、メキシコとの国境近くで狩りをしている最中麻薬取引中にもめた思わしき、多数の死体、麻薬、そして大金を発見する。モスは大金を持ち帰るが、ただ一人傷を負って生存していた男が気になり、夜中現場に戻る。そこでギャングに発見されたモスは逃亡を開始する。金を取り戻すべく組織の人間、そして独自に動く半ば伝説の殺し屋シュガーがモスの後を追う。
また現地の老保安官ベルも現場からモスの後を追跡するが…

こうやってあらすじを書くとノワール小説である。実際にノワール小説であることは間違いないのだが、この分野の他の作品と比べると結構異なる。
まずは全体を通じて観念的である。アクションもあるし、描写も手に汗握る。しかし全体として「金を持って逃げるぜ!悪者たちをバーンバーン!」という能天気な軽快さは皆無。舞台となるのが砂漠だが、荒涼として乾いている。想像してほしいのだが、灼熱の太陽の下カラカラに乾いた誇りっぽい砂漠の土の上を赤黒い血が流れていくのだ。格好いいとかじゃない。気持ち悪く、そして何より恐ろしくないだろうか。

また文体にも多くの特徴がある。
まず句点が極端に少なく、一つの文が長く連続している。読みやすいとはいえない。
また、会話のカギ括弧がなく、お互いの会話は改行によって区別される。また一連の会話の固まりに地の文があまり出てこない。
「暑いな〜」と太郎はいう。「うん」次郎がうなずく。

暑いな〜
うん
のようになる。やはり読みやすいとはいえない。
また、徹底的に人物の内面描写がない。一方で第三者的な描写「手を挙げた」とか「表情を曇らせた」の用な描写は豊富である。
これはちょっとすごいことである。辛いときでも辛いといわないで、辛いということを読者に分からせなければならないのだから。
しかしこの本はそういった描写は本当に神がかっている。このときは痛いだろうな、辛いだろうな、というのが手に取るように分かる。これは本当にすごい。

作品の主人公は金を持ち逃げしたモスである。彼は非常にタフだが、いわば普通の人である。誰だって大金を手にしたら自分の過去とこれからを危険性と天秤にかけるだろうと思う。(結果持ち逃げするかは大きな難しい問題だが。)
物語の中心にいるのは殺し屋シュガーである。私は当初こいつは死神のようなやつだと思った。ブラックホールみたいなやつで、兎に角人殺しに躊躇がなく、関わって生き延びる人の方がまれのようだ。所謂サイコパスなのだろうが、それにしたって異常である。
こいつはいわば他の登場人物とは違って、神のような視点で愚か者たちを無慈悲に殺していくのだと。この世はもう善人悪人に関わらず、罪人しかいないのではと。
しかしそう簡単にはいかなかった。シュガーは独自の理念を持っていて、殺人も含めてすべての行動はこの規範で持って決定されている。だからって殺される方は納得できる物ではないが、一応彼の中にはルールがある。また後半シュガーが直面する災難は作者が意図的にシュガーが人間であることを強調しているように思えた。
ちょっと話が移動して、原題は「老人に国は無し」というのは既に書いたが、この本での老人というのは保安官であるベルのことである。(映画ではトミー・リー・ジョーンズが演じた。)この本ではちょくちょく彼の独白が挿入されていて、そのエピソードというのは彼の祖父から連なるアメリカ人の歴史の一端である。ある1つのパターンと言い換えてもいいかも。彼は近年増加する犯罪に心底疲れている。犯罪者たちがおかしくなっているのではなく、国民全体がおかしくなっていて犯罪者はただその一つの象徴にすぎないような気がする。どちらにしてもモスの事件に直面した彼は悟る。自分はもはや時代遅れの保安官であって、このような犯罪には立ち向かえないと。ベルには兵士として戦った経験があり(彼の親戚も)アメリカに対して複雑な感情を持っている。ここで原題につながるのである。
そこで考えた。そうなるとサイコパスのシュガーは新しい人種(の犯罪者)なのだろうか。時代の変遷とともに人は変わる。年を取った人たちからするとこれらの変化は多分にグロテスクに感じられる。現時点から見た最も異形のシュガーという男が変化の最先端にたつ人間なのだろうか。
これも違うような気がする。それではちょっと簡単すぎる。
シュガーはなるほど人間的に書かれているが、他の登場人物とは違いすぎる。いわば特異点のような存在でこの物語で圧倒的な影響力を持っているにもかかわらず、私は彼が何者なのか最後まで分からなかった。(これは私の感想であって、実は作者の明確な意図が存在して単に私がそれに気づいていないということかもしれない。)

この本はおそろいしい小説である。
全くすっきりしない。ただ理不尽に(是非読んでくれ!)人の血が流されていく。爽快感が全くない。ただ抜群に面白いことは保証する。
作中シュガーとある商店の店主の会話がある。ここにシュガーの特異な原点が集約されていて、私はここが読んでいて一番恐ろしかった。もう本当にここだけでもいいから(よくないんだけど)読んでほしい。
映画を見た人は是非!読んでない人も是非!読んでほしい一冊です。

