2016年11月19日土曜日

Neurosis/Fires Within Fires

アメリカはカリフォルニア州オークランドのポストメタルバンドの11thアルバム。
2016年に自分たちのレーベルNeurot Recorddingsからリリースされた。
1985年に結成された当初は速いハードコアを演奏していたが3枚目のアルバムあたりからその音楽性をスローかつヘヴィなものに変容させ、ハードコアを基調としながらドゥームメタルとは異なったアプローチでスローな音楽を構築し、ヘヴィなバンドアンサンブルに民族的な要素を持ち込み、さらに激しさだけでなくアンビエントなパートを大胆に取り入れたその音楽は後続のバンドに多大な影響を与えた。いわばメジャーストリームに対するアンダーグラウンドな音楽におけるカリスマ的存在で、結成から30年以上たった今でもコンスタントに音源をリリースし続けている。私はTVKのかの名作テレビ番組「ビデオ星人」でNeurosisのライブ映像を見たのが初めての出会いで、当時中学生だった自分の範疇の外にあるその音楽性にやや気持ちが悪くすらなった。Neurosisはなんか知らんがヤバい…そんなトラウマ的なわだかまりを抱え続け、それから初めてNurosis音源を買ったのは大学生の頃だったろうか。熱心なファンというわけではないが、いくつかの音源を聴いたことがある。

前作「Honor Found In Decay」は2012年発表だったから4年ぶりの新作ということになる。個人的には前作は正直なところ悪い!とは言わないがやっぱり買ってから何周か聴いたっきりあまり聞き返さない音源であった。良さを発見するまで聴き込めていないというのも大いにあるだろうが、聞き返そうかなと思う前に「Times of Grace」や「The Sun That Never Sets」の方を聞いてしまうのだ。
今作もだから「どうかな〜」という好きなバンドだけに何かしら怖い様な、そんな気持ちで購入した。
全5曲で40分だから彼らの音源の中では割とコンパクトにまとまっている方ではなかろうか。プロデューサーはSteve Albiniでこれは最近の作品からの続投。
やや分離が悪くモコっとした音質は「Times of Grace」にちょっと似ているかなと思った。おっかなびっくり聞いていると、あれこれは正直悪くない(上から目線で嫌な言い方なんだけど)、むしろかなり良いのでは…と思っている。前作と比べてどこが違うのかというのをだら〜っと書いていくと…
前作は長い尺の中で淡々と進む感じでやや抑揚にかけていたが、一方今作では静と動のパートのメリハリがくっきりついている。持ち味復活という感じ。
さらにそのメリハリの中の動のパートの攻撃性が増している。Neurosisといえば見るからにおっかない面体のおじさん3人がそれぞれに怒号を張り上げるトリプルボーカルスタイルが魅力の一つだが、今作ではオラオラオラ〜とばかりに良く叫んでいる。複数人がボーカルをとるので声質にも差異があって良い。演奏は正直前述の超名作アルバムに比べるとあのアグレッションは経年でやや枯れたものになっているが、前作に比べると音の数は増えているのではないだろうか。メリハリを活かしたドゥーミィなリフを巧みな技術で綺麗に伸ばしてくる様なスタイルとハードコア的にグルグル弾きまくるスタイルを良い配分で混ぜてきている。個人的にはやはり後者の演奏に魅力を感じるし、盛り上がっているところにさらにワウをかけてきて混沌が増してくると、いよいよ楽しくなってくる。このごった煮感が良い。
それからNeurosisの静のパートは結構好きだ。激しさの爆発の前の待機時間以上に魅力がある。それはこれからの激動の予兆を孕む緊張した時間であることも魅力の一つだと思う。今作ではここで結構メロディアスに歌ってきて、さらにハーモニー、コーラスを入れてきて結構力を入れている。もともと激しいけどただがなるだけでなく歌心があるバンドだと思うので、ここに力を入れてくれるのは嬉しい。最終曲「Reach」は結構それが顕著で「Stones From Sky」を思わせる。

