2013年11月3日日曜日

Slam Coke/First Cookie:Fick Die Bude Kaputt

ベルギーのビートダウンハードコア、デスメタルバンドの1stアルバム。
2011年にGoodlife Recoringsというレーベルからリリースされた。
ベルギーといいつつも実際はヨーロッパの様々な国(フランス、ドイツ、オーストリア)のメンバーにより結成されたバンドらしい。覆面というのではないのだろうが、とにかく調べてもメンバーの画像なんかも出てこない。どうも複数のハードコアバンドのメンバーが関与しているようだが、オフィシャルではないし、私はハードコアはとんとわからん。

クレジットによるとツインボーカルにギター、ベース、ドラムと普通のバンドアンサンブルに加えて、ダブステップとバッキング(具体的にはなんなのかは書いてない。)担当が入って都合7人編成。後の2つの楽器に関しては?と首を傾げるところだが、イントロの前半部分とCDの後半にはダブステップっぽい曲がちらほら入っている。
大所帯でエレクトニクス担当となると私の世代なら真っ先にSlipknotが思い浮かぶと思うんだ。なかなかブルータルなバンドだが、こちらのSlam Cokeはさらにえげつない感じ。洗練されてない暴力的かつ装飾されていないブルータル性がある。

ひたすら重いビートダウンハードコアがベースで、2011年発表のアルバムということで昨今隆盛を極めるそれとは少し毛色が異なる。曲中にビートダウンが挿入されるというよりは、曲が基本的にビートダウン。つんのめるような音の固まり(音の作りはソリッドかつクリアでとても聞きやすい。)が、っが、っがががっ、という感じでリフを刻む。基本は低速なんだが、音がぶつぶつ切れているからドゥームメタルの持つ怪しさやおどろおどろしさはあまりない。ピッキングハーモニクスや曲によってはピロピロしたテクデスっぽいフレーズを多用し、結構メタルっぽい。(「Fashioncore」という曲もあるし、流行もんファックなアティチュードなのかもしらん。)
たまにブラストパートに突入し疾走。が、やっぱり基本は超低速。
そこにボーカルが乗る訳だが、片方はハードコア由来のマッチョ咆哮なのだが、片方がものすごい低音グロウルボイスでこっちは完全にメタル、それもブルデスとかスラムデス由来のドスの利き方でただ者ではない。
要するに相当ろくでもない音作りになっている。
面白いのはメタルとハードコアのバランスで、音使いやボーカルはメタルのそれの影響が大きいのだが、根本はハードコアであると思う。メタルというと様式美の世界でもあるから、それらしい雰囲気を作ることが大きなファクターの一つ。ところがこいつらはあまりそういった飾りっけはなさそうだ。ひたすら暴力的で下品だ。むき出しの拳でがつんがつんと殴るような残虐性でもって、もはや低俗ですらある。
ひたすら強さアピールなマッチョな音楽性なのだが、しかしこれがまた気持ちよかったりする。もったいつけたりしないもんだから、聞いているこちらとしても聴いてうわーーっとなればそれで十分いい気分なんだもん。

またHip-Hopまでとはいわないが、曲毎にゲストボーカル(超ドスの利いた女性もいたり)を迎えて、マイクリレーなんてやるもんだから、意外にバリエーション豊かで良いね。

という訳でひたすらロウなビートダウンハードコア。
下品なくらい暴力的な音楽を聴きたい。ただメタルだと大仰すぎるというあなたにお勧め。
オフィシャルサイトによると今年ニューアルバムが出るそうな。楽しみがまた増えたね。