TRC/Nation

イギリスはロンドンのハードコアバンドの3rdアルバム。
2013年にNo Sleep Recordsからリリースされた。
TRCというバンド名は「The Revolution Continues」の略とのこと。なるほどハードコアらしいバンド名である。
結成は2003年、メンバーチェンジもあったようだが、写真を見るとまだ若そう。
私は彼ら音楽を聞くのはこのアルバムが初めて。

基本は疾走感がある今風のハードコア。速すぎるというのではなく、乗りやすい聞いてて心地よいスピード。曲はだいたい3分か4分くらい。
流行のビートダウンも結構大胆に取り入れていて、疾走するパートから一転、メタリックなリフをごりごりこじるようにビードダウンに持っていくところは結構気持ちいいもんだ。
ドラムは重々しいバスに回しの速いタムでメリハリが利いている。ベースはこらまた重いが派手さはなく屋台骨を支えるタイプか。ギターは基本はリフに徹しすぎないハードコアタイプだが、ビートダウン含めてきっちり流行を押さえつつ個性を出してきて良い。全体的にハードコアの信条を持った分かりやすい演奏スタイルで凝りすぎてない分一本気で好感が持てる。
さて最大の特徴はボーカル。ツインボーカルで片方は絞り出すようなマッチョながなり声で、苦しそうに聴こえるくらい暑苦しいハードコアスタイル。
もう一人が問題で、こいつが跳ねるような独特のスタイルなのだ。私は初めて聞いた時「あれラップ?」と思った。確かに一見ラップ然としている。兎に角リズム重視で歌い回しや節が(曲によってはあります。)希薄で、矢継ぎ早に言葉がぽんぽん飛び出してくる。質的にも叫ぶでなく、がなるでもなく、喋るでなく、何とも形容しがたい。新生のHip-Hopのラップかと思うとやっぱり少し違う。あそこまでかっちりしていないし(かといって粗いって意味じゃないんだ)、ロック的な勢いとノリがある。
ただこの跳ねるようなまくしたてるようなボーカルが実にバックの演奏とよく合うのである。速いときはほんとに跳ね馬のようにギャロップで左から右からひっきりなしにせめてくる。遅いときは叩き付けるように一語一語突き刺さるようだ。片割れの新生ハードコアボーカルオンリーだとともすると単調になりがちなところ、全く質の異なるこちらの声が重なることでお互い個性がより際立ってメリハリがつく。

一昔前のラップメタルなんてのをちょいと思い出すのだが、結構印象が異なる。
一つはラップっぽいボーカルがラップっぽすぎないところ。かといってラップもどきの早口言葉のようなバッタ物感がない。非常に自然になじんで聴こえること。
もう一つはバックがかなりしっかりしたハードコアなのだ。ハードコア特有の重々しさはやはりメタルのそれとは異なる。殺伐としていてブルータルだが、決意に満ちあふれている感じで邪悪さがあまりない。変にメロディアスなサビを安易に導入したりしないところも大変よい。根っこがハードコアだ。やんちゃに見えて結構硬派なのかもしれない。

その他にも曲によっては女性のボーカルを大胆にフィーチュアしたり、妙にハードロックぽいギターソロが飛び出したり、とかなりどん欲で面白い。
これが新しい時代のミクスチャーなのかな〜と感心。

メタルだと重々しすぎるな、というあなたにお勧め。
また20代後半から30代前半でジャストニューメタルにハマった世代の人は結構刺さるんじゃないかと思います。
とてもオススメ。

個人的にはこの曲がすげーかっこいい。

heaven in her arms・Cohol/刻光

日本のバンド2組によるスプリットアルバム。
2013年にDaymare Recordingsからリリース。

heaven in her armsといえば恐らくConvergeの超名盤「Jane Doe」収録の曲名からバンド名をとったと思われるハードコアバンドで、その音楽性といったらenvyの衣鉢を継ぐのは俺らだといわんばかりのストレートすぎる激情性と3本のギターから鳴るポストロック的幻想的美しさを見事に調和させて人気を博しておるようだ。
一方のCoholといったらブラックメタルに強く影響を受けたその音楽性に、あろうことが一番そぐわなさそうな日本特有の暑苦しさを歪みなく融合させちまった不敵なバンドである。
両バンドに共通しているのはたびたび激情性と評される暑苦しさである。若さ故の世界対俺、つまり世界レベルに肥大した自己意識と、一方で徹底的に内省的に自我を掘り下げた井戸の底のような世界観を中二病的な言葉で持って紡ぎだし、あふれんばかりの感情とともに文字通り叫び声と吐き出すのである。(私の個人的な見解であることをここにお断りしておく。)
また共通して、heaven〜は乾いたポストロック的な静寂を内包したインストパート、Coholは冷徹ともいえる圧倒的なトレモロリフの応酬、という激エモーショナルと対極をなすような要素を封じ込めて、見事な二項対立ともいうべき対比を曲の中で成立させているのも共通した特徴だと思う。
そうなるとなるほどと頷けるスプリットであることは明白なのだが、続けて聞くことで両者の違いがより明白に意識されたりして、面白いアルバムです。両者3曲ずつ計6曲収録。

heaven〜は3曲中2曲はインスト。
3曲が一連の流れになっているようで、ポストロック的なギターの掛け合いが美しくも力強く、予兆を感じさせるに激しさを増していく1曲目。幕間的な意味合いを持ちつつ3曲目に繋げる短い2曲目。一転して劇的激しさで持って再度開幕する3曲目。
特に3曲目の容赦のない激情っぷりったらさすがの一言で、やはりこのバンドは一つの曲中でも激しさ一気に音数を落としたパートの移動が抜群にうまいなと感じる。
仰々しい言葉もこの曲調このスクリームにはジャストフィットでグッド。縦横無尽なギターフレーズはピロピロしすぎないでメロディアスでいい。エモーショナル過剰なボーカルといい対比になっている。