期待と不安でおっかなびっくり再生すると冒頭の「Bending Light」でおおおおお?と引っ張られてあとは巨大な乾燥機で放り込まれた様に轟音にもみくちゃにされる。終盤は激しい中にも物悲しさを出してきて、ただならぬ経験からくる風格を感じさせる。自らの魅力と原点を再認識したかの様などっしりとした佇まいで大御所らしからぬ攻撃性も出してきた。とてもかっこいいと思う。正直昨今のはどうかな…と思っている人がどれくらいいるのか知らないが(みんな全然良いよ、と思っているかもしれないな)、今作は往年のNeurosisを彷彿とさせる内容なので是非効いてみてほしい。もちろんおすすめ。

シャーリイ・ジャクスン/くじ

アメリカの女性作家の短編小説集。
この間紹介したフレドリック・ブラウンの「さあ、気ちがいになりなさい」と同じく異色作家短編集として刊行されたものの文庫版。
シャーリイ・ジャクスンと言ったら長編「ずっとお城で暮らしてる」も有名だが、何と言っても「くじ」という短編だろうと思う。ホラーが好きな人なら多分ほとんどが読んだことあるのではなかろうか。そのくらい色んなホラーアンソロジーに収録されている。私もはっきり覚えているわけではないが、多分少なくとも手持ちの別のアンソロジー二冊にはこの短編が収録されていると思う。
ホラーといっても色んなサブジャンルがあるし、結果的には多様な物語があるが、シャーリイ・ジャクスンのこの短編集ではフリクースが出てくるスラッシャーでも、幽霊が出てくるしっとりしたゴーストストーリーでもない。ただし全く超自然的でないというとそうではなくて、あとがきを読むまで気がつかなかったのだが主人公たちを現実の裏側に連れていくという役目で共通した悪魔の役割を振られた男が出てくる。ただし彼も牙が生えているわけでも、蹄があるわけでも、もちろん角があるわけでもない。
ジャクスンは日常を描く。日常に起こる些細な出来事を書く(表題作の「くじ」のように設定から非日常のものもあるが、それでも日常が描かれている)。主人公である女性たちはそこで嫌な目にあい、また時にははたから見ると嫌なことは起こっていない様でもあるが、それでも結果的には嫌な気分を味わう。作品によってはこれがそれでも「嫌な1日」で終わることもある、しかし作品によっては主人公たちの感情は致命的に害され、その後以前と同じ様に日常が送れなくなっているであろうことが示唆される。端的言えば狂気に陥ったといっても良いかもしれない。日常が、正気がグラデーションの様にいろをかえて毒に侵されていく。その色調の変容のどこをとって分岐点とするかというのは面白い問題だと思う。また狂気に陥った後も続く、主人公を除いた世界の日常の白々しさがまた恐ろしいのである。そういった意味では都市生活の中にある孤立を象徴的に描いている、と考えることもできるのではあるまいか。

シャーリイ・ジャクスンの好きなところの一つに感情をテーマとしている、というか感情を書くことが目的とすら思わせるのに、その筆致は客観的で登場人物のむしろ肉体的な動きにフォーカスされていくこと。こうやってしっとりというよりはねっとり陰湿な雰囲気なのに突き放した冷徹さがあって、それがむしろ読み手を感情的にさせる。つまり主人公たちの感情がそのままイコール読み手の感情になったかの様に錯覚させる。つまり物語自体が呪文であって、それが主人公たちの味わう不快な感情を読み手に与える、そんな効果を持っている。小説の醍醐味とも言える人間の感情が最終的に読者の手に委ねられている。だから同じ物語を読んでも読み手が受ける不快な感情は実は千差万別ではなかろうか。私たちが過去経験した嫌なことをまざまざと思い出し、当然それらは人によって違うので私たちはそれぞれ嫌な思いを個別に味わことになるのだ。

人によってはなぜ金を払ってこの様な後味の悪い本で嫌な気分にならないといけないのかと怒るだろうが、確実にそういった毒に当てられることに気持ち良さを見出す人間がいるものである。無神経でなくて後味が悪いのがご馳走なのだ。というわけで特定の趣味を持った悪食の皆様は必携の一冊であると思う。是非書店に走ってどうぞ。大変面白く、そして嫌な気持ちになれること請け合いです。非常にオススメ!!