ジェイムズ・S・A・コーリイ/巨獣めざめる

アメリカの作家によるSF長編。
ジェイムズ・S・A・コーリイ?聞いたことないやという方もいらっしゃるかもしれませんが、この作家はこの本がデビュー作。
全くの新人かというと、実は2人組の作家の共同ペンネームだそうな。翻訳した中原尚哉さんのあとがきによりますと、ジョージ・R・R・マーティンというSF作家のアシスタントを務めていたタイ・フランクという人がおりまして、短編などを発表していましたところ、ダニエル・エイブラハムという人に出会います。ダニエルは既に作家としてキャリアも長く、前述のマーティンとも共作で本を出版したりしておりました。タイはロールプレイングゲームの構想を持っていて、ダニエルとそれで遊んでいるうちに話が膨らんで小説を書くことになりました。それがこの本です。原題は「Leviathan Wake」。なかなか物々しい。タイが冒頭を書いて、ダニエルがそれを書き伸ばす、というかたちで書かれたそうです。
左がダニエル、右がタイ。

いまより未来人類は技術の革新とともに宇宙にその版図を広げ、現在は大きく分けて地球、火星、そして小惑星帯に移住している。
氷運搬船カンタベリー号はあるとき救難信号をたよりに、小型輸送船の救出に向かったところ、謎の勢力に攻撃され撃沈される。カンタベリー号副長ホールデンは仲間たちの復讐を誓うが、様々な思惑から追われる身となる。
一方小惑星帯に所属するケレスでは刑事のミラーが上司から富豪の娘を探す任務を受ける。彼女は豊かな生活を捨て、独立運動に身を投じ、ケレスから失踪していた。
全く立場の違うホールデンとミラーの航路が交錯するとき、巨大な陰謀が宇宙を危機に陥れようとしていた。

惑星感を宇宙船が飛び回る未来といってもワープ航法のようなものはなく、エスプタイン・エンジンという核融合エンジンで持って人類が宇宙に進出してから、そんなに年月がたってない未来(といっても人類が火星に移住し、さらに対立したのが150年前といっているので、今よりはだいぶ後です。)が舞台です。
ねじまき少女のときもそうだったのですが、SFを紹介するときはまずはその世界観や設定の解説が必要になりますね。現在とは大きく隔たったその設定自体がまずSFの醍醐味の一つだと思いますし、また作品の持つ普遍的なテーマに関しても、あえて現代とは異なった設定をすることで生きてくるかと思うので、まずはそこの紹介をば。
まず人類の版図は広がりましたが、人類自体は残念ながら進歩しておらず、3つの勢力は中がよろしくない。地球は故郷という自負とここでしか採れない資源で持って優位性を持っている。火星は地球への憧憬から緑化に力を注いでいて、また技術力では母星を上回り、強力な艦隊を有している。小惑星帯はその生活すら危険で窮屈ですが、税金はきっちり上記の星々から徴収されるので納得がいかない。中でもOPAという組織があって過激に独立運動を展開している。小惑星帯に暮らす人々はその環境の影響で、背がひょろ高くなり、手足も細長い。頭でっかちでベルター(ベルト地帯に住むからだともいます。)と(差別的な意味合いで持っても)呼ばれます。この構図はハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」にちょっと似ているなと思いました。小さい星(々)にすむ人たちの抑圧された構図や、小惑星帯に暮らす人々の生活に通じるものがあります。

さてここを舞台に、世界を揺るがすような事態が出来する訳ですが、主人公は前述の副長と刑事(といっても当局(ケレスでは知事)の認可を受けた民間の警備会社に所属する)の2人の視点でもって交互に物語が進みます。
こういった形の物語は昨今多いですが、やはり複数のバラバラだと思われていた視点が一点に収束する様は面白い。
私ははじめは復讐心に燃える地球人の副長応援していたのですが、読み進めるとどうもこいつは異常に頭が悪い。一見優男の熱血漢なのですが、ひどく自己中心的で、きれいごとばかりいうのだが、結局は自分が気持ちよければいいので、あとに残された人はどんなに大変な事態に陥ったって知ったことはないよ、というなかなかの無能ぶりでちょっとあきれてしまいました。
一方ベルターの刑事ミラーは離婚が原因で酒浸りの日々を送り、自分では有能な刑事だったと思っていたのですが、実は同僚からは昔は出来たけど今は無能だと思われていることが発覚。一度も話したことがない捜査対象の少女に恋心を抱き、とうとう彼女の幻影とおしゃべりする始末で、全く冴えないどころかちょっと病的な破滅願望を持った中年なのだが、こいつが物語の終盤を引っ張る引っ張る。どう見ても冴えない私としてはミラーに感情移入して、大変楽しく読めました。これは全編を通してミラーの恋物語といってもいいかもしれない。頭のたがが外れた中年男のラブストーリーが銀河の危機を背景に一体どこに着地するのか、というところぜひ読んでいただきたい。