Coholは3曲中1曲がインスト。
いきなり重々しく始まる1曲目。塗りつぶすような真っ黒さ。ブラックメタル然としたスクリームはより暗く、禍々しい。ギターの数は1本だが圧倒的な重量感でパワー不足はみじんも感じさせない。音の方もよりメタリックだ。ごりごりしたメタリックなリフとかき鳴らされるようなトレモロリフの対比がたまらん。
幕間的な暗さの中に美しさのあるインストを挟んで3曲目。
凄まじいブラストに複雑なリフを乗っけて高速で吹っ飛ばすようなカオス。アウトロの不穏なナレーションもグッド。やっぱりドラムがすごい。

両バンドともこんな格好よかったけ?と思ってしまった。
素晴らしいスプリットだと思います。
激オススメ。

Chelsea Wolfe/Pain is Beauty

アメリカはカリフォルニア出身の女性シンガーの4thアルバム。
2013年同じくアメリカのSargent Houseから。私が買ったのはボーナストラックが追加された日本版でこちらはおなじみDaymare Recordingsより。
いつも思うんだけど、陽光燦々たるカリフォルニアに生まれたのに、暗い音楽やり始める人たちってなんなんだろうね。私のイメージだとカリフォルニアは天国なんだけど。鬱病の人とかいないんだろうな、と半ば本気で信じている。(そんなことはない。)

前も書いたと思うんだけど、Leave them all behindでこの人のライブ見たんだけど格好よかったなー。という訳で個人的にはとても楽しみしていたアルバムでした。
前作は全編にわたってアコースティック調だったから、バンドサウンドはちょっと久しぶり。とはいえ今作も轟音ギターがギャーンという感じではない。
ゴシックロックとのことだが、そもそもゴスってのがよくわからない。黒とレザーな感じの外見は分かるのだが、音楽となるとよくわからない。このアルバムを聴いた限りだと、身もふたもない言い方をすれば暗い雰囲気重視の音楽ということになるのだろうか。


全体的にはリバーブというかディレイというか妙にもこーっとしたエコーのかかった声が時に気怠く、時に陰鬱に、まれに楽しそうに歌い上げるというスタイルは変わらない。
ギター、ベース、ドラムは曲の雰囲気を壊さないようにあくまでも歌が中心にくるような演奏スタイル。電子音がかなり効果的に使われていて、曲にもよるが、あの暗く怪しい感じを作り出すのに一役も二役も買っていると思う。

ジャケットを見れば分かると思うんだが、今作はちょっとレトロな匂いもする。80年代だか、70年代だかは知らんのだが(今回好きなアーティストの割に分からんばっかりで申し訳ない。)、妙にぺひぺひしたシーケンサーを使い、てろてろしたひょうきんなリズムを取り入れたりして、インダストリアルというよりは、時代を感じさせる妙にすかすかした感じが曲によっては顕著にあると思う。
すかすかというとイメージが悪いけど、よく考えると最先端を行っている割には(その他大勢の)時代と無縁な感じを常に身に纏ってきた彼女にはとっても合っているのではないかな。勿論狙ってやっている訳で、例えば5曲目なんかはどうしてもレトロ感満載で曲調は陽気といってもいいはずなのに、妙に気持ち悪さがある。素直に乗れないかんじ。

なんといってもChelseaさんの声が魅力的で、別に今作だけでないんだけど不安定に勝手に歌っているようなのに、なんだかこちらに訴えかけるようなメッセージ性があるように思う。浮遊感があるし、ちょっとおかしいな〜、こわいな〜というところもあるんだけど、連続性があって全く関係のない私でも分かるような気がするのです。ひょっとしたら根がまじめなのかもしれない。「俺っていかれてるからさ!」とかって好き勝手やっている微笑ましさがない。まじめに考えすぎたら、ちょっと突き詰めて変なところに来ちゃったって感じ。スタートが日常だから完全ナチュラルボーンアウトローと違って、私のような凡人にも何となくいいたいこと分かる気がする、ってなるのかも。
まあだからこその怖さも当然ある訳なんだけど。
ちなみに歌詞を読むと超暗い。怖い。

という訳で毎日が辛いまじめなあなたにお勧めのアルバム。
苦痛は美なので黙って働けということでしょうか。
Chelsea Wolfeさんはホンマ社畜たちのアイドルやで。
CDいっぱい買ったら握手させんてもらえんやろうか。