Planes Mistaken For Stars/Prey

アメリカはイリノイ州ピオリアのポストハードコアバンドの4thアルバム。
2016年にDeathwish Inc.よりリリースされた。
1997年に結成され3枚のオリジナルアルバム他いくつかの音源をリリースしたが、2008年に活動を休止。その2年後に再結成を行い、さらに6年という年月を経てリリースされたのがこの音源。私この音源で初めて聞く。レーベルからのメールで興味を持ち購入。「星に間違えられる飛行機」ということで要するに「夜に飛ぶ飛行機」というバンド名はある種のセンチメンタリズムを温度のない名詞で表現するスタイルでとてもかっこいい。生と死が渾然となったアートワークも結構異色なのでは。

Googleで検索してみると日本語のページがあまりヒットしないのでややマイナーなのかもしれない。Diskunionでははっきり「激情」というワードで紹介されている。
激情というと言葉通りにほとばしる感情を攻撃的で(時に複雑な)演奏と叫び(時に会えてのつぶやき)に乗せて打ち出す温度と湿度の高い音楽というイメージがあるし、実際この間激情とは?という動機で聞いたEbullition Recordsの3枚のアルバムは確かに前述のような言葉である程度起き萎える音楽性だったが、このバンドはちょっとその定義と違ってきている。いわば激情ハードコアのオルタナティブ(もう一つの)可能性なのかもしれない。まずボーカルが叫ばない。別に叫べば激情でハードコアというわけではないが、この手のジャンルにしては一見あまり熱量がない。気取ったり、声を過剰に作っているわけでも、すかしているわけではない。ただこういうスタイルだというのだと思う。歌声自体はHigh On FireのMatt Pikeに似ている。掠れて、しゃがれている。経年と外的要因(酒やタバコ)によるダメージがむしろ独特の味を出しているタイプ。この声で歌われるとちょっとずるいくらいに説得力が出てくるわけだ。渋みがあるのでなるほど、叫ばない方が良いな〜という気にさせるし、また一方で平時がフラットだから強弱(呟いたり、叫んだり)が曲の中で目立ちやすくなるという特性もある。
演奏自体は明確にハードコアを経由したロックサウンドを鳴らしており、必ずしも技術を前面に押し出さないやり方で曲もシンプルかつ短い。アコースティックギターとピアノを効果的に用いた曲もあるが、基本的にはバンドアンサンブルのみで余計な音は追加しない。素材自体の音が程よく残されたジャギジャギしたギターがコード感溢れるリフを引っ張っていくのだが、たまに入るハードコア的だったり、ソロだったりがメロウなフレーズに富んでいて、一見さっぱりした外見の中には濃厚な旨味がぎっしり的な魅力が詰まっている。演奏とボーカル(が歌うメロディ)が程よいメロディアスで聞けば聞くほど耳に馴染んでくるのも良い。
ある種のタガが外れたような狂騒を含む1曲め「Dimentia Americana」から幕をあけるのだが、実は全編にわたってグルーミィな雰囲気が底流となって作品を貫いている。リリース前に公開された4曲め「Fucking Tenderness」は彼らの魅力がぎゅっと詰まった曲だが、キラキラした演奏とメロディアスさの中に垣間見える後ろを振り返るような切なさは隠しきれない。

無駄を削ぎ落としたコンパクトな楽曲ながらまぎれもない激情を感じ取れる良いアルバム。かっこいい、そして少し切ない、そんなロックが好きな人も是非どうぞ。

2016年11月17日木曜日

VMO/Catastrophic Anonymous

日本は大阪を中心に活動するブラックメタルバンドの1stアルバム。
2016年に日本のVirgin Babylon Recordsからリリースされた。
私はオフィシャルでカセットとCDがバンドルされたセットを購入。
VMOとはViolent Magic Orchestraの略。大阪の音楽集団Vampilliaのメンバーを中心に、
エレクトロニクス担当としてPete Swanson、MIX、シンセ、ビート担当としてExtreme Precautionsを迎え、さらにライブヴィジュアル担当のkezzardrixで構成されたバンド。
もともとVampilliaのリーダーであるStartracks for Streetdreamsさん(ちなみに楽器は全然弾けないんだそうだ、本当面白いしすごい)はブラックメタルに強い思い入れがあってそれがVampilliaの音にも色濃く現れていた。Vampilliaはブラックメタルプラスポストロックトいうコンセプトだが、VMOはブラックメタルは同じでもそこにテクノ・インダストリアルの要素を加えているそうだ。アートもコンセプトの一つであってそれゆえライブでのビジュアル担当や3台のストロボライトを用いているのだと思う。