また、これは人間の差別がついに宇宙に到達しても根強く残り、それがとんでもない悲劇を招くというお話でもあります。私は昔から未来に対して強いあこがれを持ってて、それの一つに宇宙は(人間の知覚からしたら)無限なのだから、それに内包される資源もまた無限であって、人類が宇宙を縦横無尽に飛び回れるようになればきっと人類から争いの種が一掃され、犯罪はなくならないにしても大きな戦争はなくなるのではないか、と思っているところがあります。
こん本を読むと残念ながらそんなことはないようです。一体この本に書かれていることこそが真実だとは思いませんが、技術の革新が世界を広げた結果、それが人類に新しい何を付与するのか、という問題をぼんやり考えるよすがとはなるかと思います。

この本は実は「The Expanse」という長いお話の冒頭で、長編は全部で6作が構想されているそうです。といってもきちんと謎の説明はされ、物語は決着するのでご安心を。中原尚哉さんの翻訳もとても自然で読みやすいです。スケールのでかい話を読みたいあなたにはお勧めのとても面白い小説です。

2013年10月28日月曜日

diSEMBOWELMENT/diSEMBOWELMENT

どんなジャンルでも伝説のバンドはいるものだ。
ニッチなジャンルで伝説というといささか大仰すぎるかもしれないが、語り継がれる名バンドや名作が確かにあって、今回紹介するのはそんな一枚。(2枚組なのだが。)
diSEMBOWELMENTは1989年にオーストラリアのメルボルンで結成され、1993年には解散している。その短い活動期間の中で2枚のデモと1枚のEP、アルバムをリリースしている。
中でも「Transcendence into the Peripheral」というアルバムはデス/ドゥーム界隈では有名な作品で、プログレッシブな展開からとても1993年にリリースされたとは信じられないと評価されていたり。
オリジナルのジャケット。デスメタルっぽくないロゴがおしゃれ。

当然のことながらミーハーな私としては気になっていたのだが、既に廃盤になっており何となくあきらめていたのだが、ふと思い立って調べると何のことはない、同じRelapse Recordsから2枚組のコンピレーションアルバムの一部として再販されていたのであった。
自分の間抜けさに悪態をつきつつ購入した次第。
2枚組でバンド名が冠されたこのアルバムは2005年にリリース。Disk1は名作と誉れ高い「Transcendence into the Peripheral」がフル収録。Disk2の1−3曲目がEPの「Dusk」から、4曲目がコンピレーションに収録された曲で、残りが「Mourning September」というデモの音源。ちなみに初回版はなんと3枚組だったそうな。私が持っているのは当然2枚組です。

さて曲の方はというと基本はデスメタル。それが速度をぎゅーっと落として、たまに加速するパートを入れるというスタイル。
ドラムは重々しくリズムを刻むが、疾走パートでは堰を切ったようにたすたす走り出して気持ちがよい。遅いパートでもででででっとバスを連打したりして面白い。
ベースはもこもこした低音でひたすら屋台骨を支えるタイプか。
ギターが面白く、片方は叩き潰したような低音でとにかく重く、またつぶれた音像で粒子が詰まっていて、輪郭がはっきりしない。こいつがとにかくリフを刻む様といったらまさにドゥームメタル。重い十字架を背負わされて一歩一歩進んでいくような絶望感がある。そこにもう一本のギターが絡んでくるのだが、こいつがまたくせ者で、クリーンとはいえないが歪みきっていない、妙に透明感のある音で不協和音のような旋律を奏でるのだから、重苦しいその他の演奏感と相まってさらに不安感をあおる。
ボーカルは低音デス声だが、わめくようなブラックメタルっぽさがあって、それが曲から一部のデスメタルが持つマッチョ感をなくし、絶望的な世界観を付与するのに一役買っている。
そう、このバンドの音はその内に圧倒的な陰鬱さ、絶望感をはらんでいる。
音楽性もちょっと似通うところがあるのだが、フューネラルドゥームの持つ圧倒的な抑鬱感に通じるところがある。
デスメタルといっても勇壮な部分は全くない。これはすごい。演奏はひたすら重いのに、外に開けたところが全くない。妙にすんだギターがすばらしく、真綿で首を絞められるような閉塞感。何かが絶対的に間違っているような不安感がある。
中でも引きずるようなギターリフに、落下していくような咆哮が被さってくるイントロから始まる14分を超える5曲目などは、ハウリングノイズ寸前のベース(だと思う。)も相まって一体自分はなんでこんな曲を聴いているのかわからなくなる。あ、これ悪夢みたいだな、と気づくのだが、悪夢というのは途中で目覚めることができないから恐ろしいもので。この音楽も途中でストップボタンを押させない魅力を備えている。
ともすれば単調になりがちな曲調にも、疾走パートやクリーンボーカルなどを効果的に配置することで飽きさせずに聞かせるように意外に細やかなセンスがキラリと光る。(ただしどこをとっても絶望感しかない。)

という訳名盤と歌われるのも納得の出来。
1993年発売というのはあまり意識する必要はないと思う。普遍的にすばらしい音楽が常に語り継がれるのであろう。このCDはその証明みたいなもので、すばらしい音楽に出会いたいあなたはぜひ手に取ってみるべきだ。
ただしとても暗いのでご注意。

2013年10月27日日曜日

Gnaw/Horrible Chamber

この間紹介した「This Face」に続く、元Khanateのボーカルのアラン・ドゥービン率いるノイズ・ドゥームメタルバンドの2ndアルバム。
2013年にSeventh Rule Recordsという聞き慣れないレーベル(スラッジバンドのIndianとかも所属しているようです。)からリリースされた。
さて前作ではドゥームというよりはインダストリアルなノイズの洪水のような音楽性でした。ノイズというのは兎に角ぼんやりしている音像なので、ミニマルな展開でも刻一刻と流動するような作りが大変面白かった。

今作も前作の流れを汲む、ノイズまみれのドゥームメタルです。
どんよりしたノイズが垂れ流され、ドラムがリズムを作り、ベースは硬質な音像で刻んできて、ギャラギャラした金属質なギターが乗っかるという地獄スタイル。
ノイズといってもインダストリアル要素強め、また基本のビートはドラムが刻んでいるし、思っているより聴きやすい。また今回ではよりギターとベースが前面に押し出されているので前作よりメタル然としている印象。曲によってはほぼドゥームメタルです、といってもいいくらい。そんでもってフィードバックノイズが多めなのが個人的には嬉しい。全体的に悪夢のような遅めのノイズの中ボーカルのアランだけが切羽詰まってわめき散らすようで、その対比がとても面白い。
効果的にピアノを入れたりして、ノイズを前面に押し出した実験的なバンドというより、目的とする曲のイメージをノイズなどを効果的に使って再現しているようなイメージで、変な言い方だけど、結構まじめに曲作りをしているような印象がある。
ノイズ成分強めで模糊としていた前作と比べると大分かっちりとした音像になったと思う。どちらが好みかというと人それぞれだろうが、個人的には前作の「Vacant」のようなほぼどんよりとしたノイズというスタイルの好きだったから、そっちにぶれた曲も聴きたかったなあ、というのも正直ありました。