なんとなくブラックメタル成分が濃いVampilliaかと思っていたのだが、実際の音を聞いてみると結構印象が違う。本当にVampilliaからポスト感を引いて、代わりにインダストリアル成分を足したというのがうまい説明だと思う。ポスト感にも色々あると思うが例えばブラックメタルだったらAlcest、激情ハードコアならenvyみたいにある種の(芸術的な)美しさみたいなのが自分のイメージ。確かにおふざけもするVampilliaだが「Endless Summer」に代表されるように激しさと切ない美しさが同居する曲をいくつも作っている。VMOではある種の余裕すら感じさせる贅沢なポスト感はなりを潜めている。全10曲で34分、コンパクトにまとめられた曲はどれも割れるような轟音で埋め尽くされている。嵐のようなトレモロリフはまさしくブラックメタルからの影響色濃いがプリミティブな儚さを感じさせるそれではなく、強靭で硬質な金属を生成したような主張の強い重たい存在感を放っている。そもそも空隙など見当たらないところに重たいドラムがさらに隙間なく並べられ、モコモコしたベースがみっちりと空間を黒く埋めていく。そこに金属質な高温のパーカッションが加わる。エレクトロニックと言わずに、テクノもしくはインダストリアルというのも、またなるほどと思わせる。力技である。
結果的に出来上がった音はAlcestなどに代表されるポストブラックメタル達に比べるとあからさまに主張が強すぎるしうるさすぎるし、かといってブルータルかつモダンなブラックメタルに比べると今度はやはりキラキラしている。バランス感覚が絶妙というのもあるだろうが、ありそうでなかったこの音の秘密はやはり”アート”なのかもしれない。というのも結構音を聴いていると面白いことに気づく。まず2曲目「Acts of Charity」に代表されるように轟音インダストリアルに半ば塗りつぶされているが、それでもやはりトレモロリフの言いようもないメロディアスさは隠しきれない。このメロディセンスはVampilliaで培った経験が活かされていると思う。そういった意味ではピアノの使用頻度もそれなりにあり、またそれらが硬質で容赦のない轟音に程よくセンチメンタリズムを持ちむことに一役買っている。またボーカルの登場頻度が実はあまり多くない。ボーカルはThe BodyのChip KingやMayhemのAttilaという強烈なゲストに加え、Vampilliaの面々が強烈な叫び声を披露している。クリーンはほぼ皆無でのどの枯れるような絶叫のオンパレードだが、実は終始それらが登場しているわけではない。むしろ結構演奏に力を入れていて、それを効果的に披露することを念頭に置いているような印象がある。ピアノだったり、演奏を前面に押し出すのはポスト感なんじゃねえの?という意見もあるだろうが、やはり個人的にはポスト感というにはそれらに特有の美しさが顧みられていない。美しさを凶暴さに無理やり覆い被せたような趣があって、所々不器用なアンドロイドのようになっているのだが、はっきり言えばそれが魅力なのだ。その言いようのない不恰好さがVMOの”アート”ではなかろうか。まだ名前のつかない不恰好さ、私はこの音源がかなり気に入っている。ひょっとして広く受け入れられたこのスタイルに名前をつけられ、新しいかっこよさになったらとても面白いなと思う。

コンパクトだが非常に挑戦的な音楽だと思う。軸になるブラックメタルに期待しているところがぶれていないからだろうと思うが、凶暴かつメロディアスでVampilliaが好きな人ならこのプロジェクトも楽しく聴けると思う。おすすめ。

2016年11月6日日曜日

The Dillinger Escape Plan/Dissociation

アメリカ合衆国ニュージャージー州モリスのマスコアバンドの6thアルバム。
2016年に自身のレーベルParty Smasherからリリースされた。
TDEPは1997年に結成されメンバーチェンジを繰り返しつつも、今までに5枚のアルバムを発表。6枚目のこのアルバムをリリースするタイミングでバンド側はアルバムの発売に伴うツアーの終了とともにバンドは解散することを明言しておりこのアルバムが最終作になる見込み。