アランの書く歌詞というのは結構特徴があって、言葉の数がそんな多い訳ではないのだけど、執拗にワードを反復するような陰湿さがある。それまた曲とよくあって全体的になんだこいつヤベエなという、異常さを際立たせるのに一役買っていると思います。歌い方も相変わらず真に迫った必死な感じで、デス声でもイービルな声でもない、しゃがれたなんとも不快な声。不穏なノイズとの相性はばっちりで、反復するような歌詞と相まって聴いていると不快な魔術でもって同じところをぐるぐると回らされているような不安感がある。

というわけで安心の不愉快クオリティで前作買って気に入った人や、アラン・ドゥービンマニアは迷わず買ってしまって大丈夫です。
ノイズは気になるけど、ハーシュはちょっとというあなたにもお勧め。

大泉黒石/黄(ウォン)夫人の手 黒石怪奇物語集

突然だが、大泉黒石という作家をご存知だろうか。
私は知らなかった。この本はAmazonにお勧めされたかった物で、あらすじを読んで気に入ったので何とはなしに購入したのであって、書いた人は全然知らなかった。
調べてみると大泉黒石は明治から昭和にかけて生きた作家で、一躍文壇の寵児となったもののその後急速に忘れられてしまったひとらしい。
本名は大泉清、ロシア名アレクサンドル・ステパノヴィッチ・コクセーキ。そう彼の父親はロシア人であった。周囲の反対を押し切って父と結婚した母親はしかし、産後に亡くなってしまった。母親の実家に引き取られたが、その後父親を頼って中国へ。しかし父親とも死別し今度はロシアの父親の親戚のところに身を寄せる。パリやスイス、イタリアを経て日本に落ち着き、作家を目指したという。
私は知らなかったけど、混血文学というのがあって、黒石はその先駆けだそうな。

その黒石の書いた物語の中で特に怪奇色の強い短編をまとめたのがこの本。
中国の情の深い幽霊譚「戯談(幽鬼楼)」
側近が秀吉に語る奇妙な因縁の復讐譚「曾呂利新左衛門」
東海道中膝栗毛の主人公たちの因果な生活を書いた「弥次郎兵衛と喜多八」
韓国で永遠を生きる女の因縁話「不死身」
ぼろ寺を訪れた画家の男にまつわる恐怖譚「眼を捜して歩く男」
探偵小説風の趣のある夫婦の過去にまつわる悲哀を書いた「尼になる尼」
塩坑に逃げ込んだロシアの脱獄犯の末路を書いた「青白き屍」
死んだ女の手が長崎の中国人街で起こす怪異「黄夫人の手」
という感じです。どうですか?怖そうでしょう。
作者が転々とした中国やロシア、韓国、本邦は長崎の生活と風土がどれも生々しく書かれていて舞台設定と雰囲気は抜群。
こうやってあらすじを書いて思い返してみると面白いのは、幽霊や怪異そのものを書くというよりはその背後にある奇妙な因縁や因業をを暴くように書くのが黒石のスタイルのようだ。異常な嫉妬や執着、人の業のような物が死後凝り固まって残り、幽霊として結晶化する。だからこの本に出てくるどの幽霊、または妄執に取り付かれて生きる人たちも、存在感があって怖い。乾ききらない血を滴らせ、生者につかみかかるような凄惨さがあって、そのこが魅力となっている。巧いのがこのバランスで、この人は人の持つ業を暴力に昇華しなかった。人ならざるものにその恨みを転化したのであって、これによって作品がとても上品且つ情緒のある物になっている。矛盾するようだが、凄惨であると同時に下品ではないのである。近年の作品ではあまり見られないような、どうしようもない物悲しさが、直接書かれるのではなく、作品の行間から霧のようににじみ出てくるようで、それが私のような物好きにはたまらない。