一昔前にネット上で「私を構成する9枚」が流行り、私もチャレンジと思ったが思いの外絞るのがむずくしくて頓挫した。4枚は確実でそのうちの一枚がTDEPの2nd「Miss Maschine」。
ニューメタル小僧だった私が「カオティック・ハードコア」という言葉のかっこよさをきっかけに出会ったのがこのアルバムだった。今では大好きだが当時は声がニガテでConvergeを敬遠したため、TDEPが新しい音楽への扉になった。明らかにハードコアであるConvergeに対して、TDEPはカオティックのもう一つの可能性であり、メロディアスなパートを包括することで入門編としては最適だったのだろう。

TDEPは技巧によって自由を獲得したバンドだ。
ギターソロ、トレモロ、テクニカルなリフワーク、異常な速度で叩かれるドラム、人間外にはみ出すがごとくのスクリーム、ことエクストリームな音楽では超絶技巧を始めテクを極めることで先鋭化していくが、
このバンドはむしろ技巧で持って早くて強いハードコアの枠から逸脱、もしくはジャンルの幅自体を広げている。(フォロワーを生み出すほどの影響力があることを考えると個人的には後者を推したい。)
曲の速度が早くなくても良い(今作は中速くらいの曲が多い)、弦楽は低音に偏光し、重たいリフを引かなくても良い、クリーンボイスでメロディを歌っても良い、多様な表現力はむしろハードコアの可能性を広げていった。
終わりよければではないが、最終的にハードコアでまとめあげればよしなのだ。なるほどTDEPにジャズの要素があってもTDEPをジャズバンドだという人は少ないだろう。
マスコア、またはカオティック・ハードコアという文脈で「とっ散らかった」と表現される音源はこの最新作で最終作と言われる「Dissociation」でその要素を色濃く取り戻した。
前作、全前作では良くも悪くもまとまりが良い印象の楽曲がおおく並んだが、今作では曲中でのカオス度が上がっている。
曲間での展開が複雑であること、その展開がスムーズである一方頻度は増加し、混乱の度合いを強めている。
nine inch nailsに影響を受け、非常にエレクトロニックかつメロディアスなサイドプロジェクトThe Black QueenをスタートさせたGregはやはり良いボーカリストだ。
メンバーは変わっているもののテクノモーツアルトの異名を取るAphex Twinの人力カバーを披露しているくらい正確に複雑なバンドアンサンブルはともすると非人間的だが、
Gregのボーカリゼーションは吐き出す声の種類がクリーン/スクリームという二択以上に表現力が豊かだ。一つの曲の中で病的にその声色を変えていくGregは非常に人間的で感情的なカオスを作り出している。
前任ボーカリストのDimitriもハードコア的では非常に力強かったが、全方向的に混沌を広げていくバンドの方向性的にはGregに軍配が上がるのではなかろうか。
有機的なカオスと無機的なカオスがぶつかりあった火花が、爆発がTDEPというバンドなのだ。
異常なテンションで破裂する豊かな音色はさながら打ち上げ花火の乱発であって、黒いハードコアの夜空に打ち上がる花火に私たちは魅せられた。
最終曲「Dissociation」は全編非常にメロディアスでまさに終焉に相応しい落下しながら消え行く花火の残り火に感じられる。
幕が閉じた後、四囲に立ち込める火薬の匂いを嗅ぎながら私達の視線は地上に降りてくる。残るのは切なさだ。祭りは終わった。私たちは日常に帰っていくが、その胸には花火の残影が焼き付いている。私は密かに拍手するだろう。ありがとうTDEP。

Various Artists/GHz Junglism

日本のレコードショップ/レーベルのGHz監修のジャングルのコンピレーション。
2016年にGHzからリリースされた。
GHz/MHz界隈はもともとブレイクコア色強目ということで注目していたのだが、漫画「ドロヘドロ」のサントラをリリースしたり(内容も大変よろしかった)と色々面白いことをやっている。そんなレーベルのコンピレーションなら絶対良いはずだろう、という気持ちで購入。まずは何と言ってもインパクトのあるジャケットに目がいってしまう。