とても面白かった。久しぶりにゾクゾクきたわ。もっと読みたいなー。
怖い話が好きな人はさっさと買った方が良い。

2013年10月20日日曜日

Ulver/Messe I.X–VI.X

北欧はノルウェイの実験的バンドの10thアルバム(前作をカウントしなければ9thかもしれない)。
2013年にJester Recordsからリリース。
昨年60年代のサイケデリックロックバンドの楽曲(たしか1曲もオリジナルを知らなかったと思う。)をカバーしたアルバム「Childhood's End」(いうまでもなくアーサー・C・クラークSFの名作が元ネタかと。)をリリースして、オリジナルのアルバムはさらに一年前に出した「War of Rose」だから結構多作なバンドですね。
彼らがアルバムごとに大きく音楽性をかえてくるのは知られていることだけど、今回はなかなか厄介です。

さてTrickster G、またはGarmが率いるこのバンドを捕まえて今更ブラックメタルを期待する輩もいないだろう。というのも初期の3部作は閉塞した激しさと独特のメロディアスさが融合した寒々しいブラックメタルをやっていたが、その後エレクトロニクスを大胆に導入して実験的な方向性に舵を切ったのがこのバンドの特徴。いまや(少なくとも表層上は)ブラックメタルから大きく隔たり、出自を知らない人が近作を聴いたらブラックメタルの香りは底に見いだせないのではないだろうかというくらいの変わりっぷり。
ただすでにアルバムの数が10に届くというのだから、その変遷が多くの人には受け入れられていると解釈しても良いと思う。むしろそのあまりの変わりっぷりが既に彼らの魅力なのかもしれない。

さて今作は前作までの実験性をさらに増した。ロック性はさらに減退し、ボーカルの出番すらぐっと減った。はっきりロックじゃなくなったといっていい。
TROMSØ CHAMBER ORCHESTRAというオーケストラ集団とがっちりコラボをし、重厚なオーケストレーションを大胆に導入している。
ここで面白いのは所謂シンフォニックな音楽性は全くないことである。オーケストラというと重厚な音楽性、幅広い楽器群、良くも悪くもロックバンドにとっては抱えるには大きすぎる影響を与えることは免れないのだが、今作ではそんな大仰なことにはなっていない。まず楽曲の質に大きな特徴があって、実験的前衛的な分カテゴライズすることが難しいが、あえていうならばダークアンビエント性が強く、派手な音色は少ない。ひたすら沈み込むような雰囲気の中ひたすら静を目指すような(音楽を説明する際矛盾をはらむ形容詞であることを自覚しつつ敢えて)静謐な音楽性である。
エレクトロニクス由来のじりじりした電子音がベースになり、そこにゆったりした重厚な弦楽器を初めとするオーケストレーションがずっしりとしかし曲の静謐な雰囲気を壊さないように侵入してくる。
詳しくないので間違っているかもしれないが、いわゆるチェンバーロックという音楽性の影響が多きのかもしれない。チェンバーとは小部屋のことだから、なんとなくフルオーケストラの持つ壮大さとは一線を画す音楽性が想像される。
全6曲だが、1曲はそんなに長くない。潜行するようなノイズに合わせて予感をはらんだようなオーケストラが首をもたげる、そんな音楽性だから派手さはほとんどない。環境音楽とはいわないが、やはりダークアンビエントの質を持っていて、そこに分かりやすさを求めることは難しいと思う。
オーケストラとは不思議な物で、音は変わらないのに弾き方によって表情が豊かだ。6つの楽曲で時に恐ろしく、時に優しく訴えかけてくる。
初め聴いたときは正直むむむと思ったが、繰り返し聞いていると、色々な音になれてくるのかおよよと良さに気付くようだ。

ひとつ気になった事がある。ジャケットには十字架があしらわれている。よく見る逆十字ではない。下の部分が長い普遍的な十字架である。また、裏ジャケットには歌詞が書かれているのだが、なんだか天上の父に許しを請うような内容である。ブラックメタルといえばアンチキリスト的な考えが重要な意味を持つことが多い。しかし思い返してみても初期3部作はアンチキリストというよりはノルウェイの土着の物語にフォーカスを当てていたようだし、音楽性はともかくとしてはっきり反キリスト教を歌った物ではなかったのかもしれない。ひょっとしたらGarmさんになにかしらの考えの変化や啓示があったのかな?とも思ったが、それはよけいな詮索かも。形は変わっても意外に芯はぶれていないのかもしれない。まあ今回のデザインや楽曲を聴いてちょっと気になっただけです。

というわけで今回も大きく変化してきたノルウェイの狼ですが、私は気に入りました。
ギャップはありますが、今までのUlverを好んで聴いてきた人たちにはぶすりと刺さるんじゃないでしょうか。
実験的音楽マニアにもお勧め。

2013年10月19日土曜日

アルジャーノン・ブラックウッド/人間和声

イギリスのホラー小説家による長編小説。
ブラックウッドというと妖怪ハンターものの「心霊博士(妖怪博士とも)ジョン・サイレンス」が一番有名なのだろうか。私も恐らく短編集から、ジョン・サイレンスを読んで、この本と同じく光文社から出版された「秘書綺譚」を読んだ。
この本を読むにあたり初めて知ったのだが、ブラックウッドはクロウリーで有名な「黄金の夜明け団」のメンバーだったんだね。Wikiには魔術師だったと書いてあるね。魔術の探求社と魔術師というのはイコールなのかな。

幼い頃から空想癖があり夢見がちなロバート・スピンロビンはある日新聞の広告で奇妙な求人を発見する。曰く、テノールの声とヘブライ語の知識を持った浮世離れした人を求む、と。一も二もなく申し込むスピンロビンは荒野にひっそりと佇む屋敷を訪れる。そこには広告を出した隠遁した聖職者と家政婦、そして美しい聖職者の姪の3人が彼を待っていた。聖職者スケールは人間の声を使ってある恐ろしい試みに挑戦するという。その内容とは…

というあらすじ。ホラー小説でしかも田舎の怪しい屋敷に行くというといかれた狂信者家族にとらわれて〜というストーリーが思い浮かぶが、今作は全然そんなことはない。
聖職者スケール一家は主人公に優しく暖かく接する。脅かすどころか大いなる実験の成功のためスピンロビンにとても大きな期待を寄せている。
だからホラーといっても当初はそんなにおどろおどろしさはない。人里離れた荒々しくも美しい自然に取り囲まれていて、美しい娘と恋に落ちる主人公を描く前半は恋愛小説のようだ。ただし屋敷で感じる人の気配やスケールの態度、そして実験の内容が徐々に明らかになる中盤からは恐怖の足音がひたひたとその存在感を増すようで何とも恐ろしい。
彼らは4人の声を同時に特定のどくどくなやり方で持って発生させることで、何かを起こそうとしている。その試み自体恐ろしい物だが、実は邪悪な物だとははっきり明記されていない。スケールはなみなみならぬ執念を持ったある種のマッドサイエンティストなんだが、だからといって積極的に人を傷つけるような振る舞いは意図しない。この本の面白さはこの恐ろしさが畢竟何に由来する物なのか最後まで分からないことである。そしてその何か分からない物にこそ、神性があるのだと個人的には思った。
人間が圧倒的な神性をもつものに対してどういった選択をすべきなのか、これは読む人それぞれによって考えが違うであろうと思う。読んだ人が一体あの結末をどうとらえるのかは気になるところです。

ちなみに訳したのは南條竹則さんで解説も彼が書いている。ブラックウッドへの愛情が伝わってくる解説でとても面白い。南條さんも解説で書いているが、ブラックウッドはちょっと表現がくどく、また扱っているテーマ的にどうしても描写が抽象的にならざるを得ない。正直言って読みやすい物語ではないんだが、正邪を超越した力への憧憬とそれに対して接近するアプローチ、そこから生じる神性への畏敬の念と瀆神の恐れ、あっとおどくような結末、こういった面白さが詰まった小説ははっきりいって他にはないのではないだろうか。人間の声を使って人間を超える高みに接近しようとするアイディアはとても面白い。
よってブラックッドや恐怖小説を愛する諸兄には是非手に取っていただきたいと思います。