収録曲は以下の通り。(レーベルより)
1. FFF / Junglist (2015 Rework)
2. Stazma The Junglechrist / Metalworker
3. Bizzy B / CALLING ALL THE AMEN (Bizzy B REVAMP FEAT MULTIPLEX MC)
4. madmaid / hollow in the jungle
5. FFF / Torturing Soundbwoy (Bizzy B Remix)
6. Amenbrother(DJ DON&Kekke) / Champ Road
7. Dave Skywalker / Saxon Street
知っているアーティストは辛うじてFFFのみ。
私はAphex Twinからドラムンベース/ブレイクコアに入門。学生時代は日本のRomzあたりをほんのちょっと聴いていた。ブレイクコアというのはラガに接近しているところがあって、たとえば前述のAphexなんかはあまりない(多作だから私が知らないだけという可能性は大)んだけど、Kid606とか、Bong-Raなんかは結構曲中にラガの要素をぶち込んでくるし、ブレイクコアのコンピレーション買うと必ずそのうちの何曲かはラガの要素が入っていた。私は当時この手の要素が苦手でラガいレゲエ特有の歌声が聞こえてくると「う〜む」なんて思っていたものだ。私は徹底的なマシーンの非常性と攻撃性をブレイクコアに求めていたのかもしれない。
そんなわけでジャングル再入門となるのがこのCDといってもいいかも。
どうもビートを倍速に、ベースを半分の速度にといった変則的な速度(どうも再生速度の間違いから生まれたジャンルだとか)で鳴らすというのがルールのようだが、恐らくここから実際多様な音色で発展していったジャンルなのだろう。

聴いてみるとまずはやはりそのビートの手数の多さ、速度の早さに驚く。ほぼブレイクコアで曲名にも入っている通り特にAmen Breakの登場頻度が異常に高い。あの有名なフレーズはきっと誰もが聴いたことがあると思うが、やはりテンションが上がる。分解され再構築された、または譜面に敬意を払いつつ再入力されたそれらは元のフレーズを残しつつどれも思い思いに強烈にブーストされている。めまぐるしいブレイクビートと対照的にベースは確かにピッチを落としたかように(実際にサンプリングしたものを落として使っているのかも)間延びした低音が低音部を重たい垂れ幕のように覆っている。またはアシッドのビヨビヨ分をいくらか漂白したようなブワンブワンしたもので、これがうねるようなリズム感を演出している。昔買ったサイケアウツを思い出した。
そこに軽快でプリミティブ、時にチープですらあるギター、ピアノが裏打ちのリズムも印象的にサンプリングされ、チョップされて乗ってくる。鳥の鳴き声のような高音や、モダンなダンスホールレゲエを彷彿とさせるピュンピュンした音も飛び出してくる。ここら辺がジャングル、まさに密林といった感じで、鬱蒼とした緑色のビートの森の中にけばけばしい色をした鳥類や珍獣のような異音が飛び出してくる。この唐突さと、そしてそれらの異物を違和感なく包み込む懐の深い放埓さがジャングルの面白みなのかもしれない。
そしてラガいレゲエボーカル。独特のしゃがれ声、力が入っているようで抜けているテンションはしかし確実にこちらのテンションを上げてくるから不思議である。こちらも程よくピッチが変えられていてマシーンメイドさが垣間見得る。さながら電子化されたサイボーグ・グルといった感じで怪しいことこの上ない。

テクノの面白さの一つに機械的なのに感情的という逆説的な楽しさがあると思うけど、このジャングルという音楽は高速ブレイクビートという非人間的な要素を使いつつも、血の通ったレゲエの要素を大胆に取り込むことでさらにさらに感情的で有機的だ。
気づくと暗い音楽ばかり増えがちな自分としては非常にこういった音源は稀有で楽しい。会社で聴くとテンション上がって個人的にはとても好きだ。
インパクトありすぎなジャケットに驚くが、中身は紛れもなく素晴らしいです。非常にオススメなので普段は暗い音楽ばっか聴いているメタラーの方も是非どうぞ。

フレドリック・ブラウン/さあ、気ちがいになりなさい

アメリカの作家の短編小説。
もともと単行本で同じ早川から出版されている異色作家短編集というシリーズの一冊でなんとなく気になっていたものを今回文庫本になったタイミングで買ってみた。
翻訳しているのはショート・ショートSFの分野で活躍した星新一さん。本は読まないけど星新一さんだけなら、という人は結構いるらしいと聞いたが本当だろうか?私は一冊しか読んだことがない。多分NHKで映像化された「おーい」のやつが一番印象に残っている。
さて黒とピンクの想定が大変おしゃれかっこいいこの本、何と言ってもタイトルが良い。原題は「Come and go mad」で、それを「さあ、気ちがいになりなさい」と訳すセンスよ。高圧的な「さあ、気ちがいになれ」でも、怪しい同調圧力のある「さあ、気ちがいになろう」でもなく「さあ、気ちがいになりなさい」なのだ。優しさと、そして無言の圧力がある。思わず頼もしいその一言に身を委ねて気ちがいになりたくなるではないか。そうだこんな世の中自体が気ちがいなのだ。そこでは気ちがいになるのが気持ちよく暮らせる唯一の方法なのだ。俺も気ちがい、お前も気ちがいなんだア、アハハハハ、とそんな安逸とした危険な雰囲気を醸し出している。

収録されている12個の短編はどれも”ひねくれて”いるという形容詞が合うのではなかろうか。例えば同じ作家が同じテーマと設定で書いてもこうはなるまい、という一風変わった作品に仕上がっており、そこにこのフレデリック・ブラウンという作家の色を見ることができる。それはつまりあえて人が興ざめすることをニヤリとした笑みを浮かべ、訥々としかしはっきりと述べるようなそんなニヒルとまでは言わないが天邪鬼めいた毒がある。
表題作にもなった狂気というのは全編通じて、つまり作家のテーマなのかもしれないが、ではフレデリック・ブラウンの書く狂気とは一体何か、というとこれはを単なるドロップアウトとして捉えていないことにそのヒントがあるように思う。ざっくりいうと正気の危うさと環境適応としての狂気である。一番わかりやすいのは冒頭の「みどりの星へ」だろうか。主人公の(無意識の)選択はそれをやらないと一人取り残された異星で生きることができなかったことに他ならない。続く「ぶっそうなやつら」は幾ら何でも小心かつそれゆえ暴力ではなかろうか?と思う人もいるかもしれないが、やはりあの孤立した待合室、という環境に放り込まれれば特別臆病な私は同じような思考に陥ることは間違いない。私の場合は臆病ゆえに待合室から逃げ出しただろうが。少し趣向が変わって「電獣ヴァヴェリ」は正気を疑う物語。これはとある理由から電気が使えなくなった世界で文明が退化してしまうのだが、意外にも人間たちはそんな原始的な環境にあっという間に適応してしまう。物語の後半の主人公たちは電気が動かす社会にいた頃よりはるかにゆとりがあり、そして幸せそうである。文明批判であることは間違いないが、やはり普通を疑ってかかるというブラウンの怜悧な視点があるように思う。そしてやはりあるものでなんとかする、という人間のたくましさも(=人間賛歌)も書いている。文明批判といえば「町を求む」で野心的なギャングが手中に収めやすい町について一席ぶっているがそれは誰もが投票に行かない町である。まさにいまの日本ではないか。ひょっとしたいまの日本もならず者につけこまれているのかもしれない。これが発表されたのは1940年だということが驚きだ。人はいつの時代も変わらないのか、それともブラウンが非常に明晰な頭を持っていたのか。
「帽子の手品」では明らかに異常な状況を見たのにそれを許容できずに黙殺する人の心理が書かれている。これは狂気に対応できない正気を描いている物語と捉えることもできる。そして一番ボリュームがある表題作「さあ、気ちがいになりなさい」では自分の正気に疑いのある主人公が狂気に陥っていく。彼は自分で疑うように統合失調症患者なのか、それとも謎の「明るく輝けるもの」によって真理を知らされた故に狂気に陥ったのか。

あくまでも平明な文体で描かれる狂気、その筆致と視点は常に冷静なので観察するように狂気を楽しめるだろう。タイトルはぶっそうだが、楽しめること請け合いの黒い本。是非どうぞ。